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{{出典の明記|date=2010年3月}}
 
 
[[File:World_newspapers.JPG|thumb|right|240px|新聞]]
 
[[File:World_newspapers.JPG|thumb|right|240px|新聞]]
'''新聞'''(しんぶん)は、[[事件]]、[[事故]]や[[政治]]や[[経済]]や[[芸能]]やスポーツや国際情勢などの動向などの[[ニュース]]を報じるための[[メディア (媒体)|メディア]]で、[[記事]][[文章]]や[[写真]]、図面などが[[紙]]([[新聞紙]])に[[印刷]]され[[製本|綴じ]]ていないものである。
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'''新聞'''(しんぶん)
  
「ポスト」を名に冠する新聞が存在しているのは、[[帝国郵便]][[神聖ローマ帝国]])が自前の新聞を発行していたことに由来する<ref>A.Dresler: Die Post als Title in Publizistik und Presse, in: Archiv für Postgeschichte in Bayern (1930), S.114-116.</ref>。
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ニュース,意見,特集など,大衆が関心をもつ情報を提供する日刊や週刊などの定期刊行物([[マス・メディア]])。[[号外]]も含まれる。ただし題字があって表紙がないものをさし,表紙がある[[雑誌]]と区別される。[[広告]]もしばしば掲載される。
  
== 概説 ==
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現代の新聞のさきがけとされるものは,古代ローマの壁新聞[[アクタ・ディウルナ]]と,中世末にドイツの[[アウクスブルク]]の豪商[[フッガー家]]が配布した手書きの回報である。イングランドでは,戦争や災害,公的な慶事の話題は時事報道の本や小冊子で伝えられた。1513年の[[フロッドンの戦い]]でのイングランド勝利を目撃したという記事が最古の例である。1600~20年に,[[活字]][[印刷]]された定期的新聞がドイツ,イタリア,ネーデルラントで現れた。外国の雑誌記事を集めた「コラント」は,アムステルダムで 1620年に発行され,英語・フランス語にも翻訳された。同じ頃江戸時代の日本では[[瓦版]]が発行された。イギリスでは「コラント」が 1621年にロンドンで刊行され,1640年代に時事解説本が新聞のかたちをとりはじめた。最初の日刊紙は『デーリー・クーラント』(1702~35)であるが,[[議会]]は 1771年まで議事の報道を認めなかった。『[[ロンドン・タイムズ]]』(1785)と『オブザーバー』(1791)が相次いで創刊され,高級紙のモデルとなった。ドイツでは,[[三十年戦争]](1618~48)の影響で新聞の発刊が遅れた。当時のヨーロッパでは[[検閲]]が行なわれたが,1766年スウェーデンで[[報道の自由]]が初めて法律で認められた。フランス最初の日刊紙は『ジュルナル・ド・パリ』(1771)で,第2次世界大戦まで続いた『[[ジュールナル・デ・デバ]]』も 1789年に創刊された。アメリカ合衆国で最初の新聞『パブリック・オカレンシズ』(1690)はボストンで創刊されたが,まもなく植民地総督によって禁止された。1704年,週刊の『ボストン・ニューズレター』が,1719年『ボストン・ガゼット』が創刊された。イギリスの植民地で最初に発行された独立した新聞は『ニュー・イングランド・クーラント』(1721)とされる。1735年中傷記事を掲載したとして逮捕された新聞発行人[[ジョン・ピーター・ゼンガー]]が,事実に基づく批判であったと認められて無罪になった([[ゼンガー事件]])。報道の自由はやがて[[アメリカ合衆国憲法]]の修正第1条(1791)で保障された([[言論の自由]])。
新聞は世界規模の出来事から国内外、地域内、さらには[[コミュニティ]]の内部などの情報伝達手段として様々なものが発行されている。その中でも新聞社と呼ばれる新聞・[[報道]]を専門とした会社組織・[[報道機関]]が発行する新聞は情報の影響する範囲が広範囲であり、[[マスメディア]]と呼ばれる。影響力は発行部数にほぼ比例する。小さなコミュニティの内部にも存在する場合があり、例えば学校のクラス・部活動などで発行する[[学級新聞]][[学生新聞]]、地域で発行する地域広報などがある。
 
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File:Lisboa - Newspapers (1261040258).jpg|様々な新聞([[リスボン]]
 
  
|ブランケット判新聞を広げた様子([[バチカン]]紙)
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19世紀初頭,発行部数は 5000部以下が普通であったが,自動植字,高速印刷,通信,輸送の技術革新によって大量出版が可能になり,英米の新聞が読者拡大と値下げの先鞭をつけた。『ロンドン・タイムズ』は 1815年の 5000部(1部 7ペンス)から19世紀半ばには 5万部(同 5ペンス)へと部数を伸ばした。1833年,最初の 1ペニー紙として『サン』がニューヨークで創刊された。1835年『[[ニューヨーク・ヘラルド]]』が創刊され,幅広い報道や娯楽性の重視など,近代的な新聞編集を方向づけた。女性の権利擁護と[[奴隷制廃止運動]]を推進した[[ホレス・グリーリー]]は,独立系の『ニューヨーク・トリビューン』(1841)を創刊した。1851年同じく独立系の『[[ニューヨーク・タイムズ]]』が創刊された。19世紀半ばのアメリカでは日刊紙が 400,週刊紙が 3000刊行されていた。ニューヨークでは [[AP]]の前身が組織され(1848),ロンドンではポール・J.ロイターが新聞社向けの海外報道サービスを開始した(1858。[[ロイター]])。ニューヨークの[[ジョーゼフ・ピュリッツァー]](『イブニング・ワールド』)と[[ウィリアム・ランドルフ・ハースト]](『ニューヨーク・ジャーナル』)の競争は,1890年代にスキャンダル記事の氾濫([[イエロー・ジャーナリズム]])とそれへの反発を招いた。一方,西ヨーロッパでは多数の新聞が政治・文学的な[[機関紙]]になった。イギリスの[[アルフレッド・ハームズワース・ノースクリフ]]は 1896年に全国紙『[[デーリー・メール]]』を創刊し,発行部数を増やすために大幅に値下げし,収入の大半を広告で得た。ノースクリフはまた初のタブロイド版『[[デーリー・ミラー]]』を 1903年に導入した。アメリカで最初のタブロイド版は『ニューヨーク・デーリー・ニュース』(1919)でセックスとスキャンダル記事を売り物にした。20世紀初頭,アメリカの新聞発行紙数は頂点に達した(日刊紙 2000以上,週刊紙 1万4000以上)。1920~30年代も競争が続き,複数紙に配給される[[コラムニスト]]やできあいの特集の利用が増え,まんがや[[クロスワードパズル]]などの娯楽が発達した。最初の新聞チェーンが[[エドワード・ウィリス・スクリップス]]により 1890年代に組織され,アメリカの日刊紙の半数が約 10の大新聞チェーンに支配されるようになった。20世紀後半には世界中で統合と合併がみられた。
File:Handelstidningens Veckoblad.jpg|紙質は悪く、古くなると変色する([[スウェーデン]]紙)</gallery>
 
=== 主な分類 ===
 
{| class="wikitable"
 
!視点!!分類肢
 
|-
 
|刊行間隔
 
|
 
*日刊紙
 
*週刊紙
 
*旬刊紙
 
*月刊紙
 
*季刊紙
 
|-
 
|配布地域
 
|
 
*[[全国紙]]
 
*[[ブロック紙]]
 
*[[地方紙]]
 
|-
 
|内容
 
|
 
*一般紙
 
*[[専門紙|経済紙]]
 
*[[スポーツ新聞|スポーツ紙]]
 
*[[予想紙]]
 
|-
 
|発行の性格
 
|
 
*[[機関紙]]
 
*商業紙
 
*業界紙
 
*[[学生新聞]]
 
|-
 
|読者の社会的地位
 
|
 
*高級紙
 
*大衆紙
 
|-
 
|メディア形態
 
|
 
*[[壁新聞]]
 
*[[瓦版]]
 
*[[回覧板]]
 
|-
 
|価格
 
|
 
*無料
 
*有料
 
|-
 
|言語
 
|
 
*自然言語
 
*点字
 
|}
 
  
=== 新聞と社会 ===
+
日本では幕末に最初の民間新聞『[[海外新聞]]』が創刊され,慶応4(1868)年には本格的な『[[中外新聞]]』が発行,明治になって最初の日刊紙『横浜毎日新聞』([[東京横浜毎日新聞]]),『[[東京日日新聞]]』『[[郵便報知新聞]]』など,のちの有力紙が相次いで創刊された。
新聞は、取り扱う範囲内で様々な情報を盛り込むことを特徴としており、その対象層の中で広く読まれることや逐次性・速報性が重視されている。情報の伝達を使命としている点で同じ紙メディアでもそれ自体が強い個性を持つ[[書籍]][[雑誌]]とは大きく異なる。そのため、使われる紙の質は悪く保存性は低い。
 
  
[[ラジオ放送|ラジオ]][[テレビ放送]][[インターネット]]が発達した現代社会においては速報性で優位に立てず低迷傾向にありながらも利用者にとって取り扱いが簡便であることや共有性の高さなどから依然情報メディアとしての地位は揺らいでおらず、多くの人々にとって安価で多様な情報を入手するための有力手段の一つとして今なお存在感を保っており、概ねどの国でもある程度の規模の都市であれば[[鉄道駅]]や[[商店]]・街頭で販売又は掲示されている様子を見ることができる。
+
通商,民族,宗教などの利益団体向けに編集された新聞も多数存在する。2004年現在,アメリカでは 1486紙,イギリスでは 109紙,ドイツでは 347紙,フランスでは 101紙,ロシアでは 250紙,日本では 108紙の日刊紙が発行された。国際的なニュースの多くは,ロイター,AP,[[UPI]][[AFP]]といった[[通信社]]を通じて配給される。([[ジャーナリズム]]
  
<gallery>
+
== 外部リンク ==
Image:Street Scene - Salta - Argentina.jpg|売店販売
+
{{テンプレート:20180815sk}}
File:Man reading Las Últimas Noticias.jpg|現代文明社会では、多くの人々にとって安価で多様な情報を入手するための有力手段
 
File:Moffitt Library main entrance newspaper display boards 3.JPG|大学図書館前に掲出される新聞
 
File:Distributing newspaper extra 2 20100602.jpg|市中で「号外」を配布している様子
 
File:NYC subway riders with their newspapers.jpg|ほとんど場所を選ばず読みやすい(列車内)
 
</gallery>
 
 
 
== 制作過程 ==
 
[[File:Web-fed offset press printing newspapers.jpg|thumb|right|240px|[[輪転印刷機]]による印刷の様子]]
 
概ね下記のようになっている。
 
# 企画・構想
 
# 取材・撮影
 
# 記事執筆
 
# 原稿チェック
 
# 校閲 - レイアウト後の場合がある
 
# レイアウト - 見出し制作・価値判断も行われる
 
# 編集・割付・組版
 
# 校正
 
# フィルム・刷版制作
 
# 印刷
 
# 梱包・発送
 
 
 
== 歴史 ==
 
=== 前史 ===
 
ローマ帝国期のアルバムとも言われた、[[アクタ・ディウルナ]]<ref>北岡敬『そこが知りたい【事始め】の物語』雄鶏社</ref><ref name="横山">樺山紘一『図説 本の歴史』</ref>が手書きの公報として存在した。紙製としては中国の[[唐]]時代の[[713年]] - [[734年]]頃に作られた{{仮リンク|開元雑報|en|Kai Yuan Za Bao|label={{Lang|zh|開元雑報}}}}が存在した。16世紀、活版印刷が可能となり、ドイツで、ニュースを記述したビラやパンフレット形式の印刷物が出版されていた({{仮リンク|フルークブラット|de|Flugblatt<!-- [[:ja:チラシ]] とリンク -->}})など)。これらは不定期であった。
 
 
 
=== 近代 ===
 
[[1605年]]、世界初の週刊新聞「{{Lang|en|Relation}}」が、ストラスブールで{{仮リンク|ヨハン・カロルス|en|Johann Carolus}}によって創刊され<ref>朝日新聞2010年9月17日国際面より</ref>、1650年、世界初の日刊紙{{仮リンク|アインコンメンデ・ツァイトゥイング|de|Einkommende Zeitungen|label=ライプツィガー・ツァイトゥイング}}<ref>[[1921年]]まで存在した。同名の{{仮リンク|ライプツィガー・ツァイトゥイング|de|Leipziger Zeitung}}([[1946年]] - [[1948年]])は、[[ソ連]]占領下で作られた別の出版物である</ref>(週6日)が創刊された<ref name="横山"/>。17世紀半ばには、ニュース本が定期的に出版されるようになった。特にイギリスでは[[清教徒革命]]や[[名誉革命]]を通じてニュース出版が発展し、日刊新聞や地方週刊新聞も出版されるようになった。18世紀には、いろいろな新聞を読み放題の[[コーヒー・ハウス]]が登場した。裕福な商工業者である[[ブルジョワジー]]が新聞を元に政治議論を行い、貴族の[[サロン]]と同じように論壇を形成した。
 
 
 
こうして新聞が一般化した18世紀に入ると、[[アメリカ独立戦争]]や[[フランス革命]]などの[[市民革命]]が起きるようになるが、この過程で新聞は世論の形成に大きな役割を果たし、樹立された新政府においては[[自由権]]の一部として法的に[[言論の自由]]が認められるようになった<ref>「歴史の中の新聞 世界と日本」門奈直樹 p14(「新聞学」所収)日本評論社 2009年5月20日新訂第4版第1刷</ref>。
 
 
 
欧米では、19世紀の[[産業革命]]による都市人口の増加や社会変化に伴い、新聞の大衆化が進んだ<ref>「ジャーナリズムの社会的意義と新しいメディア」鈴木謙介 p131(「新聞学」所収)日本評論社 2009年5月20日新訂第4版第1刷</ref>。日曜新聞のような大衆新聞が成長し、[[印刷機]]の発達やロール紙の採用、[[広告]]の掲載などにより[[労働者]]階級に低価格で販売できるようになった<ref>吉見俊哉『メディア文化論』ISBN 978-4641121904</ref>。[[1884年]]には[[オットマー・マーゲンターラー]]が[[ライノタイプ]]と呼ばれる鋳植機を発明し、これによって印刷工が一行ごとにまるごと活字を鋳造できるようになったことで新聞の印刷スピードおよびコストが改善され、より安価に新聞が発行できるようになった<ref>「図説 世界史を変えた50の機械」p49 エリック・シャリーン著 柴田譲治訳 原書房 2013年9月30日第1刷</ref>。
 
 
 
つまり21世紀現在のような新聞の出現は[[産業革命]]以降のヨーロッパからであり、産業を支える上で大きな存在となった。これは後に[[マスマーケティング]]の手法の一環としても用いられるようになり、企業の広告活動にも一役買うようになった。
 
 
 
日本には江戸時代には[[瓦版]]が存在し、大事件などの際に[[木版]]で摺られ発行されていた。現存する最古の瓦版は[[1614年]] - [[1615年]]の[[大坂の陣]]を記事にしたものである。幕末になると新聞と名付けられたものがいくつか発行されるようになり、[[1862年]]に最初の新聞『官板バタビヤ新聞』、[[1870年]]には日本初の日刊紙である『横浜毎日新聞』が創刊された<ref>「図説 本の歴史」p97 樺山紘一編 河出書房新社 2011年7月30日初版発行</ref>。{{See also|日本の新聞}}
 
 
 
== 語源 ==
 
「新聞」という言葉は古来の日本語にはない。この語の初出は、北宋時代に編纂された唐王朝の歴史書『[[新唐書]]』だとされている。新唐書の芸文志には、唐時代に書かれた書物の一覧があるが、その中に「尉遲樞に、『南楚新聞』三卷あり」とある。ここでいう「新聞」とは今の日本語でいう「風聞」つまり「news」という意味であった。この定義での「新聞」は、清の時代にも書かれていた。例えば、乾隆帝が編纂させた『四庫全書総目提要』では、清の魏裔介の「資麈新聞」という書物を紹介している。これは現在の週刊誌のように雑説をいろいろな本から寄せ集めたもので、怪奇現象や陰陽道の話、李自成の乱や琉球王国の話などが書かれているが、虚偽の内容、現代でいういわゆる飛ばし記事が多く、『四庫全書総目提要』の編者は「編集方針がメチャクチャで間違いが百出している」と批判している。
 
 
 
清朝末期に欧米人が中国で「{{Lang|en|newspaper}}」を発刊し、現地の中国人たちもこれを真似て新聞を発刊した際、古来の「{{Lang|zh|新聞}}」という言葉を当てて「{{Lang|zh|新聞紙}}」と呼んだ。[[中国語]]では、21世紀現在も「{{Lang|zh|新聞}}」を {{Lang|en|news}} の意味で使い<ref>「新聞とジャーナリズム」桂敬一 p118(「新聞学」所収)日本評論社 2009年5月20日新訂第4版第1刷</ref>、テレビの[[報道番組|ニュース番組]]などのタイトルにも使用される。なお、中国語における {{Lang|en|newspaper}} は「{{Lang|zh|報紙}}」である。一方、朝鮮語では「新聞」のハングル表記である「신문」が「{{Lang|en|newspaper}}」を意味する。
 
 
 
日本語には明治時代に英語の「{{Lang|en|news}}」に相当する訳語として、この中国語が取り入れられ、「{{Lang|en|news}}」を「{{Lang|zh|新聞}}」、「{{Lang|en|newspaper}}」を「{{Lang|zh|新聞紙}}」と呼ぶようになった。夏目漱石の小説の中でも {{Lang|en|newspaper}} は新聞紙であり、昭和初期に書かれたものの中にも、{{Lang|en|newspaper}} を新聞紙と呼んでいるものがある。[[新聞紙条例]]、[[新聞紙法]]などの「新聞紙」は「{{Lang|en|newspaper}}」の意味である。
 
 
 
その後「新聞紙」を「新聞」と略すようになった。それに伴い「新聞紙」を「{{Lang|en|newspaper}}」の意味で使うことは減り、紙自体を指すようになった<ref>「新聞とジャーナリズム」桂敬一 p118(「新聞学」所収)日本評論社 2009年5月20日新訂第4版第1刷</ref>。一方、「日刊紙」「全国紙」「各紙」など、「新聞」の意味で「紙」という漢字が使われることもある。
 
 
 
現代英語では「{{Lang|en|newspaper}}」を「{{Lang|en|paper}}」と略すことがある(「{{Lang|en|today's paper}}」=「今日の新聞」など)。また公民の権利を守るという意味合いから、古代ローマの公職である[[護民官]]に由来する「トリビューン」を社名や紙名に入れている新聞社も多い([[シカゴ・トリビューン]]など)<ref>「歴史の中の新聞 世界と日本」門奈直樹 p13(「新聞学」所収)日本評論社 2009年5月20日新訂第4版第1刷</ref>。
 
 
 
== 日本の新聞 ==
 
{{Main|日本の新聞}}
 
日本では新聞購読率が高く、[[新聞販売店]]による新聞の[[戸別宅配制度]]が他国に類をみないほど発達している。またその価格に関しても[[再販売価格維持|再販制度]]によって守られてきた。
 
 
 
しかしながら、2000年代のインターネット普及とインターネットメディアの発達により、若年層のみならず中高年層も含め(世界的な傾向として)新聞離れの進行、新聞を印刷する紙価格の高騰、 また総発行部が1997年の5377万部をピークに2008年には5179万部に<ref>(社)日本新聞協会「新聞発行部数調査」</ref>、広告費も1990年の13592億円から2008年の8276億円に<ref>電通「日本の広告費」</ref>、それぞれ減少するなどその経営環境は厳しさを増している。各新聞社は[[日本経済新聞]]の「日経電子版」など、記事のネット配信に力を入れつつあり、日経電子版のように一定の会員数を確保しているメディアも存在している。新聞の専門家である[[河内孝]]は、新聞社は今後携帯電話会社やポータルサイトと連携して、情報産業の問屋として存続するのではないかと予測している。一部に[[フリーペーパー]]に注目する向きもあるが、収益の殆どを広告収入に依存するフリーペーパーの経営は苦しいところが多く、21世紀になってから廃刊が相次いでおり、新聞に代わる主要メディアとしての地位を得ることは難しいと言われている。
 
 
 
== インターネット新聞 ==
 
* [[インターネット]]黎明期の[[1994年]]から[[21世紀]]現在まで一部の[[ローカル紙]]は除いた新聞各社の[[ホームページ]]が開設されているとともに、一般市民が記者となって参加できる「インターネット新聞」が続々と創刊している。また、アメリカの報道大手により携帯型端末[[iPad]]専用の有料新聞も発刊されることになった<ref>2011年2月3日の朝日新聞朝刊11面</ref>。
 
* [[ウィキニュース]]や市民メディア・インターネット新聞・[[JANJAN]]が挙げられる。
 
* 欧米の新聞社はインターネット新聞の普及に伴い、記事を公開するタイミングについて紙媒体よりもウェブ媒体を優先させる[[ウェブ・ファースト]]と呼ばれる方針を打ち出してきている。
 
*この他、前述のとおり「日経電子版」や「ウォール・ストリート・ジャーナル電子版」など、有料会員を新聞社が募って、記事を配信する仕組みも出来つつある。
 
  
== その他 ==
 
* [[図書館]]などの公共施設で新聞が閲覧に供される場合にはクリップホルダー(長い綴じ具)に挟んで「'''新聞架'''」と呼ばれる専用ラックに載せることが多い。
 
* 新聞の創刊号からの通算の号数(あるいは創刊年からの通算年数)を「'''紙齢'''(しれい)」という。
 
* [[通話表#和文通話表|和文通話表]]で、「[[し]]」を送る際に「'''新聞のシ'''」という。
 
* 東宝特撮映画では怪獣襲撃や怪事件の時「毎朝新聞」など架空の新聞名に現実の事件を織り混ぜながらその事件をトップ記事にした架空の新聞を印刷した。なべやかんを初め特撮ファンは収集している。
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist}}
 
 
== 関連項目 ==
 
{{Sisterlinks|commons=Newspaper}}
 
* [[新聞一覧]] - [[日本の新聞一覧]] - [[:en:List of the oldest newspapers]](新聞の創刊年の一覧)
 
* [[新聞配達]]
 
* [[新聞販売店]]
 
* [[新聞拡張団]]
 
* [[号外]]
 
* [[日本の新聞]]
 
* [[世界の新聞]]
 
* [[切り抜き帳]]
 
 
== 外部リンク ==
 
*[http://jww.iss.u-tokyo.ac.jp/publishments/issrs/issrs/pdf/issrs_48.pdf 戦間期日本の新聞産業]加瀬和俊編、東京大学社会科学研究所研究シリーズ No. 48、東京大学社会科学研究所、2011
 
 
{{DEFAULTSORT:しんふん}}
 
{{DEFAULTSORT:しんふん}}
 
[[Category:新聞|*]]
 
[[Category:新聞|*]]
 
[[Category:紙製品]]
 
[[Category:紙製品]]
 
[[Category:印刷物]]
 
[[Category:印刷物]]

2018/9/1/ (土) 08:30時点における最新版

新聞

新聞(しんぶん)

ニュース,意見,特集など,大衆が関心をもつ情報を提供する日刊や週刊などの定期刊行物(マス・メディア)。号外も含まれる。ただし題字があって表紙がないものをさし,表紙がある雑誌と区別される。広告もしばしば掲載される。

現代の新聞のさきがけとされるものは,古代ローマの壁新聞アクタ・ディウルナと,中世末にドイツのアウクスブルクの豪商フッガー家が配布した手書きの回報である。イングランドでは,戦争や災害,公的な慶事の話題は時事報道の本や小冊子で伝えられた。1513年のフロッドンの戦いでのイングランド勝利を目撃したという記事が最古の例である。1600~20年に,活字印刷された定期的新聞がドイツ,イタリア,ネーデルラントで現れた。外国の雑誌記事を集めた「コラント」は,アムステルダムで 1620年に発行され,英語・フランス語にも翻訳された。同じ頃江戸時代の日本では瓦版が発行された。イギリスでは「コラント」が 1621年にロンドンで刊行され,1640年代に時事解説本が新聞のかたちをとりはじめた。最初の日刊紙は『デーリー・クーラント』(1702~35)であるが,議会は 1771年まで議事の報道を認めなかった。『ロンドン・タイムズ』(1785)と『オブザーバー』(1791)が相次いで創刊され,高級紙のモデルとなった。ドイツでは,三十年戦争(1618~48)の影響で新聞の発刊が遅れた。当時のヨーロッパでは検閲が行なわれたが,1766年スウェーデンで報道の自由が初めて法律で認められた。フランス最初の日刊紙は『ジュルナル・ド・パリ』(1771)で,第2次世界大戦まで続いた『ジュールナル・デ・デバ』も 1789年に創刊された。アメリカ合衆国で最初の新聞『パブリック・オカレンシズ』(1690)はボストンで創刊されたが,まもなく植民地総督によって禁止された。1704年,週刊の『ボストン・ニューズレター』が,1719年『ボストン・ガゼット』が創刊された。イギリスの植民地で最初に発行された独立した新聞は『ニュー・イングランド・クーラント』(1721)とされる。1735年中傷記事を掲載したとして逮捕された新聞発行人ジョン・ピーター・ゼンガーが,事実に基づく批判であったと認められて無罪になった(ゼンガー事件)。報道の自由はやがてアメリカ合衆国憲法の修正第1条(1791)で保障された(言論の自由)。

19世紀初頭,発行部数は 5000部以下が普通であったが,自動植字,高速印刷,通信,輸送の技術革新によって大量出版が可能になり,英米の新聞が読者拡大と値下げの先鞭をつけた。『ロンドン・タイムズ』は 1815年の 5000部(1部 7ペンス)から19世紀半ばには 5万部(同 5ペンス)へと部数を伸ばした。1833年,最初の 1ペニー紙として『サン』がニューヨークで創刊された。1835年『ニューヨーク・ヘラルド』が創刊され,幅広い報道や娯楽性の重視など,近代的な新聞編集を方向づけた。女性の権利擁護と奴隷制廃止運動を推進したホレス・グリーリーは,独立系の『ニューヨーク・トリビューン』(1841)を創刊した。1851年同じく独立系の『ニューヨーク・タイムズ』が創刊された。19世紀半ばのアメリカでは日刊紙が 400,週刊紙が 3000刊行されていた。ニューヨークでは APの前身が組織され(1848),ロンドンではポール・J.ロイターが新聞社向けの海外報道サービスを開始した(1858。ロイター)。ニューヨークのジョーゼフ・ピュリッツァー(『イブニング・ワールド』)とウィリアム・ランドルフ・ハースト(『ニューヨーク・ジャーナル』)の競争は,1890年代にスキャンダル記事の氾濫(イエロー・ジャーナリズム)とそれへの反発を招いた。一方,西ヨーロッパでは多数の新聞が政治・文学的な機関紙になった。イギリスのアルフレッド・ハームズワース・ノースクリフは 1896年に全国紙『デーリー・メール』を創刊し,発行部数を増やすために大幅に値下げし,収入の大半を広告で得た。ノースクリフはまた初のタブロイド版『デーリー・ミラー』を 1903年に導入した。アメリカで最初のタブロイド版は『ニューヨーク・デーリー・ニュース』(1919)でセックスとスキャンダル記事を売り物にした。20世紀初頭,アメリカの新聞発行紙数は頂点に達した(日刊紙 2000以上,週刊紙 1万4000以上)。1920~30年代も競争が続き,複数紙に配給されるコラムニストやできあいの特集の利用が増え,まんがやクロスワードパズルなどの娯楽が発達した。最初の新聞チェーンがエドワード・ウィリス・スクリップスにより 1890年代に組織され,アメリカの日刊紙の半数が約 10の大新聞チェーンに支配されるようになった。20世紀後半には世界中で統合と合併がみられた。

日本では幕末に最初の民間新聞『海外新聞』が創刊され,慶応4(1868)年には本格的な『中外新聞』が発行,明治になって最初の日刊紙『横浜毎日新聞』(東京横浜毎日新聞),『東京日日新聞』『郵便報知新聞』など,のちの有力紙が相次いで創刊された。

通商,民族,宗教などの利益団体向けに編集された新聞も多数存在する。2004年現在,アメリカでは 1486紙,イギリスでは 109紙,ドイツでは 347紙,フランスでは 101紙,ロシアでは 250紙,日本では 108紙の日刊紙が発行された。国際的なニュースの多くは,ロイター,AP,UPIAFPといった通信社を通じて配給される。(ジャーナリズム

外部リンク



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