細川護成

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細川 護成(ほそかわ もりしげ、慶応4年8月3日1868年9月18日) - 大正3年(1914年8月26日)は侯爵。父は細川護久。養子は末弟の細川護立。異母弟に長岡護全細川護晃がいる(護立も異母弟)。夫人は戸田氏共の長女孝子(こうこ)。娘に英子(子爵・長岡護孝夫人、護孝は長岡護美の子で、従弟にあたる)がいる。

明治18年(1885年)、イギリス・フランスに留学する。明治26年(1893年)9月、父護久の死去により、家督を相続した。それにともなって、同年、貴族院議員に就任する。明治44年(1911年)、済生会評議員に就任する。また、旧制目白中学校校長にも就任し、養子護立も校長を務めた。

栄典

脚注

  1. 『官報』第4198号「叙任及辞令」1897年7月1日。
  2. 『官報』第4343号「叙任及辞令」1897年12月21日。
  3. 『官報』第7272号「叙任及辞令」1907年9月23日。

関連項目

日本の爵位
先代:
細川護久
侯爵
肥後細川家第2代
1893年 - 1914年
次代:
細川護立

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