河北新報
河北新報(かほくしんぽう)は、宮城県仙台市に本社を置く河北新報社が発行する日刊新聞で、東北地方のブロック紙として扱われる[1]こともあるが、事実上宮城県紙。販売部数(日本ABC協会調査)は朝刊45万4519部、夕刊5万2144部(2016年1-6月平均)[2]。
Contents
概要
一力健治郎らが経営難の「東北日報」を引き継ぎ、「白河以北一山百文」(白河の関(現・福島県白河市)より北は、山ひとつ100文の価値しか持たないという意味があるとされている。しかし、「白河以北一山百文」には1878年8月23日の『近事評論』の「白河以北一山百文」という記事の『西南では飛ぶように土人形が売れるが、東北地方という白河より北では土人形の一山で100文という叩き売りにしないと売れないと売り子が嘆く。それでも東北も栄えて、同じように飛ぶように売れる日がやがてくると諭す話。』から来たという別の説もある[3]。)から「河北」と改題して1897年(明治30年)1月17日に創刊した(宮城県を流れる「北上川」の称ではない)。なお明治10年頃、在地の民権派が好んで広域的な「東北」という地名を各地の紙名に用いていたが、河北新報創刊の頃にはこの傾向は衰え、大正時代には河北新報以外に広域的な名称の新聞は東北地方から消えている[4]。
東北6県で販売されており、特に地元・宮城県内での世帯普及率は70%に迫る高さである一方、宮城県以外の各県での世帯普及率は低い。そのため、全般的に宮城県の県紙としての性格が色濃いが、東北地方全体の政治・経済および各地域の話題を俯瞰できるため、宮城県外では主に職場で読まれる傾向がある。なお、ごく初期には、東北地方諸藩からの開拓移民が多かった北海道でも販売されていたが、明治期に販売競争に敗れ撤退している。
現在のコーポレート・スローガンは「『東』は未来」。1993年(平成5年)から使われている河北新報社のシンボルマークは、グラフィックデザイナーである永井一正の作品。
印刷は2003年(平成15年)より泉パークタウン(仙台市泉区)にある河北新報印刷センターで行っている。同センターは超高速タワー型オフセット輪転機を備えており、他紙の印刷業務も一部受託している。2011年(平成23年)秋からは朝日新聞の受託印刷を開始した。[5]また、2012年(平成24年)春からは読売新聞の受託印刷を開始する。[6]
2007年(平成19年)4月1日付より、朝刊1部売りの価格を110円から130円に、2016年(平成28年)4月1日付より、同じく140円に値上げしている。なお、月ぎめ価格(セット版3,925円、統合版3,007円)と夕刊1部売り価格(50円)は変わらない。
紙面
1997年(平成9年)には米の栽培と人間生活を扱った連載企画「オリザの環」で日本新聞協会賞を受賞。又、社会問題化していたスパイクタイヤを全廃に追い込んだのは、河北新報の記事が発端であった事は特筆すべき事項でもある。
東北地方に関する記事だけでなく、首都圏の知識人や文化人を独自に取材した記事を多く掲載している。
三大ブロック紙(北海道新聞・中日新聞・西日本新聞)などとの記事の交換も行っている。2017年現在、東京新聞では毎週1回(原則として木曜日)当紙のオピニオン欄『声の交差点』一部投稿が転載されている。また、近年では東北6県の他県紙(東奥日報、岩手日報、秋田魁新報、山形新聞、福島民報、福島民友)との連携企画も増えている(東北電力が協力している場合は新潟日報も加わる)。
スポーツ関連では、東北楽天ゴールデンイーグルスやベガルタ仙台、仙台89ersをはじめとした「仙台のスポーツ」に関連した記事を多く取り扱っている。場合によって(勝利試合など)はスポーツ面のみでなく1面や社会面、ローカル面でも話題が取り上げられることもある。また数ページを使用した特集記事も時折掲載される。なお、楽天イーグルスについては紙面上の呼称は一貫して「東北楽天」となっており、「楽天」とのみ表記されることは原則的にない。
毎週日曜日の第2朝刊には、宮城県内各地の小学校の様子を綴った「どきどき小学生」が掲載されている。
ブロック紙としての性格
東北地方に販路と総局をもっており、「ブロック紙」とされているが、実際には本社を置く仙台市・宮城県からの視点で書かれた記事も多い[7]。宮城県以外の5県では、役所、職場等で購読されていたり、公立図書館や大学図書館で備え付けているところも多いが、各県内の地方紙の勢力が強く、河北新報のシェアは高くはない[8]。
宮城県外向けとなる早版(13版、14版)の締切時刻は、国政選挙や統一地方選挙の翌日など特別な場合を除き、午後11時頃である。そのため、地方選挙の開票状況(最終確定票)が紙面に反映されないことが多い(統合版でもあるため、開票結果は翌々日の紙面に掲載されることになる)。選挙が行われた当該地域では、河北新報から配信された速報ファクスを販売店が独自にコピーして、開票翌日の新聞に折り込んで配ることが多い(コピー折込の判断はそれぞれの販売店が行うので、選挙が行われた地域でも折込配信されないことがある)。
沿革
- 1897年1月17日 - 一力健治郎により創刊。有名人
- 1952年 - 「河北文化賞」創設。
- 1957年 - 創刊60周年。
- 1987年 - 創刊90周年。
- 1993年 - CI導入。
- 1997年 - 創刊100周年。
- 2007年 - 創刊110周年。
4コママンガ
- 朝刊 「ねえ、ぴよちゃん」(青沼貴子)
- 2017年(平成29年)4月1日より連載開始。北海道新聞、中日新聞(東京新聞・北陸中日新聞・日刊県民福井)、新潟日報、神戸新聞、中国新聞、徳島新聞、愛媛新聞、西日本新聞にも掲載。
- 2007年(平成19年)6月30日までは「あんずちゃん」(田中しょう)が、2007年(平成19年)7月1日より2012年(平成24年)1月31日まで「ちびまる子ちゃん」(さくらももこ)が、2017年(平成29年)3月31日まで「おーい 栗之助」(森栗丸)がそれぞれ連載されていた。
テレビ・ラジオ欄(番組表)
- 現在の第1テレビ面は2015年3月1日に変更になったものが使用されている。それぞれ販売されている県のテレビ局(青森・秋田はひと括りの上、岩手めんこいテレビの1/3サイズ版も加わる)のタイムテーブルが掲載されており、第2テレビ面では当日に放送される番組の解説や見どころと、主要局以外の衛星デジタル局と東北6県すべてのラジオ局のタイムテーブルが掲載されている。
- 1960年代末(アナログUHFテレビ局開局前)頃までは、地元在仙局を含む東北6県全テレビ局に加え、在京テレビ局[9]と北海道放送[10]・新潟放送のテレビ欄も掲載されていた。[11]
- 1960年代末のアナログUHFテレビ局開局後からは、在京テレビ局と新潟放送の掲載が無くなり、北海道放送のテレビ欄は、青森版のみ別ページに掲載となった。
- 1990年代中ごろから2003年(平成15年)までは、全域で第二・第三テレビ面がなく、県域面(後述)があったことから、宮城版、福島版、山形版、岩手版、青森・秋田版の区分で掲載されていた。2004年(平成16年)の紙面刷新(宮城版以外の県域面廃止)で、宮城版、南版(福島・山形)、北版(岩手・青森・秋田)に再編。2010年(平成22年)4月からは宮城を除く地域では6県分の番組表が掲載されるようになったが、宮城・岩手・山形・福島は最終面にハーフサイズでの掲載だった(中面の秋田、青森はフルサイズのまま)。2010年6月から下記の区分に変更された。
- 2015年(平成27年)2月28日までは、宮城版(宮城県内向け。地上波テレビ番組も県内のもののみ収録)と宮城県外版の二本建てとなっていた。宮城県外版のNHKテレビ番組表は以下の取扱いとなっていた。
(2015年2月28日までの掲載順。特記のないものはフルサイズ)
掲載地域 | 第一テレビ面(最終面) | 第二テレビ面(中面) | 第三テレビ面(中面) |
---|---|---|---|
宮城版 |
NHK総合(仙台放送局) |
宮城県版には第2・3テレビ面が存在しない ※県外テレビ局の番組表は載せていない。 | |
宮城県外版 |
NHK総合(盛岡放送局) |
NHK総合(福島放送局) |
NHK総合(青森放送局) 秋田放送テレビ |
- 山形県の民放局だけ開局順の配列になっていないが(最先発局は山形放送)これは、山形県の民放4局のうちテレビユー山形に対してのみ河北新報が出資をしていることが理由とされている。
- 現在の第2テレビ面における「番組解説・見どころ」の放送局名表記は以下のようになっている。ただし、紹介された当該番組を放送しない局がある場合や、放送開始時刻が異なる場合はこの限りではない。
このように各局名を列挙しているのは、クロスネット局が存在していたり、番組販売などによる遅れネットが存在していた頃の名残といえる。
- なお、岩手・宮城・福島県ではアナログ放送終了が2012年3月31日まで延期されたが、他の3県を含め朝刊にはアナログ放送のチャンネル番号は記載されなかった(1970年代前半ごろまでは主要中継局のチャンネル数字がテレビ局名の下に掲載されていた)。仙台都市圏で発行されている夕刊には、この前日の3月30日まで、アナログ放送のチャンネル番号(仙台本局)が記載されていた。
- ラジオ・衛星デジタル放送面は全域で共通のフォーマットを使用し、東北六県全てのラジオ局とラジオNIKKEIを掲載。2011年(平成23年)10月からデジタル教育サブチャンネルはBSスカパーの下1/4サイズ程度を使って掲載するようになった。さらに2012年3月30日からはJ SPORTS1・2・3の番組表を1/2サイズで新たに掲載(これによりスターチャンネル1、BS11、TwellVは1/2サイズに縮小)。また、NHKラジオは仙台放送局の番組表となっている(NHKラジオ第一とNHK-FMの深夜放送休止は宮城県内のみフォロー。宮城県外でローカル番組が組まれる場合の注記は一切ない)。NHK-FMとDate FM、TBCラジオは枠が1段分大きい。過去にはTBSラジオ、文化放送、ニッポン放送、ラジオ日本の深夜番組枠が掲載されていた。
- ラジオ欄に関しても、1960年代末頃までは、東北地方全ラジオ局と在京ラジオ局・北海道放送[12]・新潟放送のラジオ欄も掲載され[11]、1960年代末以降は、日本短波放送(現:ラジオNIKKEI)を除く在京ラジオ局と新潟放送のラジオ欄が非掲載となった。北海道放送のラジオ欄は、HBCテレビ欄の下にまとめられた。
県域面
- 2003年(平成15年)までは、各県ごとに県域面が存在していた(宮城版は日によって異なるが平均で4ページ、他県版は毎日1ページ(県によっては2ページの場合もあり)、あとのページは前日の夕刊の中面に差し替え。)。
- 2004年(平成16年)の紙面刷新で、宮城版を除く県域面が廃止され「とうほく交流ワイド」面2ページが新設された(宮城版は「とうほく交流ワイド」面2ページに加えて、県域面「みやぎ」2ページ+「みやぎ地域ニュース」2ページの4ページが別途あり、宮城以外では前日の夕刊の中面に差し替え)。河北新報の発表データによると、2009年現在で宮城版以外の発行部数は約1.5万部と、全体の発行部数に比してごくわずかであり、各県ごとに紙面を差し替える余裕がなくなったためとみられる。
- 2008年(平成20年)4月からは「とうほく交流ワイド」面が「ワイド東北」面に宮城版の圏域面「みやぎ」が「みやぎ総合」、「みやぎ地域ニュース」が「みやぎ街ひと話題」に名称変更された。
東北地方太平洋沖地震
- 2011年3月11日14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)により、南三陸町の志津川支局は津波で流され、石巻総局や気仙沼総局なども浸水の被害を受けた。
- 本社ではCTSが転倒したため、新聞製作が困難になり、災害協定を結んでいた新潟日報社が地震発生を知らせる号外を作り、そのデータを河北新報社に送信して河北新報社の印刷所で印刷した。
- 翌日12日付けの朝刊は河北新報の記事を回線を使い新潟日報社に送って紙面を作成、同様に河北新報社の印刷所で印刷し、被害の大きかった地域を除き宅配も行われた。この日の朝刊は8ページだが(通常は26ページ 番組表も宮城県のもののみを掲載し、テレビ・ラジオを1頁にまとめる特例版<宮城県外の局はラジオを含め割愛>となった)、写真を多数掲載し、宮城県および東北地方各地の被害を伝えた。これ以降は本社で全ての新聞製作が行われた。
- 3月13日(日)には朝刊の他に午後に号外も配られた。12日、13日の新聞は一部の販売店で無料で配られた。
- 震災関係の記事は河北新報の特設ページに掲載されているほか、同社が全国向けに出版した震災記録写真集にも12-14日朝刊の一部が収録されている。
- 東北地方太平洋沖地震発生(3月11日)から翌日(3月12日)の朝刊を刷り上げるまでの河北新報社内のドキュメントが、『河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙』という書物に纏められて出版された[13]。
- 震災一周年の2012年3月11日(宮城県内の亡くなった方)、12日(宮城県外の亡くなった方)で、東北地方太平洋沖地震で亡くなった15,854人すべての方の名前を載せた。その後、毎年3月11日の朝刊で、1年間に死亡が確認された方の氏名を掲載している。
トラブル
- 2013年1月22日21時30分頃、輪転機を冷やすモーターが故障した。この修理に約3時間を要した為、トラックで新聞を輸送する秋田県の全域と青森県及び岩手県・福島県の一部で1月23日の朝刊(約1700部)が配達されない事態が発生した。
関連紙
- 石巻かほく - 三陸河北新報社が発行する石巻市、東松島市、女川町の地域紙。河北新報とセットでのみ購読可能。
- リアスの風 - 三陸河北新報社気仙沼支社が発行する気仙沼市の週刊地域紙。
- どきどき小学生 - 河北新報社が発行する小学生向け新聞。
脚注
- ↑ 『大辞泉』 小学館、1998年。
- ↑ 広告料金表
- ↑ 往来で日本地図を開き各地の土人形を並べて、「白河以北一山百文」と泣き叫ぶ売り子。聞けば、西南の人形は飛ぶように売れるが、東北地方はたたき売りでもしないと売れない。それが悲しくて泣いているという。そこで、こう諭した。治乱盛衰は天の道、今は人気がある西南もいつ廃れるかわからない。やがて東北の人形が大いに売れる日も来るだろう。すると、売り子は納得したと見え、泣くのをやめて、再び大声で叫んだ。「白河以北一山百文」と。
- ↑ 新聞・雑誌名「東北」にみる明治期の東北地域観(岩手大学教育学部研究年報第57巻第2号、1998年2月)
- ↑ 朝日新聞を受託印刷(河北新報社)
- ↑ 河北新報社が読売新聞の一部を受託印刷(河北新報社)
- ↑ 広告も、全国共通のものをのぞくと宮城県内向けのものがほとんどである。
- ↑ 岩手県で比較的多く読まれているほかは各県の購読数は数百部程度にとどまる。参考・河北折込センター
- ↑ 当時は、日本科学技術振興財団のテレビ部門(通称:科学テレビ・現:テレビ東京)の番組欄は非掲載。
- ↑ テレビ欄の表記は「北海道テレビ」(現在のHTB北海道テレビとは別)
- ↑ 11.0 11.1 出典:1966年5月と1967年4月のテレビ欄より。
- ↑ テレビとは異なり、こちらは当初から「北海道放送」と記載。
- ↑ 河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙 文藝春秋社書籍ショールーム参照
関連項目
- 原敬(「白河以北一山百文」→逸山と号す)
- 河北新報ニュース
- Date FM
- 全国新聞ニュース網
- デイリースポーツ(東北地方向けに東京版を委託販売)
- 河北美術展
- 一力遼(囲碁棋士。河北新報社長 一力雅彦の息子)
外部リンク
- 河北新報(ニュース記事などは一部会員登録が必要のページ有り)
- (朝刊及び統合版を担当)