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'''早石 修'''(はやいし おさむ、[[1920年]][[1月8日]] - [[2015年]][[12月17日]]<ref name="Asahi">[http://www.asahi.com/articles/ASHDM432NHDMPLBJ002.html 京大名誉教授の早石修さん死去「酸素添加酵素」を発見] 朝日新聞 2015年12月19日閲覧</ref>)は、[[日本]]の[[医師]]、[[医学者]]。専門は[[生化学]]、[[医化学]]。[[京都大学]][[名誉教授]]、[[大阪バイオサイエンス研究所]][[理事長]]。[[医学博士]](1949年、大阪大学)。<!--[[京都府]][[宮津市]]-->[[アメリカ合衆国]][[カリフォルニア州]]生まれ。京都大学医学部医化学教室の主任教授として、多くの研究者を育てたことで知られる。
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'''早石 修'''(はやいし おさむ、[[1920年]][[1月8日]] - [[2015年]][[12月17日]]<ref name="Asahi">[http://www.asahi.com/articles/ASHDM432NHDMPLBJ002.html 京大名誉教授の早石修さん死去「酸素添加酵素」を発見] 朝日新聞 2015年12月19日閲覧</ref>
  
== 経歴 ==
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生化学者,分子生物学者。1942年大阪帝国大学医学部を卒業し,同大学医学部副手となる。第2次世界大戦に海軍軍医(中尉)として従軍。1946年大阪帝国大学医学部助手となり,1949年アメリカ合衆国に留学してウィスコンシン大学,1950年カリフォルニア大学バークリー校,1951年[[国立衛生研究所]] NIHを経て 1952年からワシントン大学助教授,1954年 NIH毒物学部長を歴任した。1958年京都大学医学部医化学教室教授,1979年同大学医学部部長に就任。1983~89年大阪医科大学学長を務め,その間の 1987年大阪バイオサイエンス研究所初代所長となる。NIH時代の 1956年に[[オキシゲナーゼ]](酸素添加酵素)の存在を実験で証明,世界的に名を知られた。従来,細胞呼吸においては分子状[[酵素]]が最終的な電子受容体と考えられてきたが,その酸素がオキシゲナーゼの働きで各種の物質と結合し,生合成の基質となることを明らかにした。以後一貫してオキシゲナーゼの研究を継続,オキシゲナーゼがかかわる反応の機序を解明,反応生成物として各種[[アミノ酸]][[ステロイド]][[ホルモン]]などが得られること,これら酵素が薬物,毒素の解毒にひと役買っていることなどを明らかにした。京都大学退官後,オキシゲナーゼとの関連で[[プロスタグランジン]] PGへと研究の間口を広げ,PGD2が[[睡眠]]と関係していることなど多くの知見を得た。1967年日本学士院賞,1975年藤原賞,1986年ウォルフ賞など多数受賞。1972年文化功労者に選ばれた。同 1972年文化勲章,1993年勲一等瑞宝章を受章した。
* [[1942年]]9月:[[大阪大学|大阪帝国大学]][[医学部]][[医学科]][[卒業]]
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* [[1946年]]3月:大阪帝国大学医学部[[助手 (教育)|助手]]
 
* [[1949年]]7月:大阪大学学位授与。「抗菌性物質に関する研究」
 
* [[1949年]]11月:[[ウィスコンシン大学]]酵素研究所[[研究員]]
 
* [[1950年]]:[[カリフォルニア大学]]研究員
 
* [[1951年]]:[[アメリカ国立衛生研究所]]研究員
 
* [[1952年]]12月:[[セントルイス・ワシントン大学]]医学部[[助教授]](微生物学教室)
 
* [[1954年]]12月:N.I.H.毒物学部長
 
* [[1958年]]3月:京都大学医学部[[教授]]
 
* [[1961年]]2月:大阪大学医学部教授併任(生化学第一講座 1963年まで)
 
* [[1968年]]:[[ヴァンダービルト大学]]教授
 
* [[1970年]]4月:[[東京大学]]医学部教授併任(栄養学講座 1974年まで)
 
* [[1974年]][[12月12日]]:[[日本学士院]]会員(第7分科(医学・薬学・歯学))
 
* 1973-76年 [[国際生化学・分子生物学連合]]の総裁を務める<ref name="Hayaishi2006">{{cite journal|last1=Hayaishi|first1=Osamu|title=Memoirs of a biochemist|journal=IUBMB Life (International Union of Biochemistry and Molecular Biology: Life)|volume=58|issue=5-6|year=2006|pages=242–245|issn=1521-6543|doi=10.1080/15216540600702271}}</ref>
 
* [[1979年]]4月:京都大学評議員(12月まで)
 
* 1979年12月:京都大学医学部長(1981年12月まで)
 
* [[1983年]]4月:京都大学退官 名誉教授
 
* 1983年6月:[[大阪医科大学]][[学長]](1989年まで)
 
* 1987年7月:[[財団法人]]大阪バイオサイエンス研究所所長
 
* 1998年10月:財団法人大阪バイオサイエンス研究所名誉所長
 
* 2004年4月:財団法人大阪バイオサイエンス研究所理事長
 
* 2015年12月17日:老衰の為、京都市内の病院で死去<ref name="Asahi"/>、叙[[従三位]]<ref>平成28年1月26日官報</ref>
 
 
 
== 学外における役職 ==
 
* [[国際生化学連合]][[総裁]](1973年から1976年まで)
 
* [[世界保健機関|WHO]]医学研究顧問(1978年)
 
 
 
== 専門業績 ==
 
* [[酸素添加酵素]]「オキシゲナーゼ」の発見(1956年)
 
* [[ポリADPリボース]]の発見
 
* [[プロスタグランジン]]の発見
 
 
 
== 受賞歴 ==
 
* [[朝日賞]](文化賞部門)([[1964年]]) 受賞論文「酸素添加酵素の発見と研究」
 
* [[日本ビタミン学会賞]](1964年) 受賞論文「トリプトファンによるNADの生合成に関する研究」
 
* [[松永記念科学振興財団]][[松永賞]](自然科学部門)(1964年) 受賞論文「酸素添加酵素の研究」
 
* [[日本学士院賞]]([[1967年]]) 受賞論文「酸素添加酵素の研究」
 
* 第16回[[藤原科学財団]][[藤原賞]]([[1975年]]) 受賞論文「POLY(ADP-RIB)の発見、その合成分解酵素の生物学的意義に関する研究」
 
* [[ニューヨークアカデミー生化学賞]](1976年)
 
* [[スペイン・ジメネソ・ディアズ記念賞]]([[1979年]])
 
* [[ウルフ賞医学部門]]([[1986年]])
 
 
 
== 栄典・顕彰==
 
* [[文化功労者]](1972年)
 
* [[文化勲章]](1972年)
 
* [[パリ市長ブロンズメダル]](1975年)
 
* [[イギリス・チバ金牌]](1976年)
 
* [[勲一等瑞宝章]](1993年)
 
* 贈[[従三位]](2015年、没時叙位)
 
 
 
==著書==
 
*『酸素と生命』[[東京大学出版会]] 1984
 
*『プロスタグランジンの基礎と臨床 研究の歴史・現況と将来への展望』メディカルトリビューン 1988
 
 
 
===共編===
 
*『酸素添加酵素』[[野崎光洋]]共編 東京大学出版会 1973
 
*『バイオリズムとその機構 第1回内藤シンポジウム』[[須田正巳]],[[中川八郎]]共編 [[講談社]] 1976
 
*『精神活動の流れを遡る 機能・構造・物質』[[伊藤正男 (生理学者)|伊藤正男]]共編 メディカル・ジャーナル社 1995
 
*『快眠の医学 「眠れない」の謎を解く』[[井上昌次郎]]共編 [[日本経済新聞社]] 2000
 
  
 
== 脚注 ==
 
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{{Reflist}}
 
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== 外部リンク ==
 
* [http://www.brh.co.jp/s_library/j_site/scientistweb/no28/index.html 生命詩研究館サイエンティストライブラリー特別編:早石修]
 
* [http://www.japan-acad.go.jp/japanese/members/7/hayaishi_osamu.html 会員個人情報|日本学士院]
 
* [http://www.obi.or.jp/ 大阪バイオサイエンス研究所]
 
 
{{Normdaten}}
 
 
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[[Category:日本の医師]]
 
[[Category:日本の医師]]

2018/10/3/ (水) 23:47時点における最新版

早石 修(はやいし おさむ、1920年1月8日 - 2015年12月17日[1]

生化学者,分子生物学者。1942年大阪帝国大学医学部を卒業し,同大学医学部副手となる。第2次世界大戦に海軍軍医(中尉)として従軍。1946年大阪帝国大学医学部助手となり,1949年アメリカ合衆国に留学してウィスコンシン大学,1950年カリフォルニア大学バークリー校,1951年国立衛生研究所 NIHを経て 1952年からワシントン大学助教授,1954年 NIH毒物学部長を歴任した。1958年京都大学医学部医化学教室教授,1979年同大学医学部部長に就任。1983~89年大阪医科大学学長を務め,その間の 1987年大阪バイオサイエンス研究所初代所長となる。NIH時代の 1956年にオキシゲナーゼ(酸素添加酵素)の存在を実験で証明,世界的に名を知られた。従来,細胞呼吸においては分子状酵素が最終的な電子受容体と考えられてきたが,その酸素がオキシゲナーゼの働きで各種の物質と結合し,生合成の基質となることを明らかにした。以後一貫してオキシゲナーゼの研究を継続,オキシゲナーゼがかかわる反応の機序を解明,反応生成物として各種アミノ酸ステロイドホルモンなどが得られること,これら酵素が薬物,毒素の解毒にひと役買っていることなどを明らかにした。京都大学退官後,オキシゲナーゼとの関連でプロスタグランジン PGへと研究の間口を広げ,PGD2が睡眠と関係していることなど多くの知見を得た。1967年日本学士院賞,1975年藤原賞,1986年ウォルフ賞など多数受賞。1972年文化功労者に選ばれた。同 1972年文化勲章,1993年勲一等瑞宝章を受章した。


脚注



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