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{{Otheruses}}
+
 
{{画像提供依頼|
 
#フットタウンの全体像
 
#フットタウンにリニューアル以前のタワービルの全体像
 
#スペシャルライトアップ各種
 
|date=2013年10月|cat=東京都港区}}
 
 
{{建築物
 
{{建築物
 
|名称=東京タワー
 
|名称=東京タワー
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|指定日 = 2013年6月
 
|指定日 = 2013年6月
 
}}
 
}}
'''東京タワー'''(とうきょうタワー、{{Lang-en-short|Tokyo Tower}})は、[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[芝公園]]にある総合[[電波塔]]の[[愛称]]である。{{要検証|=正式名称は'''日本電波塔'''(にっぽんでんぱとう)|date=2016年7月}}。[[1958年]][[12月23日]][[竣工]]。[[東京]]の[[シンボル]]・[[観光地|観光名所]]として知られる。
+
'''東京タワー'''(とうきょうタワー、{{Lang-en-short|Tokyo Tower}})
 
 
==概要==
 
日本の「塔博士」とも称される[[内藤多仲]](ないとう・たちゅう)らによって設計された(詳細は[[#設計|設計]]を参照)。
 
 
 
高さは333[[メートル|m]]<ref name="nikken" />と広報されており([[海抜]]351m)、塔脚の間隔は88.0m<ref group="注釈">塔脚の中心を基準とした場合の長さ。</ref>。総工費約30億円、1年半(1,974,015時間/543日間)と延べ219,335人の人員を要して完成した。地上125m(海抜約150m)と223.55m(海抜約250m)に[[展望台]]を有した[[トラス構造]]の電波塔である<ref name="sekou ikeda">竹中工務店東京支店 池田末造東京タワーの施工について 建築雑誌 74(869) 13-18 [[1959年]][[4月20日]]</ref>。
 
 
 
<gallery>
 
File:Tokyo Tower-1.jpg|西側、六本木、青山方面を見る(2008年7月10日撮影)
 
File:Tokyo Tower-2.jpg|北側、霞が関、虎ノ門方面を見る(2008年7月10日撮影)
 
File:Tokyo Tower-3.jpg|東側、汐留、浜離宮庭園方面を見る(2008年7月10日撮影)
 
File:Tokyo Tower-4.jpg|南側、田町、品川方面を見る(2008年7月10日撮影)
 
</gallery>
 
 
 
[[昼間障害標識]]として、頂点より黄赤色([[オレンジ色|インターナショナルオレンジ]])と白色を交互に配した[[塗装]]となっている。[[テレビジョン放送|テレビ]]および[[ラジオ#FM放送(超短波放送)|FMラジオ]]のアンテナとして放送電波を送出([[#送信周波数・出力]]を参照)、<!--[[NTSC|地上アナログ]]・[[地上デジタルテレビジョン放送|デジタル]][[テレビジョン放送|テレビ]]([[超短波|VHF]]・[[極超短波|UHF]])および[[ラジオ#FM放送(超短波放送)|FM放送]]のアンテナとして放送電波を送出、-->また[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)の[[列車防護無線装置|防護無線]]用アンテナとして緊急信号を発信する他、東京都環境局の各種測定器なども設置されている。
 
 
 
<!--完成当初に当時日本一高い[[建造物]]であった[[千住火力発電所#お化け煙突|お化け煙突]]を抜いて以来、-->長らく高さが[[日本一]]であったという[[イメージ]]が強いが、実際に日本一高かったのは[[1968年]][[6月26日]]に小笠原諸島が日本に返還され[[南鳥島ロランC局|南鳥島ロランタワー]]と[[硫黄島ロランC主局|硫黄島ロランタワー]]に抜かれるまでの約9年半と、対馬(長崎県)の[[対馬オメガ局|オメガタワー]]が解体されてから[[東京スカイツリー]]に抜かれるまでの約11年間である。ただし、自立式鉄塔としては東京スカイツリーに抜かれるまでの約51年半は日本一の高さであった。現在は東京スカイツリーに次ぐ日本で2番目に高い建造物である。尚、重量については約4000トンとされる。
 
<!--
 
[[ファイル:Tokyo-Tower-ANT.jpg|thumb|right|アンテナの配置]]
 
*1:特別展望台
 
*2:大展望台
 
*A:[[広域放送|広域]]アナログテレビ放送アンテナ([[NHK放送センター|NHK]]、関東広域民放5局、放送大学)
 
*B:広域デジタルテレビ放送アンテナ(NHK、関東広域民放5局、放送大学)
 
*C:[[県域放送|都域]]テレビ放送アンテナ([[東京メトロポリタンテレビジョン|TOKYO MX]]、アナログ・デジタル共用)
 
*D:VHFデジタル音声放送アンテナ
 
*E:[[ラジオ#FM放送(超短波放送)|FM放送]]アンテナ
 
*F:[[マイクロ波]]中継設備アンテナ
 
-->
 
===運営会社===
 
{{基礎情報 会社
 
|社名=日本電波塔株式会社
 
|英文社名=NIPPON TELEVISION CITY CORPORATION
 
|ロゴ=
 
|種類=[[株式会社]]
 
|市場情報=非上場
 
|略称=
 
|国籍=
 
|本社郵便番号=105-0011
 
|本社所在地=東京都港区芝公園四丁目2番8号
 
|本店郵便番号=
 
|本店所在地=
 
|設立=1957年[[5月8日]]
 
|業種=情報・通信業
 
|統一金融機関コード=
 
|SWIFTコード=
 
|事業内容=総合電波塔の設置経営、観光施設の経営、不動産賃貸業
 
|代表者=代表取締役 前田伸
 
|資本金=12億円
 
|発行済株式総数=
 
|売上高=
 
|営業利益=
 
|純利益=
 
|純資産=
 
|総資産=
 
|従業員数=162人
 
|決算期=[[3月31日]]
 
|主要株主=[[東映]] 13.48%<br />[[マザー牧場]] 11.25%<br />(2007年3月31日現在)
 
|主要子会社=[[東京タワースタジオ]]<br />[[東京タワーパーキングセンター]]
 
|関係する人物=
 
|外部リンク=http://www.tokyotower.co.jp/
 
|特記事項=
 
}}
 
東京タワーの建主は日本電波塔(にっぽんでんぱとう)株式会社であり、管理ならびに運営も同社で行っている。
 
 
 
1957年5月、「[[大阪]]の新聞王」と呼ばれ当時は[[産業経済新聞社]]、[[関西テレビ放送]]、[[大阪放送]](ラジオ大阪)各社の社長を務めていた[[前田久吉]]により設立。久吉はタワーの完成とほぼ同時の1958年、産経新聞社を国策パルプ工業(現・[[日本製紙]])社長[[水野成夫]]に譲渡してその経営から手を引いたが、東京タワーとラジオ大阪の経営には引き続き携わった。この結果、日本電波塔は当時の産経新聞グループはもちろん、その後の[[フジサンケイグループ]]からも完全に切り離されて前田家主導の同族企業となった。なおラジオ大阪も[[2005年]]にフジサンケイグループ入りするまで、前田家主導で独自の経営をしていた。
 
 
 
久吉はタワーの建設候補地として[[千葉県]][[富津市]][[鹿野山]]に山林を取得していたが、これを有効活用するため[[1962年]]に[[マザー牧場]]を開設し、傘下に収めている。この関係で、マザー牧場などと共に、同市を中心とする地域で整備された[[かずさアカデミアパーク]]の再建スポンサーを務めている<ref>かずさアカデミアパークは2010年1月に経営破綻、同年8月から日本電波塔・マザー牧場・[[ホテルオークラ]]・グリーンコアの各社がスポンサーとなり、経営再建を行っている</ref>。
 
 
 
[[1964年]]には敷地内に東京タワー放送センター(現・[[東京タワーメディアセンター]])を建設し、同年開局した[[日本科学技術振興財団]]テレビ事業本部(東京12チャンネル)に賃貸した。この建物は、事業を承継した[[テレビ東京]]が[[1985年]]まで本社として使用していた。[[テレビ東京天王洲スタジオ]]完成後の[[2000年]]より日本電波塔による自主運営となり、2005年7月には子会社「東京タワー芝公園スタジオ」(後に東京タワースタジオ)に移管され、[[2012年]]に閉鎖されるまで[[スタジオ (映像撮影)|テレビスタジオ]]として利用された。なお、東京タワースタジオ閉鎖後、内部改装を施し「東京タワーメディアセンター」に名称を変更、2017年3月時点でも営業を続けている。
 
 
 
また1960年代に東京タワーへのアクセスとして、日本電波塔自ら浜松町〜東京タワー間1.2kmにモノレールの敷設を計画したが、これは実現しなかった<ref>[http://www.city.himeji.lg.jp/kouhou/kouhoushi/backpdf/s30/pdf_s39/19640215339.pdf#page=02 広報ひめじ(1964年2月号) 姫路市発行]</ref>。
 
 
 
日本電波塔は、[[エフエム東京]](TOKYO FM)の大株主([[学校法人東海大学]]に次ぐ第2位)でもある。Kiss-FM KOBEの経営破綻による新会社・[[兵庫エフエム放送]]にTOKYO FMとともに19.2%を出資。また2010年10月1日現在、[[エフエム大阪]]の株式20%に出資している。
 
 
 
==歴史==
 
<!--東京タワー記事に掲載された画像は似た構図も多く写真掲載枚数が過剰でしたので、ギャラリーへ掲載。-->
 
*[[1957年]]([[昭和]]32年)
 
**[[5月8日]] - 管理会社となる[[日本電波塔]]株式会社を創立。
 
**[[6月29日]] - [[地鎮祭]]が執り行われ着工。
 
**[[7月15日]] - [[設計図]]の作成が終了。
 
**[[9月21日]] - 塔脚第一柱を設置し、定礎式を挙行。
 
*[[1958年]](昭和33年)
 
**[[10月9日]] - 審査会において愛称「東京タワー」を決定。
 
**[[10月14日]] - アンテナ(80m)を設置。
 
**[[12月7日]] - 公開開始(プレオープン)。
 
**[[12月23日]] - 完工式挙行、正式オープン。当時の住所は、東京都港区芝公園内20号地<ref>出典:『民間放送十年史』(日本民間放送連盟・1961年)「第2部 各社史録」356頁「東京放送」・399頁「日本教育テレビ」・404頁「フジテレビジョン」の‛‛‛年表‛‛‛より。</ref>。
 
**[[12月24日]] - 9時より一般公開。
 
*[[1959年]](昭和34年)
 
**[[1月10日]] - [[NHK教育テレビジョン]](現在のNHKEテレ)がVHF1chで放送開始(同年4月に[[NHK総合テレビジョン]]と入れ替わる)。
 
**[[2月1日]] - 日本教育テレビ(NET、現在の[[テレビ朝日]])がVHF10chで本放送開始。
 
**[[3月1日]] - [[フジテレビジョン]]がVHF8chで本放送開始。
 
**[[9月20日]] - 南極観測隊カラフト犬([[タロとジロ]])の記念像の除幕式を挙行<ref group="注釈">財団法人[[日本動物愛護協会]]は「二度とこのような事件が起きて欲しくない」という思いから「動物愛護」のシンボルとして、当時開業したばかりで話題の場所だった東京タワーに記念像を造った。</ref>。
 
[[ファイル:Tokyo Tower 1961.jpg|thumb|1961年ごろの周囲]]
 
*[[1960年]](昭和35年)
 
**[[1月17日]] - ラジオ東京(現在の[[TBSテレビ]])が赤坂の自社敷地から主送信所を移転する(送信は移転前からVHF6ch)。
 
**[[5月16日]] - NHK教育テレビジョンの送信所を紀尾井町より移転(送信は移転前からVHF3ch)。
 
*[[1962年]](昭和37年)
 
**[[3月29日]] - 昭和天皇・皇后夫妻が東京タワーを見学される。天皇が訪れたのは、1958年の竣工以来はじめて。
 
*[[1963年]](昭和38年) - [[南鳥島#歴史|返還]]前の東京都[[小笠原村]][[南鳥島]]に、高さ411.48mの[[南鳥島ロランC局|南鳥島旧ロランタワー]]が竣工する。
 
*[[1964年]](昭和39年)
 
**[[硫黄島#歴史|返還]]前の東京都小笠原村[[硫黄島]]に、高さ411.48mの硫黄島ロランタワーが竣工する。
 
**[[4月12日]] - 日本科学技術振興財団テレビ事業本部(現在のテレビ東京)がVHF12chで本放送開始。
 
*[[1965年]](昭和40年)12月24日 - イルミネーションが連夜の点灯となる。
 
*[[1966年]](昭和41年)[[1月2日]] - 来塔者数が3000万人となる。
 
*[[1967年]](昭和42年)[[7月28日]] - 特別展望台オープン。
 
*[[1968年]](昭和43年)[[6月26日]] - 小笠原諸島が返還され南鳥島と硫黄島のロランタワー(411.48m)が日本一高い建造物となり、東京タワーは日本で3番目に高い建造物となる。
 
*[[1970年]](昭和45年)
 
**[[3月20日]] - 東京タワー蝋人形館が3階にオープン。
 
**[[3月23日]] - 蝋人形館経営者のジョージ・ドラッカーとヴィッキー・クロフォードが、特別展望台で和装にて結婚式を行う<ref group="注釈">タワーでの結婚式はこの一度きりであり、その後、他にも申し入れがあったがタワーでの結婚式サービスは行われていない。</ref>。
 
**[[4月26日]] - [[FM東海]]から事業を譲り受けたエフエム東京が80.0Mc(現在は[[メガヘルツ|MHz]])で本放送開始。
 
**[[10月3日]] - [[NHK-FM放送]]の送信所を紀尾井町より移転(送信は移転前から82.5Mc)。
 
**[[11月10日]] - [[日本テレビ放送網]]が麹町の自社敷地から主送信所を移転する(送信は移転前からVHF4ch)。これにより東京都のテレビ局の送信所が一本化される。
 
*[[1971年]](昭和46年)[[8月18日]] - 来塔者数が5000万人となる。該当者は都内の23歳の男子学生で自分が5000万人目になれないかと思って来塔し、記念品として冷蔵庫・カラーテレビ・ギフト旅行券・オートバイなどの記念品を贈られた。
 
*[[1973年]](昭和48年)
 
**[[10月10日]] - [[体育の日]]に大展望台までの外階段を駆け上る体力テストを開始。
 
*[[1975年]](昭和50年) - 長崎県[[上県郡]][[上対馬町]]大増(現・[[対馬市]]上対馬町大増)に高さ454.830mのオメガタワーができ、日本で4番目に高い建造物となる。
 
*[[1977年]](昭和52年)
 
**[[6月1日]] - [[電波の日]]のこの日に「電波塔の維持運営を通じて放送の普及と重要無線通信の疎通に多大の貢献」をしたとして当時の郵政大臣、[[小宮山重四郎]]より表彰される。
 
**[[7月11日]] - タワー大神宮創建(23区内で最も高い場所にある神社)。
 
*[[1978年]](昭和53年)[[4月28日]] - 東京タワー水族館オープン(世界初の観賞魚水族館)。
 
*[[1984年]](昭和59年)[[11月1日]] - [[放送大学]]が大学開学に向けてテレビ放送をUHF16chで、同時期にFMラジオ放送を77.1MHzで予告放送開始(翌1985年(昭和60年)4月1日に授業開始)<ref name="udyouran"/>。
 
*[[1986年]](昭和61年)
 
**[[航空法]]改正により黄赤色と白色の塗り分けを11等分から7等分へ変更し、黄赤色の赤みを強くした。
 
**南鳥島旧ロランタワーが解体され、日本で3番目に高い建造物に返り咲く。
 
*[[1988年]](昭和63年)
 
**ロゴマークを変更。
 
**[[10月1日]] - エフエムジャパン(現在の[[J-WAVE]])が81.3MHzで本放送を開始。
 
*[[1989年]](昭和64年/[[平成]]元年)
 
**[[1月1日]] - これまでの輪郭のみの点灯から全体を照らす[[ライトアップ]]が開始された。
 
**[[7月25日]] - 来塔者数が1億人となる。
 
*[[1991年]](平成3年)<!--33周年を迎える。-->
 
**[[3月3日]] - 「平成3年3月3日」で3が重なることを記念して記念展望券の発売、バッジや絵はがきのプレゼント、エッフェル塔へ招待するクイズなど数々のイベントが行われる。
 
*[[1994年]](平成6年)
 
**4月 - 「東京タワートリックアートギャラリー」がタワービル4階に登場する。
 
**10月 - 硫黄島ロランタワーが運用停止、解体され日本で2番目に高い建造物に返り咲く。
 
*[[1995年]](平成7年)
 
**1月 - 来塔者数が1億2000万人となり、日本の総人口に相当する人数が来塔したことを記念してキャンペーンを行う。
 
**[[11月1日]] - [[東京メトロポリタンテレビジョン]](東京MXテレビ、TOKYO MX)が東京都初の都域民間放送テレビ局としてUHF14chで本放送開始。
 
*[[1996年]](平成8年)
 
**[[4月1日]] - エフエムインターウェーブ(現在の[[InterFM]])が76.1MHzで本放送開始。
 
*[[1998年]](平成10年)
 
**12月 - 大展望台外壁を黄赤色から白色へ変更。
 
**[[12月23日]] - ノッポン誕生。
 
*[[1999年]](平成11年)
 
**オメガ塔(対馬オメガ局)が解体され、日本一高い建造物に返り咲く。
 
*[[2002年]](平成14年)
 
**[[3月19日]] - 特別展望台・大展望台をリニューアルオープン。営業時間を年間を通して22時までに延長。
 
*[[2003年]](平成15年)
 
**[[10月10日]] - [[デジタルラジオ推進協会]]が[[地上デジタル音声放送]]の実用化試験放送をVHF7chの帯域で放送開始。
 
**[[12月1日]] - 放送大学以外のテレビ局が[[地上デジタルテレビ放送]]をUHF帯域で開始。
 
*[[2005年]](平成17年)
 
**[[3月19日]] - タワービルをリニューアルオープン(名称を「フットタウン」に変更、外壁色を濃いブラウンに変更)。
 
**[[12月25日]] - 大展望台にハート形のイルミネーションを始める。
 
**『日本電波塔』として[[DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築]]に選定。
 
*[[2006年]](平成18年)
 
**[[9月29日]] - 来塔者数が1億5000万人となる。
 
**12月1日 - 放送大学が地上デジタルテレビ放送をUHF帯域で開始<ref name="udyouran"/>。
 
*[[2009年]](平成21年)
 
**[[5月8日]] - ロゴマークの変更<ref group="注釈">弧を描くように「TOKYO TOWER」の文字が配置しており、東京タワーがある小高い丘(芝公園)や地球をイメージしている。中央のTだけオレンジ色で大きく、東京タワーを思わすデザイン。文字の上に並んだ緑色の丸は、地球環境への貢献や自然との共存をイメージしている。デザインは尾村匡昭、竹鶴孝太郎。当日は来塔者のうち先着1000人に、新ロゴをデザインしたクリアフォルダがプレゼントされた。</ref>。
 
**[[10月16日]] - 来塔者数が1億6000万人となる<ref>[http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/tokyo/091016/tky0910161811019-n1.htm 東京タワー来塔者1億6千万人達成] - 産経ニュース(2009年11月1日閲覧)</ref>。
 
**[[12月31日]] - 開業以来営業してきた、タワー大食堂(タワーレストラン)が営業終了。
 
*[[2010年]](平成22年)
 
**[[3月29日]] - 建設中の東京スカイツリーが高さ338mに到達したため、日本で2番目に高い建造物となる。
 
{| style="float:right"
 
|[[File:2011 Japan Earthquake Tokyo Tower.jpg|thumb|180px|[[東北地方太平洋沖地震]]の揺れにより曲がった先端のアンテナ部分([[2011年]][[3月11日]]]]
 
|}
 
*[[2011年]](平成23年)
 
**[[3月11日]] - [[東北地方太平洋沖地震]]([[東日本大震災]])の影響で、タワー先端部の地上アナログ放送用アンテナが東に2度曲がる<ref>{{Cite web|url=http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0702I_X00C12A4CC1000/|title=震災で曲がったアンテナ部分を交換 東京タワー改修||publisher=日本経済新聞|date=2012-04-07|accessdate=2012-11-28 }}</ref>被害を受ける(強震により激しく振られた)<ref>{{Cite web|url =
 
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2011031202000020.html
 
|title =東京タワー アンテナ傾く||publisher = 東京新聞
 
|date = 2011-03-12
 
|accessdate = 2011-03-12
 
}}</ref>。展望台にいた観客は階段で下りて避難し、けが人は出なかった。タワーの営業は同月[[3月18日|18日]]まで中止となる<ref>[http://wol.nikkeibp.co.jp/article/trend/20110318/110405/ 東京タワーは19日から営業再開] 日経ウーマンオンライン [[2011年]][[3月18日]]</ref><ref group="注釈">[[2012年]][[2月2日]]にNHKで放送された『ブラタモリ』第2シリーズ「東京タワー・芝」(本放送:2011年[[3月10日]])の再放送では、本放送翌日に発生した「東日本大震災」で折れ曲がったアンテナの先端部が番組冒頭に流された。</ref>。
 
**[[3月31日]] - 地上デジタル音声放送の実用化試験放送終了に伴い送信終了。
 
**[[7月24日]] - 地上アナログテレビ放送がこの日の正午で終了し、24時で地上アナログテレビ放送の送信が停止された。
 
*[[2012年]](平成24年)
 
**[[2月1日]] - 一部を除くアナログ送信アンテナの撤去を開始。また、前の地震で曲がった先端部の交換ならびに耐震補強も同時に行う。工事終了は[[2014年]]12月を予定している<ref>{{Cite web|url = http://www.nikkei.com/news/local/article/g=96958A9C889DE1EAE6E5EAE1E3E2E2E3E2E0E0E2E3E09EE5E3E2E2E2;n=9694E3E4E3E0E0E2E2EBE0E0E4E7
 
|title = 東京タワー、アナログ放送アンテナの撤去始まる||publisher = 日本経済新聞
 
|date = 2012-02-02
 
|accessdate = 2012-02-02
 
}}</ref>。特別展望台行きエレベーターの改修工事に伴い、[[2月29日|同月29日]]まで特別展望台の営業を休止<ref>[http://www.tokyotower.co.jp/cgi-bin/reg/01_new/reg.cgi?mode=1&no=1557 東京タワー 特別展望台(250m)営業一時休止のご案内]</ref>。
 
**[[4月22日]] - この日を以ってJ-WAVEとNHK東京FMのFMラジオ放送の送信を終了。[[4月23日|翌日]]にそれぞれ送信所が東京スカイツリーに移転。移転後もNHK東京FMは予備送信所として存続。
 
**[[7月10日]] - 先端の[[スーパーターンスタイルアンテナ|STアンテナ]]の撤去を夜から開始<ref>{{Cite web|url=http://www.asahi.com/national/update/0719/TKY201207190119.html|title=東京タワー、ちょっと低く アンテナ交換で315Mに||publisher=朝日新聞|date=2012-07-19|accessdate=2012-11-29 }}</ref>。長さ約25m、直径約37cmの空洞の支柱を17分割に輪切りにして下から順に取り除く<ref name="top_change_news">{{Cite web|url=http://sankei.jp.msn.com/life/news/120803/trd12080310360006-n1.htm|title=東京タワーが復活 “太め”の333メートル||publisher=産経新聞|date=2012-08-03|accessdate=2012-11-28 }}</ref>際に、地上306mの支柱底部から軟式野球用ボールが発見される<ref>{{Cite web|url=http://www.sanspo.com/geino/news/20120804/sot12080418540004-n1.html|title=東京タワーの謎…「頂上」から古い軟球||publisher=サンケイスポーツ|date=2012-08-04|accessdate=2012-11-28 }}</ref>。
 
**[[8月3日]] - 7月10日より行われていた先端のアンテナ支柱の交換作業を午前中に完了し、一時315mだったタワーが元の高さに戻る。[[円柱 (数学)|円柱]]だった支柱は[[角柱|四角柱]]となり、耐震性が向上する<ref name="top_change_news" />。
 
**10月1日 - TOKYO MXの地上デジタルテレビ放送の物理チャンネル切り替えのため、東京スカイツリーとのサイマル放送を開始<ref name="MX">[http://s.mxtv.jp/skytree_iten/index.html TOKYO MX * 「東京スカイツリーから電波発射」]</ref>。
 
**[[11月12日]] - TOKYO MXの東京タワーからの電波の1回目の減力を実施<ref name="MXrel20121109">{{Cite press release|title=東京タワー放送波の減力を実施します |publisher=東京メトロポリタンテレビジョン |date=2012-11-09 |format=pdf |url=http://www.mxtv.co.jp/company/press/20121109_tokyotower_1.pdf |accessdate=2013-06-19}}</ref>。以後、2013年1月14日、2月4日、2月25日、3月18日に分けて段階的に減力を実施する<ref>{{Cite press release|title=東京タワー放送波の第2回減力を実施します |publisher=東京メトロポリタンテレビジョン |date=2013-01-10 |format=pdf |url=http://www.mxtv.co.jp/company/press/20130110_genryoku2.pdf |accessdate=2013-06-19}}</ref><ref>{{Cite press release|title=東京タワー放送波の第3回減力を実施します |publisher=東京メトロポリタンテレビジョン |date=2013-02-01 |format=pdf |url=http://www.mxtv.co.jp/company/press/20130201_genryoku3.pdf |accessdate=2013-06-19}}</ref><ref>{{Cite press release|title=東京タワー放送波の第4回減力を実施します |publisher=東京メトロポリタンテレビジョン |date=2013-02-21 |format=pdf |url=http://www.mxtv.co.jp/company/press/20130222_genryoku4.pdf |accessdate=2013-06-19}}</ref><ref name="genryoku">{{Cite press release|title=東京タワー放送波の第5回減力を実施します |publisher=東京メトロポリタンテレビジョン |date=2013-03-14 |format=pdf |url=http://www.mxtv.co.jp/company/press/201314_genryoku5.pdf |accessdate=2013-06-19}}</ref>。
 
*[[2013年]](平成25年)
 
**[[2月11日]] - TOKYO FMの送信用アンテナをアナログテレビ放送終了で空いた333メートルの頂上部に新設・移転し供用を開始<ref name="pr20130207">[http://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000136.000004829.html TOKYO FM 2月11日(月・祝)より東京タワー最上部の新アンテナから放送開始 東京タワー最頂部にラジオアンテナ エフエム東京]</ref>。
 
**[[5月12日]] - この日の正午、TOKYO MXの物理チャンネル切り替えによるサイマル放送終了に伴い東京タワーからの送信を停止<ref name="yomiuri20130509">[http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20130509-OYT1T01050.htm 東京MXテレビ、12日スカイツリーに完全移行] [[読売新聞]] [[2013年]][[5月9日]]</ref>。翌[[5月13日|13日]]18時に東京タワーからの送信を終了。
 
**[[5月31日]] - この日の9時、放送大学を除く地上デジタルテレビ放送7局の送信所が東京スカイツリーに移転した<ref name="nikkei20130524">[http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS2400F_U3A520C1EB1000/ スカイツリーへの送信所移転、31日に 総務相が容認表明] 日本経済新聞 2013年[[5月24日]]</ref><ref>[http://av.watch.impress.co.jp/docs/news/20130524_600777.html 地デジ送信の東京スカイツリー移転は5月31日午前9時] [[Impress Watch|AV Watch]] 2013年5月24日</ref>。当初は1月に移転予定だったが電波障害対策が必要となったため、その対策を講じてからの移転となった。送信の移転後はNHKと民放キー局5社については東京タワーを予備電波塔として使用することとなっている。
 
**[[6月21日]] - 国の[[登録有形文化財]]に登録<ref>平成25年文部科学省告示第119号</ref>。
 
**[[11月23日]] - 2020年の東京五輪招致を応援するため、南極観測隊カラフト犬像の場所を使って招致のシンボルマークを花で描くことになったため、タロ・ジロのブロンズ像を東京都[[立川市]]の[[国立極地研究所]]に移転<ref name="tachikei20131118">[http://tachikawa.keizai.biz/headline/1576/ 立川経済新聞 2013年11月18日]</ref>。
 
*[[2015年]](平成27年)
 
**[[6月26日]] - InterFMが新周波数89.7MHzでの[[試験放送]]を開始<ref name="interfm20150626">[http://www.interfm.co.jp/news/detail.php?id=1055 2015年6月26日より周波数89.7MHzの試験電波発射いたします。]</ref>。
 
**[[6月30日]] - この日の18時よりInterFMが新周波数89.7MHzでの本放送を開始<ref name="interfm20150629">[http://www.interfm.co.jp/news/detail.php?id=1054 "InterFM897"開局]</ref>。
 
**[[7月13日]] - 株式会社VIPに対しV-Low帯マルチメディア放送東京局の予備免許を交付<ref>[http://www.rbbtoday.com/article/2015/07/14/133325.html V-Lowマルチメディア放送、東京局がいよいよ開局へ……予備免許が交付] RBB TODAY [[2015年]][[7月14日]]</ref>。
 
**[[10月5日]] - 東京地区のV-Low帯マルチメディア放送の試験電波の発射を開始<ref>[http://vip.v-low.jp/info/denpa_news/38/ 東京局試験電波発射を開始いたしました] 株式会社VIP 2015年[[10月5日]]</ref>。
 
**[[10月31日]] - InterFMの旧周波数76.1MHzでの運用終了<ref name="soumu20150624">[http://www.soumu.go.jp/soutsu/kanto/press/27/0624ho.html 株式会社Inter FMの受信環境改善のための周波数変更] [[総務省]][[関東総合通信局]] 2015年[[6月24日]]</ref>。
 
**[[12月7日]] - 株式会社VIPに対しV-Low帯マルチメディア放送東京局の本免許を交付<ref name="soumui-dio1">[http://www.soumu.go.jp/soutsu/kanto/press/27/1207ho-2.html 関東・甲信越広域圏のV-Lowマルチメディア放送局(移動受信用地上基幹放送局)に免許] 総務省関東総合通信局 2015年[[12月7日]]</ref>。
 
*[[2016年]](平成28年)
 
**3月1日 - この日の正午よりV-Low帯マルチメディア放送「i-dio」東京局の本放送開始<ref>[http://www.tfm.co.jp/company/pdf/news_fcd04dfb4e132d2a8fbf53e82487056656d3e581e4295.pdf デジタル地上波最高音質!通信料不要!多彩なチャンネル!進化する無料デジタル放送「i-dio(アイディオ)」始まる!〜3月1日(火)12時からプレ放送開始〜] エフエム東京 2016年2月29日</ref>。開始当初はプレ放送期間と位置づけ、コンテンツプロバイダーの放送開始を持って同年[[7月1日]]に本開局した<ref>[http://itpro.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/022900615/ ニュース - V-Low「i-dio」が3月1日にプレ放送開始、5月からIPサイマルの補完放送も計画] ITpro 2016年2月29日</ref>。
 
*[[2018年]](平成30年)
 
**[[1月25日]] - 来塔者が1億8000万人突破<ref>[https://www.tokyotower.co.jp/notification/180million/index.html 本日(1月25日) 午前10時 来塔者1億8,000万人を突破しました!] 東京タワー(2018年1月27日閲覧)</ref>。
 
**3月3日 - 特別展望台を「トップデッキ」、大展望台を「メインデッキ」に改称<ref>[https://www.tokyotower.co.jp/notification/renovation2018-1/index.html 東京タワー 特別展望台(250m)のグランドオープンと大展望台(150m)リニューアル工事に関するお知らせ] 東京タワー(2018年1月27日閲覧)</ref>。
 
**10月末 - この頃までに総務省の放送終了認可を受けた上で放送大学の地上波デジタルテレビジョン放送、FMラジオ放送を終了予定<ref>放送大学、地上波終了へ=18年に、BS完全移行 時事通信社 2016年5月27日</ref>。
 
 
 
==構想==
 
東京タワーの建設前、放送事業者各社局は個々に、高さ153 - 177mの電波塔を建設、自局の塔から放送を行っていたが、これらの高さだと、放送電波は半径70km程度しか届かず、100km<ref group="注釈">渋谷のNHK放送センターから[[銚子市]]役所まで102km、 [[水戸市]]役所まで104km。</ref>離れた[[銚子市|銚子]]や[[水戸市|水戸]]では満足に電波を受信することができなかった。また受信[[アンテナ]]には[[指向性]]があるため、チャンネルを変える毎にアンテナの向きを各電波塔の方向に変えなければいけないという不便が生じた。
 
 
 
さらに、鉄塔の乱立は都市景観においても好ましい状況ではなく<ref>当時1964年東京オリンピックの招致を行なっていた(『プロジェクトX』)。</ref>、当時[[郵政省]]の電波管理局長であった[[浜田成徳]]を初めとする関係者の中で、電波塔を一本化する総合電波塔を求める機運が高まっているところ、放送事業の将来性に着目した前田久吉と[[鹿内信隆]]<ref group="注釈">[[ニッポン放送]]の事実上の創業者。後のニッポン放送、フジテレビジョン、産業経済新聞社の社長、フジサンケイグループ初代議長。ただし、この当時は前田が経営していた産経新聞との関わりはなかった。</ref>の各々によって計画され、まもなく両者の計画は一元化された。
 
 
 
他の計画案もあったが、高さ300mを超える案は東京タワーのみで、次に高いものは200m級であり、放送事業者の既存の限られた土地を利用するため、展望台のないスリムなものであった。浜田は、[[パリ]]の[[エッフェル塔]]を超える世界最大の塔を造り、そこに展望台を設けて集客すれば、建設費は10年で元が取れる、と考えていた。
 
 
 
==建設場所==
 
建設地は安定した電波を供給するために巨大な電波塔の建設が可能な広さと強固な地盤を有していること、魅力ある展望台のために工場などの煙が景観を妨げないことなど厳しい条件が求められた。
 
 
 
当初は[[上野恩賜公園|上野公園]]付近への建設も検討されたが海抜18mの高台にある港区芝公園地区は基礎を打ち込むための'''東京礫層'''地盤もより浅いところにあり、国の中枢機関や各放送事業者との距離が近いなど報道と観光の両面に恵まれた立地であった。
 
 
 
増上寺の境内は25区画に分割された公園に指定されており日本電波塔株式会社は「紅葉山」と呼ばれる、以前[[紅葉館]]という高級料亭のあった区画を購入した。土地の買収は増上寺の[[檀家]]総代に前田が[[日本工業新聞]]の社長時代から親交があった[[池貝庄太郎]]がおり、増上寺との間を取り持って用地買収を成功させるよう働きかけた。また芝公園4丁目地区の周辺一帯は建物倒壊危険度、火災危険度、避難危険度を示す地域の危険度特性評価(東京都 2002年実施)において「相対的に危険度の低い町」を示すAAAの評価を得ており、防災面でも電波塔の立地に適していることが後に判明した。
 
 
 
タワーより[[西]]側の住民は飛行機の衝突、[[交通渋滞]]、[[ゴミ]]の増加、[[環境]]が悪くなり子どもに悪影響があるのではないかとタワー建築に反対の姿勢であった。[[東]]側は、当時の[[日本国有鉄道|国鉄]][[浜松町駅]]からタワーへ向かう客により潤されることを期待した。
 
 
 
==設計==
 
この塔の建設に先立ち「日本電波塔株式会社」が設立された。そして、建築設計の[[構造学]]を専門とする学者で、戦艦大和の鉄塔や[[名古屋テレビ塔]]や大阪の[[通天閣]]の設計も行い さらに数十本におよぶラジオの電波塔を設計した実績があり、日本の塔設計の第一人者である'''[[内藤多仲]]'''、および日建設計株式会社が共同で塔の設計を行なった。内藤は当時話題を提供していた[[ドイツ]]の[[:en:Fernsehturm Stuttgart|シュトゥットガルトテレビ塔(ドイツ語版)]](216.6m)を参考に[[鉄筋コンクリート]]の塔を想定した検討を行うが、特に[[基礎]]に関して敷地の関係などかなりの困難が伴うとの判断から[[鉄塔]]で計算を進める方針となった<ref>建築雑誌Vol.105、No.1305 [[1990年]]10月号</ref>。
 
 
 
前田久吉は「建設するからには世界一高い塔でなければ意味がない。千三百余年も前に既に高さ五十七メートル余もある立派な塔([[五重塔]])が日本人の手でできたのである。ましてや科学技術が進展した今なら必ずできる」と高さの意義を強く主張し、設計の条件として提示したのは、アンテナを含めた塔の高さが380mで、高所に展望台を設置し、塔の下に5階建ての科学館をつくることを挙げた。東京全域に電波を送るには380mの高さが必要と推定されていたが、380mと想定して計算すると風の影響でアンテナが数メートルも大きく揺れると計算され画像が乱れる可能性が高かったため、先端のアンテナの揺れを数十cm程度に抑え、放送に悪影響が起きずかつ関東地方全部を守備範囲にできるぎりぎりの寸法についてさまざまに計算したところ、「全高333m」という数字が導き出され、偶然「3」が続く語呂合わせのような高さになった。この高さは[[フランス]]・[[パリ]]の[[エッフェル塔]]の312m(2000年現在は324m<ref>[[:fr:Tour Eiffel#"Données techniques"|Tour Eiffel Wikipedia]]</ref>)より21m高く、当時の[[自立式鉄塔]]としては世界最高、という条件を満たしていた。
 
 
 
当初は最上部で[[風速]]90m、下部で風速60mの強風と大[[地震]](同タワーの耐震設計で考慮された[[耐震基準#用語|水平震度]]は0.99Gで[[関東大震災]]時に[[小田原]]付近で推定された[[加速度]]の約2倍に相当)に遭遇しても安全な様に、軽量化に有利な[[アーク溶接|電気溶接]]ではなく、重量がかさむが当時では確実な技術として[[リベット]]による接合での構造設計がなされた。風力係数は当時の建設省[[建築研究所]]の亀井勇教授に依頼し、[[風洞実験]]を行った。地震力はまだ静的解析の時代であり、鉄塔では風圧力の方が支配的であったこともあり[[建築基準法]]の地震力算定法通りk=0.16+h/400を水平震度として適用した。解析、計算は全て手計算で[[トラス]]の解法として一般的であったクレモナ図解法と[[カスチリアノの定理|カスティリアーノの定理]]が使用された。
 
 
 
[[構造計算書]]の最終チェックは自身の設計事務所の[[たなかやすお|田中彌壽雄]]、日建設計の[[鏡才吉]]とともに[[熱海温泉|熱海]]にある[[早稲田大学]]の[[保養所]]「[[双柿舎]]」に3日間缶詰状態で行われた。設計を終えた内藤は「どうかね、こんなに素晴らしい眺めはない」と言った<ref>テレビ東京系列『[[美の巨人たち]]』 [[2010年]][[8月7日]]放送 「日本の建築スペシャル・東京タワー」</ref>。後に立体骨組モデル応力解析ソフトウェア“FRAN”で耐力を検証しているが、かなりの精度で一致していた<ref name="kenchiku kobayashi">小林紳也・建築雑誌 121(1546)、29、2006-04-20・社団法人日本建築学会</ref>。また加藤勉(東京大学名誉教授・(財)溶接研究所理事長)による「東京タワーの構造安全性について」([[2007年]])によって、'''東京タワーの構造の信頼性は高い'''という第三者評価を受けている<ref name="mirai" />。当時の[[日本の超高層建築物#百尺規制|建築基準法]]では建築物の高さは最大100[[尺]](約31m)以下と決められていたが、タワーは[[工作物]]と見なされ建築が可能となった。当初、地上約66m付近にビアレストランを設置する計画だったが結局、実現されることはなかった。これは、レストランにすると建築基準法に抵触したためと考えられている。
 
 
 
建設後、[[東京タワー#電波塔集約|電波塔集約]]で不満をもつ読売グループ([[読売新聞]]、日本テレビなど)などから「エッフェル塔の猿まね」とあらぬ批判をされたが、内藤は「ある人はエッフェル塔そっくりだという。これは人が人に似ているというようなもので、一理ある見方ともいえよう。私としては端然とした姿である。この塔が好ましいと思っている」と答えている。構造美については「タワーの美しさについて別に作為はしませんでした。無駄のない安定したものを追求していった結果できたものです。いわば[[数字]]のつくった美しさとでも言えましょう」と答え、批判に対して反論するような不毛な議論は一切しなかった。
 
 
 
==建設==
 
1957年5月から6月末までの約45日間で[[ボーリング調査]]を行った時点で、設計は未完成であったが、短期間に完成させなければならないため、6月29日に[[増上寺]]の墓地を一部取り壊して既に設計の決まっていた基礎部の工事が開始された。7月15日に最終的な設計図が完成し、9月21日には鉄骨の組み立てが始まった。
 
 
 
[[施工]]は[[ゼネコン]]の竹中工務店。塔体加工は新三菱重工(現・[[三菱重工業]])、[[松尾橋梁]]。鉄塔建築は宮地建設工業(現・宮地エンジニアリング)が請け負った。現場指揮官は直前にNHK松山放送局電波塔を担当していた同社の[[竹山正明]](当時31歳)<ref name="projectx">[http://www5a.biglobe.ne.jp/~t-senoo/Ningen/tower/sub_tower.html プロジェクトX東京タワー・恋人たちの戦い〜世界一のテレビ塔建設、333mの難工事]</ref>。現場でのヘルメットの色は白:監督管理関係、黄:竹中工務店の社員、緑:鉄塔建方関係、灰:設備関係で色分けされた。
 
 
 
基礎は海抜0mの砂利層まで掘り下げて、コンクリートを打ち込み直径が2m、長さ15mで底の直径が3.5mのコンクリート製の円柱を1脚に8本打った(後のデジタルアンテナ増設時に2本ずつ増設)。塔脚にはカールソン型応力計を埋めておき、脚を支えるための支柱を[[油圧装置|オイルジャッキ]]で持ち上げて脚の傾きを調節する際など、各塔脚に加わる重量の計測に利用している。タワーは脚を広げた形をしているため、重みで脚が外へ広がろうとする力が加わるが、直径5cmの鋼棒20本を各脚に地中で対角線上に結んで防いでいる<ref>[http://www.tokyotower.co.jp/333/07_secret/index_02_e.html *東京タワーの秘密*東京タワーQ&A*自然災害編]</ref>。
 
 
 
高さ40mのアーチライン最上部までは長さ63mの[[デリック|ガイデリック]]を使用し、次に80mまで組み立てるため、ガイデリックを地上53mのマンモス梁までせり上げ鉄骨を組み立てていった。80mからの組み立ては[[エレクター]]を用いて、鉄骨はエレベーターシャフト内を持ち上げていった<ref>重厚長大・昭和のビッグプロジェクトシリーズ 偉大なる建設 東京タワーの建設記録 ASIN:B000QTCYZO</ref>。
 
 
 
塔脚4本が地上40mでアーチ形に組まれたのは1957年12月だが、アーチ中央部が加工の段階で設計より15mm沈んでおり、梁の結合ができずに1週間原因究明に時間を費やした。しかしこの問題は、鉄骨に開けられていたリベットを差し込む穴を15mmずらすことで解決した。
 
 
 
高所までの移動は、80mの足場まで4分で昇る2m四方のゴンドラ3台で対処した。
 
 
 
高さ141.1m(H.14)地点まではリベットで組み立て、それ以上は防さびのため部材に亜鉛メッキを行ったことで、[[ボルト (部品)|ボルト]]接合になっている。ボルトは締めた後に溶接して固めるが夏場の鉄塔は40 - 50度まで上昇し、とび職達を苦しめた。リベットは168,000本、本締めボルトは亜鉛メッキ部材の現地接合に45,000本使用している<ref name="ijikanri 2002">大澤悟 日本建築学会退会学術講演 鋼構造物の維持管理・東京タワー 2002年8月</ref>。
 
 
 
アンテナの設置は当初、[[名古屋テレビ塔]]や東京スカイツリーのように塔体内を吊り上げる予定であったが、アンテナ工事は[[台風]]の多い9月に開始されたため、工事が遅れてしまいアンテナを上げる前にエレベータ設置工事を始めないと、工期に間に合わなくなってしまった。そのために、アンテナは塔本体の上に30mの仮設鉄塔を組んで仮設鉄塔の一面を開けておき、8つに分かれたアンテナ部材(最大14トン)を、下の部材から順に塔の外側から吊り上げていった。
 
塔体内では吊り上げた部材に順次ボルト接合を施して組み立てていき、1958年10月14日15時47分、アンテナが塔頂部に据え付けられた。
 
 
 
現場[[鳶職|鳶職人]]は初期に20人。仕事が増えるにつれ常時60人、タワー上部では6 - 7人で組み立てを行っていた。若頭は当時25歳の桐生五郎<ref group="注釈">鳶職の頭であった桐生五郎は2012年に死去。</ref>。桐生はタワー完成翌日に、建設中に見合いをした女性と結婚式を挙げた<ref name="projectx" />。建設には渡り職人も参加している。当時の鳶の平均日給は500円、タワーでは750円だった。高さを増す毎に強風に苦しめられたが、納期があるために風速15m/sまでは作業を実施した。しかし建設中の1958年[[6月30日]]10時<ref name="projectx" />に、昇っていた鳶職1人が強風に煽られて高さ61mから転落死し、麓にある増上寺で[[葬儀]]を行っている。
 
 
 
着工から1年3か月後(543日間)の1958年12月23日、延人員219,335人にて完成し、鉄塔本体の最上部に建設に携わった96人の技術屋たちの名前が刻まれた金属製の[[銘板]]<ref group="注釈">TBSの情報番組『[[そこが知りたい]]』でTBSの男性[[アナウンサー]]が[[8ミリビデオ|8ミリビデオカメラ]]と共に塔体最上部に向かうが、強烈な電波によって[[ビデオカメラ]]が停止。再度[[8ミリ映画|8ミリフィルムカメラ]]を持って上り銘板の撮影を行ったものが放送された。</ref>が据えられた<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyo23/feature/tokyo231199378046481_02/news/20080108-OYT8T00414.htm 戦後復興シンボル、天高く] YOMIURI ONLINE [[2008年]]1月1日</ref>。総工費は当時の金額で30億円であった。
 
 
 
合計約4,000トン<ref name="ijikanri 2002" />の鋼材(鉄塔本体:SS41(旧[[日本工業規格|JIS]]。現JISではSS400。降伏[[強度]]は240N([[ニュートン]])/mm<sup>2</sup><ref>[http://www.1101.com/skytree/2010-11-30.html ほぼ日刊イトイ新聞 東京スカイツリーうんちく50 2010-11-30-TUE]</ref>)、アンテナ支持台:SHT52相当品<ref name="ijikanri 2002" /> 降伏強度 325N/mm<sup>2</sup><ref>[http://www.jsca.or.jp/vol3/14column/201005/index.php テレビ塔:コラム(バックナンバー):日本建築構造技術者協会]</ref>)が使用されたが、その中でも特別展望台から上の部分に使用されている鉄材の原料には[[朝鮮戦争]]後にスクラップされたアメリカ軍の[[戦車]]が使われている。これは当時の日本では良質の鋼材に恵まれず、またアメリカにとっても旧式戦車を売却して新型戦車を製造した方がメリットが大きかったためである<ref>『東京今昔探偵』(中公新書ラクレ ISBN 4-12-150012-1)「東京タワー〜米軍戦車をつぶして鉄骨に」の項や『[[トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜]]』でもとり上げられた。</ref><ref>スクラップは政治的利権である。それは、[[ロッキード事件]]に登場するシグ片山が、ベトナム戦争のスクラップ払い下げを受けていることから分かる。</ref>。
 
 
 
==地上0メートル地点==
 
タワーの高さは[[標高]]18.000mを[[地盤]]面(G.L・Ground Line)としているため、[[日本水準原点#東京湾平均海面|東京湾中等潮位]](T.P・TOKYO Peil)からの値を使用している<ref name="sekou ikeda" />。
 
 
 
タワーは[[丘陵地]]に建っており、正面は1階が出入り口で駐車場出入り口は2階に位置している。そのためどの部分を基準としているのかがわかりにくく、タワーを訪れても基準となる目印は特に見当たらない。
 
 
 
一方、タワーの立面図<ref>早稲田大学理工学部建築学科・田中弥寿雄 Tanaka Yasuo こぼればなし:東京タワーの基礎(<特集>関東の土質と基礎)[in Japanese] Soil mechanics and foundation engineering 40(3) 86 [[1992年]][[3月25日]]</ref>を見ると地盤面はフットタウン1階の床と同一に見える。
 
 
 
==名称==
 
「東京タワー」の名称は完成直前に開かれた名称審査会で決定した。事前に名称を公募し、最終的には86,269通の応募が寄せられた。
 
 
 
一番多かった名称は「昭和塔」(1,832通)で、続いて「日本塔」「平和塔」だった。他には当時[[アメリカ合衆国|アメリカ]]と[[ソビエト連邦|ソ連]]が[[人工衛星]]の打ち上げ競争をしていたことから「宇宙塔」、皇太子[[明仁|明仁親王]]([[今上天皇]])の成婚(1959年)が近いということで「プリンス塔」という応募名称もあった。
 
 
 
しかし名称審査会に参加した[[徳川夢声]]が、「ピタリと表しているのは『東京タワー』を置いて他にありませんな」と推挙し、その結果1958年10月9日に「東京タワー」に決定した。
 
 
 
「東京タワー」での応募は223通(全体の0.26%、13位<ref>[http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000097424 東京タワーの名前の由来を知りたい。公募だと聞いたがどのような経緯で「東京タワー」に決定したのか。また... | レファレンス協同データベース]</ref>)であり、抽選で[[神奈川県]]の小学校5年生女子児童<!--「生徒」は中高生を指すので不適切-->に賞金10万円が贈られた。
 
 
 
==電波塔集約==
 
東京タワーの完成に先行して開局していたNHK総合テレビジョン・日本テレビ放送網(NTV、以下「日本テレビ」と表記)・ラジオ東京(1960年に東京放送(TBS)に改称。以下「TBSテレビ」と表記)は、それぞれ自局の敷地に電波鉄塔を建設してテレビ放送を行っていた。
 
*NHK東京総合テレビジョン:[[千代田区]][[紀尾井町]](高さ177メートル。NHK千代田放送所。[[1982年]]廃止・1991年撤去。跡地はNHK[[千代田放送会館]])
 
*日本テレビ:千代田区[[二番町 (千代田区)|二番町]](高さ153メートル。[[麹町]]送信所。[[1980年]]撤去。跡地は[[日本テレビ放送網麹町分室|日テレ麹町ビル北館]])
 
*TBSテレビ:港区[[赤坂 (東京都港区)|赤坂]](高さ174メートル。赤坂テレビ鉄塔。1995年撤去。跡地は[[赤坂サカス]]のSacas広場)
 
 
 
そのため、当初は1959年に新たに開局したNHK教育テレビジョン(1月開局。当時1ch)・日本教育テレビ(NET、現在のテレビ朝日。2月開局)・フジテレビジョン(CX、3月開局。以下「フジテレビ」と表記)が利用していた(NHKは同年4月に総合テレビと教育テレビのチャンネルを交換)。翌1960年に赤坂のTBSテレビ(1月)と紀尾井町からの送信に変わっていたNHK教育テレビ(5月)も合流した。
 
 
 
当初はNHKと民放6局のアンテナを東京タワーに一本化するはずだったが、調整の段階で日本テレビが「採算が合わない」「アンテナの配分が不満だ」という理由で不参加になった。しかし、実際は(テレビ業界の覇権を競う[[産経新聞]]創設者の)前田久吉と(読売新聞中興の祖であり、日本テレビ創設者でもある)[[正力松太郎]]との対立といわれる。東京タワーの完成後も日本テレビは麹町の自社敷地内のアンテナから電波を発信し続けていたが、他局に比べて放送エリアが劣るのは否めなかった。そこで同局は自社の所有地である[[新宿]](現在の[[東京メトロ副都心線]]・[[都営地下鉄大江戸線]][[東新宿駅]]付近。新宿六丁目の[[新宿イーストサイドスクエア]]敷地)に東京タワーの2倍もの高さを持つ電波塔「正力タワー」の建設を計画して1968年[[5月10日]]に発表。ボーリング調査や東京都に建築申請書を提出している。さらにNHKも「NHKが民放に恒久施設を借りた例がない。そんなことをしては聴視者に責任がもてない」と[[1969年]][[7月2日]]、渋谷のNHK放送センター敷地内に高さ600mの電波塔を建てる計画を発表する。これを受けて放送事業の監督官庁であった当時の郵政省は、利害関係者である日本電波塔(東京タワーの会社)を交えて話し合うことを指示するが、日本テレビは「あくまでも実行する」と発表<ref>[http://www.hed-lab.jp/blog1/?p=642 人間環境デザイン研究所 幻のタワー計画]{{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20111108080721/http://www.hed-lab.jp/blog1/?p=642 |date=2011年11月8日 }}</ref>。しかし正力没後の翌1970年に、メインアンテナを麹町の本社から東京タワーへ移転することになった<ref group="注釈">麹町の自社敷地内の送信所そのものは東京タワーに移設したあとも予備送信所として[[新宿センタービル]]に移転するまで試験電波発射を中心に運用を続けた。</ref>。その際、TBSが自社の予備スペースを日本テレビに譲ることでメインアンテナのスペースを確保している<ref group="注釈">『TBS 50年史』にも記載されている。</ref>。これにより全放送局が東京タワーに集約された。
 
{{Seealso|正力マイクロ波事件}}
 
 
 
==塗装==
 
[[ファイル:Tokyo Tower 200207.jpg|thumb|240px|right|第8回塗替塗装中のタワー。[[2002年]]7月撮影]]
 
[[ファイル:Tokyo Tower Christmas illuminations2007.1.jpg|thumb|180px|right|第9回塗替塗装中の[[クリスマス]][[イルミネーション]]。2007年12月撮影]]
 
建設時の塗装は地上からH.14(地上141.1m)までは鋼材を工場にて[[サンドブラスト]]してから下塗りまで塗装し、現地搬入時に2回目の下塗りをした。接合部のリベット頭・部材エッジ部は予め下塗り塗装による増し塗りが行われ中塗り、上塗りには[[フタル酸]]樹脂系塗料を用いて6行程行われた。H.14からH.27(地上252.65m)までは工場にて鋼材を酸洗いしてから[[溶融亜鉛メッキ]]を施し現地搬入、建方、本締めボルト接合後に[[ジンククロメート]]系さび止めペイントを塗装した。中塗り、上塗りは鉄鋼材と同様である<ref name="ijikanri 2002" />。また建築当時は[[インターナショナルオレンジ]]がさび止めの[[鉛丹]]と間違えられ、完成した後も最終的にはどのような色になるのかまだペインティングの途中だと思っている人がいた。
 
 
 
[[東京湾]]からの[[潮風]]による[[腐食]]の防止とインターナショナルオレンジの[[白化現象]]が目立ち美観を保つ上でほぼ5年に1度の周期で約1年かけて外観塗装を補修しており、1回目(1965年)は磯部塗装が担当し2回目(1970年)以降は平岩塗装が一貫して請け負っている。平岩塗装の[[平岩高夫]]会長は前田久吉から会うたびに「鉄はサビさせてはあかんからな。大事に守ってくれ」と言われている<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyo23/feature/tokyo231199378046481_02/news/20080108-OYT8T00420.htm 読売新聞 ②「潮風から鉄塔守る」使命感]</ref>。
 
 
 
鉄塔本体の塗装工区は大展望台を境に2つに分け上部は秋に、下部は翌年の春に施工している。作業時間は日の出から営業を開始する9時までに限定されていたが現在は7時を過ぎると通勤者が増えるため、2時から7時までの5時間で作業を行う。
 
 
 
最上部のアンテナを除くH.27の塔体の上から順に木製の丸太で足場を組み、まずケレン落としと呼ばれる下作業をして下塗り、中塗り、上塗りと3工程が行われるがこれは全て[[ハケ]]を使い人の手によって塗られる。上部のアンテナは電波を送信するため足場を組むわけにはいかず、放送電波が停止した時間に職人がアンテナをよじ上って作業をした。総塗装面積94,000m{{Sup|2}}に使うペンキの量は34,000リットルとなり、延べ約4200人が作業に当たる。使用する塗料は[[一斗缶]]に置き換えて縦に積み重ねると、東京タワーの2倍の高さになる<ref>[http://www.tokyotower.co.jp/secret/index_02_c.html 東京タワー 東京タワーの秘密(東京タワーQ&A)塗装編]</ref>。金属ではなく木製の丸太を使用するのは近隣への防音対策と電波への影響を避けるためであり、丸太の総数は1万本以上となる。以前に[[繊維強化プラスチック|グラスファイバー]]のパイプを使用しようとしたことがあったがジョイント部分の[[クランプ]]の使い勝手が悪く、木製の丸太に落ち着いている。また塗装期間中のライトアップは右写真のようにタワーに影ができる。
 
 
 
塗装工事の最終日には、タワーのマークと職人一人ひとりの名前が刻まれた[[五百円玉]]大の記念メダルが職人に手渡された。
 
 
 
全面塗替は第1回が1965年、第2回が1970年、第3回が[[1976年]]、第4回が1980年、第5回が1986年、第6回が1991年、第7回が1996年、第8回が[[2001年]]、第9回が2007年に行われているがその都度塗り足しをしているため、9回の作業で完成時より約1mm塗装が厚くなっている<ref>日本建築仕上学会2001年大会学術講演会 東京タワーにおける塗装の維持保全 その2 経年変化状況 写真4</ref>。
 
 
 
航空法により[[ストロボ]]のような白色[[航空障害灯]]を常時点滅させれば現在のペイントを変更することは可能だが周囲には住宅や[[高速道路]]があり、住民への迷惑、運転者への安全を考えるとペインティングの変更は考えにくい。2008年現在は7等分の塗り分けだが、建設当時から1986年までは11等分に塗り分けていた。また大展望台の外壁は現在は白色だが、1996年まではインターナショナルオレンジだった。
 
 
 
なお塗装作業の一部に[[ビートたけし]]の父である北野菊次郎が携わっていた。
 
 
 
==観光施設としての東京タワー==
 
[[ファイル:tokyotower_entrance.jpg|thumb|240px|right|東京タワー入り口。<br />展望台への入場チケットなどを購入できる。]]
 
[[ファイル:Tokyotower20080419.jpg|thumb|240px|right|大展望台1階には一部にガラス張りの床(ルックダウンウィンドウ)があり、足下を眺めることができる。]]
 
[[ファイル:Tokyo Tower look down window 20100504.jpg|thumb|240px|right|下から見るルックダウンウィンドウ]]
 
[[ファイル:Club333_Tokyo_Tower_(1).jpg|thumb|240px|right|Club333]]
 
[[ファイル:201005東京タワー大展望台のフロア点字.jpg|thumb|240px|right|大展望台のフロアマップ]]
 
[[ファイル:201005東京タワー大展望台の点字.jpg|thumb|240px|right|ランドマーク点字ガイド]]
 
この塔の売り上げは[[観光]]による収入が5割を超えている。東京近辺を目的地とする[[修学旅行]]などにおける定番の行き先として定着している。開業翌年の1959年に当時[[上野動物園]]が持つ年間入場者記録360万人を大幅に抜き、来塔者513万人(1 - 12月)を記録<ref name="mirai" />。一時落ち込みはあったが、現在は年間300万人が来塔している。
 
 
 
タワーは[[地方]]や[[海外]]からの観光客が多く利用し、地元の東京都民は「東京タワーは『おのぼりさん』が行くところ」と登ったことがないという人もいる。そのため日本電波塔株式会社では社員の意識改革を行い若手[[デザイナー]]を起用し、イルミネーションなどを企画して来塔者数を増やした<ref name="seventh">[http://www.feric.ne.jp/culture/seventh/22/ SEVENTH SENSE 〜日本電波塔株式会社(東京タワー)営業部長 前田久徳×陣内貴美子〜]</ref>。
 
 
 
[[2008年]]12月23日の開業50周年に併せ、以下の事業を行った。
 
*2007年12月から2008年8月にかけて、フットタウンと大展望台を結ぶ[[エレベーター]]を順次改修した。3基それぞれにテーマがあり最初に行った3号機は「光のルービック・キューブ」、2号機は「UNIVERSE」、1号機は「UFO」というテーマとなっており天井には移動時に色が変わる仕組みが施されている。また運行速度を少し速め、所要時間を1分から45秒に短縮した。
 
*フットタウン1階にあり、来塔者の休憩所や食事スペースとして使用していたタワーホールを「東京タワーホール」に改称すると共に全スペースを多目的ホールに改装した。
 
*2008年[[8月5日]]よりフットタウン3階の一部を改装して「タワーギャラリー3・3・3」としてオープンし、展示スペース・ショップ・カフェの3施設を併設した。
 
===展望台===
 
;メインデッキ(旧称 '''大展望台''')
 
:メインデッキは地上120mより上に2階構造で位置しており<ref group="注釈">公式HPではメインデッキ1階が145m、2階が150mとしているが海抜表記である。</ref>{{Refnest|group="注釈"|開業時は125mと称していたが、特別展望台増設時に海抜に変更し150mとの表記に変更した<ref name="朝日2003">{{Cite news |title=東京タワー③/高さの秘密 |newspaper=[[朝日新聞]] |date=2003-10-29(夕刊) |publisher=[[朝日新聞社]] |page=14 }}</ref>。}}、フットタウン1階からの昇りエレベーターは大展望台2階に到着して客を降ろす。帰る際はメインデッキ1階から下りエレベータに乗り込むことになる。53メートルと88メートルに避難[[歩廊]]があり、エレベータが停止した場合には低速運転で歩廊まで移動し避難することができる。フットタウンとメインデッキを結ぶ[[階段]](590段)は土曜・休日・祝日に一般開放されており段の途中に段数の表記や[[看板]]が設置してある。途中でエレベータに乗り込むことはできず、階段昇り口付近には「体調の悪い方は階段のご利用をご遠慮ください」と注意書きがある。階段を昇り切ると、シリアルナンバー入りの「ノッポン公認 昇り階段認定証」が手渡される。下り階段は平日も解放されている。なお大展望台と特別展望台を結ぶ階段は非常用であり、一般客は利用できない。以前は展望台に有料の[[望遠鏡]]が設置されていたが現在は撤去され、双眼鏡の貸し出しを始めた。また以前はガラス窓の下に小さな穴があり、そこから紙飛行機を飛ばす客もいたが現在その穴は存在しない。その他、大展望台は2002年4月のリニューアルまで眺望地点の看板の下部に広告を入れていた。大展望台までの[[車いす]]利用は可能であり、[[自動体外式除細動器|AED]]は大展望台1階に設置されている。展望台レイアウトの[[点字]]表記の他、眺望の点字表記もある。
 
コンセプトは「ゆったり楽しむ壮大な東京の景色」である。2018年6月の時点で段階的にリフォーム中。
 
:*ルックダウンウィンドウ(1階)
 
:*:160cm×60cmの[[強化ガラス]]でできている真下が見える床。タワー正面側に2箇所ある。以前からある50cm四方のものは、浜松町駅側(東側)と赤羽橋駅側(南側)に存在する。イルミネーションの電球を交換する作業員はここを歩き、高所での作業ができるか確認を行うことがある。
 
:*Club333 特設ステージ(1階)
 
:*:毎週水、木、金曜日に開催される[[コンサート]]やリクエストプログラムで[http://www.tokyotower.co.jp/333/04_club333/index.html ホームページ]よりリクエストができる。
 
:*カフェ ラ・トゥール(CAFE la TOUR)(1階)
 
:*:展望[[カフェ]]で、展望台の床より60cm高い床となっている。展望台では火が扱えないため、食品は[[電気]]で温めている。[[コーヒー]]、[[ミルク]]、[[ビール]]、[[ケーキ]]、[[ブリオッシュ]]、タワーの焼き印が入った[[どら焼き]]などが販売されている。
 
:*グッズショップ(2階)
 
:*レンタルスコープ(2階)
 
:*:[[ビクセン (企業)|ビクセン]]の倍率10倍の[[双眼鏡]]を500円で貸し出している。
 
:*タワー[[大神宮]](2階)
 
:*:東京23区の中で、最も高い位置に存在する[[神社]]。日本電波塔株式会社の創立20周年創立記念に、事業の隆昌繁栄と来塔者の安全を祈願し1977年7月11日に奉鎮した。祭神は[[天照大神|天照皇大神]](あまてらすすめおおかみ)。
 
 
 
なお大展望台は2018年3月3日に改修とともに改称された。
 
;トップデッキ(旧称 '''特別展望台''')
 
:特別展望台は地上223.55mに位置しており<ref group="注釈">公式HPではトップデッキは250mとしているが海抜表記である。</ref>{{Refnest|group="注釈"|[[六本木ヒルズ]]展望台も同じ海抜250mとしているが、(六本木ヒルズによれば)実際には東京タワー特別展望台の方が数m高いとしている<ref name="朝日2003">{{Cite news |title=東京タワー③/高さの秘密 |newspaper=[[朝日新聞]] |date=2003-10-29(夕刊) |publisher=[[朝日新聞社]] |page=14 }}</ref>。}}、当初設置されていた作業台がそのまま残されたものである。開業から10年間程、放送設備や機材の[[倉庫]]として使われ、オープンは1967年7月になってからである。特別展望台からは[[都心]]を始め都内の街並みを一望でき、天候が良ければ[[神奈川県|神奈川]]・[[埼玉県|埼玉]]・[[千葉県|千葉]]の各県の街並みや[[富士山]]などの山々も見ることができるが、天候その他の理由により営業を中止することがある。以前は入場の仕方が違い、入場料は大展望台(現:メインデッキ)の入場料に加算して支払う必要があった。入場チケットには番号が振られており、大展望台2階の天井に備え付けられている[[液晶ディスプレイ]]に「リザーブチケット番号○○までの方ご案内中です。これからチケットを購入すると○○分」などと表示され入場制限を行っていた。現在は予約制である。かつてエレベーターは[[三菱電機#エレベーター・エスカレーター|三菱]]製旧型エレベーター1基のみで、途中「ガタン」という[[ロープ]]の振れ止めの音がする旨がアナウンスされだ。音がするのは白く塗装されているH.18付近であった。
 
なお、三菱エレペット人荷用は[[2016年]]より開始された改修工事によって全撤去され、[[三菱電機#エレベーター・エスカレーター|三菱]]製の[[2017年]]製新型[[エレベーター]]への交換が完了。2018年3月にオープンした。
 
特別展望台(現:トップデッキ)の[[トイレ]]は洋式で男性用、女性用が用意されている。[[公衆電話]]はあるが売店、自動販売機はない。ゴミ入れはあるが穴が缶くらいの大きさのため、基本的にゴミは持ち帰りである。かつては大展望台2階からは「風と光の[[プロローグ]]」というテーマで装飾された階段と[[エスカレーター]]を使ってトップデッキ行きエレベーターホールまで行ったが、現在は違う。このため車いすは利用できない。AEDは設置されている。2018年3月の大規模修繕時に改称された。
 
 
 
リフォーム後はジオメトリックミラーやLED照明で美しく仕上がっている。またチケットは事前に'''インターネットで予約'''する形態になっている。観光する際はツアーをするような形態で、日本電波塔は「'''トップデッキツアー'''」と呼んでいる。
 
 
 
この際料金も値上がりしたが日本電波塔の社長は「'''料金が値上がりしたが(中略)楽しんでいただきたい'''」としている。<ref> [[テレビ朝日]]系「[[スーパーJチャンネル]]」2018年3月3日放送分より</ref>
 
 
 
===フットタウン===
 
タワーの下にある5階建ての観光・娯楽施設で、以前は「タワービル」と呼び科学館でもあった。タワーのおもりとして設計されている。過去にはTEPCOタワーランドやフジテレビタワープラザといった[[東京電力]]やフジテレビのショールームも入居していた。
 
====現行施設====
 
;屋上
 
:大展望台への直通階段やチケット売り場が設けられている。晴天時には大展望台から降りてきたエレベータは屋上で客を降ろす。
 
:*屋上遊園地
 
:*ガラスの広場 - 屋外イベント広場。
 
;4階・5階
 
:*東京ワンピースタワー(2015年3月13日〜) - 『[[ONE PIECE]]』をテーマにしたアトラクション施設。
 
:5階にはテレビ・ラジオの送信所がある。部外者は立ち入り禁止。
 
;3階
 
:*日本情報産業新聞社
 
:*TOKYO TOWER OFFICIAL SHOP GALAXY(直営売店)
 
:*マザー牧場カフェ
 
:*タワーたいやき
 
:*東京タワーツーリストインフォメーションセンター - [[ジェイティービー|JTBコミュニケーションデザイン]]が運営する海外からの観光客向けのインフォメーションセンター。東京及び近隣地域の観光案内や外貨両替、Wi-Fiスポットやインターネットが使えるPCスペース、イベントスペース、アニメグッズショップの[[アニメイト|アニメイトJMA東京タワー]]で構成されている。
 
;2階
 
:駐車場直通の出入り口と、モスバーガー側に西出入口がある。
 
:*各種土産物屋
 
:*飲食店
 
:*似顔絵コーナー - 以前は大展望台にあったが、フットタウンに移動している。
 
:*街角で太陽光パネルの電力を使ってスマートフォンなどの充電が無料でできる[[シティチャージ]]が、出入り口付近に設置<ref group="注釈">2020年の東京オリンピック・パラリンピックで増加する旅行者に対してのサービスと、環境に優しい都市というこれからの東京のシンボルになるという理由から、[http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2015/07/20p7l300.htm 東京都]とシャープ等が協力して日本で初めて東京タワーの足下で2015年10月7日にサービスを開始。</ref>されている。
 
;1階
 
:正面入り口があり、チケット売り場は外にある。
 
:*東京タワー[[水族館]] - 飼育している魚類を販売している。
 
:*タワーホール
 
:*各種土産物屋
 
;地下
 
:管理事務所。部外者立ち入り禁止。地下2階は職員食堂。医務室には[[看護師]]が常時し、週に2回[[東京慈恵会医科大学|慈恵医大]]の[[医師]]が来る。
 
 
 
====過去施設====
 
*科学館
 
*[[東京電力|TEPCO]]タワーランド
 
*[[フジテレビ]]タワープラザ
 
*マンモス望遠鏡(屋上)
 
*ノッポンスクエア(4階)
 
*ゲームコーナー(4階)
 
*テレビ元気ですか(4階) - 実際に放送しているテレビの画質がどう乱れるかを実験する装置が設置されていた。
 
*[[蝋人形]]館(3階) - 日本で最初に開設された[[アジア]]最大の常設蝋人形館。後に[[日本マクドナルド]]を創業する[[藤田田]]が、アメリカで蝋人形館のノウハウを持っていたインターナショナルレジャーコーポレーションと手を組んで実現。蝋人形発祥の地である[[イギリス]]・[[ロンドン]]の工房から直[[輸入]]された。2001年にリニューアル。[[キリスト]]、[[ザ・ビートルズ]]、[[毛利衛]]、[[向井千秋]]などを展示。一部撮影不可。2013年9月1日閉館。
 
*SPACE WAX(スペース ワックス)(3階)- [[立体映像]]。2013年9月1日閉館。
 
*[[ギネス・ワールド・レコーズ|ギネスワールドレコードミュージアムTOKYO]](3階) - 2005年8月5日〜2010年8月31日
 
*とうけいプラザ、[[感どうする経済館]](3階) - 2005年11月〜2009年3月31日
 
*[[トリックアート]]ギャラリー<ref group="注釈">2011年[[10月8日]]〜2012年[[5月31日]]まで「◆不思議アート展 〜トリックアーティストコレクション〜◆」として再登場。</ref>(3階)
 
*Gallery DeLux(3階)
 
*実際に塔の上部で使われているアンテナの展示<ref>[http://tvdx7.kt.fc2.com/t-tower1.html 東京タワー 日本電波塔]</ref>(3階)
 
*LOVE SPO TOKYO(ランニングサロン、3階)
 
*TOWER GALLERY 333(3階)
 
*タワー大食堂(タワーレストラン)(1階) - 〜2009年12月31日
 
*コンビニエンスストア([[ファミリーマート]])(1階)
 
 
 
===ライトアップ===
 
イルミネーションは1958年[[12月21日]]に実験的に灯され、開業から20日間毎晩点灯された。その後は日曜、祝日の前夜に点灯し1964年の[[前東京オリンピック|東京オリンピック]]中は連夜点灯。これが好評であったために1965年のクリスマスイブから連夜の点灯となった。電球は鉄塔の四隅に5m間隔で250灯配置していたが随時増えてゆき、1976年には696灯(塔体384灯、アンテナ88灯、特別展望台96灯、大展望台128灯)となった。電球が切れた場合はその都度交換しに行くのは手間がかかるため、ある程度切れたら交換していたが所々光が途切れている部分は目立ち、ある芸能人から「地方から東京に帰ってきてタワーを見ると、電球が切れていて気になる」と指摘を受けている<ref>東京電波塔研究会・東京タワー99の謎-知らなかった意外な事実! 二見書房 [[2006年]]7月 ISBN:978-4576061177</ref>。
 
 
 
;ランドマークライト
 
:タワーに直接光を当てることで塔体を浮かび上がらせる方式を採用したライトアップで、1989年元日より実施している。時間は[[日没]]から深夜0時までの間。開業30周年記念により照明デザイナーの[[石井幹子]]に依頼し、昼よりも夜の方が奇麗だと言われる[[ライティング]]を目指してデザインされた。また余計な重量をかけず、エッフェル塔の半分の電気容量を目標とした。照明はデジタルアンテナ部分12灯、特別展望台上部16灯、特別展望台から大展望台まで40灯、大展望台下部16灯、大展望台からタワービル屋上まで84灯、塔脚部12灯の計180灯で構成<ref>[http://www.tokyotower.co.jp/333/07_secret/index_02_b.html 東京タワーの秘密]</ref>され以前は1日あたりの電気料金は2万4000 - 2万5000円程であった。季節に合わせてライトの色も変化させており春・秋・冬([[10月2日]]の夜 - )は暖光色の[[高圧ナトリウムランプ]]のライトアップ、夏(2010年は[[7月17日]] - <ref>[http://www.tokyotower.co.jp/cgi-bin/reg/01_new/reg.cgi?mode=1&no=1360 東京タワーライトアップ]</ref>)は涼しげな白色の[[メタルハライドランプ]]の照明になる。また、イベントなどで違う色にライトアップする場合もある。照明の電球交換は当時・幸陽電気が担当していたが1998年に解散。その後カサキ電気工事を立ち上げ、[[関電工]]の請負としてメンテナンスをしている。電球交換は8時半から始め16時半に終了し、切れているところはないか確認してから解散となる。取り替えた電球は次の[[シーズン]]に使っている。
 
[[ファイル:Tokyo Tower at night 9.JPG|thumb|200px|right|ダイヤモンドヴェール]]
 
;ダイヤモンドヴェール
 
:2008年[[12月1日]]より実施している新たなライトアップで、50周年プロジェクトの一貫。ランドマークライト同様石井幹子によるデザイン。17段ある光の階層それぞれが7色に発色することができる[[発光ダイオード|LED]]を使用し、各色にはメッセージが込められている。20時 - 22時までの2時間限定のライトアップであり、ライトアップスケジュールは[http://www.tokyotower.co.jp/333/diamond/index.html ホームページ]にて確認できる。日没からはランドマークライトが点灯して20時に消灯。ゆっくりダイヤモンドヴェールが[http://www.youtube.com/watch?v=VPAuS0J5CZQ&fmt=22#t=00m53s ライトアップ]されて22時に消灯。再度ランドマークライトが点灯される。このライトアップをテーマにしたラジオ番組がTOKYO FM(エフエム東京)で制作・放送されている(「東京タワー・プレゼンツ・ダイヤモンドヴェール」)。
 
 
 
電気料金は2008年12月時点では[[投光器]]の精度がアップしたことと中間部照明器具に消費電力の少ないLEDを使用していることにより、約1万8520円と約25%の省電力となっている<ref>[http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20081107/1020684/?P=3 省エネ対策もバッチリ! 東京タワー開業50周年「ダイヤモンドヴェール」開始 日経トレンディネット]</ref>。
 
 
 
過去に「[[乳癌|乳がん]]撲滅キャンペーン([[ピンクリボン]]デー)」で桃色、[[映画]]『[[マトリックス・リローデッド]]』の[[宣伝|プロモーション]]や[[アイルランド]]と日本の外交関係50周年の記念として緑色、地上デジタル放送のプロモーションや世界[[糖尿病]]デーで青色のライトアップになったこともある。
 
 
 
2000年から[[年末年始]](クリスマス終了から1月中旬まで)に大展望台の[[窓ガラス]]の外側に[[西暦]]の数字を装飾している。時間は16時30分 - 翌朝8時まで。ただし、大晦日は西暦表示の切り替え作業のため、0時から8時までの点灯となる。
 
 
 
2005年12月の地上デジタル放送のプロモーションで「地デジ」の文字や、[[2016年]]の[[2016年東京オリンピック構想|東京オリンピック招致]]で[[近代オリンピック|オリンピック]]の色を使った「Tokyo」「2016」の文字を装飾していた時期があった。クリスマスには大展望台にピンクのハートが点灯される。
 
 
 
2007年の[[第58回NHK紅白歌合戦]]では総合優勝を決めるにあたり従来のそれぞれの審査カテゴリー別の得票最多チームをボールで数える「[[玉入れ]]方式」を行わず、東京タワーのライトアップに拠って最終成績を決めるという試みを行った。
 
 
 
2008年クリスマスの期間中(2010年は12月1日 - [[12月26日|26日]])、毎日19時半に一旦ランドマークライトアップが消灯し大展望台にピンクの[http://www.youtube.com/watch?v=cg3mqilUpC8 ハートマーク]や大展望台から地上へ繋がるフラッシュライトがクリスマスソングに合わせて光のショー「東京タワークリスマス・ライトダウンストーリー」を展開する。
 
 
 
スポーツ大会で日本を応援する時や、優勝した場合には特別ライトアップが行われる時があり、夏・冬の[[オリンピック]]・[[パラリンピック]]で日本人選手・チームが[[金メダル]]を獲得した時<ref>{{Cite press release | title = 東京タワーがオリンピックカラーにライトアップ! 「ダイヤモンドヴェール」再点灯のお知らせ | publisher = 日本オリンピック委員会 | date = 2012-08-18 | url = http://www.joc.or.jp/games/olympic/london/news/detail.html?id=2357 | accessdate = 2016-03-14}}</ref>、2009年の[[ワールド・ベースボール・クラシック]]で[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表|侍JAPAN]]が連覇を決めた時、[[サッカー日本代表]]が[[2010 FIFAワールドカップ|FIFAワールドカップ南アフリカ大会]]出場を決定した時、更には2011年に[[2011 FIFA女子ワールドカップ|FIFA女子ワールドカップドイツ大会]]で[[サッカー日本女子代表]]が優勝した時には祝賀のライトアップを行った。
 
 
 
[[2011年]]には石井の提案により東日本大震災によって落ち込んだ日本を応援するべく、大展望台に8400個のLEDで「GANBARO NIPPON」の文字装飾を[[4月11日]]から[[4月16日|16日]]まで行った<ref>[http://www.47news.jp/CN/201104/CN2011041101000912.html 47NEWS 東京タワーに「がんばろう」太陽光発電でメッセージ]</ref>。電力は太陽光発電でまかなわれ、その後ハートマークの装飾も実施した。また、[[6月20日]]には[[世界難民デー]]にあわせ{{UN}}カラーにライトアップされた。
 
 
 
[[2013年]]7月18日から7月21日までの4日間は、同月19日から10月6日まで開催の「[[藤子・F・不二雄]]展」に合わせ、青・赤・黄を基調とした[[ドラえもん]]カラー(青で体色、赤で首輪、黄で鈴を示す)にライトアップされた<ref>[http://news.mynavi.jp/articles/2013/07/19/fujikofujio/index.html 東京タワーで「藤子・F・不二雄展」開幕、プロジェクションマッピングやドラえもん80体がお出迎え] マイナビニュース 2013年7月19日</ref>。また、[[9月3日]]のドラえもんの誕生日に合わせ、同年9月2日から9月4日までの3日間にも再び同色にライトアップされた<ref>[http://fujiko-f80.com/tokyotower/pdf/F80_pc_topics4.pdf 祝!ドラえもんの誕生日記念イベント開催] 藤子・F・不二雄展</ref>。
 
 
 
[[2015年]][[11月15日]]は2日前に発生した[[パリ同時多発テロ事件]]への哀悼の意味を込めて、東京スカイツリーとともに[[フランスの国旗]]と同じ青・白・赤にライトアップされた<ref>{{Twitter status|nopponotouto|665790836102180864|ノッポン弟 TOKYO TOWERさんのツイート 2015年11月15日の発言}}</ref>。
 
 
 
[[2017年]][[9月23日]]は当日に番組終了を迎えた[[テレビ朝日系列|テレビ朝日系]]『[[SmaSTATION!!]]』が番組開始から16年間、東京タワーをバックにオープニングの挨拶をしてくれたことに対する感謝の意味を込めて、22時30分から2時間限定で番組テーマカラーである青色にライトアップされた<ref>{{Cite news |title=香取 最終回に涙目で「ヤバイ」…東京タワーが「スマステ」カラーのサプライズ |newspaper=デイリースポーツ |date=2017-09-23 |author= |url=https://www.daily.co.jp/gossip/2017/09/23/0010582376.shtml |accessdate=2017-09-23}}</ref><ref>{{Twitter status|nopponotouto|911590429547569152|ノッポン弟 TOKYO TOWERさんのツイート 2017年9月23日の発言}}</ref>。
 
 
 
===ライトダウン===
 
設備の点検・工事などの夜間作業が行われる場合を除きライトアップの照明は<!--日付が変わる-->0時に消灯されていたが「東京タワーのライトアップが消える瞬間を一緒に見つめた[[カップル]]は永遠の幸せを手に入れる」との噂が広まり、0時前になるとライトダウンの瞬間を見ようとする多くのカップルが集まるようになった<ref>[http://www.tokyotower.co.jp/333/light/index.html 東京タワー ライトダウン伝説]</ref>。これは漫画『[[部長島耕作]]』で恋人の誕生日にケーキに立てる[[ろうそく]]の数を1本少なく間違えた主人公・島耕作がタワーの灯を巨大なろうそくに見立てて0時の消灯と同時に吹き消して見せるシーンがあり、これが伝説の由来となっている可能性が高い<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyo23/feature/tokyo231199378046481_02/news/20080108-OYT8T00484.htm 読売新聞 プロポーズから新生活まで 愛を見守り続け]</ref>。
 
 
 
ライトダウンは施設管理部電気課の職員がスイッチを操作するがアンテナの設備点検や工事があるために0時以降もライトダウンしないと「なぜ今日は消えないのか」と毎回問い合わせがあるため、現在は0時<ref group="注釈">頭頂部の改修工事のため、2012年5月8日〜2014年9月12日の間は22時に消灯し<!--、22時半頃から(工事に合わせて)再点灯し-->ていた。<!--[http://www.tokyotower.co.jp/lightup/index.html ライトアップについて]に記載。--></ref>に消灯して再度0時半頃に点灯することになっている。スイッチは回転式で、大展望台の上と下を別々に操作することができる。ランドマークライトからダイアモンドヴェールに切り替わる際にもライトダウンを見ることができる。
 
 
 
また2011年[[3月12日]]以降、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)のため自主的なライトダウン<ref>[http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/03/12/kiji/K20110312000414760.html 東京タワーのライトアップ中止…哀悼の意と電力節減] [[スポーツニッポン]] 2011年3月12日閲覧。</ref>を同年5月10日まで終日行った<ref>[http://www.tokyotower.co.jp/333/diamond/2011_05.html 東京タワー*TOKYO TOWER*ダイヤモンドヴェール 2011/5]</ref>。[[5月11日]]から[[5月13日|13日]]の3日間は白色のダイヤモンドヴェール(追悼の光)を実施し、その後は自然エネルギーを取り入れるなどさらなる省エネに努めライトアップを再開している。
 
 
 
===写真撮影===
 
[[File:SDIM1421-Edit.jpg|240px|thumb|東京タワーから約1.2kmの距離にある[[世界貿易センタービル (東京)|世界貿易センタービル]]40階の展望室から焦点距離45mmレンズにて撮影。左手前に[[増上寺]]、左奥に[[六本木ヒルズ]]が見える。]]
 
東京都心部にある観光地であり、地上300mを超える光の塔となるタワーには[[写真]][[撮影]]をする人が跡を絶たない。人とタワーを一緒に撮影する場合、敷地内ではタワーが近すぎ、また巨大であるために身をかがめて撮影する人々が見受けられる。[[子供]]を撮影するに至っては寝転がって撮影する人もいる。そのために東京タワーには正面入り口左側に記念撮影用の立て看板が設置されている。この写真は[[順光]]となる2階出入り口側の2号塔脚付近で撮影されており、団体客の集合写真も2階出入り口付近で撮影される。
 
 
 
正面入り口側からの日中の撮影では、[[逆光]]で顔が黒くつぶれるために[[フラッシュ]]が必要となる。ただしその場合、タワーは暗く写るので注意が必要だが最近のカメラは自動で逆光補正を行う機種もあるため[[ハイダイナミックレンジ合成|HDR]]やオートで撮影するのも手である。
 
 
 
==地上デジタル放送==
 
===地上デジタル放送開始===
 
地上デジタル放送用の送信アンテナをどこに設置するかについては多摩地区、上野地区、[[秋葉原]]地区などから誘致提案が出された。しかし[[サービスエリア]]や[[航空路]]との関係などの面でいずれも決定的ではなく、2003年12月1日からの関東地区での地上デジタル放送開始に対応する仮の措置として従来アナログテレビ放送を行って来た東京タワーの施設を拡張する形で設置されることになった。このため大展望台の直下、135 - 145mの高さに送信設備室を増築し特別展望台の上の塔体最上部に直径13m、高さ11mの筒型のアンテナを設置した。
 
 
 
===地上デジタル放送移行に伴う問題===
 
{{Seealso|東京スカイツリー}}
 
[[デジタル]]テレビ電波は[[アナログ]]テレビ電波に比べて[[送信所]]に近い地域(強[[電界]]地域)では受信[[電波障害]]の範囲が狭くなるが、送信所から遠い地域(中、弱電界地域)ではアナログテレビ電波同様に障害が発生する<ref>[http://www.diginet.ne.jp/tokyo-ant/denpa-chosa.html 東京アンテナ工事株式会社]</ref>。
 
 
 
2013年(平成25年)まで、東京タワーでは[[日本の地上デジタルテレビ放送|地上デジタル放送]]波の送信を行っていたが、これは暫定的な措置であり、2011年(平成23年)7月24日の地上デジタル放送全面移行後、今後さらに[[超高層建築物]]が建設されることも踏まえ、東京タワーの高さでは受信電波障害の問題を解決できず、(2009年の時点では)首都圏域すべて(アナログテレビの放送区域)をカバーし切れないと言われていた。
 
====東京スカイツリーの建設====
 
この問題は、[[2000年代]]初頭から既に想定されていたが、2003年(平成15年)12月1日の地上デジタル放送開始には間に合わなかった。しかしその頃から、東京タワーに代わる新しい電波塔の建設が検討され始め、同年[[12月17日]]に東京タワーの電波障害を解消するためにNHKと民放キー局で構成する「在京6社新タワー推進プロジェクト」が発足。候補地については[[東京23区]]および近隣の数都市が名乗りを挙げて協議を重ねた結果、[[2006年]]に新塔の建設予定地が[[墨田区]][[押上]]にある[[東武鉄道]]の貨物[[操車場]]跡地に決まりここに新塔「'''[[東京スカイツリー]]'''」(以前は仮に「第2東京タワー」や「新東京タワー」「すみだタワー」などと呼んでいた)を建設することとなった。2008年[[7月14日]]に着工し地上デジタル放送への全面移行後の2012年[[2月29日]]に完成、同年[[5月22日]]に開業した。高さは634mで電波塔としては世界一を更新し地上350m地点に展望デッキ(第1展望台・フロア340-350)、450m地点に展望回廊(第2展望台・フロア445-450・最高地点451.2m)を設置<ref>[http://www.tokyo-skytreetown.jp/dl/pdf/20120209_02.pdf 東京スカイツリー®の施設名称・展示演出を決定しました!]</ref>する。建設費400億円。総事業費は約650億円<ref>[http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819696E0E0E2E0998DE0E0E2E7E0E2E3E09F9FE2E2E2E2 日本経済新聞 2012年5月22日]</ref>。本放送は[[2013年]][[5月31日]]9時に開始された(東京タワーからの送信所切替)。
 
 
 
====東京タワーの処遇について====
 
一方、東京タワーを管理する日本電波塔は、2007年(平成19年)9月21日、放送局各局のデジタルテレビ完全移行後に、塔頂部にある現在のアナログテレビ用スーパーターンスタイルアンテナを撤去し、その場所へデジタルテレビ用アンテナを設置することで、アンテナ位置を80 - 100m上方に移動する方針を主軸とした、東京スカイツリーへの対抗案(東京タワーイノベーション計画)を打ち出し各テレビ局に打診した。80m改修案の場合、タワーの高さは変わらず、費用は約40億円で済むと言われ、各局の放送設備もそのまま流用できるなど、東京スカイツリーの建設に比べると圧倒的にコストを低く抑えられた。なお材質には、軽量の[[炭素繊維]]などを用いた場合、大掛かりな補強工事の費用は必要なく、改装費用はさらに減額することが可能であった<ref>[http://av.watch.impress.co.jp/docs/20070921/ttower.htm 東京タワーが“地デジ続投”をTV各局に求める - AV Watch 2007年9月21日]</ref><ref name="mirai">{{PDFlink|[http://www.tokyotower.co.jp/333/07_secret/file/mirai_tokyotower.pdf 東京タワー未来構想 - 日本電波塔株式会社 東京タワー未来懇談会 2007年12月]}}</ref>。
 
 
 
2010年(平成22年)9月27日、日本電波塔はNHKおよび民放テレビキー局5社との間でテレビ送信(NHKはFMも含む)の東京スカイツリーへの移行後、災害時などで東京スカイツリーから電波が送れない場合の予備電波塔として、東京タワーを利用する契約を結んだ<ref name="yomiuri2010-09-28">[http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20100927-OYT1T00908.htm スカイツリー開業後の東京タワー…結んだ契約は] 読売新聞 2010年[[9月28日]] 13S版10面</ref>。
 
 
 
==放送施設としての東京タワー==
 
{{放送所
 
|名称 = 日本電波塔
 
|画像 = Tokyo Tower and around Skyscrapers.jpg
 
|表題 =
 
|送信所名 = 東京タワー
 
|局名 = 東京放送局
 
|送信波 = [[日本の地上デジタルテレビ放送|地上デジタルテレビ放送]]<br />[[ラジオ|FMラジオ放送]]<br />V-Low帯[[マルチメディア放送]]
 
{{Collapsible list|framestyle=padding-left:5px; background-color:#ddd|title=運用終了
 
|1=[[NTSC|地上アナログテレビ放送]]<br />[[地上デジタル音声放送]](実用化試験局)
 
}}
 
|塔数 = 1塔
 
|空中線形式 = '''3素子2L5段15面 2系統'''<br />UD-D<br />NHK-DG・NHK-DE・EX-D・CX-D・TBS-D・NTV-D・TX-D【予備送信所】<br />'''2L2段4面(北方向のみ1段)'''<br />TOKYO FM<br />'''SG8段4面'''<br />NHK-FM【予備送信所】<br />'''2L1段4面'''<br />InterFM<br />'''2L4段4面'''<br />UD-FM
 
{{Collapsible list|framestyle=padding-left:5px; background-color:#ddd|title=運用終了
 
|1='''ST6段'''<br />NHK-TG・NHK-TE
 
|2='''2D8段4面'''<br />EX-A・CX-A・TBS-A・NTV-A・TX-A・UD-A
 
|3='''3素子2L2段14面'''<br />MX-A・MX-D
 
|4='''ST6段4面'''<br />D-RADIO
 
|5='''SG8段4面'''<br />J-WAVE・NHK-FM
 
}}
 
|放送局 = 【メイン送信所】<br />[[放送大学]](テレビ・FM、UD)<br />[[エフエム東京|TOKYO FM]](TFM)<br/>[[InterFM|InterFM897]]<br />[[VIP]]([[i-dio]])<br />【予備送信所】<br />[[NHK放送センター|NHK東京]](テレビ・FM)<br />[[日本テレビ放送網|日本テレビ]](NTV)<br />[[TBSテレビ]]<br />[[フジテレビジョン|フジテレビ]](CX)<br />[[テレビ朝日]](EX)<br />[[テレビ東京]](TX)
 
{{Collapsible list|framestyle=padding-left:5px; background-color:#ddd|title=運用終了
 
|1=NHK東京(テレビ・アナログ)<br />日本テレビ(NTV・アナログ)<br />TBSテレビ(アナログ)<br />フジテレビ(CX・アナログ)<br />テレビ朝日(EX・アナログ)<br />テレビ東京(TX・アナログ)<br />[[東京メトロポリタンテレビジョン|TOKYO MX]](アナログ・デジタル)<br />[[J-WAVE]]<br />デジタルラジオ
 
}}
 
|空中線電力 = '''デジタル''':10kW、5kW(UD)<br />'''FMラジオ''':10kW<br />'''マルチメディア放送''':10kW
 
{{Collapsible list|framestyle=padding-left:5px; background-color:#ddd|title=運用終了
 
|1='''アナログ''':映像50kW(テレビ各局)、10kW(MX)<br />'''デジタル''':3kW(MX)<br />'''デジタルラジオ''':2.4kW
 
}}
 
|中継 =
 
|受信 =
 
|指向性 = 無し
 
|対象区域 = [[関東平野]]一帯
 
|受信世帯 = 約14,000,000世帯
 
{{Collapsible list|framestyle=padding-left:5px; background-color:#ddd|title=運用終了
 
|1=約6,900,000世帯(MX)
 
}}
 
|開局年 = 1959年
 
|開局月日 = 1月10日
 
|廃止年 =
 
|廃止月日 =
 
|郵便番号 = 105-0011
 
|都道府県 = 東京都
 
|市区町村 = 港区
 
|住所 = 芝公園4-2-8
 
|特記事項 = 地上デジタル音声放送は[[2011年]][[3月31日]]、地上アナログテレビ放送は2011年[[7月24日]]に運用終了
 
}}
 
[[ファイル:2010東京タワーアンテナ配置.jpg|thumb|アンテナ配置(東京スカイツリー建設前)]]
 
[[ファイル:Special observatory.jpg|thumb|right|デジタル放送用アンテナと特別展望台]]
 
===放送区域===
 
発信される電波は、[[関東地方|関東エリア]]の半径100km圏を範疇とする。
 
*テレビ・FMとも基本的には関東平野一帯。それ以外の地域は近隣中継局やケーブルテレビなどで受信する。TOKYO MX(東京スカイツリーへ移転)は受信できる範囲が限られていた。
 
*そのほかは受信感度が劣るものの、[[山梨県]]・[[長野県]]・[[新潟県]]・[[宮城県]]・[[福島県]]・[[静岡県]]中東部のそれぞれ一部地域でも受信ができる。
 
*災害などによって、[[東京スカイツリー]]から放送電波を送信できない場合に備え、[[冗長化|冗長性]]担保のため東京タワーを災害時の予備の電波塔として[[バックアップ]]する契約が、2010年(平成22年)9月27日に、日本電波塔株式会社と[[日本放送協会|NHK]]・[[キー局|在京キー局]]5社との間で結ばれた<ref name="yomiuri2010-09-28"/>。なお、NHKは地上デジタルテレビのほか[[NHK-FM|FM放送]]も含まれている。
 
 
 
===施設===
 
建設当初からのアナログテレビ放送送信所([[送信機]]室)はタワービルの5階にある。ただし5階は各放送局の送信設備などが置かれた機械室となっているため関係者以外は立入禁止であり、保安上や安全上(感電事故等防止)の面からも一般人の見学はできない。
 
 
 
なお、2008年9月に[[フジテレビONE]](当時・フジテレビ739)で放送された『[[ばら・す]]』ではフジテレビのアナログテレビ送信設備の一部が放送されたほか、2011年3月に[[NHK総合テレビジョン|NHK総合]]・[[NHK衛星第2テレビジョン|NHK BS2]]で放送された『[[ブラタモリ]]』(第2シリーズ)ではNHK教育テレビのアナログテレビ送信設備の一部が放送されている。また、2011年7月25日未明にテレビ朝日で放送された『[[ANN NEWS&SPORTS]]』や同日朝にNHK総合で放送された『[[NHKニュースおはよう日本]]』でも技術職員によるアナログ放送の完全停波作業のニュースが伝えられた際、それぞれのアナログテレビ送信設備の一部が放送されている(NHKは総合テレビの設備)。<!--視聴にて確認-->さらに、2013年5月31日9時に行われた地上デジタル放送の東京スカイツリーへの送信所完全移転の際には、関東ローカルニュースにて、東京タワーからの電波を止める瞬間の模様を放送した際に各局のデジタル送信所の一部が放送された。
 
====地上デジタル放送用送信機====
 
送信機は2層を使って設置されており上階にNHKのテレビジョン放送2波分、放送大学と地上デジタル音声放送の実用化試験放送用(後1者は廃局済)、下階に[[民間放送|民放]]テレビジョン放送5局分、それぞれの送信機を設置。なおTOKYO MXは単独設置(アナログ送信機と共用)であった(移転済)。送信機は共通仕様に基づき設計された固体化水冷式で最大出力10kWが得られる。
 
 
 
地上デジタル放送送信設備室はフットタウンと大展望台を結ぶ階段からでないと入ることができない。なお、前述のとおり放送大学以外の局については2013年5月31日9時以降、予備送信所となっている。
 
 
 
====地上デジタル放送用アンテナ====
 
特別展望台とアナログ放送用アンテナ部分の中間、高さ260 - 280mのところに直径13m・高さ12mの円筒形のアンテナを設置した。これは「3素子型2L[[双ループアンテナ]]5段15面4系統」といわれるもので、ループ型アンテナを構成するエレメントを10段30面に配置している。そして赤に塗装された上5段分から3波、白に塗られた下5段分から4波が送信される。このアンテナは前述の通り、当初は親局として使用されていたが放送大学以外の局に関しては2013年5月31日9時以降は東京スカイツリーからの送信が不可能になったときの予備アンテナとなっている。
 
 
 
地上デジタル音声放送用のアンテナは特別展望台の直下、高さ約245mのところにプレート[[パラボラアンテナ]]が設置されている(2011年3月31日の全局廃局に伴い、同年6月にアンテナ撤去)。これらの設備追加により塔は420tも重量が増加したとの案内が行われていた。2001年、タワーへのアンテナおよび送信機室の設置に伴って構造安全性が再検討され2003年から2005年春にかけて塔の構造材に鋼板による補強<ref>[http://www.takenaka.co.jp/ara/results/case11.html 竹中工務店・半世紀にわたる維持保全]</ref>と塔脚一本につきコンクリート杭(アースドリル工法・直径3m、深さ約18.5mの基礎杭)が2本ずつ増設<ref>[http://www.takenaka.co.jp/enviro/e_report/2006/operation/activities_01.html 竹中eレポート2006]</ref>された。
 
 
 
2003年の運用開始当初はアナログテレビの混信を避けるため出力の抑制・指向性が掛けられていたが、アナアナ変換による対策がこの地域で完了した2005年までに無指向性・所定の出力となった。
 
 
 
====地上アナログ放送用アンテナ====
 
アナログ放送のアンテナは塔頂部からNHK総合と教育(STアンテナ6段にて二重給電)、テレビ朝日、フジテレビ、TBSと日本テレビ(併設)、テレビ東京と放送大学(併設。ただし、放送大学のUHF送信アンテナはスキュー配列<ref group="注釈">放送大学はUHFのため1波長が鉄塔幅よりも小さくなってしまい、VHF同様に4面にアンテナを設置しても指向性を円形にすることが難しいのと既にテレビ東京のアンテナが設置していたためにスキュー配列となった。</ref>)(以上[[広域放送]]、NHK教育のみ[[全国放送]])の順で塔頂部からH.27(地上27番目の鉄骨の水平材、桁)までのゲイン塔に設置されていた。ただし、TOKYO MXは開設が放送大学より後なのと[[県域放送]](東京都のみでの放送)のため一段低い場所にあった。保守、管理をしていたのは[[電気興業]]。設計は同社の鈴田豊次(当時25歳)ら新米ばかりの若いチームだった。アンテナは送信波長の関係から太くできないため、直径17cmのステンレス丸棒を溶接したものを使用していた。ここから送信された電波は160km離れた[[栃木県]][[那須町|那須湯本]]まで届いた<ref>「東京タワーを愛した男たち電波塔50年物語」 『[[報道ステーション]]』 テレビ朝日 2008年2月2日</ref>。
 
 
 
地上アナログテレビジョン放送の終了に伴い2011年7月25日0時に送信を終了し、地上アナログ放送用アンテナは2012年7月までに撤去された。
 
<gallery>
 
ファイル:2010東京タワー300m付近01.jpg|スーパーターンスタイル(ST)アンテナ6段([[古河電気工業]]納入)と、下部に2ダイポール(2D)アンテナ
 
ファイル:2010東京タワー300m付近02.jpg|真下より撮影<br />右下はデジタル放送用アンテナの一部
 
ファイル:NHK Anttena Monument 1.jpg|STアンテナ6段のうちの1段分(現在は[[NHK放送博物館]]に展示)。
 
</gallery>
 
 
 
====FM放送用アンテナ====
 
これらの放送局のアンテナは頂上部のTOKYO FM、特別展望台直下のNHK-FM(予備送信所)、放送大学、InterFMの順に設置されている。
 
 
 
特別展望台直下のアンテナは、NHK-FM・TOKYO FM・J-WAVEの3局が、1つのアンテナを共用していたがNHK-FMとJ-WAVEについては東京スカイツリーに送信設備を移転、TOKYO FMも後述の通り頂上部に移している。NHK-FMは引き続き予備送信所として残るが、J-WAVEは本社のある[[六本木ヒルズ森タワー]]屋上の予備送信所を継続利用するため使用されていない。
 
 
 
2013年2月11日より、TOKYO FMのアンテナが、[[NHK放送センター|NHK東京]]のアナログテレビのあったタワー頂上部に新設された<ref name="pr20130207" />。当初の計画では2012年1月に、従来のNHKアナログテレビのアンテナを利用して送信する予定だったが、前述の東日本大震災によるアンテナ破損があったため、旧アンテナを撤去して新設することとなった<ref>[http://www.tfm.co.jp/company/pdf/news000686.pdf <株式会社エフエム東京 第388回放送番組審議会>] - TOKYO FM</ref>。
 
 
 
InterFMでは開局時期が遅いこともあり、当初は地上150mの大展望台の直上という低い位置、[[日経ラジオ社|ラジオNIKKEI]]の中継アンテナと同じ場所にあった。その後、首都圏の高層建築物の増加に伴って受信環境が悪化していたことから、アンテナを従来より高くした上で、かつ同じ周波数では[[混信]]が発生するため、同時に送信周波数76.1MHzを変更することとなった。2015年6月24日に総務省から変更許可を受け<ref>[http://av.watch.impress.co.jp/docs/news/20150625_708884.html InterFM、6月下旬から89.7MHzに変更。アンテナを高くして受信改善へ] AV Watch 2015年6月25日</ref>、同月26日より試験放送を開始<ref name="interfm20150626" />、30日18時より本放送を開始した<ref name="interfm20150629" />。10月31日まで移行期間として新旧周波数でサイマル放送を行い、11月1日より送信周波数を89.7MHzに一本化した。
 
 
 
この他、以前は大展望台の直下にAMラジオの[[ニッポン放送]]の中継アンテナがあった。
 
 
 
====テレビ中継回線設備====
 
一般視聴者向けの放送アンテナ以外に、テレビ局は素材を遠方の取材先から[[演奏所]]に送るためのマイクロ波による中継システムを持つ。この塔には、送られて来たマイクロ波を受信するアンテナが、FM用送信アンテナ群の直下から大展望台にかけて設置され、遠隔操作で取材地方向に向けることができる。また、タワー自体による死角ができるので、対向する2個所1組で運用。これらのアンテナで受信した電波は、映像専用回線を通じて各放送局の演奏所に送られる。
 
 
 
またキー局が共同取材で素材を融通し合う場合があるが、アナログ放送時代は「タワー分岐」と呼ばれる作業により、ここで各局に分配できるようになっていた。ただしデジタル放送におけるハイビジョン映像には、タワー分岐は使われない。これはデジタル放送において、在京キー局各社が[[ネクシオン]]の提供する映像伝送サービス「ネクシオンHD分岐」を、素材交換を含めて共同利用しているためである。
 
 
 
なお、[[光ファイバー]]による大容量の伝送回線網が日本全国をカバーしたため、放送局相互用マイクロ波回線([[NTT中継回線]])は廃止された。
 
 
 
==送信周波数・出力==
 
===地上デジタルテレビジョン放送===
 
====常用====
 
{| class="wikitable" style="text-align:center"
 
![[リモコンキーID|リモコン<br />キーID]]!![[日本のテレビジョン放送局|放送局名]]!![[識別信号|コールサイン]]!![[チャンネル (テレビ放送)|物理<br />チャンネル]]!![[空中線電力]]!![[実効放射電力|ERP]]!![[放送#放送対象地域|放送対象地域]]!![[放送#放送区域|放送区域]]<br />内世帯数
 
|-
 
!12
 
|[[放送大学]]||JOUD-DTV<ref name="udtv">{{Cite web |url = http://www.tele.soumu.go.jp/musen/SearchServlet?pageID=4&IT=A&DFCD=0002843550&DD=1&styleNumber=01 |title = 無線局免許状情報 |publisher = 総務省 |accessdate = 2015-12-16 }}</ref>||28ch||5kW<ref name="udtv"/>||19kW<ref name="udtv" />||関東広域圏<br />(授業実施予定地域<ref name="soumukikan1" /><ref name="soumukikan2" />)||1319万6862世帯
 
|-
 
|colspan="8" style="text-align:left; font-size:smaller"|
 
*コールサインは、主放送に対するもののみ。
 
*[[2006年]][[12月1日]]に本放送開始<ref name="udyouran">{{Cite web |url = http://www.ouj.ac.jp/hp/osirase/gakuenyouran/pdf/gakuenyouran.pdf |title = 放送大学学園要覧2014(4ページ)|publisher = 放送大学 |format = PDF |accessdate = 2014-06-07 }}</ref>。
 
*[[2018年]][[10月]]末に廃止予定<ref name="tokyo-maebashi">[http://www.jiji.com/jc/article?k=2016052700779&g=soc 放送大学、地上波終了へ=18年に、BS完全移行]{{リンク切れ|date=2017年10月 |bot=InternetArchiveBot }} 時事通信社 2016年5月27日発行、同日閲覧。</ref>。
 
|}
 
 
 
====予備用====
 
アナログVHFから移行した以下の7局は[[2003年]][[12月1日]]から本放送を行ってきたが、[[2013年]][[5月31日]]9時を以って[[東京スカイツリー]]に主送信所を移転したことに伴い東京スカイツリーから送信できなくなった場合の予備送信所に移行した。
 
 
 
{| class="wikitable" style="text-align:center"
 
|- style="white-space:nowrap"
 
!リモコン<br />キーID!!放送局名!!コールサイン!!物理<br />チャンネル!!空中線電力!!ERP!!放送対象地域!!放送区域<br />内世帯数
 
|-
 
!1
 
|NHK<br />[[NHK放送センター|東京]][[NHK総合テレビジョン|総合]]||{{Nowrap|JOAK-DTV<ref name="nhkg">{{Cite web |url = http://www.tele.soumu.go.jp/musen/SearchServlet?pageID=4&IT=A&DFCD=0002675750&DD=1&styleNumber=01 |title = 無線局免許状情報 |publisher = 総務省 |accessdate = 2015-12-16 }}</ref>}}||27ch||rowspan="7"|{{Nowrap|10kW<ref name="nhkg" /><ref name="nhke" /><ref name="ntv" /><ref name="ex" /><ref name="tbs" /><ref name="tx" /><ref name="cx" />}}||rowspan="2"|48kW<ref name="nhkg" /><ref name="nhke" />||[[広域放送#放送事業者別の広域放送|関東広域圏]]<br />([[茨城県]]、[[栃木県]]及び[[群馬県]]を含まない)<!--放送対象地域が改定にならない限り書き換えないで下さい--><ref name="soumukikan1">{{Cite web |date = 1988-10-01 |url = http://www.tele.soumu.go.jp/horei/reiki_honbun/a000046801.html |title = 基幹放送普及計画(昭和63年郵政省告示第660号)|publisher = [[郵政省]] |accessdate = 2015-12-16 }}</ref><ref name="soumukikan2" />||rowspan="7"|{{Nowrap|約1400万世帯}}
 
|-
 
!2
 
|NHK<br />東京[[NHK教育テレビジョン|教育]]||JOAB-DTV<ref name="nhke">{{Cite web |url = http://www.tele.soumu.go.jp/musen/SearchServlet?pageID=4&IT=A&DFCD=0002675751&DD=1&styleNumber=01 |title = 無線局免許状情報 |publisher = 総務省 |accessdate = 2015-12-16 }}</ref>||26ch||[[全国放送]]
 
|-
 
!4
 
|{{Nowrap|NTV<br />[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]}}||JOAX-DTV<ref name="ntv" />||25ch||49kW<ref name="ntv">{{Cite web |url = http://www.tele.soumu.go.jp/musen/SearchServlet?pageID=4&IT=A&DFCD=0002675365&DD=1&styleNumber=01 |title = 無線局免許状情報 |publisher = 総務省 |accessdate = 2015-12-16 }}</ref>||rowspan="5"|関東広域圏
 
|-
 
!5
 
|EX<br />[[テレビ朝日]]||JOEX-DTV<ref name="ex">{{Cite web |url = http://www.tele.soumu.go.jp/musen/SearchServlet?pageID=4&IT=A&DFCD=0002675352&DD=1&styleNumber=01 |title = 無線局免許状情報 |publisher = 総務省 |accessdate = 2015-12-16 }}</ref>||24ch||rowspan="4"|{{Nowrap|48kW<ref name="ex" /><ref name="tbs" /><ref name="tx" /><ref name="cx" />}}
 
|-
 
!6
 
|<br />[[TBSテレビ]]||JORX-DTV<ref name="tbs">{{Cite web |url = http://www.tele.soumu.go.jp/musen/SearchServlet?pageID=4&IT=A&DFCD=0002675366&DD=1&styleNumber=01 |title = 無線局免許状情報 |publisher = 総務省 |accessdate = 2015-12-16 }}</ref>||22ch
 
|-
 
!7
 
|TX<br />[[テレビ東京]]||JOTX-DTV<ref name="tx">{{Cite web |url = http://www.tele.soumu.go.jp/musen/SearchServlet?pageID=4&IT=A&DFCD=0002675364&DD=1&styleNumber=01 |title = 無線局免許状情報 |publisher = 総務省 |accessdate = 2015-12-16 }}</ref>||23ch
 
|-
 
!8
 
|CX<br />[[フジテレビジョン|フジテレビ]]||JOCX-DTV<ref name="cx">{{Cite web |url = http://www.tele.soumu.go.jp/musen/SearchServlet?pageID=4&IT=A&DFCD=0002675752&DD=1&styleNumber=01 |title = 無線局免許状情報 |publisher = 総務省 |accessdate = 2015-12-16 }}</ref>||21ch
 
|-
 
|colspan="8" style="text-align:left; font-size:smaller"|
 
*コールサインは、主放送に対するもののみ。
 
*NHK東京総合の空中線電力は[[2003年]]の開始当初は300Wで、その後400W→820W→2.5kW→5kWと段階的に出力を上げて[[2005年]]10月に所定の10kWとなった。
 
*NHK東京教育および広域民放5局の空中線電力は2003年の開始当初は15.5Wで、その後700W→1.2kW(広域民放5局のみ)→2.5kW→5kWと段階的に出力を上げて2005年10月に所定の10kWとなった。
 
*予備送信所移行後も技術諸元は移行前と変わらず。
 
|}
 
 
 
===FMラジオ放送===
 
====常用====
 
{| class="wikitable" style="text-align:center"
 
![[周波数]]<br />([[メガヘルツ|MHz]])!![[日本のラジオ放送局|放送局名]]!!コールサイン!!空中線電力!!実効輻射電力!!放送対象地域!!放送区域<br>内世帯数!!運用開始日
 
|-
 
!77.1
 
|放送大学||JOUD-FM<ref name="udfm">{{Cite web |url = http://www.tele.soumu.go.jp/musen/SearchServlet?pageID=4&IT=A&DFCD=0000034642&DD=1&styleNumber=01 |title = 無線局免許状情報 |publisher = 総務省 |accessdate = 2015-12-16 }}</ref>||rowspan="3"|10kW<ref name="interfm" /><ref name="udfm" /><ref name="tfm" />||38kW<ref name="udfm" />||関東広域圏<br />(授業実施予定地域)<ref name="soumukikan1" /><ref name="soumukikan2" />||rowspan="3"|-||[[1984年]][[11月1日]]<ref name="udyouran" />
 
|-
 
!80.0
 
|TOKYO FM<br />[[エフエム東京]]||JOAU-FM<ref name="tfm">{{Cite web |url = http://www.tele.soumu.go.jp/musen/SearchServlet?pageID=4&IT=A&DFCD=0000033462&DD=1&styleNumber=01 |title = 無線局免許状情報 |publisher = 総務省 |accessdate = 2015-12-16 }}</ref>||125kW<ref name="tfm"/>||東京都||[[1970年]][[4月26日]]
 
|-
 
!89.7
 
|<br />[[InterFM]]||JODW-FM<ref name="interfm">{{Cite web |url = http://www.tele.soumu.go.jp/musen/SearchServlet?pageID=4&IT=A&DFCD=0000036896&DD=1&styleNumber=01 |title = 無線局免許状情報 |publisher = 総務省 |accessdate = 2015-12-16 }}</ref>||13kW<ref name="interfm"/>||東京都の特別区の存する区域を中心として<br />同一の放送番組の放送を同時に受信できることが<br />相当と認められる区域として総務大臣が別に定める区域<!--放送対象地域が改定にならない限り書き換えないで下さい--><ref name="soumukikan1" /><ref name="soumukikan2">{{Cite web |date = 1988-10-01 |url = http://www.tele.soumu.go.jp/horei/reiki_honbun/a000047101.html |title = 基幹放送用周波数使用計画 |publisher = 郵政省 |accessdate = 2015-12-16 }}</ref>||[[2015年]][[6月26日]]
 
|-
 
|colspan="8" style="text-align:left; font-size:smaller"|
 
*コールサインは、主放送に対するもののみ。
 
*[[2013年]][[2月11日]]4時55分以前のTOKYO FMのERPは44.1kW<ref>{{Cite web|title=<株式会社エフエム東京 第388回番組審議会>|url=http://www.tfm.co.jp/company/pdf/news000686.pdf |format=PDF|date=2012-05-08|publisher=[[エフエム東京]]|accessdate=2015-08-13}}</ref>。
 
*2018年10月末に放送大学は廃止予定<ref name="tokyo-maebashi" />。
 
|}
 
 
 
====予備用====
 
2012年[[4月23日]]の放送開始から主送信所を東京スカイツリーに移したため、東京スカイツリーから送信できなくなった場合の予備送信所に移行した<ref name="soumu20130628">{{Cite web |url = http://www.tele.soumu.go.jp/musen/SearchServlet?pageID=4&IT=A&DFCD=0000033407&DD=1&styleNumber=01 |title = 電波利用ホームページ 無線局免許状情報 |publisher = 総務省 |accessdate = 2013-06-28 }}</ref>。
 
 
 
{| class="wikitable" style="text-align:center"
 
!周波数<br />(MHz)!![[日本のラジオ放送局|放送局名]]!!コールサイン!!空中線電力!!実効輻射電力!!放送対象地域!!放送区域<br>内世帯数!!運用開始日
 
|-
 
!82.5
 
|NHK<br />東京[[NHK-FM放送|FM]]||JOAK-FM<ref name="soumu20130628" />||5kW<ref name="soumu20130628" />||11kW<ref name="soumu20130628" />||東京都||-||[[1969年]]3月1日
 
|-
 
|colspan="8" style="text-align:left; font-size:smaller"|
 
*コールサインは、主放送に対するもののみ。
 
*NHK-FM放送の開始日は、全国一斉本放送の開始日。
 
|}
 
 
 
===マルチメディア放送===
 
{| class="wikitable" style="text-align:center"
 
!周波数<br />(MHz)!!放送局名!!コールサイン!!空中線電力!!ERP!!放送区域内世帯数!!運用開始日
 
|-
 
!105.428571<ref group="注釈">VHFテレビ3chに相当する周波数帯。</ref>
 
|i-dio||JOLZ-MM3<ref name="soumui-dio1"/>||10kW<ref name="soumui-dio1"/>||70kW<ref name="soumui-dio1"/>||約-万世帯||[[2016年]]3月1日<ref name="soumui-dio1"/>
 
|}
 
 
 
==廃止された放送局==
 
===地上デジタルテレビジョン放送===
 
廃止日:2013年5月12日(東京スカイツリーへの移転のため)
 
{| class="wikitable" style="text-align:center"
 
!リモコンキーID!!放送局名!!コールサイン!!物理チャンネル!!空中線電力!!実効輻射電力!!放送対象地域!!放送区域内世帯数!!運用開始日
 
|-
 
!9
 
|TOKYO MX<br />[[東京メトロポリタンテレビジョン]]||JOMX-DTV||20ch<ref name="soumu20090722"/>||3kW<ref name="soumu20090722"/><ref name="mennkyomx20130508">[https://web.archive.org/web/20130508072702/http://www.tele.soumu.go.jp/musen/SearchServlet?pageID=4&IT=A&DFCD=0002675363&DD=1&styleNumber=01 無線局免許状情報(東京メトロポリタンテレビジョン(総務省)]2013年4月13日現在、2013年5月8日現在のアーカイブ([http://www.tele.soumu.go.jp/musen/SearchServlet?pageID=4&IT=A&DFCD=0002675363&DD=1&styleNumber=01 オリジナルURL])</ref>||5kW<ref name="mennkyomx20130508"/>||東京都||約690万世帯||2003年[[12月1日]]
 
|-
 
|colspan=10 style="text-align:left; font-size:smaller"|
 
*コールサインは主放送に対するもののみ。
 
*TOKYO MXの空中線電力は2003年の開始当初は29Wで、その後700Wに出力を上げて2005年8月に所定の3kWとなった。
 
*TOKYO MXは東京スカイツリーへの送信所移転に伴う周波数変更をスムーズに行うため、[[2012年]][[11月12日]]から東京タワーからの放送波を段階的に減力し、2013年[[5月12日]]正午に東京タワーからの送信を終了した<ref group="注釈">当初は2013年[[3月31日]]に東京タワーからの送信を終了し[[4月1日]]から送信所をスカイツリーに一本化する予定だったが、[[2012年東京都知事選挙]]及び[[第46回衆議院議員総選挙]]の実施に伴い選挙報道や[[政見放送]]の公平性を確保する必要があったことから当初予定していた東京タワーの減力ができなかったため、移行予定にも遅れが生じた。</ref><ref name="yomiuri20130509" />。
 
|}
 
 
 
===地上アナログテレビジョン放送===
 
廃止日:2011年7月24日(放送法による一斉免許失効のため)
 
{| class="wikitable" style="text-align:center"
 
|- style="white-space:nowrap"
 
!チャンネル!!放送局名!!コールサイン!!空中線電力<br />(映像/音声)!!ERP<br />(映像/音声)!!放送対象地域!!放送区域内世帯数!!運用開始日
 
|-
 
!1
 
|NHK東京総合||JOAK-TV||rowspan="7"|{{Nowrap|50kW<ref name="soumu20090722">[http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/286922/www.tele.soumu.go.jp/horei/reiki_honbun/00004710002.html 放送用周波数使用計画(総務省)2009年7月22日現在のアーカイブ]</ref>/12.5kW}}||{{Nowrap|240kW/60kW}}||関東広域圏<ref name="soumu20090722"/><ref name="soumu20090722-2">[http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/286922/www.tele.soumu.go.jp/horei/reiki_honbun/00004680001.html#top 放送普及基本計画(総務省)2009年7月22日現在のアーカイブ]</ref>||rowspan="9"|不明||[[1959年]][[4月6日]]
 
|-
 
!3
 
|NHK東京Eテレ||JOAB-TV||270kW/69kW||全国放送<ref name="soumu20090722" /><ref name="soumu20090722-2" />||1959年[[1月10日]]
 
|-
 
!4
 
|{{Nowrap|NTV日本テレビ}}||JOAX-TV||370kW/94kW||rowspan="5"|関東広域圏<ref name="soumu20090722" /><ref name="soumu20090722-2" />||{{Nowrap|1970年[[11月10日]]}}
 
|-
 
!6
 
|TBSテレビ||{{Nowrap|JOKR-TV→<br />JORX-TV}}||380kW/95kW||[[1960年]][[1月17日]]
 
|-
 
!8
 
|CXフジテレビ||JOCX-TV||370kW/92kW||1959年[[3月1日]]
 
|-
 
!10
 
|EXテレビ朝日||JOEX-TV||370kW/91kW||1959年[[2月1日]]
 
|-
 
!12
 
|TXテレビ東京||JOTX-TV||370kW/93kW||[[1964年]][[4月12日]]
 
|-
 
!14
 
|TOKYO MX||JOMX-TV||10kW<ref name="soumu20090722"/>/2.5kW||17kW/4.2kW||東京都<ref name="soumu20090722"/>||[[1995年]][[11月1日]]
 
|-
 
!16
 
|放送大学||JOUD-TV||50kW<ref name="soumu20090722"/>/12.5kW||330kW/81kW||関東広域圏<br />(授業実施予定地域<ref name="soumu20090722"/><ref name="soumu20090722-2"/>)||1984年11月1日<ref name="udyouran"/>
 
|-
 
|colspan="8" style="text-align:left; font-size:smaller"|
 
*コールサインは主放送に対するもののみ。
 
*NHKは当初教育テレビ(Eテレ)が1chで開局。その数か月後紀尾井坂送信所から放送していた総合テレビとチャンネルを入れ替え、一旦タワーからの教育テレビ送出を終了。翌年TBSの送信所移設に合わせて再度タワーからの放送を開始。
 
*日本テレビの運用開始日は、麹町二番町に当時あった本社から送信所を移した日付。2012年10月1日、「日本テレビ分割準備」が持株会社に移行する「(旧)日本テレビ」から免許を継承、同日、「(新)日本テレビ」に商号変更した。
 
*TBSテレビは1955年4月1日に「ラジオ東京テレビ」として開局。1960年11月29日に「東京放送(TBS)」と改称。段階的に進めてきた分社化・持株会社制移行に伴い[[2001年]]10月1日にコールサインを変更。2009年4月1日、「TBSテレビ」が持株会社に移行する「東京放送」から免許を承継した。
 
*テレビ朝日は当初「日本教育テレビ(NET)」として開局。[[1977年]]4月1日、「全国朝日放送(ANB)」に社名を変え「テレビ朝日」の通称使用を開始。旧本社を含む六本木ヒルズ再開発落成による原点の地再復帰に際し通称を正式社名とした。2014年4月1日、「テレビ朝日分割準備」が持株会社に移行する「(旧)テレビ朝日」から免許を承継、同日、「(新)テレビ朝日」に商号変更した。
 
*テレビ東京は当初「日本科学技術振興財団テレビ局」として開局し、「東京12チャンネル」を通称として使用。経営再建、教育局解除により[[1973年]]11月1日に新民放「東京12チャンネル」として再出発し[[1981年]]10月1日に今の社名となった。
 
*放送大学は放送局の開局日で、大学の授業開始日ではない。また、免許は大学ではなく大学を経営する法人に与えられていた。これは運用中のデジタルテレビ・FM局も同様。
 
|}
 
 
 
===地上デジタルラジオ放送実用化試験===
 
廃止日:2011年3月31日(実用化試験放送終了のため)<ref>{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20130403134100/http://www.d-radio.or.jp/drp.pdf デジタルラジオ実用化試験放送の終了について]}} デジタルラジオ推進協会 プレスリリース 2010年10月5日([[Internet Archive]]のアーカイブ:2013年4月3日収集)</ref>
 
{| class="wikitable" style="text-align:center"
 
!周波数<br />(MHz)!!免許人!!コールサイン!!空中線電力!!ERP!!放送区域!!放送区域内世帯数!!運用開始日
 
|-
 
!190.214286<ref group="注釈">VHFテレビ7chに相当する周波数帯</ref>
 
|[[デジタルラジオ推進協会]]<br />(現:[[放送波遮蔽対策推進協会]])||JOAZ-FM||2.4kW||3kW||南関東の一部||約490万世帯||2003年[[10月10日]]
 
|-
 
|colspan="9" style="text-align:left; font-size:smaller"|
 
*コールサインの「JOAZ」はかつてはNHKに指定するものとされ、[[NHK旭川放送局|NHK旭川]][[NHKラジオ第2放送|第2放送]][[名寄ラジオ中継局#中継局概要|名寄中継局]]に、続いて[[NHK佐世保支局|NHK佐世保]]第2放送に指定された。NHKでの廃止後には[[臨時目的放送]]局に指定するものとされ、複数の[[イベント放送局]]・[[臨時災害放送局]]に指定されたが1994年にぎおん柏崎まつり([[柏崎市]])に指定された後は、何れの無線局にも指定されていなかった。
 
|}
 
 
 
===FMラジオ放送送信設備===
 
廃止日:2012年[[4月23日]](東京スカイツリーへの移転のため、J-WAVE)、2015年[[10月31日]](下記周波数の運用終了のため、InterFM)
 
{| class="wikitable" style="text-align:center"
 
|- style="white-space:nowrap"
 
!周波数<br />(MHz)!!放送局名!!コールサイン!!空中線電力!!ERP!!放送対象地域!!放送区域内世帯数!!運用開始日
 
|-
 
!76.1
 
|InterFM||{{Nowrap|JODW-FM<ref name="interfm"/>}}||rowspan="2"|{{Nowrap|10kW<ref name="interfm"/><ref name="udfm"/><ref name="tfm"/>}}||{{Nowrap|11.5kW<ref>[http://radiolife.com/tips/radio/5118/ InterFMが89.7MHzへ周波数を変更した理由とは(ラジオライフ.com)2016年3月20日閲覧]</ref>}}||東京都の特別区の存する区域を中心として<br>同一の放送番組の放送を同時に受信できることが<br>相当と認められる区域として総務大臣が別に定める区域<!--放送対象地域が改定にならない限り書き換えないで下さい--><ref name="soumukikan1"/><ref name="soumukikan2"/>||rowspan="2"|不明||[[1996年]][[4月1日]]
 
|-
 
!81.3
 
|[[J-WAVE]]||JOAV-FM||44kW||東京都||{{Nowrap|[[1988年]][[10月1日]]}}
 
|-
 
|colspan="8" style="text-align:left; font-size:smaller"|
 
*局名は略称・愛称で表記。
 
*コールサインは主放送に対するもののみ。
 
|}
 
 
 
==比較==
 
日本国外の建造物については東京タワーの高さを超える主要建造物のみ掲載。
 
*[[原町無線塔]] - [[1921年]]完成、1981年撤去・200m
 
*[[千住火力発電所]]([[お化け煙突]]) - [[1926年]]完成、1963年操業停止し解体・83.82m
 
*[[エンパイア・ステート・ビルディング]] - 1931年完成・443.2m
 
*[[名古屋テレビ塔]] - [[1954年]]完成・180m
 
*[[通天閣]] - [[1956年]]完成・100m
 
*[[別府タワー]] - 1957年完成・100m
 
*[[さっぽろテレビ塔]] - 1957年完成・147.2m
 
*東京タワー - 1958年完成・333m
 
*[[KVLY-TV塔]] - 1963年完成・628.8m
 
*[[凌雲閣]] - 1890年完成、1923年解体・約52m
 
*[[霞が関ビルディング]] - 1968年完成・147m
 
*[[ワールドトレードセンター (ニューヨーク)|ワールドトレードセンター]] - 1974年完成、2001年[[アメリカ同時多発テロ事件|米同時多発テロ事件]]により崩落・417m
 
*[[ワルシャワラジオ塔]] - 1973年完成、1991年崩落・646m
 
*[[横浜ランドマークタワー]] - [[1993年]]完成・296.33m
 
*[[明石海峡大橋]] - 1998年完成・298.3m
 
*[[台北101]] - 2004年完成・509.2m
 
*[[ブルジュ・ハリファ|ブルジュ・ハリーファ]] - 2010年完成・828.9m(世界一)
 
*[[東京スカイツリー]] - 2012年完成・634m
 
*[[あべのハルカス]] - 2014年完成・300m
 
 
 
==ギャラリー==
 
===東京タワー周辺===
 
<gallery>
 
画像:Tokyo-Tower.jpg|地デジアンテナ増設前の東京タワー
 
画像:Tokyo_Tower_during_daytime.jpg|[[六本木ヒルズ]]森タワーからの眺望
 
画像:Tokyo Tower M4854.jpg|港区芝公園周辺・空撮
 
画像:Tokyo Tower and Tokyo Sky Tree 2011 January.jpg|東京タワーと東京スカイツリー
 
画像:TaroTokyo-20100509TT-Kaidan.jpg|大展望台への上り階段(2010年撮影)
 
画像:TaroTokyo-20100509TT-DaiTenbo.jpg|大展望台2階(2010年撮影)
 
画像:TaroTokyo-20100509TT-jinja.jpg|大展望台2階の神社、タワー大神宮
 
画像:TaroTokyo-20100509TT-TokubetuEr.jpg|特別展望台へのエレベーター(2010年撮影)
 
画像:TaroTokyo20100501-TokyoTower.jpg|特別展望台(2010年撮影)
 
画像:P1030573w.jpg|特別展望台の室内(2011年撮影)
 
画像:TaroTokyo-20100509TT-Souji.jpg|特別展望台を掃除する作業員の服装
 
画像:東京タワー水族館.JPG|東京タワー水族館入口
 
画像:2010東京タワーの柵.jpg|東京タワー正面の柵
 
画像:TOKYO-T-S.JPG|敷地内にある[[東京タワースタジオ]]
 
画像:2009東京タワー建主.JPG|1号塔脚
 
画像:2009東京タワー起工竣工.JPG|1号塔脚
 
画像:20110405-TokyoTower-Sakura01.jpg|春の東京タワーと増上寺(2011年撮影)
 
画像:20110314-TokyoTower-Jizou.jpg|増上寺境内より
 
<!-- 画像:東京タワー航空写真1989.jpg|東京タワーとその影の[[航空写真]]{{国土航空写真}} -->
 
</gallery>
 
====以前の写真====
 
*[[File:1970年代ごろの東京タワー.jpg|thumb|塗り分けから1980年から70年代の写真と思われる]]
 
*[[File:全体ライトアップ以前の東京タワー.jpg|thumb|1989年以前のライトアップ]]
 
*[[File:1970年代の東京タワー.jpg|thumb|東京モノレールや世界貿易センタービルも見られる。]]
 
 
 
===夜景・ライトアップ===
 
<gallery>
 
画像:Tokyo Tower 2020Olympic Anniversary 2013-12.jpg|2020年五輪招致記念ライトアップ。六本木より(2013年12月)
 
画像:Tokyo Tower 2020Olympic Anniversary 2013-12-02.jpg|2020年五輪招致記念ライトアップ、夕刻に点灯した文字部分をクローズアップ撮影(2013年12月)
 
画像:Tokyo Tower Afterglow.JPG|夕方の東京タワー(2012年)
 
画像:20110313-TokyoTower.jpg|東北地方太平洋沖地震にて電力不足となったため、節電に協力する東京タワー(2011年)
 
画像:20101225-tokyotower-tarotokyo.jpg|クリスマスのライトアップ(2010年12月)
 
画像:201010-TokyoTower-DM-Color.jpg|[[世界糖尿病デー]]のダイヤモンドヴェール(2010年11月)
 
画像:201010-TokyoTower-illuminated-fromWTC.jpg|世界貿易センタービル展望室より(2010年10月)
 
画像:201010-TokyoTower-illuminated.jpg|冬のライトアップ(2010年10月)
 
画像:TaroTokyo-201005TT01.jpg|雨の日の赤羽橋駅付近より(2010年5月)
 
画像:TaroTokyo-201005TT02.jpg|雨の日に真下より(2010年5月)
 
画像:GoldWedding anniversary2009.jpg|天皇皇后の金婚記念のライトアップ(2009年[[4月9日|4月9]]・[[4月10日|10日]])
 
画像:Tokyo Tower 50th Anniversary.jpg|50th Anniversary(2008年)
 
画像:Tokyo tower illumination.jpg|50th Anniversary(2008年)
 
画像:Tokyo Tower Green Light-up on 17 March Ireland St Patrick's Day 2007.jpg|アイルランド・日本外交関係樹立50周年記念([[聖パトリックの祝日|2007年3月]])
 
画像:Tokyo Tower from Akabanebashi.jpg|赤羽橋方向からの東京タワー(2006年)
 
画像:Tokyo Tower Upper-half Blue-Light-up for the memorial of DTV service on 1 Dec 2005.jpg|「[[日本の地上デジタルテレビ放送#2005年|地上デジタル放送]]」関東フルパワー送信記念(2005年12月)
 
画像:Tokyo-tower_pink-ribon.JPG|乳がん撲滅キャンペーン期間限定([[ピンクリボン|ピンクリボンデー]])のライトアップ(2005年10月)
 
画像:Tokyotower 2017-09 (37017675330).jpg|『[[SmaSTATION!!]]』[[SmaSTATION!!#最終回|最終回]]放送当日のライトアップ([[2017年]][[9月23日]])
 
</gallery>
 
*参考<ref>[http://www.tokyotower.co.jp/secret/index_05.html 東京タワーの秘密(特別ライトアップ)]</ref>
 
 
 
==「東京タワー」の名称を使用した企業==
 
1963年[[4月15日]]に東京タワーを使用した社名として「東京タワー観光バス」が設立された。同社は1969年10月2日に[[国際興業]]に買収され、[[1972年]]4月1日に合併された。
 
 
 
;関連会社
 
*株式会社東京タワースタジオ
 
*株式会社東京タワーパーキングセンター
 
 
 
==東京タワーを扱った作品==
 
東京タワーはその時代や東京という地理的背景を説明するためのシンボルとして、建設以来実にさまざまな小説や映像作品の中に登場している。本項では、数多の作品の中からその一部を紹介する。
 
===テレビドラマ・映画・小説===
 
<!-- 【注意】 この項では「東京タワー」という建造物に‘象徴’や何らかの‘意味合い’を持たせた作品のみを記載し、東京タワーが単なる舞台または場面や背景の一部としてのみ登場した作品は記載しないで下さい。-->
 
*[[東京タワー (小説)|Tokyo Tower]] - [[江國香織]]の[[小説]]およびそれを[[原作]]にした映画。
 
*[[東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜]] - [[リリー・フランキー]]の小説およびそれを原作にしたテレビドラマ・映画。
 
*[[ALWAYS 三丁目の夕日]] - 建設中の姿で劇中に登場。徐々に高くなっていく様子が正確に描かれている。[[製作]]は[[#電波塔集約|電波塔集約]]で難色を示した日本テレビ。
 
*[[ALWAYS 続・三丁目の夕日]] - 前作で完成した状態で登場。また、茶川竜之介の書いた小説では怪獣(ゴジラ)に壊されている。
 
*[[ALWAYS 三丁目の夕日'64]] - 前々作で完成した状態で登場。[[3D映画|3D]]版ではオープニングで俯瞰映像が飛び出て表現されている。
 
*[[東京トンガリキッズ]] - 1987年の[[中森明夫]]の小説。
 
*[[東京画]] - 1985年のドイツ映画。
 
*[[微熱少年]] - [[松本隆]]の小説、それを原作にした映画。ザ・ビートルズのチケットを得るために東京タワーを登れるところまで登って、鉄骨にリボンを結ぶ競争をする。
 
*[[マンモスタワー]] - 1958年のKRテレビ(現在のTBSテレビ)放送の[[テレビドラマ]]。新興メディア、テレビの象徴として描かれる。そびえ立つ東京タワーの下、映画会社の重役達はテレビの将来性を黙殺する。
 
*[[たそがれの東京タワー]] - 1959年の[[大映]]制作映画。完成したばかりの東京タワー、大展望台などが幾度も登場する。
 
*[[東京タワー・ラヴストーリー]] - [[2004年]]の[[落語協会]]が主催する第1回「新作台本大賞」で大賞に選ばれた落語作品。[[柳家喬太郎]]が演じる。
 
 
 
===漫画・アニメ・特撮===
 
<!-- 【注意】この項では「東京タワー」という建造物に‘象徴’や何らかの‘意味合い’を持たせた作品のみを記載し、東京タワーが単なる舞台または場面や背景の一部としてのみ登場した作品は記載しないで下さい。-->
 
*[[月光仮面]] - 昭和33年放送のテレビ番組。第2話で建設途中の東京タワーが映っているシーンがある。
 
*[[こちら葛飾区亀有公園前派出所]] - 単行本136巻および「こち亀千両箱」に収録されている「ぼくたちの東京タワーの巻」がある。
 
*[[魔法騎士レイアース]] - 主役の少女3人が物語冒頭で出会う場所として設定されており、第二章では再び3人が集まる場所として登場する。また、『[[X (漫画)|X]]』や『[[カードキャプターさくら]]』など他の[[CLAMP]]作品および原作アニメ作品にも重要な舞台として登場する。
 
*[[仮面ライダーカブト]] - 東京タワーが都会性の象徴であるかのように用いられており、全話に登場する。日本電波塔の事務所内部をロケに使用したエピソードもある。
 
*[[クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲]] - 作中に登場する「20世紀博」のタワーは、東京タワーをモデルとしている。終盤ではタワーの階段を駆け上がるシーンもある。
 
*[[東京マーブルチョコレート]] - 東京タワー([[赤]])と東京スカイツリー([[青]])が登場する。
 
*[[代紋TAKE2]] - テロリストによって倒壊させられ、ソ連大使館(当時)にも被害を与える。なお、テロリストの1人が後述する「ゴジラの映画で倒されるのを見た」という誤認をしている。
 
*[[メーターの東京レース]] - 公道レースのゴールとして登場。タワー内部は[[ループ線|螺旋状の道路]]になっている。
 
*[[カーズ2]] - 東京見物の最初のシーンに少し登場。上記のものとは違い、アンテナ部分が[[プラグ]]になっている。
 
*[[嘘喰い]] - 東京タワーを模した「帝国タワー」で斑目貘がギャンブルを行う。蝋人形館も登場する。
 
*[[東京マグニチュード8.0]] - 東京湾北部を震源とする大地震によって破損し、基礎部分がむき出しになる。翌日に基礎のコンクリート柱が崩壊して倒壊した後、復旧工事の際に残骸の撤去作業が行われている。
 
*[[名探偵コナン 漆黒の追跡者]] - 「東都タワー」という名称で登場。終盤では、[[黒の組織]]の[[攻撃ヘリコプター]]に追われる[[江戸川コナン]]が大展望台から階段でタワーを駆け上がるシーンもある。
 
*[[ぼくの地球を守って]] - 作中の重要ポイントとして扱われている。
 
*[[プロゴルファー猿]] - 第9話「星雲編」で[[パリ]]の[[エッフェル塔]]から、[[アーノルド・パーマー]]がショットを放ち、どのくらい飛んだかを実験する企画から発想を得た番組に主人公の猿が出演し、東京タワーの展望台からショットでボールを遠くへ飛ばす。
 
*[[特命戦隊ゴーバスターズ THE MOVIE 東京エネタワーを守れ!]] - 劇中で「東京エネタワー」として登場。撮影に全面協力しており、ノッポンも特別出演している。
 
 
 
===怪獣もの===
 
<!-- 【注意】この項では「東京タワー」という建造物に‘象徴’や何らかの‘意味合い’を持たせた作品のみを記載し、東京タワーが単なる舞台または場面や背景の一部としてのみ登場した作品は記載しないで下さい。-->
 
[[怪獣]]と東京タワーは縁が深い。最初に東京を襲った大怪獣は[[ゴジラ (架空の怪獣)|ゴジラ]]であるが、その際には東京タワーを破壊していない(第1作の公開は1954年であり、竣工すらしていない)<ref group="注釈">実況アナウンサー([[橘正晃]])がいる[[千代田放送会館|NHK千代田放送所]]の電波塔を襲う場面はある。</ref>。しかしその後東京タワーを倒す怪獣が数多くなり、特にテレビで怪獣ものが流れるようになってからは頻繁に倒されるようになった。
 
 
 
なお日本の怪獣映画のスターであり、最初の怪獣映画でもある初代ゴジラが東京タワーを倒したとの印象が広く浸透している。たとえば、下記の小松左京の小説にも「'''型通りに'''」東京タワーを壊したと書かれてある。同様の例として、[[清原なつの]]の少女漫画作品である『ゴジラサンド日和』ではリバイバルのゴジラを見に行ったかつてのカップルを描写したシーンでゴジラが「うりゃっ」というかけ声とともに東京タワーを叩き折っているシーンが出てくる。これらは少なくとも「怪獣は東京タワーを破壊するもの」とのイメージが実在したことを示すものである。
 
 
 
*[[モスラ]] - [[モスラ (架空の怪獣)|モスラ]]幼虫が成虫になるため繭を作る。怪獣によって東京タワーが破壊された最初の例。ただ、東京タワーが破壊された直接の原因を「モスラを狙った自衛隊の砲撃」と解釈する向きもある。劇中場面で見る限り確かにタワー自体の倒れる方向が若干不自然だが、種々の書籍資料{{Full|date=2015年12月}}では「モスラの重量に耐えきれず倒壊」または「モスラが破壊した」ということになっている。
 
*[[キングコングの逆襲]] - 日米合作による怪獣映画。[[キングコング]]と[[キングコングの逆襲#電子怪獣 メカニコング|メカニコング]]が互いに東京タワーに登りながら闘う。この闘いにより展望台の一部と頂上部のアンテナの一部が破壊される。
 
*[[大怪獣ガメラ]] - 東京を蹂躙する[[ガメラ]]が根元から破壊する。なお、このシーンは続編『[[ガメラ対宇宙怪獣バイラス]]』にも登場する。
 
*[[ガメラ 大怪獣空中決戦]] - 怪獣[[ギャオス]]を狙って発射された[[自衛隊]]の[[81式短距離地対空誘導弾]]が誤爆して破壊され、そこにギャオスが巣を作る。漫画家の[[ゆうきまさみ]]は、このシーンを平成の怪獣映画中でもっとも美しいシーンであると取り上げている。なおこのシリーズにおいては東京タワーは再建されず、次作『[[ガメラ2 レギオン襲来]]』では折れたままの姿が1シーンのみ描かれる。
 
*[[ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS]] - [[ゴジラ|ゴジラシリーズ]]の中で唯一[[ゴジラ (架空の怪獣)|ゴジラ]]によって東京タワーが破壊される作品。モスラを狙って発射されたゴジラの熱線が回避され、その後ろにあったタワーを直撃する。
 
*[[ウルトラQ]] - [[円谷プロダクション]]。1966年製作の空想特撮シリーズ第1弾。第19話「2020年の挑戦」において巨大化した誘拐怪人[[ケムール人]]に神田博士の発明した「Kミニオード」から発せられる「Xチャンネル光波」を東京タワーより照射して倒す。これは'''東京タワーによって怪獣が倒された唯一の例'''といわれる。また、第16話の「[[ガラモン (ウルトラ怪獣)|ガラモン]]の逆襲」ではガラモンに倒されている。なお、東京タワーは他の[[ウルトラシリーズ]]作品でも多く登場している。
 
*[[地球になった男]] - [[小松左京]]の短編小説。どんなものにも変身できる能力を持った男が、気晴らしにゴジラに変身して破壊する。
 
 
 
その他にも『[[三大怪獣 地球最大の決戦]]』『[[地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン]]』『[[ゴジラ FINAL WARS]]』『[[巨神兵東京に現わる]]』など多くの怪獣映画で東京タワーが登場し、かつ破壊されている。
 
 
 
===音楽===
 
*[[末永華子]]「LaLa空中散歩」 - 東京タワー公式キャンペーンソング・CMソング(アルバム『東京タワー』収録)
 
*ミラクル・ヴォイス(青山ユキオ)「東京333米」
 
*[[山下敬二郎&朝丘雪路]]「テレビ塔音頭」
 
*[[なぎら健壱]]「東京タワー」
 
*[[角松敏生]]「[[TOKYO TOWER]]」
 
*[[井上昌己 (歌手)|井上昌己]]「星空からのエレベーター」(アルバム『matiere』収録)
 
*[[松任谷由実]]「手のひらの東京タワー」(アルバム『[[昨晩お会いしましょう]]』収録)
 
*[[小松未歩]]「東京日和」(アルバム『[[小松未歩 7 〜prime number〜]]』収録)
 
*[[CHAGE]]「トウキョータワー」
 
*[[遠藤賢司]]「哀愁の東京タワー」(アルバム『東京ワッショイ』『宇宙防衛軍』収録)
 
*[[ルドイア☆星惑三第]]「東京タワーとあなたと火星」(火星るる)
 
*[[爆風スランプ]]「おしゃれな東京タワー」(アルバム『しあわせ』収録)
 
*[[美空ひばり]]「東京タワー」
 
*[[池田聡]]「東京タワーを消せるなら」
 
*[[小沢健二]]「ぼくらが旅に出る理由」
 
*[[アグネス・チャン]]「東京タワーを鉛筆にして」
 
*[[寒空はだか]]「東京タワーの歌」
 
*[[THE BOOM]]「東京タワー」
 
*[[カズン (歌手グループ)|カズン]]「午前0時の東京タワー」(アルバム『ふたりのSomeday』収録)
 
*[[渡辺美里]]「[[BIG WAVE やってきた]]」(アルバム『[[BIG WAVE (渡辺美里のアルバム)|BIG WAVE]]』収録)、「東京生活」(アルバム『[[Spirits (渡辺美里のアルバム)|Spirits]]』収録)
 
*[[ロス・インディオス&シルヴィア]]「[[別れても好きな人]]」
 
*[[佐藤聖子]]「東京タワー」
 
*[[門あさ美]]「東京タワー・シック」(アルバム『[[麗 (u ra ra)|麗(u ra ra)]]』収録)
 
*[[拝郷メイコ]]「東京タワー」(アルバム『HELLO TREE』収録)
 
*[[木下詩野]]「タワーの灯りで眠らせて」
 
*TOWER OF LOVE - 1991年に東京タワー竣工33年目を記念したイメージアルバム。BGV(バックグランドビデオ)。参加アーティストは[[Cindy]]、[[松下誠]]、[[渡辺直樹 (ミュージシャン)|渡辺直樹]]、[[米川英之]] 他。
 
*[[Salyu]]「[[Tower]]」
 
*[[フラワーカンパニーズ]]「東京タワー」(アルバム『[[東京タワー (フラワーカンパニーズ)|東京タワー]]』収録)
 
 
 
==関連商品==
 
[[画像:2010東京タワー大展望台1Fカフェ.jpg|thumb|150px|right|大展望台カフェ・ラ・トゥールにある東京タワー2007]]
 
東京タワーは開業当初から観光施設としての性質を持ちミニチュア(タワー模型)や[[プラモデル]]、[[ペナント]]、絵葉書などのおみやげ品が用意されていたが近年上記の『Tokyo Tower』や『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜』、『ALWAYS 三丁目の夕日』などで別の意味で注目されるようになり一般の店舗での関連商品が登場した。
 
*重厚長大・昭和のビッグプロジェクトシリーズ 偉大なる建設 東京タワーの建設記録([[DVD]]) - 2007年[[7月25日]]、ジェネオン エンタテインメントから発売された竹中工務店の記録映像。基礎を作り上げてゆくところから観ることができる。33分。オールカラー。
 
*東京タワー2007 - 2007年6月に発売された[[セガトイズ]]の東京タワー1/500模型で高さ66.6cm、[[発光ダイオード|LED]]によりライトアップを再現する機構を持つが航空障害灯やエレベータの明かりは再現されていない。定価1万3330円。同年11月には限定[[クリスタル]]バージョンを発売。設計は同社社員の加藤武彦。実物は想像以上にとがった形のため、地上からタワーを見上げる場合の見え方とはズレがあり、すそを広げた形に設計し直している。製品をタワー建設に携わった[[とび職|鳶]]職人の桐生五郎に見せたところ、目を細めて「姿の美しいものは良いものだ」とため息を漏らした<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyo23/feature/tokyo231199378046481_02/news/20080108-OYT8T00489.htm いつも我が家の一部 YOMIURI ONLINE 2008年1月8日]{{リンク切れ|date=2015年12月}}</ref>。
 
*東京タワー物語 - 2008年4月に[[タカラトミー]]から発売された1/2000のクローズドボックス[[フィギュア]]で、1958年建設時など様々な東京タワーの形態を再現。レアアイテムにはLED内蔵の発光機構を備えたものもある。
 
 
 
==交通アクセス==
 
===鉄道===
 
[[画像:2009東京タワー赤羽橋駅前.JPG|赤羽橋駅前のタワー表記|thumb|right|150px]]
 
[[画像:TaroTokyo20100509-TT-JRhamamatu.jpg|JR浜松町駅看板。東京タワーと増上寺があしらわれている|thumb|right|150px]]
 
*[[赤羽橋駅]](都営地下鉄大江戸線)から徒歩5分
 
*[[御成門駅]]([[都営地下鉄三田線]])から徒歩6分
 
*[[神谷町駅]]([[東京メトロ日比谷線]])から徒歩7分
 
*[[大門駅 (東京都)|大門駅]]([[都営地下鉄浅草線]]・大江戸線)から徒歩10分
 
*浜松町駅(東日本旅客鉄道(JR東日本)[[山手線]]・[[京浜東北線]]、[[東京モノレール羽田空港線]])から徒歩15分
 
 
 
===路線バス===
 
[[画像:20110314-TokyoTower-BusStop.jpg|道路沿いのバス停|thumb|right|150px]]
 
*東京タワー(東京タワー敷地内、徒歩0分)
 
**[[都営バス]]
 
***〈浜95〉[[品川駅]]港南口(浜松町駅前経由)
 
***〈橋86〉[[目黒駅]]前(天現寺橋経由)
 
**[[日の丸自動車興業]]
 
***[[スカイバス東京|スカイホップバス]](六本木・東京タワーコース)
 
***スカイホップバス(お台場コース)
 
**[[WILLER EXPRESS]](高速バス)
 
***東京・川崎・横浜・千葉・山梨 - 大阪・京都・神戸・滋賀・和歌山・姫路線(一部)
 
***東京・千葉 → 仙台・福島線(一部、東京発のみ)
 
***東京・千葉 → 長岡・新潟線(一部、東京発のみ)
 
**[[京成バス]]、[[日東交通]]、[[鴨川日東バス]]
 
***高速バス「[[アクシー号]]」[[亀田総合病院|亀田病院]]([[木更津金田バスターミナル]]・[[袖ケ浦バスターミナル]]・[[安房鴨川駅]]経由)
 
*東京タワー(道路沿い、徒歩1分)
 
**都営バス、[[東急バス]]
 
***〈浜95〉品川駅港南口(浜松町駅前経由)(都営)
 
***〈東98〉[[東京駅]][[丸の内]]南口/[[等々力 (世田谷区)|等々力]]操車所前([[白金高輪駅]]・目黒駅前経由)(東急)
 
*虎ノ門五丁目(桜田通り、徒歩3分)
 
**都営バス
 
***〈渋88〉[[新橋駅]]前(虎ノ門経由)/[[渋谷駅]]前([[六本木駅]]前経由)
 
***〈橋86〉新橋駅前(御成門経由)/目黒駅前(天現寺橋経由)
 
*東麻布一丁目(東京タワー下)、東京タワー入口
 
**[[ちぃばす]](港区コミュニティバス)
 
***〈麻布ルート〉港区役所・[[六本木ヒルズ|六本木けやき坂]]・[[広尾駅]]・[[麻布十番駅]]循環
 
 
 
===車===
 
*東京タワーパーキングセンター(50台、最初の60分580円、以後30分200円)
 
:ほか近辺駐車場に計100台以上駐車可
 
 
 
==歴代イメージガール==
 
*2003年度(初代) - [[鮎河ナオミ]]
 
*2004年度 - [[杉浦美帆]]
 
*2005、2006年度 - [[小林さくら]]
 
*2007年度 - 遥香
 
*2008年度 - [[折井あゆみ]](元[[AKB48]])
 
*2009、2010年度 - [[梅田彩佳]](AKB48)
 
*2011年度 - [[小林香菜]](AKB48)
 
 
 
==歴代東京タワーアンバサダー==
 
2011年度までの「イメージガール」に代わる新しいキャンペーンキャラクターとして2012年度より「東京タワー[[アンバサダー]]」を制定。
 
*2012年度(初代) - [[吉松育美]](同年度[[ミス・インターナショナル]]日本代表。同年10月世界大会グランプリ)<ref>{{Cite web |url=http://event.gnavi.co.jp/event/detail/el00147291/ |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2013年9月29日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130215111845/http://event.gnavi.co.jp/event/detail/el00147291/ |archivedate=2013年2月15日 |deadlinkdate=2017年10月 }}</ref>
 
*2013年度 - [[Mei (ヴァイオリニスト)|Mei]]<ref>{{Cite web |url=http://www.tokyotower.co.jp/secret/ambassador.html |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2014年4月9日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140413140621/http://www.tokyotower.co.jp/secret/ambassador.html |archivedate=2014年4月13日 |deadlinkdate=2017年10月 }}</ref>
 
*2014、2015年度(東京タワー観光大使) - [[金ケ江悦子]](ビューティーディレクター、インストラクター)
 
 
 
==提供番組==
 
*[[東京タワー presents DIAMOND VEIL]]([[エフエム東京|TOKYO FM]])
 
*[[InterFM]] クラブ333(展望台)生放送(月1 - 2回程度日中)
 
:いずれも、東京タワーイメージガール・アンバサダーがパーソナリティーを担当。
 
 
 
== 符号位置 ==
 
{{特殊文字|対象=節|説明=Unicode 6.0の絵文字}}
 
{| class="wikitable" style="text-align:center;"
 
!記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称
 
{{CharCode|128508|1F5FC|-|Tokyo Tower|font=絵文字フォント}}
 
|}
 
 
 
==脚注==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
===注釈===
 
{{Reflist|group="注釈"}}
 
 
 
===出典===
 
{{Reflist|2}}
 
 
 
==関連項目==
 
*[[エッフェル塔]]
 
*[[塔の一覧]]
 
*[[東京都の観光地]]
 
*[[芝公園]]
 
*[[内藤多仲]] - 東京タワーの構造設計を指揮した建築構造学者。
 
*[[ノッポン]] - 東京タワーのキャラクター。
 
*[[マザー牧場]] - 日本電波塔グループの観光牧場。
 
*[[スズキ・GSX400インパルス]] - 2代目はその外観から東京タワーとのあだ名で呼ばれている(実際に東京タワーがモチーフのひとつとなっている)。
 
*[[東京スカイツリー]](新東京タワー)
 
*[[正力タワー]] - 1968年に日本テレビ放送網が西大久保に計画した高さ550mの電波塔。同年に起工したが完成はされなかった。
 
*[[NHKタワー]] - 1969年に日本放送協会が渋谷に計画した高さ600mの電波塔および代々木に計画した高さ488mの電波塔。2案とも計画のみで建設されなかった。
 
*[[東京無線協同組合]] - 東京都[[東京都区部|23区]]・[[武蔵野市]]・[[三鷹市]]を営業区域とする[[タクシー]]会社。行灯の形は本タワーをモデルにしている。
 
  
 +
東京都[[港区]]芝公園にある放送用[[鉄塔]]。高さ 333m。1958年12月23日竣工。正方形の断面をもった[[立体トラス]]の鋼構造で,地上 145mと 150mに大展望台があり,250mの特別展望台は観光名所ともなっている。フランスの[[エッフェル塔]]を目標として構想された。エッフェル塔が鉄材約 7300tを要したのに対し,東京タワーは約 3600tでできている。エッフェル塔竣工の約 70年後につくられたとはいえ,風が強く地震の多い悪条件下でこの所要鋼材重量の差が生じたのは,科学技術の進歩によるものとされている。放送施設のほか,高さをいかした公害調査のため,[[風向風速計]],[[硫黄酸化物]]測定器などが取り付けられた。2013年5月31日,[[地上デジタルテレビ放送]]の電波送信施設が[[東京スカイツリー]]に正式に切り替えられた。
 +
 
==外部リンク==
 
==外部リンク==
 
{{Commonscat|Tokyo Tower|東京タワー}}
 
{{Commonscat|Tokyo Tower|東京タワー}}
 
*[http://www.tokyotower.co.jp/index.html 東京タワー公式サイト]
 
*[http://www.tokyotower.co.jp/index.html 東京タワー公式サイト]
*[http://wikimapia.org/s/#y=35658508&x=139745321&z=17&l=0&m=s&v=1 東京タワー] - Wikimapia航空写真
+
{{テンプレート:20180815sk}}
*[http://showa.mainichi.jp/photo/2008/12/post-1b55-50.html 毎日新聞・50枚の写真で振り返る東京タワーの50年]
 
*{{freshlive.tv|tokyotower}}
 
*{{Facebook|tokyotower.official|東京タワー Tokyo Tower}}
 
*{{Youtube|user = NOPPON333TOKYOTOWER}}
 
*{{LINE公式アカウント|tokyotower}}
 
*{{Instagram|tokyotower_official|東京タワー Tokyo Tower}}
 
{{Navboxes|title=テレビ局関連
 
|list=
 
{{キー局}}
 
{{日本テレビ放送網}}
 
{{テレビ朝日}}
 
{{TBSグループ}}
 
{{テレビ東京グループ}}
 
{{フジテレビジョン}}
 
}}
 
{{全日本タワー協議会}}
 
{{東京タワーアンバサダー}}
 
{{東映}}
 
{{Normdaten|VIAF=251876111|NDL=01058938}}
 
 
 
 
{{デフォルトソート:とうきようたわあ}}
 
{{デフォルトソート:とうきようたわあ}}
 
[[Category:日本の電波塔]]
 
[[Category:日本の電波塔]]

2018/10/17/ (水) 00:16時点における最新版

東京タワー
東京タワーの位置
情報
用途 電波塔、展望台、科学館
設計者 内藤多仲日建設計
施工 竹中工務店
建築主 日本電波塔
構造形式 SおよびRC造
敷地面積 15,577.143 m²
建築面積 4,470.34 m² (建蔽率29%)
延床面積 24,874.87 m² (容積率160%)
階数 地上16階、地下2階
高さ 333m[1](海抜高351m)
着工 1957年6月29日
竣工 1958年12月23日[2]
所在地 105-0011
東京都港区芝公園四丁目2番8号
座標 東経139度44分44秒北緯35.65861度 東経139.74556度35.65861; 139.74556
文化財指定 国の登録有形文化財
指定日 2013年6月
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東京タワー(とうきょうタワー、: Tokyo Tower

東京都港区芝公園にある放送用鉄塔。高さ 333m。1958年12月23日竣工。正方形の断面をもった立体トラスの鋼構造で,地上 145mと 150mに大展望台があり,250mの特別展望台は観光名所ともなっている。フランスのエッフェル塔を目標として構想された。エッフェル塔が鉄材約 7300tを要したのに対し,東京タワーは約 3600tでできている。エッフェル塔竣工の約 70年後につくられたとはいえ,風が強く地震の多い悪条件下でこの所要鋼材重量の差が生じたのは,科学技術の進歩によるものとされている。放送施設のほか,高さをいかした公害調査のため,風向風速計硫黄酸化物測定器などが取り付けられた。2013年5月31日,地上デジタルテレビ放送の電波送信施設が東京スカイツリーに正式に切り替えられた。

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