神田須田町

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神田須田町
—  町丁  —
神田須田町の位置
神田須田町
神田須田町の位置
座標: 東経139度46分22.31秒北緯35.6958361度 東経139.7728639度35.6958361; 139.7728639
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Tokyo Prefecture.svg 東京都
特別区 25px 千代田区
地域 神田地域
人口 (2017年(平成29年)12月1日現在)[1]
 - 計 1,388人
等時帯 日本標準時 (UTC+9)
郵便番号 101-0041[2]
市外局番 03[3]
ナンバープレート 品川

神田須田町(かんだすだちょう)は、東京都千代田区の地名。現行行政地名は神田須田町一丁目及び神田須田町二丁目。郵便番号は101-0041[2]住居表示に関する法律に基づく住居表示は未実施である。

地理

千代田区北東部に位置し、神田地域に属する。町域北部は、神田川に接しこれを境に、外神田神田佐久間町にそれぞれ接する。東部は神田岩本町に接する。南部は神田鍛冶町・鍛冶町に接する。西部は神田淡路町神田小川町神田多町にそれぞれ接する。 神田駅と秋葉原駅の中間地点にあたる商業地の一角で、オフィスビル、商店やマンションが多く見られる。

河川

歴史

江戸時代より前に須田村と呼ばれていた神田川周辺の村落に由来。明暦三年(1657年)の「新添江戸之図(しんてんえどのず)」には「すた町」と記されている。 江戸時代には道が八方から集まることから「八つ小路」と呼ばれ、神田川や日本橋川などの運河にはさまれた交通の要所であった。 明治時代以降は、現在の地下鉄大手町駅に匹敵する都電の一大ターミナルとして発展した。日本橋から上野本郷へ、神田から上野へ向かう交通の要衝に当たり、1873年10月に元筋違見付脇の神田川に架けられた石造の万世橋(眼鏡橋)に近い十字路として、市内電車は品川、上野線、三田線、新宿線、深川線、青山線、江戸川線の各線が交差する乗換場所となっていた。1903年3月に現在地に架けられていた新しい万世橋の完成に伴って、旧万世橋(眼鏡橋)が取り壊されたあと、赤煉瓦造りの万世橋駅が須田町交差点に面して建てられ、1912年4月に中央線(甲武電車)の起点として開通している。 第二次世界大戦直後には在日米軍から流れた真空管を始めとする電気部品を販売する露天商が軒を連ねており、現在の秋葉原のルーツである。現存のラジオガァデンもこの時代の名残である。

世帯数と人口

2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
神田須田町一丁目 510世帯 798人
神田須田町二丁目 412世帯 590人
922世帯 1,388人

小・中学校の学区

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[4]。なお、千代田区の中学校では学校選択制度を導入しており、区内全域から選択することが可能。[5]

丁目 番地 小学校 中学校
神田須田町一丁目 1〜6番地
8〜15番地
17番地、19番地
21番地、23番地
25番地
千代田区立昌平小学校 千代田区立麹町中学校
千代田区立神田一橋中学校
その他 千代田区立千代田小学校
神田須田町二丁目 全域

交通

鉄道

町域内の他、下記の通り隣接する町に複数路線の駅が存在する。

道路

施設

かつて存在した施設

  • 交通博物館
  • 武居三省堂 - 江戸東京たてもの園に移築された。
  • 万世橋交番(須田町派出所) - 江戸東京たてもの園に移築された。万世橋交番は旧万世橋駅前、現存のラジオガァデン横に1992年頃まで存在していたが、交番として使われなくなって久しくなった末期には朽ち果てるままに放置されていた。その近くには都電の架線柱があったが、バイク駐輪場整備のため2010年に撤去されている。

脚注

  1. 1.0 1.1 町丁別世帯数および人口(住民基本台帳)”. 千代田区 (2017年12月6日). . 2018閲覧.
  2. 2.0 2.1 郵便番号”. 日本郵便. . 2018閲覧.
  3. 市外局番の一覧”. 総務省. . 2018閲覧.
  4. 区立小学校の通学区域”. 千代田区 (2017年8月17日). . 2018閲覧.
  5. 区立中学校の通学区域と学校選択”. 千代田区 (2017年10月26日). . 2018閲覧.

外部リンク