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'''日米野球'''(にちべいやきゅう<ref group="注釈">MLBは[[アメリカ合衆国]]と[[カナダ連邦]]の[[野球リーグ]]であり、MLBを米と表現するのは誤りだが、これは史上初のアメリカ以外の国に出来たMLB球団[[モントリオール・エクスポズ]]が誕生する以前に訪日したMLBを米と表現した名残である。</ref>、[[英語]]:''Major League Baseball Japan All-Star Series'')は、[[日本プロ野球]](NPB)と[[メジャーリーグベースボール]](MLB)の選抜チームが[[日本]]で対戦したシリーズ戦。[[明治時代]]から行われていた歴史的な国際野球試合だったが、野球の国際化に伴って、{{by|2006年}}をもって一旦休止されたが、{{by|2014年}}に[[野球日本代表|野球日本代表(侍ジャパン)]]の強化試合として復活した<ref>[http://baseballking.jp/ns/column/95994 かつては隔年開催も…日米野球は“不要”なのか] ''ベースボールキング'' (2016年11月16日) 2016年12月1日閲覧</ref>。
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'''日米野球'''(にちべいやきゅう<ref group="注釈">MLBは[[アメリカ合衆国]]と[[カナダ連邦]]の[[野球リーグ]]であり、MLBを米と表現するのは誤りだが、これは史上初のアメリカ以外の国に出来たMLB球団[[モントリオール・エクスポズ]]が誕生する以前に訪日したMLBを米と表現した名残である。</ref>、[[英語]]:''Major League Baseball Japan All-Star Series''
  
== 概要・歴史 ==
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[[日本プロ野球]](NPB)と[[メジャーリーグベースボール]](MLB)の選抜チームが[[日本]]で対戦したシリーズ戦。[[明治時代]]から行われていた歴史的な国際野球試合だったが、野球の国際化に伴って、{{by|2006年}}をもって一旦休止されたが、{{by|2014年}}に[[野球日本代表|野球日本代表(侍ジャパン)]]の強化試合として復活した<ref>[http://baseballking.jp/ns/column/95994 かつては隔年開催も…日米野球は“不要”なのか] ''ベースボールキング'' (2016年11月16日) 2016年12月1日閲覧</ref>。
=== 明治 ===
 
; {{By|1908年}}([[明治]]41年)
 
: 運動具会社でもあったリーチ社により、[[メジャーリーグベースボール|MLB]]選手6人を含む[[マイナーリーグ|3A]]選手を中心とした選抜チーム「リーチ・オール・アメリカン」が訪日したのが、日米野球のはじまりである。[[大隈重信]]による始球式で開幕した[[早稲田大学野球部|早稲田大学]]戦を皮切りに、[[慶應義塾体育会野球部|慶応大学]]、東京倶楽部、横浜連合、神戸連合などと計17試合が行われ、アメリカが全勝して日本チームを圧倒した。早稲田大学戦では[[アトランタ・ブレーブス|ボストン・ブレーブス]]のP・プラハティ投手が、試合時間わずか40分の[[完全試合]]を達成している<ref name="NB02">ALL STAR SERIES JAPAN 2002 日米野球公式プログラム 33頁 - 40頁 読売新聞東京本社発行</ref><ref name="NB04">イオン オールスターシリーズ2004 日米野球公式プログラム 69頁 - 79頁 毎日新聞社発行</ref>。
 
  
=== 大正 ===
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{{テンプレート:20180815sk}}
; {{By|1913年}}([[大正]]2年)
 
: 「世界一周野球団」として[[サンフランシスコ・ジャイアンツ|ニューヨーク・ジャイアンツ]]と[[シカゴ・ホワイトソックス]]の2球団が、[[日本]]、[[中華人民共和国|中国]]、[[オーストラリア]]、[[エジプト]]、[[フランス]]、[[イギリス]]などを訪問して試合を行った。これがMLB球団としての初来日である。日本では、ニューヨーク対シカゴ戦(シカゴ2戦2勝)と、ニューヨーク・シカゴ連合対慶應義塾大学戦(16対3で連合勝利)が行われた<ref name="NB04" /><ref>NTTコミュニケーションズ オールスターシリーズ2000 日米野球公式プログラム 85頁 - 95頁 毎日新聞社発行</ref>。
 
; {{By|1920年}}(大正9年)
 
: 3Aコーストリーグ主体の「オール・アメリカン・ナショナル」が来日。アメリカチームが6戦全勝した。この時に来日した[[ボストン・レッドソックス]]のH・ハンター選手は翌年1月まで日本に留まり、早稲田大学などの日本の大学チームを指導した<ref name="NB04" />。
 
; {{By|1922年}}(大正11年)
 
: 大学チームを指導したH・ハンター選手率いるMLB選抜が来日。[[東京六大学野球|東京六大学]]を中心に17試合が行われ、第7戦ではエース投手の[[小野三千麿]]擁する三田倶楽部が9対3で勝利し、日米野球における日本チームの初勝利となった<ref name="NB04" />。
 
 
 
=== 昭和(戦前) ===
 
; {{By|1927年}}([[昭和]]2年)
 
: [[アフリカ系アメリカ人]]選手を中心とする[[ニグロリーグ]]が混成チーム、フィラデルフィアの「ロイヤル・ジャイアンツ」を結成して来日。三田倶楽部、[[同志社大学体育会硬式野球部|同志社大学]]、[[関西大学野球部|関西大学]]などと24試合を行い、23勝0敗1分で日本チームを圧倒した<ref name="NB02" />。
 
; {{By|1931年}}(昭和6年)
 
: [[読売新聞社]]・[[正力松太郎]]社長がMLB選抜を招き、初めて読売新聞社主催により開催された。鉄人[[ルー・ゲーリッグ]]や剛腕[[レフティ・グローブ]]ら大物選手擁するMLB選抜を相手に、日本は初めてオールスターチームを結成して挑むも、17戦全敗に終わった<ref name="NB02" />。
 
; {{By|1932年}}(昭和7年)
 
: ニグロリーグ混成チームの「ロイヤル・ジャイアンツ」が再来日。関西、中国、九州地方まで遠征して試合を行った。[[日本たばこ産業広島工場|広島専売]]が[[社会人野球|社会人クラブ]]チームとして初勝利、日本チームとして11年ぶりの勝利を挙げた。ジャイアンツの24戦23勝1敗<ref name="NB04" />。
 
; {{By|1934年}}(昭和9年)
 
: [[ベーブ・ルース]]、ルー・ゲーリッグ、[[ジミー・フォックス]]の三大本塁打王に、速球王の[[レフティ・ゴメス]]らを擁するMLB選抜が、智将[[コニー・マック]]監督とともに来日。対する日本は初めてプロのチーム「全日本軍」で挑むも、16戦全敗に終わった。しかし、[[静岡県草薙総合運動場硬式野球場]]での[[沢村栄治]]の好投は今でも日本で語り草となっている。なお、三大本塁打王が来日したとあって試合で多くの本塁打が期待されたため、読売新聞社はスタンドに入った本塁打ボールを記念品として来場者にプレゼントした。その期待通りにMLB選抜は全16試合で47本塁打(119打点)を記録した<ref name="NB02" /><ref name="NB04" />。この時来日した選手のひとり、[[モー・バーグ]]が対日スパイ活動を行っていたことが後に判明した<ref>読売新聞 2008年8月15日「[http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20080815-OYT1T00537.htm J・フォード監督の名も、米CIA前身の工作員名公開]」</ref>。この年の日米野球をきっかけとして、12月に日本初の職業野球チームである「大日本東京野球倶楽部(後の[[読売ジャイアンツ]])」が結成された。
 
 
 
=== 昭和(戦後) ===
 
; {{By|1949年}}(昭和24年)
 
: [[第二次世界大戦]]の影響で開催が断たれていた日米野球が16年ぶりに再開。3Aウエストコーストリーグの[[サンフランシスコ・シールズ]]が来日(日本では大リーグと喧伝される)、全試合が超満員となる盛況ぶりであった。当時の日本は米国占領下であり[[日本の国旗|日の丸]]や[[君が代]]はタブーであったが、第一戦では試合開始前に君が代が流され、後楽園のセンターポールには戦後初めて日の丸が翻った<ref name="bbm2004">B.B.MOOK 日米野球交流史 ベースボール・マガジン社 2004年</ref>。また場内では[[コカ・コーラ]]や[[ホットドッグ]]等も販売された<ref name="NB04" />。
 
; {{By|1953年}}(昭和28年)
 
: この年は同時期に[[毎日新聞社]]がMLB選抜を、読売新聞社が[[サンフランシスコ・ジャイアンツ|ニューヨーク・ジャイアンツ]]を招聘するという、慌ただしい日程で開催された。その後、両社は協議を行い、今後は交互にアメリカチームを招聘する協定が結ばれた<ref name="NB04" />。
 
; {{By|1966年}}(昭和41年)
 
: 本拠地を[[ニューヨーク]]から[[ロサンゼルス]]に移した[[ロサンゼルス・ドジャース|ドジャース]]が来日。[[王貞治]]が5本塁打を放つなど日本チームが健闘し、勝ち越しまであと一歩のところまで迫る過去最高の成績(8勝9敗1分)を収めた<ref name="NB04" />。
 
: 11月8日の対[[読売ジャイアンツ|巨人]]戦([[後楽園球場|後楽園]])は{{By|1959年}}6月25日の巨人対[[阪神タイガース|阪神]]戦に続く日本プロ野球史上2度目の[[天覧試合]]となったが、この試合でも巨人・[[長嶋茂雄]]は1959年同様本塁打を放っている。しかし、1959年の時とは対照的にあまり知られていない。また、同じ巨人・王貞治は別の試合で本塁打を放ったものの、前の走者である[[柴田勲]]を追い越しアウトとなっている(記録上は単打)。王はシーズン公式戦([[日本選手権シリーズ|日本シリーズ]]、[[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスター戦]]も含む)における[[幻の本塁打一覧|幻の本塁打]]は雨天ノーゲームによるものも含め1本もないため、これも隠れた珍記録となっている。
 
; {{By|1978年}}(昭和53年)
 
: 1975年・1976年と2年連続してワールドシリーズを制し、「[[ビッグレッドマシン]]」と呼ばれていた[[シンシナティ・レッズ]]が来日。特にその年通算3000本安打を記録した安打製造機[[ピート・ローズ]]は闘志あふれるプレーとともに人気を集め、他にも[[ジョニー・ベンチ]]、[[トム・シーバー]]らも人気を集めた。[[広島市民球場 (初代)|広島市民球場]]での巨人・[[広島東洋カープ|広島]]連合チームとの対戦では赤ヘル同士の対決が話題を呼び、更に[[平和台球場]]で行われた巨人・[[埼玉西武ライオンズ|クラウン]]連合との対戦では「福岡最後のライオンズ」を見ようとで西鉄時代からの多くのファンが集まった。日本人選手では[[小林繁]]がベンチから賞賛されたが、最終日の11月21日にその小林を翻弄させることになる[[江川事件]]が勃発する。レッズは14勝2敗1分と圧倒的な戦績を収めた<ref name="bbm2004" />が、帰国直後に[[スパーキー・アンダーソン]]監督が解任され、ローズもFA権を取得して[[フィラデルフィア・フィリーズ|フィリーズ]]に移籍、ビッグレッドマシンは「解体」となった。
 
; {{By|1984年}}(昭和59年)
 
: {{By|1983年}}に[[1983年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]を制した[[ボルチモア・オリオールズ]]が来日。後にMLB連続試合出場記録をつくる鉄人[[カル・リプケン]]もこの時来日した。この年は[[日本プロ野球]]50周年を記念して、[[1984年の日本シリーズ|日本シリーズ]]を制したチームは単独でオリオールズと最初に5試合対戦できる特別ルールが採用され、[[広島東洋カープ|広島カープ]]がオリオールズと対戦した。初戦は[[川口和久]]が6被安打10奪三振の完封勝利を挙げるも、その後は4連敗に終わった。日本チーム全体では14戦8勝5敗1分。オリオールズの[[エディ・マレー]]が9本塁打を放つ活躍を見せた<ref name="NB04" />。
 
; {{By|1986年}}(昭和61年)
 
: この年よりMLB選抜の招聘となり、全試合全日本との対戦となった。この年の[[1986年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]の優勝監督で、読売ジャイアンツに選手として所属していた[[デービー・ジョンソン]](メッツ)が監督を務める。当初来日が予定されていた[[ドワイト・グッデン]]、[[ウェイド・ボッグス]]、[[ゲイリー・カーター]]らの不参加はあったが、のちに殿堂入りする[[カル・リプケン]]、[[オジー・スミス]]、[[ライン・サンドバーグ]]、[[トニー・グウィン]]が来日し、6勝1敗と強さを見せつけた。同年サイ・ヤング賞を受賞した[[マイク・スコット]]が[[スプリット・フィンガード・ファストボール]]を操り、[[ホセ・カンセコ]]と[[ボン・ヘイズ]]がいずれも最多の4本塁打を放ち、第3戦以後唯一の捕手として出場し続けた[[トニー・ペーニャ]]は座ったまま二塁に牽制球を投げて[[落合博満]]をアウトにするなど、圧倒的な技術とパワーの差を見せつけた。ペーニャがMVPに選出された。また、のちに読売ジャイアンツでプレイする[[ジェシー・バーフィールド]]、中日ドラゴンズでプレイする[[ブルック・ジャコビー]]、阪神タイガースでプレイする[[グレン・デービス (野球)|グレン・デービス]]も来日していた。
 
; {{By|1988年}}(昭和63年)
 
: 最大の目玉は[[オーレル・ハーシュハイザー]]。この年、MLB記録の59イニング連続無失点を樹立し、サイ・ヤング賞を受賞。この年の[[1988年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]でもMVPを受賞したが、本調子には遠く、途中で帰国。チームも3勝2敗2分で辛うじて勝ち越した。監督は1978年にレッズの監督として来日した[[スパーキー・アンダーソン]](タイガース)。MVPは[[バリー・ラーキン]]。ラーキンの他にも[[ポール・モリター]]、[[カービー・パケット]]、[[グレッグ・マダックス]]、[[フレッド・マグリフ]]らのちに1990年代のMLBを代表するスター選手がいた。
 
 
 
=== 平成 ===
 
; {{By|1990年}}([[平成]]2年)
 
: 前年の{{By|1989年}}に[[阪神タイガース]]で大活躍し、この年にMLBに復帰して[[最多本塁打 (MLB)|本塁打王]]と[[最多打点 (MLB)|打点王]]を獲得するという素晴らしい成績を収めた[[セシル・フィルダー]]が、MLB選抜の一員として凱旋来日した。また、後にMLBシーズン最多本塁打記録を塗り替える[[バリー・ボンズ]]や、[[ケン・グリフィー・シニア]]、[[ケン・グリフィー・ジュニア]]親子が揃って来日した。[[東京ドーム]]で行われた第8戦では、[[チャック・フィンリー]]と[[ランディ・ジョンソン]]の継投による[[ノーヒットノーラン]]を達成している。なお、この年の対戦成績は全日本の4勝3敗1分となり、82年の日米野球の歴史において、初めてMLB選抜チームに勝ち越した<ref name="NB04" />。日米野球終了後、MLB選抜で来日したR.J.レイノルズが大洋ホエールズと契約を交わした。
 
; {{By|1993年}}(平成5年)
 
: [[トミー・ラソーダ]]監督率いるロサンゼルス・ドジャースが来日。2試合を行うも選手たちの調整不足もあって全敗した。これを最後にMLBチーム単独での来日は無くなり、以降はMLB選抜チームを隔年で招待することになった<ref name="NB04" />。
 
; {{By|1994年}}(平成6年)
 
: この年、MLBでは新たな[[労働契約]]を巡って経営者側と選手会側が激しく対立、シーズン後半から長期間に渡る[[1994年から1995年のMLBストライキ|ストライキ]]に突入した影響で日米野球は中止となった。
 
; {{By|1996年}}(平成8年)
 
: 前年の{{By|1995年}}に[[オリックス・バファローズ|近鉄バファローズ]]からロサンゼルス・ドジャースへ移籍し、その独特の[[トルネード投法]]で好成績を収め、日米で「NOMO旋風」を巻き起こした[[野茂英雄]]が、MLB選抜として凱旋来日した。後に同じくMLB選手として活躍する[[イチロー]]や[[松井秀喜]]との対戦には注目が集まった。他にも、野茂の相棒であった[[マイク・ピアッツァ]]、バリー・ボンズやカル・リプケンといったスター選手も来日した<ref name="NB04" />。
 
; {{By|2000年}}(平成12年)
 
: この年に[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]から[[シアトル・マリナーズ]]へ移籍し、「大魔神」から「DAIMAJIN」となって抑え投手として活躍した[[佐々木主浩]]が凱旋来日した<ref name="NB04" />。
 
; {{By|2002年}}(平成14年)
 
: 前年の{{By|2001年}}に[[オリックス・バファローズ|オリックス・ブルーウェーブ]]からシアトル・マリナーズへ移籍し、1年目から両リーグ通じて最多安打(新人最多安打記録)、史上初となる[[アメリカンリーグ]]の[[ルーキー・オブ・ザ・イヤー (MLB)|新人王]]・[[最優秀選手 (野球)#アメリカメジャーリーグベースボール|MVP]]・[[首位打者 (MLB)|首位打者]]・[[盗塁#アメリカメジャーリーグ|盗塁王]]・[[シルバースラッガー賞]]・[[ゴールドグラブ賞]]の同時受賞を果たすなど、日米で大フィーバーを巻き起こした[[イチロー]]と、{{By|1999年}}に横浜ベイスターズから[[ボストン・レッドソックス]]へ移籍し、この年に[[ワシントン・ナショナルズ|モントリール・エクスポズ]]でキャリアハイの13勝を挙げた[[大家友和]]が凱旋来日した。日米野球においてもイチローは安打を量産した。[[トリー・ハンター]]が再三にわたり好守を披露してシリーズMVPを獲得。日本側では、[[読売ジャイアンツ|巨人]]の[[松井秀喜]]が、翌年からMLBに移籍することが決定している中での日米野球出場であったため、果たして松井がMLBで通用するのかどうかの判断基準として、松井とMLB各投手との対決にも注目が集まった<ref name="NB04" />。
 
; {{By|2004年}}(平成16年)
 
: {{By|2002年}}に[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]からロサンゼルス・ドジャースへ移籍した[[石井一久]]と、この年に[[中日ドラゴンズ]]から[[サンディエゴ・パドレス]]へ移籍した[[大塚晶文|大塚晶則]]が凱旋来日した。東京ドームで行われた第8戦において、[[デビッド・オルティーズ]]が[[アンダースロー]]の[[渡辺俊介]]から放った超特大の本塁打には、多くの日本人ファンを驚かせた。
 
; {{By|2006年}}(平成18年)
 
: 前年の{{By|2005年}}に[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]から[[シカゴ・ホワイトソックス]]へ移籍し、[[2005年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]制覇に貢献する活躍をした[[井口資仁]]と、この年に[[福岡ソフトバンクホークス]]からシアトル・マリナーズへ移籍し、日本人初のMLB捕手となった[[城島健司]]が凱旋来日した。
 
: [[日本プロ野球選手会]]は「(日米野球は)一定の役割を終えた。次回以降の大会は参加しない」と発言、[[日米野球2006|2006年大会]]を最後に開催が中断された。これは、2006年からMLB選手が参加する国際大会「[[ワールド・ベースボール・クラシック]](WBC)」が始まったことにより、NPB/MLBのトッププロ選手による真剣勝負の場が誕生したためである。ただし、日米野球が中断された理由はこれだけではなく、{{By|2005年}}から[[アジアシリーズ]]、{{By|2007年}}から[[クライマックスシリーズ]]が始まったことにより、選手たちの負担が増えたことも理由のひとつである。とくに2006年は、3月にWBC、11月に日米野球、アジアシリーズと大会が重なった。
 
; {{By|2014年}}(平成26年)
 
: [[2月27日]]、[[日本野球機構]]の[[熊崎勝彦]]コミッショナーが記者会見で、11月に[[野球日本代表|野球日本代表(侍ジャパン)]]とMLB選抜による強化試合を開催することを明言。侍ジャパンの強化試合という形で「日米野球」が8年ぶりに復活することになった。これは、代表常設化とそれに伴う代表事業の[[NPBエンタープライズ|株式会社化]]により、これからの事業拡充の重要性を指摘しており、「侍ジャパンを振興の大きな柱に据えたい」と話した<ref>{{Cite news |title=熊崎コミッショナー会見 11月に日米野球開催へ |newspaper=msn産経ニュース |date=2014-02-07 |url=http://sankei.jp.msn.com/sports/news/140227/bbl14022719060006-n1.htm |accessdate=2014-07-16}}</ref>。[[6月10日]]には[[日米野球2014|2014年大会]]の開催要項が発表され、[[11月12日]]から[[11月20日|20日]]まで、沖縄でのエキシビションゲームを含む6試合が開催されることになった。また[[11月11日]]には、日本プロ野球80周年記念試合として「[[日本プロ野球80周年記念試合|阪神・巨人連合対MLBオールスター]]」も開催されることになった<ref>{{Cite news |title=日米野球8年ぶり復活 沖縄など6試合 |newspaper=nikkansports.com |date=2014-06-11 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20140611-1315637.html |accessdate=2014-07-16}}</ref>。
 
; {{by|2018年}}(平成30年)
 
: [[5月1日]]、MLBが11月に開催することを発表<ref>{{cite web|url=https://www.mlb.com/news/major-league-baseball-returns-to-japan-in-2018-and-2019/c-274713114 | title=Major League Baseball returns to Japan in 2018 and 2019 |work=MLB.com |date=May 1, 2018 | accessdate=July 3, 2018 }}</ref>。
 
 
 
== 対戦記録 ==
 
{| class="wikitable" style="font-size:small; text-align:center"
 
!rowspan="2"|回!!rowspan="2"|開催年!!rowspan="2"|米国!!colspan="3"|対戦成績!!rowspan="2"|日本!!rowspan="2"|主なメンバー・備考
 
|-
 
!勝!!分!!勝
 
|-
 
|1||{{By|1908年}}<br><small>[[日米野球1908|(詳細)]]</small>||style="text-align:right"|リーチ・オール・アメリカン||17||0||0||style="text-align:left"|早稲田大学、慶応大学、東京倶楽部、<br>横浜連合、神戸連合、他||style="text-align:left"|P・プラハティ
 
|- style="background-color:#D0E7FF"
 
|2||{{By|1913年}}<br><small>[[日米野球1913|(詳細)]]</small>||style="text-align:right"|世界周遊野球チーム<br>([[サンフランシスコ・ジャイアンツ|ニューヨーク・ジャイアンツ]])<br>([[シカゴ・ホワイトソックス]])||1||0||0||style="text-align:left"|慶応大学||style="text-align:left"|[[ジョン・マグロー]]、[[トリス・スピーカー]]、[[サム・クロフォード]]、[[フレッド・マークル]]
 
|-
 
|3||{{By|1920年}}<br><small>[[日米野球1920|(詳細)]]</small>||style="text-align:right"|オール・アメリカン・ナショナル||6||0||0||style="text-align:left"|慶応大学、他||style="text-align:left"|H・ハンター
 
|- style="background-color:#D0E7FF"
 
|4||{{By|1922年}}||style="text-align:right"|MLB選抜||16||0||1||style="text-align:left"|東京六大学、三田倶楽部、他||style="text-align:left"|MLB選抜:H・ハンター<br>三田倶楽部:[[小野三千麿]]
 
|-
 
|5||{{By|1927年}}<br><small>[[日米野球1927|(詳細)]]</small>||style="text-align:right"|[[ニグロリーグ|ロイヤル・ジャイアンツ]]||23||1||0||style="text-align:left"|同志社大学、関西大学、他||style="text-align:left"|[[ビズ・マッキー]]、エバンス、クーパー
 
|- style="background-color:#D0E7FF"
 
|6||{{By|1931年}}<br><small>[[日米野球1931|(詳細)]]</small>||style="text-align:right"|全米選抜||17||0||0||style="text-align:left"|全日本、立教大学、早稲田大学、<br>明治大学、慶応大学、法政大学、<br>関西大学、八幡製鉄、横浜高商、全横浜||style="text-align:left"|[[ルー・ゲーリッグ]]、[[レフティ・グローブ]]
 
|-
 
|7||{{By|1932年}}<br><small>[[日米野球1932|(詳細)]]</small>||style="text-align:right"|ロイヤル・ジャイアンツ||23||0||1||style="text-align:left"|広島専売、他||style="text-align:left"|エバンス、クーパー
 
|- style="background-color:#D0E7FF"
 
|8||{{By|1934年}}<br><small>[[日米野球1934|(詳細)]]</small>||style="text-align:right"|MLB選抜||16||0||0||style="text-align:left"|全日本、東京倶楽部||style="text-align:left"|MLB選抜:ルー・ゲーリッグ、[[ベーブ・ルース]]、[[ジミー・フォックス]]、[[レフティ・ゴメス]]<br>全日本:[[沢村栄治]]、[[ヴィクトル・スタルヒン]]<br>備考:日米混合紅白戦・ルース軍対ミラー軍も2試合開催された。
 
|-
 
|9||{{By|1949年}}<br><small>[[日米野球1949|(詳細)]]</small>||style="text-align:right"|サンフランシスコ・シールズ<br>(3A)||7||0||0||style="text-align:left"|日本チーム||style="text-align:left"|備考:この時シールズは在日米軍野球部とも対戦(シールズ3勝1敗)。
 
|- style="background-color:#D0E7FF"
 
|10||{{By|1951年}}<br><small>[[日米野球1951|(詳細)]]</small>||style="text-align:right"|全米選抜||13||2||1||style="text-align:left"|全日本、全セ・リーグ、全パ・リーグ、巨人、<br>巨人阪神連合、毎日、南海、名古屋||style="text-align:left"|[[ジョー・ディマジオ]]、[[ドミニク・ディマジオ]]、[[ビリー・マーティン]]、<br>エド・ロパット、メル・パーネル
 
|-
 
|11||{{By|1953年}}<br><small>[[日米野球1953|(詳細)]]</small>||style="text-align:right"|MLB選抜<br>(ロパット・オールスターズ)||11||0||1||style="text-align:left"|全日本、全セ・リーグ、全パ・リーグ、<br>毎日、南海、阪急||style="text-align:left"|[[ハンク・サウアー]]、[[ヨギ・ベラ]]、[[西村貞朗]](MLB選抜側で特別参加)<br>備考:同年に毎日新聞社(MLB選抜)、読売新聞社(NYG)がチームを招聘。<br>以後は交互にチームを招聘することになった。
 
|- style="background-color:#D0E7FF"
 
|12||{{By|1953年}}<br><small>[[日米野球1953|(詳細)]]</small>||style="text-align:right"|ニューヨーク・ジャイアンツ||12||1||1||style="text-align:left"|全日本、全セ・リーグ、全パ・リーグ、<br>巨人、巨人国鉄連合、名古屋、阪神||style="text-align:left"|備考:同年に毎日新聞社(MLB選抜)、読売新聞社(NYG)がチームを招聘。<br>以後は交互にチームを招聘することになった。
 
|-
 
|13||{{By|1955年}}<br><small>[[日米野球1955|(詳細)]]</small>||style="text-align:right"|[[ニューヨーク・ヤンキース]]||15||1||0||style="text-align:left"|全日本、全セ・リーグ、全パ・リーグ、<br>セ・パ選抜、巨人、毎日、南海、<br>中日、西鉄、全大阪||style="text-align:left"|[[ビリー・マーティン]]、ヨギ・ベラ、[[ミッキー・マントル]]
 
|- style="background-color:#D0E7FF"
 
|14||{{By|1956年}}<br><small>[[日米野球1956|(詳細)]]</small>||style="text-align:right"|[[ロサンゼルス・ドジャース|ブルックリン・ドジャース]]||14||1||4||style="text-align:left"|全日本、全セ・リーグ、全パ・リーグ、<br>巨人、南海巨人連合、全関東、全関西||style="text-align:left"|[[ジャッキー・ロビンソン]]、[[ドン・ドライスデール]]、<br>[[ドン・ニューカム]]、[[ロイ・キャンパネラ]]
 
|-
 
|15||{{By|1958年}}<br><small>[[日米野球1958|(詳細)]]</small>||style="text-align:right"|[[セントルイス・カージナルス]]||14||0||2||style="text-align:left"|全日本||style="text-align:left"|[[スタン・ミュージアル]]
 
|- style="background-color:#D0E7FF"
 
|16||{{By|1960年}}<br><small>[[日米野球1960|(詳細)]]</small>||style="text-align:right"|[[サンフランシスコ・ジャイアンツ]]||11||1||4||style="text-align:left"|全日本、巨人||style="text-align:left"|[[ウィリー・メイズ]]、[[ゲイロード・ペリー]]
 
|-
 
|17||{{By|1962年}}<br><small>[[日米野球1962|(詳細)]]</small>||style="text-align:right"|[[デトロイト・タイガース]]||12||2||4||style="text-align:left"|全日本、巨人、大毎、東映、南海、大洋、<br>巨人大毎連合、中日巨人大毎近鉄連合、<br>大洋国鉄大毎連合、<br>広島阪神大毎連合、西鉄大毎連合、<br>東映巨人大毎連合、全東京||style="text-align:left"|[[アル・ケーライン]]、[[ジム・バニング]]
 
|- style="background-color:#D0E7FF"
 
|18||{{By|1966年}}<br><small>[[日米野球1966|(詳細)]]</small>||style="text-align:right"|[[ロサンゼルス・ドジャース]]||9||1||8||style="text-align:left"|全日本、巨人、南海巨人連合、<br>広島巨人連合、西鉄巨人連合、<br>中日巨人連合||style="text-align:left"|[[ジム・ラフィーバー]]、[[ウィリー・デービス (野球)|ウィリー・デービス]]<br>備考:[[11月8日]]の対巨人戦はプロ野球史上二度目の[[天覧試合]]。
 
|-
 
|19||{{By|1968年}}<br><small>[[日米野球1968|(詳細)]]</small>||style="text-align:right"|セントルイス・カージナルス||13||0||5||style="text-align:left"|全日本、巨人、南海巨人連合、<br>阪急巨人連合、広島巨人連合、<br>西鉄巨人連合、中日巨人連合||style="text-align:left"|[[ルー・ブロック]]、[[ボブ・ギブソン]]、[[スティーブ・カールトン]]
 
|- style="background-color:#D0E7FF"
 
|20||{{By|1970年}}<br><small>[[日米野球1970|(詳細)]]</small>||style="text-align:right"|サンフランシスコ・ジャイアンツ||3||0||6||style="text-align:left"|巨人、ロッテ、大洋、南海、中日||style="text-align:left"|ウィリー・メイズ、[[フアン・マリシャル]]、[[ウィリー・マッコビー]]、ゲイロード・ペリー<br>備考:シーズン開幕前のオープン戦として開催。
 
|-
 
|21||{{By|1971年}}<br><small>[[日米野球1971|(詳細)]]</small>||style="text-align:right"|[[ボルチモア・オリオールズ]]||12||4||2||style="text-align:left"|全日本、巨人、南海巨人連合、<br>阪急巨人連合、広島巨人連合、<br>西鉄巨人連合、中日巨人連合||style="text-align:left"|[[ブルックス・ロビンソン]]、[[ジム・パーマー]]、[[デーブ・ジョンソン]]<br>備考:[[パット・ドブソン]]が3四死球で二塁を踏ませず[[ノーヒット・ノーラン]]を達成。
 
|- style="background-color:#D0E7FF"
 
|22||{{By|1974年}}<br><small>[[日米野球1974|(詳細)]]</small>||style="text-align:right"|[[ニューヨーク・メッツ]]||9||2||7||style="text-align:left"|全日本、巨人、南海巨人連合、<br>広島巨人連合、太平洋巨人連合、<br>中日巨人連合||style="text-align:left"|[[トム・シーバー]]、[[ジョー・トーリ]]<br>備考:[[王貞治]]と本塁打競争をするため[[アトランタ・ブレーブス|アトランタ]]の[[ハンク・アーロン]]も来日。
 
|-
 
|23||{{By|1978年}}<br><small>[[日米野球1978|(詳細)]]</small>||style="text-align:right"|[[シンシナティ・レッズ]]||14||1||2||style="text-align:left"|全日本、巨人、大洋巨人連合、<br>中日巨人連合、阪急巨人連合、<br>近鉄南海巨人連合、広島巨人連合、<br>クラウンライター巨人連合||style="text-align:left"|[[スパーキー・アンダーソン]](監督)、トム・シーバー、[[ジョニー・ベンチ]]、<br>[[ピート・ローズ]]、[[ジョージ・フォスター]]([[ジョー・モーガン]]は来日せず)
 
|- style="background-color:#D0E7FF"
 
|24||{{By|1979年}}<br><small>[[日米野球1979|(詳細)]]</small>||style="text-align:right"|[[アメリカンリーグ|ア・リーグ]]・[[ナショナルリーグ|ナ・リーグ]]・<br>オールスターズ||1||0||1||style="text-align:left"|全日本||style="text-align:left"|ピート・ローズ、[[フィル・ニークロ]]、[[ビル・マドロック]]、[[ロッド・カルー]]、<BR>[[ドン・ベイラー]]、[[デーブ・パーカー]]<br>備考:同時にMLBオールスターシリーズを日本で開催(ナリーグ4勝2敗1分)。
 
|-
 
|25||{{By|1981年}}<br><small>[[日米野球1981|(詳細)]]</small>||style="text-align:right"|[[カンザスシティ・ロイヤルズ]]||9||1||7||style="text-align:left"|全日本、巨人、大洋巨人連合、<br>西武巨人連合、中日巨人連合、<br>阪急巨人連合、南海近鉄巨人連合、<br>阪神巨人連合、広島巨人連合||style="text-align:left"|[[ジョージ・ブレット]]、[[フランク・ホワイト (野球)|フランク・ホワイト]]、[[ダン・クイゼンベリー]]
 
|- style="background-color:#D0E7FF"
 
|26||{{By|1984年}}<br><small>[[日米野球1984|(詳細)]]</small>||style="text-align:right"|ボルチモア・オリオールズ||8||1||5||style="text-align:left"|全日本、巨人、広島、<br>広島巨人連合、中日巨人連合||style="text-align:left"|[[エディ・マレー]]、[[カル・リプケン]]、[[レン・サカタ]]<br>備考:日本プロ野球50周年を記念し、[[1984年の日本シリーズ|日本シリーズ]]優勝チーム([[広島東洋カープ|広島]])は単独で<br>オリオールズと最初の5試合を対戦できるルールで実施(オリオールズ4勝1敗)。
 
|-
 
|27||{{By|1986年}}<br><small>[[日米野球1986|(詳細)]]</small>||style="text-align:right"|MLB選抜||6||0||1||style="text-align:left"|全日本||style="text-align:left"|デーブ・ジョンソン(監督)、カル・リプケン、[[トニー・グウィン]]、[[オジー・スミス]]、<br>[[ジェシー・バーフィールド]]、[[ホセ・カンセコ]]、[[ライン・サンドバーグ]]、[[マイク・スコット]]
 
|- style="background-color:#D0E7FF"
 
|28||{{By|1988年}}<br><small>[[日米野球1988|(詳細)]]</small>||style="text-align:right"|MLB選抜||3||2||2||style="text-align:left"|全日本||style="text-align:left"|スパーキー・アンダーソン(監督)、[[グレッグ・マダックス]]、[[ポール・モリター]]、<BR>[[カービー・パケット]]、[[ラファエル・パルメイロ]]、[[オーレル・ハーシュハイザー]]、<br>[[アンドレス・ガララーガ]]、[[ベニート・サンチアゴ]]
 
|-
 
|29||{{By|1990年}}<br><small>[[日米野球1990|(詳細)]]</small>||style="text-align:right"|MLB選抜||3||1||4||style="text-align:left"|全日本||style="text-align:left"|[[ドン・ジマー]](監督)、[[ランディ・ジョンソン]]、[[セシル・フィルダー]]、[[フリオ・フランコ]]、<br>[[オジー・ギーエン]]、[[ケン・グリフィー・ジュニア|ケン・グリフィーJr.]]、[[ケン・グリフィー・シニア|ケン・グリフィーSr.]]、[[バリー・ボンズ]]<br>備考:[[チャック・フィンリー]]とランディ・ジョンソンによる継投ノーヒットノーラン達成。
 
|- style="background-color:#D0E7FF"
 
|30||{{By|1992年}}<br><small>[[日米野球1992|(詳細)]]</small>||style="text-align:right"|MLB選抜||6||1||1||style="text-align:left"|全日本、巨人||style="text-align:left"|[[ロジャー・クレメンス]]、[[ウェイド・ボッグス]]、オジー・スミス、ケン・グリフィーJr.、<br>セシル・フィルダー、[[シェーン・マック]]、[[マーク・グレース]]
 
|-
 
|31||{{By|1993年}}<br><small>[[日米野球1993|(詳細)]]</small>||style="text-align:right"|ロサンゼルス・ドジャース||0||0||2||style="text-align:left"|福岡ダイエー巨人連合||style="text-align:left"|[[トミー・ラソーダ]](監督)
 
|- style="background-color:#D0E7FF"
 
| - ||{{By|1994年}}||style="text-align:right"|MLB選抜||colspan="3"|中止||style="text-align:left"|全日本||style="text-align:left"|備考:MLBにおける労使紛争およびストライキの実施により中止。
 
|-
 
|32||{{By|1996年}}<br><small>[[日米野球1996|(詳細)]]</small>||style="text-align:right"|MLB選抜||4||2||2||style="text-align:left"|全日本||style="text-align:left"|[[マイク・ピアッツァ]]、[[野茂英雄]]、バリー・ボンズ、[[ペドロ・マルティネス]]、<br>[[アレックス・ロドリゲス]]、カル・リプケン、ケン・グリフィー・Jr.
 
|- style="background-color:#D0E7FF"
 
|33||{{By|1998年}}<br><small>[[日米野球1998|(詳細)]]</small>||style="text-align:right"|MLBオールスターズ||6||0||2||style="text-align:left"|全日本、巨人||style="text-align:left"|[[サミー・ソーサ]]、[[マニー・ラミレス]]、[[カート・シリング]]、[[ジェイソン・ジアンビ]]、<br>[[ノマー・ガルシアパーラ]]、[[トレバー・ホフマン]]、[[モー・ボーン]]<br>備考:本大会から賞金制シリーズで争われることになり、<br>また、全日本は固定メンバーで行うようになった。
 
|-
 
|34||{{By|2000年}}<br><small>[[日米野球2000|(詳細)]]</small>||style="text-align:right"|MLBオールスターズ||5||1||2||style="text-align:left"|NPBオールスターズ||style="text-align:left"|ランディ・ジョンソン、[[佐々木主浩]]、バリー・ボンズ、<br>[[ゲイリー・シェフィールド]]、[[ハビアー・バスケス]]
 
|- style="background-color:#D0E7FF"
 
|35||{{By|2002年}}<br><small>[[日米野球2002|(詳細)]]</small>||style="text-align:right"|MLBオールスターズ||5||0||3||style="text-align:left"|NPBオールスターズ、巨人||style="text-align:left"|[[イチロー]]、バリー・ボンズ、[[大家友和]]、[[バーニー・ウィリアムズ]]、[[マーク・バーリー]]、<br>[[エリック・ガニエ]]、[[デレク・リー]] 、[[A・J・ピアジンスキー]]、ジェイソン・ジアンビ
 
|-
 
|36||{{By|2004年}}<br><small>[[日米野球2004|(詳細)]]</small>||style="text-align:right"|MLBオールスターズ||5||0||3||style="text-align:left"|NPBオールスターズ||style="text-align:left"|ロジャー・クレメンス、[[ジェイク・ピービー]]、[[石井一久]]、[[大塚晶則]]、<br>[[フランシスコ・ロドリゲス]]、マニー・ラミレス、[[デビッド・オルティーズ]]、<br>[[カール・クロフォード]]、[[ミゲル・カブレラ]]、[[モイゼス・アルー]]
 
|- style="background-color:#D0E7FF"
 
|37||{{By|2006年}}<br><small>[[日米野球2006|(詳細)]]</small>||style="text-align:right"|MLBオールスターズ||5||1||0||style="text-align:left"|NPBオールスターズ、巨人||style="text-align:left"|[[城島健司]]、[[井口資仁]]、[[ホセ・レイエス]]、[[デビッド・ライト]]、<br>[[ライアン・ハワード]]、[[アンドリュー・ジョーンズ]]
 
|-
 
|38||{{By|2014年}}<br><small>[[日米野球2014|(詳細)]]</small>||style="text-align:right"|MLBオールスターズ|| 3 || 0 || 4 ||style="text-align:left"|侍ジャパン、阪神巨人連合|| style="text-align:left" |[[ロビンソン・カノ]]、[[ホセ・アルトゥーベ]]、[[ジャスティン・モルノー]]、[[エバン・ロンゴリア]]、<br>[[ヤシエル・プイグ]]、[[マット・シューメイカー]]、[[岩隈久志]]、[[和田毅]]<br>備考:[[則本昂大]]、[[西勇輝]]、[[牧田和久]]、[[西野勇士]]による継投ノーヒットノーラン達成。
 
|- style="background-color:#D0E7FF"
 
|39||{{By|2018年}}<br><small>[[日米野球2018|(詳細)]]</small>||style="text-align:right"|MLBオールスターズ|| || || ||style="text-align:left"|侍ジャパン、巨人||
 
|}
 
<ref name="NB02" /><ref name="NB04" /><ref>イオン日米野球2006公式プログラム(月刊メジャー・リーグ11月号増刊) 76頁 - 81頁 読売新聞社発行、ベースボール・マガジン社発売</ref><ref>[http://bis.npb.or.jp/scores/japanvsfor/index_yearlyresults.html 日本野球機構オフィシャルサイト 過去の外国チームとの試合]</ref>
 
 
 
== 日米野球の主催新聞社 ==
 
1953年、これまで日米野球を主催してきた[[読売新聞社]]がニューヨーク・ジャイアンツを招聘すると、[[毎日新聞社]]側もエド・ロパットを団長とする大リーグオールスターチームを招待。対戦相手を代えて2回連続して日米野球を開催するという変則事態となった。その後は両社間の協議により、1955年からは読売と毎日が交互に主催することになった。
 
 
 
なお、読売主催時にはNPB対MLBの試合が1試合減り、代わりに巨人対MLBの親善試合が日米野球第1戦の前に行われる。
 
 
 
2018年は毎日新聞社が撤退し、代わって[[中日新聞社]]が読売新聞社と共同で主催する。
 
 
 
== 冠スポンサー ==
 
* 1986年:[[富士写真フイルム]](スーパーフジカラーシリーズとして開催)
 
* 1996年:[[サン・マイクロシステムズ|サンマイクロシステムズ]]
 
* 1998年:[[メリルリンチ日本証券]]
 
* 2000年:[[NTTコミュニケーションズ]]
 
* 2002年:[[AIU保険会社]](NHKで放送があったためか、冠スポンサーではなく、MLBチームのスポンサーであったが、民放では冠スポンサー扱いであった)
 
* 2004年、[[日米野球2006|2006年]]:[[イオン (企業)|AEON]]、[[イオングループ]]各社
 
* [[日米野球2014|2014年]]:[[スズキ (企業)|SUZUKI]]
 
 
 
== 開催球場 ==
 
(2000年以降。球場名は当時)
 
; 2000年
 
* 第1、2、3、8戦:[[東京ドーム]]
 
* 第4戦:[[福岡ドーム]]
 
* 第5戦:[[大阪ドーム]]
 
* 第6戦:[[ナゴヤドーム]]
 
* 第7戦:[[西武ドーム]]
 
; 2002年
 
* 第1、5、6、7戦:東京ドーム
 
* 第2戦:福岡ドーム
 
* 第3戦:大阪ドーム
 
* 第4戦:[[札幌ドーム]]
 
; 2004年
 
* 第1、2、3、8戦:東京ドーム
 
* 第4戦:福岡ドーム
 
* 第5戦:大阪ドーム
 
* 第6戦:札幌ドーム
 
* 第7戦:ナゴヤドーム
 
; [[日米野球2006|2006年]]
 
* 第1、2、3戦:東京ドーム
 
* 第4戦:京セラドーム大阪
 
* 第5戦:福岡Yahoo!JAPANドーム
 
; [[日米野球2014|2014年]]
 
* 第1戦:京セラドーム大阪
 
* 第2、3、4戦:東京ドーム
 
* 第5戦:札幌ドーム
 
* エキシビションゲーム:[[那覇市営奥武山野球場|沖縄セルラースタジアム那覇]]
 
; [[日米野球2018|2018年]]
 
* 第1、2、3戦:東京ドーム
 
* 第4戦:[[マツダスタジアム]]
 
* 第5、6戦:ナゴヤドーム
 
* エキシビションゲーム:東京ドーム
 
 
 
== 「日米野球」以外での来日MLBチームとの対戦 ==
 
{| class="wikitable" style="font-size:small; text-align:center"
 
!rowspan="2"|開催年!!rowspan="2"|来日チーム!!colspan="3"|来日チーム!!rowspan="2"|対戦チーム!!rowspan="2"|主なメンバー・備考
 
|-
 
!勝!!分!!負
 
|-
 
|{{By|1966年}}||style="text-align:right"|[[キンタナロー・タイガース|メキシコ・タイガース]](2A)||0||0||13||style="text-align:left"|日本チーム||style="text-align:left"|備考:春のオープン戦として開催。
 
|- style="background-color:#D0E7FF"
 
|{{By|2000年}}||style="text-align:right"|[[シカゴ・カブス]]<br>[[ニューヨーク・メッツ]]||2||0||2||style="text-align:left"|[[読売ジャイアンツ|巨人]]、[[埼玉西武ライオンズ|西武]]||style="text-align:left"|備考:MLB日本開幕戦に先立ち、プレシーズンゲームとして[[東京ドーム]]と[[西武ドーム]]で開催。
 
|-
 
|{{By|2003年}}||style="text-align:right"|[[オークランド・アスレチックス]]<br>[[シアトル・マリナーズ]]||colspan="3"|中止||style="text-align:left"|巨人、西武、[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエー]]||style="text-align:left"|備考:[[イラク戦争]]開戦による情勢不安を理由に中止。
 
|- style="background-color:#D0E7FF"
 
|{{By|2004年}}||style="text-align:right"|[[タンパベイ・レイズ|タンパベイ・デビルレイズ]]<br>[[ニューヨーク・ヤンキース]]||2||1||1||style="text-align:left"|巨人、[[阪神タイガース|阪神]]||style="text-align:left"|備考:MLB日本開幕戦に先立ち、プレシーズンゲームとして東京ドームで開催。
 
|-
 
|{{By|2008年}}||style="text-align:right"|オークランド・アスレチックス<br>[[ボストン・レッドソックス]]||4||0||0||style="text-align:left"|巨人、阪神||style="text-align:left"|備考:MLB日本開幕戦に先立ち、プレシーズンゲームとして東京ドームで開催。
 
|- style="background-color:#D0E7FF"
 
|{{By|2012年}}||style="text-align:right"|オークランド・アスレチックス<br>シアトル・マリナーズ||1||0||3||style="text-align:left"|巨人、阪神||style="text-align:left"|備考:MLB日本開幕戦に先立ち、プレシーズンゲームとして東京ドームで開催。
 
|-
 
|{{By|2019年}}||style="text-align:right"|オークランド・アスレチックス<br>シアトル・マリナーズ|| || || || ||
 
|}
 
<ref>[http://event.yomiuri.co.jp/mlb/history.htm 2012 グループス MLB開幕戦 過去の日本開幕戦]</ref><ref>[http://bis.npb.or.jp/2012/games/mpgm20120325.html 日本野球機構オフィシャルサイト プレシーズンゲーム結果3/25]</ref><ref>[http://bis.npb.or.jp/2012/games/mpgm20120326.html 日本野球機構オフィシャルサイト プレシーズンゲーム結果3/26]</ref>
 
 
 
== 脚注 ==
 
=== 注釈 ===
 
{{Reflist|group="注釈"}}
 
=== 出典 ===
 
<references />
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[日本野球機構]](NPB)
 
* [[メジャーリーグベースボール]](MLB)
 
* [[メジャーリーグベースボールの海外公式戦一覧]]
 
* [[日韓プロ野球スーパーゲーム]]
 
* [[野球日本代表|野球日本代表(侍ジャパン)]]
 
:* [[U-26 NPB選抜 対 大学日本代表]]
 
:* [[東日本大震災復興支援ベースボールマッチ]]
 
:* [[侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」]]
 
 
 
== 外部リンク ==
 
* [http://bis.npb.or.jp/scores/japanvsfor/index_yearlyresults.html 日米野球年度別成績]
 
* [http://www.npb.or.jp/japanus/index.html イオンオールスターシリーズ2006日米野球 日本野球機構]
 
* [http://nichibeiyakyu.com/pc/index.html イオン日米野球2006 YOMIURI ONLINE]
 
* [http://mlb.mlb.com/NASApp/mlb/mlb/events/japan_series/history.jsp Hisotory MLB.com]
 
* [http://home.att.ne.jp/air/mlb/mlbnpb/mlbnpb.html 日米野球の試合結果、来日チーム一覧 MLB Score]
 
* [http://www.japan-baseball.jp/ 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト]
 
* [https://rnavi.ndl.go.jp/kaleido/entry/jousetsu116.php 日米野球交流史]国立国会図書館、平成13年
 
 
 
{{日米野球}}
 
{{MLB}}
 
  
 
{{デフォルトソート:にちへいやきゆう}}
 
{{デフォルトソート:にちへいやきゆう}}
 
[[Category:日米野球|*]]
 
[[Category:日米野球|*]]

2018/12/28/ (金) 10:18時点における最新版

日米野球(にちべいやきゅう[注釈 1]英語Major League Baseball Japan All-Star Series

日本プロ野球(NPB)とメジャーリーグベースボール(MLB)の選抜チームが日本で対戦したシリーズ戦。明治時代から行われていた歴史的な国際野球試合だったが、野球の国際化に伴って、2006年をもって一旦休止されたが、2014年野球日本代表(侍ジャパン)の強化試合として復活した[1]



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  1. かつては隔年開催も…日米野球は“不要”なのか ベースボールキング (2016年11月16日) 2016年12月1日閲覧