春日大社

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春日大社(かすがたいしゃ)は、中臣氏(のちの藤原氏)の氏神を祀るために768年に創設された奈良県奈良市にある神社。旧称は春日神社式内社名神大社)、二十二社(上七社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社。神紋は「下がり藤」。

全国に約1000社ある春日神社の総本社である。武甕槌命が白鹿に乗ってきたとされることから、鹿神使とする。ユネスコ世界遺産に「古都奈良の文化財」の1つとして登録されている。

祭神

主祭神は以下の4柱。総称して春日神と呼ばれ、藤原氏の氏神である。

歴史

奈良平城京に遷都された710年(和銅3年)、藤原不比等藤原氏の氏神である鹿島神(武甕槌命)を春日の御蓋山(みかさやま)に遷して祀り、春日神と称したのに始まるとする説もあるが、社伝では、768年(神護景雲2年)に藤原永手鹿島の武甕槌命、香取の経津主命と、枚岡神社に祀られていた天児屋根命・比売神を併せ、御蓋山の麓の四殿の社殿を造営したのをもって創祀としている。ただし、近年の境内の発掘調査により、神護景雲以前よりこの地で祭祀が行われていた可能性も出てきている。

藤原氏の隆盛とともに当社も隆盛した。平安時代初期には官祭が行われるようになった。当社の例祭である春日祭は、賀茂神社葵祭石清水八幡宮石清水祭とともに三勅祭の一つとされる。850年(嘉祥3年)には武甕槌命・経津主命が、940年(天慶3年)には、朝廷から天児屋根命が最高位である正一位神階を授かった。『延喜式神名帳』には「大和国添上郡 春日祭神四座」と記載され、名神大社に列し、月次・新嘗の幣帛に預ると記されている。

藤原氏の氏神・氏寺の関係から興福寺との関係が深く、813年(弘仁4年)、藤原冬嗣が興福寺南円堂を建立した際、その本尊の不空羂索観音が、当社の祭神・武甕槌命の本地仏とされた。神仏習合が進むにつれ、春日大社と興福寺は一体のものとなっていった。11世紀末から興福寺衆徒らによる強訴がたびたび行われるようになったが、その手段として、春日大社の神霊を移した榊の木(神木)を奉じて上洛する「神木動座」があった。

1871年(明治4年)に春日神社に改称するとともに官幣大社に列し「官幣大社春日神社」となった。1946年(昭和21年)12月、近代社格制度の廃止に伴い、そのままでは単に「春日神社」となって他の多くの春日神社と混同することを避けるために現在の「春日大社」に改称した。

1998年(平成10年)にユネスコ世界遺産文化遺産)に「古都奈良の文化財」の1つとして登録された。

創建以来ほぼ20年に一度、本殿の位置を変えずに建て替えもしくは修復を行い御神宝の新調を行う「式年造替」を行ってきており、最近では2015年(平成27年)から2016年(平成28年)にかけて第60次式年造替が行われた[1]

境内

本殿は春日造で4棟並んで立っており、第一殿に武甕槌命、第二殿に経津主命、第三殿に天児屋根命、第四殿に比売神が祀られている。拝殿はなく、一般の参拝者は幣殿の前にて、初穂料を納めて特別拝観を申し込んだ場合は本殿前の中門から参拝することになる。

摂末社

広大な境内には多数の摂末社がある。以下に挙げるのは代表的なもの。

本殿の東側に所在。
  • 十二社
若宮神社・夫婦大国社を始めとし、本殿東側に所在。「福の神十二社めぐり」として古来より崇敬を集める
  • 榎本神社
    • 祭神:猿田彦大神 - 祭神は当地の地主神であり、元々この地で祀られていた神であるとされる。中世までは巨勢姫明神とされていた
式内社。本殿廻廊の西南隅に所在。
二之鳥居横に所在。参拝者はここでまず身を清めてから参拝するのが習わしとなっている。『南安曇郡誌』の記述などから、本殿第四殿に祀られている比売神とは、もともとは瀬織津姫のことであったとする説もある
本殿の西南側に所在。平安時代初期に興福寺境内に創建されたものを遷す
  • 金龍神社
    • 祭神:金龍大神
本殿の東側に所在。後醍醐天皇ゆかりの神社であり、「禁裡殿」とも呼ばれる

主な祭事

文化財

春日大社は平安時代に奉納された貴重な刀剣甲冑・美術工芸品などの国宝重要文化財を含んだ多数の文化財を所蔵することから「平安の正倉院」と呼称されている[2]。これらの文化財の一部は2016年10月に新装開館した「春日大社国宝殿」(旧称春日大社宝物殿)で鑑賞することができる[3][4]

2016年(平成28年)度から、1939年(昭和14年)に宝庫の天井裏から発見された12本の太刀を順次研ぎ直し始めた結果、複数の太刀が国宝・重文級の貴重な文化財であることが判明しており、研ぎ直された貴重な太刀は報道発表に続いて国宝殿で順次公開されている。2016年12月には、延寿国吉作の1本と北条時村が奉納したとみられる平安末から鎌倉初期の無銘の「古備前物」2本が報道陣に公開され[5][6]、2018年(平成30年)1月には、4番目に研ぎ直された最古級の日本刀とみられる安綱作の可能性もある「古伯耆物」1本が報道陣に公開された[7][8]

国宝

ファイル:Armour red threads Kasuga shrine.jpg
赤糸威鎧(竹虎雀金物)
建造物
  • 本社 本殿 4棟(附:透塀、内鳥居、瑞垣)
美術工芸品
  • 金地螺鈿毛抜形太刀
  • 沃懸地(いかけじ)獅子文毛抜形太刀 中身無銘
  • 沃懸地酢漿平文(いかけじかたばみひょうもん)兵庫鎖太刀 中身無銘
  • 沃懸地酢漿紋兵庫鎖太刀 中身無銘
  • 金装花押散兵庫鎖太刀 中身無銘
  • 菱作打刀 中身無銘(附 杉箱)
  • 赤糸威鎧 兜、大袖付(梅鶯金物)
  • 赤糸威鎧 兜、大袖付(竹虎雀金物)
  • 黒韋威矢筈札胴丸(くろかわおどしやはずざねどうまる) 兜、大袖付[9]
  • 黒韋威胴丸 兜・大袖付[10]
  • 籠手
  • 本宮御料古神宝類(明細は後出)
  • 若宮御料古神宝類(明細は後出)

重要文化財(国指定)

建造物
  • 本社 23棟
    • 中門(附:稲垣)
    • 東御廊
    • 西及び北御廊
    • 捻廊
    • 幣殿
    • 直会殿
    • 移殿
    • 宝庫
    • 廻廊 5棟(南門東、南門慶賀門間、慶賀門清浄門間、清浄門内侍門間、内侍門北)
    • 南門
    • 慶賀門
    • 清浄門
    • 内侍門
    • 車舎
    • 着到殿
    • 竈殿
    • 酒殿
    • 板蔵
    • 一の鳥居 - 気比神宮厳島神社の大鳥居に並ぶ「日本三大鳥居」の一つ
  • 摂社若宮神社 4棟
    • 摂社若宮神社本殿(附:鳥居、瑞垣)
    • 摂社若宮神社拝舎
    • 摂社若宮神社細殿及び神楽殿
    • 摂社若宮神社手水屋
  • 旧春日大社板倉(円窓)(奈良県所有、奈良公園内所在)
美術工芸品
  • 木造舞楽面 5面(皇仁、新鳥蘇、地久、納曾利、崑崙八仙(ころばせ))
  • 木造舞楽面 7面(納曾利、新鳥蘇3、散手、貴徳鯉口、採桑老)
  • だ太鼓 一対[11]
  • 亀甲蒔絵手箱
  • 秋草蒔絵手箱
  • 禽獣葡萄鏡 春日金竜社伝来
  • 古神宝銅鏡(附 黒漆八稜形鏡箱)16面(素文鏡2面(寛弘八年銘)、藤花松喰鶴鏡3面(内1面一部欠損)、瑞花双鳳八稜鏡1面(一部欠損)、唐花鴛鴦八稜鏡1面、牡丹唐草尾長鳥八稜鏡8面(内3面一部欠損)、宝相華唐草八稜鏡残片1面)
  • 竹虎双雀方鏡
  • 藤花松喰鶴鏡
  • 菊造短刀
  • 梅花皮(かいらぎ)腰刀
  • 柏木兎(かしわみみずく)短刀
  • 太刀 銘備州長船住家助 永享八年二月日
  • 錦包太刀 中身銘助行
  • 金銅柏文兵庫鎖太刀 中身銘□次
  • 三鈷柄籐巻剣
  • 赤銅造太刀 友成
  • 鉄三十六間四方白(しほうじろ)星兜鉢及鎧金具(歌絵金物)[12][13]
  • 鉄十八間二方白星兜鉢及鎧金具[14]
  • 鉄二十八間四方白星兜鉢及鎧金具(牡丹金物)[15]
  • 石燈籠(御間型燈籠)元亨三年銘
  • 石燈籠(柚木燈籠)
  • 楽所補任 2巻
  • 楽書 5巻(高麗曲、輪台詠唱歌外楽記、舞楽古記、舞楽手記、楽記)
  • 春日神社文書 40巻
  • 大東家文書(324通)27巻、240通[16]
  • 皇年代記[16]

典拠:2000年(平成12年)までに指定の国宝・重要文化財の名称は、『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000)による。

重要無形民俗文化財(国指定)

天然記念物(国指定)

特別天然記念物
天然記念物
  • 春日神社境内ナギ樹林
  • 奈良公園及びその周辺で生息するシカ(ニホンジカ)(財団法人奈良の鹿愛護会)

史跡(国指定)

  • 国の史跡 「春日大社境内」

その他

現地情報

所在地
交通アクセス
周辺

脚注

  1. 春日大社 第六十次 式年造替記念 奉祝行事実行委員会
  2. 春日大社公式サイトには「国宝352点、重要文化財971点」を収蔵する旨の記載があるが、これは「古神宝類」等の一括指定物件を一点一点かぞえた場合の数字である。春日大社所有の国宝は、指定の「件数」としては建造物1件(4棟)、美術工芸品13件であり、本記事の「文化財」節には春日大社所有の国宝・重要文化財全件が漏れなく記載されている。
  3. 春日大社 国宝殿
  4. 「平安の正倉院」が国宝殿を公開 奈良・春日大社 朝日新聞 2016年9月29日
  5. 春日大社に鎌倉期の名刀 延寿国吉作、さび落とし判明 奈良 産経ニュース 2016年12月31日
  6. 春日大社 名刀3本新たに確認 国宝殿で一般公開 奈良/奈良 毎日新聞 2016年12月30日
  7. 最古級の日本刀、なぜ天井裏に?春日大社、80年前発見 朝日新聞 2018年1月22日
  8. 春日大社 最古級の日本刀「古伯耆物」平安時代末期 毎日新聞 2018年1月23日
  9. 2013年に修理が完了した。(参照:春日大社:楠木正成の甲冑、修理終わり公開:毎日新聞2013年3月29日)
  10. 平成28年8月17日文部科学省告示第111号。
  11. 「だ」の漢字は「口」を左右に2つ並べ、その下に「田」、その下に「一」、その下に「黽」
  12. 寛政3年(1791年)の火災で焼けた甲冑の金属部分のみが残ったもの。以下2件も同様。
  13. 兜の名称は、重要文化財指定名称では「鉄三十六間四方白星兜鉢」であるが、2017年に東京国立博物館で開催された「特別展 春日大社 千年の至宝」では、「鉄二十四間四方白星兜鉢」の名称で展示されていた。「○○間」とは、兜の表面の「筋」(すじ)の数をかぞえたものであり、「四方白」とは、兜の前後左右4方向に鍍金銀の板を伏せたものの意である。鍍金銀の板で覆われた部分の「筋」の数をかぞえるか否かによって、間数の差が生じる。以下2件の兜についても同様である。
  14. 兜の名称は、重要文化財指定名称では「鉄十八間二方白星兜鉢」であるが、2017年に東京国立博物館で開催された「特別展 春日大社 千年の至宝」では、「鉄十六間二方白星兜鉢」の名称で展示されていた。これらの名称の差異については前項の脚注を参照。
  15. 兜の名称は、重要文化財指定名称では「鉄二十八間四方白星兜鉢」であるが、2017年に東京国立博物館で開催された「特別展 春日大社 千年の至宝」では、「鉄二十四間四方白星兜鉢」の名称で展示されていた。これらの名称の差異については前々項の脚注を参照。
  16. 16.0 16.1 平成28年8月17日文部科学省告示第116号。

関連図書

関連項目

外部リンク

テンプレート:二十二社

テンプレート:古都奈良の文化財