日清紡ホールディングス

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日清紡ホールディングス株式会社(にっしんぼうホールディングス、英語名: Nisshinbo Holdings Inc.)は、東京都中央区日本橋人形町本社を構える日本の持株会社。日清紡と省略して呼ばれることが比較的多い。「環境カンパニー」を目標に掲げ、環境・エネルギー分野へ事業シフトを進めている。エレクトロニクス、ブレーキ、精密機器、化学品、繊維などの事業で形成されたコングロマリットを包括するグループ中核企業である。

会社概要

  • 日清紡グループは大きく分けて5分野の事業領域を形成している(1.エレクトロニクス事業、2.ブレーキ事業、3.精密機器事業、4.化学品事業、5.繊維事業)。経営は堅実であることで知られ、含み資産が多いが、近年はその豊富な資産を元に積極的なM&Aを進め、企業規模を急激に拡大させている。
  • 事業の祖業は綿紡績であるが、現在は日本無線グループの無線・通信技術製品を中心としたエレクトロニクス事業および世界トップのシェアを誇る自動車用ブレーキ摩擦材事業が収益源となっている。
  • 2000年代中盤以降、事業領域再編を進めており、M&Aとしては、2004年(平成16年)にアパレルメーカーのCHOYAを皮切りに、2005年(平成17年)は新日本無線TOBで買収、2010年(平成22年)12月には日本無線を子会社化した。結果、エレクトロニクス事業が繊維事業を抜いて最大事業セグメントとなった。尚、新日本無線の買収の際は村上世彰率いる村上ファンドと競合した。2011年(平成23年)11月、ルクセンブルクの大手ブレーキ摩擦材メーカーのTMD Friction Group S.A.を買収し、世界トップシェアの自動車用ブレーキ摩擦材メーカーとなった。2015年(平成27年)には、ワイシャツSAP最大手の東京シャツおよびプラスチック射出成型大手の南部化成を買収した。
  • 新規事業では、燃料電池セパレータや触媒の開発を進めている。
  • 東海道新幹線グリーン車で配布されるコットン製おしぼりは、当社の製品が長年にわたって使用されている。導入時は、奥村啓二(後の副社長 繊維営業本部長・故人)のコットン製品に対する熱烈な営業による。

企業理念

  • 「企業公器」
  • 「至誠一貫」
  • 「未来共創」

キャッチフレーズ

  • せんいからメカトロニクスまで
  • ロマンチックインダストリー
  • いいもの、ず~っと
  • ひらめきがとまらない
  • 地球の相棒
  • いま、必要な会社。(2012年4月〜)

年表

社史

  • 1906年(明治39年) 日清紡績株式会社設立発起人会が開催される。社章が内定する。
  • 1907年(明治40年) 会社が設立される。会長に平沼専蔵、専務取締役に佐久間福太郎、福澤桃介が就任する。
  • 1908年(明治41年)旧亀戸本社工場(現東京都江東区)運転を開始する。
  • 1910年(明治43年) 日比谷平左衛門、会長に就任する。帝国製糸京都工場を買収して、京都工場とする。
  • 1913年(大正2年) 安部幸兵衛、会長に就任する。
  • 1914年(大正3年) 安部幸兵衛、社長に就任する。根津嘉一郎、相談役に就任する。
  • 1915年(大正4年) 高岡紡績を買収して、高岡工場とする。
  • 1919年(大正8年)宮島清次郎、社長に就任する。
  • 1920年(大正9年) 日本橋出張所(現本社)を開設する。
  • 1921年(大正10年) 岡崎紡績と合併、岡崎工場(針崎工場)とする。名古屋工場の操業を開始する。
  • 1922年(大正11年) 中国に青島工場を建設して、操業を開始する。
  • 1924年(大正13年)東京紡績を合併して、西新井工場とする。
  • 1925年(大正14年) 名古屋営業所を開設する。
  • 1926年(大正15年) 大阪出張員詰所を開設する。浜松工場の操業を開始する。
  • 1927年(昭和2年) 帝国紡績の工場を岡崎第三工場(戸崎工場)とする。
  • 1928年(昭和3年) 京都工場を閉鎖する。
  • 1933年(昭和8年)日清レイヨンを設立する。富山工場の操業を開始する。
  • 1937年(昭和12年)川越紡績を買収して、川越工場とする。
  • 1938年(昭和13年) 日清レイヨンを合併、岡崎レイヨン工場(美合工場)とする。
  • 1939年(昭和14年) 西新井工場隣接地に日清紡績科学研究所が完成する。
  • 1940年(昭和15年) 鷲尾勇平、社長に就任する。本社工場を亀戸工場、岡崎工場を針崎工場、岡崎レイヨン工場を美合工場と改名する。
  • 1942年(昭和17年) 愛知物産組を買収して、千種工場とする。亀戸工場の操業を停止する。
  • 1944年(昭和19年) 針崎工場・戸崎工場を三菱重工業へ賃貸する。美合工場、双発爆撃機尾翼を初出荷。西新井工場、航空機用ブレーキライニングの製造を開始する。湖東紡績を統合して、能登川工場とする。中国・青島に青島支店を開設する。
  • 1945年(昭和20年) 桜田武、社長に就任する。南進製機明治工場を買収して、浜松工場吉原分工場(後の富士工場)とする。終戦により、青島工場が接収される。亀戸工場、千種工場、名古屋工場が焼失する。
  • 1946年(昭和21年) 日清紡績労働組合が結成される。
  • 1947年(昭和22年) 事業部を新設して、非繊維事業への本格参入を開始する。
  • 1951年(昭和26年) 本社を日本橋横山町へ移転する。
  • 1952年(昭和27年) 島田工場の操業を開始する。
  • 1958年(昭和33年)徳島工場の操業を開始する。
  • 1959年(昭和34年) 高岡工場の運転を中止する。伊勢湾台風により名古屋工場が被災する。
  • 1962年(昭和37年) 西新井工場を西新井化成工場、浜松工場吉原分工場を吉原製紙工場へ改名する。
  • 1964年(昭和39年)露口達が社長に就任する。
  • 1967年(昭和42年) 藤枝工場の操業を開始する。
  • 1972年(昭和47年)ブラジル日清紡を設立する。
  • 1973年(昭和48年) 山本啓四郎が社長に就任する。島田工場に製紙工場を増設する。
  • 1979年(昭和54年) 中瀬秀夫が社長に就任する。
  • 1981年(昭和56年) 館林化成工場の操業を開始する。能登川工場のバレーチームが全日本実業団、琵琶湖国体で優勝する。
  • 1986年(昭和61年) 田邊辰男が社長に就任する。美合工機工場が発足する。
  • 1987年(昭和62年) 浜北精機工場の操業を開始する。日清紡のビジョンを作成する。美合工場が緑化で内閣総理大臣賞を受賞する。
  • 1988年(昭和63年) 現在のコーポレートマークを導入する。千葉県旭市に旭テストコースを新設する。日清紡国際会議を開催する。
  • 1990年(平成2年) 吉原製紙工場を富士工場に改名する。
  • 1992年(平成4年) 千葉工場(現旭事業所)の操業を開始する。
  • 1993年(平成5年) 本社を東京都中央区日本橋人形町へ移転する。西新井化成工場を東京工場と改称して、舘林化成工場を館林工場へ改称する。ヨーロッパ日清紡を設立する。SSP(スーパーソフトピーチフェイズ)の販売を開始する。
  • 1994年(平成6年) 望月朗宏が社長に就任する。SSPが日経優秀製品・サービスの最優秀賞を受賞する。
  • 1995年(平成7年) インドネシアにニカワ・インダストリーの操業を開始する。米国に日清紡オートモーティブを設立する。
  • 1996年(平成8年) タイに日清紡ソンブーンオートモーティブを設立する。
  • 1997年(平成9年) 米国に日清紡オートモーティブ・マニュファクチャリング・インクを設立する。戸崎工場を閉鎖する。
  • 1998年(平成10年) インドネシアにギステック・ニッシンボウ・インドネシアを設立する。
  • 1999年(平成11年) 千葉市に研究開発センター(現中央研究所)の稼働を開始する。韓国にセロン・オートモーティブ・コーポレーションを設立する。
  • 2000年(平成12年) 指田禎一が社長に就任する。戸崎工場跡地にイオン岡崎ショッピングセンターオープン。コンティネンタル・テーベス(現コンティネンタル・オートモーティブ)を設立する。
  • 2001年(平成13年)能登川工場の操業を停止する。
  • 2002年(平成14年) 日清紡績(上海有限公司を設立する。東京工場の操業を停止する。
  • 2004年(平成16年) CHOYAを子会社化する。浜松工場を閉鎖する。
  • 2005年(平成17年) 新日本無線を子会社化する。豊田工場の運転を開始する。
  • 2006年(平成18年) 岩下俊士が社長に就任する。日本無線、長野日本無線を関連会社化する。富山工場・名古屋工場を閉鎖する。
  • 2007年(平成19年) 創立100周年。針崎工場を閉鎖する。
  • 2008年(平成20年)工場から事業所へ名称を変更する。研究開発センターを中央研究所、千葉事業所を旭事業所へ名称変更する。
  • 2009年(平成21年) 日清紡ホールディングスに商号変更して、新設の日清紡テキスタイル(繊維事業)、日清紡ブレーキ(ブレーキ装置事業)、日清紡ペーパープロダクツ(紙製品事業)、日清紡メカトロニクス(産業機械事業)、日清紡ケミカル(化学製品事業)に事業分割する。既存の子会社も各事業会社の傘下となる。鵜澤静が社長に就任する。中央研究所隣接地に千葉事業所が操業を開始する。川越事業所を閉鎖する。
  • 2010年(平成22年) 日本無線、長野日本無線を子会社化する。
  • 2011年(平成23年) TMD Frictionを子会社化する。
  • 2012年(平成24年) 日清紡ホールディングス製キャパシタがトヨタ・TS030 HYBRIDへ搭載され、FIA 世界耐久選手権(含む、ル・マン24時間レース)へ参戦した。その後、続けてトヨタ・TS040 HYBRIDにも搭載され、2014年は年間チャンピオンとなった(2015年が最終搭載年)。
  • 2013年(平成25年) 河田正也が社長に就任する。
  • 2015年(平成28年) CHOYAを解散。東京シャツ、南部化成を子会社化する。株式の所属業種が、繊維製品から電気機器へ変更となる。
  • 2017年(平成29年) 紙製品事業を大王製紙に譲渡。本体の紙製品事業を子会社の日清紡ペーパープロダクツに会社分割した上で、同社の全株式を大王製紙に売却した[1][2]。日本無線を完全子会社化する。

歴代社長

1.安部幸兵衛
2.宮島清次郎
3.鷲尾勇平
4.桜田武
5.露口達
6.山本啓四郎
7.中瀬秀夫
8.田邊辰男
9.望月朗宏
10.指田禎一
11.岩下俊士
12.鵜澤静
13.河田正也

主な事業会社

エレクトロニクス事業
ブレーキ事業
精密機器事業
化学品事業
  • 日清紡ケミカル
繊維事業
  • 日清紡テキスタイル
    • 東京シャツ
その他事業

ニッシントーア·岩尾株式会社(旧東亜実業)

かつての子会社

グループの主要製造・研究拠点

支社・支店・事務所

過去に存在した拠点

  • 亀戸工場(東京都江東区)
  • 京都工場(京都府京都市)
  • 青島工場(中華民国青島市)
  • 高岡工場(富山県高岡市)
  • 千種工場(愛知県名古屋市千種区)
  • 戸崎工場(愛知県岡崎市)
  • 能登川工場(滋賀県神崎郡能登川町:現・東近江市)
  • 名古屋工場(愛知県名古屋市南区)
  • 東京工場(東京都足立区)
  • 浜松工場(静岡県浜松市浜北区)
  • 富山工場(富山県富山市)
  • 針崎工場(愛知県岡崎市)
  • 川越事業所(埼玉県川越市)・・・2010年1月に解体
  • 美合事業所(愛知県岡崎市)
  • 島田事業所(静岡県島田市
  • 富士事業所(静岡県富士市

関連項目

人物

テレビラジオ提供または提供枠のある番組(全て過去)

日本テレビ系列
テレビ朝日系列
  • クイズタイムショック山口崇司会時代、一時期提供されていた。参加賞にトイレットペーパーやボックスティッシュがプレゼントされていたが、紹介時には「のマークの日清紡」と言っていた。)
フジテレビ系列

CMキャラクター

現在

過去

スポーツとの関連

かつての所属プロ

脚注

外部リンク

  • テンプレート:芙蓉グループ