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{{Infobox 組織
 
|名称        = 極東委員会<br />Far Eastern Commission<ref name=britainica>{{cite web|url=https://kotobank.jp/word/%E6%A5%B5%E6%9D%B1%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A-53281|title=極東委員会 きょくとういいんかい Far Eastern Commission|date=|work=[[ブリタニカ国際大百科事典]]小項目事典|accessdate=2017-10-12}}</ref>
 
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|前身        = 極東諮問委員会(Far Eastern Advisory Commission<ref name=britainica/><ref name=setchi>{{cite web|url=http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/053shoshi.html|title=資料と解説 3-4 極東委員会の設置とGHQとの会談|publisher=[[国立国会図書館]]|work=日本国憲法の誕生|accessdate=2017-10-12}}</ref>; FEAC)
 
|後継        =
 
|設立        = [[1945年]]12月<!-- 設立年 --><ref name=daijisen>{{cite web|url=https://kotobank.jp/word/%E6%A5%B5%E6%9D%B1%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A-53281|title=きょくとう‐いいんかい〔‐ヰヰンクワイ〕【極東委員会】|publisher=[[小学館]]|work=デジタル[[大辞泉]]|accessdate=2017-10-12}}</ref>
 
|設立者      =
 
|廃止        = [[1952年]]頃、自然消滅<!-- 廃止年 --><ref name=britainica/>
 
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|メンバー    = {{USA1912}}([[拒否権]]あり)<ref name=britainica/><br />{{GBR}}(拒否権あり)<ref name=britainica/><br />{{SSR1923}}(拒否権あり)<ref name=britainica/><br />{{ROC}}(拒否権あり)<ref name=britainica/><br />{{IND}}<ref name=britainica/><br />{{PHL}}<ref name=britainica/><br />{{AUS}}<ref name=britainica/><br />{{NZL}}<ref name=britainica/><br />{{NLD}}<ref name=britainica/><br />{{FRA}}<ref name=britainica/><br />{{CAN}}<ref name=britainica/><br />{{BIR1948}}(1949年11月17日~)<ref name=britainica/><br />{{PAK}}(1949年11月17日~)<ref name=britainica/>
 
|言語        = <!-- 公用語 -->
 
|事務総長    = 議長国<!-- 既定値:会長 -->{{USA1912}}<ref name=britainica/><br />議長[[フランク・ロス・マッコイ]]<ref name=kanyo>{{cite web|url=http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/098shoshi.html|title=資料と解説 3-28 極東委員会の関与|publisher=国立国会図書館|work=日本国憲法の誕生|accessdate=2017-10-12}}</ref>
 
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|過去名      =
 
|補足        =
 
}}
 
'''極東委員会'''(きょくとういいんかい、[[英語]]: Far Eastern Committee)は、[[太平洋戦争]]に敗北した[[日本]]を[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]が[[占領]]管理するために設けられた最高政策決定機関<ref name=setchi/>。強大な権限を有した[[連合国軍最高司令官総司令部]](GHQ/SCAP)もその決定には従うものとされた<ref name=setchi/>。
 
  
== 沿革 ==
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'''極東委員会'''(きょくとういいんかい、[[英語]]: Far Eastern Committee)
[[ポツダム宣言]]受諾と[[玉音放送]]ののち日本が事実上[[アメリカ合衆国]](米、米国)による単独占領下に置かれる<ref name=setchi/>中、[[1945年]][[8月22日]]、米国は[[イギリス]](英)・[[ソビエト連邦]](ソ)・[[中華民国]](中)の3か国に対して、降伏文書により日本が負う義務の履行に関する施策の策定等について各国政府に勧告を行う機関'''極東諮問委員会'''(Far Eastern Advisory Commission ; FEAC)の設置を提案した<ref name=rfec>{{cite web|url=http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/098shoshi.html|title=Records of the Far Eastern Commission, 1945-1952|publisher=国立国会図書館|work=憲政資料室の所蔵資料 日本占領関係資料|date=2016-05-17|accessdate=2017-10-12}}</ref>。しかし、当初ソ中賛成・英反対、のち英中賛成・ソ反対となって<ref name=rfec/>、機能を果たさないながらも同年10月以降ソビエト連邦欠席のまま協議が重ねられた<ref name=britainica/><ref name=rfec/>。
 
  
極東委員会は[[1945年]]([[昭和]]20年)9月に設置されたが、12月のソビエト連邦・アメリカ合衆国・イギリスの[[モスクワ三国外相会議]]において、英・米・ソと[[中華民国]]、[[オランダ]]、[[オーストラリア]]、[[ニュージーランド]]、[[カナダ]]、[[フランス]]、[[フィリピン]]、[[インド]]の11カ国代表で構成されることが決定した。第1回会合が[[1946年]][[2月26日]]にアメリカの[[ワシントンD.C.]]で開かれた。
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第2次世界大戦後連合国が日本を占領中,その管理の最高機関として設立した機関。ソ連の反対から極東諮問委員会 Far Eastern Advisory Commissionが機能を果さないことから,1945年 12月モスクワのアメリカ,イギリス,ソ連3国外相会議で設立が決り,第1回会合が 46年2月 26日ワシントン D.C.で開かれた。表決にはアメリカ,イギリス,ソ連,中華民国それぞれが拒否権をもったが,アメリカの単独統治をめぐっての議論に終始し,成果はあがらなかった。構成国は先の4ヵ国のほかインド,フィリピン,オーストラリア,ニュージーランド,オランダ,フランス,カナダの7ヵ国で,49年 11月 17日からビルマ,パキスタンの参加が認められ計 13ヵ国となった。議長はアメリカであった。日本の非軍事化はいうまでもなく,45年 12月 27日には民主化に関する基本指令は一段落したと GHQが発表,極東委員会が発足した頃には東ヨーロッパでのソ連の進出はトルーマン大統領が最も好まない状態にあり,またイラン領内におけるソ連の反政府勢力援助の動きは警戒を起させるものであった。そのため,47年3月のトルーマン宣言までのいわば極東委員会の第1期はアメリカ,ソ連の関係は険悪化する傾向にあった。以来,冷戦はますます激化し,極東委員会の活動も第2期,[[対日講和条約]]問題がアメリカの発議で具体化した 49年秋頃には著しく低下し,第3期の終りになり講和条約が発効するとともに自然消滅した。
 
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== 任務 ==
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{{テンプレート:20180815sk}}
極東委員会の任務は「極東委員会及聨合国[[対日理事会]]付託条項」の「甲 極東委員会」項において、
 
*日本国が遂行すべき義務の基準作成および審議
 
*軍事行動の遂行や領土調整に関して勧告することなかるべし<ref name="jouko"/>
 
*[[連合国軍最高司令官]]の占領軍に対する指揮と日本における管理機構の尊重
 
とされている<ref name="jouko">[http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPUS/19451227.O1J.html 極東委員会及聨合国対日理事会付託条項] 1945年12月27日 [[東京大学東洋文化研究所]]<br /><small>
 
二 任務: 乙 委員会ハ軍事行動ノ遂行ニ関シ又ハ領土ノ調整ニ関シテハ勧告ヲ為スコトナカルベシ</small></ref>。
 
 
 
[[極東国際軍事裁判]](東京裁判)では、委員各国から判事を一人ずつ出す権利を持ち、[[日本国憲法]]の制定に当たっては、新憲法草案の最終採決には、委員会の承認を必要とするとした決議を採択した。また、労働運動16原則を発表し、[[労働運動]]の必要性を保障しつつも、占領政策に影響する運動は禁止し、[[二・一ゼネスト]]中止に繋がった。
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{reflist}}
 
{{脚注ヘルプ}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[連合国軍最高司令官総司令部]]
 
* [[対日理事会]]
 
 
 
== 外部リンク ==
 
*[http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPUS/19451227.O1J.html 極東委員会及聨合国対日理事会付託条項] 東京大学東洋文化研究所
 
*[http://gaikokiroku.mofa.go.jp/djvu/A0106/index.djvu?djvuopts&page=315 記録公開文書 リール番号A'-0106 コマ番号315「14.極東委員会および連合国対日理事会付託事項」][[外務省]] {{リンク切れ|date=2011年10月}}
 
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[[Category:日本の戦後処理]]
 
[[Category:日本の戦後処理]]

2019/4/30/ (火) 00:40時点における最新版

極東委員会(きょくとういいんかい、英語: Far Eastern Committee)

第2次世界大戦後連合国が日本を占領中,その管理の最高機関として設立した機関。ソ連の反対から極東諮問委員会 Far Eastern Advisory Commissionが機能を果さないことから,1945年 12月モスクワのアメリカ,イギリス,ソ連3国外相会議で設立が決り,第1回会合が 46年2月 26日ワシントン D.C.で開かれた。表決にはアメリカ,イギリス,ソ連,中華民国それぞれが拒否権をもったが,アメリカの単独統治をめぐっての議論に終始し,成果はあがらなかった。構成国は先の4ヵ国のほかインド,フィリピン,オーストラリア,ニュージーランド,オランダ,フランス,カナダの7ヵ国で,49年 11月 17日からビルマ,パキスタンの参加が認められ計 13ヵ国となった。議長はアメリカであった。日本の非軍事化はいうまでもなく,45年 12月 27日には民主化に関する基本指令は一段落したと GHQが発表,極東委員会が発足した頃には東ヨーロッパでのソ連の進出はトルーマン大統領が最も好まない状態にあり,またイラン領内におけるソ連の反政府勢力援助の動きは警戒を起させるものであった。そのため,47年3月のトルーマン宣言までのいわば極東委員会の第1期はアメリカ,ソ連の関係は険悪化する傾向にあった。以来,冷戦はますます激化し,極東委員会の活動も第2期,対日講和条約問題がアメリカの発議で具体化した 49年秋頃には著しく低下し,第3期の終りになり講和条約が発効するとともに自然消滅した。



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