渋沢敬三

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渋沢 敬三(しぶさわ けいぞう、正字体:澁澤 敬三、1896年明治29年)8月25日 - 1963年昭和38年)10月25日

実業家,政治家,民俗学研究者。渋沢栄一の孫,子爵渋沢篤二の長男として生れる。 1921年東京帝国大学経済学部卒業。横浜正金銀行に入り,また,同 1921年アチック・ミューゼアム (屋根裏博物館) を自宅に開設して,郷土玩具の収集と調査を開始。 1926年祖父の創業した第一銀行に移り,1942年日本銀行副総裁に転じ,1944年総裁に就任。 1945年幣原内閣の蔵相となり,第2次世界大戦直後のインフレ対策に努めた。公職追放を受けるが,1951年解除後は国際電信電話社長など財界で活躍。一方戦前からの民俗学・民族学研究も精力的に続け,広くその研究成果を発表し,日本民族学協会 (現在の渋沢民族学振興基金および日本文化人類学会) を興して会長をつとめ,さらに戦後は幅広い人文科学の学際的協業の必要性を説いて六学会連合 (現九学会連合) を組織した。収集された民具の多くは,現在国立民族学博物館に収蔵されている。主著『豆州内浦漁民史料』『日本魚名集覧』『明治文化史』など。