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{{脚注の不足|date=2015年11月}}
 
[[ファイル:Hasu1.jpg|thumb|right|140px|白い蓮の花。蓮は、泥の中に生まれても、泥に染まらず、清浄な花を咲かせる{{Efn|法華経の 現代の解説書にはしばしば、このような写真とこのような主旨の解説が添えられている。}}。]]
 
『'''法華経'''』(ほけきょう、ほっけきょう)は、[[大乗仏教]]の代表的な[[経典]]。大乗仏教の初期に成立した経典であり、誰もが平等に[[成仏]]できるという[[仏教]]思想の原点が説かれている<ref name="hokekyo">NHK [[100分de名著]] 法華経[新]第1回「全てのいのちは平等である」2018年4月2日放送</ref>。[[聖徳太子]]の時代に仏教とともに[[日本]]に伝来した<ref name="hokekyo2">[[聖徳太子]]によって著されたとされる法華経の注釈書「法華経義疏」は、[[三経義疏]]の1つである。</ref>。
 
  
== 名称 ==
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『'''法華経'''』(ほけきょう、ほっけきょう)
『'''サッダルマ・プンダリーカ・スートラ'''』({{lang-sa-short|&#x0938;&#x0926;&#x094d;&#x0927;&#x0930;&#x094d;&#x092e;&#x092a;&#x0941;&#x0923;&#x094d;&#x0921;&#x0930;&#x0940;&#x0915; &#x0938;&#x0942;&#x0924;&#x094d;&#x0930;, Saddharma Puṇḍarīka Sūtra}}「正しい教えである白い[[ハス|蓮の花]]の経典」の意{{Efn|原題については記事のように説明されてきたが、「プンダリーカ」が複合語の後半にきて、前半の語を譬喩的に修飾する(持業釈)というサンスクリット文法に照らしても、欧米語の訳し方からしても「白蓮のように最も優れた正しい教え」と訳すべきで、白蓮華が象徴する「最も勝れた」と「正しい」という意味を「妙」にこめて鳩摩羅什が「妙法蓮華」と漢訳したということが[[植木雅俊]]によって詳細に論じられている。{{refnest|『Saddharmapundarika の意味』[[日本印度学仏教学会]] [https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/49/1/49_1_431/_pdf 印度學佛教學研究 第49巻第1号 2000年12月]}}<ref>植木雅俊 『仏教、本当の教え』 中央公論新社〈中公新書〉、2011年、82-97頁。</ref> }})の[[漢訳]]での総称であり、[[梵語]]([[サンスクリット]])原題の意味は、「サッ」(sad)が「正しい」「不思議な」「優れた」、「ダルマ」(dharma)が「[[法 (仏教)|法]]」、「プンダリーカ」(puṇḍarīka)が「清浄な白い蓮華」、「スートラ」(sūtra)が「たて糸:経」であるが、漢訳に当たってこのうちの「白」だけが省略されて、例えば[[鳩摩羅什]]訳では『妙法蓮華経』となった。さらに「妙」、「蓮」が省略された表記が、『法華経』である。「法華経」が「妙法蓮華経」の略称として用いられる場合が多い。{{Efn|経の字をはずすと「'''[[法華]]'''」になるが、これは一般に「'''ほっけ'''」と発音する。}}
 
  
漢訳は、部分訳・異本を含めて16種が現在まで伝わっているが、完訳で残存するのは
+
[[大乗仏教]]の重要な経典の一つ。正しくは『妙法蓮華経』 Saddharmapuṇḍarīka-sūtra。成立年代不詳。数種のサンスクリット原典が現存。漢訳では鳩摩羅什のものが最も有名。ほかに竺法護訳『正法華経』,闍那崛多,達磨笈多共訳『添品妙法蓮華経』がある。またチベット訳,ウイグル語訳,西夏語訳,モンゴル語訳,満州語訳,朝鮮諺文訳などがあり,この経典が非常に広い地域にわたって読誦されたことがわかる。日本仏教史上においてもきわめて重要視され,この経典を根幹として天台宗,日蓮宗が開かれた。
*『'''正法華経'''』10巻26品([[竺法護]]訳、286年、[[大正蔵]]263)
 
*『'''妙法蓮華経'''』8巻28品([[鳩摩羅什]]訳、400年、大正蔵262)<ref>[http://zh.wikisource.org/wiki/%E5%A6%99%E6%B3%95%E8%93%AE%E8%8F%AF%E7%B6%93 中文维基文库『妙法蓮華経』]</ref>
 
*『'''添品妙法蓮華経'''』7巻27品(闍那崛多・達磨笈多共訳、601年、大正蔵264)
 
の3種で、漢訳三本と称されている。漢訳仏典圏では、鳩摩羅什訳の『妙法蓮華経』が、「最も優れた翻訳」{{Efn|優れたといっても、サンスクリット語原本に忠実な訳というわけではなく、漢文として読みやすいという方がより正確であろう。方便品末尾の十如是など、鳩摩羅什の創意により原本にない文章が付け加えられた所もある。岩本・坂本1976}}として流行し、[[天台宗|天台]]教学や多くの宗派の信仰上の所依として広く用いられている。
 
  
== 内容 ==
+
{{テンプレート:20180815sk}}
=== 概説 ===
 
鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』は28品の章節で構成されている。{{Efn|この28品が法華経成立当初から全て揃っていたかどうかは後述の成立年代についての議論の通り、疑問だが、少なくとも智顗の説は28品全てがはじめから揃っていたことを前提として展開されている。岩本・坂本1976}}現在、日本で広く用いられている[[智ギ|智顗]](天台大師)の教説によると、前半14品を''迹門''(しゃくもん)、後半14品を''本門''(ほんもん)と分科する。迹門とは、[[出世]]した仏が衆生を化導するために本地より迹(あと)を垂れたとする部分であり、本門とは釈尊が菩提樹下ではなく[[五百塵点劫]]という久遠の昔にすでに仏と成っていたという本地を明かした部分である。迹門を水中に映る月とし、本門を天に浮かぶ月に譬えている。後世の''[[天台宗]]''や''[[法華宗一致派]]''は両門を対等に重んじ、''[[法華宗勝劣派]]''は法華経の本門を特別に重んじ、本門を勝、迹門を劣とするなど相違はあるが、この教説を依用する宗派は多い。
 
 
 
また、[[三分]](さんぶん)の観点から法華経を分類すると、大きく分けて(一経三段)、序品を序分、方便品から分別品の前半までを正宗分、分別品から勧発品までを流通分と分科する。また細かく分けると(二経六段)、前半の迹・本の二門にもそれぞれ序・正宗・流通の三分があるとする。
 
 
 
==== 迹門 ====
 
前半部を'''迹門(しゃくもん)'''と呼び、[[般若経]]で説かれる'''[[大乗仏教|大乗]]'''を主題に、'''二乗作仏'''([[二乗]]も[[成仏]]が可能であるということ)を説くが、二乗は衆生から供養を受ける生活に余裕のある立場であり、また裕福な菩薩が諸々の眷属を連れて仏の前の参詣する様子も経典に説かれており、説法を受けるそれぞれの立場が、仏を中心とした法華経そのものを荘厳に飾り立てる役割を担っている。
 
 
 
さらに[[提婆達多]]の未来成仏(悪人成仏)等、“一切の衆生が、いつかは必ず「[[仏陀|仏]]」に成り得る”という平等主義の教えを当時の価値観なりに示し、経の正しさを証明する[[多宝如来]]が出現する宝塔出現、虚空会、二仏並座などの演出によってこれを強調している。
 
また、見宝塔品には仏滅後に法華経を弘める事が大難事(六難九易)であること、勧持品には滅後[[末法]]に法華経を弘める者が迫害をされる姿が克明に説かれる等、仏滅後の法華経修行者の難事が説かれる。
 
 
 
==== 本門 ====
 
後半部を'''本門(ほんもん)'''と呼び、'''久遠実成'''(くおんじつじょう。[[釈迦牟尼仏]]は今生で初めて悟りを得たのではなく、実は[[久遠]]の[[五百塵点劫]]の過去世において既に成仏していた存在である、という主張)の宣言が中心テーマとなる。これは、後に[[本仏]]論問題を惹起する。
 
 
 
本門ではすなわちここに至って仏とはもはや歴史上の釈迦一個人のことではない。ひとたび法華経に縁を結んだひとつの命は流転苦難を経ながらも、やがて信の道に入り、自己の無限の可能性を開いてゆく。その生のありかたそのものを指して仏であると説く。したがってその寿命は、見かけの生死を超えた、無限の未来へと続いていく久遠のものとして理解される。そしてこの世(娑婆世界)は久遠の寿命を持つ仏が常住して永遠に衆生を救済へと導き続けている場所である。それにより“一切の衆生が、いつかは必ず仏に成り得る”という教えも、単なる理屈や理想ではなく、確かな保証を伴った事実であると説く。そして仏とは久遠の寿命を持つ存在である、というこの奥義を聞いた者は、一念信解・初随喜するだけでも大功徳を得ると説かれる。
 
 
 
説法の対象は、[[菩薩]]をはじめとするあらゆる境涯に渡る。また、[[末法]]愚人を導く[[法 (仏教)|法]]として'''上行菩薩'''を初めとする[[地涌の菩薩]]たちに対する末法弘教の付嘱、観世音菩薩等のはたらきによる法華経信仰者への守護と莫大な現世利益などを説く。
 
 
 
=== 妙法蓮華経二十八品一覧 ===
 
*前半14品(迹門)
 
**第1:序品(じょほん)
 
**第2:[[方便]]品(ほうべんぼん)
 
**第3:譬喩品(ひゆほん)
 
**第4:信解品(しんげほん)
 
**第5:薬草喩品(やくそうゆほん)
 
**第6:授記品(じゅきほん)
 
**第7:化城喩品(けじょうゆほん)
 
**第8:五百弟子受記品(ごひゃくでしじゅきほん)
 
**第9:授学無学人記品(じゅがくむがくにんきほん)
 
**第10:法師品(ほっしほん)
 
**第11:見宝塔品(けんほうとうほん)
 
**第12:提婆達多品(だいばだったほん)
 
**第13:勧持品(かんじほん)
 
**第14:安楽行品(あんらくぎょうほん)
 
 
 
*後半14品(本門)
 
**第15:従地湧出品(じゅうじゆじゅつほん)
 
**第16:如来寿量品(にょらいじゅうりょうほん)
 
**第17:分別功徳品(ふんべつくどくほん)
 
**第18:随喜功徳品(ずいきくどくほん)
 
**第19:法師功徳品(ほっしくどくほん)
 
**第20:[[常不軽菩薩]]品(じょうふきょうぼさつほん)
 
**第21:如来神力品(にょらいじんりきほん)
 
**第22:嘱累品(ぞくるいほん)
 
**第23:薬王菩薩本事品(やくおうぼさつほんじほん)
 
**第24:妙音菩薩品(みょうおんぼさつほん)
 
**第25:観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんほん)(観音経){{Efn|観世音菩薩の救済を説いた章だが、法華経との関連性は薄い。元々は別の経典だったとする説が根強い。詳細は[[観音菩薩]]の項目参照。}}
 
**第26:陀羅尼品(だらにほん)
 
**第27:妙荘厳王本事品(みょうしょうごんのうほんじほん)
 
**第28:[[普賢菩薩]]勧発品(ふげんぼさつかんぼつほん)
 
 
 
==== その他の追加部分 ====
 
:*第29:廣量天地品(こうりょうてんちぼん)<ref>[http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat3.php?s=&mode=detail&useid=2872_,85 妙法蓮華經廣量天地品第二十九 (No. 2872 ) in Vol. 85]</ref>
 
:*第30:馬明菩薩品(めみょうぼさつぼん)<ref>[http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat3.php?s=&mode=detail&useid=2899_,85 妙法蓮華經馬明菩薩品第三十 (No. 2899 ) in Vol. 85]</ref>
 
28品のほか、以上の追加部分も成立しているが、[[偽経]]扱いとなり普及しなかった。「度量天地品第二十九」は冒頭部分のみを除いて失われている。『妙法蓮華経』28品と同じくネット上でも[[大正新脩大蔵経]]データベースで閲覧できる。
 
 
 
=== 法華七喩(ほっけしちゆ) ===
 
法華経では、7つのたとえ話として物語が説かれている。これは釈迦仏がたとえ話を用いてわかりやすく衆生を教化した様子に則しており、法華経の各品でもこの様式を用いてわかりやすく教えを説いたものである。これを法華七喩、あるいは七譬(しちひ)ともいう。
 
 
 
#三車火宅(さんしゃかたく、譬喩品)
 
#長者窮子(ちょうじゃぐうじ、信解品)
 
#三草二木(さんそうにもく、薬草喩品)
 
#化城宝処(けじょうほうしょ、化城喩品)
 
#衣裏繋珠(えりけいしゅ、五百弟子受記品)
 
#髻中明珠(けいちゅうみょうしゅ、安楽行品)
 
#良医病子(ろういびょうし、如来寿量品)
 
{{Main2|詳細は[[法華七喩]]の項目を}}
 
 
 
== 成立年代 ==
 
『法華経』の成立時期については諸説ある。
 
 
 
代表的な説として布施浩岳が『法華経成立史』(1934)で述べた説がある<ref name="tsjiw">『哲学 思想事典』岩波書店、1998年、pp.1485-1486 【法華経】</ref>。これは段階的成立説で、法華経全体としては3類、4記で段階的に成立した、とするものである。第一類(序品〜授学無学人記品および随喜功徳品の計10品)に含まれる韻文は[[紀元前1世紀]]ころに思想が形成され、紀元前後に文章化され、長行(じょうごう)と呼ばれる散文は紀元後1世紀に成立したとし、第二類(法師品〜如来神力品の計10品)は紀元100年ごろ、第三類(7品)は150年前後に成立した、とした<ref name="tsjiw" />。その後の多くの研究者たちは、この説に大きな影響を受けつつ、修正を加えて改良してきた<ref name="tsjiw" />。だが、近年になって苅谷定彦によって、「序品〜如来神力品が同時成立した」とする説<ref>苅谷定彦『法華経一仏乗の研究』1983</ref>が唱えられたり、「勝呂信静によって27品同時成立説<ref>『法華経の成立と思想』1993</ref>が唱えられたことによって、成立年代特定の問題は『振り出しにもどった』というのが現今の研究の状況だ」と管野博史は1998年刊行の事典において解説した<ref name="tsjiw" />。
 
 
 
[[中村元 (哲学者)|中村元]]は、(法華経に含まれる)《長者窮子の譬喩》に見られる、金融を行って利息を取っていた長者の臨終の様子から、「貨幣経済の非常に発達した時代でなければ、このような一人富豪であるに留まらず国王等を畏怖駆使せしめるような資本家はでてこないので、法華経が成立した年代の上限は西暦40年である」と推察した<ref>宮本正尊 編『大乗仏教の成立史的研究』(昭和29年) 附録第一「大乗経典の成立年代」</ref>。また、[[渡辺照宏]]も、「50年間流浪した後に20年間掃除夫だった男が実は長者の後継者であると宣言される様子から、古来インド社会は[[バラモン]]を中心とした強固なカースト制度があり、たとえ譬喩であってもこうしたケースは現実味が乏しく、もし考え得るとすればバラモン文化の影響が少ない社会環境でなければならない<ref>{{Cite book |和書 |author=渡辺照宏 |authorlink=渡辺照宏 |year=2002/6/12 |title=日本の仏教 |publisher=岩波書店  |page=188 |isbn=978-4004121510 |ref=渡辺}}</ref>」と述べた。
 
 
 
==流布==
 
=== ユーラシア大陸での法華経の流布 ===
 
この経は日本に伝わる前、[[ユーラシア大陸]]東部で広く流布した。先ず、[[インド]]に於いて広範に流布していたためか、[[サンスクリット]]本の編修が多い。羅什の訳では真言・印を省略する。添品法華経ではこれらを追加している。
 
 
 
また[[チベット語]]訳、[[ウイグル]]語訳、[[西夏]]語訳、[[モンゴル]]語訳、[[満洲語]]訳、[[朝鮮語]]([[諺文]])訳などがある。これらの翻訳の存在によって、この経典が広い地域にわたって読誦されていたことが理解できる。チベット仏教[[ゲルク派]]開祖[[ツォンカパ]]は主著『菩提道次第大論』で、滅罪する方便として法華経を読謡することを勧めている<ref>[http://ee.uuhp.com/~books/book.html チベット仏教書籍のご紹介]</ref>。
 
 
 
[[ネパール]]では九法宝典({{lang|sa|Navagrantha}})の一つとされている<ref>[http://ci.nii.ac.jp/naid/110006337539 CiNii 論文 - 金光明経の教学史的展開について]14頁</ref>。
 
 
 
中国[[天台宗]]では、『法華経』を最重要経典として採用した。中国[[浙江省]]に有る[[天台山国清寺]]の智顗(天台大師)は、鳩摩羅什の『妙法蓮華経』を所依の経典とした。
 
 
 
=== 日本での法華経の流布 ===
 
[[Image:Lotus Sutra written by Prince Shōtoku.jpg|right|thumb|100px|『法華義疏』]]
 
[[ファイル:Heikenoukyou.jpg|thumb|100px|『[[平家納経]]』観普賢経見返し 長寛2年([[1164年]])]]
 
[[日本]]では[[正倉院]]に法華経の断簡が存在し、日本人にとっても古くからなじみのあった[[経典]]であったことが伺える。
 
 
 
[[天台宗]]、[[日蓮宗]]系の宗派には、『法華経』に対し『無量義経』を開経、『観普賢菩薩行法経』を結経とする見方があり、「[[法華三部経]]」と呼ばれている。日本ではまた護国の経典とされ、『[[金光明経]]』『[[仁王経]]』と併せ「護国三部経」の一つとされた。
 
 
 
なお、鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』[[観世音菩薩]]普門品第二十五は『'''[[観音経]]'''』として多くの宗派に普及している。また日蓮宗では、方便品第二、如来寿量品第十六、如来神力品第二十一をまとめて'''日蓮宗三品経'''と呼ぶ。
 
 
 
[[606年]](推古14年)に[[聖徳太子]]が法華経を講じたとの記事が日本書紀にある。
 
: 「皇太子、亦法華経を岡本宮に講じたまふ。天皇、大きに喜びて、播磨国の水田百町を皇太子に施りたまふ。因りて斑鳩寺に納れたまふ。」(巻第22、推古天皇14年条)
 
 
 
[[615年]]には[[聖徳太子]]は法華経の注釈書『法華義疏』を著した (「[[三経義疏]]」参照)。
 
 
 
[[聖徳太子]]以来、法華経は仏教の重要な[[経典]]のひとつであると同時に、'''鎮護国家'''の観点から、特に日本国には縁の深い[[経典]]として一般に考えられてきた。
 
 
 
[[聖武天皇]]の皇后である'''[[光明皇后]]'''は、全国に「'''法華滅罪之寺'''(ほっけめつざいのてら)」を建て、これを「[[国分尼寺]]」と呼んで「法華経」を信奉した。
 
 
 
[[最澄]]によって日本に伝えられた[[天台宗]]は、[[明治維新]]までは[[皇室]]の厚い尊崇を受けた。また最澄は、自らの宗派を「'''天台法華宗'''」と名づけて「法華経」を至上の教えとした。
 
 
 
====鎌倉時代====
 
鎌倉新仏教においても法華経は重要な役割を果たした。
 
[[融通念仏|大念仏]]を唱え[[融通念仏宗]]の祖となる[[良忍]]は後の浄土系仏教の先駆として[[称名念仏]]を主張したが、[[華厳経]]と法華経を正依とし、[[浄土三部経]]を傍依とした。
 
一方で[[浄土宗]]の祖である[[法然]]や[[浄土真宗]]を開いた[[親鸞]]などは、比叡山で万人成仏を説く法華経を学んだのちに、持戒や難行を必要としない称名念仏を万人成仏の具体的な手段として見出し、専修念仏を説いた。
 
[[曹洞宗]]の祖師である[[道元]]は、「只管打坐」の[[坐禅]]を成仏の実践法として宣揚しながらも、その理論的裏づけは、あくまでも法華経の教えの中に探し求めていこうとし続けた。臨終の時に彼が読んだ経文は、法華経の如来神力品であった。[[日蓮]]は、「南無妙法蓮華経」の[[題目]]を唱え(唱題行)、妙法蓮華経に帰命していくなかで凡夫の身の中にも[[仏性]]が目覚めてゆき、真の成仏の道を歩むことが出来る(妙は蘇生の儀也)、という教えを説き、[[法華宗]]各派の祖となった。それまでも祈祷や懺悔滅罪のために法華経の読誦や写経は盛んに行われていたが、日蓮教学の[[法華宗]]は、この経の[[題目]](題名)の「妙法蓮華経」([[鳩摩羅什]]漢訳本の正式名)の五字を重んじ、'''[[南無妙法蓮華経]]'''(五字七字の題目)と唱えることを[[正行]](しょうぎょう)とした所に特色がある。
 
 
 
====近世====
 
近世における法華経は罪障消滅を説く観点から、戦国の戦乱による戦死者への贖罪と悔恨、その後の江戸期に至るまでの和平への祈りを込めて戦国武将とその後の大名家に広く信奉されるようになった。例として[[加藤清正]]は法華経を納経している。江戸期における大名家菩提寺も江戸城下に寄進し法華・日蓮宗系の菩提寺が多く建築され、また紀伊徳川家や加藤清正らによって元よりあった池上本門寺への寄進改築も進んだ。これら大名による諸宗派寺社寄進には軍役奉仕である参勤交代や天下普請といった江戸幕府からの奉仕負担を少しでも大目に見てもらおうという目的と、このような菩提寺はいざ国外からの有事軍役の際に自藩の江戸藩邸屋敷以外の砦としてもの利用も想定するためである。現にこういった寺社は幕末の動乱の際に砦として活用された([[上野戦争]]における加賀藩邸および[[寛永寺]])。
 
上記の理由以外に特に武家の妻女・子女らには変成男子せずとも女人成仏ができると説いた日蓮の教えに感化され勧んで信奉するものがこぞって多くなった。
 
 
 
====近代====
 
近代においても法華経は、おもに日蓮を通じて多くの作家・思想家に影響を与えた[[教典]]である。[[島地大等]]編訳の『漢和対照妙法蓮華経』に衝撃を受け、のち[[田中智学]]の[[国柱会]]に入会した[[宮沢賢治]](詩人・童話作家)や、[[高山樗牛]](思想家)、[[妹尾義郎]](宗教思想家)、[[北一輝]]、[[石原莞爾]]、[[創価学会]]を結成することとなる[[牧口常三郎]]、[[戸田城聖]]らがよく知られている。
 
 
 
[[1945年]][[太平洋戦争]]での敗戦後、法華経は女人成仏は可か否かなど一部の文言については[[進駐軍]]の意向もあり教学上、解釈の変更も一部の宗派では余儀なくされた{{要出典|date=2011年11月}}。
 
 
 
経本としても流通しているが、『妙法蓮華経』全体では分量が大きいこともあり、いくつかの品を抜粋した『妙法蓮華経要品』(ようぼん)も刊行されている。
 
 
 
[[File:Lotus Sutra (TNM N-12).jpg|thumb|left|500px|法華経の写本の例 [[東京国立博物館]]蔵([[法隆寺献納宝物]])平安時代]]
 
{{-}}
 
 
 
== 経典としての位置づけ ==
 
 
 
=== 法華経を所依の経典とする派の立場 ===
 
法華経を所依の経典として重視する諸派は、法華経を、釈迦が晩年に説いたとする釈迦の法(教え)の極意{正法(妙法)}と位置づける智顗の教説、[[教相判釈|五時八教]]を継承している。
 
 
 
=== 文献学的研究者の立場 ===
 
一方、文献学的研究では、法華経が、西暦紀元前後、[[部派仏教]]と呼ばれる専従僧侶独占に反発する教団によって編纂されたと推測する説もある。
 
また、文献学といっても、たとえば、サンスクリット重視の立場で研究しても、そのサンスクリット原典そのものが、原典ではなく、写本であり、その成立年代も漢訳の仏典より、さらに新しいという例も多々あり、文献学もいまだ発展途上である。
 
 
 
=== 文献学的研究に対する反応 ===
 
法華経の成立が、釈迦存命時より数世紀後だという文献学の成果に対し、日本と他の大乗仏教圏諸国では受容の仕方が異なる。
 
 
 
日本の伝統教団では、師の教義を弟子が継承し発展させることは、生きた教団である以上あり得ることから、法華経をはじめ[[般若経]]、[[大般涅槃経]]など後世の成立とされる大乗経典は根無し草の如き存在ではない。釈迦の直説を長い時を経て弟子から弟子へと継承される課程で発展していったものとして、後世の経典もまた「釈迦の教義」として認める、という類の折衷的解釈を打ち出す傾向がみられるのに対し、[[中国]]・[[台湾]]、[[インド]]・[[ネパール]]、[[チベット]]・[[ブータン]]、[[モンゴル]]・[[ブリヤート]]・[[トゥバ]]・[[カルムイク]]等、他の大乗仏教圏諸国における諸教団・信者の間ではまったく釈尊の真説と認識され、このような文献学の営為を信者ではないものによる誹謗とみなしてほぼ黙殺、信仰を揺るがす問題には全くなっていない。
 
 
 
== 漢訳一覧 ==
 
{{see also|法華部 (大正蔵)}}
 
* 『妙法蓮華経』 八巻 [[鳩摩羅什]]訳 ([[大正蔵]]262)
 
* 『正法華経』 十巻 [[竺法護]]訳 (大正蔵263)
 
* 『添品妙法蓮華経』 七巻 闍那崛多・笈多訳 (大正蔵264)
 
* 『薩曇分陀利経』 一巻 訳者不明 (大正蔵265)
 
* 『仏説阿惟越致遮経』 三巻 [[竺法護]]訳 (大正蔵265)
 
* 『不退転法輪経』 四巻 訳者不明 (大正蔵267)
 
* 『仏説広博厳浄不退転輪経』 六巻 智厳訳 (大正蔵268)
 
* 『仏説法華三昧経』 一巻 智厳訳 (大正蔵269)
 
* 『大法鼓経』 二巻 [[求那跋陀羅]]訳 (大正蔵270)
 
* 『仏説菩薩行方便境界神通変化経』 三巻 求那跋陀羅訳 (大正蔵271)
 
* 『大薩遮尼乾子所説経』 十巻 [[菩提留支]]訳 (大正蔵272)
 
* 『金剛三昧経』 一巻 訳者不明 (大正蔵273)
 
* 『仏説済諸方等学経』 一巻 竺法護訳 (大正蔵274)
 
* 『大乗方広総持経』 一巻 毘尼多流支訳 (大正蔵275)
 
* 『無量義経』 一巻 曇摩伽陀耶舎訳 (大正蔵276)
 
* 『仏説観普賢菩薩行法経』 1巻 曇無蜜多訳 (大正蔵277)
 
 
 
== 訳本 ==
 
*『漢和對照 妙法蓮華經』 [[島地大等]]、明治書院、1914年
 
** 復刻版 [[国書刊行会]] 1987年
 
*『[[国訳大蔵経]]』經部 第一巻(國譯妙法蓮華經)、國民文庫刊行會、1917年
 
** 復刻版 [[第一書房]] 1974年
 
*『国訳一切経 印度撰述部 法華部』 [[大東出版社]]、1928年 ISBN 978-4-500-00033-3
 
===主な現代語訳===
 
*『法華経 I・II 「大乗仏典」4・5』  松濤誠廉・[[長尾雅人]]・[[丹治昭義]]訳、[[中公文庫]]、2001-2002年
 
*# ISBN 978-4122039490
 
*# ISBN 978-4122039674 <元版は中央公論社〈大乗仏典 インド編〉、1975-1976年>
 
*『法華経』(上・中・下) [[岩本裕]]・[[坂本幸男]]訳注、[[岩波文庫]]、1976年。上)ISBN 978-4003330418 中)ISBN 978-4003330425 下)ISBN 978-4003330432
 
*『法華経 現代語訳』 [[三枝充悳]]訳、[[第三文明社]]、1978年。以上は昭和後期での出版
 
*『法華経 「現代語訳大乗仏典」』 [[中村元 (哲学者)|中村元]]代表、[[東京書籍]]、2003年(新版)。編訳 
 
*『法華経 現代語訳』(上・下)、[[中村瑞隆]]、春秋社、1995-1998年
 
*『[[新国訳大蔵経]]インド撰述部 法華部 I・II』(上・下)、[[多田孝正]]ほか校註、[[大蔵出版]]、1997年
 
*『梵漢和対照 現代語訳 法華経』(上・下)、[[植木雅俊]]訳注、[[岩波書店]]、2008年。上)ISBN 978-4000247627 下)ISBN 978-4000247634 ([[毎日出版文化賞]]受賞)
 
**改訂版『サンスクリット原典現代語訳 法華経』(上・下)、植木雅俊訳、岩波書店、2015年。上)ISBN 978-4-00-024787-0 下)ISBN 978-4-00-024788-7
 
*『現代日本語訳 法華経』 [[正木晃]]、春秋社、2015年。ISBN 978-4393113196。読みやすい訳本
 
*『全品現代語訳 法華経』 [[大角修]]訳・解説、角川ソフィア文庫、2018年。「無量義経」、「観普賢菩薩行法経」も収録。
 
*『サンスクリット版縮訳 法華経 現代語訳』 植木雅俊訳・解説、[[角川ソフィア文庫]]、2018年。経典独特の重複部分を大幅に削除。
 
 
 
== 参考文献 ==
 
*『哲学 思想事典』岩波書店、1998年、【法華経】、pp.1485-1486。[[菅野博史]] 担当
 
 
 
==脚注==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
===注釈===
 
{{Notelist}}
 
===出典===
 
{{Reflist}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
{{Commonscat}}
 
*[[法華三部経]]
 
*[[法華部 (大正蔵)]]
 
*[[観世音菩薩]]
 
*[[題目]]([[南無妙法蓮華経]])
 
*[[木柾]]、[[団扇太鼓]]
 
*[[法 (仏教)]]、[[正法]]([[妙法]])
 
*[[小乗仏教]]
 
*[[法華宗]]([[門流]]ほか)
 
*[[天台宗]](山門派)
 
*[[天台寺門宗]](寺門派)
 
*[[本仏]]
 
*[[聖徳太子]]
 
*[[智ギ|智顗]]
 
*[[天台山]]
 
*[[最澄]]
 
*[[日蓮]]
 
*[[七宝]]
 
*[[身延山大学]]
 
*[[立正大学]]
 
 
 
==外部リンク==
 
*[{{NDLDC|818267/1}} 鳩摩羅什訳『妙法蓮華経 : 冠註』] 1911年、一喝社(影印版 [[国立国会図書館]]デジタルコレクション)
 
 
 
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法華経』(ほけきょう、ほっけきょう)

大乗仏教の重要な経典の一つ。正しくは『妙法蓮華経』 Saddharmapuṇḍarīka-sūtra。成立年代不詳。数種のサンスクリット原典が現存。漢訳では鳩摩羅什のものが最も有名。ほかに竺法護訳『正法華経』,闍那崛多,達磨笈多共訳『添品妙法蓮華経』がある。またチベット訳,ウイグル語訳,西夏語訳,モンゴル語訳,満州語訳,朝鮮諺文訳などがあり,この経典が非常に広い地域にわたって読誦されたことがわかる。日本仏教史上においてもきわめて重要視され,この経典を根幹として天台宗,日蓮宗が開かれた。



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