新栄電機産業
株式会社新栄電機産業(しんえいでんきさんぎょう)は、1959年 - 2003年に存在した日本の家電量販チェーン。テレビCMでは海野かつをを起用。2003年2月13日に約16億円の負債を抱え東京地方裁判所に自己破産を申請し、営業を停止した。
概略
新栄電機産業は、1959年に創業、1965年8月に法人化した家電量販店である。東京都葛飾区亀有の本店を始め、東京の城東地区を中心に、千葉県、埼玉県にチェーン展開を行っていた。コーポレートカラーは黄色地に赤で、本店ビルは外壁が黄色くペイントされ、入口には『新栄電機産業』と赤文字で大書されていた。社名は、創業社長の新井栄一に由来している。
後述するテレビCMで関東地方にて高い知名度を誇り、1989年2月期で55億円を売り上げるまでに成長したが、1990年代に入ると個人消費の不振に加え、他社との競合の激化などから売上が低迷。店舗の閉鎖や人員削減などのリストラを進めるも、バブル期の拡大策による借入金の負担が重かったうえ、2002年2月期の売上が26億円と全盛期からほぼ半減するなど事業の好転が望めず、2003年2月13日に約16億円の負債を抱え東京地方裁判所に自己破産を申請し、営業を停止した。
テレビCM
1970年代半ばより、主に日本テレビの昼のワイドショー枠や平日16時の再放送枠『青春アワー』または『青春アクションシリーズ』[補足 1]で海野かつをを起用したCMを放映。再放送枠では番組スポンサーにもなっていた[1][補足 2]。海野バージョンのCMはインパクトの強い物であった[2] 。
CMは3パターンあり、
- 初期バージョン
- 海野が、折込チラシを読んで安さに驚き、「チラシだ。電話しなくちゃ」と急いで電話注文する客(アライ)と、柏店のオーディオフロアを走り回りダイハツ・ハイゼットで配達に赴く店員の、1人2役で出演
- 中期バージョン(1979年? - 1990年頃)
- 海野に加えて、黄色地に赤文字『S』の帽子と、同じく黄色地に『新栄電機』と朱記されたTシャツ、白のホットパンツ・ハイソックス・スニーカーで統一した14名の若手女性軍団が登場。軽快なジャズピアノに乗せて、「ファイト、ファイト、新栄」の掛け声で円陣を組んだり、「安いわよ~ん」と秋波を送ったりした後、カセットテープレコーダーから流れる「キミキミ、アライだよ」[補足 3]の声に海野が脱帽し、ひたすら恐縮するオチ。竹の塚店で撮影された[補足 4]。
- 後期バージョン (1990年代初頭)
- バブル景気後期に制作されたVTR収録によるCM。海野は出演しなかった。
海野は初期バージョンのCM出演当時、病気療養から再起を目指していたが、新井社長の説得を受け入れ、結局芸能界を引退して同社に就職。竹の塚店の店長として接客に励む傍ら、中期バージョンのCMにも出演し、堀切レコードショップで歌手のキャンペーンが行われる際には司会も務めていた。
このほか、TBSラジオでも「おはようからおやすみまで、今がホットな新栄電機」というフレーズのラジオCMが放送されていた。
最盛期の店舗網
東京都
千葉県
埼玉県
脚注
補足
出典
参考文献
- 東京商工リサーチ TSR情報 2003年2月17日号 11面
- 『泉麻人の僕のTV日記―ちょっといい84の話』(泉麻人・文化創作出版・1991年) ISBN 489387036X
- 『何様のつもり』(ナンシー関・角川文庫・1997年) ISBN 4041986028
外部リンク
- 株式会社新栄電気産業 - 亀有中央商店街振興組合サイト記事