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{{Infobox オウム真理教徒
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|名前 = 新実 智光
 
|画像 =
 
|説明 =
 
|生年 = {{生年月日と年齢|1964|3|9|no}}
 
|生地 = [[愛知県]][[岡崎市]]
 
|没年 ={{死亡年月日と没年齢|1964|3|9|2018|7|6}}
 
|没地 ={{JPN}} [[大阪府]][[大阪市]][[都島区]]([[大阪拘置所]])
 
|出身校 = [[愛知学院大学]]
 
|ホーリーネーム = [[ミラレパ]]
 
|階級 = [[正大師]]
 
|役職 = 自治省大臣
 
|入信 = [[1986年]]
 
|出家 = [[1987年]][[9月]]
 
|事件 = [[坂本堤弁護士一家殺害事件]]<br />[[松本サリン事件]]<br />[[地下鉄サリン事件]]
 
|判決 = 死刑(執行済み)
 
|配偶者 = 元信者(獄中結婚)
 
|現在 =死亡(刑死)
 
}}
 
新実 智光(にいみ ともみつ、または新實 智光<ref>[http://www.cnet-sc.ne.jp/canarium/trial/4-6.html 麻原彰晃さんこと松本智津夫被告への東京地裁 判決文-2004.2.27] [[カナリヤの会]]</ref>、[[1964年]][[3月9日]] - [[2018年]][[7月6日]])は元[[オウム真理教]]幹部。[[ホーリーネーム]]はミラレパ。教団内での[[オウム真理教の階級|ステージ]]は正大師で、教団が[[省庁制 (オウム真理教)|省庁制]]を採用した後は自治省大臣だった。[[1986年]]に教団の前身である[[オウム神仙の会]]が最初に開催したセミナーから出席。[[岡崎一明]]や[[大内利裕]]と並ぶ古参信徒で、[[宗教法人]][[オウム真理教]]の九人の「設立時責任役員」の一人。<ref name="kosan">降幡賢一『オウム法廷‐グルのしもべたち 下‐』p.169</ref><!-->[[1986年]]の[[オウム真理教]]の最初に開かれたセミナーから出席し、[[岡崎一明|宮前一明]]や[[大内利裕]]と並ぶ古株。</-->[[坂本弁護士一家殺害事件]]、[[松本サリン事件]]の実行犯。[[地下鉄サリン事件]]では運転手役。[[2010年]][[2月]]に[[日本における死刑|死刑]]が確定<ref name="courts">[http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/817/005817_hanrei.pdf 平成7年刑(わ)894号等犯人蔵匿,犯人隠避,殺人,殺人未遂,監禁,死体損壊被告事件 判決文]</ref>。[[2018年]][[7月6日]]、[[大阪拘置所]]で死刑が執行された<ref>{{Cite news|title=オウム真理教 松本死刑囚ら7人に死刑執行 {{!}} NHKニュース|last=日本放送協会|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180706/k10011514211000.html|accessdate=2018-07-06|language=ja-JP|work=NHKニュース}}</ref>。
 
 
 
== 人物 ==
 
[[1964年]]([[昭和]]39年)[[廃品回収|資源回収業]]の両親の元に[[愛知県]][[岡崎市]]にて生まれる<ref name="courts"></ref>。
 
 
 
===少年期、青年期===
 
岡崎市内の小学校、中学校、[[愛知県立岡崎東高等学校]]を卒業。
 
 
 
中学では水泳部に所属し、野口英世をめざして東大医学部から医者になる夢を描いていた。<ref name="nicyu">降幡賢一『オウム法廷‐グルのしもべたち 下‐』p.170</ref>
 
 
 
その風貌から「[[空海]]」というあだ名をつけられ友人にも恵まれるが、その陰で、生まれつきあった口唇の傷([[口唇口蓋裂]])や小柄で痩せていたことから集中的ないじめに遭う。<ref>中島尚志『オウムはなぜ消滅しないのか 』 p.79</ref>中学の卒業文集では「かろうじてがまんしてきましたが、いつ、怒りが爆発して何が起こるかわからない……そのままにしておいて、人殺しでも起こしてしまってからでは、とりかえしができません。……現状に対し、臆病になるな。逃避は敗北である」と書き綴っている。<ref name="nicyu"></ref>
 
 
 
<!-->その風貌から「[[空海]]」というあだ名をつけられたこともある。友人に恵まれ学校生活を楽しむが、生まれつきあった口唇の傷([[口唇口蓋裂]])に苦しみ、[[いじめ]]に遭う<ref>中島尚志『オウムはなぜ消滅しないのか 』 p.79</ref>。さらに</-->
 
高校受験~高校生時代に地元の[[東岡崎駅]]で目撃した2度の自殺事故に衝撃を受け<ref>降幡賢一『オウム法廷12』 p.123</ref>、「死とは何か」を考え[[精神世界]]に興味をもつようになる。<ref name="TKHS-69">高橋典史「引き返せない道のり ―なぜ麻原の側近となり犯罪に関与していったのか」(宗教情報リサーチセンター『<オウム真理教>を検証する』 p.69-116)</ref>麻原の言う「苦を感じなければ修行の道に入らない」との鉄則を高校時代から感じていた。
 
 
 
高校在学中から[[崇教真光]]や[[阿含宗]]に入信するが、求めるものが無く脱会。読書に打ち込んだり、[[仙道]]的なことや[[瞑想]]を行うが次第に宗教から遠ざかり、[[空手]]など肉体的鍛錬に興味が移り、[[極真空手]]に短期間入門<ref name="maha">マハーヤーナ([[1988年]] NO.1O号)</ref><ref name="TKHS-69"/>。
 
<!--
 
高校時代に、傷や病気が治ると信じ、ある宗教団体に入信するが、[[教義]]は「入信しない者の魂は、神の意思によって滅ぼされる」というものであった。新実は、そこには何ら神の愛はない、単なる神の[[エゴイズム]]に過ぎぬと感じ脱会する。これは新実にとって、最初の[[宗教]]への挫折となる。 -->
 
また、高校時代よりオカルト雑誌『[[ムー (雑誌)|ムー]]』を創刊号から愛読していた([[学研]]『高一コース』に掲載されていた広告がきっかけ)<ref name="TKHS-69"/>。
 
 
 
===オウムとの出会い===
 
その後、[[愛知学院大学]]に入学。大学時代からは『トワイライト・ゾーン』も読むようになった<ref name="TKHS-69"/>。友人の勧めで大学時代の終わりに、再び別の宗教団体に入信するものの、同様に「よいことをしない魂は滅びる」との教義に「存在というものは、この神々の将棋の駒に過ぎないのか、いつでもその神々の意思によってなくなるのだろうか」との思いをいだく。しかし、新実は「私は決してそうではない、私たちには本当の力があるはずだ、神と同じレベルの魂が内在するはずだ」と感じるに至る。このため、神が持つとされる霊力を自分自身も持ちたいと考えるようになる。
 
 
 
このときにオカルト雑誌『[[ムー (雑誌)|ムー]]』や『[[トワイライトゾーン]]』などで[[麻原彰晃]]の[[空中浮揚]]の記事が目にとまり<ref name="courts"></ref>、[[ヒヒイロカネ]]のプレゼントに応募したことがきっかけで、大学卒業間近の[[1986年]]正月、オウムの前身「[[オウム神仙の会]]」のセミナーに参加し、すぐに入会し会員となるが、その際に送られてきた運命鑑定書には、新実が自分では認めたくない隠していた内面が書かれていた。シャクティーパットとこの運命鑑定書により、一気に傾倒を深め行法を続けると赤と青の光が見えるようになり、著しい精神的変化が起こった。
 
 
 
=== 神秘体験 ===
 
麻原彰晃に惹かれたのは、他の宗教の多くが「神の啓示を受けた」とするものが多いのに比し、麻原は自分自身で修行をし苦難を乗り越えた「どこにでもいるような人」であったからだという。最初のセミナーで、新実はその雰囲気が自分自身が求めていたものと直感する。そこでバイブレーションに浸りながら修行することで身体の浄化作用を実体験し、[[宿便]]が出たり、体調の回復を実感する。この[[神秘主義|神秘体験]]によって、深く麻原に帰依するに至る。当初は半信半疑であったもののその考えは180度転換する。
 
 
 
[[シャクティーパット]]により、[[アストラル体]]の浮遊を感得し、体が痺れ多大な至福感を覚える。このときに「麻原に一生付いていくほかない」と確信する。このときの体感を「生死を越える」に詳しく書いている。麻原に礼を言い、道場へ行くと、突然肉体の[[クンダリニー]]が昇り、シャクティー・チャクラーが起こる。ムーラ・バンダ、ウディヤーナ・バンダが起こり、その後背中の方が盛り上がり、首のところでジャーランダラ・バンダが起こり、頭の方へすっと抜けた感じがした。これが精神集中や[[マントラ]]を唱えるだけで自分自身で抑えられないほどに、すぐに起こるようになる。新実自身によれば「この霊的な変化が本当に自分の内面で起こったことをきっかけとして、やっと信に目覚めさせてもらった」という。
 
 
 
卒業後は地元で、[[味噌|みそ]]などを製造する[[食品]][[会社]][[マルサンアイ]]に[[就職]]し営業担当となるが、その後、勤務先でも上司の信頼を得、新入社員の代表にもなることができ業務成績も優秀で、会社始まって以来のもっとも優秀な新入社員とまで評価されるようになった<ref name="maha"></ref>。
 
 
 
しかし、その後心が現実生活に向かったため「[[魔境]]」に陥り二度も[[交通事故|自動車事故]]を起こした。[[1987年]]5月の[[ゴールデンウィーク]]の前頃から[[事故]]の[[ヴィジョン]]が見え始める。通常なら事故のヴィジョンは否定するが、新実は事故を実際に起こせばどうなるかという気持ちが沸き起こり、時速120㎞で[[田んぼ]]に突っ込んだことがあった。麻原のシャクティーパットや霊的な体験によって守られているという自信があったため、死なない確信があった。普通なら否定すべき誘惑に引っかかったと感じ、後にそれを「魔境」で「暴力のカルマ」だったと受け取った。5月に新実は「魔境へ入り込んだ」と信じ込み、悩んだ末に会社を半年で[[自己都合退職|退職]]。家族には「ヨガの修行を二、三年積んでくる」と言い残し連絡を絶つ。
 
 
 
==出家後==
 
=== ミラレパ ===
 
[[1987年]][[9月]]にセミナーでサンガ(出家制度)が結成されたことを知り、即[[出家]]を決意。[[五体投地]]や麻原の手伝いを行う。サンガで麻原の元で修行を積み、11月には魔境から出たと感じた。先の「暴力のカルマ」は「女性に対してのカルマ」に変化していったと感じる。当時の容貌を「強姦魔」のようだったと感じ、[[潜在意識]]が[[表層意識]]に現れ、心に落ち着きがなくなったと感じていた。その後、オウム内での本の営業のワークに集中することで魔境から脱したという<ref name="maha"></ref>。
 
 
 
新実はシッディの経験が豊富で、光が見えたり、変化身が抜け出したり、[[過去世]]を思いだすなどの経験があった。[[空中浮揚]]の前段階といわれる[[ダルドリー・シッディ]]が[[ツァンダリー]]のセミナー頃から起こりはじめ激しい[[クンダリニー]]の突き上げがあった。頭が空白になり跳んでいる間も意識がない状態を経験するが、それをきっかけにグル・ヨーガ、ツァンダリーの瞑想を始め[[チャクラ|サハスラーラ]]に精神集中するだけでぴょんぴょん跳ねだすようになる。この時は寝てもたっても跳ね回っていたため、麻原が[[ヒヒイロカネ]]をバケツ一杯持たせたが、それでも飛び跳ねていた。
 
 
 
その後、15日間にわたる独房修行にて[[三昧境]]に入り黄色い光に包まれ、意思のヨーガーであるラージャ・ヨーガの成就者[[宝生如来|ラトナサンバヴァ]]と同一化して黄色の化身となり、光の中に没入した状態となり、それを「無ではなく[[空 (仏教)|空]]」の状態と感じ例えようのない至福感を味わう。その瞑想の最中に麻原からの電話で[[成就]]したことを告げられる。この新実の成就に関して麻原は「最後のエネルギーの固定はまだまだだが、成就と判断したのは[[六神通]]の中で過去世をかなり見た、ダルドリー・シッディが早くから起きている、[[グル]]を意識すると快感状態になるという条件を満たしている」とコメントした<ref name="maha"></ref>。
 
 
 
また、[[前世]]に並々ならぬ興味を持っており、他の信者とも前世を話題にすることが多かった。麻原の4女の[[松本聡香]](ペンネーム)を追い回しては「さとちゃんはどこから来たの」と聞いていたが、聡香が1度だけ[[チベット密教]]の[[カギュ派]]の僧侶の名前を思いつきで答えたところ、[[逮捕]]されたあとに面会に来た信者に伝え広めた<ref name="watashihanaze">松本聡香『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか』([[徳間書店]] 2010年3月)ISBN 4198627533、ISBN 978-4198627539 </ref>。
 
 
 
[[1987年]][[12月3日]]、24歳のときに[[オウム真理教]]内の独房に2週間こもり、[[ヨーガ#クンダリニー・ヨーガ_(Kundalini_yoga)|クンダリニー・ヨーガ]]を成就したと麻原彰晃に認定され、大師のステージとミラレパの[[ホーリーネーム]]を授けられる。
 
 
 
[[1990年]]2月、[[第39回衆議院議員総選挙|衆議院議員選挙]]に[[真理党]]候補として[[東京都第10区 (中選挙区)|東京10区]]から出馬し落選した。麻原から「選対に貼り付けっていったじゃないか」と怒られた際の音声が流出している<ref>東京キララ社編集部『オウム真理教大辞典』 p.81</ref>。
 
 
 
=== 事件への関わり ===
 
[[1989年]]、麻原の指示により[[オウム真理教男性信者殺害事件|男性信者殺害事件]]に関与。男性信者を羽交い絞めにした末にロープで絞殺する手筈であったが男性信者の抵抗に遭い、慌てた末に男性信者の首の骨を折って殺害してしまう。続いて[[坂本堤弁護士一家殺害事件]]の実行役に指名され、坂本家に侵入し、坂本の妻(当時29歳)らを絞殺。
 
 
 
当初男性信者殺害事件では犯行後、茫然自失に陥り、後悔の念をあげたりしていた。坂本弁護士一家殺害事件の際にも精神的に不安定になり、山に死体を埋めにいった時には、[[新潟県|新潟]]の海岸でひとり呆然としていたり<ref>『オウム法廷12』 p.347</ref>、「もう死体と一緒にひとりで長時間いるのはごめんです。なんか気が変になってきそうや」と言ったという<ref>早川紀代秀『私にとってオウムとは何だったのか』 p.159</ref>。だが[[中川智正]]や[[端本悟]]とそれぞれ5日間独房に監禁されたり、麻原から与えられた「悪業によって地獄に至っても本望だ」などという詞章を数万回唱えるなどして洗脳され<ref name="wa894">[http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/817/005817_hanrei.pdf 平成7年刑(わ)894号 平成14年7月29日 東京地方裁判所]</ref><ref>『オウム法廷12』 p.164</ref>、その後、数年間教団の信者の指導、監督、スパイ、拷問などを担当、苦しませるのを楽しんでいるような雰囲気すら持つようになっていった<ref>江川紹子『「オウム真理教」裁判傍聴記1』 p.165</ref>。
 
 
 
[[1990年]]、[[真理党]]の敗北により麻原は大規模テロを指示。新実も[[オウム真理教の国家転覆計画#首都圏ボツリヌス菌散布計画|ボツリヌス菌テロ計画]]に関与し、[[北海道]]で土壌を採取したり、実験用マウスを購入するなどして協力。浄水場付近に散布していた際に[[日本の警察|警察]]に検挙されたこともあった<ref name="wa894">[http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/817/005817_hanrei.pdf 平成7年刑(わ)894号 平成14年7月29日 東京地方裁判所]</ref>。
 
 
 
[[1990年]][[4月]]、[[石垣島セミナー]]を取材しに来ていた[[江川紹子]]と遭遇。棒を持ってつきまとい、体を押したり、江川に「夜道に気をつけろ」「月夜の晩ばかりではないぞ」と脅していた(後に[[江川紹子ホスゲン襲撃事件]]として本当に襲った)<ref>江川紹子『「オウム真理教」追跡2200日』 p.188-190</ref>。
 
 
 
[[1990年]][[7月8日]]、26歳のときにマハー・ムドラーの成就を認定され、正悟師となる。
 
 
 
[[1992年]]9月教団の[[ロシア]]進出に伴い、[[オウム真理教モスクワ支部]]の初代支部長を務めながら頻繁に[[日本]]との間を往復する<ref>[[江川紹子]]『「オウム真理教」追跡2200日』p.500-517</ref>。
 
 
 
[[1993年]]の[[池田大作サリン襲撃未遂事件]]では第2次攻撃で防毒マスクを外したせいで[[サリン]]を大量に吸引し重体に陥り[[村井秀夫]]、[[遠藤誠一]]から[[人工呼吸]]を受け[[オウム真理教附属医院]]に搬送され、[[治療]]の結果一命を取り留めた。
 
 
 
[[1994年]][[1月30日]]、[[薬剤師リンチ殺人事件]]に関与。被害者の薬剤師男性の処罰について「帰すと被害者の会やマスコミに話したりするのでポアしかない」と殺害を支持した<ref>降幡賢一『オウム法廷2 上』 p.78</ref>。
 
 
 
=== 自治省大臣 ===
 
新実はその後も殆どのオウム事件に関与することとなる。
 
 
 
教団内では信者の監督・監視を行い、[[省庁制 (オウム真理教)|省庁制]]施行後は信者を監督する自治省大臣となっている。[[オウム真理教男性現役信者リンチ殺人事件]]では凄惨な拷問を主導、[[温熱療法 (オウム真理教)|温熱療法関連事件]]では 教団内で禁止されている男女交際をした教団元仙台支部長に温熱修行を強要し死亡させる(事故として処理され立件されず)<ref>東京キララ社編集部『オウム真理教大辞典』 p.102、江川紹子『「オウム真理教」裁判傍聴記2』 p.162</ref>、[[温熱療法 (オウム真理教)|温熱療法]]に疑問をもって教団を出た看護師を拉致するなど、残忍な犯行を繰り返していた。
 
 
 
毒ガス関係では[[江川紹子ホスゲン襲撃事件]]、[[駐車場経営者VX襲撃事件]]、[[会社員VX殺害事件]]、[[オウム真理教被害者の会会長VX襲撃事件]]で実行犯の一人。[[松本サリン事件]]では警備役、[[地下鉄サリン事件]]では[[東京の地下鉄]][[東京メトロ千代田線|千代田線]]でサリンを散布した[[林郁夫 (オウム真理教)|林郁夫]]の送迎役であった。地下鉄サリン事件では人が倒れているのをテレビで見て「[[グル]]の意思を達成できて嬉しかった<ref name="spo3">[http://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/social/368995/ 新実死刑囚まだ洗脳状態 法廷で「サリンは救済の一環] - 東京スポーツ /2015/2/20</ref>」という。
 
 
 
一方で[[オウム真理教男性信者リンチ殺人事件|男性信者リンチ殺人事件]]で麻原に指示されたマイクロウェーブ焼却炉での殺害を避けたり、[[オウム真理教男性信者殺害事件|男性信者殺害事件]]の被害者が地獄ではなく[[シロクマ]]に転生したことを聞いて安堵したり、[[松本サリン事件]]で[[共犯]]者に対して犯行前に意志の確認を行ったりする、買い食いが趣味などと人間味も見せていた<ref>毎日新聞社会部『オウム「教祖」法廷全記録4』 p.259</ref>。[[オウム真理教の階級|ステージ]]の低い信者に対しても礼儀正しい一面もあった<ref>森達也『A4』 p.121</ref>。[[土谷正実]]は、新実らが[[松本サリン事件]]のときに「[[魔法使いサリー]]」の歌を合唱していたという話を聞き、「新實さんのギャグには俺もいろいろと困ったもんだったが、[[中村昇 (オウム真理教)|中村昇]]さんもいい迷惑だったろうな」と書いている<ref>[http://www.s-a-t.org/sat/sarin/20030918b.html オウム裁判対策協議会/サリン事件の詳細な実態、および事件の謎/サリン事件にまつわる各種資料/土谷正実2003年9月18日上申書]</ref>。
 
 
 
=== 裁判 ===
 
[[1995年]][[4月12日]]、[[霞が関|霞ヶ関]]の[[マンション]]で逮捕される<ref name="j103" />。取調官には「自分を尊師と一緒に[[日比谷公園]]で[[公開処刑]]してほしい」と言ったとされる<ref>『オウム法廷12』 p.39</ref>。[[逮捕 (日本法)|逮捕]]後、大乗のヨーガの成就を認定され正大師に昇格。
 
 
 
一連の[[オウム真理教事件]]で計11件で26人の殺人に関与したとして[[殺人罪 (日本)|殺人罪]]などに問われた。死者26人は麻原彰晃の27人に次ぐ死者数である。
 
 
 
法廷では、「尊師と一緒に断罪されたい」「[[ポア (オウム真理教)|ポア]]は慈悲の心による救済」と麻原崇拝とオウムの思想を捨てることなく、最後まで事件の正当性を主張し、「私自身は、[[千年王国]]、[[弥勒]]の世のためには、捨て石でも、捨て駒でも、地獄へ至ろうと決意したのです。つまり、多くの人の喜びのために、多くの人の救済のために、この身体、この生命を投げ捨てて殉じようと覚悟したのです<ref>『オウム法廷12』 p.32</ref>」と語り、「[[日本シャンバラ化計画]]([[オウム真理教の国家転覆計画]])が実現させられず申し訳ない」と別の意味での謝罪を行った。贖罪としては死刑となり、[[来世]]において真理勝者になることしかないとした<ref>『オウム法廷12』 p.32</ref>。また、[[内乱罪]]の適用を主張した<ref name="j103">東京キララ社編集部『オウム真理教大辞典』 p.103-104</ref>。
 
 
 
{{Cquote|私が出来る償いは、それは、一つは、「死刑」になって「捨身供養」すること。そして、もう一つは[[来世|未来際]]に真理勝者となり、すべての人の苦しみを死滅させ、絶対的自由・幸福・歓喜を与えることが出来るよう[[菩薩]]としての修行をすることです。しかし、私の場合それでも重過ぎて償いきれるかどうかわかりません。<br>グル・シヴァ大神、すべての真理勝者方、どうか私の償いができますように。そして、すべての人が、この苦しみの世界から解放されますように。<br>なお、公訴事実については、被告人質問の際にすべてを正直にお話します。(新実智光被告意見陳述)<ref>降幡賢一『オウム法廷12』 p.32</ref>}}
 
 
 
麻原の[[裁判]]に証人として出廷した際には麻原を守るためか[[黙秘権|黙秘]]することもあったが、自分の裁判では「オウムの正史を残すため」「起訴された中で、私ほど自分の心を直視し、真摯に向き合っている人はいない」として、事件の全貌を率直かつ正確に答えた<ref>降幡賢一「オウム法廷12」p.264</ref>。やがて麻原の裁判でも、尊師は悟っておられるから問題ないはずとして事件の内容を語り始めた。麻原に帰依している者が事件の詳細を語ったことは、結果的にオウム犯罪の大きな証左となった。麻原は新実に「消えろ」「破門だ」などと怒鳴り証言妨害をしようとする場面もあった<ref>『オウム法廷12』 p.32, 152, 231, 265</ref>。
 
 
 
第一審・[[控訴|控訴審]]と[[日本における死刑|死刑]][[判決 (日本法)|判決]]を受け、[[上告]]したが[[2010年]][[1月19日]]に[[棄却]]。[[2月16日]]に判決に対する[[最高裁判所 (日本)|最高裁]]への訂正申し立ても棄却され死刑が確定した。[[オウム真理教事件]]で死刑が確定するのは10人目<ref>[http://www.47news.jp/CN/201001/CN2010011901000439.html オウム事件の新実被告死刑確定へ 10人目、最高裁上告棄却] [[47NEWS]] 2010/1/19</ref>。
 
 
 
被害者に対しては、「オウムの犯罪の原点とされる富士山総本部のリンチ殺人事件から最後に関わった地下鉄サリン事件まで、すみませんとか申し訳ないとか言うつもりはありません。それを言うくらいなら、最初からしなければいいのです<ref>毎日新聞社会部『元信者への死刑判決 (オウム「教祖」法廷全記録)』</ref>」、「全ては因果応報。罪の無い人達が亡くなったのではなく何らかの原因がある<ref>『オウム法廷12』 p.263</ref>」と、決して最後まで謝罪しなかった。[[論告]][[求刑]][[公判]]では[[検察官|検察]]側が論告を読み上げるのを声をあげて笑っていた<ref>『オウム法廷12』 p.268</ref>。
 
 
 
獄中からも、信者たちへ教義の指導を続けていた。[[2006年]]7月から[[2007年]]4月までの1年間文通をしていた麻原の四女松本聡香から「責任も取れないのに、そんなことをするのはよくないのではないか」と疑問を呈される。四女との面会の際に新実が「すべてはシヴァ神の意思なのですよ」というのに対し、四女が激しく反発したところ、「責めないでほしい、責めるならやり取りはやめる」と言い、それ以降二人の交流はなくなる。また、死刑執行に備え[[転生]]の準備をしている、(アレフの上祐派独立騒動に対し)[[仏陀]]になるまで論争に興味を持たないと四女に伝えた<ref>松本聡香『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか』 p.212</ref>。
 
 
 
== 死刑確定後 ==
 
[[2012年]][[8月]]に獄中結婚した[[アレフ]]信者の妻が、[[2013年]]、知人をアレフへ入信強要したとして逮捕され、有罪判決を受けた。
 
 
 
[[2015年]]、[[高橋克也 (オウム真理教)|高橋克也]]の裁判に証人として出廷した。麻原への帰依は変わっていなかった<ref name="spo3"/>。
 
 
 
[[2018年]](平成30年)からは[[安田好弘]][[弁護士]]を担当に[[再審]]請求を行っていた<ref>[https://thepage.jp/detail/20180417-00000007-wordleaf 安田好弘弁護士が会見(全文1)政権批判の対抗措置としての死刑執行を危惧]</ref>。
 
 
 
[[2018年]]3月14日までは、新実を含め、オウム真理教事件の死刑囚13人全員が、[[東京拘置所]]に収監されていた<ref name="オウム死刑囚7人移送 p.1">{{Cite news|url=http://www.sankei.com/affairs/news/180314/afr1803140030-n1.html|title=【オウム死刑囚】中川智正らオウム死刑囚7人を移送 執行施設ある5拘置所に分散か(1/2ページ)|newspaper=産経新聞|publisher=産業経済新聞社|date=2018-03-14|accessdate=2018-03-15|archivedate=2018-03-15|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180315132452/http://www.sankei.com/affairs/news/180314/afr1803140030-n1.html}}</ref><ref name="移送7人判明 p.1">{{Cite news|url=http://www.sankei.com/affairs/news/180314/afr1803140037-n1.html|title=【オウム死刑囚】移送7人は新実智光、林泰男、早川紀代秀、井上嘉浩、岡崎一明、横山真人、中川智正の各死刑囚(1/2ページ)|newspaper=産経新聞|publisher=産業経済新聞社|date=2018-03-14|accessdate=2018-03-15|archivedate=2018-03-15|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180315132717/http://www.sankei.com/affairs/news/180314/afr1803140037-n1.html}}</ref>。しかし、同年[[1月]]に[[高橋克也 (オウム真理教)|高橋克也]]の無期懲役確定により、オウム事件の刑事裁判が終結した<ref name="オウム死刑囚7人移送 p.1"/>。
 
 
 
オウム裁判終結に伴い、同年[[3月14日]]、麻原彰晃を除く死刑囚12人のうち、7人について、死刑執行設備を持つほかの5拘置所([[宮城刑務所]][[仙台拘置支所]]・[[名古屋拘置所]]・[[大阪拘置所]]・[[広島拘置所]]・[[福岡拘置所]])への移送が行われた<ref name="オウム死刑囚7人移送 p.1"/><ref name="移送7人判明 p.1"/><ref name="共同通信2018-03-15">{{Cite news|url=https://this.kiji.is/346901239646405729|title=オウム死刑囚7人の移送完了 法務省「共犯分離が目的」|newspaper=[[共同通信]]|publisher=[[共同通信社]]|date=2018-03-15|accessdate=2018-03-15|archivedate=2018-03-15|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180315131539/https://this.kiji.is/346901239646405729}}</ref>。新実は同日付で、[[井上嘉浩]]とともに、大阪拘置所に移送された<ref name="共同通信2018-03-15"/>。
 
 
 
{{Quotation|人は皆 時の定まぬ 死刑囚 会って別れて 夢と消えゆく<br/>
 
雨が降り 天が泣くのか 水無月に 大地うるおす 慈悲の甘露|死刑判決を受けて発表した短歌二首<ref>『オウム法廷12』 p.365</ref>}}
 
<!-- 出典不明
 
黙秘することもあったが「我々が被害者に報いるのは真実を話すことのみ」と語り、、事件の全貌を率直かつ正確に答えた。
 
「宗教的確信に基づいた殺人」
 
「あとは死を待つだけ。その瞬間まで修行は続けていく」
 
 -->
 
移送後に[[大阪拘置所]]所長あてに弁護士経由で「私と[[井上嘉浩]]氏が同日執行なら、私の方を先に執行して下さい。理由は井上氏に1秒でも長く生きてもらいたいからです」との上申書を提出する。<ref name="fra">『フライデー』2018年7月27日号 p.59</ref>
 
 
 
2018年[[7月6日]]午前8時33分、大阪拘置所内で死刑が執行された。<ref>『創 2018年9月号』 p.34</ref>遺骨はガンジス川上流のウッタルカシ村で流してほしいと妻に残した<ref>[http://sorairo-sora.cocolog-nifty.com/blog/2018/08/post-903b.html]</ref>。{{没年齢|1964|3|9|2018|7|6}}。
 
 
 
== 人物評 ==
 
*「[[村井秀夫|村井]]と同じくらいかわいがられていた。[[日本語]]の解る[[ドーベルマン]]」 ―[[岡崎一明]]<ref>[http://www.mars.dti.ne.jp/~takizawa/boutyou9.html オウム裁判ウォッチャーH氏の法廷傍聴記(#1)] 坂本弁護士と家族を救う全国弁護士の会</ref><ref>[[佐木隆三]]『大義なきテロリスト』 p.331</ref>
 
*「最も血生臭い男」「人間的良心の一かけらも見出しえず」 ―[[検察]]<ref>降幡賢一『オウム法廷13』 p.702</ref>
 
*「教祖に忠実な「重臣」として、最期までその役割を演じようとしている」<ref name="kosan"></ref>
 
*「現在に至るまで反省の姿勢をとることを拒絶し,独善的な弁解を強弁し続けて,被害者を愚弄し,被害者の遺族の心情を深く傷付けているのであり,その更生を期待することも困難である」 ―東京地裁<ref name="courts"/>
 
*「ミニ[[麻原彰晃]]」 ―[[佐木隆三]]<ref>佐木隆三『大義なきテロリスト』 p.342</ref>
 
*「TVで見るのとは違い、か細く弱々しい印象。声もまだ少年のように幼く、自信なさそうに聞こえた。この人があれほどの凶悪犯罪を犯したのかと、人間の弱さを改めて知る。顔の傷のことも含めて、この人ほど気の毒に思えた被告はいない」―[[大橋伸一]]<ref>大橋伸一『法廷絵師は見た!』p.165</ref>
 
*「自分から見た彼は好青年で、事件とかけ離れた印象しかない」―[[堀和幸]]弁護士<ref>[https://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20180707000068 松本死刑囚ら執行「一つの区切り」京都の関係者 京都新聞社 2018年07月07日]</ref>
 
*「新実は普段は気さくで明るい男でしたが、ノリの軽さがあった。そのノリの延長でスイッチを入れ替えることなく、凶行に及べるような一面を持ち合わせていました。だからこそ麻原も彼を重用したのでしょう。麻原に対して絶対的な忠誠心を抱いており、殺人の指令についても、ねっとり悩むことのない男でした」―[[野田成人]]<ref>週刊新潮 2018年3月29日号『"側近”たちの罪と罰 「オウム死刑囚」13人の罪と罰(3)』</ref>
 
*「冷淡な面もあったが、温かみを感じるときも多々あった。人間誰でも二面性があるものだが、新実死刑囚はとても極端な人であった」―元[[サマナ]]<ref>[https://ameblo.jp/ommanipemehum/entry-10576884426.html 『-幻想の崩壊-オウムとはなんだったのか?「自治省」』 ]</ref>
 
*「清らかな印象を受けた。会ったことによって親しみが湧いた」―[[河野義行]]<ref>[https://this.kiji.is/395164277420000353 共同通信 2018年7月26日 『宗教が多くの人を不幸にした』]</ref>
 
*「大変明るいんです。男っぽくて、明るくて、軽くて……でも、単にそれだけじゃない」―[[上祐史浩]]<ref>渡辺正次郎『上祐史浩‐亡国日本に咲いた芥子の花‐』</ref>
 
*「面会中、ずっと微笑んでいた。あまりに柔らかい表情なので、『これが本当にあんな残虐な事件を起こした男なのか』と、ギャップを感じた」<ref name="fra"></ref>
 
*「真面目で積極的で上司の評判はよかった」 ―[[マルサンアイ]]元同僚<ref>江川紹子『「オウム真理教」追跡2200日』 p.118</ref>
 
*「親の愛情に包まれて育ち、弟思いだった優しい人間」―[[藤田庄市]]<ref>[http://www.tokyo-np.co.jp/article/culture/hiroba/CK2018033102000223.html 『オウムとは何だったのか』2018年3月31日]</ref>
 
 
 
== 関連事件 ==
 
*[[オウム真理教男性信者殺害事件]](殺人罪)
 
*[[坂本堤弁護士一家殺害事件]](殺人罪)
 
*[[松本サリン事件]](殺人罪、殺人未遂罪)
 
*[[薬剤師リンチ殺害事件]](殺人罪)
 
*[[オウム真理教男性現役信者リンチ殺人事件|男性現役信者リンチ殺人事件]](殺人罪)
 
*[[駐車場経営者VX襲撃事件]](殺人未遂罪)
 
*[[会社員VX殺害事件]](殺人罪)
 
*[[オウム真理教被害者の会会長VX襲撃事件|被害者の会会長VX襲撃事件]](殺人未遂罪)
 
*[[地下鉄サリン事件]](殺人罪、殺人未遂罪)
 
*[[温熱療法 (オウム真理教)#女性看護師監禁事件|看護師監禁事件]](監禁罪)
 
*[[松本剛 (オウム真理教)|松本剛]]蔵匿事件(犯人蔵匿罪・隠避罪)
 
*[[池田大作サリン襲撃未遂事件]](立件なし)
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{Reflist|2}}
 
 
 
<!-- == 外部リンク ==
 
* [http://sorairo-sora.cocolog-nifty.com/blog/ 大阪拘置所の青い空*・゜゚・*:.。..。.:*] -->
 
 
 
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{{オウム真理教}}
 
{{DEFAULTSORT:にいみ ともみつ}}
 
[[Category:オウム真理教の人物]]
 
[[Category:日本の国政選挙の立候補経験者]]
 
[[Category:日本のテロリスト]]
 
[[Category:刑死した人物]]
 
[[Category:日本の殺人犯]]
 
[[Category:愛知学院大学出身の人物]]
 
[[Category:愛知県出身の人物]]
 
[[Category:1964年生]]
 
[[Category:2018年没]]
 

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