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{{基礎情報 非営利団体
 
|名称 = 国際空手道連盟 極真会館<br />{{Lang|en|International Karate Organization Kyokushinkaikan}}
 
|ロゴ =
 
|画像 =
 
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|画像説明 =
 
|創立者 = [[大山倍達]]
 
|団体種類 =
 
|設立 = [[1964年]]([[昭和]]39年)
 
|所在地 = {{JPN}}<br />[[東京都]][[豊島区]][[西池袋]]3-3-9
 
|緯度度 = |緯度分 = |緯度秒 =
 
|経度度 = |経度分 = |経度秒 =
 
|地図国コード =
 
|起源 = [[大山道場]]
 
|主要人物 = [[総裁]] [[大山倍達]]
 
|活動地域 = 世界123ヵ国<ref name="takagi1990">[[高木薫]] 『わが師大山倍達』 [[徳間書店]]、[[1990年]]、16 - 17頁、54 - 62頁。</ref>
 
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|活動内容 = [[空手道|空手]]の指導・啓蒙
 
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|ボランティア人数 =
 
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|会員数 = 公認支部道場1,000以上、会員1,200万人<ref name="takagi1990"/>
 
|親団体 =
 
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|標語 =
 
|ウェブサイト =
 
|解散 =
 
|特記事項 =
 
}}
 
{{韓国の事物
 
|title = 極真カラテ
 
|alphabet-type = [[英語]]表記
 
|alphabet = Kyokushin Karate
 
|hangeul = 극진가라데、극진공수도
 
|hanja = 極眞空手道
 
|katakana = クッチンカラテ
 
|hiragana = きょくしんからて
 
}}
 
[[File:Oyamakeiko.jpg|thumb|200px|right|極真空手の創始者・[[大山倍達]]]]
 
 
 
'''極真会館'''(きょくしんかいかん)は、[[空手]][[団体]]の一つ。正式名称は'''国際空手道連盟 極真会館'''(こくさいからてどうれんめい きょくしんかいかん、International Karate Organization Kyokushinkaikan, IKO or IKOK)。創始者は[[大山倍達]]。前身は[[大山道場]]。極真の由来は「千日を以って初心とし、万日を以って極とす」という言葉の“心”を“真”に変え、名称とした。
 
大山倍達没後に分裂し、現在では、一般財団法人極真会館(館長・松井章奎)、NPO法人新極真会(代表・緑健児)などが主な会派となっている。
 
 
 
== 概要 ==
 
[[1964年]][[4月]]、[[大山倍達]]は[[大山道場]]を[[財団法人]][[極真奨学会]]の傘下にして、国際空手道連盟 極真会館を設立。会長に[[佐藤栄作]](当時[[国務大臣]])、副会長に[[毛利松平]](当時[[衆議院]]議員)を迎え、大山は館長(後に[[総裁]])に就任。同年6月に[[東京都]][[豊島区]][[西池袋]]に本部道場(後に総本部)が竣工。建設には資金援助をしてくれた人たちのほか、「[[黒崎健時]]師範の貢献がとても大きい」と[[中村忠 (空手家)|中村忠]]は証言している<ref>『[[月刊フルコンタクトKARATE]]別冊 - [[大山倍達]]と極真の強者たち』 [[福昌堂]]、[[1995年]]、57頁。</ref>。
 
 
 
極真会館は[[伝統派空手]]に対し、対戦相手に[[技術#技と術|技]]をダイレクトに当てる直接打撃制([[フルコンタクト空手]])の提唱と啓蒙を行い、
 
* 他格闘技、他団体と交流、試合、技術の吸収
 
* 年1回の[[#直接打撃とオープン参加の大会|オープントーナメント全日本空手道選手権大会]]と、4年に1回の[[全世界空手道選手権大会|オープントーナメント全世界空手道選手権大会]]を開催と成功
 
* 啓蒙に[[要人]]との繋がりを密にし、育成した弟子を世界各地に派遣し、支部の設置と指導
 
* [[マスメディア]]戦略に注力し、ファンや門下生の増加
 
がそれぞれ相乗効果を働き、発展してきた。最盛期は[[1990年代]]の大山存命中で各都道府県へ支部が設置され、世界123ヵ国に公認支部道場が1,000以上、会員1,200万人の規模だった<ref name="takagi1990"/>。
 
しかし、[[1994年]]に大山が亡くなると弟子たちが各々極真会館を名乗り、団体毎に門下生が在籍。それらに付随して各種大会が行われている(詳しくは「[[#分裂騒動|分裂騒動]]」を参照)。
 
 
 
以下、次章から大山が館長及び総裁に就いていた時代とその分裂を記す。
 
 
 
== 他格闘技、他団体との交流、試合、技術の吸収 ==
 
[[大山倍達]]自ら[[ボクシング]]、[[柔道]]、[[合気道]]を学んでいたことから、[[道場]]には進取の精神があった。[[大山道場]]から極真会館へ組織変更した[[1964年]]には[[タイ王国|タイ]]へ遠征し、[[黒崎健時]]・[[中村忠 (空手家)|中村忠]]・[[藤平昭雄]]が[[ムエタイ]]ルールで、ムエタイと試合をした。
 
 
 
[[1969年]][[4月]]に[[テレビ朝日|NET]]は「ワールドキックボクシング」を開催し始めたが、2か月前から各方面より選手を集め、[[ムエタイ]]選手や[[山田辰雄 (空手家)|日本拳法空手道]]らに出場要請をし、極真会館へもオファーがあった。大山は高弟の[[山崎照朝]]・[[添野義二]]・[[及川宏]]を選りすぐり、極真ジム所属として参戦。キックボクシングはNET他、[[TBSテレビ|TBS]]、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]、[[テレビ東京|東京12チャンネル]]の4局で放映され、「キック戦国時代」と呼ばれるほど、4局が視聴率争いにしのぎを削るブームで、新興スポーツとして注目されていた。参戦した山崎や添野が[[ノックアウト|KO]]勝ちして強さをアピールしたことにより、結果的には後に開催される[[#直接打撃とオープン参加の大会|オープントーナメント全日本空手道選手権大会]]の宣伝にもなった<ref name="dkkp99314">「第2章 - 再検証極真ジム」『極真外伝〜極真空手もう一つの闘い〜』 ぴいぷる社、[[1999年]]、76 - 91頁、93頁、101頁、104頁、108頁。</ref>。
 
 
 
== 直接打撃とオープン参加の大会 ==
 
=== 開催までの道のり ===
 
直接打撃制による[[組手 (空手)|組手]]試合は、[[山田辰雄 (空手家)|山田辰雄]]が[[1962年]]に初めて実施していたが、寸止め試合を行う[[伝統派空手]]の諸流派から黙殺され失敗に終わった。[[大山倍達]]は極真会館竣工以降、[[1964年]]に行われた[[前東京オリンピック|東京オリンピック]]の各種[[オリンピック競技]]をたびたび[[スタジアム]]観戦していたことで「極真会館内の競い合いではなく、他流派・他格闘技の参加を認めたオープン制と[[トーナメント方式|トーナメント]]制の選手権大会」を開催しようと検討し始め、名称もこのときは「全日本格闘技選手権大会」としていた。今でこそ直接打撃制の空手道選手権大会をいろいろな流派が開催しているが、当時は直接打撃に危惧を抱く会場側は決して協力的ではなく、極真会館は試合会場をなかなか確保できなかった。[[東京体育館]]とは都合3年も交渉を行い、その頃、盛んになり出した[[キックボクシング]]の例をあげ、その安全性をよく説明することにより許可を得て、ようやく[[1969年]][[9月]]に念願であった第1回オープントーナメント全日本空手道選手権大会(以降、全日本選手権に略)として開催に至った<ref name="takagi1990"/><ref name="kgn84725">『[[ゴング格闘技]]』 [[日本スポーツ出版社]]、3月8日号、[[1996年]]、52 - 53頁。</ref><ref name="sgn45817">『新・極真カラテ強豪100人(ゴング格闘技1月号増刊)』 日本スポーツ出版社、[[1997年]]、72頁、78 - 79頁、85頁、105頁、114 - 119頁、150 - 151頁、164 - 165頁。</ref>。
 
 
 
=== 極真の看板を守り抜く ===
 
“オープントーナメント”と謳った全日本選手権は、「空手界の各流派はもちろんのこと、[[武道]]全般・[[拳法]]・[[ボクシング]]・[[キックボクシング]]等、誰でも参加できる」というキャッチフレーズで参加の呼びかけを行った。[[韓武舘]]をはじめ、申し込みをした選手の半数が他流派で、なかには[[柔道]]参段で体重100キログラムを超すギドン・ギダリー([[イスラエル]])、[[ネグロイド|黒人]][[ヘビー級]][[ボクサー (スポーツ)|ボクサー]]のポール・ジャクソン([[アメリカ合衆国|アメリカ]])、[[ムエタイ]]のランキングボクサー、ビラホン・ハンピーン、サカオ・チャルムーン、サマンソー・アディソン(以上[[タイ王国|タイ]])と、他[[格闘技]]からもエントリーしてきたことで、さながら“異種格闘技戦”の様相を呈していた。[[無差別級]]で直接打撃制によるKOで決定するとし、反則は「顔面への[[正拳突き|正拳]]・[[肘打ち]]・[[貫手]]」「頭突き」「[[金的]]」攻撃のみで、投げや掴みも認められていた。6時間にわたる激しい試合展開となったが、キックボクシングでも活躍した[[山崎照朝]]が優勝、[[添野義二]]が準優勝と主催者である極真会館の選手が上位を守った。大山倍達も「これで極真の看板を下ろさずにすんだ・・・」と溜飲をさげ、[[興行]]的にも7,000人の観衆を集め、成功した。このことが翌年以降の継続に繋がり、年に1回の全日本選手権が開催されている<ref name="dkkp99314"/><ref name="sgn45817"/>。
 
 
 
[[1972年]]に[[パリ]]で開催された[[世界空手道選手権大会]]で[[全日本空手道連盟]]翼下の日本選手が団体戦で惨敗。個人戦は試合を放棄した事で「柔道に続き、空手よ、お前もか」と各種[[マスメディア]]で取り上げられた。これに対して[[大山倍達]]は「日本の空手は負けていない。近い将来、国際空手道連盟極真会館主催の世界選手権を開催して、日本選手の強さを示す」と声明を発表して、[[1975年]]には第1回[[全世界空手道選手権大会|オープントーナメント全世界空手道選手権大会]](以降、全世界選手権に略)を開催し、[[佐藤勝昭]]が優勝した。その後4年に1回、全世界選手権は開催されている。
 
 
 
=== ルールと運営の変遷 ===
 
第1回全日本選手権のルールや運営手法が、選手権大会の回数を重ねるごとにそれぞれ改定、変更がされてきた。以下、その内容を記す。
 
==== ルール ====
 
[[1971年]] 第3回全日本選手権
 
* 「倒して決めの下段突き」は動きに少しの無駄もなく、スムーズな一連の流れによる一動作でも、[[技あり]]までと改正される
 
* [[1970年]] 第2回全日本選手権は閉幕後、「相手を投げ倒して決めにいけば、それで[[一本]]勝ちとする」というルールが問題となっていた。優勝した[[長谷川一幸]]は、[[山崎照朝]]には「絡み倒して下段正拳突きをピタリと顔面に止め」、[[添野義二]]にも「巻き倒しての決めの下段突き」で一本勝ちを得ている。他の試合でも同様な「倒して決めの下段突き」があまりにも多く、パターン化することを回避するためである<ref name="kgn84725"/><ref>{{Cite journal |和書 |year = 1980 |month = 10 |title = <マラソン座談会> 数々の秘話とエピソードで綴る全日本強豪伝 第1回~第11回大会編 『第1回~第2回 山崎、添野、長谷川の三羽烏時代』 |journal = [[現代カラテマガジン]] |volume =  |issue =  |pages =  |publisher = [[真樹日佐夫|真樹プロダクション]] }}</ref>。
 
[[1973年]] 第5回全日本選手権
 
* [[判定]]
 
** 1本勝ちのきまらない時は延長戦を行なう<ref name = 5hantei>{{Cite journal |和書 |date = 1973 |title = 判定・試し割り |journal = 第5回オープントーナメント全日本空手道選手権大会プログラム |volume =  |page =  |publisher = 財団法人極真奨学会・極真会館 |location =  |url = http://blogs.masoyama.net/?eid=195 }}</ref><ref name = wazaari52>[[#観客殺到|「◆技ありの導入」、52頁。]]</ref>。
 
** 延長戦も決まらないときは双方の技術・気魄の優劣・減点数の数により、主審・審議員・審判長で決定する。 ただし10kg以上の体重差を有効とする<ref name = 5hantei/><ref name = wazaari52/>。
 
** 蹴り・突き・打ちで相手が倒れはしないものの、バランスをくずした場合は 「技あり!」を適用<ref name = 5hantei/><ref name = wazaari52/>。
 
* [[試し割り]]
 
** 2回戦に進出した選手から割った枚数により競い合い、同数の場合は体重の軽い方を優位とし、試合の判定でも適用する<ref name = 5hantei/><ref name = wazaari52/>。
 
[[1979年]] 第2回全世界選手権
 
* 掴みを完全に禁止
 
* 接近戦になった時に相手の道着を掴んで押したり、[[投げ技]]を使うことで、[[殴打技]]と[[蹴り技]]の攻防が少なくなることを避けるための措置である。
 
[[1980年]] 第12回全日本選手権
 
* [[柔道]]の技を完全に禁止
 
* 1979年 第2回世界選手権にて、[[東孝]]が掴まないで柔道の[[足技]]を使ったことが問題となり、[[空手道|空手]]と[[柔道]]の区別化を明確にするため、使用を禁止した。
 
[[1984年]] 第3回全世界選手権
 
* 対戦相手の背後からの攻撃を禁止
 
* 各国選手により、対戦相手が試合の流れで後ろを向いてしまった時に攻撃を継続する選手としない選手がいた為、禁止と統一した。なお、対戦相手自らが逃げるために後ろを向くことは減点になり、回数が多いと技ありをとられることになる。
 
 
 
==== 運営 ====
 
1971年 第3回全日本選手権
 
* 試合場を一つに集約した。
 
* 1970年 第2回全日本選手権まで試合場は2つあり、それぞれ試合が同時に進行する方式が採られていた。しかし、観客の気が散って試合に集中できないという理由で取り止めされた。
 
[[1973年]] 第5回全日本選手権
 
* [[1972年]]の第4回全日本選手権迄、参加選手は48名でA・B・Cと[[トーナメント方式|トーナメント]]に分けられ、3つのブロックを勝ちあがった3名の選手による[[決勝]][[リーグ戦#総当たり戦(グループトーナメント)|リーグ戦]]で実施されてきたが、本大会から64人の選手が参加する1日のトーナメントとして、決勝まで進めば6試合を戦う刑式となった<ref name = kankyaku12000>[[#観客殺到|「テレビ放映開始」、50頁。]]</ref>。観客は第4回(前年)の8,000人から12,000人が押し寄せ、会場に入れない客が2,000人ほど溢れていた<ref name = kankyaku12000/>。同大会から[[東京12Ch系]]でテレビ中継が開始された<ref name = kankyaku12000/>。
 
[[1974年]] 第6回全日本選手権
 
* 128人の選手参加による2日間のトーナメント開催で、決勝まで進むには初日に2試合、2日目に5試合を行う形式で実施。
 
* 準決勝敗退者2名のうち、[[試割り]]枚数多い方から3位・4位、5位~8位は試割り枚数の多い順に入賞と決めていたが、3位・4位を3位決定戦で決める方式に変更。
 
[[1979年]] 第2回全世界選手権
 
* この年から世界選手権のみ3日間のトーナメント開催となり、各国選手権の優勝・準優勝者など[[シード]]された選手は初日の1試合が免除され、2日目に2試合、3日目に5試合行われる形式となる。その後の世界選手権も参加した選手数はその時々で変動したが、3日間開催とシード権は継続
 
 
 
=== 大会結果 ===
 
==== 全日本選手権 ====
 
毎年11月に[[無差別級]]の「オープントーナメント全日本空手道選手権大会」を開催し、他流派や他団体の選手も参加できる。[[1984年]]から毎年6月に体重制の「[[全日本ウェイト制空手道選手権大会|オープントーナメント全日本ウェイト制空手道選手権大会]]」も開催している。
 
 
 
{| class="wikitable" style="text-align:center"
 
|+ 無差別級(男子) ※[[1995年]]以降は[[極真会館松井派]]のみ
 
|-
 
! 回 !! 年 !! 優勝 !! 準優勝 !! 3位 !! 4位
 
|-
 
| 1 || [[1969年]] || [[山崎照朝]] || [[添野義二]] || [[長谷川一幸]] || 朴邦治
 
|-
 
| 2 || [[1970年]] || [[長谷川一幸]] || [[山崎照朝]] || [[添野義二]] || 増田賢一
 
|-
 
| 3 || [[1971年]] || [[佐藤勝昭]] || [[大山泰彦]] || [[大石代悟]] || [[三浦美幸]]
 
|-
 
| 4 || [[1972年]] || [[三浦美幸]] || [[:en:Howard Collins|ハワード・コリンズ]] || [[佐藤俊和]] || [[山崎照朝]]
 
|-
 
| 5 || [[1973年]] || [[盧山初雄]] || [[山崎照朝]] || [[佐藤俊和]] || [[佐藤勝昭]]
 
|-
 
| 6 || [[1974年]] || [[佐藤勝昭]] || [[東孝]] || [[盧山初雄]] || [[西田幸夫]]<ref group="注釈" name="ex2">第1回全日本選手権から第6回まで連続出場し、第6回全日本選手権で4位に入賞した。現在は国際武道連盟・[[#分裂騒動|極真空手 清武会]]の師範である。</ref><ref name="sgn45817"/>
 
|-
 
|  || [[1975年]] || colspan="4"| 第1回全世界空手道選手権大会と兼ねる
 
|-
 
| 8 || [[1976年]] || [[佐藤俊和]] || [[二宮城光]] || [[東孝]] || 沢柳俊夫
 
|-
 
| 9 || [[1977年]] || [[東孝]] || 中山猛夫 || [[中村誠 (空手家)|中村誠]] || [[浜井識安]]
 
|-
 
| 10 || [[1978年]] || [[二宮城光]] || [[三瓶啓二]] || [[中村誠 (空手家)|中村誠]] || [[廣重毅]]
 
|-
 
| 11 || [[1979年]] || [[中村誠 (空手家)|中村誠]] || [[三瓶啓二]] || [[東孝]] || 野口敏郎
 
|-
 
| 12 || [[1980年]] || [[三瓶啓二]] || [[中村誠 (空手家)|中村誠]] || 為永隆 || [[松井章圭]]
 
|-
 
| 13 || [[1981年]] || [[三瓶啓二]] || [[中村誠 (空手家)|中村誠]] || [[松井章圭]] || 白石昌幸
 
|-
 
| 14 || [[1982年]] || [[三瓶啓二]] || [[水口敏夫]]<ref group="注釈" name="ex3">[[浜井識安]]の石川支部出身。第13回全日本選手権に初出場し、4回戦で[[竹山晴友]]に敗退。しかし、第14回全日本選手権では[[中村誠 (空手家)|中村誠]]を破った[[ブラジル]]の[[アデミール・ダ・コスタ]]、[[松井章圭]]に勝ち、決勝進出。[[三瓶啓二]]に惜敗したものの準優勝した。第3回全世界選手権にも出場し、第16回全日本選手権では竹山と再戦したが、[[判定]]負けで3位入賞。これを最後に選手権大会から退く。[[岡山県]]支部長に就任して、現在では[[極真会館松井派]]から離れて、[[#分裂騒動|極真会館 極眞會]]の代表である。</ref><ref name="sgn45817"/> || [[松井章圭]] || [[三好一男]]
 
|-
 
| 15 || [[1983年]] || [[大西靖人]] || [[小笠原和彦]] || [[竹山晴友]] || [[三好一男]]
 
|-
 
| 16 || [[1984年]] || [[黒澤浩樹]] || [[竹山晴友]] || [[水口敏夫]] || 木元正資
 
|-
 
| 17 || [[1985年]] || [[松井章圭]] || [[黒澤浩樹]] || [[増田章]] || ジェームズ・北村
 
|-
 
| 18 || [[1986年]] || [[松井章圭]] || [[増田章]] || [[八巻建弐|八巻建志]] || [[小井義和]]
 
|-
 
|    || [[1987年]] || colspan="4"| 第4回全世界選手権と兼ねる
 
|-
 
| 20 || [[1988年]] || [[桑島靖寛]] || [[石井豊 (空手家)|石井豊]]<ref group="注釈" name="ex5">総本部所属。第20回全日本選手権準優勝・第8回全日本ウエイト制重量級3位・第5回全世界選手権6位。身長175センチメートル、体重90キログラム。サウスポーからの下突きと[[鎖骨]]を狙う正拳突き・前蹴り・'''マサカリキック'''と呼ばれた外回し蹴りを得意とした。</ref><ref name="gkbn435">「ゴング格闘技12月6日号増刊」『極真カラテ強豪100人 - BATTLE SERIES Vol.9』 日本スポーツ出版社、[[1994年]]、45頁、123頁、125頁。</ref> || [[八巻建志]] || 山口徹
 
|-
 
| 21 || [[1989年]] || [[八巻建志]] || [[田村悦宏]] || [[桑島靖寛]] || [[増田章]]
 
|-
 
| 22 || [[1990年]] || [[増田章]] || [[緑健児]] || [[岩崎達也]] || [[外舘慎一]]<ref group="注釈" name="ex7">身長191センチメートル・体重100キログラム。[[北海道]]支部所属で[[高木薫]]の一番弟子。[[1983年]]・[[1984年]]北海道選手権優勝。第1回オープントーナメント全日本ウエイト制重量級3位・第4回全世界選手権ベスト16・[[1990年]]全[[アジア]]選手権3位・第22回全日本選手権4位・第5回全世界選手権代表。長身を生かした上段回し蹴り、[[蹴り技#種類|かかと落とし]]、[[膝蹴り]]を得意とした。現在は[[新極真会]][[北海道]]支部外舘道場師範である。</ref><ref name="gkbn435"/>
 
|-
 
|    || [[1991年]] || colspan="4"| 第5回全世界選手権と兼ねる
 
|-
 
| 24 || [[1992年]] || [[田村悦宏]] || [[数見肇]] || [[岡本徹]] || [[七戸康博]]
 
|-
 
| 25 || [[1993年]] || [[数見肇]]|| [[田村悦宏]] || [[岡本徹]] || [[七戸康博]]
 
|-
 
| 26 || [[1994年]] || [[八巻建志]] || [[数見肇]] || [[市村直樹 (空手家)|市村直樹]] || [[岡本徹]]
 
|-
 
|    || [[1995年]] || colspan="4"| 第6回全世界選手権と兼ねる
 
|-
 
| 28 || [[1996年]] || [[数見肇]] || [[ギャリー・オニール]] || [[高久昌義]] || [[高尾正紀]]
 
|-
 
| 29 || [[1997年]] || [[数見肇]] || [[ギャリー・オニール]] || [[堀池典久]] || [[田村悦宏]]
 
|-
 
| 30 || [[1998年]] || [[数見肇]] || [[田村悦宏]] || [[木山仁]] || [[野地竜太]]
 
|-
 
|    || [[1999年]] || colspan="4"| 第7回全世界選手権と兼ねる
 
|-
 
| 32 || [[2000年]] || [[木山仁]] || [[木村靖彦]] || [[市村直樹 (空手家)|市村直樹]] || [[木立裕之]]
 
|-
 
| 33 || [[2001年]] || [[木山仁]] || [[木村靖彦]] || [[足立慎史]] || [[市川雅也]]
 
|-
 
| 34 || [[2002年]] || [[数見肇]] || [[木山仁]] || [[田中健太郎 (空手家)|田中健太郎]] || [[徳田忠邦]]
 
|-
 
|    || [[2003年]] || colspan="4"| 第8回全世界選手権と兼ねる
 
|-
 
| 36 || [[2004年]] || [[田中健太郎 (空手家)|田中健太郎]] || [[徳田忠邦]] || ミハエル・コズロフ || マキシム・デディック
 
|-
 
| 37 || [[2005年]] || [[内田義晃]] || 塩島修 || [[徳田忠邦]] || 加藤達哉
 
|-
 
| 38 || [[2006年]] || [[内田義晃]] || [[アルトゥール・ホヴァニシアン]] || ディミトリー・ルネフ || クリストフ・ハブラシカ
 
|-
 
|    || [[2007年]] || colspan="5"| 第9回全世界選手権と兼ねる
 
|-
 
| 40 || [[2008年]] || 谷口誠 || ザハリ・ダミヤノフ || [[田中健太郎 (空手家)|田中健太郎]] || [[木立裕之]]
 
|-
 
| 41 || [[2009年]] || [[田中健太郎 (空手家)|田中健太郎]] || アレハンドレ・ナヴァロ || 赤石誠 || [[木立裕之]]
 
|-
 
| 42 || [[2010年]] || [[タリエル・ニコラシビリ]] || [[森善十朗]] || [[田中健太郎 (空手家)|田中健太郎]] || 沢田秀男
 
|-
 
|    || [[2011年]] || colspan="5"| 第10回全世界選手権と兼ねる
 
|-
 
| 44 || [[2012年]] || アレハンドロ・ナヴァロ || ゴデルジ・カパナーゼ || [[荒田昇毅]] || [[ダルメン・サドヴォカソフ]]
 
|-
 
| 45 || [[2013年]] || 安島喬平 || アレハンドロ・ナヴァロ || キリル・コチュネフ || 小沼隆一
 
|-
 
| 46 || [[2014年]] || [[ダルメン・サドヴォカソフ]] || [[荒田昇毅]] || [[森善十朗]] || [[鎌田翔平]]
 
|-
 
|    || [[2015年]] || colspan="5"| 第11回全世界選手権と兼ねる
 
|-
 
| 48 || [[2016年]] || [[鎌田翔平]] || [[髙橋佑汰]] || [[上田幹雄]] || [[荒田昇毅]]
 
|-
 
| 49 || [[2017年]] || [[高橋佑汰]] || [[鎌田翔平]] || [[荒田昇毅]] || [[上田幹雄]]
 
|}
 
 
 
==== 全世界選手権 ====
 
; 男子
 
{{main|[[全世界空手道選手権大会|オープントーナメント全世界空手道選手権大会]]}}
 
 
 
==== 全世界ウェイト制選手権 ====
 
1997年に[[極真会館松井派|松井派]]が大山倍達総裁三年祭を記念し、[[両国国技館|国技館]]で初めて開催。以降は全世界大会の中間年に開催されている。
 
 
 
{| class="wikitable" style="text-align:center"
 
|+ ※松井派主催の各階級別優勝者(男子)
 
|-
 
! 回 !! 年 !! 軽量級 !! 中量級 !! 軽重量級 !! 重量級
 
|-
 
| 1 || [[1997年]] || ピーター・サヴィッキー || [[木山仁]] || [[高久昌義]] || [[フランシスコ・フィリォ]]
 
|-
 
| 2|| [[2001年]] || 田ヶ原正文 || エミル・コストフ || 木山仁 || [[数見肇]]
 
|-
 
| 3|| [[2005年]] || ルシアン・ゴゴネル || [[アンドリュース・ナカハラ]] || [[田中健太郎 (空手家)|田中健太郎]] || [[エヴェルトン・テイシェイラ]]
 
|-
 
| 4|| [[2009年]] || 鈴木雄三 || [[森善十朗]] || 田中健太郎 || ミハイル・コズロフ
 
|-
 
| 5|| [[2013年]] || 小沼隆一 || 森善十朗 || アレハンドロ・ナヴァロ || [[荒田昇毅]]
 
|-
 
| 6|| [[2017年]] || 与座優貴 || 大澤佳心 || アンドレイ・ルジン || [[鎌田翔平]]
 
|}
 
 
 
==== 試割り ====
 
厚さ2.4センチメートルの杉板<ref group="注釈" name="ex9">[[試割り]]用の杉板は、当時の新聞「日刊観光」では2.4センチメートルとあるが、「[[日刊スポーツ]]」では2.8センチメートルと表記されている。</ref>で[[正拳突き|正拳]]・足刀<ref group="注釈" name="ex10">[[親指]]を起こして、反対の[[小指]]の根元から[[かかと]]にかけての足の外側部分。[[組手 (空手)|組手]]時には[[横蹴り]]で使用される。</ref>・[[手刀打ち|手刀]]・[[肘打ち|猿臂]]で割った合計枚数により競い合う。なお、[[松井派]]では再延長で勝敗がつかなかった場合にのみ、手刀による試割りを行い、勝者を決めている。
 
 
 
第1回全日本選手権から行われ、以下の更新をしている。
 
{| class="wikitable" style="text-align:center"
 
|+歴代記録および保持者
 
|-
 
! 年 !! 大会 !! 名 !! 正拳 !! 足刀 !! 手刀 !! 猿臂 !! 合計
 
|-
 
| [[1969年]] || 第1回全日本選手権 || [[山崎照朝]] || 3 || 4 || 5 || 4 || 16枚
 
|-
 
| [[1972年]] || 第4回全日本選手権 || 山崎照朝 ||  ||  ||  ||  || 21枚<ref>{{Cite journal |和書 |author = 小宮極次郎 |authorlink = 小宮極次郎 |date = 2016-11-1 |title = あわや外国人が全日本王者に? ◆試割りについて |journal = フルコンタクトKARATEマガジン |volume = 8 |page = 69 |publisher = 武道ユニオン |location = 〒1740063 板橋区前野町2-31-9 }}</ref>
 
|-
 
| [[1973年]] || 第5回全日本選手権 || 山崎照朝 || 4 || 7 || 6 || 7 || 24枚
 
|-
 
| [[1979年]] || 第2回全世界選手権 || [[ウィリー・ウィリアムス (格闘家)|ウィリー・ウィリアムス]] || 5 || 6 || 8 || 7 || 26枚
 
|-
 
| [[1984年]] || 第3回全世界選手権 || [[増田章]] || 6 || 8 || 7 || 8 || 29枚
 
|-
 
| [[1992年]] || 第24回全日本選手権 || 阿部清文 || 6 || 9 || 8 || 8 || 31枚
 
|-
 
|}
 
 
 
== 啓蒙 ==
 
=== 海外の要人と関係を強化 ===
 
[[国賓]]に指導したり、演武を披露することにより、国際的な普及に務めた。
 
 
 
[[1968年]]8月に[[ヨルダン]][[王室]]に招かれ、[[フセイン1世]]、[[アブドゥッラー2世|モハメド皇太子]]など王室関係者に指導を行った<ref>{{Cite book |和書 |title = 極真カラテ総鑑 |origdate = 2001-04-20 |edition = 初版 |publisher = 株式会社I.K.O. 出版事務局 |language = 日本語 |isbn = 4816412506 |page = 57, 60頁 |chapter = 極真の歴史 最強の奔流 }}</ref>。[[1970年]][[6月14日]]にはフセイン1世の妻・[[w:Princess Muna al-Hussein|ムナ王妃]]、フェリアール王弟妃一行が来日し、滞在先である[[東京ヒルトンホテル]]で演武会を催した<ref name="ヨルダン">{{Cite journal |和書 |title = ヨルダン王室の愛弟子達来たる フセイン国王王妃一行極真会館を御訪問 |date = 1970-08 |publisher =  |journal = 現代カラテ |volume = 15 |number = 52 }}</ref>。[[芦原英幸]]は[[頭突き]]で[[瓦]]を割り、とりわけ[[山崎照朝]]と[[添野義二]]の[[組手 (空手)|組手]]を観た王室一行はふたりの実力・迫力に驚嘆していた<ref name="ヨルダン"/>。
 
 
 
[[1972年]]2月に[[スペイン]]の[[フアン・カルロス1世 (スペイン王)|カルロス皇太子]]と[[ソフィア (スペイン王妃)|ソフィア夫人]]が来日した。カルロス皇太子(現・国王)は空手を習っていたことから、当時、極真会館副会長の[[毛利松平]]の仲立ちで演武会が催された。同月21日に[[大山倍達]]以下、[[大山泰彦]]・山崎照朝・添野義二・[[鈴木浩平 (空手家)|鈴木浩平]]・[[三浦美幸]]・[[佐藤勝昭]]・[[磯部清次]]・[[大石代悟]]・[[:en:Howard Collins|ハワード・コリンズ]]など[[黒帯]]、[[茶帯]]約20名からなるメンバーが、[[赤坂 (東京都港区)|赤坂]]の[[迎賓館]]に訪問。基本稽古から各種[[試割り]]のあと、第1回全日本選手権チャンピオンの山崎照朝と第3回全日本選手権チャンピオンの佐藤勝昭の模範試合が行われるなど、夫妻の前で数々の空手の[[技術#技と術|技]]を披露した<ref>[[極真館]]吉川支部の[[鈴木浩平 (空手家)|鈴木浩平]] 「[http://kyokushin.cside.com/ 極真館吉川支部→思い出の写真] →昭和47年(1972)スペイン皇太子来日 - [[迎賓館]]。</ref><ref>[[佐藤勝昭]] 『王道の空手』 [[講談社]]、[[1987年]]、245 - 248頁。</ref>。
 
 
 
[[1981年]]6月に[[サウジアラビア]]の[[ファハド・ビン=アブドゥルアズィーズ|ファイサル皇太子]]が総本部に来訪した。ファイサル皇太子は演武を堪能後、指導員の派遣を要請した<ref name="gkbn435"/>。
 
 
 
=== 弟子を世界各地へ派遣し、孫弟子の輩出 ===
 
[[1950年代]]は[[大山倍達]]が国内外を遠征をしていたが、[[1960年代]]半ばから、弟子を国内外各地に派遣し、支部の設立と門下生を育成した。海外では[[1966年]]の[[黒崎健時]]が渡欧したのを皮切りに[[中村忠 (空手家)|中村忠]]・[[大山茂 (空手家)|大山茂]]・大山泰彦・三浦美幸・[[岸信行 (空手家)|岸信行]]を[[アメリカ]]各地へ、[[加藤重夫]]を[[オーストラリア]]、[[松島良一]]を[[シンガポール]]、磯部清次を[[ブラジル]]へと派遣し、帰国した者を除き、支部長として永住させた。また、自ら来日し本部道場で稽古した[[ジョン・ブルミン]]、[[ヤン・カレンバッハ]]、[[:en:Loek Hollander|ルック・ホランダー]](以上、[[オランダ]])、[[:en:Steve Arneil|スティーブ・アニール]]、ハワード・コリンズ(以上、[[イギリス]])、[[:en:John Jarvis (karateka)|ジャン・ジャービス]]([[ニュージーランド]])、ジョン・テイラー<ref group="注釈" name="ex14">[[オーストラリア]]支部長。[[:en:Howard Collins|ハワード・コリンズ]]と同時期に数か月間、本部道場の内弟子となり、修行していた。現在は極真会館 松島派に所属している。</ref>(オーストラリア)らを帰国後、現地の支部長や指導員に任命した。
 
 
 
国内でも加藤重夫・[[芦原英幸]]・添野義二・松島良一・[[高木薫]]・[[長谷川一幸]]・[[大石代悟]]・[[花澤明]]・[[東孝]]・[[浜井識安]]らを派遣や帰郷などで、各地の支部長に据えた。これらの活動が[[佐藤俊和]]・[[二宮城光]]・[[田原敬三]]・[[水口敏夫]]<ref group="注釈" name="ex3"/>・[[松井章圭]]・[[増田章]]ら孫弟子が、前後して大学の空手道部も傘下にし、[[城西大学]]に在学していた添野が同部二期生の高木、三期生の三浦美幸・[[吉岡幸男]]、六期生の花澤を、[[早稲田大学]]に在学していた東は[[三瓶啓二]]、など多くの人材を輩出している。
 
 
 
[[1985年]]以降は[[山田雅稔]]の東京都下城西支部か、[[廣重毅]]の東京城南川崎支部のいずれから、チャンピオンや上位入賞者を多く輩出する時代が続いた。海外では[[チャールズ・マーチン]]<ref group="注釈" name="ex17">当時の極真会館全米選手権のチャンピオンであり、第1回全世界選手権では最強の外国人選手と云われた。[[ネグロイド|黒人]]特有のバネを生かしたヒット・アンド・アウェイの戦法で、突き・蹴りとバランス良く攻撃してきた。3回戦では[[イスラエル]]の100キログラムで[[柔道]]参段でもあるギドン・ギダリーを上段[[後ろ回し蹴り]]で一本勝ち。4回戦では若きテクニシャンの東谷巧を破り、破竹の勢いで勝ちあがってきた。[[準々決勝]]で[[盧山初雄]]と対戦し、延長1回で[[判定]]負けしたが、7位入賞した。現在は[[誠道塾]]師範を務めている。</ref>、[[ウィリアム・オリバー]]、[[ウィリー・ウィリアムス (格闘家)|ウィリー・ウィリアムス]](以上、アメリカ)、[[アデミール・ダ・コスタ]]、[[フランシスコ・フィリォ]](以上、ブラジル)、[[ジャン・リビエール]]<ref group="注釈" name="ex18">[[1971年]]7月2日生まれ。[[カナダ]][[モントリオール]]出身。[[1990年]]・[[1991年]]カナダ大会優勝。この時点でキャリア5年だが、同年の第5回[[全世界空手道選手権大会|オープントーナメント全世界空手道選手権大会]]のカナダ代表として出場。身長188センチメートル・体重128キログラムの巨漢でありながら、軽快なフットワークとサウスポーからの突き、上中下段回し蹴りで一本勝ちを奪い、勝ち上がっていった。特に[[岩崎達也]]との対戦では、岩崎の右上段後ろ回し蹴りに対して、[[カウンターアタック#格闘技|カウンター]]の左上段後ろ回し蹴りで一本勝ちを奪った。その瞬間、会場が一瞬シーンとなり、大歓声が沸くほどの見事な勝利だった。準決勝では[[増田章]]と対戦。増田の左上段回し蹴りや右後ろ回し蹴りを顔面にヒットされたり、右中段回し蹴りで脇腹に攻撃を受け、正拳突きを[[鳩尾]](みぞおち)に決められ、下を向いて動きが止まるなど自分のペースで試合できなかったが、延長2回まで粘り、惜敗した。3位決定戦では[[黒澤浩樹]]に破れ、4位入賞を果たした。その後、[[1992年]][[アメリカ合衆国|米国]]国際スーパーヘビー級優勝・[[1994年]]米国国際優勝の成績を収めた。[[極真会館#分裂騒動|分裂騒動]]が起きた時には、政治的問題に巻き込まれないように極真会館を脱会する。その後、[[キックボクシング]]に転向、[[国際大山空手道連盟]]に所属し、[[バーリ・トゥード]]にも参加したり、[[K-1]]へ参戦したりした。</ref><ref name="sgn45817-2">『新・極真カラテ強豪100人(ゴング格闘技1月号増刊)』 日本スポーツ出版社、[[1997年]]、114頁、150 - 151頁。</ref>([[カナダ]])、ハワード・ロブマン、[[ミッシェル・ウェーデル]]、[[ジェラルド・ゴルドー]]、[[ピーター・スミット]](以上、オランダ)、[[アンディ・フグ]]([[スイス]])、[[マイケル・トンプソン (格闘家)|マイケル・トンプソン]](イギリス)、[[ドルフ・ラングレン|ハンス・ラングレン]]([[スウェーデン]])、[[サム・グレコ]](オーストラリア)、[[ケニー・ウーテンボガード]]([[南アフリカ共和国|南アフリカ]])らの孫弟子輩出となり、組織拡大に繋がった。しかし、[[1975年]](昭和50年)代前後から相次いで弟子の破門、独立が発生([[#極真会館から派生、独立した団体|独立した団体]])。ほとんどの支部が独立採算を取っていた為、現地の門下生も一緒に離れることとなった。一時的に縮小したりしたものの拡大の勢いは落ちず、[[1990年代]]に入ると各都道府県へ支部の設置が完了し、最盛期には世界123ヵ国、公認支部道場1,000以上、会員1,200万人の規模となった<ref name="takagi1990"/>。
 
 
 
== メディアミックス ==
 
=== 出版 ===
 
大山倍達自らも[[大山倍達#著書|精力的に執筆]]した。[[1966年]]には極真会館の機関誌として、月刊『近代カラテ』を発行<ref group="注釈" name="ex12">後に『現代カラテ』→『現代カラテマガジン』と誌名が変わり、[[真樹日佐夫]]が編集長になった。</ref>。[[1978年]]からは新たに『[[月刊パワー空手]]』を機関誌として創刊した。また、『空手バカ一代』に登場した弟子のほとんどが、各々自叙伝や技術本を出版した。
 
 
 
=== 映画 ===
 
『[[007は二度死ぬ]]』の撮影で、[[姫路城]]の屋根で[[忍者]]部隊役で戦うシーンに[[大沢昇|藤平昭雄]]と[[加藤重夫]]が出演した。この撮影には各流派の[[空手道|空手家]]が集まっていたが、撮影の合間にも大沢と加藤は練習していた<ref name="goda">「特集●[[郷田勇三]] - 空手行路四十年」『[[格闘Kマガジン]]』 ぴいぷる社、3月号、[[2001年]]、12頁。</ref>。その熱心さに[[ジェームズ・ボンド]]役の[[ショーン・コネリー]]が彼らを気に入り「あなた達の[[道場]]に行きたい」と言い、1966年[[9月3日]]にコネリーが本部道場に来訪して演武会が行われた<ref name="goda"/>。藤平・加藤の他に[[大山茂 (空手家)|大山茂]]・[[郷田勇三]]・[[芦原英幸]]・[[鈴木浩平 (空手家)|鈴木浩平]]らが参加し、数々の[[試割り]]や演武を披露した<ref name="goda"/>。なお、コネリーには名誉参段が贈呈された<ref>「国際空手道連盟極真会館 - 年度別昇段登録簿 - 国内」『極真カラテ総鑑』 株式会社I.K.O.出版事務局、[[2001年]]、62頁。</ref>。
 
 
 
[[東映]]は、[[大山道場]]時代からの弟子である[[千葉真一]]主演で、大山倍達を主人公にした『[[けんか空手 極真拳]]』 ([[1975年の日本公開映画|1975年]])、『[[けんか空手 極真無頼拳]]』 (1975年)、『[[空手バカ一代 (映画)|空手バカ一代]]』 ([[1977年の日本公開映画|1977年]])を、[[三協映画]]が『[[地上最強のカラテ]]』、『[[地上最強のカラテ2]]』 ([[1976年の日本公開映画|1976年]])、『[[最強最後のカラテ]]』 ([[1980年の日本公開映画|1980年]])を制作し、それぞれ公開された。東映の3作品には、大山道場や設立直後の極真会館で師範代を務めた[[石橋雅史]]も出演している。これらの映画に極真会館は全面的に協力した。
 
 
 
=== 漫画・劇画 ===
 
[[梶原一騎]]の原作で『[[虹を呼ぶ拳]]』、『[[空手バカ一代]]』、『[[四角いジャングル]]』などで、[[大山倍達]]と極真会館は実名で取り上げられた。特に『空手バカ一代』は大山を主人公にし、弟子も紹介された作品で、[[アニメ]]化や[[映画]]化もされた。
 
 
 
=== 通信教育 ===
 
梶原一騎らとの協力により[[マス大山カラテスクール]]を[[1972年]]に設立。自宅に居ながらにして極真空手を学べるとして少年漫画誌を中心に大々的な宣伝を行い、多数の受講生を獲得した。[[1973年]]には[[渋谷]]に通信生向けの実技道場を構え、[[師範代]]を[[山崎照朝]]、指導員を鈴木浩平などが務めた。
 
 
 
=== テレビ中継・雑誌 ===
 
1973年の第5回全日本選手権からテレビ中継され<ref name = kankyaku12000/>、その後、全日本・全世界選手権開催毎に[[テレビ東京|東京12チャンネル]]や[[テレビ朝日|NET]]で放送された。雑誌では『[[ゴング格闘技]]』 ([[日本スポーツ出版社]])、『[[格闘技通信]]』 ([[ベースボール・マガジン社]])、『[[月刊フルコンタクトKARATE]]』 ([[福昌堂]])にも頻繁に登場した。
 
 
 
== 百人組手 ==
 
{{Main|百人組手}}
 
 
 
== 分裂騒動 ==
 
=== 大山倍達没後と分裂騒動、その後 ===
 
[[File:Kyokushin-Kaikan Tokyo headquarters 02.jpg|thumb|280px|right|分裂後、移転した[[極真会館松井派|松井章圭館長派]]の総本部道場]]
 
[[1994年]][[4月26日]]、極真会館の創始者である[[大山倍達]]は逝去した。
 
 
 
弟子たちにとって絶対無比の[[カリスマ]]であった大山を喪失した極真会館では没後間もなく、その後継の座を巡っての主導権争いが始まった。やがて、団体幹部や支部長、それに準ずるクラスの人物、大山の遺族との間で、団体は四分五裂の様相を呈してゆく。その後も数多くの人物による分派や独立も続き、「極真」という[[商標]]も奪い合いとなり、これらは訴訟係争という事態に繋がっていた。その他の指導者や一時代を築いた有力選手にも、知名度が上がると共にこのような政治的な争いに巻き込まれることを嫌って「極真」から離れ、独自の空手道を求めていった者が少なくない。
 
 
 
本項ではこれらについて記す。
 
 
 
=== 1994年 ===
 
大山逝去の翌々日、極真会館の審議(評議)委員長であった梅田嘉明が「大山総裁は[[遺言]]で[[松井章圭]]を次期後継者に指名された」と発表。[[5月10日]]に、梅田を[[財団法人]][[極真奨学会]]理事長、松井を館長、[[郷田勇三]]を最高顧問、[[盧山初雄]]を最高顧問・主席師範、支部長協議会の会長を西田幸夫<ref group="注釈" name="ex2"/>とし、新体制による運営が始まった。6月に入り、遺族が記者会見を行い「遺言に疑問があるので法的手段にでる」と発表し、本葬時にも抗議活動を行った。国内の支部長では9月迄に[[高木薫]]ら計5人が、新体制に異を唱えて離れた。
 
 
 
=== 1995年 ===
 
2月に[[高木薫]]ら5人の支部長が[[大山智弥子]]未亡人を館長とし遺族派([[大山智弥子|大山派]])を結成する。
 
 
 
4月に新体制の[[松井章圭|松井館長派]]から、西田・[[三瓶啓二]]ら35人の支部長がいる[[新極真会|支部長協議会派(現:新極真会)]]に分裂。この国内の分裂は海外にも波及し、世界各地で支部の取り合い、選手の引き抜きも行われ、分裂が生じた。[[松井章圭|松井館長派]]は[[中村誠 (空手家)|中村誠]]や[[山田雅稔]]ら12人にまで減ったが、半年後には[[川畑幸一]]ら9人が支部長協議会派から復帰した。
 
 
 
8月には智弥子館長を頭とし支部長協議会派と遺族派が合流([[大山智弥子|大山派]])。同年から各種大会が松井館長派と大山派に分裂して開催されるようになった。
 
 
 
=== 1996年以降 ===
 
[[松井章圭|松井館長派]]と[[大山智弥子|大山派]]は、それぞれの機関誌である『[[ワールド空手]]』と『[[極真魂]]』誌上で数年間、双方の正当性を主張しあっていた。[[1997年]][[3月17日]]に遺言書の有効性を否定する判決が[[最高裁判所 (日本)|最高裁]]で確定した。そののち[[大山智弥子|大山派]]は、協議会派と遺族派に再分裂。協議会派は[[1999年]]に西田・[[増田章]]が離脱。さらに理事の役職にあった田畑繁・[[七戸康博]]・[[桑島靖寛]]らが離れ、前後して離脱した[[長谷川一幸]]・[[大石代悟]]らと[[2001年]]に[[極真連合会]]を発足させる。協議会派に残留した者が現在の[[新極真会]]となった。遺族派は[[松島良一|松島派]]、[[極真会館 手塚グループ|手塚グループ]]、[[極真会館 宗家]]に分かれる。
 
 
 
一方、松井は自派を[[株式会社]]化し、団体名称を'''[[株式会社国際空手道連盟極真会館]]'''と刷新したが、こちらもさらなる分裂が続いている。[[2002年]]に[[極真奨学会]]の梅田が松井と関係を絶つと、同年11月に盧山や地区本部長を務めていた[[廣重毅]]・[[湖山彰夫]]らも去り、彼らは[[極真館]]を興し、梅田と一緒に休眠していた[[極真奨学会]]を復活させた。[[2005年]]には水口敏夫<ref group="注釈" name="ex3"/>・河西泰宏らが、[[2006年]]には[[浜井識安]]が[[松井派]]から離れ、極真奨学会の協力団体になった。[[2008年]]、[[木村靖彦]]が全日本極真連合会へ移り、[[2010年]]8月には国際委員会委員で[[欧州]]地区担当の[[:en:Loek Hollander|ルック・ホランダー]]が、傘下の支部と共に[[松井派]]から離脱した<ref>{{Cite web |author = [[:en:Loek Hollander|ルック・ホランダー]] |coauthors = Antonio Pinero |date = 2010-8-13 |url =/news/ European Kyokushin Karate News |title = RESIGNATION FROM IKO KYOKUSHINKAIKAN |language = 英語 |accessdate = 2010-08-18 }}</ref><ref>{{Cite web |author = ルック・ホランダー |coauthors = Antonio Pinero |date = 2010-8-15 |url =/news/ European Kyokushin Karate News |title = EUROPEAN KYOKUSHIN KARATE ORGANISATION LEFT IKO (MATSUI) |language = 英語 |accessdate = 2010-08-18 }}</ref>。この期間に[[黒澤浩樹]]・[[小笠原和彦]]・[[八巻建弐|八巻建志]]・[[数見肇]]が独立し、自派を発足している。選手では[[ニコラス・ペタス]]・[[野地竜太]]・[[高久昌義]]らが離脱。
 
また、近年では[[極真会館松井派|極真会館(松井派)]]の愛媛県支部長だった[[高見成昭]]と[[高見彰]]が傘下の分支部と共に独立。[[2016年]]には兵庫・大阪南支部支部長の[[中村誠 (空手家)|中村誠]]が[[松井派]]から脱退した<ref>[http://www.nakamuradojo.com/images/top/letter_japanese.jpg 中村誠支部長辞任に関する文書] - [[平成]]28年([[2016年]])12月4日</ref>。
 
 
 
=== 現在の状況 ===
 
「国際空手道連盟 極真会館」もしくは「極真」を名乗る主な団体として(分裂順)<ref>[http://kyokushinkarate.co.jp/keitou.pdf 極真系統図]</ref>。
 
* [[極真会館松井派]](一般財団法人極真会館)([[松井章圭]])
 
* [[極真会館 宗家]]([[大山喜久子]])
 
* [[極真大山空手]](津浦伸彦)
 
* [[新極真会]]([[緑健児]])
 
* 極真空手 清武会([[西田幸夫]]<ref group="注釈" name="ex2"/>)
 
* [[全日本極真連合会]](一般社団法人極真会館)([[七戸康博]])
 
* IBMA極真会館 増田道場([[増田章]])
 
* 極真会館 松島派([[松島良一]])
 
* [[極真会館 手塚グループ]](森義道)
 
* 極真会館 安斎派(安斎友吉)
 
* [[極真館]](一般財団法人[[極真奨学会]])([[盧山初雄]])
 
* 極真会館 森上派([[森上儀彦]])
 
* 極真会館 水口派([[水口敏夫]]<ref group="注釈" name="ex3"/>)
 
* [[浜井識安|極真会館 浜井派]](浜井美香) ※極真奨学会参加協力団体
 
* [[極真会館坂本派]]([[坂本恵義]])
 
* [[世界総極真]]([[大石代悟]])
 
* 極真会館 中村道場([[中村誠 (空手家)|中村誠]])
 
* [[極真拳武會]]([[金子雅弘]])
 
 
 
などが存在している。また、小規模な団体も含めれば更に増加する。
 
 
 
松井派、宗家、新極真などは、自らが大山の極真空手の唯一の正当後継であると主張しており、他の極真諸派の存在を認めなかったり、認めていても消極的である。それに反して[[全日本極真連合会|社団法人極真会館]]や[[極真館|財団法人極真奨学会]]は、他の極真諸派の存在を認めようとする団体である。奨学会には極眞會、浜井派などがそれぞれ参加協力している。“極真会館”関連の商標を巡って、宗家、社団法人極真会館、奨学会らはそれぞれ[[松井章圭|松井派]]と係争中であったが、2009-2010年に[[極真会館 宗家|大山家]]の商標登録が確定した。しかし、2017年5月に特許庁は、審判で「出願は他の事業者の活動を妨害する不正な目的」と判断、登録は無効とした<ref>[https://www.sankei.com/affairs/news/180130/afr1801300045-n1.html 商標無効で再審開始決定 「極真会館」使い空手道場]</ref>。
 
 
 
なお、この分裂騒動を報道の他では[[家高康彦]]が『極真大乱』で、[[小島一志]]が『実戦格闘技論』で著している。
 
 
 
== 極真会館から派生、独立した団体 ==
 
以下はあくまでも著名な団体のみを上げる。こちらも小規模な団体や海外も含めれば更に増加する(独立順)。
 
* [[目白ジム]] ([[黒崎健時]])
 
* [[誠道塾]] ([[中村忠 (空手家)|中村忠]])
 
* [[佐藤塾]] ([[佐藤勝昭]])
 
* 極真武道会 ([[ジョン・ブルミン]])
 
* [[芦原会館]] ([[芦原英幸]])
 
* [[士道館]] ([[添野義二]])
 
* 真樹道場 ([[真樹日佐夫]])
 
* [[大道塾空道|大道塾]] ([[東孝]])
 
* [[国際大山空手道連盟]] ([[大山茂 (空手家)|大山茂]]・[[大山泰彦]])
 
* 拳眞塾 ([[大川宏]])
 
* 徹武館 ([[田原敬三]])
 
* 岸空手道場 ([[岸信行 (空手家)|岸信行]])
 
* [[円心会館]] ([[二宮城光]])
 
* International Federation of Karate ([[:en:Steve Arneil|スティーブ・アニール]])
 
* 逆真会館 ([[山崎照朝]])
 
* ドージョー・カマクラ ([[ジェラルド・ゴルドー]])
 
* 勢和会 ([[アデミール・ダ・コスタ]])
 
* 竹山道場 ([[竹山晴友]])
 
* 聖心館 ([[黒澤浩樹]])
 
* 三浦道場 ([[三浦美幸]])
 
* 八巻空手 ([[八巻建弐|八巻建志]])
 
* [[数見道場]] ([[数見肇]])
 
* 沖縄古伝空手剛毅會 ([[岩崎達也]])
 
* 創天会 ([[小笠原和彦]])
 
* ニコラス・ペタス道場 ([[ニコラス・ペタス]])
 
* 飛鳥道場 ([[池田雅人]])
 
* 究道会館 ([[堀池典久]])
 
* Kyokushin World Federation ([[:en:Loek Hollander|ルック・ホランダー]])
 
* 野地道場 ([[野地竜太]])
 
* 錬空武館 ([[高久昌義]])
 
* [[空手道 高見空手]] ([[高見成昭]]・[[高見彰]])
 
* 空手道 高尾道場 ([[高尾正紀]])
 
* 至誠空手道場 ([[田中健太郎 (空手家)|田中健太郎]])
 
 
 
== 参考文献 ==
 
* {{Cite journal |和書 |author = 小宮極次郎 |authorlink = 小宮極次郎 |date = 2016-12-1 |title = 観客が殺到し入場制限も |journal = [[フルコンタクトKARATEマガジン]] |volume = 9 |publisher = [[武道ユニオン]] |location = 〒1740063 板橋区前野町2-31-9 |ref = 観客殺到 }}
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
; 注釈
 
{{Notelist}}
 
; 出典
 
{{Reflist|2}}
 
 
 
== 外部リンク ==
 
* [http://www.kyokushinkaikan.org/ 極真会館]
 
* [http://www.mas-oyama.com/index.html 国際空手道連盟 極真会館宗家 総本部]
 
* [http://kyokushin-oyama-dojo.wix.com/kyokushin-oyama-dojo 極真大山空手]
 
* [http://www.shinkyokushinkai.co.jp/ 全世界空手道連盟 新極真会]
 
* [http://www.h3.dion.ne.jp/~seibukai/ 国際武道連盟 極真空手 清武会]
 
* [http://www.kyokushin-rengokai.com/ 一般社団法人 国際空手道連盟 極真会館]
 
* [http://www.masuda-karate.com/ IBMA極真会館 増田道場]
 
* [http://www.kyokushin-matsushima.jp/ 国際空手道連盟 極真会館 I.K.O. MATSUSHIMA]
 
* [http://www.karate-tezuka.net/ 国際空手道連盟総本部 極真会館 手塚グループ]
 
* [http://www.geocities.jp/kyokusinanzaidojo/ 国際空手道連盟 極真会館安斎道場]
 
* [http://www.kyokushinkan.org/ 一般財団法人極真奨学会 極真空手道連盟 極真館]
 
* [https://kyokushin-morigami.com/ 国際空手道連盟 極真会館 森上派総本部]
 
* [http://www.kyokushinkarate.net/okayama/ 国際極真空手連盟 極真會]
 
* [http://kyokushin-hamai.com/ 国際空手道連盟 極真会館浜井派]
 
* [http://www.sokyokushin.com/ 国際空手道連盟 極真会館 世界総極真]
 
* [http://www.kyokushin-sakamoto.com/index.html 国際空手道連盟極真会館坂本派]
 
* [http://www.nakamuradojo.com/ 国際空手道連盟 極真会館中村道場]
 
* [http://kyokushin-kenbukai.com/ 一般社団法人 極真武道空手連盟 極真拳武會]
 
 
 
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[[Category:極真会館|*]]
 
[[Category:格闘技]]
 
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[[Category:空手道の歴史]]
 
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