知識人

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知識人(ちしきじん、: intellectual)とは、職業的または個人的に、知性を用いて、批判的思考分析思考を行い、公共的議論に参加しようとする人物のこと。有識者(ゆうしきしゃ)とも。

知識人をめぐる言説

知識人の定義はけっして容易くないが、知識人についての言説を比較すると、頭脳労働に従事しているすべての人(いわゆるホワイトカラー)がすべて知識人といえるわけではないし、作家大学人など知識生産に従事する人のすべてが知識人というわけでもない。また、知識人になるためには、高等教育を受けることが必須ではない。

知識人というものの定義は、多くの場合、社会学的に論じることのできる事実判断の領域から決定されるというよりは、知識人とはこのようであるべし、という価値判断の問題として提起されている。要するに知識人というものの定義は、知識人論というものと相関的であるといえる。

このような意味での知識人の定義はすでに歴史的な厚みをもっており、この歴史を参照枠とすることによって、ある程度まで恣意的でない知識人像を得ることができる。

実際、フランスでは、19世紀末のドレフュス事件の際、モーリス・バレスフェルディナン・ブリュヌティエールによって用いられたのをきっかけに、知識人(: intellectuel)という言葉が、広く知られるようになったと言われている。バレスやブリュヌティエールは反ドレフュス派であり、エミール・ゾラオクターヴ・ミルボーアナトール・フランスなどドレフュス擁護の論陣を張った文人たちに対して、彼らが地政学や軍事的問題といった方面には疎いにもかかわらず無闇にドレフュスを擁護していると非難して、彼らに対して知識人という言葉を投げつけたのである。

したがって、このとき知識人とは軽蔑的意味をもっており、抽象的思考をするあまり現実感覚を見失って、ろくに知りもしない話題に安易に口を出すといったニュアンスを帯びていた。

これとはまったく逆の方向から知識人について論じたのがジュリアン・バンダである。バンダは著書『教養人の裏切り (Trahisons des clercs) 』(邦題『知識人の裏切り』)において、真理正義といった普遍的価値の代弁者たるべき知識人が、政治的な議論に熱中するあまり、本質を見失っていると論じている。

しかし、その後この言葉が広まっていくにつれ、以上のような否定的意味よりも肯定的意味が強調されるようになり、狭い専門性に閉じこもることなく、公共的議論に積極的に参入していく人たちについて用いられることが増えていった。

アメリカ合衆国の社会学者チャールズ・ライト・ミルズが著書『社会学的想像力』で行った大学人に対する批判もこのような知識人論の一種であると考えられる。すなわちミルズは、大学人たちが専門性に特化するあまり公共的議論に参加する能力を失いつつあることを警告し、この点ではジャーナリストのほうが知識人的であるとしたのである。

フランスの哲学者ジャン=ポール・サルトルは、知識人の大きな役割を社会参加に置き、共産党に入党して(その後離党)、様々な政治的出来事に対して発言を行った。

今日このような意味での知識人の代表的存在といえるのがノーム・チョムスキーである。チョムスキーの発言は大きな政治的影響力をもつようになっている。しかし、チョムスキー自身は知識人の役割が一人歩きすることに対して警戒しており、いわゆる知識人の発言とされるものはほとんどの場合支配的イデオロギーを擁護する役割しか果たさないと述べている。

福田恒存は知識人について、以下のように述べている[1]

……知識人を自認する事によつて、専門の職能人としての怠慢をごまかし、その資格からの転落を防がうとしてゐる知識人が余りに多過ぎはしないでせうか。といふより、くどい様ですが、さういふ人々を知識人と呼ぶと定義すべき実情です。例は幾らでもあります。知識人が職業化した時、平和屋になり、テレビ・タレント化して行くのです。これもくどい様ですが、さうして知識人が職業化すれば、それが職業である以上、危機を食ひ物にする利己心に支配されざるを得ず、大義名分と利己心との混同といふ自己欺瞞に追ひ込まれて行くのは必然と言へませう — 「知識人とは何か」『福田恒存全集』6


脚注

  1. 竹内 2012, p. 340.

参考文献

関連項目