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{{日本の市 (廃止)
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|廃止日=2001年5月1日
 
|廃止理由=新設合併
 
|廃止詳細='''浦和市'''、[[大宮市]]、[[与野市]] → さいたま市
 
|現在の自治体=[[さいたま市]]
 
|画像 =
 
|画像の説明 =
 
|市章 = [[ファイル:Flag of Urawa Saitama.JPG|200px|center]]浦和[[市町村章|市章]]
 
|市章の説明 =
 
|自治体名=浦和市
 
|都道府県=埼玉県
 
|支庁=
 
|コード=11204-6
 
|面積=70.67
 
|境界未定=なし
 
|人口=486,538
 
|人口の時点=2001年4月1日
 
|人口の出典=[[推計人口]]
 
|隣接自治体=[[川口市]]、[[大宮市]]、[[岩槻市]]、[[与野市]]、<br />[[蕨市]]、[[戸田市]]、[[朝霞市]]、[[志木市]]、<br />[[富士見市]]
 
|木=[[モクセイ]]
 
|花=[[サクラソウ]]
 
|シンボル名=他のシンボル
 
|鳥など=
 
|郵便番号=336-8633
 
|所在地=浦和市常盤6丁目4番4号
 
|電話番号=048-825-1111
 
|外部リンク=
 
|InternetArchive=www.city.urawa.saitama.jp
 
|経度=東経139度35分
 
|緯度=北緯35度52分
 
|位置画像=[[画像:地図-埼玉県浦和市.png|浦和市の県内位置]]
 
|特記事項=
 
}}
 
'''浦和市'''(うらわし)は、[[関東地方]]の南部、[[埼玉県]]南部に存在した[[市]]。県内最大の人口を有し、[[県庁所在地]]として県行政の中枢を担っていた。[[東京都]]特別区部への通勤率は35.9%(平成12年国勢調査)。市制施行前は[[北足立郡]]に所属していた。
 
 
 
2001年に[[大宮市]]、[[与野市]]と合併して[[さいたま市]]となり、廃止。2003年には、さいたま市の[[政令指定都市]]移行・区制施行に伴い、概ね旧市域にあたる部分が[[浦和区]]、[[南区 (さいたま市)|南区]]、[[桜区]]、[[緑区 (さいたま市)|緑区]]の4区に分けられ、[[さいたま新都心]]にあたる部分は[[中央区 (さいたま市)|中央区]]となった。現在でも旧浦和市域を総称して[[浦和地区]]という。
 
 
 
== 概要 ==
 
埼玉県の県庁所在地であり、廃止直前の平成12年時点で70.67平方キロメートルの面積に県内最大となる人口48万人を有していた。古くは[[調神社]]や[[玉蔵院 (さいたま市)|玉蔵院]]の[[門前町]]として栄え、[[奈良時代]]には[[律令制]]の[[氷川神社 (さいたま市浦和区)|政庁]]がおかれた。[[江戸時代]]になると[[中山道]]の宿場町である'''[[浦和宿]]'''として発達していった都市である。また東部の大門地区はかつての[[日光御成街道]]の宿場でもあった。
 
 
 
1869年(明治2年)1月28日、[[武蔵国]]内にある旧幕府領・旗本領の管轄のため[[武蔵知県事]]・[[宮原忠英]]の管轄区域をもって大宮県が設置されたが県内に実質的な県庁は置かれず、同年9月29日になって県域内で最も人口があった浦和宿に県庁が置かれ'''[[浦和県]]'''を称した。後に[[忍県]]、[[岩槻県]]などとの合併による埼玉県(当時)成立、さらに[[入間県]]合併により現在の埼玉県が発足した後も一貫して県庁が置かれ、最終的に1890年に[[勅令]]によって正式な県庁所在地に指定される。なお1883年には県内初となる鉄道である[[日本鉄道]]の[[上野駅]]〜[[熊谷駅]]間が開業し、この時に県内最古の駅の一つ、また現在のさいたま市内で最古の駅である[[浦和駅]]が開業している。
 
 
 
入間県を編入して[[川越市|川越]]が最も人口のある都市となったが、浦和も県都として各種行政施設のほか埼玉県師範学校(明治6年に学制改正局として発足し翌年改称)、医学校(明治9年)、県立浦和第一尋常中学校、県立浦和高等女学校、官立浦和高等学校などが次々と開設され、全国から優秀な学生が集まるようになった<ref>[http://www.stib.jp/mame/history_urawa.shtml/ うぇぶさいず旧浦和市の歴史 より]</ref>。県立浦和高等学校は当時の東京帝国大学(現[[東京大学]])への合格者が全国で二番目だったことから帝大への登竜門と称された。さらに1923年の[[関東大震災]]を契機に、震災の被害が少なくかつ[[東京都|東京]]から20km圏内と交通の便の良い浦和には東京や[[横浜市|横浜]]方面からの移住者が増加し、1932年の東北本線電車(現在の京浜東北線)延伸開業とも相まって都市化が進んだ。「[[鎌倉文士]]に[[浦和画家]]」とも称されたように浦和は充実した官立の教育施設群とともに文化人の活躍の地としても有名になり「[[文教都市]]」としての名声を高めていく。このような中1934年には川越市、[[熊谷市]]、[[川口市]]に次ぐ県内4番目となる市制施行を果たした。
 
 
 
なお先述の埼玉県師範学校は埼玉県におけるサッカー発祥の地となり、卒業生が県内の学校に赴任してサッカーを普及させた<ref name="浦和20130319">{{cite web | url=http://www.urawa-reds.co.jp/clubinfo/%E3%81%95%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%BE%E5%B8%82%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%90%91%E3%81%91%E6%8E%88%E6%A5%AD%E3%80%8C%E5%9F%BC%E7%8E%89%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC100%E5%B9%B4%E3%81%A8/ | title=さいたま市中学校向け授業「埼玉サッカー100年と浦和レッズ」を開始| publisher=URAWA RED DIAMONDS OFFICIAL WEBSITE | date=2013年3月19日 | accessdate=2013年11月2日}}</ref>。第二次世界大戦後、高校年代の各チームが全国大会でタイトルを獲得したことで[[静岡県]]、[[広島県]]と共に「サッカー御三家」と称された<ref name="浦和20130319"/>。[[1992年]]からはプロサッカークラブ・[[浦和レッドダイヤモンズ]]の本拠地となっている<ref name="浦和20130319"/>。
 
 
 
戦後の浦和市は高度成長期の東京都市圏の拡大の中で大幅に人口が拡大し、周辺町村を合併しながら発展の一途を辿る。1961年の[[南浦和駅]]開業、1973年の[[武蔵野線]]開業や1985年の[[埼京線]]開業を経て都内および県内他都市と結ぶ鉄道交通も発達し、市内では急激な人口増加に小中学校の開設が追い付かず児童の飽和状態が問題となった。市東部の特に現在の緑区西部では殆どで区画整理事業により造成され、宅地となった。さらにさいたま市発足後には[[みそのウイングシティ]]の造成も始まった。
 
 
 
1995年以降は川口市を抜いて埼玉県内最大の人口を擁している。旧浦和市は埼玉県の県政、文化の中心都市であり、高級住宅地として知られていることから県内最大の市民所得(総市民所得、1人あたり市民所得ともに)を有する<ref>[http://www.city.saitama.jp/www/contents/1174530150931/files/011.pdf/ さいたま市ホームページ統計より]</ref>とともに、商業においても県内最大の売上となっている[[伊勢丹浦和店]]があり、さいたま市発足前の時点で旧[[大宮市]]に次ぐ県内第2位の商品販売額を誇っている。さいたま市発足以降は[[さいたま市役所]]が旧浦和市役所を利用して設けられ、旧市内でも浦和駅周辺地区はさいたま市の都市計画における都心地区の一つとして再開発が進められている。[[2007年]]には[[浦和パルコ]]や[[さいたま市立図書館|市立中央図書館]]を含む再開発ビルが浦和駅東口に完成した。
 
 
 
なお、県庁所在地としては最後に市制を施行し(1934年)、初めて消滅した県庁所在地の市である。
 
 
 
== 地理 ==
 
* [[東京特別区]]と埼玉県の境界から北に約6km、[[関東平野]]の中央部南寄りに位置する。埼玉県の南東部にあたるが、県内の区分では中央地域とされることが一般的である(県最西部は「西部地域」ではなく「[[秩父地方]]」と呼ばれ、その東側即ち県中南部にあたる入間地方、比企地方等が「西部地域」と呼ばれることが多いため)。
 
* 西側の境をなす[[荒川 (関東)|荒川]]、東部に[[芝川 (埼玉県)|芝川]]や[[見沼代用水]]、東側の境をなす[[綾瀬川]]などの河川がそれぞれ北から南に流れる。
 
* [[関東平野]]の中にあり、[[山岳]]・[[丘陵]]といえる地域は存在しない。全域が[[台地]]及び[[低地]]からなり、海抜が20mを超える地区は殆どない。主に荒川に近い西部、東西に二本並ぶ見沼代用水の間、綾瀬川に近い東端部に低地が広がるほか、[[鴻沼川]]・[[藤右衛門川]]などの小河川沿いに谷状の地形がみられる。中央部はこのような谷地を除けば、北方から市南部に連なる[[大宮台地]]浦和大宮支台上に位置しており、浦和市の源となった浦和宿もこの台地の上に位置していた。主な河川は殆どが北から南に流れており、東西に並列している。
 
* 東西約15km、南北約7kmという東西に細長い市域であった。これは浦和町・浦和市が東西に連なる諸町村を合併した結果である。中央部西寄りを北側から[[与野市]](現:さいたま市[[中央区 (さいたま市)|中央区]])が突きだしていた。市域は「[[コウモリ]]が羽を広げたような形」と称されていた。
 
* さいたま市の政令指定都市移行に伴う区制の施行で、旧浦和市域はごく一部の地区(大原6・7丁目が[[大宮区]]、[[さいたま新都心]]内の上木崎1丁目8番30号および35号が[[中央区 (さいたま市)|中央区]])を除き、中心部・北部が[[浦和区]]、西部が[[桜区]]、南部が[[南区 (さいたま市)|南区]]、東部が[[緑区 (さいたま市)|緑区]]となった。なお、旧浦和市域の人口は消滅後に50万人を突破、2005年の人口は'''504,442'''人、2010年の人口は'''527,761'''人(国勢調査)と増加し、2015年には人口55万人を突破した。2016年4月現在人口は'''553,483'''人(登録人口)。
 
* [[2000年]](平成12年)の時点で、概ね見沼代用水西縁以東、荒川周辺に広がる河川敷を除く、市域の6割強が[[人口集中地区]]となっていた。
 
* 気候については[[さいたま市]]の記事を参照のこと。尚現在の[[アメダス]]の観測地点「さいたま」は、旧浦和市の北西端、大久保浄水場内に設置されているが、さいたま市の成立以前は「浦和」の名称がつけられていた。
 
 
 
;住宅地として
 
住宅地としての人気は[[関東大震災]]以後急速に高まる。それに先立つ大正5年初頭の[[國民新聞]]の紙上において東京近郊の理想的な住宅地・別荘地を投票により選定する企画が行われた、浦和町は郊外住宅地部門では9等、別荘地部門では8等に入賞し、良好な郊外住宅地としてすでに認知されていた。具体的な理由も掲載され、東京への近さ、教育環境の充実、下水道整備率の高さなどが挙げられていた。また、鹿島臺(鹿島台・現在の別所沼周辺)の風光明媚さや災害の不安が無いことも記され、当時はまだ畑も多く宅地開発の余地があった鹿島台が住宅地として注目されていたことが分かる。震災直前には鹿島台に官吏や教員向けの町営住宅を建設しており、また大正11年9月には浦和耕地整理事業が着工し、町としても浦和の住宅地・別荘地の期待や住宅不足に対応するため実際に宅地としての開発が本格化していた。
 
 
 
そんな矢先の[[1923年]](大正12年)関東大震災が発生し、浦和は東京や横浜から移住する人で一気に3000人以上の人口増加が起こった。当時の人口は1万2000人程度だったので、25%の増加率であった。とくに前述の鹿島台エリアである[[別所沼]]周辺には、富裕層や官僚以外にも画家の移住や画家のアトリエが目立ったため、同じような理由で移住が増えた[[鎌倉市|鎌倉]]の[[鎌倉文士]]という言葉と対になる[[浦和画家]]という言葉が生まれた。昭和初期には40人以上の画家が集住し、「さながら絵描き村である」と報道された<ref>[[東京日日新聞]] 昭和6年8月18日付</ref>。その後も現在に至るまで都心から近い閑静な好立地も一因として住宅地の人気を保ち続けている。
 
 
 
浦和区の世帯所得は年収1000万円以上が20パーセント<ref>2013年(平成25年)住宅・土地統計調査による。分母からは収入階層不明の世帯を除く。</ref>を超えるなど、[[高級住宅街|高級住宅地]]が多い[[世田谷区]]や[[渋谷区]]よりも比率が高く、首都圏でも最高水準を記録している。これは購買力の高い官僚、医師、社長などが多く居住することも大きな理由となっている。公立高校では全国最多の[[東京大学]]合格者を出す年度もあった[[埼玉県立浦和高等学校]]が所在するなど、大卒者の多さも所得に影響している。
 
高級住宅地として称される地域としては[[岸町 (さいたま市)|岸町]]、[[常盤 (さいたま市)|常盤]]、[[高砂 (さいたま市)|高砂]]、[[仲町 (さいたま市浦和区)|仲町]]、などとその周辺があげられる。
 
 
 
== 歴史 ==
 
; [[江戸時代]]まで
 
* [[縄文時代]] - 大宮台地の縁まで[[東京湾#歴史|奥東京湾]]が入り込み、白幡貝塚や大谷場貝塚などが形成された。
 
* 神代([[開化天皇]]) - [[延喜式神名帳|式内社]]である[[調神社]]が創建されたと伝えられる。
 
* [[7世紀]] - [[大久保古墳群]]、[[土合古墳群]]が築かれる。
 
* [[奈良時代]] - [[本太]]に[[律令制]]の政庁がおかれる。址には[[氷川神社 (さいたま市浦和区)|氷川神社]]が建立している。
 
* [[平安時代]] - [[空海]]によって[[玉蔵院 (さいたま市)|玉蔵院]]が創建される。
 
* [[1337年]](延元2年/建武4年) - [[足利尊氏]]の命で調神社が復興。
 
* [[1351年]](観応2年) - 現在の羽根倉橋付近で[[観応の擾乱]]の羽根倉合戦が起こる。
 
* [[1600年]] - この頃[[中山道]]が整備される。
 
* [[1633年]](寛永10年) - 鷹場として浦和御殿が置かれ、以後'''[[浦和宿]]'''として発達する。
 
* [[1697年]](元禄10年) - [[大門宿]]が[[日光御成街道]]の宿駅となる。
 
* [[1728年]](享保13年) - [[見沼代用水]]が完成する。
 
* [[1731年]](享保16年) - 日本で最初の[[閘門]]式[[運河]]として[[見沼通船堀]]が開通する。
 
 
 
; [[明治]]から第二次大戦まで
 
* [[1869年]](明治2年)[[1月13日]] - [[武蔵国]]のうち浦和宿の属する足立郡などは大宮県(県庁は[[東京府]][[馬喰町]]に設置)となる。
 
* 1869年(明治2年)[[9月29日]] - 浦和宿に本格的な[[埼玉県庁|県庁]]が設置され、県名が'''[[浦和県]]'''に変更される。
 
* [[1871年]](明治4年)3月1日 - 市内最古の学校として[[さいたま市立高砂小学校|浦和郷学校]]が玉蔵院に開校。
 
* 1871年(明治4年)[[11月14日]] - 浦和県が[[忍県]]、[[岩槻県]]と合併し、[[埼玉県]]となる。県庁は当初岩槻に置かれる予定だったが、暫定的に浦和宿に置かれる。
 
* [[1872年]](明治5年)8月 - [[さいたま地方裁判所|埼玉裁判所]]が開設。
 
* [[1873年]](明治6年) - 旧本陣内に改正局([[埼玉県師範学校]]の前身)が開設。
 
* [[1874年]](明治7年)[[12月12日]] - 調神社境内に浦和公園偕楽園を開園(のちの調公園)。
 
* 1874年(明治7年)[[12月28日]] - [[岸町 (さいたま市)|岸村]]を浦和宿に合併。
 
* [[1876年]](明治9年)[[8月21日]] - 埼玉県が[[入間県]]と合併、新たに埼玉県となる。[[12月1日]]には旧浦和県庁舎を[[埼玉県庁舎]]とすることとなった。
 
* 1876年(明治9年)1月 - 医学校を岸町に開校。
 
* [[1878年]](明治11年)8月 - [[明治天皇]]が[[鳳翔閣]]を行在所として宿泊。また、[[浦和警察署]]が開設。
 
* [[1879年]](明治12年)3月 - [[北足立郡]]・[[新座郡]]役所が仲町に設置される。
 
* [[1883年]](明治16年)[[7月28日]] - [[日本鉄道]][[上野駅|上野]]~[[熊谷駅|熊谷]]間が開通。'''[[浦和駅]]'''が開設される。
 
* [[1888年]](明治21年)3月 - 浦和の大火。警察署・裁判所など浦和宿の半分が焼失。
 
* [[1889年]](明治22年)[[4月1日]] - 町村制施行に伴い浦和宿が[[北足立郡]]'''浦和町'''となる。同時に後の浦和市域となる地区において木崎、谷田、三室、尾間木、六辻、土合、大久保、美谷本、大門、野田の各村も誕生。
 
* [[1904年]](明治37年)7月 - 初めて電灯が灯る。
 
* [[1912年]](大正元年)11月1日 - [[与野駅]]開業。
 
* [[1914年]](大正3年)1月 - 浦和簡易図書館が開館。
 
* [[1918年]](大正7年)11月 - [[武州銀行]]が発足。
 
* [[1921年]](大正10年)8月 - 浦和から大門・[[志木市|志木]]への乗合バスが運行。
 
* 1921年(大正10年)10月 - [[浦和高等学校 (旧制)|旧制浦和高校]]が開校。
 
* [[1922年]](大正11年)10月1日 - 埼玉県教育会立埼玉図書館(のちの[[埼玉県立浦和図書館]])が開館。
 
* [[1923年]](昭和12年)9月1日 - [[関東大震災]]発生。倒壊建物は出たが、被害は軽微。浦和町の死者は3人<ref>浦和市史通史編Ⅲ</ref>。以後[[浦和画家]]などの移住が加速。
 
* [[1928年]](昭和3年)12月 - [[武州鉄道]][[武州大門駅]]-[[岩槻駅]]間が開業。
 
* [[1932年]](昭和7年) 4月1日- [[木崎村 (埼玉県)|木崎村]](北袋のみ[[大宮町 (埼玉県)|大宮町]]に編入)・[[谷田村]]が浦和町に編入される。
 
* [[1932年]](昭和7年)[[9月1日]] - [[東北本線]]の[[電車線・列車線|電化]][[赤羽駅|赤羽]]~[[大宮駅 (埼玉県)|大宮]]間が完成。現在の[[京浜東北線]]。
 
* [[1933年]](昭和8年) - 新国道(国道17号)志村-大宮間が開通。
 
* [[1934年]](昭和9年) [[2月11日]] - 市制施行により'''浦和市'''となる(県内では[[川越市]]、[[熊谷市]]、[[川口市]]に次ぐ4番目、全[[都道府県庁所在地]]で最も遅い市制施行)。
 
* [[1936年]](昭和11年)9月 - [[北浦和駅]]開業。
 
* [[1938年]](昭和13年)[[7月1日]] - 六辻村が町制施行、[[六辻町]]となる。
 
* [[1940年]](昭和15年)1月 - 浦和-所沢間に直通バスが運行。
 
* 1940年(昭和15年)[[4月17日]] - [[尾間木村]]・[[三室村]]が浦和市に編入される。
 
* [[1941年]](昭和16年) - [[浦和連隊区]]が置かれる。
 
* [[1942年]](昭和17年)4月1日 - [[六辻町]]が浦和市に編入される。
 
* [[1943年]](昭和18年)4月1日 - [[美谷本村]]が[[笹目村]]と合併、[[美笹村]]となる。
 
* 1943年(昭和18年)7月 - [[埼玉銀行]](現・[[埼玉りそな銀行]])が本店を置く。
 
* [[1945年]](昭和20年)
 
** 4月~5月 - 県庁周辺と旧制浦高周辺で2回空襲があり、計17人の死者、740人の罹災者を出した(事前に空襲ビラがまかれた)。
 
** 6月 - [[第36軍 (日本軍)|第36軍]]が拠点を置く。
 
 
 
; 戦後
 
* [[1946年]](昭和21年)3月 - [[埼玉会館]]別館に[[進駐軍]]である埼玉軍政部が置かれる。
 
* [[1949年]](昭和24年)5月 - 旧制浦和高校、埼玉師範学校、埼玉青年師範学校を統合し[[埼玉大学]]が発足(現市役所と現北浦和公園の2キャンパス)。
 
* [[1955年]](昭和30年)[[1月1日]] - [[土合村]]・[[大久保村 (埼玉県)|大久保村]]が浦和市に編入される。
 
* [[1956年]](昭和31年)4月1日 - [[大門村 (埼玉県)|大門村]]・[[野田村 (埼玉県)|野田村]]と[[戸塚村]]が合併し、[[美園村]]となる。
 
* [[1957年]](昭和32年)7月1日 - 美笹村が[[戸田市|戸田町]]に編入される。
 
* [[1959年]](昭和34年)4月1日 - 戸田町のうち旧美谷本村北部、即ち松本新田・曲本・内谷および堤外の一部が分離され、浦和市に編入される。
 
* [[1961年]](昭和36年)7月 - [[南浦和駅]]開設。
 
* [[1962年]](昭和37年)[[5月1日]] - [[美園村]]のうち、差間・[[行衛]]を除く旧大門村・旧野田村の区域が浦和市に編入される(残りは[[川口市]]に編入)。
 
* [[1964年]](昭和39年) - 2つのキャンパスに分かれていた埼玉大学を[[下大久保]]に移転([[1969年]]までに)。
 
* [[1973年]](昭和48年)4月 - [[武蔵野線]]開通、[[東浦和駅]]・[[西浦和駅]]開業。
 
* [[1976年]](昭和51年) - [[さいたま市役所|浦和市役所]]が現在地に完全移転。
 
* [[1980年]](昭和55年)[[3月26日]] - [[東北自動車道]][[浦和インターチェンジ|浦和IC]]~[[岩槻インターチェンジ|岩槻IC]]間が開通。
 
* [[1981年]](昭和56年)4月 - 市内最初の再開発である浦和駅西口駅前の[[浦和コルソ]]・[[伊勢丹浦和店]]が開業。
 
* [[1985年]](昭和60年)8月 - [[さいたま市文化センター|浦和市文化センター]]がオープン。
 
* 1985年(昭和60年)9月 - [[埼京線]]開通、[[武蔵浦和駅]]、[[中浦和駅]]開業。
 
* [[1988年]](昭和63年)5月 - [[さいたま市青少年宇宙科学館|浦和市青少年宇宙科学館]]開館。
 
* [[1992年]](平成4年) - サッカー[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]の[[浦和レッドダイヤモンズ]]のホームタウンとなる。
 
* [[1995年]](平成7年)[[10月1日]] - 第16回[[国勢調査 (日本)|国勢調査]]。この時点で浦和市の人口は[[川口市]]を抜き、埼玉県内で第1位となる。
 
* [[2001年]](平成13年)
 
** 3月28日 - [[埼玉高速鉄道]]開通。[[浦和美園駅]]開業。
 
** [[5月1日]] - [[大宮市]]・[[与野市]]と合併し、'''[[さいたま市]]'''の一部となる。
 
** 10月13日 - [[埼玉スタジアム2002]]こけら落とし。
 
** 11月20日 - [[みそのウイングシティ]]の整備が着工。
 
* [[2002年]](平成14年)[[6月]] - [[2002 FIFAワールドカップ|サッカーワールドカップ]]の開催地となる。
 
* [[2003年]](平成15年)4月1日 -さいたま市の[[政令指定都市]]移行に伴い区制が施行。旧浦和市の区域は大原6・7丁目([[大宮区]])、上木崎1丁目8番地30号および35号([[中央区 (さいたま市)|中央区]]、現・中央区新都心3番地1号)を除き'''[[桜区]]'''、'''[[浦和区]]'''、'''[[南区 (さいたま市)|南区]]'''、'''[[緑区 (さいたま市)|緑区]]'''となる。
 
* [[2004年]](平成16年) - 旧浦和市域の[[人口]]が'''50万人を突破'''。
 
* [[2015年]](平成27年) - 旧浦和市域の人口が'''55万人を突破'''。
 
 
 
== 人口 ==
 
消滅時、県内で最も人口を有していた。2018年現在の旧市域の人口は約56.5万人であり、[[川口市]]の人口60万人に次いで多い(ただし川口市は2011年に[[鳩ケ谷市]]を編入している)。
 
* [[1934年]](昭和9年)2月11日 - 4万3078人<ref>わがまち浦和</ref>(市制施行日)
 
* [[1935年]](昭和10年)10月1日 - 4万4328人(大宮町を抜き県内2位に。)
 
* [[1940年]](昭和15年)10月1日 - 5万9671人
 
* [[1945年]](昭和20年) - 9万3696人
 
* [[1947年]](昭和22年)10月1日 - 10万6176人
 
* [[1950年]](昭和25年)10月1日 - 11万5019人
 
* [[1955年]](昭和30年)10月1日 - 14万3044人
 
* [[1950年]](昭和35年)10月1日 - 16万8757人
 
* [[1965年]](昭和40年)10月1日 - 22万1337人
 
* [[1970年]](昭和45年)10月1日 - 26万9397人
 
* [[1975年]](昭和50年)10月1日 - 33万1145人
 
* [[1980年]](昭和55年)10月1日 - 35万8185人
 
* [[1985年]](昭和60年)10月1日 - 37万7235人
 
* [[1990年]](平成2年)10月1日 - 41万8271(1988年9月に40万人突破)
 
* [[1995年]](平成7年)10月1日 - 45万3300人(川口市を抜き県内1位の人口に)
 
* [[2000年]](平成12年)10月1日 - 48万4845人(その後2004年に50万人、2015年に55万人突破)
 
 
 
[[住民基本台帳]]人口による合併後の旧浦和市域の人口変動。すべて4月1日現在。(台帳法改正前の2012年以前は台帳人口+外国人登録人口の数値)<ref>http://www.city.saitama.jp/006/013/005/001/jikeiretsu.html さいたま市の人口・世帯(時系列結果)</ref>。
 
{|style="font-size:smaller"
 
|-
 
|colspan="2" style="text-align:center;"|
 
{|class="wikitable" style="margin:auto"
 
{{人口統計/fluctuation/item|2005|503766|525334}}
 
{{人口統計/fluctuation/item|2010|528145|525334}}
 
{{人口統計/fluctuation/item|2015|546903|525334}}
 
|}
 
|-
 
|colspan="2" style="text-align:right"|
 
|}
 
 
 
== 行政 ==
 
; 歴代首長
 
{| class="wikitable"
 
|-
 
!代(浦和町長)!!氏名!!就任年月日!!退任年月日!!期・備考
 
|-
 
|初||[[星野平兵衛]]||1889年5月8日||1899年6月7日
 
|-
 
|2||[[大島寛爾]]||1899年6月10日||1901年5月8日
 
|-
 
|3||平野勝明||1901年6月26日||1903年2月13日
 
|-
 
|4||土肥政芳||1904年2月28日||1906年4月26日
 
|-
 
|5||平野勝明||1906年5月1日||1914年5月4日
 
|-
 
|6||大島寛爾||1914年5月7日||1921年12月17日
 
|-
 
|7||小谷野伝蔵||1921年2月6日||1923年8月20日
 
|-
 
|8||石内保太郎||1923年12月27日||1926年7月3日
 
|-
 
|9||大島寛爾||1926年7月22日||1928年4月5日
 
|-
 
|10||田中栄三郎||1928年5月17日||1929年3月22日
 
|-
 
|11||松沢藤助||1929年4月1日||1930年12月16日
 
|-
 
|12||高橋泰雄||1931年3月28日||1934年2月10日
 
|-
 
!代(浦和市長)!!氏名!!就任年月日!!退任年月日!!期・備考
 
|-
 
| ||[[中村元治]]||[[1934年]][[2月11日]]||1934年[[4月11日]]||市長職務管掌者<br />埼玉県地方課長として埼玉県より派遣
 
|-
 
|初||[[高橋泰雄]]||1934年4月11日||[[1936年]][[1月19日]]||1期<br />1931年3月28日-1934年2月10日まで浦和町長として1期在任(通算2期)
 
|-
 
|2||[[小谷野伝蔵]]||1936年[[3月27日]]||[[1938年]][[8月1日]]||1期<br />1921年2月6日-1923年8月20日まで浦和町長として1期在任(通算2期)
 
|-
 
|3||[[相川宗次郎]]||1938年[[9月28日]]||[[1942年]][[9月27日]]||1期
 
|-
 
|4||[[安井大吉]]||1942年9月28日||[[1944年]][[10月25日]]||1期
 
|-
 
|5||高橋泰雄||1944年[[11月8日]]||[[1946年]][[3月11日]]||1期(通算3期目)
 
|-
 
|6||[[阿佐見新作]]||1946年[[4月5日]]||[[1947年]][[3月7日]]||1期
 
|-
 
|7||[[松井計郎]]||1947年4月5日||[[1951年]][[4月4日]]||1期・当代以降は公選制により選出
 
|-
 
|8||rowspan="2"|[[川久保義典]]||1951年[[4月23日]]||[[1955年]][[5月1日]]||1期
 
|-
 
|9||1955年[[5月2日]]||[[1959年]]5月1日||2期
 
|-
 
|10||rowspan="2"|[[本田直一]]||1959年5月2日||[[1963年]]5月1日||1期
 
|-
 
|11||1963年5月2日||[[1967年]]5月1日||2期
 
|-
 
|12||rowspan="2"|[[相川曹司]]||1967年5月2日||[[1971年]]5月1日||1期、相川宗次郎の長男
 
|-
 
|13||1971年5月2日||[[1975年]]5月1日||2期
 
|-
 
|14||rowspan="4"|[[中川健吉]]||1975年5月2日||[[1979年]]5月1日||1期
 
|-
 
|15||1979年5月2日||[[1983年]]5月1日||2期
 
|-
 
|16||1983年5月2日||[[1987年]]5月1日||3期
 
|-
 
|17||1987年5月2日||[[1991年]]5月1日||4期
 
|-
 
|18||rowspan="3"|[[相川宗一]]||1991年5月2日||[[1995年]]5月1日||1期、相川曹司の長男
 
|-
 
|19||1995年5月2日||[[1999年]]5月1日||2期
 
|-
 
|20||1999年5月2日||[[2001年]][[4月30日]]||3期、合併によるさいたま市の設置に伴い失職<br />2001年5月27日-2009年5月26日までさいたま市長として2期在任(通算5期)
 
|-
 
|}
 
 
 
== 産業 ==
 
=== 商業 ===
 
「[[さいたま市]]」の項を参照。
 
 
 
== 姉妹都市・提携都市 ==
 
=== 海外 ===
 
* [[Image:Flag of Mexico.svg|22x20px]] [[トルーカ|トルーカ市]]([[メキシコ|メキシコ合衆国]])
 
:: [[1979年]][[10月2日]]、姉妹都市提携
 
* {{Flagicon|China}} [[鄭州市]]([[中華人民共和国]])
 
:: [[1981年]][[10月12日]]、友好都市提携
 
* [[Image:Flag of New Zealand.svg|22x20px]] [[ハミルトン (ニュージーランド)|ハミルトン市]]([[ニュージーランド]])
 
:: [[1984年]][[5月14日]]、姉妹都市提携
 
* {{Flagicon|USA}} [[リッチモンド (バージニア州)|リッチモンド市]]([[アメリカ合衆国]])
 
:: [[1994年]][[6月16日]]、姉妹都市提携
 
=== 国内 ===
 
* [[福島県]][[南会津郡]][[南郷村 (福島県)|南郷村]](現:[[南会津町]]の一部)
 
** [[1975年]][[11月4日]]、姉妹都市提携
 
 
 
これらの関係はすべてさいたま市に引き継がれている。
 
 
 
== 交通 ==
 
* [[浦和区]]・[[南区 (さいたま市)|南区]]・[[緑区 (さいたま市)|緑区]]・[[桜区]]の項目を参照。
 
 
 
== 主な学校 ==
 
* [[浦和区]]、[[桜区]]、[[南区 (さいたま市)|南区]]、[[緑区 (さいたま市)|緑区]]を参照。
 
 
 
== 食文化 ==
 
;うなぎ
 
[[浜松市|浜松]]や[[三島市|三島]]などと列んで、[[ウナギ]]の[[蒲焼]]が名物となっている。又、創業100年を超える蒲焼の老鋪も多い。
 
合併後の[[2008年]]には[[やなせたかし]]によるキャラクター[[浦和うなこちゃん]]が誕生した。また[[浦和うなぎまつり]]が[[さいたま市役所]]で行われている。
 
;ケーキ
 
* 総務庁統計局家計調査年報<1998年〜2000年(平成10年〜12年)の平均によると、旧浦和市の1世帯当たりの年間ケーキ購入額が全国で1位となったため、埼玉中央青年会議所(埼玉中央JC)が「ケーキのまち・さいたま」を宣言し、ケーキで街おこしをしようと毎年ケーキにちなんだイベントを開催している。
 
;パスタ
 
* 旧浦和市での消費量が全国で1位である<ref>[http://www.city.saitama.jp/006/014/008/003/003/012/p040960_d/fil/Azzurri_classic.pdf]</ref>。
 
 
 
== スポーツ ==
 
[[さいたま市#スポーツ]]を参照。
 
 
 
サッカーでは[[J1リーグ]][[浦和レッドダイヤモンズ]]が本拠地を置く。浦和市時代にホームスタジアムである[[埼玉スタジアム2002]]の建設が始まり、さいたま市成立後に完成した。それ以前にホームスタジアムであった[[浦和駒場スタジアム]]は[[浦和レッドダイヤモンズ・レディース|浦和レッズ・レディース]]のホームスタジアムとなっている。
 
 
 
プロ野球では[[千葉ロッテマリーンズ (ファーム)|千葉ロッテマリーンズ二軍]]が[[ロッテ浦和球場]]に本拠地を置き、社会人野球では強豪の[[日本通運硬式野球部]]が駒場に本拠地を置く。また、[[全浦和野球団]]は[[さいたま市営浦和球場]]を本拠地としている。
 
 
 
また、[[全国高等学校サッカー選手権大会|高校サッカー]]では[[埼玉県立浦和高等学校|浦和高校]]・[[埼玉県立浦和西高等学校|浦和西高校]]・[[さいたま市立浦和中学校・高等学校|浦和市立高校]]・[[さいたま市立浦和南高等学校|浦和南高校]]が全国制覇を果たし、[[日本の高校野球|高校野球]]では[[浦和学院高等学校]]が、さいたま市成立後の[[2013年]]に全国制覇を果たしている。
 
 
 
== 浦和市を舞台とした作品 ==
 
浦和市が舞台、若しくは浦和市がモデルとして登場する作品は、以下の通りである。
 
* [[赤き血のイレブン]]([[梶原一騎]])
 
* [[行け!稲中卓球部]]([[古谷実]]。作中では「稲豊市」)
 
* [[キャプテン翼]]([[高橋陽一]]。中学生編の舞台のひとつとして[[さいたま市駒場スタジアム|浦和市駒場競技場]]が登場する)
 
* [[エースをねらえ!]]([[山本鈴美香]]。作品の舞台の西高は[[埼玉県立浦和西高等学校]]がモデルであり作者は同校のOGである。また、作中に登場する大原学園のモデルは西高の近所にあるさいたま市立大原中学校の名前から来ている)
 
* [[おおきく振りかぶって]]([[ひぐちアサ]])作品の舞台の西浦高は[[埼玉県立浦和西高等学校]]がモデルであり作者は同校のOGである。
 
* [[あゝ玉杯に花うけて]]([[佐藤紅緑]])旧制中学時代の[[埼玉県立浦和高等学校]]がモデル。
 
 
 
== 出身著名人 ==
 
{{See also|さいたま市出身の人物一覧#旧浦和市域の出身著名人}}
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[浦和宿]]
 
* [[浦和地区]]
 
* [[浦和区]]
 
* [[浦和飛行場]]
 
* [[埼玉県の廃止市町村一覧]]
 
 
 
{{Japan-area-stub}}
 
{{浦和}}
 
 
 
{{DEFAULTSORT:うらわし}}
 
[[Category:さいたま市域の廃止市町村]]
 
[[Category:浦和市|*]]
 
[[Category:2001年に廃止された国家・領域]]
 

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