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{{出典の明記|date=2018年7月}}
 
{{混同|ベラルーシ人|x1=白ロシア人とも呼ばれる}}
 
'''白系ロシア人'''(はっけいロシアじん、{{lang-ru|Белоэмигрант}}, {{lang-en|White Russian}}, {{lang|en|White Émigré}})とは、[[ロシア革命]]後、[[ロシア]]国外に脱出あるいは[[亡命]]した非[[ソビエト|ソヴィエト]]系旧[[ロシア帝国]]国民([[ロシア人]])のことである。{{要出典範囲|後述のように、白人系のロシア人や[[ベラルーシ人]]のことではない。|date=2018年7月}}
 
  
{{要出典範囲|しかしながら、一般に白系ロシア人とされる人々の中には、革命に反対しなかった人間も少なくない。|date=2018年7月}}
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'''白系ロシア人'''(はっけいロシアじん、{{lang-ru|Белоэмигрант}}, {{lang-en|White Russian}}, {{lang|en|White Émigré}}
  
== 概要 ==
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1917年の[[十月革命]]後、ソビエト政権に反対して国外に亡命したロシア人。
  
=== 呼称 ===
 
[[白]]とは[[共産主義]]=[[赤]]に対する意味での白。[[帝政]]の復活を望んで、革命軍と各地で[[内戦]]を起こしていた[[軍人]]・[[軍閥]]も「[[白軍]]」、「白衛軍」と呼称されていた。[[白人]](人種的特徴)や[[ベラルーシ]](「白ロシア」、「[[白ルーシ]]」の意味)該当地域とは関係ない。
 
 
また、旧ロシア帝国からの亡命者を総称して白系「ロシア人」と称しているため、内訳は必ずしも[[ロシア人|ロシア民族]]・[[スラヴ人|スラヴ人種]]というわけでもなく、ロシア帝国に居住していた異民族の出身者も含まれた。{{要出典範囲|中でも、ソヴィエト政府による弾圧のひどかった[[ウクライナ人|ウクライナ系]]や[[ポーランド人|ポーランド系]]、[[ユダヤ人]]([[ユダヤ民族]]、もしくは民族・人種に関係なく[[ユダヤ教徒]]である者)の国外亡命者は多かった。|date=2018年7月}}
 
 
{{要出典範囲|また、白=[[反革命]]というのも[[共産主義]]者側からの偏見という見方もあり、実態はたんに「旧ロシア帝国で革命後に反革命的であるとの[[レッテル]]を貼られるなどし、切迫した危険を感じたことなどにより亡命を余儀なくされた人々」である。|date=2018年7月}}
 
 
より中立的な呼称で、[[アメリカ合衆国]]、[[フランス]]、[[イギリス]]等の当事者たちの間で使われることが多く、1980年代末以降のロシアでも一般的に利用されている用語として、「第一波の移民 (first-wave émigré、{{lang|ru|Эмигрант первой волны}})」がある。
 
 
=== 経緯 ===
 
ロシア革命とその後の[[ロシア内戦]]を逃れ、多くの[[知識人]]や[[技術者]]、軍人、貴族、一般[[市民]]が国外へ逃れた。また、[[ボリシェヴィキ]]との戦いに敗れた者、共産党政権から迫害を受ける危険を感じた者も国外へ逃れた。こうした人々が、一般に白系ロシア人と呼ばれるようになった{{誰2|date=2018年7月}}。{{要出典範囲|経緯から彼らはロシア国籍者としてソビエト政府から保護されず、後述のポーランド人のような例外を除き現地政府の国籍取得が認められない場合は[[無国籍]]となった([[出生地主義]]の国で生まれた白系ロシア人の子は無条件で現地政府の国籍が付与されている)。|date=2018年7月}}
 
 
{{要出典範囲|こうした中から、かなりの数の人々が1940年代後半以降に[[ヨシフ・スターリン]]及びその後のソ連政府指導者の呼びかけに応じ[[ソビエト連邦|ソ連]]へ帰国した。スターリンらは、各地のソ連領事館を通じ、白系ロシア人に対してその反革命の罪を許すと表明し、希望者にはソ連国籍を与え、ソ連邦では信教の自由を含む市民的自由が保証されていると宣伝し、ともに祖国を再建しようと呼びかけた。モスクワ総主教庁、{{仮リンク|福音派バプテストクリスチャン全連邦ソビエト|ru|Всесоюзный совет евангельских христиан-баптистов|}}及びその他のソ連邦で登録を受けていた宗教組織は信書のやり取り、人員の派遣及び刊行物の送付によりこの宣伝に協力した。それに応じて帰国した人々の多くはシベリアの処女地開拓などで苦しい生活を余儀なくされることがあった。ヨーロッパや中国東北部など、第二次世界大戦末期以降にソ連軍が進駐した地域では、反ソ活動等を罪名として逮捕され懲罰を受けた白系ロシア人もいた。|date=2018年7月}}
 
 
=== 正教徒の亡命 ===
 
{{See also|在外ロシア正教会}}
 
{{要出典範囲|ソ連は[[無神論]]を掲げて反ソ的とみなした宗教組織を弾圧したため、多くの宗教者が国外に逃れた。[[正教徒]]、特に[[ロシア正教会]]関係者からの亡命者は多数にのぼり、国外に[[在外ロシア正教会|在外シノド]]を形成するに至った。ただし在外シノドにではなく、モスクワ総主教庁と関係を維持する教会を形成したり、既存のモスクワ総主教庁管轄下の正教会へ加入したりした者も存在した。|date=2018年7月}}
 
 
こうして亡命した正教徒の中には、[[セルゲイ・ブルガーコフ]]、[[ニコライ・ベルジャーエフ]]、[[ウラジーミル・ロースキイ]]、[[パーヴェル・エフドキーモフ]]のように、亡命先で神学教育に携わり、著名な業績を残した者も現れた。
 
 
日本においては[[日本ハリストス正教会|日本の正教会]]に所属するようになった者も少なくなく、その子孫は現在もなお[[神戸ハリストス正教会]]や[[ニコライ堂]]など、日本の幾つかの正教会内において、一定の亡命者の子孫(民族的には非ロシア人、たとえば[[グルジア人]]系等の者を含む)からなるコミュニティを形成している<ref>牛丸康夫『日本正教史』(第三部第一篇第六章:日本在住のロシア人、136頁~142頁)[[日本ハリストス正教会]]教団</ref>。
 
 
=== 日本への亡命者 ===
 
{{Main|在日ロシア人}}
 
{{要出典範囲|[[日本]]に亡命した旧ロシア帝国国民も多くいた。その内訳には、民族的なロシア人の他にかなり多くの非ロシア人、つまりポーランド人やウクライナ人が含まれていた。しかし、非ロシア人の多くも日本において通用しがたい[[ウクライナ語]]や[[ポーランド語]]を用いる代わりに、それよりは通じやすいロシア語を用いたことから、日本では彼らは「ロシア人」であると誤解された。ポーランド人については、1918年に独立したポーランド政府から国籍が付与され、在日ポーランド人として扱われることになった例もある。また、日本に亡命した白系ロシア人の中には、しばらくしてから[[アメリカ合衆国]]や[[オーストラリア]]などに再移住した人も多い。|date=2018年7月}}
 
 
{{要出典範囲|事実上の日本領土とも言えた[[満州国]]にも白系ロシア人は存在しており、[[関東軍]]は[[白系露人事務局]]を設立して、彼らの管理を行った。他、ソ連に対抗する目的で、白系ロシア人を集め、[[満州国軍]]に[[浅野部隊]]という日露満の混成部隊が設立された。|date=2018年7月}}
 
 
{{要出典範囲|白系ロシア人の子孫による[[利益団体]]は作られていない。第二次世界大戦後に第三国に再移住して亡命者が少数になってからは、日本社会においてまとまった社会的集団としては存在していない。日本国内の少数民族問題として取り上げられることはなく、白系ロシア人の血を引く日本人の数もごく少数に限られている。|date=2018年7月}}
 
 
来日した白系ロシア人を研究する団体として1995年12月、日本の研究者とロシア人研究者によって来日ロシア人研究会が結成された<ref>長縄光男, 沢田和彦編『異郷に生きる―来日ロシア人の足跡』、成文社、2001</ref><ref>[http://www.seibunsha.net/essay/essay38.html 沢田和彦「来日ロシア人研究会」のこと――『異郷に生きる――来日ロシア人の足跡』刊行に寄せて―― 」、成文社ホームページ、2001.03.01/03.10更新]</ref>。
 
 
=== 著名な白系ロシア人 ===
 
[[ウクライナ]]出身の[[航空機]]設計者で[[1913年]]に世界初の4発機[[イリヤー・ムーロメツ_(航空機)|イリヤー・ムーロメツ]]を開発した[[イーゴリ・シコールスキイ]]は、革命後[[アメリカ合衆国]]に亡命した。彼の創業した「[[シコルスキー]]社」は特に[[ヘリコプター]]開発において世界有数の規模を誇っていた。
 
 
アーケードゲーム業界大手で有名な[[タイトー]]の創業者[[ミハエル・コーガン]]、日本のプロ野球界で活躍した[[ヴィクトル・スタルヒン]]も白系ロシア人に該当する。
 
 
{{要出典範囲|なお、レーニン死後、差別的な扱いを受けることが多くなった[[ユダヤ人]]も亡命することがあった。アメリカの人気SFシリーズ「[[スタートレック|スタートレック・宇宙大作戦]]」に登場する[[スポック|ミスター・スポック]]役の[[レナード・ニモイ]]は両親がユダヤ系ロシア人である。また、[[テオ・アンゲロプロス]]の映画『[[エレニの旅]]』では[[オデッサ]]から逃れた亡命[[ギリシャ人]]家族が描かれた。|date=2018年7月}}<!--冷戦時代以降の亡命者をも「白系ロシア人」と呼ぶのかは疑問。-->
 
 
また、[[満州国]]やその周辺地域へ亡命した者も多くおり、満州国[[白系露人事務局]]により統括され、その中から対ソ謀略専門の[[満州国軍]][[浅野部隊]]が編成されていた。この他、[[極東ロシア|極東]]では反ソ連派ウクライナ人により[[緑ウクライナ]]が建国されたが、戦争に敗れ亡ぼされた。浅野部隊と[[関東軍]]や満州国軍が協同してソ連に抗戦する計画もあったが、核となるべき[[大日本帝国]]の敗戦により反ソ共同戦線は潰えた。
 
 
=== 誤用 ===
 
上述のとおり、白系ロシア人という呼称は、本来、共産主義の赤に対して、旧体制派の白という意味であった。{{要出典範囲|しかし、様々な誤った使用がなされる。例えば、白人系のロシア人の略と誤解する例である。実際にはロシア連邦、およびその前身ソビエト連邦は多民族国家であり、シベリアの諸民族や中央アジアの諸民族のような黄色人種に属する民族も多く存在する。あるいはロシア人に対する白ロシア人(現在のベラルーシ人)を白系ロシア人と誤用している例も少なくない。これらの誤用は白系と言う表現が何に対しての白なのかという由来があまり、知られていないために生じる誤解である。|date=2018年7月}}
 
 
== 脚注 ==
 
<div class="references-small"><references /></div>
 
 
== 関連項目 ==
 
*[[ユーラシア主義]]
 
*[[日露関係史]]
 
*[[河豚計画]]
 
*[[杉原千畝]]
 
*[[日本のユダヤ人]]
 
*[[在日ロシア人|日本のロシア人]]
 
*[[ドン・コサック合唱団セルゲイ・ジャーロフ]]
 
*[[NHK交響楽団]]
 
*[[宝塚歌劇団]]
 
*[[ハルビン市|ハルビン]]
 
*[[ロシアファシスト党]]
 
*[[西比利亜自治團]]
 
*[[ザリヤ]] - 白系露字新聞
 
*[[グンバオ]] - 白系露字新聞
 
*[[白系露人事務局|満州国白系ロシア人事務局]]
 
*[[上海租界]]
 
*[[残留ロシア人 (南樺太)]]
 
*[[ベラルーシ人]] 「ベラルーシ(='''白ロシア''')人」と「'''白系'''ロシア人」は全く意味が異なることに注意。
 
 
== 外部リンク ==
 
*[http://web.archive.org/web/20110910090137/http://www.nichiro.org/12_jigyou/sympo_2002_5sawada.html 白系ロシア人と近代日本文化]
 
*[http://www001.upp.so-net.ne.jp/yasuaki/misc/forg/forg51.htm 白ロシアと白系ロシア人]
 
*[http://www001.upp.so-net.ne.jp/yasuaki/misc/cult/cult54.htm バレンタインの日のチョコレート]
 
 
{{ロシア人のディアスポラ}}
 
 
{{History-stub}}
 
  
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[[Category:ロシア革命の人物]]
 
[[Category:ロシア革命の人物]]
 
[[Category:ロシアの反共主義者]]
 
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[[Category:ロシアの亡命者|集団はつけいろしあしん]]
 
[[Category:ロシアの亡命者|集団はつけいろしあしん]]

2018/10/28/ (日) 23:34時点における最新版

白系ロシア人(はっけいロシアじん、ロシア語: Белоэмигрант, 英語: White Russian, White Émigré

1917年の十月革命後、ソビエト政権に反対して国外に亡命したロシア人。




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