碑衾町

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碑衾町
廃止日 1932年10月1日
廃止理由 編入合併
目黒町碑衾町東京市目黒区
現在の自治体 目黒区
廃止時点のデータ
地方 テンプレート:地方区分東京府
都道府県 東京府
荏原郡
総人口 40,972
(1930年10月1日)
隣接自治体 目黒町、荏原町馬込町
池上町駒沢町玉川村
座標 北緯35度37分17秒
東経139度40分57秒
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碑衾町(ひぶすままち)とは、東京府荏原郡にかつて存在した町である。現在の目黒区の南部に位置していた。町名の由来は文谷と。おおむね東急東横線の沿線にあたる。

沿革

  • 1889年明治22年)5月1日 - 町村制の施行に伴い、碑文谷村の全域と衾村の一部(残部は玉川村に編入)が合併して碑衾村が発足。
  • 1927年昭和2年)4月1日 - 碑衾村が町制施行して碑衾町となる。
  • 1931年(昭和6年)4月1日 - 碑衾が難読であることを理由に、町名を公募で決めた「朝日町」に改名する予定であった[1]が、東京市への編入が現実味を帯びてきたため、立ち消えとなっている。
  • 1932年(昭和7年)6月16日 - 大字衾の一部から大字自由ヶ丘が成立。
  • 1932年(昭和7年)9月10日 - 大字衾の一部から大字鷹番、三谷、本郷が成立。
  • 1932年(昭和7年)10月1日 - 荏原郡全域が東京市に編入。碑衾町の区域は目黒区となる。

交通

鉄道

道路

いずれも現在の呼称。

名所・旧跡

碑文谷八幡宮  
円融寺山門  

現在の地名

大岡山柿の木坂自由が丘洗足平町鷹番中根原町東が丘碑文谷緑が丘目黒本町八雲中央町一丁目(いずれも大体の範囲)

出身・ゆかりのある人物

注釈

  1. 目黒区誕生 2 幻の朝日町
  2. 『早稲田大学校友会会員名簿 大正14年11月調』150頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年4月7日閲覧。

参考文献

  • 『早稲田大学校友会会員名簿 大正14年11月調』早稲田大学校友会、1915-1925年。

関連項目