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{{Otheruses|前近代の東アジアにおける身分|日本の官人の衣装|白張}}
 
'''白丁'''(ペッチョン/ペクチョン、はくちょう、はくてい)とは、[[中国]]・[[日本]]の[[律令制]]や、[[朝鮮]]における[[身分]]のひとつ。朝鮮では[[李氏朝鮮|李朝時代]]に[[被差別民]]を指すようになった。
 
  
== 中国律令制における白丁 ==
+
'''白丁'''(はくちょう、はくてい)
中国[[律令制]]においては、[[公]]の職を持たない無位無冠の良民の男子のことを指す。「白丁」の名は、無位無冠の者は色を付けた衣を身に着けずに白い衣を着けたことにちなむ。
 
 
 
== 日本律令制における白丁 ==
 
[[日本]]の[[律令制度]]下では無位無官の[[公民]]、すなわち[[庸]]と[[調]]を負担した正丁・老丁男子を指し、「ハクテイ」と呼ばれた。
 
 
 
官人出身法制においては[[蔭子]]・[[位子]]以外の者、すなわち本来の白丁に加えて位子以外の[[内位]]六位から八位の[[官人]]の庶子、[[外位]]・初位(内位を含む)・[[雑任]]等無位の官人の子([[嫡子]]・[[庶子]]は問わない)が含まれる。このうち内位八位以上の庶子及び[[郡司]](大領・少領)の子については[[兵衛府|兵衛]]になる資格を有していたが、他については無位無官の公民である白丁と同様の扱いを受けた。
 
 
 
官司に雇われる場合には都に出て中央官司の[[舎人]]に採用されて勤務した後に[[叙位]]を受けるか、[[国衙]]の[[在庁官人]]として勤務の後に[[叙位]]を受けた。または[[帳内]]・[[資人]]などの[[皇親]]・[[貴族]]の従者を勤めた後に叙位を受ける例もあった。更に戦争での武勲や[[文章生]]・[[明法生]]などの学生に及第することによって、無位から昇進することもあったが四位がほぼ最高位であり、それ以上の昇進はほぼなかった(多くの場合は子孫に位子の資格が与えられない初位に留まったとされる。また、特殊な叙位の例としては[[蓄銭叙位令]]による叙位や財物貢献・瑞祥報告による叙位もある)。後にこうした規定も空文化されていくことになる。
 
 
 
また、官司の雑務に就いていても、白丁である限りは[[租庸調]]などの租税は免除されなかった。
 
 
 
== 朝鮮における白丁 ==
 
=== 李氏朝鮮における白丁と賤民 ===
 
[[高麗|高麗時代]]までの朝鮮では、白丁は中国、日本と同じく無位無冠の良民を指す言葉であった。[[李氏朝鮮]]の時代に身分制度がさらに複雑化し、国王、両班、[[中人 (朝鮮)|中人]]、常人、賤民(=賤人)に大別され、白丁は賤民の中の最下位に位置づけられた<ref name=jo>[http://blhrri.org/info/book_guide/kiyou/ronbun/kiyou_0172-07.pdf 朝鮮「白丁」身分の起源に関する一考察(上)]徐知延、『部落解放研究』172号、2006.10</ref>。白丁は「{{Lang|Ko|백정}}」('''ペクチョン'''/ '''ペッチョン''')と呼び、'''[[七賤|七般公賤]]'''(官[[奴婢]]、[[妓生]]、[[女官|官女]]、[[胥吏#朝鮮|吏族]]、駅卒、獄卒、[[犯罪]][[逃亡]]者)、'''八般私賤'''([[巫女]]、革履物の職人、使令:[[宮中]][[音楽]]の[[演奏家]]、[[僧|僧侶]]、才人:[[芸人]]、社堂:[[旅]]をしながら[[歌]]や[[踊り]]で生計をたてるグループ『[[男寺党]]』、挙史:[[女性|女]]連れで歌・踊り・芸をする人、白丁)と言われた[[賤民]]([[非自由民]])のなかで最下位に位置する[[被差別民]]を指す言葉になった。
 
 
 
[[1423年]]、[[屠殺|屠畜]]業者などに対する差別を緩和するために彼らを白丁と呼ぶようにした<ref>『[[朝鮮王朝実録]]』世宗 22卷 世宗5年10月8日(乙卯)</ref>。だが良民は彼らを「新白丁」と呼びながら相変らず差別し続け、徐々に「白丁」は[[賤民]]のみを指す言葉になった。
 
 
 
起源については大別して[[神話]]説と[[北方異民族]]説と[[政治犯]]説などが唱えられている。異民族説は[[高麗]]に[[帰化]]した[[中央アジア]]系の[[タタール|韃靼族]]が[[政治]]の混乱に乗じて[[略奪]]を繰り返したことや、低位の扱いを受けていた[[朝鮮族]]などが差別を受けるようになったのが白丁の起源であるとされているという説である<ref name="鄭">[[鄭棟柱]]『神の杖』[[解放出版社]]、[[1997年]]</ref>。ほかに、杜門洞七二人忠臣たちの志操説、楊水尺から始まった説がある<ref name=jo/>。
 
 
 
[[朝鮮半島]]で白丁が受けた身分[[差別]]は、以下のようなものである<ref name="鄭" />。
 
 
 
# [[族譜]]を持つことの禁止。
 
# [[屠畜]]、[[食肉]]商、[[皮革]]業、[[骨]]細工、[[ヤナギ|柳]]細工([[編笠]]、[[行李]]など)以外の職業に就くことの禁止。
 
# [[常民]]との[[結婚|通婚]]の禁止。
 
# 日当たりのいい場所や[[高地]]に住むことの禁止。
 
# [[瓦]][[屋根]]を持つ[[家]]に住むことの禁止。
 
# [[文字]]を知ること、[[学校]]へ行くことの禁止。
 
# 他の身分の者に[[敬語]]以外の言葉を使うことの禁止。
 
# [[名前]]に仁、義、禮、智、信、忠、君の字を使うことの禁止。
 
# [[姓]]を持つことの禁止。
 
# [[公共]]の場に出入りすることの禁止。
 
# [[葬式]]で[[棺桶]]を使うことの禁止。
 
# [[結婚式]]で桶を使うことの禁止。
 
# [[墓]]を常民より高い場所や日当たりの良い場所に作ることの禁止。
 
# [[墓碑]]を建てることの禁止。
 
# 一般民の前で胸を張って[[歩行|歩く]]ことの禁止。
 
 
 
これらの禁を破れば厳罰を受け、時には[[リンチ]]を受けて[[殺害]]された。その場合、[[殺害]]犯はなんの[[罰]]も受けなかった。白丁は[[ヒト|人間]]ではないとされていたためである。
 
 
 
白丁は大抵、[[都市]]や[[村落]]の外の辺鄙な場所に集団で暮らし、食肉処理、製革業、柳器製作などを本業にしていた。白丁と常民の[[結婚]]は許されておらず、一般の村に住めないなど居住地域も制限された<ref>[[平凡社]]編『朝鮮を知る事典』平凡社、1986年</ref>。また、高価な日常製品の使用も禁止されていた。[[農業]]や[[商業]]に従事することは禁止されていたが、李氏朝鮮中期になるとこの[[規制]]は緩み、農業などに従事していた者もいたようである。一方、国の管理に属さない化外の民であったため、[[戸籍]]を持たず[[税金]]や軍布([[徴兵]]の代わりに収める布税)なども免除されていた。[[奴婢]]が国により管理されていたのとは対照的である。支出や行動が厳しく規制される反面、本業による[[手数料]]などを得ることができたことや、[[両班]]階級が[[財産]]を[[没収]]することすら忌み嫌ったため、李氏朝鮮時代に繰り返し行われていた[[庶民]]に対する過酷な財産徴収なども受けず、李氏朝鮮の中では唯一[[資本蓄積]]が可能な階級だったとも言われている。
 
 
 
[[李氏朝鮮]]の時には免賤と言われる白丁階級からの解放もあったが、滅多に行われなかった。また、[[甲午農民戦争]]の時に農民軍は差別撤廃を主張したこともあった。
 
 
 
[[1894年]]、高宗時代の[[甲午改革]]により、賤民の身分制度が廃止されたので、白丁の身分も消えて国家官吏になる者も現れたが、差別は相変わらず残った。
 
 
 
=== 日本統治下における身分解放 ===
 
[[1909年]]に日本政府によって[[韓国統監府]]が設置されると、[[戸籍制度]]を導入することで、人間とは見なされていなかった姓を待たない白丁を始めとする賤民とされていた階層にも姓を許可し、身分差別を撤廃したとされる<ref name="9596RLeeYoungHoon">p95,96 大韓民国の物語 [[李榮薫]]著 [[永島広紀]]訳 [[文藝春秋]] 2009/02 ISBN 4163703101</ref>。また、身分解放された白丁も学校に通うことが許可された。これに対して[[両班]]は認めないとして抵抗活動を繰り広げたが、日本政府はこれを断固として鎮圧した<ref name="9596RLeeYoungHoon" />。[[通名]]も参照のこと。
 
 
 
しかし、[[履歴書]]などに身分を記入するようにして、戸籍上白丁は一般人と区別されるなど差別は消えなかった。[[1923年]]に白丁差別解消のための[[朝鮮衡平社]]が作られ、日本の[[水平社]]と協力して身分差別解消の運動を行っていた。だが[[共産主義]]と連関したと疑って弾圧したり、解放運動家を「新白丁」と呼びながら侮辱する事もあった。
 
日本本土の部落差別と同じく、人々の精神面では根深く残った。
 
 
 
[[1926年]]の[[朝鮮総督府]]の統計調査によると、当時の朝鮮半島の「白丁」とされていた階層は8211世帯、3万6809人にのぼる。職業の内訳で最も多いのは獣肉販売業で27.8パーセント。これに屠畜、製革、製靴など牛に関係する一連の職業をあわせると48.8パーセント。農業が25.2パーセント。柳器製造が10.6パーセント。飲食店や低級旅館の経営が5.8パーセントであった。
 
 
 
=== 現代韓国における状況 ===
 
独立とその後の[[朝鮮戦争]]勃発による社会的混乱、工業化・民主化の過程での都市部への人口の移動によって、[[大韓民国|韓国]]の被差別階級は姿を消すこととなったが、現在もなお罵倒語として「白丁」(ペクチョン)「白丁野郎(ペッチョンノム)」という言葉が使われることがある。また、[[済州島]]等の白丁が多かった地域に対しての差別意識も根強く、この差別意識は地域対立の要因の一つとなっている。
 
 
 
=== 北朝鮮における状況 ===
 
[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]は、「[[社会主義]]社会の下では、白丁問題は既に解決している」と回答しているが、実際には韓国の大統領を「人間白丁」と罵るように、差別意識は根強い。
 
 
 
米国の北朝鮮人権委員会は Helen-Louise Hunter の ''Kim Il-Song's North Korea''(ISBN 978-0275962968)から引用し、北朝鮮は1946年から全ての国民を支配階級/平民/被差別民の3つの階層に分ける[[出身成分]]制度により、[[李氏朝鮮]]の封建王朝のような身分制度を採用していると報告している<ref>[http://hrnk.org/wp-content/uploads/The_Hidden_Gulag.pdf Committee for Human Rights in North Korea] Overview on North Korean Prison Camps with Testimonies and Satellite Photographs, p.27</ref>。
 
 
 
== 関連作品 ==
 
* [[済衆院 (テレビドラマ)|済衆院]] - 19世紀の韓国を舞台とした[[医療ドラマ]]。主人公は屠蓄に従事している白丁で、服装や住居など他の身分との違いが強調されている。
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
* [[上原善広]]『コリアン部落』ミリオン出版、[[2006年]]
 
* [[金永大]]『朝鮮の被差別民衆』[[解放出版社]]、[[1988年]]
 
* [[金仲燮]]『衡平運動 朝鮮の被差別民・白丁その歴史とたたかい』[[部落解放・人権研究所]]、[[2003年]]
 
* 梁永厚『近世朝鮮の身分制度』[[関西大学]]人権問題研究室紀要(上)19号pp367-432,(中)21号pp33-64,(下)23号pp57-114
 
* 『賎民の文化史序説』いくつもの日本5巻,pp161-190(岩波書店2003)
 
* リーダーシップの役割:朝鮮の白丁の場合[http://blhrri.org/kenkyu/data/present_Buraku/013.htm]
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[賤民]]
 
* [[差別用語]]
 
  
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下級武士の着用する[[狩衣]] (かりぎぬ) の一種。白の布子張であったので「白張」とも書いた。また,律令制の諸官司,神社,駅 (うまや) などに配属されて雑務を行う無位無官の人や,諸家の傘持,沓持,口取など[[仕丁]]がこれを着たところから,彼らを白丁 (「はくてい」ともいう) ともいった。白丁から官途についても[[主典]] (さかん) にまでしか進めなかった。
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[[Category:賎民]]
 
[[Category:朝鮮のカースト|へくちよん]]
 
[[Category:韓国の差別|へくちよん]]
 
[[Category:朝鮮の歴史|へくちよん]]
 
 
[[Category:日本の歴史|はくてい]]
 
[[Category:日本の歴史|はくてい]]
 
[[Category:日本の律令制|はくてい]]
 
[[Category:日本の律令制|はくてい]]
 
[[Category:中国の制度史]]
 
[[Category:中国の制度史]]
[[Category:侮蔑]]
 
 
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白丁(はくちょう、はくてい)

下級武士の着用する狩衣 (かりぎぬ) の一種。白の布子張であったので「白張」とも書いた。また,律令制の諸官司,神社,駅 (うまや) などに配属されて雑務を行う無位無官の人や,諸家の傘持,沓持,口取など仕丁がこれを着たところから,彼らを白丁 (「はくてい」ともいう) ともいった。白丁から官途についても主典 (さかん) にまでしか進めなかった。



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