日本社会党

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(にっぽんしゃかいとう、にほんしゃかいとう 英語: Social Democratic Party of Japan)

日本の政党。1945年11月2日,第2次世界大戦前の無産政党各派を糾合して結成された。1947年の衆議院議員総選挙で第1党となり,民主党国民協同党と連立して片山哲内閣を組織し,続く民主党主導の芦田均内閣にも協力,党員を入閣させた。しかし,公約の社会主義的政策を実現することができず,1949年の総選挙では議員数を激減させた。1951年に対日講和条約の賛否をめぐって左派と右派に分裂,1955年の統一回復までの時期に左派社会党は日本労働組合総評議会(総評)との結合を緊密化し,勢力を伸長した。1960年1月西尾末広派を中心とした右派の一部が脱党して民主社会党を結成。綱領には平和的,民主的方法による社会主義の実現,議会主義平和革命がうたわれているが,党内労農派マルクス主義者から右派構造改革論者(江田三郎)までの幅広い人的構成となっている。内政では護憲,外交では反日米安全保障条約非武装中立論が政策の基調だった。1986年9月,土井たか子が委員長に就任。日本憲政史上初の女性党首として人気を呼び,1988年の参議院議員通常選挙では与野党逆転を果たし,1990年2月の総選挙では 136議席を獲得した。しかし 1993年7月の総選挙ではわずか 70議席しか獲得できず,結党以来の惨敗となり山花貞夫委員長が引責辞任,新生党などと細川護煕連立内閣を形成した。1994年4月細川内閣総辞職後の統一会派結成の是非をめぐり連立政権から離脱,自由民主党新党さきがけと組み,村山富市が片山哲以来 47年ぶりの社会党首相となった。同時に政権政党として党の路線を民主・リベラルに転換した。1996年1月5日村山首相は辞意を表明,橋本龍太郎自民党総裁に首相の座を譲った。同 1月19日の社会党第64回定期大会で党名を社会民主党(略称社民党)に変更,これにより日本社会党の名称は消滅した。