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'''競輪選手'''(けいりんせんしゅ)とは、[[公営競技]]の[[競輪]]において賞金を獲得する[[プロフェッショナル|プロ]]スポーツ選手であり、[[経済産業省]]管轄の[[国家資格]]所持者である。
 
  
== 選手数の変遷 ==
+
'''競輪選手'''(けいりんせんしゅ)
選手数は、日本のプロスポーツとしては最大規模の2,300名程度にのぼるが、相次ぐ競輪場の閉鎖、[[団塊の世代|団塊世代]]の選手の大量引退、[[競輪学校]]の年一回入学化等により漸減傾向にあり、直近10年間でも1,000人以上の減少となっている。
 
*2006年12月末時点 - 3,598人
 
*2008年2月時点 - 3,531人
 
*2009年5月時点 - 3,497人
 
*2010年10月時点 - 3,312人
 
*2011年10月時点 - 3,284人
 
*2012年5月時点 - 3,075人
 
*2012年10月時点 - 2,977人(うち女子33人)
 
*2013年5月時点 - 2,799人(うち女子51人)
 
*2014年5月時点 - 2,629人(うち女子69人)
 
*2015年5月3日時点 - 2,545人(うち女子84人)
 
*2016年12月31日時点 - 2,357人(うち女子98人)
 
*2017年12月31日時点 - 2,339人(うち女子109人)<ref name="syokin2017">{{PDFlink|[http://keirin.jp/pc/dfw/portal/guest/news/2018khn/01/pdf/20180112_02_05.pdf 2017年級班別賞金総額及び平均取得額]}} - keirin.jp,2018年1月12日</ref>
 
  
== 競輪選手になるには ==
+
[[公営競技]][[競輪]]において賞金を獲得する[[プロフェッショナル|プロ]]スポーツ選手であり、[[経済産業省]]管轄の[[国家資格]]所持者。
競輪選手になるためには、[[国家試験]]である'''競輪選手資格検定'''に合格する必要がある。資格検定に合格するためには、まず[[日本競輪学校]]に入学し<ref>競輪選手資格検定は日本競輪学校に入学しなくても受験が可能だが、日本競輪学校に入学せず資格検定だけを受験し合格した者はいない。このように、事実上はまず日本競輪学校の入学試験に合格し入学・卒業することが選手となる為の大前提となる。</ref>、在学中に受験する資格検定<ref>資格検定は年2回実施されるが、日本競輪学校の生徒は毎年3月上旬に実施される各年度の第1回試験を受験する。</ref>に合格し日本競輪学校を卒業したあと、全国いずれかの[[日本競輪選手会|選手会]]に所属することで選手登録され、晴れて競輪選手となれる。
 
  
現在では、男女ともに、毎年デビュー前の5月中旬ごろに[[萬福寺]]([[#競輪選手のペナルティ|以下]]も参照)にて3泊4日の新人宿泊研修を受けたあと、下半期期初となる7月以降にデビューすることになっている(かつては5月にデビューしていた)。
 
 
日本競輪学校の受験方法・在校時の生活などについては、[[日本競輪学校]]の項目を参照のこと。
 
 
== 競輪選手の生活 ==
 
まず、競輪を開催する施行者(各[[競輪場]])より委託を受けた[[JKA]](旧・日本自転車振興会)の各地区本部がJKAあっせん課に対し斡旋依頼を行い、あっせん課はスケジュールや脚質など公正に勘案した上で選手に対し斡旋通知メールを送信する。それを受信した選手はメールの内容(斡旋先の競輪場・開催期日など)を確認し、参加の旨を意思表示したメールを返信することで、改めて開催施行者から参加通知メールが送信される<ref>[http://keirin.jp/pc/dfw/portal/guest/nkg/book/index.html#page=9 日本競輪学校パンフレット] - 8ページに記載あり。</ref>。これで施行者と選手との間で契約成立となる。ちなみにこれらはかつては葉書による書面にて行われていた。選手は斡旋された競輪場へ前検日(開催前日)の指定時間までに赴き、その日のうちに身体・車体など所定の検査を受けて「異常なし」と判断されれば、翌日以降の競走に参加できる。仮に身体や車体に「異常あり」と判断されればその場で契約解除となり競走には参加できず、規定により「前日検査不合格」という扱いとなる。なお、配送を委託した部品や自転車が前検日に競輪場に届かず検査が受けられない場合なども契約解除となるが、選手の責任を問えないと判断された場合は通常の欠場扱いとなる<ref>[https://web.archive.org/web/20131205103132/http://www.daily.co.jp/newsflash/horse/2013/12/05/0006549927.shtml 【競輪】6人選手の自転車届かず欠場](2013年12月5日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])  - [[デイリースポーツ]]、2013年12月5日閲覧</ref>。
 
 
競走の公正確保([[八百長]]防止)の観点から、前検日に競輪場入りしてから帰宅するため競輪場を離れるまで<ref>通常は4日間ないし5日間。最長は男子の[[日本選手権競輪]]と[[朝日新聞社杯競輪祭|競輪祭]]開催期間中の7日間。</ref>、選手全員が競輪場併設の選手宿舎<ref>[[岸和田競輪場]]など、一部の競輪場では競輪場から少し離れた場所に選手宿舎を設けている例もある。岸和田競輪場の場合、選手は専用のバスで競輪場と選手宿舎を移動する。</ref>に隔離状態にされ、外部との接触や連絡はたとえ身内でも一切禁止となり<ref>近親者の急逝など余程の特別な事情が発生している場合などは例外だが、その場合は規定に従い施行者側職員が通話に立ち会うこととなっている。</ref>、[[携帯電話]]や通信機器など<ref>参考に岸和田競輪場の場合、『携帯電話』、『[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]』、『[[トランプ]]』、『通信機能の付いたゲーム機』([[Nintendo Switch]]など)、『飲食店からの出前』は宿舎内持込禁止となっている。</ref>も前検日に競輪場に必ず預けなければならない。参加中に例え通信機能が無くても通信機器を所持ないし届け忘れが発覚すれば競輪場から即日契約を解除され、かつ一定期間の斡旋停止など厳しい処分が課せられ<ref>{{cite news |title=携帯電話持ち込みで契約解除 ガールズケイリンのトップレーサー・大久保花梨 |url=http://www.hochi.co.jp/topics/20180311-OHT1T50166.html |newspaper=[[スポーツ報知]] |publisher=[[報知新聞社]] |date=2018-03-11 |accessdate=2018-04-02 }}</ref>、更に使用が発覚した場合にはより重い処分となり、過去には[[手島慶介]]などがこの処分を受けている<ref>競輪のみならず[[公営競技]]全般において、宿舎内への通信機器の持ち込みは厳しく禁じられている(マスコミ関係者など部外者も同様)。[[オートレース]]では、過去に参加中における通信機器の常用が発覚し選手登録消除(一般にいう[[解雇]]処分相当)に処せられた選手がいる。</ref>。
 
 
選手宿舎は、12畳1室で4人相部屋となっている。選手の宿舎内での生活は、基本的に、食事・風呂・トレーニング・同室の仲間との会話…がほとんどであり、[[藤本博之 (53期)|藤本博之]]によれば、「食事か、仲間との会話ばかり」とのこと<ref>[[愛の修羅バラ!]][[2009年]][[12月6日]]放送分より。</ref>。この宿舎内での選手の生活については、競輪業界に題材をとった漫画『[[ギャンブルレーサー]]』などに詳しい描写がある。
 
 
基本的には開催初日から最終日まで毎日1走<ref>[[競艇]]や[[競馬]]などと違い1日に2走以上することはない(但し最初期には1日2走することもあった)。また、レースによっては休み日を挟む場合がある。</ref>し、帰宅の際、競輪場から賞金・手当を支給される。ただ、レースで失格処分を受けたときは、開催途中であってもその時点で競輪場から斡旋・参加の契約を解除され、競輪場から“追放”され[[即日帰郷]]となる。
 
 
競走のない日は、主に非開催日の競輪場や街道で練習を行ない、次の参加レースに備える。この生活を月に2 - 3回ほど繰り返す。ただ、競輪は基本的にほぼ毎日全国どこかの競輪場で開催されているため、次に出場予定の開催まで長く間隔が空いている場合、出場予定の選手が急遽欠場したため数合わせで『追加』として、他にも出場選手が失格して帰郷し選手数が不足したため開催中には『補充』として、それぞれイレギュラーで斡旋を受けることもある{{Refnest|この場合、施行者(競輪場)から直接連絡がいく<ref>[https://ameblo.jp/otokomichi-kase/entry-12287155716.html 大垣へ] - [[加瀬加奈子]]ブログ「加瀬加奈子の男道」、2017年6月26日</ref>。}}ため基本的に休みというものはなく<ref>勿論、出場する・しないは選手自身の判断であるが、最終的に一定期間内で義務付けられている「最低出走回数」はクリアしなければならない。ただ、S級S班の9人に対しては、予め届け出ることで年1回・最長1ヶ月間の公休が取得できる優遇措置がある。</ref>、特に[[お盆]]や[[正月]]には多くの開催が集中するため、競輪選手にお盆や正月はあってないようなものである<ref>競輪選手のみならず、競輪場・場外車券売場の管理・運営に携わるスタッフや[[競輪新聞]]の関係者なども同様にお盆や正月の休みは無いも同然である。</ref>。
 
 
== 競輪選手の練習 ==
 
殆どの競輪選手には[[師匠]]がおり(稀にいない選手もいる)、基本的にはそれら師弟関係や先輩・後輩などの集まりでグループを組み、集団で練習を行うことが多い。
 
 
練習内容は自転車競技選手と大差なく、[[競輪場]]や[[自転車競技場]]において周回走行やダッシュを繰り返すが、「持久力をつけるため」や「身近に競輪場など練習できる場がないため」という理由で、[[公道]]を練習の場として活用する選手も多い。
 
 
また近年は自転車だけでは鍛えられない部分を補うために[[ウエイトトレーニング]]などを行う事が一般的になっており、選手の中には自費でウエイト機材や自転車用ローラー台などを設置した「練習小屋」を自宅の敷地などに造成する者もいる。
 
 
== 競輪選手の収入 ==
 
選手の収入は、その殆どが出走したレースでの着順に応じて支払われる賞金{{Refnest|現在は全ての着順で賞金が支払われるが、[[1951年]]3月に制度が改正されるまでは下位の着順では賞金は支払われなかった。そのため当時の選手らは賞金が貰えなかったレースのことを『無賃乗車』と呼んだ<ref>競輪三十年史p.207-209 - [[JKA|日本自転車振興会]]、1978年11月20日発行</ref>([[石田雄彦]]の項目にも同様の記載がある)。}}である。ただ、この賞金は途中棄権した場合には9着賞金(棄権が自分1人の場合)から20%がカットされ、失格となった場合にはそのレースの賞金は支払われないことになっている。賞金以外にも、レースに出走する毎に額は多くないが失格・棄権関係なく「競走参加手当」(日当)が支給され、そのほかにもレース中に雨や雪が降れば「(通称)雨敢闘手当」、[[正月三が日]]に競走に参加すれば「(通称)正月手当」(実際には年末年始の特定開催となる)、また[[モーニングレース|モーニング競輪]]や[[ミッドナイト競輪]]といった通常開催とは異なる時間帯での競走に参加すれば時間外手当のようなものなどもそれぞれ支給される。また、自宅から競走に参加した競輪場までの「交通費」も別途支給される<ref>S級S班所属の9人に対しては、通常の交通費に加えて[[グリーン券|グリーン料金]]などの特別料金が加算されて支給される。</ref>。この他、[[競輪#先頭固定競走|先頭誘導員]]資格を持つ選手がレースで先頭誘導員を務めれば、その都度誘導員手当<ref>手当の額はレースの格による。最低は一般戦の3,000円で、[[KEIRINグランプリ]]となると20万円が支給される([[日刊スポーツ]]大阪本社版、2014年7月29日付2面「そこが聞キティ」)。</ref>も支給される。支給額については、2014年度までは事前に決定されるGIなどのグレードレースの賞金は除き各競輪場の賞金は前年度の売り上げにより翌年度のレース毎の賞金支給額が変更されていたため同じグレードのレースでも競輪場によって支給額が異なることがあったが、2015年度より全ての場およびグレードにおいて賞金額が統一されている<ref>[http://www.nikkansports.com/public_race/news/1450373.html 15年度選手賞金が全競輪場で統一] - [[日刊スポーツ]]・2015年3月22日</ref>。賞金の最高額は[[KEIRINグランプリ]]1着の1億160万円(副賞込みの金額)であり、最低額はFIIのA級チャレンジレースでの5レーストーナメント初日予選およびガールズケイリン予選の7着32,000円である<ref>{{PDFlink|[http://keirin.jp/pc/dfw/portal/guest/data/prize/H28/tsujo/2016_syokin_V33_F2_3_A_5R.pdf FⅡ(3日制)A級3班・5R(7車立)(V33)]}} - keirin.jp</ref><ref>{{PDFlink|[http://keirin.jp/pc/dfw/portal/guest/data/prize/H28/tsujo/2016_syokin_G32_F2_3_A_2R.pdf ガールズケイリン(3日制)2R 【FⅠ(G31)・FⅡ(G32)共通】]}} - keirin.jp</ref><ref>{{PDFlink|[http://keirin.jp/pc/dfw/portal/guest/data/prize/H28/tsujo/2016_syokin_G37_F2_3_A_6R.pdf ガールズケイリン(3日制)6R(G37)]}} - keirin.jp</ref>(2016年度)。
 
 
これらの賞金は、かつては全て選手個々に帰宅時に現金で支給されていたため、開催最終日には窓口に札束が大量に並べられることも珍しくなかったといい、実際に[[吉岡稔真]]は『[[別冊宝島]]』の企画で[[植木通彦]]と対談した際<ref>別冊宝島343「競輪打鐘(ジャン)読本」に収録。</ref>、自宅近くで行われる[[朝日新聞社杯競輪祭|競輪祭]]において「いつも賞金の札束をそのまま車のトランクに積んで帰っている」と語ったことがある。ただ大量の現金を持ち歩くことは無用心でもあるので<ref>実際同対談では、手っ取り早く金を稼ぎたい人間にとって「吉岡を食らわせたほうが早いかもしれない(笑)」と語った植木に対し、吉岡自身「そう考える人はいるはずですよ」と答えており、当時から選手間では[[強盗]]に襲われる危険性について認識していたようである。</ref>、最近はほとんどの選手が銀行振込での受け取りを選んでいる。
 
 
2014年度までの賞金制度では売り上げ減少を受けて賞金支給額が低ランクの競輪場が年ごとに増加していたことから、この影響から選手全体の平均獲得賞金額も減少している。ここ10年間では獲得賞金額の年間平均は1,000万円以上あったものの、2011年度は[[東日本大震災]]を受けての[[被災地支援競走|被災地支援競輪]]において収益拠出額を増加させる方針から大幅にダウン<ref>日本競輪選手会・平成22年度事業概要</ref>し888万円となった<ref name=release20120105>{{PDFlink|[http://keirin.jp/pc/dfw/portal/guest/news/2012khn/01/pdf/20120105_03_02-04.pdf 取得賞金高別人員表(1千万円以上)]}} - keirin.jp</ref>。また、2011年における年間獲得賞金額1,000万円以上の選手は782人に留まり、過去30年間で最低となった(最多は1998年の3,196人)<ref name=release20120105></ref>。また、最上位のS級S班9人だけは平均1億625万円である一方、最下位のA級3班では平均592万円であり、上位選手と下位選手の格差は大きい<ref>{{PDFlink|[http://keirin.jp/pc/dfw/portal/guest/news/2012khn/01/pdf/20120105_03_05-06.pdf 2011年級班別賞金総額及び平均取得額]}} - keirin.jp</ref>。
 
 
2017年の1年間では、1億円以上を獲得した者が5名、1,000万円以上を獲得した選手は708名で700名を超えたのは3年ぶり<ref name="release20180112">{{PDFlink|[http://keirin.jp/pc/dfw/portal/guest/news/2018khn/01/pdf/20180112_02_04.pdf 2017年取得賞金高別人員表(1千万円以上)、年別1,000万円以上取得者数、過去10年間の賞金総額及び平均取得額]}} - keirin.jp、2018年1月12日</ref>となった。また、選手全員の賞金総額も過去10年間では最低であった<ref name="release20180112" />が、選手数が減少していることもあり、平均取得額は2012年以降僅かながら上昇基調が続いており9,788,191円<ref name="release20180112" />(女子は6,666,809円<ref name="syokin2017" />)であった。
 
 
なお、[[夏季オリンピック|オリンピック]]では、[[アトランタオリンピック|アトランタ大会]]から[[自転車競技]]にプロである競輪選手の参加が認められたこともあり、以後大会毎に代表に選ばれた選手は、メダル獲得を目指して合宿を張るためオリンピック開催の数か月前から通常の競走を欠場した上で参加している。そのため欠場中は特別な配慮がなされ、規定が定められて一定の収入補償がなされている。特にメダルを獲得した場合は補償と共に報奨金も支給され、アトランタで銅メダルを獲得した[[十文字貴信]]には5,000万円が、[[アテネオリンピック (2004年)|アテネ大会]]で銀メダルを獲得した[[長塚智広]]・[[井上昌己 (競輪選手)|井上昌己]]・[[伏見俊昭]]には各人4,000万円が、[[北京オリンピック|北京大会]]で銅メダルを獲得した[[永井清史]]には4,300万円が、[[JKA]]などからそれぞれ支給された。
 
 
20年以上選手を務め上げれば、引退する際に約2,000万円の退職金が支払われ、またそれとは別に獲得賞金の一部を原資とした年間約120万円の年金が15年間支払われる<ref>[http://careergarden.jp/keirin/intai/ 競輪選手の引退後の生活]</ref>。
 
 
== 競輪選手のペナルティ ==
 
競輪選手は競走において短期間に多くの警告を繰り返し受けると、ペナルティとして科される違反点数が累積していき、特に失格については男子では級班別審査(格付け)においてもマイナス点が与えられ不利になる。
 
 
一定期間の累積違反点数が90点以上に達した場合には、関係団体(実際は日本競輪選手会)から、訓練への参加通知が届き「特別指導訓練」に参加しなければならない。実施場所は[[日本サイクルスポーツセンター]]で期間は5泊6日制で、受講費6万円を自腹で支払い当訓練に強制参加させられる。その内容は競走参加中と同様に携帯電話や電子機器の持ち込みが不可(預かり)となり、飲酒も厳禁で、決められた時間や範囲以外の外出も禁止になる。
 
 
また直近4か月間の累積違反点数が120点以上になると、JKAの規程により『あっせんをしない処置』<ref>{{PDFlink|[http://www.keirin-autorace.or.jp/regulation/keirin/gyoumu.pdf 競輪に係る業務の方法に関する規程]}} - 第142条</ref>(以下「斡旋処置」)という処罰の対象となる場合もあり、適用されると基本的に120点以上が1か月、150点以上が2か月、180点以上が3か月といった間で出場への斡旋が行なわれないことになり、これは一定期間実戦から遠ざかることをそのまま意味している。なお競走における失格についても内容によってはこの措置が適用されることもある。
 
 
これとは別に、競走における失格の内容や[[ドーピング]]違反のほか、[[逮捕]]されるなど私生活において特に悪質な行為に及んだと判断された選手については『あっせん停止』<ref>{{PDFlink|[http://www.keirin-autorace.or.jp/regulation/keirin/gyoumu.pdf 競輪に係る業務の方法に関する規程]}} - 第135条</ref>(以下「斡旋停止」)という厳罰が下される。これは最短1ヶ月から最長1年の期間で斡旋措置と同じ処分を受けるが、停止期間が過ぎた後もKEIRINグランプリなどの特別競輪への参加や追加斡旋を受ける権利などが一定期間取り消される。なお斡旋停止にあたる事象を行なった選手について後日正式な処分が下るまで緊急にあっせんを止めたほうが適切と判断された場合には『あっせん保留』の措置が下される<ref>{{PDFlink|[http://www.keirin-autorace.or.jp/regulation/keirin/gyoumu.pdf 競輪に係る業務の方法に関する規程]}} - この場合の適用条文は第134条第1項第3号・第8号および第2項</ref><ref>{{PDFlink|[http://www.keirin-autorace.or.jp/public/koho/2015/keirin/keirin_088.pdf 広報KEIRIN、第88号]}} - 6ページ目参照</ref>。
 
 
特に違反点数を累積させた選手や斡旋停止に処された選手については「お寺行き」と呼ばれる特別な訓練が課せられる。これは競輪の公式ホームページでは明らかにされていないものの、上述した漫画『ギャンブルレーサー』などで詳しい描写がなされている他、チャリロト公式ホームページでは語られる<ref>[http://www.chariloto.com/html/keiringal/ ケイリン専門用語辞典「ケイリンガル」] - チャリロト公式ホームページ内</ref>などしており、事実上公然のものとなっている。この「お寺行き」が命じられた場合には、[[京都府]][[宇治市]]の[[黄檗宗]]大本山の[[萬福寺]]まで赴き、[[青少年文化研修道場|山内の施設]]において5泊6日の厳しい[[禅寺]]の修行を済ませなければならない。期間中は座禅を組まされたり周辺の掃除などを課せられるため練習は全く行えないことから、選手からも恐れられている。
 
 
特別訓練や斡旋処置および斡旋停止などの処分対象になると、その間の収入が途絶えてしまう。また、練習不足の他にもレース勘の維持などという面や、体調管理にも悪影響を与えるため、競走への復帰後もしばらくの間は成績下降などの「後遺症」が現れることも少なくない。なお特別指導訓練の対象選手は、その累積違反点数と共に一定期間毎に競輪公式ホームページで一覧で公表され、斡旋停止の対象選手についてはJKAが広報などで公示する。
 
 
その他にも競走参加中における競輪場からのペナルティもあり、無断欠場による費用請求、契約解除による強制欠場、中長期の斡旋停止または拒否などがある。いずれの場合も内容はJKAに報告され、改めて全体的な処分が検討されることになる。
 
 
なお、これらとは別に[[日本競輪選手会]]が問題を起こした選手に対し自粛欠場を要請する形で独自のペナルティを課すこともある(『[[SS11 (競輪)|SS11]]』の項目も参照)。
 
 
== 選手のクラス分け ==
 
男子は実力に応じて大きくS級・A級の2つのクラスに分けられ、さらにそれぞれの級の中で3班のクラスに分けられる。
 
* 日本競輪学校卒業者、即ち新人選手はA級3班からのスタートとなり、競走得点によって上位班やS級入りを目指す。
 
* 選手の所属クラスはレーサーパンツの色によって判別できる。なおラインに入っている星の数は、班にかかわらず7つと決まっている。
 
: S級S班…赤のレーサーパンツ、横のラインは黒
 
: S級S班以外のS級…黒のレーサーパンツ、横のラインは赤
 
: A級…黒のレーサーパンツ、横のラインは緑(以前は星なしの白の3本線)
 
: B級(現在は廃止)…黒のレーサーパンツ、横のラインは青(以前は星なしの白の2本線)
 
: 国際競輪に出走する外国人選手…赤のレーサーパンツ、横のラインは虹色
 
* S級とA級の入れ替えは、毎年半年間(1 - 6月、7 - 12月)の競走成績を反映して、S級の下位とA級の上位各200人ずつが自動昇降格される。またS級とA級の班分けは前々期(上半期は前年の1 - 6月、下半期は前年の7 - 12月)の競走成績を基に決定される。
 
* A級3班で一定期間内の成績が連続して相当な下位となった場合には、1回につき60人を上限に強制的に選手登録消除の対象とされ選手生活を継続する事が出来なくなる<ref>[http://www.meti.go.jp/committee/sankoushin/syaryoukyougi/keirinjigyou/003_03_00.pdf 競輪選手を取り巻く現状] - [[経済産業省]]製造産業局作成の資料。なお同じくJKAが管轄するオートレースにも同様の代謝制度が存在する。また競艇にも「選手出場あっせん保留基準第8号」(通称・魔の八項)という成績不良による引退勧告制度がある。{{main|競艇選手#8項}}</ref>。JKAや選手会ではこれを'''「[[新陳代謝|代謝]]」'''と呼ぶこともあるなど、過酷な競争社会である。過去の名選手でも[[高原永伍]]などは、この代謝で引退を余儀なくされるまで現役生活を継続した。{{main|高原永伍#競輪選手としての戦績}}
 
 
なお、女子には現状は昇降級の制度がないため、全員がL級1班である。但し、男子同様に「代謝」の制度がある<ref>[http://keirin.jp/pc/dfw/portal/guest/news/2014khn/06/pdf/20140628_01_02.pdf ガールズケイリンにおける登録審査制度(代謝制度)の概要]</ref><ref>[http://keirin.jp/pc/dfw/portal/guest/news/2014khn/06/pdf/20140628_01_01.pdf ガールズケイリンにおける登録審査制度(代謝制度)の流れ]</ref>ため、一定期間内の成績が連続して相当な下位となった場合には、1回につき3人を上限に強制的に選手登録消除の対象とされ選手生活を継続することができなくなる。
 
 
=== S級特別昇級(昇班)制度 ===
 
A級1班およびA級2班のレーサーが3開催連続して「完全優勝」(全ての出走レースにおいて1着となること、俗称:ピンピンピン)を達成した場合は、級班選考期間に関わらず即時に昇級される(通称「特進」または「特昇」。ちなみにA級3班の選手が3開催連続で完全優勝した場合はA級2班に特別昇班する)。また、レインボーカップシリーズという、S級特別昇級9人の枠を争うシリーズが行われている。
 
 
現行のシステム(平成20年1月チャレンジレースA級3班戦導入)になってからは、デビューから無傷の18連勝(6場所完全優勝)でS級入りを果たしたのは[[深谷知広]]のみである(2018年現在)<ref>[http://keirin.jp/pc/dfw/portal/guest/column/tokusyu/2018/20180525.html あの日あの時あのレース] 月刊競輪 筒井大輔 2018年5月25日</ref><ref>[http://keirin.jp/pc/dfw/portal/guest/news/2009khn/09/news20090915_03.html 深谷 知広選手のS級特別昇級について(KEIRIN.JP)]</ref>。
 
 
S級特別昇級の最高齢記録は、3開催連続の完全優勝・レインボーカップ共に、[[大竹慎吾]]が保持している(2018年現在)。
 
 
==== 仕組み(A級1・2班戦、A級3班戦ともに単発レース) ====
 
* A級1・2班戦・A級3班戦とも、期の初めの3ヶ月(前期1 - 3月、後期7 - 9月)の競走成績上位9名ずつが期の終わり
 
(前期6月、後期12月)に単発で行われる競走に出走し、1〜3着までが上位級班に特別昇級(特別昇班)する。
 
* 原則としてGIII開催の中で実施する。
 
 
==== 特別昇級の特典 ====
 
特別昇級してから2期の間(1年間)は降級および降班しない。昇級は可能となっている。なおレインボーカップから昇級した者は、この期間を3期とする(つまり期末に特別昇級してしまうため、その期間を算入している)。
 
 
=== 歴史 ===
 
競輪選手のクラス分けは、創成期はA級・B級・C級による3層制であったが、間もなくA級・B級の2層制となり、やがて2層7班制(A級1 - 5班、B級1・2班)に変更され、その後[[1983年]]に行われた[[競輪プログラム改革構想]](通称KPK)により、S級・A級・B級の3層9班制(S級1 - 3班、A級1 - 4班、B級1・2班)に移行した。そして[[2002年]]4月よりS級・A級の2層5班制に移行し現在に至っている。
 
 
またKPKから76期([[1995年]]デビュー)までは、新人は当初新人のみで構成される「新人リーグ」で半年間競走を行い、その結果によってA級1班からB級2班に格付けされていたが、その後はB級2班(2002年以降はA級3班)格付けで通常のレースに参加する形態となった。(KPK以前も最下級からのスタートであった)
 
 
なお[[2008年]]前期よりA級3班はA級1・2班から分離され、基本的にA級3班のみの中でトーナメントが行われ、レースの組み合わせもA3同士のみになる。また特別昇級制度も分離され、A級3班においての3場所連続完全優勝はA級2班への「特進」となる(特別昇班)。
 
 
またS級1班の上位格付けとして'''『S級S班』'''が存在する。これはKEIRINグランプリ出場者9名に適用されるいわばトップ中のトップの選手のみが入れる特別ランクで、特別競輪の出場権利・レース斡旋の希望選択・一定期間における公休などの優遇措置が与えられる。
 
 
=== S級S班の概要 ===
 
{{See also|競輪の歴代S級S班選手}}
 
*定員 18名
 
* 選考基準
 
** 適用期間中に[[KEIRINグランプリ]]に出場する資格を得た選手
 
::(GIの特別競輪優勝者・世界選手権自転車競技大会個人種目優勝者・オリンピック自転車競技個人種目メダリスト・競輪祭終了時点での年間獲得賞金上位者)
 
* 除外規定
 
** 競輪グランプリ選考委員会でGII以上の特別競輪の選抜方法による申し合わせの除外規定で選考除外となったり、また審査期間中において「斡旋規制(保留)」など、S班に所属するには不適当とされる選手、また既にS班に所属している選手においても、調整委員会で不適格とみなされた選手も除外対象とし、S班所属選手がそれに抵触した場合、及び次年度にS班に残留できなかった選手はS級1班への降格となる。
 
* 適用期間 12月27日から次の年の12月26日までの1年とする
 
* 優遇処置
 
** 日取り調整会議の状況により既に開催が決まっている期間は斡旋計画を提示。それ以外の開催に希望する場合には「希望斡旋届け」の提出が出来るが、本人の希望に必ずしも添えない場合もある。ただし予め出場を希望したレース以外でも状況によって優先斡旋を行うことがある。
 
** GP以外の特別競輪に優先的に出走できる権利が与えられる。
 
** GIIIについては適正な出場間隔を考慮して、また斡旋計画の提示に基づく本人の希望を考慮して出走できるレースを調整できるようにするが、当該選手の出身地・所属地の都道府県に関しては必ず出走することが義務付けられている。
 
** F1(一般普通開催のS級シリーズ)の場合も適正な出場間隔を考慮して、また斡旋計画の提示に基づいた本人の希望に充分配慮して出場レースを決めるように出するが、[[国際競輪]]等の特別企画レースと重複した場合はそれを優先する。また最低年1回は当該選手の出身地・所属地の都道府県で行われる地元開催のレースに出場することを義務付ける。
 
* オフ期間 年1回・1ヶ月間まで。
 
* 公共交通費用にかかる特別料金支給
 
* S級レース(F1以上、GP除く)の開催において特別選抜予選にシード出場が約束される。
 
* ファンサービスの一環としてPR活動やファンの集いへ出演する他、S班用のユニフォームを用意する。
 
 
[[KEIRINグランプリ07]]から適用された。当初は「選ばれた後にS班の資格を失くした場合であっても、追加補充は行わないことにする」という規定であったが、[[2009年]]は同年[[1月25日]]にS級S班であった[[手島慶介]]が急逝したため1名の欠員が生じ、5月開催の「[[SSシリーズ風光る]]」において出場人数が揃わなくなることから、3月4日に「選出後にS級S班の資格を失効する選手が生じた場合、追加選出を行うことができる」<ref>[http://keirin.jp/pc/dfw/portal/guest/news/index_news/index_news20090313_01.html JKA2009年3月13日公示・S級S班の追加選出について]</ref>と規定が改正され、これにより選考時の次点であった[[岡部芳幸]]が5月1日付で2009年のS級S班に追加選出された。グランプリ出場の9名を除く9名はグランプリシリーズ初日(12月28日)の第1レース「SSカップみのり」に出走となる<ref>[http://keirin.jp/pc/dfw/portal/guest/news/index_news/index_news20110126_04.html S級S班の見直しについて(2011年1月26日)]</ref>。
 
 
なお[[武田豊樹]]はS級S班だった2013年の後期を斡旋停止によりほとんど出走していなかったが、2014年の後期はS級1班に格付けされたことから、S級S班から降格しても3期(適用期間の関係で実質1年間)はS級1班が保証されることになる。
 
 
== 1000勝以上達成選手 ==
 
;1000勝到達順に列挙
 
*[[松本勝明]]([[1965年]][[12月13日]]・[[後楽園競輪場]]、通算1341勝)
 
*[[石田雄彦]]([[1972年]][[5月7日]]・[[四日市競輪場]]、通算1160勝)
 
*[[古田泰久]]([[1973年]][[4月8日]]・[[高知競輪場]]、通算1188勝)
 
*[[吉田実 (競輪選手)|吉田実]](1973年[[8月24日]]・[[甲子園競輪場]]、通算1232勝)
 
*[[中井光雄]]([[1985年]][[10月29日]]・甲子園競輪場、通算1016勝)
 
*[[丹村喜一]]([[1987年]][[4月7日]]・[[別府競輪場]]、通算1014勝)
 
 
== 競技で活躍した競輪選手 ==
 
競輪選手も自転車選手という側面を持つことから、各種の[[トラックレース|自転車競技]]に参加している選手もいる。長い間プロである競輪選手の自転車競技における頂点は[[世界選手権自転車競技大会]]であったが、アトランタオリンピックより自転車競技がプロアマオープンとなってからは、競輪選手も[[近代オリンピック|オリンピック]]に出場し活躍するようになった。
 
 
=== 世界選手権自転車競技大会で優勝した競輪選手 ===
 
* [[中野浩一]] - [[1977年]]から[[1986年]]までスプリント種目10連覇
 
* [[俵信之]] - [[1987年]]スプリント種目優勝
 
* [[本田晴美]] - [[1987年]]ケイリン種目優勝
 
 
=== オリンピック自転車競技に出場経験がある競輪選手 ===
 
* [[加藤忠]]、[[近成保]] - [[1952年]] [[ヘルシンキオリンピック]]
 
* [[大宮政志]]、[[久保村寛]]、[[高貫亘弘]]、[[斎藤勝也]] - [[1960年]] [[ローマオリンピック]]
 
* 大宮政志、[[河内剛]]、[[班目秀雄]]、[[佐藤勝彦 (競輪選手)|佐藤勝彦]]、[[山藤浩三]]、[[加藤武久]]、[[伊藤富士夫]]、[[高橋耕作]]、[[手嶋敏光]] - [[1964年]] [[前東京オリンピック|東京オリンピック]]
 
* [[井上三次]] - [[1968年]] [[メキシコシティオリンピック]]
 
* [[松田隆文]]、[[沼田弥一]] - [[1972年]] [[ミュンヘンオリンピック]]
 
* [[町島洋一]]、[[小笠原嘉]]、[[小笠原義明]]、[[岡堀勉]] - [[1976年]] [[モントリオールオリンピック]]
 
* [[坂本勉]]、[[中武克雄]]、[[佐藤仁 (競輪選手)|佐藤仁]] - [[1984年]] [[ロサンゼルスオリンピック (1984年)|ロサンゼルスオリンピック]]
 
** 坂本勉はスプリントで銅メダル獲得。
 
* [[豊岡弘]]、[[三和英樹]]、[[我妻広一]]、[[佐々木一昭]] - [[1988年]] [[ソウルオリンピック]]
 
* [[小嶋敬二]] - [[1992年]] [[バルセロナオリンピック]]
 
以上は競輪選手として選手登録される前にアマチュア選手として出場したものである。
 
* [[神山雄一郎]]・[[十文字貴信]] - [[1996年]] [[アトランタオリンピック]]
 
** 十文字貴信は1kmタイムトライアル種目で銅メダル獲得
 
* 神山雄一郎・[[稲村成浩]]・[[太田真一 (競輪選手)|太田真一]]・[[長塚智広]] - [[2000年]] [[シドニーオリンピック]]
 
* [[伏見俊昭]]・長塚智広・[[井上昌己 (競輪選手)|井上昌己]] - [[2004年]] [[アテネオリンピック (2004年)|アテネオリンピック]]
 
** 全員日本代表チームとしてチームスプリント種目で銀メダル獲得
 
* 伏見俊昭・長塚智広・[[永井清史]]・[[渡邉一成]]・[[北津留翼]] - [[2008年]] [[北京オリンピック]]
 
** 永井清史はケイリン種目で銅メダル獲得
 
* [[中川誠一郎]]・[[新田祐大]]・渡邉一成 - [[2012年]] [[ロンドンオリンピック (2012年)|ロンドンオリンピック]]
 
* 中川誠一郎・渡邉一成・[[脇本雄太]] - [[2016年]] [[リオデジャネイロオリンピック]]
 
 
=== その他のオリンピック競技で活躍した競輪選手 ===
 
高校・大学時代から他の競技で活躍した選手が競輪選手に転向する例も多いが、中には他競技でのオリンピック出場者が後に競輪選手へ転向した例もある。特に、競輪学校入学試験における受験資格の中で年齢制限(上限)が撤廃された93期以降で転向する者が増えている。
 
 
※名前の後ろに*印の付いた選手は女子選手
 
* [[市村和昭]](48期) - [[1980年]] [[レークプラシッドオリンピック (1980年)|レークプラシッドオリンピック]]出場・スピードスケート
 
* [[三谷幸宏]](67期) - [[1988年]] [[カルガリーオリンピック]]出場・スピードスケート
 
* [[植松仁]](86期) - [[1998年]] 長野オリンピック 銅メダル・スピードスケートショートトラック500m
 
* [[武田豊樹]](88期) - [[2002年]] [[ソルトレイクシティオリンピック]] 8位入賞・スピードスケート500m
 
* [[牛山貴広]](92期) - [[2006年]] [[トリノオリンピック]]出場・スピードスケート
 
* [[西谷岳文]](93期) - [[1998年]] [[長野オリンピック]] 金メダル・スピードスケートショートトラック500m
 
* [[羽石国臣]](93期) - 2002年 ソルトレイクシティオリンピック・スピードスケート500m
 
* [[今井裕介]](93期) - [[1998年]] 長野オリンピック、[[2002年]] ソルトレイクシティオリンピック、[[2006年]] トリノオリンピック出場・スピードスケート
 
* [[吉澤賢]](94期) - [[2004年]] アテネオリンピック・陸上競技400mハードル
 
* [[今村俊雄]] (99期)- 2004年 アテネオリンピック・重量挙げ62kg級
 
* [[小原唯志]](101期) - [[2010年]] [[バンクーバーオリンピック]]・スピードスケート1000m
 
* [[吉澤純平]](101期) - 2010年 バンクーバーオリンピック・ショートトラック 500m、1500m
 
* [[渡邊ゆかり]]*(102期) - 2002年 ソルトレイクシティオリンピック・スピードスケート500m、2006年 トリノオリンピック・スピードスケート 500m
 
* [[岡村育子]]*(102期) - [[2008年]] [[北京オリンピック]]・ホッケー
 
* [[杉森輝大]](103期) - 2006年 トリノオリンピック・スピードスケート1500m、チームパシュート、2010年バンクーバーオリンピック・スピードスケート1000m、1500m、チームパシュート
 
 
=== パラリンピックで活躍した選手 ===
 
* [[石井雅史]] (72期) - [[2008年]] [[北京パラリンピックにおける自転車競技|北京パラリンピック]]で金、銀、銅の全ての種類のメダルを獲得。[[2012年]] [[ロンドンパラリンピック]]、[[2016年]] [[リオデジャネイロパラリンピック]]出場。[[1993年]]8月から[[2004年]]4月まで競輪選手
 
* [[田中まい]]* (104期) - 2016年 リオデジャネイロパラリンピックにおいて、女子[[タンデム自転車#競技|タンデムスプリント]]における[[パイロット]]として出場、銀メダルを獲得。
 
 
== 政治家 ==
 
引退後ないし、選手活動を継続しながら[[政治家]]となった競輪選手もいる。
 
 
*西田勇(期前) - [[大阪府]][[矢田村 (大阪府)|矢田村]](現・[[大阪市]][[東住吉区]])村議(1954年〜)<ref>近畿競輪二十年史p.22 - 近畿競輪運営協議会、1968年12月1日発行</ref>
 
*[[岡島正之]](期前) - [[千葉県]]県議(4期、1971年〜1986年)・[[衆議院議員]](4期、1986年〜2000年)
 
*[[鈴木浩之 (37期)|鈴木浩之]](37期) - [[岐阜県]][[北方町]]町議(2期、2007年〜 )
 
*[[堀田伸一]] (55期)- [[愛知県]][[豊橋市]]市議(2期、2007年〜 )
 
*[[星野嘉寛]](49期) - [[三重県]][[朝日町 (三重県)|朝日町]]町議(1期、2011年〜 )
 
*[[池尻浩一]](63期) - [[福岡県]][[広川町 (福岡県)|広川町]]町議(1期、2011年〜 )
 
*[[米崎賢治]](67期) - [[徳島県]][[小松島市]]市議(1期、2013年〜 )
 
*[[遠藤貴人]](88期) - [[福島県]][[鮫川村]]村議(1期、2015年〜 )
 
 
== 選手寿命 ==
 
競輪選手は特に選手寿命が長いことで知られている。過去には68歳の競輪選手がレースに出走したこともあり、60歳を超える競輪選手は過去に何人も存在している。また競輪競技において50代の競輪選手はそれほど珍しいものではない。
 
 
最近では[[2004年]]に当時45歳の競輪選手・[[松本整]]が[[高松宮記念杯競輪]]を優勝し話題となる(直後に引退)。また[[1955年]]生まれの[[竹内久人]](2007年7月に引退)とその長男である[[竹内公亮]]、[[1984年]]の[[ロサンゼルスオリンピック (1984年)|ロス五輪]]で銅メダリストとなった[[坂本勉]](2011年6月に引退)とその長男である[[坂本貴史]]は、共に親子S級在籍を経験している(竹内親子は[[2006年]]、坂本親子は[[2010年]] - [[2011年]]上半期)。
 
 
このように競輪選手の寿命が長い要因として競輪競技の特性が上げられる。競輪競技は自転車というツールを用いて行うため、他の競技と違って骨(つま先・踵)や関節(足首・膝)へ負担がかかりにくい競技と言われる。[[陸上競技]]をはじめ、[[野球]]、[[サッカー]]、[[相撲]]等の選手は、自らの足を使ってハードに動き回るため、長年の酷使によって(また地面・アスファルトからの衝撃によって)筋肉より先に骨や関節を痛めてしまう場合が多い。その為30代半ばで足首や膝、股関節、肩、肘、腰に限界が来てしまいやすいのである。競輪選手の場合、自転車というツールが体への負担をサポートしてくれるため、落車等で怪我をしない限り体への負担は軽いのである<ref>但し、自転車に乗車する姿勢から腰には負担がかかりやすく、腰痛に悩まされる選手は多い(が、これも競技上、競輪選手にとって致命的なハンデとはならない)。一方で特に膝や足首など脚の関節を痛めそれが持病化してしまうと、競技に支障が生じやすく現役続行が難しくなってくる。</ref>。
 
 
また、競輪選手の寿命が長い原因として、他のプロスポーツでは致命的なハンデとなる加齢による(個人差もあるが多くは30代半ばを境に急激に訪れる)ハイパワーでの持久力の低下が、競輪選手の場合、追い込み戦法と呼ばれる戦術をとることで致命的なハンデとはならない状況を生み出せる、といった競輪競技ならではの特殊性がある。これは[[ライン (競輪)|ライン]]を組んでいる選手を自分の前に走らせ、最後の直線まで先頭選手を自分の風除けとすることで、持久力の消費を極端に少なくする戦法である([[スリップストリーム|スリップストリーム現象]]により後方選手は風圧を受ける先頭選手の半分以下の消耗度で走れることにより、最終局面でハイパワーを維持できる距離が単純計算で2倍以上となる<ref>例えばS級の追い込み選手の場合、時速60数キロを維持できる距離が2倍以上になる。バンク半周⇒バンク1周以上など</ref>)。従って、たいていの選手は加齢による持久力低下とともに、レース戦術を追い込み戦法に変えていくことになる。
 
 
反面、この特殊要因が競輪選手の新陳代謝を阻害しているのではとも指摘されており、実際、近年トップスターの座にいる選手の中に10年以上前からトップスターだった選手が何人もいるといった状況が生じている。
 
例えば、[[KEIRINグランプリ2017]]出場選手9名の平均年齢は34.8歳であり、20代の選手は1人しかおらず、40代の選手が3人いるといった状況になっている。
 
 
2018年7月20日時点での現役最年長選手は、[[1955年]][[10月10日]]生まれの[[三ツ井勉]](45期)。なお、競輪学校最年長期選手は[[1958年]][[6月4日]]生まれの[[佐久間重光]](41期)だが、2009年6月下旬以降は選手会公務に専念しており競走実績はないため、2018年1月現在も競走参加を続けている競輪学校最年長期選手は、三ツ井のほか、[[佐古雅俊]]、[[長谷井浩二]]の45期3人である。
 
 
* 格付最高齢記録
 
** S級S班 - [[神山雄一郎]](61期・[[1968年]][[4月7日]]生、[[2016年]]格付)
 
** S級1班 - [[鈴木誠 (競輪選手)|鈴木誠]](55期・[[1965年]][[4月3日]]生、2017年[[6月30日]]まで格付)
 
* 最高齢出走記録
 
** 68歳 - 湯浅昭一(期前・[[1996年]][[12月10日]]選手登録消除)
 
** 66歳 - [[黄金井光良]](期前・[[2000年]][[3月5日]]大宮競輪場第1R出走、28日選手登録消除)
 
** 66歳 - 萩原三郎(期前・[[1989年]][[12月15日]]選手登録消除)
 
** 66歳 - 金子唯夫(期前・[[1993年]][[4月22日]]選手登録消除)
 
* 最高齢優勝記録
 
** GP 43歳 - [[山口幸二]](62期・[[KEIRINグランプリ2011]])
 
** GI (特別) 45歳 - [[松本整]](45期・第55回[[高松宮記念杯競輪]])
 
** GII (準特別) 47歳 - 神山雄一郎(61期・第31回[[共同通信社杯競輪]])
 
** GIII(記念) 47歳 - 神山雄一郎(61期・[[2016年]][[3月1日]]の[[静岡競輪場]])
 
** FI(S級) 52歳 - [[西川親幸]](57期・[[2018年]][[1月22日]]の[[小倉競輪場]])
 
** FIないしFII(A級1・2班) 54歳 - [[北沢勝弘]](54期・2016年12月14日の[[平塚競輪場]])
 
** チャレンジ(A級3班) 58歳 - [[井狩吉雄]](35期・[[2009年]][[10月6日]]の[[奈良競輪場]])
 
*最高齢勝利記録
 
** 64歳 - 橘内茂夫(期前・[[1995年]][[11月9日]]の[[立川競輪場]])
 
*最高齢特別昇級
 
** 52歳 - [[大竹慎吾]](55期・[[2018年]][[6月5日]]の[[函館競輪場]])<ref>{{cite news |url=http://www.nishinippon.co.jp/nsp/keirin/article/422281/ |title=大竹が最高齢で特別昇級 レインボーカップA級F 【函館】 |newspaper=[[西日本新聞]] |publisher=[[西日本新聞社]] |date=2018-06-06 |accessdate=2018-07-24 }}</ref>※3着以内特別昇級
 
** 49歳 - 大竹慎吾(55期・[[2014年]][[9月26日]]の[[富山競輪場]])※3場所連続完全優勝
 
 
== 選手会 ==
 
競輪選手の[[労働組合]]または[[職能団体]]にあたる組織として[[日本競輪選手会]]がある。他にも競輪選手などが任意で設立した[[SS11 (競輪)|SS11]]という組織もあり[[2013年]][[12月]]に日本競輪選手会から脱退する形で新たな選手会組織として機能させることを表明していたが後に撤回している。
 
{{Main|日本競輪選手会|SS11 (競輪)}}
 
 
== 女性の競輪選手 ==
 
[[昭和]]の時代には[[1949年]]から[[1964年]]まで「女子競輪」が開催されており、女性の選手も存在した。
 
 
[[平成]]に入り、[[2012年]]から女子競輪が「ガールズケイリン」として復活したため、女性の選手も48年ぶりに復活した。
 
{{Main|ガールズケイリン}}
 
 
== その他・特徴 ==
 
* 過去には競輪選手自身が[[自転車競技法]]違反の容疑で検挙された事例もあったが、[[平成]]に入ってからは発生していない。
 
* 最初期は競輪選手登録に際して審査が無かったため、誰でも競輪選手になる事が出来た。自転車競技の経験者が多かったが、全く未経験の者もおり、玉石混淆の状態であった。従って能力差も大きく、適性を欠く者や不正行為を働く者も見られ、各地で発生した騒乱事件の原因ともなり、一時は賭式についても6枠制から4枠制への変更を余儀なくされる状況に追い込まれた。また過去には[[覚醒剤]]([[メタンフェタミン|ヒロポン]])などの薬物に手を出し、中毒死した選手も存在する<ref>競輪二十年史、資料編(33)〜(35)(p.546 - 548)</ref>。この事は社会的な問題ともなり、[[1950年]]9月より適性審査や選手資格の検査基準を導入した結果、資質に問題のある選手は淘汰されていった。
 
* 昭和30年前後に、[[進駐軍]]のアメリカ人伍長が、休暇中に競輪に参加した記録がある。
 
* 競輪選手になる前は、大半の者が高校生または大学生で、社会人であっても多くは20代半ばまでの[[青年]]であるが、学生スポーツや実業団などでアマチュアで自転車競技を経験している者、トレーニングの一環として自転車競技と同様の練習を行っていた者が多い。ただ、全く異分野のアマチュアスポーツ・[[プロスポーツ]]からの転向を志す者も見られるほか、自転車競技の経験を全く持たずに競輪選手を志す者も少なからずおり、代表的なところでは[[日本プロ野球|プロ野球]]の選手を経験した後に競輪選手へ転向した者がいる<ref>[[日本競輪学校|競輪学校]]への受験には、第92期生までは受験時点で満18歳以上満24歳未満という年齢制限があったため、転向するにはプロ野球球団を早期に退団する必要があったことから転向例は僅か数名に留まっていた。だが、第93期生以降は年齢制限のうち上限が撤廃されるなど受験資格が大幅に緩和されたことから、実際に競輪選手へ転向する例が増えている。競輪学校においてもプロ野球球団を退団した元選手に対しては、退団年とその翌年までの2年間に限り受験科目の一部免除を行っている。[[2008年]][[11月11日]]に[[横浜ベイスターズ総合練習場]]で行われた[[12球団合同トライアウト|トライアウト]]では競輪学校のブースを設営しており、その知名度も含めて選手として有望な人材の獲得に動いたこともあった。</ref>。他にも、[[学生野球]]・[[陸上競技]]・[[ラグビー]]・[[大相撲]]・[[モトクロス|オートバイモトクロス]]の経験者などが競輪選手となった例がある。最も変わった例としては、一般企業の会社員であった素人時代に参加した競輪場でのイベント「素人脚自慢大会」で優勝を果たしたことを機に競輪選手を志して実際に選手になった[[阿部康雄]]<ref>但し、[[阿部康雄]]は[[新潟商業高校]]時代、リザーブながらも[[全国高等学校ラグビーフットボール大会]]に出場したことがある。</ref>や、競技スポーツ歴は一切なかったが芸能活動で競輪のイベントに携わるうちに競輪選手を志すようになり実際に選手になった元[[グラビアアイドル]]の[[日野未来]]などがある。
 
* 競輪選手は成績不良で強制的に引退させられる以外にも、年1回必ず課される身体検査に合格しなければ、同様に登録を消除され強制的に引退させられる。ただ、疾病や負傷、妊娠など配慮すべき要因があり認められた場合は『あっせん保留』となり、身体検査は最長3年まで延期することができる。だが、それ以上の延長は認められていないため、選手会公務など特別な事情がない限り、3年間一度も出走しなかった場合は競輪選手としての登録を消除され強制的に引退させられる<ref>[http://www.keirin-autorace.or.jp/regulation/keirin/gyoumu.pdf#search=%27%E7%AB%B6%E8%BC%AA%E3%81%AB%E4%BF%82%E3%82%8B%E6%A5%AD%E5%8B%99%E3%81%AE%E6%96%B9%E6%B3%95%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E8%A6%8F%E7%A8%8B%27 競輪に係る業務の方法に関する規程] - 第83条第1項第5号と同第3項にその旨記載がある。</ref>。
 
 
== 脚注 ==
 
<div class="references-small">
 
{{脚注ヘルプ}}
 
<references/>
 
</div>
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[競輪の競走格付け]]
 
* [[競輪の競走一覧]]
 
* [[競輪選手一覧]]
 
* [[ガールズケイリン]]
 
* [[トラックレース]](自転車競技)
 
* [[日本の高校野球#競輪選手]]
 
* [[全国高等学校ラグビーフットボール大会#その他]]
 
* [[兄弟スポーツ選手一覧#競輪]]
 
* [[自転車競技法]]
 
  
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
282行目: 9行目:
 
* [http://www.koueki.jp/disclosure/sa/keirinsensyu/ 一般財団法人全国競輪選手共済会]
 
* [http://www.koueki.jp/disclosure/sa/keirinsensyu/ 一般財団法人全国競輪選手共済会]
 
* [http://www.keirin-autorace.or.jp/ 財団法人JKA]
 
* [http://www.keirin-autorace.or.jp/ 財団法人JKA]
* [http://www.meti.go.jp/committee/sankoushin/syaryoukyougi/keirinjigyou/003_03_00.pdf 競輪選手を取り巻く現状(PDF) ] - 経済産業省・産業構造審議会車両競技分科会競輪事業のあり方検討小委員会(第3回)の配付資料。2010年12月15日
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{{DEFAULTSORT:けいりんせんしゆ}}

2018/8/28/ (火) 23:40時点における最新版

競輪選手(けいりんせんしゅ)

公営競技競輪において賞金を獲得するプロスポーツ選手であり、経済産業省管轄の国家資格所持者。


外部リンク



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