湧網線

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停車場・施設・接続路線(廃止当時)
exSTR
名寄本線
exBHFq exABZqr+r exSTRq
0.0 中湧別
exSTR
名寄本線
exHST
(2.6) 五鹿山
exHST
(4.3) 福島
exBHF
9.9 芭露
exHST
(15.3) 志撫子
exBHF
16.5 計呂地
exHST
(19.2) 浜床丹
exBHF
21.0 床丹
exHST
(25.0) 若里
exBHF
29.3 佐呂間
exHST
(31.8) 堺橋
exHST
(33.7) 興生沢
exBHF
36.0 知来
exHST
(39.1) 紅葉橋
exBHF
41.4 仁倉
exBHF
46.0 浜佐呂間
exBHF
49.4 北見富丘
exHST
(51.9) 東富丘
exBHF
54.0 北見共立
exHST
土佐 -1972
exBHF
59.5 常呂
exWBRÜCKE
常呂川
exHST
常呂港 -1972
exBHF
66.7 能取
exHST
中能取 -1972
exBHF
73.1 北見平和
exBHF
76.6 卯原内
exHST
(80.2) 二見中央
exBHF
82.1 二見ヶ岡
exWBRÜCKE
網走川
exHST
(87.9) 大曲
STRq eABZql BHFq
89.8 網走
石北本線釧網本線

湧網線(ゆうもうせん)は、日本国有鉄道(国鉄)が運営していた鉄道路線地方交通線)。北海道紋別郡上湧別町(現・紋別郡湧別町)の中湧別駅名寄本線から分岐し、サロマ湖オホーツク海能取湖等の沿岸を巡って網走市網走駅に至る路線であった。

1960年代より沿線の過疎化やモータリゼーションの進行で利用者が減り、国鉄再建法の制定(1980年)により第2次特定地方交通線に指定され、国鉄分割民営化直前の1987年3月20日[1][2]に全線が廃止された。なお、営業末期の列車本数は、全線直通が1日5往復と浜佐呂間発中湧別行きの区間列車1本[3]まで減らされていた。

数あるローカル線の中でも、車窓から見られる風景が美しい路線として知られていた。また、当線および名寄本線を経由しての遠軽駅 - 網走駅間は、石北本線経由より営業キロが若干短く、当線の網走発遠軽行き終列車は、石北本線経由の網走発札幌行き夜行急行「大雪」(北見までは普通)より遅く網走を出て遠軽には先着するダイヤになっていた[4][6]

路線データ(廃止時)

  • 管轄:日本国有鉄道
  • 路線距離(営業キロ):中湧別 - 網走 89.8km [1][2]
  • 駅・仮乗降場数:27(起終点駅を含む。駅:16、仮乗降場:11)
  • 軌間:1067mm [1]
  • 複線区間:なし(全線単線
  • 電化区間:なし(全線非電化[1]
  • 閉塞方式:タブレット閉塞式
    • 交換可能駅:3(計呂地、佐呂間、常呂。以前は、芭露駅・床丹駅・知来駅・浜佐呂間駅・卯原内駅にも交換設備が設置されていた)

歴史

名寄本線の中湧別と網走本線(現在の石北本線)の網走を短絡する鉄道として計画されたもので、改正鉄道敷設法別表には第146号に「北見國中湧別ヨリ常呂ヲ經テ網走ニ至ル鐡道」として規定されている。

建設は網走側、中湧別側両方から進められ、1935年からそれぞれ湧網東線(ゆうもうとうせん)、湧網西線(ゆうもうさいせん)として順次開業した。太平洋戦争により中断したが、1953年に全通し湧網線となった。

1980年に国鉄再建法が成立すると、第2次特定地方交通線に指定され、1987年3月に廃止された。

湧網西線

  • 1935年(昭和10年)10月20日 中湧別 - 計呂地間 (16.5km) を湧網西線として新規開業[2][7]。芭露駅・計呂地駅を新設[1]
  • 1936年(昭和11年)10月17日 計呂地 - 中佐呂間 (12.8km) を延伸開業[2][8]。床丹駅・中佐呂間駅を新設[1]

湧網東線

  • 1935年(昭和10年)10月10日 網走 - 卯原内間 (13.2km) を湧網東線として新規開業[2][9]。二見ヶ岡駅・卯原内駅を新設[1]
  • 1936年(昭和11年)10月10日 卯原内 - 常呂間 (17.1km) を延伸開業[2][10]。能取駅・常呂駅を新設[1]
  • 1949年(昭和24年)10月20日? 北見平和仮乗降場を新設[1]
  • 1952年(昭和27年)12月6日 常呂 - 下佐呂間間 (13.5km) を延伸開業[2]。北見共立駅・北見富丘駅・下佐呂間駅を新設[1]

湧網線

  • 1953年(昭和28年)10月22日 佐呂間 - 下佐呂間間 (16.7km) を延伸開業し、全通[2]。中湧別 - 網走間を湧網線とする[2]。知来駅・仁倉駅を新設[1]。中佐呂間駅を佐呂間駅に改称[1]
  • 1954年(昭和29年)1月1日 北見平和仮乗降場を駅に改める[1]
  • 1955年(昭和30年)12月25日 福島仮乗降場・志撫子仮乗降場・若里仮乗降場・興生沢仮乗降場・紅葉橋仮乗降場・大曲仮乗降場を新設[1]
  • 1956年(昭和31年)
    • 1月7日 土佐仮乗降場・常呂港仮乗降場・中能取仮乗降場を新設[1]
    • 5月1日 東富丘仮乗降場・二見中央仮乗降場を新設[1]
    • 8月20日 浜床丹仮乗降場を新設[1]
    • 12月20日 堺橋仮乗降場を新設[1]
  • 1958年(昭和33年)7月1日 五鹿山仮乗降場を新設[1]
  • 1963年(昭和38年)10月1日 下佐呂間駅を浜佐呂間駅に改称[1]
  • 1972年(昭和47年)2月8日 土佐仮乗降場[1]・常呂港仮乗降場・中能取仮乗降場を廃止。
  • 1984年(昭和59年)6月22日 第2次特定地方交通線として廃止承認[11]
  • 1987年(昭和62年)3月20日 全線 (89.8km) を廃止し[2][1]網走バスのバス路線に転換[12]

駅一覧

接続路線の事業者名・駅の所在地は湧網線廃止時点のもの。全駅が北海道網走支庁(現:オホーツク総合振興局)管内に所在。

駅名 駅間キロ 営業キロ 接続路線 所在地
中湧別駅 - 0.0 日本国有鉄道:名寄本線
(一部湧別方面、遠軽方面直通)
紋別郡上湧別町
(現:紋別郡湧別町)
五鹿山仮乗降場 - (2.6)  
福島仮乗降場 - (4.3)   紋別郡湧別町
芭露駅 9.9 9.9  
志撫子仮乗降場 - (15.3)  
計呂地駅 6.6 16.5  
浜床丹仮乗降場 - (19.2)   常呂郡佐呂間町
床丹駅 4.5 21.0  
若里仮乗降場 - (25.0)  
佐呂間駅 8.3 29.3  
堺橋仮乗降場 - (31.8)  
興生沢仮乗降場 - (33.7)  
知来駅 6.7 36.0  
紅葉橋仮乗降場 - (39.1)  
仁倉駅 5.4 41.4  
浜佐呂間駅 4.6 46.0  
北見富丘駅 3.4 49.4   常呂郡常呂町
(現:北見市
東富丘仮乗降場 - (51.9)  
北見共立駅 4.6 54.0  
土佐仮乗降場* -    
常呂駅 5.5 59.5  
常呂港仮乗降場* -    
能取駅 7.2 66.7   網走市
中能取仮乗降場* -    
北見平和駅 6.4 73.1  
卯原内駅 3.5 76.6  
二見中央仮乗降場 - (80.2)  
二見ヶ岡駅 5.5 82.1  
大曲仮乗降場 - (87.9)  
網走駅 7.7 89.8 日本国有鉄道:石北本線釧網本線
  • 仮乗降場には営業キロが設定されていなかった。括弧内に実キロを記す。
  • *: 1972年2月8日廃止。
  • 大曲仮乗降場には石北本線も通っていたが、ホームは当路線のみに設置されたため、分岐駅は網走駅となっていた。

廃止後の状況

ファイル:Abashiri bus Abashiri01.JPG
網走バスターミナルで発車を待つ中湧別行き(2009年4月)

常呂駅跡の北見共立駅跡寄り - 大曲仮乗降場跡間の線路跡の大半が、サイクリングロードとして活用されている(北海道道1087号網走常呂自転車道線)。その他の区間は、路盤跡や橋桁が面影を残す程度となっている。駅跡は当時の駅舎はほとんど残っておらず、一部でバスターミナルとして建て替えられている。中湧別駅、計呂地駅、佐呂間駅、卯原内駅には車両が静態保存されている。

鉄道運行の代替として網走バスにより転換バス「湧網線」が中湧別 - 網走で運行されていた[12]が、乗客数減少などから2010年(平成22年)10月1日付で廃止され[13]、同日より湧別町内と一部佐呂間町内(湧別町営バス)、佐呂間町内と一部北見市常呂町・網走市(佐呂間町ふれあいバス)、北見市常呂町 - 網走市の間(網走バス)でそれぞれ運行されている。ただし湧別町-佐呂間町の間を結ぶ便は週2便のみ[14]、佐呂間町-北見市常呂町・網走市の間を結ぶ便は週1便のみ[15]である。

脚注

  1. 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 1.12 1.13 1.14 1.15 1.16 1.17 1.18 1.19 1.20 1.21 今尾恵介監修『日本鉄道旅行地図帳』1号 北海道、新潮社、2008年、p.49
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 2.7 2.8 2.9 宮脇俊三編著『鉄道廃線跡を歩く』IV、JTB、1997年、p.200
  3. 『交通公社の時刻表』1986年12月号、日本交通公社、p.522
  4. 宮脇俊三 『時刻表2万キロ河出書房新社河出文庫〉、1980年、143-144。
  5. 『交通公社の時刻表』1986年12月号、日本交通公社、pp.519,522
  6. ただし、営業末期の1986年11月改正時点のダイヤでは夜行急行「大雪」の網走発時刻が繰り下がり、湧網線最終の網走発が「大雪」よりも早い時刻に繰り上がっており、「大雪」に乗り遅れた場合に湧網線最終で追いかけることはできなくなっている[5]
  7. 「鉄道省告示第457・458号」『官報』1935年10月14日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. 「鉄道省告示第314・315号」『官報』1936年9月22日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  9. 「鉄道省告示第443・444号」『官報』1935年10月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  10. 「鉄道省告示第312・313号」『官報』1936年9月22日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. 池田光雅『鉄道総合年表1972-93』中央書院、1993年、pp.84,98
  12. 12.0 12.1 鉄道ジャーナル』第21巻第7号、鉄道ジャーナル社、1987年6月、 99頁。
  13. 湧網線代替バス廃止に伴う新たなバス路線について (PDF)”. 北見市. . 2011閲覧.
  14. 乗合ハイヤー (PDF)”. 湧別町. . 2014閲覧.
  15. 佐呂間町ふれあいバス 町外路線時刻表平成24 年4 月1 日現在 (PDF)”. 佐呂間町. . 2011閲覧.

関連項目