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'''羽佐間 重彰'''(はざま しげあき、[[1928年]][[5月3日]] - )は、[[フジテレビジョン]](現[[フジ・メディア・ホールディングス]])・[[ニッポン放送]]・[[産業経済新聞社]]の元社長。[[東京府]]出身。
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'''羽佐間 重彰'''(はざま しげあき、[[1928年]][[5月3日]] -
  
==来歴・人物==
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昭和後期-平成時代の放送・新聞経営者。
[[赤穂浪士]]四十七士の一人、[[間光興]]の直系の子孫。元[[日本放送協会|NHK]]アナウンサーの[[羽佐間正雄]]、[[声優]]の[[羽佐間道夫]]は従兄弟である。
 
  
ニッポン放送では[[石田達郎]]の一番弟子的存在で、ニッポン放送編成部長だった[[1967年]]には現在まで続く[[深夜放送]]の人気番組『[[オールナイトニッポン]]』をスタートさせる。放送開始時の基本フォーマットは羽佐間が考案したものである<ref>村野まさよし『深夜放送がボクらの先生だった』(実業之日本社)</ref> 。
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昭和3年5月3日生まれ。昭和33年ニッポン放送に入社。深夜番組「オールナイトニッポン」などを成功させ,編成局長などをへて副社長。60年フジテレビ社長となり,積極経営により視聴率,売上高などで業界トップを維持した。63年ニッポン放送社長。平成4年産業経済新聞社社長,9年会長。東京出身。早大卒。
  
ニッポン放送常務、専務を経て、[[1977年]]から石田の後任としてポニー、キャニオンレコードの社長に就任。[[1985年]]には石田の後を受けてフジテレビ社長に就任するが、任期途中の[[1988年]]に[[フジサンケイグループ]]議長で同社会長だった[[鹿内春雄]]が死去、議長に復帰した[[鹿内信隆]]に疎まれ古巣・ニッポン放送の社長に異動となる<ref>中川和徳『メディアの支配者』(講談社)</ref>。
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[[1992年]]6月には[[産業経済新聞社]]の社長に就任するが、1か月後に開かれた同社取締役会で信隆死去後フジサンケイグループ議長となった[[鹿内宏明]]を会長から解任、羽佐間の後任としてフジテレビ社長となった[[日枝久]]が中心として画策した追放クーデターの発端となった。産経新聞社社長を退いた1997年に[[フジサンケイグループ]]代表に就任、2003年まで代表の職にあった。
 
 
 
== 学歴 ==
 
*旧制麻布中学校(現・[[麻布中学校・高等学校]]、[[1945年]]卒業)
 
*[[早稲田大学]][[第一文学部]]([[1951年]]卒業)
 
*早稲田大学[[大学院]][[文学研究科]]([[1953年]]修了)
 
 
 
== 経歴 ==
 
*[[1958年]][[8月1日]] - [[ニッポン放送]]に入社。ニッポン放送入社前は[[大映]] 企画部、日映に在籍。
 
*[[1973年]]1月1日 - ニッポン放送[[常務取締役]]
 
*[[1977年]]6月1日 - ニッポン放送[[専務取締役]]
 
*1977年6月 - ポニー・キャニオンレコード(現[[ポニーキャニオン]])[[代表取締役]][[社長]]
 
*[[1985年]][[6月27日]] - フジテレビジョン(現[[フジ・メディア・ホールディングス]])代表取締役社長
 
*[[1988年]][[6月30日]] - ニッポン放送代表取締役社長(フジテレビ社長は[[日枝久]]に)
 
*[[1992年]][[6月29日]] - [[産業経済新聞社]]代表取締役社長、[[サンケイリビング新聞]][[取締役]]
 
*[[1997年]][[6月17日]] - 産業経済新聞社代表取締役会長
 
*[[1997年]][[7月1日]] -フジサンケイグループ代表
 
 
 
== 映画作品 ==
 
*[[1985年]][[7月13日]] 『[[Dr.スランプ アラレちゃん ほよよ!夢の都メカポリス]]』
 
*1985年[[7月20日]] 『[[ビルマの竪琴]]』
 
*1985年[[12月21日]] 『[[ゲゲゲの鬼太郎 (1985年の映画)|ゲゲゲの鬼太郎]]』
 
*[[1986年]][[3月15日]] 『[[ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大戦争]]』
 
*1986年[[7月12日]] 『[[ゲゲゲの鬼太郎 最強妖怪軍団!日本上陸!!]]』
 
*1986年7月12日 『[[子猫物語]]』
 
*1986年[[10月10日]] 『[[時計 Adieu l'Hiver]]』
 
*1986年[[12月20日]] 『[[ゲゲゲの鬼太郎 激突!!異次元妖怪の大反乱]]』
 
*1986年12月20日 『[[ドラゴンボール 神龍の伝説]]』
 
*[[1987年]][[4月11日]] 『[[いとしのエリー (漫画)|いとしのエリー]]』
 
*1987年[[8月29日]] 『[[ハワイアン・ドリーム]]』
 
*1987年[[7月18日]] 『[[ドラゴンボール 魔神城のねむり姫]]』
 
*1987年[[9月26日]] 『[[竹取物語 (1987年の映画)|竹取物語]]』
 
*1987年[[10月24日]] 『[[光る女]]』
 
*1987年[[11月21日]] 『[[永遠の1/2 (小説)|永遠の1/2]]』
 
*1987年11月21日 『[[私をスキーに連れてって]]』
 
*[[1988年]][[7月9日]] 『[[ドラゴンボール 摩訶不思議大冒険]]』
 
*1988年[[7月23日]] 『[[優駿 ORACION]]』
 
*[[1999年]][[10月30日]] 『[[梟の城]]』
 
 
 
== 受賞歴 ==
 
*1988年 [[日本宣伝賞]][[正力賞]](第28回)
 
*[[1990年]] [[藍綬褒章]]
 
*[[1999年]] イタリア共和国功労勲章 グランデ・ウフィチャーレ章
 
*[[2000年]] ペルー功労勲章  大十字位
 
*[[2001年]] フランス レジオン・ドヌール オフィシエ章
 
*[[2013年]] [[旭日大綬章]]
 
 
 
== エピソード ==
 
* [[倉本聰]]はニッポン放送在籍時、ディレクター・プロデューサーであった羽佐間の下で補佐を務めていた。
 
* [[1997年]]には[[グアム]]政府名誉市民に選ばれた。
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{reflist}}
 
 
 
{{フジテレビの社長}}
 
{{ニッポン放送歴代社長}}
 
{{フジサンケイグループ}}
 
{{産業経済新聞社}}
 
 
{{DEFAULTSORT:はさま しけあき}}
 
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[[Category:日本の実業家]]
 
[[Category:日本の実業家]]

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羽佐間 重彰(はざま しげあき、1928年5月3日 - )

昭和後期-平成時代の放送・新聞経営者。

昭和3年5月3日生まれ。昭和33年ニッポン放送に入社。深夜番組「オールナイトニッポン」などを成功させ,編成局長などをへて副社長。60年フジテレビ社長となり,積極経営により視聴率,売上高などで業界トップを維持した。63年ニッポン放送社長。平成4年産業経済新聞社社長,9年会長。東京出身。早大卒。



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