正史

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正史(せいし)とは、

  1. 東アジア諸国において、主に国家によって公式に編纂された王朝歴史書のことである。中国二十四史が代表的なものとしてあげられる。
  2. その国の政府が正統と認め、対外的に主張し、また教育する自国の政治の流れ。

以下では主に1.について述べる。対義語は野史(民間で編まれた史書)。


正史(特に後述する「断代史」の形式をとる正史)は、その名から「正しい歴史」の略と考えられることがあるが、実際には事実と異なることも記載されている。理由は、正史とは一つの王朝が滅びた後、次代の王朝に仕える人々が著すためである。現在進行形の王朝は自らに都合のいい事を書くから信用できない、という考え方からこのような方法が取られたわけだが、このせいで最後の君主が実際以上に悪く書かれる傾向にある、といった弊害もある。また正史をまとめるに当たり、前王朝の史官が残した記録も参考にするので、その時点で既に前王朝にとって都合の悪い所が消されていたり、粉飾されていたりする場合もあり得る。

以上のことから正史とはあくまで「王朝が正当と認めた歴史書」という程の意味であり、信頼性の高い史料であるとは言えるが、歴史事実を引き出すには歴史学の手法にのっとり厳密な史料批判を経て行う必要があることに変わりはない。

中国の正史

中国では、当初は『春秋』のように編年体の史書が一般的であったが、司馬遷の著した『史記』以来、紀伝体が盛んに行われるようになった。史記を継いで前漢王朝一代の歴史書とした班固の『漢書』からは王朝ごとに時代を区切った紀伝体の史書(いわゆる「断代史」)の体裁が流行した。しかし、「史記」「漢書」をはじめ、西晋陳寿が書いた『三国志』、范曄が書いた『後漢書』、沈約が書いた『宋書』など、当初の紀伝体史書はみな個人の撰であった。

に至って、歴史書を編纂する事業は国家の事業となり、『晋書』『梁書』『陳書』『周書』『隋書』などが次々と編纂され、これまでの紀伝体の史書のうち史記や漢書、三国志などとあわせて「正史」とした。これらは北朝の系譜に連なる唐の編纂であるが故に、晋朝の後継国である南朝よりも、むしろ北朝の諸王朝を正統として扱う傾向があったといわれる。こうして唐以降、正史は王朝の支配の正統性を明らかにする道具となり、王朝が成立すると滅亡した前王朝の正史を編纂させるようになった。このため、正確さよりも政治的思惑が最優先されて歴史書としての価値は大きく損なわれる事になった。

唐代以降は、正史が編纂される手法も確立される。朝廷内で皇帝に侍る史官が、皇帝および国家の重大事を記録する「起居注」を蓄積し、皇帝が崩御すると、代ごとに起居注をまとめた「実録」が編纂される。王朝が滅んだ際には次に正統を継いだ王朝が国家事業として、前王朝の皇帝ごとの実録を元に正史を編纂する、というのが大まかな手順である。このため、たとえば正史の「明史」よりも「明実録」の方が記録は詳細に残されている。史料としては、実録が1次史料、正史が2次史料ということになるが、どちらがより真実に近いかはそれぞれの史料によって異なる。

清のとき、二十四書が正史として再度選ばれ、「二十四史」と呼ばれるようになったので、中国の正史といえば普通二十四史を指す。二十四史に、中華民国期に編纂された『新元史』や『清史稿』を含めて「二十五史」あるいは「二十六史」という呼び方も見られる。また、台湾国民政府によって、正史としての『清史』(実際は『清史稿』の改訂)が編纂されたが、中華人民共和国政府はこれを認めていない。中華人民共和国は国家清史編纂委員会を立ち上げ、独自の『清史』を2002年より編纂中。当初は2013年の完成を予定していたが、内容に万全を期すため、完成は2015年、さらに2016年に先送りされた。

中国の正史以外の重要な歴史書

日本の正史

日本では7世紀前半にまとめられた「帝紀」「旧辞」が国家による歴史書編纂の始まりである。その後、漢文による正史の体裁で8世紀前半に編年体で『日本書紀』が成立した。それ以後続けて編年体の正史が作られたが、続日本紀以後は、編年体を基本としながらも人物の薨去記事に簡単な伝記を付載する「国史体」とよばれる独自のスタイルが確立した。これらは六国史と呼ばれているが、901年に撰された『日本三代実録』(858年から887年までの30年間の歴史書)を最後に、朝廷による正史編纂事業は行われても完成をみることはなくなった。未完で終わったものとして「新国史」があり、その草稿の逸文が残っている。明治維新後にも正史編纂事業が進められ、漢文体の大日本編年史が企画されたものの、その編纂方針をめぐる対立や、編纂の中心となっていた久米邦武筆禍事件により中止され、代わりに大日本史料が編纂されることとなった。

六国史

日本の正史以外の重要な歴史書

琉球の正史

ベトナムの正史

朝鮮の正史

朝鮮では、高麗金富軾が作った高句麗百済新羅三国の紀伝体正史『三国史記』 (1145年) が最初の正史であり、現存する最古の歴史書である。高麗が李成桂朝鮮にとってかわられると、中国の正史編纂にならって紀伝体の『高麗史』が作られた。『高麗史』の最大の特徴は、歴代の高麗王の記述が天子を意味する「本紀」ではなく、諸侯の歴史をさす「世家」となっていることである。これは中国の天子の歴史だけが「本紀」といわれるべきであり、高麗王は中華皇帝の諸侯である、という趣旨からである。またそれとは別に編年体の『高麗史節要』も作られた。20世紀初頭まで続いた李氏朝鮮では、各国王一代の編年記録(実録)が編纂されつづけ、『朝鮮王朝実録』と呼ばれているが、紀伝体による李氏朝鮮王朝の正史は作られていない。

朝鮮の正史以外の重要な歴史書

関連項目

外部リンク