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[[ファイル:Hyghalmen Roll Late 1400s.jpg|thumb|15世紀後期に作られたドイツの Hyghalmen Roll]]
 
'''紋章学'''(もんしょうがく、{{Lang-en-short|Heraldry}})とは、中世ヨーロッパ以来貴族社会において用いられてきた、氏族・団体・地方の[[紋章]]の[[意匠]]考案や[[紋章記述]]を行う慣習であり、また、この紋章を様々な共通点又は相違点から整理・分類することによって体系化し、そこからその意義や由来を研究する[[学問]]である。
 
  
「ヘラルドリー (Heraldry) 」という英単語には、日本では「紋章学」などの言葉が訳語にあてられることが多い。しかしheraldryの概念は本来学問にとどまるものではない。一般的には、[[紋章官]] (officers of arms) の職務と責任にまつわるさまざまな事案をさす<ref>Stephen Friar, Ed. ''A Dictionary of Heraldry''. (Harmony Books, New York: 1987), 183.</ref>し、最も広く捉えるなら、コート・オブ・アームズ及びヘラルディック・バッジ ([[:en:Heraldic badge|Heraldic badge]]) の意匠・図案を考案、表示、記述、記録する人の営みである。この概念は「歴史速記術 (the shorthand of history) 」<ref>Arthur Charles Fox-Davies, ''A Complete Guide to Heraldry'', (Thomas Nelson, 1925).</ref>とか「歴史の庭をふちどる花壇 (the floral border in the garden of history) 」<ref>Iain Moncreiffe & Don Pottinger, ''Simple Heraldry'' (Thomas Nelson, 1953).</ref>など、さまざまに形容されてきた。
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'''紋章学'''(もんしょうがく、{{Lang-en-short|Heraldry}})
  
本項は「紋章学」を項目名とするものの、学問にとどまらず、ヘラルドリーのさまざまな側面を記述する。そのため、客観的な研究の主題としてのヘラルドリーを「学問としての紋章学」と呼び、人の営為としてのヘラルドリーを「慣習としての紋章学」と呼ぶ。
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紋章の起源,構成,図柄,色彩などを研究し,中世社会文化史を解明する学問。中世の騎士社会においては王侯騎士が用いる紋章を弁別し,文書伝達や儀式の先導をつとめるヘラルド (紋章官) が紋章に関する専門知識をもっていた。 14世紀以後法律家や聖職者によって紋章の学問的研究が始められ,ドイツ,フランスで盛んになった。 17世紀の神学者 P.シュペーナーは紋章の歴史的考察と分類によって近代紋章学の基礎を確立,18世紀初頭にベルリン貴族学校,次いでライプチヒ大学に紋章講座が設けられた。日本では沼田頼輔の『日本紋章学』が有名。
  
== 2つの側面 ==
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{{テンプレート:20180815sk}}
=== 慣習 ===
 
[[ファイル:Notitia.jpg|thumb|『[[ノティティア・ディグニタートゥム]]』の1ページ。]]
 
慣習としての紋章学の起源は、戦闘に参加している者の顔が鉄鋼製の[[兜]]で隠れている際に個人を識別する必要性にあった<ref>John Brooke-Little. ''An Heraldic Alphabet''. (Macdonald, London: 1973),2.</ref>。今日用いられている紋章の記述体系は、紋章官の手によって芸術の黎明期から発達してきたものである。この記述体系には、[[エスカッシャン (紋章学)|エスカッシャン]](シールド)、[[クレスト (紋章学)|クレスト]]及び存在するならば[[サポーター (紋章学)|サポーター]]、モットーその他のしるしの説明が含まれている。これらの原則を理解することは、紋章学を適切に実践するにあたっての重要な鍵のうちの1つになる。国ごとに原則は若干異なるが、それぞれの支配権の及ぶ範囲で持ち越される面がある。
 
 
 
慣習としての紋章学はおよそ900歳を迎えるが、いまだに活用され続けている。[[ヨーロッパ]]をはじめとして世界中の多くの都市と町では、現代でも紋章をそのシンボルとして使用している。個人の紋章も法的に保護され、合法的なものとして扱われており、世界中で使われ続けている。現代でもイギリス([[イングランド]]、[[スコットランド]])及び[[カナダ]]では[[紋章院]]を置いており、管轄地域の紋章の管理や新たな紋章の授与を行っている。
 
 
 
近代に至り、紋章の原則の体系は、学問としての紋章学に発展した。
 
 
 
=== 学問 ===
 
学問としての紋章学は、紋章から得られる知見により、[[貴族]]や[[王族]]などの支配階級の系図を明らかにする。また各国の紋章の類似性などから[[ノルマン・コンクエスト]]をはじめとする他民族への侵略や[[大航海時代]]以降の[[植民地支配]]などを含めた国家間の歴史的なつながりなどを明らかにすることが可能である。この点では[[歴史学]]にも通じる。大きなくくりでは[[文学]]に分類され、[[イギリス]]の[[オックスフォード大学]]などでは紋章学を修めると文学修士 (Master of Arts, MA) の学位が与えられる。
 
 
 
紋章は個人を特定するものであると同時に、その個人が属する[[家系]]を示すものである。紋章を体系化することによって、その紋章、その家系、その個人にまつわる歴史を知ることができる。また、その土地を支配していた権力者の紋章の全部、又は一部が現在の州、郡、市などの地方の紋章にも取り入れられていることから、その地方の歴史的な成り立ちの一端や地域独特の共通点から紋章学的ローカルルールを知ることもできる。特定のクラブ、[[軍隊]]、[[大学]]などがその出自や歴史、[[パトロン]]などを反映させた紋章を持つ場合もあるが、これらもすべて紋章学に基づく体系に沿って作られている。
 
 
 
== 起源と歴史 ==
 
古代の戦士は、しばしば彼らの盾を紋様と神話をモチーフとする絵で飾った。彼らの顔が兜に隠れているときには、これらのシンボルは戦士を特定するのに役立った。[[ローマ帝国]]の軍隊の部隊は、彼らの盾にある特徴的な模様によって識別された。これらは中世と現代における紋章の概念のように個人又は家族でなく、部隊と関係していたためである<ref>Notitia Dignitatum, Bodleian Library</ref>。
 
 
 
[[ファイル:Bayeux_Tapestry_scene57_Harold_death.jpg|thumb|[[バイユーのタペストリー]]の一部。3人の兵士がまだ紋章が体系化される前の紋様を描いたシールドを持っている]]
 
イングランドの[[ノルマン・コンクエスト]]の時点では、現代のものに近い紋章学はまだ展開されてはいなかった。[[バイユーのタペストリー]]の[[騎士]]は盾を持っているが、世襲で継承される紋章の体系はなかったように見える。近代の紋章体系の始まりはきちんとしたものであったが、[[12世紀]]中頃までは標準的なものにはなっていなかった<ref>Beryl Platts. ''Origins of Heraldry''. (Procter Press, London: 1980), 32.</ref>。この時までに、紋章はヨーロッパの全域で大郷士(騎士の次に位した紋章を用いる権利がある者)の子に受け継がれていた。[[1135年]]から[[1155年]]に、[[イングランド]]、[[フランス]]、[[ドイツ]]、[[スペイン]]及び[[イタリア]]でシールが紋章図案として採用されていくのが見られる<ref>Thomas Woodcock & John Martin Robinson. ''The Oxford Guide to Heraldry''. (Oxford University Press, New York: 1988), 1.</ref>。イングランドでは、長男とそれ以外の男子を区別するためにケイデンシーを用いる習慣が発祥し、[[15世紀]]に紋章官ジョン・ライセ (John Writhe) によって制度化、標準化された。
 
 
 
[[中世]]後期から[[ルネサンス|ルネサンス期]]では、紋章学は非常に発達した規律になり、紋章官によって管理された。その後、[[馬上槍試合]]での使用も廃れてしまったため、紋章は別の用途で視覚的に個人を特定するために用いられるようになり、文書の[[封蝋]]に押され、代々の墓に刻まれ、地元の旗として掲揚されるなど、一般に広く用いられ続けた。紋章法律学の最初の著書は、[[パドヴァ大学]]法科教授であったバートラス・デ・サクソフェラート (Bartolus de Saxoferrato) によって[[1350年代]]に書かれた、''De Insigniis et Armiis'' である<ref>Squibb, George. (Spring 1953). "The Law of Arms in England". ''The Coat of Arms'' '''II''' (15): 244.</ref>。
 
 
 
紋章を用いる慣習の始まりの頃から、紋章は紙、木版、[[刺繍]]、[[琺瑯]](ほうろう)、石細工及び[[ステンドグラス]]といった多種多様な媒体で描かれた。これらのすべては素早く識別する目的で、紋章学は7つの基本的な色だけを定め<ref>Jack Carlson. ''A Humorous Guide to Heraldry''. (Black Knight Books, Boston: 2005), 22</ref>、[[フィールド (紋章学)|フィールド]]に対する[[チャージ (紋章学)|チャージ]]の正確な大きさや配置で明快な区別をするというわけではない<ref>David Williamson. ''Debrett's Guide to Heraldry and Regalia''. (Headline Books, London: 1992), 24.</ref>。紋章とそのアクセサリーは、[[紋章記述]](ブレイゾン)と呼ばれている簡潔な[[隠語]](ジャーゴン)で記述される<ref>Arthur Fox-Davies. ''A Complete Guide to Heraldry'' (Grammercy Books, New York: 1993), 99.</ref>。紋章のこの専門的な説明は、紋章の特定の描写において、たとえどんな芸術的な解釈がなされるかもしれなくても、厳守されなければならない標準である。
 
 
 
紋章の各々の要素が何らかの特定の意味を持つという論には根拠がない。初代の大郷士が特定の意味をチャージに求めたかもしれないが、これらの意味が必ずしも代々引き継がれて保持されるというわけではない。紋章にその保持者の名前をもじった明らかな洒落でも取り入れない限り、チャージにこめられた意味を後から見つけるのは困難である。
 
 
 
軍事技術と戦術の変化は[[プレートアーマー]]を時代遅れなものにし、紋章学はその本来の機能から分離されるようになっていった。これは、絵の中に存在するだけだった「紙紋章」の発展をもたらし、デザインとシールドは、明快さを代価としてより精巧になった。飾りけのない類像的な紋章に対する20世紀のテイストは、初期の紋章学の単純なスタイルを再び当世風のものにした。
 
 
 
== 紋章の構成要素 ==
 
{{紋章の構成要素}}
 
紋章は右図のような[[エスカッシャン (紋章学)|エスカッシャン]](Escutcheon、[[盾]])、[[ヘルメット (紋章学)|ヘルメット]](Helmet、[[兜]])、[[クレスト (紋章学)|クレスト]](Crest、兜飾り)、[[マント]] (Mantling)、リース (Wreath)、[[サポーター (紋章学)|サポーター]](Supporter、盾持ち)、[[標語|モットー]](Motto、一般的には巻物に示された[[座右の銘]]や[[家訓]]のようなもの。[[ラテン語]]で書くのが一般的)の構成要素からなり、中心となる盾のみのものを小紋章 (Escutcheon 又は (Heraldic) Shield)、それにヘルメットやクレストを加えたものを中紋章 (Coat of arms) 、全てが揃っているものを大紋章 (Achievement) と呼ぶこともあるが、これらの名称上の区別はあまり厳格でなく、いずれもコート・オブ・アームズと呼んで差し支えない。ただし、大紋章を授与されるのは由緒ある家柄の者か、その国で高い地位にある者や偉大な業績を残した者に限られる。例えば、大学教授程度であれば、大紋章を与えられることはない。この他、当人の身分によって騎士団章([[勲章]])や冠が加わることもある。
 
 
 
これらの要素は中世の[[騎士]]をイメージしたものである。このため、戦場に出ない女性や聖職者の場合、盾型ではなく菱形の要素([[ロズンジ (紋章学)|ロズンジ(Lozenge)]])を使い、ヘルメット等も違った形式の帽子になるのがオーソドックスであったが、近代では騎士のイメージは形式のみになっており、男女同権の意識も高まったため、特に区別しないこともある。
 
{{-}}
 
 
 
== 紋章の原則 ==
 
=== シールドとロズンジ ===
 
{{main|エスカッシャン (紋章学)}}
 
現代の紋章学の主な中心は、大紋章 (armorial achievement) 又は紋章 (coat of arms) である。紋章の中心要素は、[[エスカッシャン (紋章学)|エスカッシャン]]である.<ref>William Whitmore. ''The Elements of Heraldry''. (Weathervane Books, New York: 1968), 9.</ref>。一般に、紋章の中で用いられるシールドの形は特別な意味を持たない。紋章芸術で使用される盾形の流行はだいたい数世紀にわたって変化した。特定のシールド形が紋章記述の中で指定されることもある。これらはほとんど常にヌナブットの紋章<ref>Government of Nunavut. n.d. About the Flag and Coat of Arms. Government of Nunavut, Iqaluit, NU, Canada. Accessed October 19, 2006. Available [http://www.gov.nu.ca/Nunavut/English/about/symbols.shtml here]</ref>と[[ボプタツワナ|旧ボプタツワナ共和国]]<ref>Hartemink R. 1996. South African Civic Heraldry-Bophuthatswana. Ralf Hartemink, The Netherlands. Accessed October 19, 2006. Available [http://www.ngw.nl/int/zaf/prov/bophutsw.htm here]</ref>のような非ヨーロッパの背景で起こり、[[ノースダコタ州]]がさらに変わった例として挙げられ<ref>[http://usheraldicregistry.com/pmwiki.php?n=Registrations.20060825L US Heraldic Registry]</ref>、[[コネティカット州]]も[[ロココ]]調のシールドを指定する<ref>[http://americanheraldry.org/pages/index.php?n=State.Connecticut American Heraldry Society - Arms of Connecticut]</ref>。
 
 
 
女性は戦場に赴かなかったので、伝統的に彼女らはシールドを使わなかった。その代わりに、彼女らの紋章は、その鋭角のうちの1つで立っている[[ロズンジ (紋章学)|ロズンジ]]と呼ばれる[[菱形]]に示された。一部の紋章院が例外を設けることがあるが、これは世界の多くで有効であり続ける<ref>Stephen Slater. ''The Complete Book of Heraldry''. (Hermes House, New York: 2003), 56.</ref>。カナダでは、女性に対するシールド上に紋章を持てないという規制は撤廃された。非戦闘員の[[聖職者]]は、自らの紋章のためにカルトゥーシュや[[オーバル]]と同様にロズンジも利用した。
 
 
 
=== ティンクチャー ===
 
{{main|ティンクチャー (紋章学)}}
 
[[ファイル:tinctures.svg|right|thumb|180px|ティンクチャーとペトラ・サンクタの手法による紋様の対応]]
 
紋章は戦場で遠くからでも識別できるように限定された色で表現される。紋章学における色のことを[[ティンクチャー (紋章学)|ティンクチャー]] (tinctures) といい、大きく分けて金属色 (Metals) 、原色 (Colours)、毛皮模様 (Furs) の3つの種類がある。金属色にはオーア([[金色]])とアージェント([[銀色]])の2色、原色にはアジュール([[青色]])、ギュールズ([[赤色]])、パーピュア([[紫色]])、ヴァート([[緑色]])、セーブル([[黒]])の5色、毛皮模様には[[アーミン (紋章学)|アーミン]](シロテン)、[[ヴェア (紋章学)|ヴェア]](リス)の2色ある。毛皮模様は2色の原色のティンクチャーを用いて表現するが、紋章学上は1色として扱われる。基本はこの9色であるが、時代が下ると地域により原色のティンクチャーにはいくつか色が付け加えられていることがある。
 
 
 
[[エングレービング]]のような古典的な印刷手法で真っ黒に塗りつぶすことが困難である場合や、[[硬貨]]の刻印のように着色できない場合があるため、それぞれの色を白黒で、しかも点と線だけで表現できる別の模様に置き換える様々な手法が考案された。もっとも広く用いられているのが「ペトラ・サンクタの手法 (System of Petra Sancta) 」と呼ばれる方法であり、それぞれのティンクチャーを次のように表す。アーミンとヴェアは、用いられているティンクチャーに従って、それぞれの原色と同様の方法で表現する。
 
* [[オーア (紋章学)|オーア]]:点
 
* [[アージェント (紋章学)|アージェント]]:無地
 
* [[アジュール (紋章学)|アジュール]]:横縞
 
* [[ギュールズ (紋章学)|ギュールズ]]:縦縞
 
* [[パーピュア]]:右上から左下への斜縞
 
* [[ヴァート (紋章学)|ヴァート]]:左上から右下への斜縞
 
* [[セーブル (紋章学)|セーブル]]:格子縞
 
<!--* 橙:横縞と右から左への縞-->
 
 
 
=== チャージ ===
 
{{main|チャージ (紋章学)}}
 
 
 
==== オーディナリー ====
 
[[ファイル:Divisions of the field.png|right|thumb|180px|領域の塗分け]]
 
[[ファイル:Ordinaries.png|thumb|right|180px|幾何学模様]]
 
{{main|オーディナリー (紋章学)}}
 
シールドの基本的なデザインとして右図の様な色の塗分けと幾何学模様がある。これに動物、植物、[[十字架]]などの具象図形が組み合わされることもある。また、紋章が受け継がれるうちに、他の家の継承に伴いその紋章を中に組み込むようになり、領域を半分や四分割して各紋章を配置することが行われた([[マーシャリング (紋章学)|マーシャリング]])。
 
 
 
==== 具象図形 ====
 
===== 動物 =====
 
* [[ライオン_(紋章学)|獅子]] - 勇壮さを求められるであろう紋章において獅子の絵柄は好まれる象徴のひとつであり、古くから用いられているものである。著名な紋章のひとつであるイギリス王室の紋章においては一貫して獅子が用いられている。
 
* [[鷲]] - 好んで用いられる象徴のひとつである。[[ローマ皇帝]]の象徴であり、その系譜を受け継ぐとする[[東ローマ帝国|東ローマ皇帝]]、[[神聖ローマ皇帝]]、[[ハプスブルク家]]、[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]の他、系統は違うが[[アメリカ合衆国]]の国章などにも使用されている。
 
 
 
===== 花 =====
 
* [[フルール・ド・リス]] - 「[[ユリ|百合]]の花」の意であり、[[アヤメ|アイリス]]の花を模したものと考えられている。花のチャージの中でももっとも頻繁に見られるものの一つである。
 
 
 
== 脚注 ==
 
<div class="references-small">
 
{{脚注ヘルプ}}
 
<references/>
 
</div>
 
 
 
== 参考文献 ==
 
* [[森護]]『ヨーロッパの紋章―紋章学入門』(河出書房新社、1996年) ISBN 978-4309222943
 
* 森護『ヨーロッパの紋章・日本の紋章』(河出書房新社、1996年) ISBN 978-4309222929
 
* 森護『英国紋章物語』(河出書房新社、1996年) ISBN 978-4309222936
 
* 森護『紋章学辞典』(大修館書店、1998年) ISBN 978-4469012590
 
 
 
== 関連項目 ==
 
{{Wiktionary|heraldry}}
 
{{commons|Category:Heraldry}}
 
{{commonscat|Elements of Coat of arms|紋章の構成要素}}
 
{{Wikidata property |1=P237 |2=紋章}}
 
* [[紋章]]
 
* [[紋章院]]
 
* [[シンボル]]
 
* [[家紋]]
 
* [[家紋の一覧]]
 
* [[旗章学]]
 
 
 
== 外部リンク ==
 
* [http://ww2.enjoy.ne.jp/~tteraoka/heraldry/heraldry1.htm ヨーロッパ紋章学]
 
 
 
{{紋章学用語}}
 
{{Authority control}}
 
 
{{DEFAULTSORT:もんしようかく}}
 
{{DEFAULTSORT:もんしようかく}}
 
[[Category:紋章学|*]]
 
[[Category:紋章学|*]]

2018/12/23/ (日) 17:46時点における最新版

紋章学(もんしょうがく、: Heraldry

紋章の起源,構成,図柄,色彩などを研究し,中世社会文化史を解明する学問。中世の騎士社会においては王侯騎士が用いる紋章を弁別し,文書伝達や儀式の先導をつとめるヘラルド (紋章官) が紋章に関する専門知識をもっていた。 14世紀以後法律家や聖職者によって紋章の学問的研究が始められ,ドイツ,フランスで盛んになった。 17世紀の神学者 P.シュペーナーは紋章の歴史的考察と分類によって近代紋章学の基礎を確立,18世紀初頭にベルリン貴族学校,次いでライプチヒ大学に紋章講座が設けられた。日本では沼田頼輔の『日本紋章学』が有名。



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