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河内国

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河内国(かわちのくに/かはちのくに)

現在の大阪府南東部。畿内の一国。大国。当国には応神天皇陵ほか日本最大の前方後円墳があり,応神天皇を『宋書』の倭五王と関係づけ,大和朝廷成立史において河内王朝,中王朝と考える説も出されている。もと凡河内 (おほしかわち) 国造および志貫,紺口県主が支配。初め和泉国を含んでいたが,霊亀2 (716) 年,和泉など3郡を分割して和泉監 (いずみげん) をおいた。しかし天平 12 (740) 年,再び合併し,さらに天平宝字1 (757) 年に再度,和泉国を分けて独立。国府は藤井寺市,国分寺は柏原市。『延喜式』には交野 (かたの) ,讃良 (さらら) ,茨田 (うはらた) ,若江,河内,高安,大県 (おほあかた) ,渋川,志紀,安宿 (やすかへ) ,古市 (ふるち) ,石川,錦部 (にしこり) ,丹比 (たちひ) の 14郡が記録され,『和名抄』には郷 80,田1万 1338町余がみえる。当国は畿内で都に近かったため,権門勢家の荘園が多かった。鎌倉時代には守護として三浦氏および北条氏一門があったとみられる。建武中興においては楠木正成が領有。南北朝~室町時代には畠山氏,戦国時代には畠山氏から三好氏の支配に移り,天正3 (1575) 年,織田信長の領有となる。豊臣秀吉もここを直接支配下においた。江戸時代は幕府直轄地 (天領) と北条氏の狭山藩,高木氏の丹南藩。幕末には三上藩が近江から当国に移されたりした。明治4 (1871) 年7月の廃藩置県では,丹南藩は丹南県となったが,狭山藩はそれより先,同2年 12月堺県に合併。同4年 11月には丹南県,堺県ほか3県が合併して堺県となり,さらに 1881年に大阪府となる。



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