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'''日本車'''(にほんしゃ)とは、[[日本]]で生産される[[自動車]](日本製自動車)、もしくは日本を本拠とするメーカーやブランドが販売する自動車(日本ブランド車)のことである。日本国内では、国産車とも呼ばれる。
 
 
 
== 概要 ==
 
日本車の特徴は高品質にある。新興市場14地域におけるイメージ調査では、質が良いと思う日本製品として日本車が挙げられている<ref>[http://www.hakuhodo.co.jp/pdf/2009/20090115.pdf 「日本製品」に対するイメージ調査]([[博報堂]]、[[2009年]][[1月15日]]) 新興市場14地域におけるイメージ調査で、質が良いと思う日本製品の4位に挙げられた。</ref>。信頼性・安全性等を考慮した米消費者団体の調査でも、推薦車種に日本車が挙げられることが多い<ref>[http://www.consumerreports.org/cro/cars/new-cars/news/2007/04/top-picks-for-2007-4-07/ Consumer Report.org 2008] Top Picks10車中7車が日本車。</ref><ref name="VDS">[http://www.jdpower.com/corporate/news/releases/pdf/2009043.pdf 自動車耐久品質調査](J.D.パワー) セグメントごとのトップも過半数が日本車で占められる。</ref>。また、信頼性の高い車種・燃費のよい車種でも日本車がリードしている。<!--{{要出典範囲|電子機器の先進性である。}}-->アメリカの自動車耐久品質調査において、[[レクサス]]が1995-2008年まで14年連続でトップだった<ref name="VDS"/>。米国環境保護庁の[[2009年]]燃費ガイドによれば、クラス別燃費ランキングのトップは40車中13車が日本車であった<ref>[http://www.fueleconomy.gov/feg/FEG2009.pdf 米EPA Fuel Economy Guide]</ref>。
 
 
 
[[2008年]]、日本の年間自動車生産台数は1156万台で、世界第1位であった<ref>[http://www.oica.net/category/production-statistics/ OICA Production Statistics 2008]</ref>。
 
 
 
2008年、日本の主要自動車メーカーによる自動車生産台数は2298万2924台で、世界の自動車生産台数6956万1356の33.0%を占めている<ref>[http://oica.net/wp-content/uploads/world-ranking-2008.pdf World Motor Vehcile Production, Ranking by manufacturer, OICA]</ref>。
 
 
 
2013年、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[米国道路安全保険協会|高速道路安全保険協会]]による評価では、安全性で最高評価である「トップセーフティーピックプラス」の基準を満たした22車種のうち、16車種が日本メーカー車両であった<ref>{{cite news |title=「安全な車」ホンダが首位、米調査 22車中日本車が16車種 |newspaper=[[産経新聞]]|date=2013-12-20|url=http://sankei.jp.msn.com/economy/news/131220/biz13122009240004-n1.htm | accessdate=2013-12-21}}</ref>。2014年、[[コンシューマー・レポート]]はブランド別の信頼度順位を発表し、[[レクサス]]、[[トヨタ自動車|トヨタ]]、[[マツダ]]、[[本田技研工業|ホンダ]]の順に、日本勢がトップ4位まで独占した<ref>{{cite news |title=車の信頼度、レクサスがV2 米誌調査、日系が上位独占 |newspaper=[[朝日新聞]] |date=2014-10-28 |url=http://www.asahi.com/articles/ASGBX3DG5GBXUHBI00C.html |accessdate=2014-11-1 |author=畑中徹}}</ref>。
 
 
 
世界主要国の乗用車販売台数に占める、「日本ブランド車」のシェアは以下の通り。
 
* [[アメリカ合衆国]]:41.2%
 
* [[西ヨーロッパ]]全体:13.5%
 
** [[イギリス]]:17.8%
 
** [[ドイツ]]:11.6%
 
** [[フランス]]:8.7%
 
** [[イタリア]]:11.5%
 
* [[スウェーデン]]:15.7%
 
 
 
ただこれらのように性能や品質では評価される一方で[[トップ・ギア|TopGear]]では度々「つまらないモノ」扱いされたりしたように「感性に訴えかける領域に関してはダメ」と言う評価を受けることも間々あり、それは北米での[[サイオン]]ブランド設立の背景にも挙がっていた。
 
 
 
現在は[[日産自動車]]と[[三菱自動車]]が[[ルノー]]、[[三菱ふそう]]が[[ダイムラー]]の傘下に入っているほか、過去には[[スバル]]・[[スズキ]]が[[ゼネラル・モーターズ]]、[[マツダ]]が[[フォード]]の傘下であったことがある。
 
 
 
== 歴史 ==
 
* [[1904年]] 日本車第1号と言われている「山羽式蒸気自動車」が電気技師・山羽(やまば)虎夫によって製作される<ref>[[高知県]][[高知市]]中新町(現在の高知市桜井町)の[[今政猪熊]]が、[[1902年]][[3月]]までに[[大阪]]で製造した[[石油発動機]]車を使って、1902年3月頃から[[1903年]][[7月]]頃まで[[高知市|高知]]~[[伊野町|伊野]]間で[[乗合自動車]]を営業運行したと推察され、これが日本車第1号であった可能性もある。 『日本自動車史 都道府県別 乗合自動車の誕生 写真・史料集』 180頁~183頁 ([[2013年]][[2月26日]]発行 著者:佐々木烈 発行:[[三樹書房]])</ref>。
 
* [[1907年]] 日本車初の[[ガソリン]]自動車「タクリー号」が吉田真太郎と内山駒之助の2人によって約10台製作される。
 
* [[1911年]] [[東京府]][[東京市]]麻布区(現在の[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[麻布]])に「[[快進社]]自働車工場」([[日産自動車]]の源流)を設立し、初のエンジンまでも含めた純国産車を開発した。
 
* [[1916年]] 現存する日本最古の国産自動車、[[機械遺産]]である[[アロー号]]が製作される。
 
* [[1918年]] 日本車初の[[貨物自動車|トラック]]「T.G.E.トラック」が[[東京瓦斯電気工業]](英名略称:T.G.E.)によって生産される<ref name="博物館">[http://www.toyota.co.jp/Museum/data/a03_13_1.html トヨタ博物館 常設展]</ref>。
 
* [[1919年]] 日本車初の量産乗用車「三菱A型」が[[三菱自動車工業|三菱造船]]によって誕生<ref>[http://www.jsae.or.jp/autotech/data/1-3.html 日本の自動車技術240選、自動車技術会]</ref>。
 
[[File:Automo-go reproduction.jpg|thumb|200px|right|[[オートモ号]](復元)。[[国立科学博物館]]の展示。]]
 
* [[1925年]] [[白楊社]]の[[豊川順弥]]が製造した「オートモ号」2台が[[上海市|上海]]に[[輸出]]され、日本車初の輸出車となる。1台は消防の伝令車として使われた(「オートモ号」は約300台製造された。[[1999年]]、[[トヨタ博物館]]と[[国立科学博物館]]の共同プロジェクトで復元され、現在、国立科学博物館に展示されている)。
 
* 1925年 アメリカの[[フォード・モーター]]が[[横浜市|横浜]]に工場を設立し、続けて[[1927年]]には[[ゼネラルモーターズ]]が[[大阪市|大阪]]に工場を設立。両社とも[[ノックダウン生産]]という形で大量生産を行い、[[太平洋戦争]]直前まで操業した。
 
* [[1932年]] [[川越庸一]]([[大同メタル工業|大同メタル]]創業者)が当時の大岩名古屋市長を巻き込み、[[1928年]]に提唱した、「[[中京デトロイト化構想]]」に沿い、大隈鉄工所(現・[[オークマ]])、[[愛知時計電機]]、[[岡本自転車]]、[[日本車輌製造]]の4社共同による、国産初の[[乗用車]]「[[アツタ号]]」が完成、試作1号車を[[名古屋市役所]]が買い上げる。しかし、当時の技術力や社会、経済情勢の前に、企業化計画は頓挫した。
 
* [[1935年]] トヨタ自動車の創業者である[[豊田喜一郎]]がトヨタ初のトラック「トヨダ・G1型トラック」を[[乗用車]]に先駆けて完成させた<ref name="博物館">[http://www.toyota.co.jp/Museum/data/a03_13_1.html トヨタ博物館 常設展]</ref>。[[エンジン]]部品の[[鋳造]]には、「アツタ号」の経験も活かされている{{要出典|date=2009年8月}}。
 
* [[1936年]] トヨタ初の生産型乗用車「[[トヨダ・AA型乗用車]]」を生産<ref name="博物館">[http://www.toyota.co.jp/Museum/data/a03_13_1.html トヨタ博物館 常設展]</ref>。
 
 
 
== 主なメーカー・ブランド ==
 
四輪車
 
[[ファイル:TOYOTA CROWN S210 Royal 01.JPG|250px|thumb|right|トヨタ クラウン]]
 
[[ファイル:NISSAN GT-R Concept(2005 Tokyo Motor Show).JPG|250px|thumb|right|日産 GT-R]]
 
[[ファイル:2008 Honda Odyssey 01.JPG|250px|thumb|right|ホンダ オデッセイ]]
 
* [[トヨタ自動車]]
 
** トヨタ
 
** [[レクサス]]
 
**ダイハツ工業
 
**日野自動車
 
** [[サイオン]] ※現在廃止
 
** [[トヨペット (ブランド)|トヨペット]] ※現在廃止(販売チャンネルとして名は残る)
 
* [[日産自動車]]
 
** ニッサン
 
** [[インフィニティ (日産自動車)|インフィニティ]]
 
** [[ダットサン]]
 
** [[日産プリンス|プリンス]] ※現在廃止
 
* [[本田技研工業]]
 
** ホンダ
 
** [[アキュラ]]
 
* [[マツダ]]
 
** マツダ
 
** [[マツダアンフィニ|アンフィニ]] ※現在廃止
 
** [[ユーノス]] ※現在廃止
 
** [[オートザム]] ※現在廃止
 
* [[富士重工業|SUBARU]]
 
** [[スバル]]
 
* [[三菱自動車工業]]
 
* [[スズキ (企業)|スズキ]]
 
* [[いすゞ自動車]]
 
* [[光岡自動車]]
 
* [[日本エレクトライク]]
 
* [[三菱ふそうトラック・バス]]
 
* [[UDトラックス|UDトラックス(旧:日産ディーゼル)]]
 
二輪車
 
* [[本田技研工業]]
 
* [[スズキ (企業)|スズキ]]
 
* [[川崎重工業]]
 
* [[ヤマハ発動機]]
 
 
 
== 日本国外における日本車 ==
 
[[戦後]]における日本車の本格的な海外[[輸出]]は、[[1949年]](昭和24年)12月1日の[[外国為替及び外国貿易管理法]]、および[[輸出貿易管理令]]を経て、さらに翌[[1950年]](昭和25年)4月の自動車の[[統制]]価格の廃止をもって、原材料の調達、生産、販売、値付けに関する一切の[[規制]]が取り払われ、[[自由貿易|自由化]]がなされるまで待たねばならなかった。また、自動車業界側は、1949年4月に「自動車輸出振興会」を設立し、トヨタ社長の[[豊田喜一郎]]を[[会長]]に据え、輸出再開の準備を進めた。
 
 
 
[[民間人|民間]]輸出業者に続き、メーカーも海外輸出を再開したが、当初の輸出先は[[本土復帰]]前の[[沖縄]]、[[台湾]]、[[タイ王国|タイ]]、[[ブラジル]]が主であった<ref>[http://www.toyota.co.jp/jpn/company/history/75years/text/taking_on_the_automotive_business/chapter2/section9/item2.html 自動車輸出の再開と沖縄でのトヨタ] - トヨタ自動車 75年史</ref>。当初は、第二次大戦後の世界で普及途上であった一方、軍用車両生産によって日本での製造技術蓄積が進んでいた[[ディーゼルエンジン]]搭載の大型トラック・バスが輸出の主力であった。
 
 
 
純粋な輸出による増産ではないが、[[1956年]]から始まった「U.S. Army Procurement Agency in Japan(APA)[[特需]]」も、[[生産技術]]の向上には好機となった<ref>[http://www.toyota.co.jp/jpn/company/history/75years/text/taking_on_the_automotive_business/chapter2/section9/item2_a.html APA特需] - トヨタ自動車 75年史</ref>。
 
 
 
より[[外貨]]の獲得に有利な対米輸出は、[[1957年]]のトヨタの[[トヨタ・クラウン|クラウン]]と[[トヨタ・ランドクルーザー|ランドクルーザー]]から始まった。当時はまだ技術力が低かったため、クラウンは[[オーバーヒート]]や[[焼きつき]]、操縦安定性の欠如、灯火類の[[照度]]不足などで市場不適合の烙印を押され、改良の甲斐もなく早々と輸出中止を余儀なくされたため<ref>[http://www.toyota.co.jp/jpn/company/history/75years/text/taking_on_the_automotive_business/chapter2/section9/item5.html 米国トヨタの設立とクラウンの輸出] - トヨタ自動車 75年史</ref>
 
、設立当初の米国トヨタ(現・[[:en:Toyota Motor Sales, U.S.A., Inc.|TMS]])はランドクルーザーのみに命脈を繋ぐという危機的状況に追い込まれた
 
<ref>[http://www.toyota.co.jp/jpn/company/history/75years/text/taking_on_the_automotive_business/chapter2/section9/item5_a.html 乗用車輸出の中断] - トヨタ自動車 75年史</ref>。
 
 
 
その後各メーカーは欧米の技術を徹底的に模範、研究することで次第に評価が高まっていった{{要出典|date=2009年8月}}。
 
 
 
[[オイルショック]]や[[大気汚染]]問題が深刻化した[[1970年代]]に、ホンダによって[[CVCC]]が開発されるとその高い技術力や省燃費性に注目が集まるようになり、世界での評価は大きく高まった
 
<ref>[http://www.honda.co.jp/news/2000/c000324.html CVCCがSAEから20世紀優秀技術車 1970年代版を受賞](ホンダ、[[2000年]][[3月24日]])</ref>。
 
今では燃費の良さや、工作精度の高さによる故障の少なさ、そして安価である事が評判となり、世界各国で高い人気を得るまでになっている。
 
 
 
[[国交]]のない[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]や、[[サッダーム・フセイン|フセイン]]政権時代の[[イラク]]にも、[[商社]]を通じて輸出(主にトヨタ・[[トヨタ・ハイラックス|ハイラックス]]や、同メーカー[[トヨタ・ハイエース|ハイエース]]など[[ピックアップ]]や大人数が乗車可能な[[ライトバン|バン]])されている。俗に[[トヨタ戦争]]と呼ばれる[[チャド]]政府軍対[[リビア]]軍・反政府軍によるチャド内戦や、[[イラン・イラク戦争]]の際は、両軍ともに日本車を「[[兵器]]」([[テクニカル]])として使用していた。<!--現在これらに関しては廉価な[[中国車]]への移行が進みつつある。-->
 
 
 
[[ロシア連邦]]や[[東南アジア]]、[[南アジア]]、[[西アジア]]、[[アフリカ]]諸国など、多くの国に日本で使用されていた[[中古車]]が大量に輸出されており、ロシアや[[モンゴル国]]などでは、[[対面交通|右側通行]]にもかかわらず右ハンドルのままで使用されている。特に[[商用車]]などは[[日本語]]の[[看板]]が描かれたまま使われているものも多い。
 
 
 
また、日本車に限定されるものではないが、盗難車の輸出も増え続けている。これには、[[自由貿易]]港を持ち、[[ジュベル・アリ・フリーゾーン]]でもある[[ドバイ]]が存在する限り、有効な対策はないといわれている。
 
 
 
イギリスやアメリカなどでは[[日産・スカイライン|スカイラインGT-R]]や[[三菱・ランサーエボリューション|ランサーエボリューション]]、[[スバル・インプレッサ|インプレッサWRX]]などの一部のスポーツモデルがカルト的な人気を誇っている。
 
 
 
[[ブラジル]]では1990年代まで国策により輸入車の販売が原則禁止されており、トヨタが一部車種を現地組み立てするに止まっていた。しかし現在は輸入車の販売が解禁された上に、本田技研工業も現地生産を開始し、更に[[フレックス燃料車]]を発売したのを皮切りにトヨタもフレックス燃料車の生産販売に参入した。
 
 
 
[[アメリカ合衆国|アメリカ]]市場での市場シェアは約35%と高い。[[カリフォルニア州]]に限ると、シェアは45%になり、41%のアメリカ車より高いシェアを記録した([[2006年]])。アメリカメーカーは[[ピックアップトラック]]が販売の中心になっているのに対し、[[セダン]]や[[SUV]]では日本メーカーがリードしている。[[2007年]]、全米最大の新聞である[[USAトゥディ]]紙が発表した「過去25年間に最もインパクトのあった自動車」では、1位・[[トヨタ・カムリ]]([[1992年]]型)、3位・[[トヨタ・プリウス]]([[2001年]]型)、7位・[[レクサス・LS|レクサスLS400]]([[1990年型]])など、トップ10のうち6車が日本車であった<ref>[http://sev.prnewswire.com/publishing-information-services/20070625/DCM00425062007-1.html USA TODAY Continues 25th Anniversary Celebration With Weekly Top 25 Lists]</ref>。
 
 
 
[[ヨーロッパ]]においては、市場シェアは約13.5%であり、[[1999年]]の11.7%から増加している。特にイギリスでは18%近くのシェアがある。ドイツでも輸入車としては最も高いシェアがある。近年、[[トヨタ自動車]]が欧州での販売台数を伸ばしているのに対し、[[日産自動車]]は大きく落としている。
 
 
 
[[オーストラリア]]では50%近くのシェアがある。現地工場を持つトヨタが全(アメリカ、欧州、日本、韓国)メーカーの中でトップシェアである。また、かつては日産や三菱も現地生産したこともあった。
 
 
 
[[大韓民国|韓国]]では、[[1988年]]に自動車の輸入が自由化されたものの、「輸入先多辺化(多角化)制度」と呼ばれる事実上の対日輸入禁止品目において自動車が指定されていたために、日本製自動車に限っては輸入・販売が禁止されていた[http://www.jama.or.jp/lib/jamagazine/200103/06.html]が、その間にも[[韓国車|現地メーカー]]により、[[三菱自動車|三菱]]車や[[マツダ]]車、[[スズキ (企業)|スズキ]]車などをはじめとした多くの車種が現地生産されていた<ref>
 
メーカーと主な車種
 
*[[現代自動車|ヒュンダイ]]:日本車由来は全て三菱(自工/ふそう)。[[ヒュンダイ・グレンジャー|グレンジャー]]([[三菱・デボネア|デボネア]])、[[三菱・パジェロ|ギャロッパー(パジェロ)]]、[[三菱・シャリオ|サンタモ(シャリオ)]]など。後の[[ヒュンダイ・エクウス|初代エクウス]]は三菱との共同開発([[三菱・プラウディア|プラウディア]]/[[三菱・ディグニティ|ディグニティ]])である。
 
*[[起亜自動車|キア]](亜細亜自動車含む):マツダ車が多い。[[マツダ・ボンゴ|ボンゴ]]、[[キア・プライド|プライド]]/[[キア・アベラ|アヴェラ]]([[フォード・フェスティバ]])、タウナー([[ダイハツ・ハイゼット]])など。
 
*[[韓国GM]](旧デーヴ):元々GMとの関係が強く、日本車ではスズキやいすゞが多い。[[大宇・ティコ|ティコ]]([[スズキ・アルト|アルト]])、[[スズキ・キャリイ|ラボ(キャリイ)]]/[[スズキ・エブリイ|ダマス(エブリイ)]]、[[いすゞ・ジェミニ|ジェミニ/メプシ]]、[[いすゞ・エルフ|エルフ]]。例外として[[大宇・アカディア|アカディア]]([[ホンダ・レジェンド]])、[[日産・バネット|バネットトラック]]などもある。
 
*[[ルノー三星自動車|ルノーサムソン]]:ルノー資本が入る前から日産車・UD車を生産。[[ルノーサムスン・SM5|SM5]]([[日産・セフィーロ|セフィーロ]]→[[日産・ティアナ|ティアナ]]、[[ルノーサムスン・SM3|SM3]](初代のみ[[日産・シルフィ|ブルーバードシルフィ]])、[[日産ディーゼル・ビッグサム|ビッグサム]]など。</ref>。日本車の販売は、同制度が[[1998年]]6月をもって撤廃された後に開始された。日本車に乗ることに対する心理的な後ろめたさがあるとも言われたが、[[2005年]]以降は[[レクサス]]が輸入車販売の第1位となっている他、ホンダや[[インフィニティ (日産自動車)|インフィニティ]]の販売も好調である[http://www.chosunonline.com/article/20060103000005]。近年は[[米韓自由貿易協定]]により、米国製日本メーカーの車も徐々に増えてきている(トヨタ・カムリ、[[トヨタ・シエナ]]、[[日産・アルティマ]]など)。
 
 
 
[[台湾]]([[中華民国]])でも[[21世紀]]に入るまでは日本を含むアジア製やオーストラリア製の完成車輸入を禁止していたため、日本のメーカーは現地企業と合弁でKD生産に力を入れていた。中でも日産のモデルを生産していた[[裕隆汽車]](ユーロン、[[:en:Yulon|Yulon]])は[[1960年代]]から創業を始めている。
 
 
 
[[中華人民共和国|中国]]では、2008年の「日本ブランド」(現地生産車と日本からの輸出車の合計)のシェアは21%で、外資としてトップである<ref>[http://hakusanjin.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/426-28df.html 日経新聞2009年4月26日朝刊](視点面からの転載、個人blog、2009年[[8月23日]])</ref>。
 
 
 
[[インド]]では、[[マルチ・スズキ]]([[スズキ (企業)|スズキ]]の子会社)が60%近いシェアを握っている。
 
 
 
=== 現地生産の開始 ===
 
前述のように、[[1960年代]]以降、日本製自動車は世界各地に輸出されていたが、日本の自動車生産台数が世界一になった以降の[[1980年代]]後半頃から、いわゆる[[貿易摩擦]]([[ジャパンバッシング]])の激化や円高、相手国の政策上の都合(関税、輸入制限など)などにより、トヨタや日産など主要なメーカーでは、アメリカ・ヨーロッパ・南アメリカ・中国・台湾・ASEANといった、世界の主要な地域に現地生産工場を設立し、日本から技術が移管されて、現地で日本ブランドの自動車が生産される割合が多くなっている。
 
 
 
当初は日本から主要な部品などを輸出していたことが多かったが、やがて主要な部品の現地調達率も高まりつつあり、外国拠点の主導で改良、設計された車種も現れるようになった。外国拠点で生産された一部の車種は日本にも輸入されている。
 
 
 
== 日本国外の文化にみる日本車 ==
 
[[アメリカ合衆国]]では、チューンアップした日本車([[スポーツコンパクト]]:スポコン)をライス・バーナー(Rice burner)あるいはライス・カー(Rice car)、日本の[[オートバイ]]メーカーのスポーツバイクをライス・ロケット(Rice rocket)と呼んでいる。{{要出典範囲|date=2014年1月13日 (月) 13:08 (UTC)|特に[[ホンダ・CR-X]]や[[ホンダ・インテグラ]]、[[ホンダ・シビック]]、[[三菱・エクリプス]]等の比較的小型な車両を使って派手に改造した車両が人気であり、日本車限定の違法なドラッグレースが横行していたこともある。理由として、車両自体が安価であり、修理も比較的簡単かつ燃費もアメリカンスポーツ車より優れ、尚且つチューニングパーツの種類が非常に豊富と言う事も人気の理由として挙げられる(特に日本車は、世界的に見ても[[アフターマーケット]]市場が隆盛で、[[USDM (自動車)|北米向け市場]]もそうであるが、[[JDM|日本市場向けパーツ]]をそのまま輸入して装着する愛好家も多数存在する)}}。
 
 
 
日本車をテーマのひとつにした[[映画]]『[[ワイルド・スピード]]』(原題:"''The Fast and the Furious''")は、アメリカを中心に全世界でヒットし、[[ワイルド・スピードシリーズ|シリーズ]]化されている。
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{Reflist}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[日本における自動車]]
 
* [[イギリス車]]
 
* [[ドイツ車]]
 
* [[フランス車]]
 
* [[イタリア車]]
 
* [[アメリカ車]]
 
* [[スウェーデン車]]
 
* [[韓国車]]
 
* [[中国の自動車産業]]
 
 
 
== 外部リンク ==
 
* [http://www.jama.or.jp/index.html 日本自動車工業会]
 
* [http://www.jada.or.jp/index.html 日本自動車販売協会連合会]
 
* [http://www.toyota.co.jp/Museum/data/a03_13_1.html#3 トヨタ博物館]
 
 
 
{{日本関連の項目}}
 
 
 
{{Car-stub}}
 
 
 
{{デフォルトソート:にほんしや}}
 
[[Category:各国の自動車]]
 
[[Category:自動車の歴史]]
 
[[Category:日本の科学技術]]
 

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