「数論」の版間の差分

提供: miniwiki
移動先:案内検索
(数論の未解決問題)
 
 
(同じ利用者による、間の2版が非表示)
1行目: 1行目:
{{Otheruses|数学の一分野としての「数論」|「数論学派」とも呼ばれる古代インド哲学の学派|サーンキヤ学派}}
 
{{言葉を濁さない|date=2013年12月16日 (月) 22:27 (UTC)}}
 
'''数論'''(すうろん、<em lang="en">number theory</em>)とは[[数]]、特に[[整数]]およびそれから派生する数の体系(代数体、局所体など)の性質について研究する[[数学]]の一分野である。'''整数論'''とも言う。ふつうは'''[[代数学]]'''の一分野とみなされることが多い。おおむね次の四つに分けられる。
 
  
;初等整数論
+
'''数論'''(すうろん、<em lang="en">number theory</em>)
:他の分野の数学的手法を使わずに問題に取り組む、数論の中で最も基礎的な土台をなす。[[フェルマーの小定理]]や[[オイラーの定理 (数論)|オイラーの定理]]、[[平方剰余の相互法則]]などはこの分野の成果である。
 
;代数的整数論
 
:扱われる対象は整数というよりも[[代数的整数]]である。従って、代数的な整数論と読むよりも代数的整数の論と読む方が正しいと考えられる。ガウスの整数を研究した[[カール・フリードリヒ・ガウス]]がおそらくこの分野の創始者である。体論はこの分野の基礎的根幹であって、[[ガロア理論]]は(他の数学においてもそうだが)基本的な道具である。代数体のアーベル拡大の統制を記述する[[類体論]]も、この分野の大きな成果である。元来の[[岩澤理論]]もここに分類されよう。
 
;解析的整数論
 
:[[微積分]]や[[複素関数論]]等の解析学的手法を用いて問題に取り組む。この分野は初めて解析的な手法を系統的に数論に応用した[[ペーター・グスタフ・ディリクレ|ディリクレ]]に始まるとされる。その弟子である[[ベルンハルト・リーマン]]によってすでにこの分野の(ひいては数論)の最大の未解決問題である[[リーマン予想]](1859年)が提示されたのは興味深い。[[素数定理]]の証明(1896年)はこの分野の一里塚である。[[ゼータ関数]]、[[保型関数]]を研究するのもこの分野であって、[[超越数]]論とも関係が深い。
 
;数論幾何学
 
:整数論の問題を、代数幾何の手法で研究する、あるいは代数幾何の主対象である代数多様体(もっと広くスキーム)の整数論的な性質を研究する分野である。ディオファンタスによる研究(初等整数論の範疇)から考えても、その起源は古いが、現代的な意味での数論幾何学の始祖はアンドレ・ヴェイユ(合同ゼータ関数に関する研究、モーデル・ヴェイユの定理の証明のほか、任意の体上での代数幾何学の研究など)といえるだろう。1950年代後半以降の[[アレクサンドル・グロタンディーク]]らによるスキーム論およびそれに関連する各種理論の発展により、爆発的な発展を遂げ、現在では数論の中核に位置しているといえる。
 
  
[[フェルマーの最終定理]]のように、数論のいくつかの問題については、他の数学の分野に比して問題そのものを理解するのは簡単である。しかし、使われる手法は多岐に渡り、また非常に高度であることが多い。
+
整数に関する演算,大小関係,整除性,素数など,その諸性質を研究する数学の一分科である。[[超越数]]などをも含めて,数の個性を研究する分野という意見もある。歴史的にはユークリッドの『[[原本]]』のなかに独創的な研究がみられる。その主要な結果は,素数の集りの無限性,整数の素因数分解,ユークリッドの互除法などである。また素数の分布については,[[エラトステネスのふるい]],アルキメデスの不定方程式の研究がある。さらにアレクサンドリアの[[ディオファントス]]は,その不定方程式の研究によって整数論に不滅の足跡を残した。しかし,整数論の現代的研究は,[[P.フェルマ]]以後である。彼の素数をつくりだす公式,[[P.ディリクレ]]の等差級数に素数が無限に含まれるという定理の証明,フランスの [[J.アダマール]]とベルギーの C.ド・ラ・バレ=プーサンによる[[素数定理]]の証明などは画期的な重要性をもっている。しかし,素数の平均的分布の問題として提起されている C.ゴルドバッハの予想などは現在まで未解決のまま残されている。整数論に飛躍的発展をもたらしたのはなんといっても [[C.F.ガウス]]である。彼は整数の整除性について,合同式の概念と記法を導入し,推論を容易にしたり,整数論の対象として複素数を取入れることを主張したりして,代数的整数論への道を開いた。また解析的整数論への端緒は,ディリクレによって開かれた。
  
ガウスは次のような言葉を残している。
+
{{テンプレート:20180815sk}}
*「数学は科学の王女であり、数論は数学の王女である」
 
 
 
永らく実用性は無いと言われてきたが、近年[[暗号]](RSA,楕円曲線暗号)や[[符号]]により[[計算機]]上での応用が発達しつつある。
 
 
 
== 歴史 ==
 
=== 古代ギリシア ===
 
数論は[[ヘレニズム]]後期(紀元3世紀)のギリシア人数学者らに最も好まれた研究対象で、[[エジプト]]の[[アレクサンドリア]]で活動した[[アレクサンドリアのディオファントス]]は、自らの名が(後に)冠された[[ディオファントス方程式]]の様々な特殊ケースを研究したことで知られている。
 
 
 
ディオファントスはまた、[[線型方程式|線型]][[不定方程式]]の整数解を求める方法について考察した。線型不定方程式とは、解の単一の離散集合を得るには情報が不足している方程式を指す。例えば、<math>x + y = 5</math> という方程式は、''x'' と ''y'' が整数だとしても解が無数に存在する。ディオファントスは多くの不定方程式について、具体的な解はわからなくとも解のカテゴリがわかっている形式に還元できることに気づいた。
 
 
 
=== インド ===
 
[[インド数学|中世インド]]でも数学者らは[[ディオファントス方程式]]を深く研究しており、線形ディオファントス方程式の整数解を求める体系的手法を初めて定式化した。[[アリヤバータ]]は著作『アーリヤバティーヤ』(499年)の中で線型ディオファントス方程式 <math>ay + bx = c</math> の整数解の求め方を初めて明確に記している。これを「クッタカ法」と呼び、ディオファントス方程式の解を[[連分数]]を使って表すもので、アリヤバータの[[純粋数学]]における最大の貢献とされている。アリヤバータはこの技法を応用し、重要な天文学上の問題に対応する連立線型ディオファントス方程式の整数解を求めるのに使った。彼はまた不定線型方程式の一般的解法も見つけている。
 
 
 
[[ブラーマグプタ]]は著書『[[ブラーマ・スプタ・シッダーンタ]]』(628年)でさらに難しいディオファントス方程式を扱っている。彼が使ったのは、<math>61x^2 + 1 = y^2</math> のような[[ペル方程式]]に代表される[[二次方程式|二次]]のディオファントス方程式を解く「[[チャクラバーラ法]]」{{Enlink|Chakravala method}}である。この著書は773年に[[アラビア語]]に翻訳され、そこから1126年に[[ラテン語]]に翻訳された。[[フランス]]人数学者[[ピエール・ド・フェルマー]]は1657年にこの方程式 <math>61x^2 + 1 = y^2</math> を問題として提示している。この方程式そのものは70年以上後に[[レオンハルト・オイラー]]が解いたが、ペル方程式全般の解法が見つかけたのは[[ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ]]で、フェルマーが問題を提示してから100年以上たった1767年のことだった。一方それより何世紀も前の1150年、[[バースカラ2世]]がペル方程式の解法を記述している。彼はブラーマグプタのチャクラバーラ法を改良した解法を使っており、同じ技法を応用して不定二次方程式や二次ディオファントス方程式の一般解も見つけている。バースカラ2世のチャクラバーラ法によるペル方程式の解法は、600年後のラグランジュが使った手法より単純だった。バースカラ2世は他にも様々な二次/[[三次関数|三次]]/[[四次方程式|四次]]など高次の不定[[多項式|多項]]方程式の解を求めている。このチャクラバーラ法をさらに発展させたのが[[ナーラーヤナ・パンディト]]で、他の不定二次多項方程式や高次多項方程式の一般解を求めている。
 
 
 
=== 中世イスラム ===
 
9世紀以降、[[アラビア数学]]は数論を熱心に研究するようになった。先駆者とされる数学者は[[サービト・イブン=クッラ]]で、[[友愛数]]を求めるアルゴリズムを発見したことで知られている。友愛数とは、2つの異なる[[自然数]]の組で、自分自身を除いた[[約数]]の和が互いに他方と等しい。10世紀には[[イブン・タヒル・アル=バグダディ]]がサービト・イブン=クッラの手法を若干変えた手法を見つけている。
 
 
 
10世紀の[[イブン・アル・ハイサム]]は偶数の[[完全数]](その数自身を除く約数の和がその数自身と等しいもの)を世界で初めて分類しようと試みたと見られ、<math>2^k - 1</math> が素数のとき、<math>2^{k-1}(2^k - 1)</math> が完全数となることを発見した。またアル・ハイサムは[[ウィルソンの定理]]を最初に発見した。これは、''p'' が素数ならば <math>1+(p-1)!</math> が ''p'' で割り切れるという定理である。彼がこの定理の証明を知っていたかどうかは不明である。ウィルソンの定理という名称は、[[エドワード・ウェアリング]]が1770年に[[ジョン・ウィルソン (数学)|ジョン・ウィルソン]]がこの定理に気づいたと記したことに由来する。ウィルソンも証明を知っていた証拠はなく、ウェアリングも確実に証明法を知らなかった。この定理を証明したのはラグランジュで、1773年のことである。
 
 
 
イスラム数学では友愛数が大きな役割を果たした。13世紀の[[ペルシア人]]数学者[[アル・ファリシ]]は、因数分解と[[組合せ数学]]の新たな重要な方法を導入して、[[サービト数]]と友愛数の関係について新たな証明を見出した。彼はまた、17296 と 18416 という友愛数も発見している。通常これらはオイラーが発見したとされているが、アル・ファリシの方が早いし、サービト・イブン・クッラ自身も知っていた可能性がある。17世紀には[[ムハンマド・バキル・ヤズディ]]が友愛数 9,363,584 と 9,437,056 を発見しており、これもオイラーより先である。
 
 
 
=== ヨーロッパ ===
 
[[13世紀]]、[[レオナルド・フィボナッチ]]は著書の1つとして『平方の書』 (Liber Quadratorum) を書いた。その中で[[ピタゴラス数]]を扱っている。彼は平方数が奇数の和として記述できると記している。彼は[[合同数]]の概念を定義し、''ab''(''a'' + ''b'')(''a'' - ''b'') という形で表される数は ''a'' + ''b'' が偶数ならば合同数であり、''a'' + ''b'' が奇数ならばそれを4倍したものが合同数だとした。フィボナッチは <math>x^2 + C</math> と <math>x^2 - C</math> が共に平方数ならば ''C'' が合同数であることを示した。また、平方数は合同数となりえないことも証明した<ref>O'Connor, John J.; Robertson, Edmund F, [http://www-history.mcs.st-andrews.ac.uk/Biographies/Fibonacci.html Fibonacci],  [[:en:MacTutor History of Mathematics archive|MacTutor History of Mathematics archive]], [[セント・アンドルーズ大学 (スコットランド)|University of St Andrews]]</ref>。フィボナッチの数論への貢献は大きく、「『平方の書』だけでフィボナッチは[[アレクサンドリアのディオファントス|ディオファントス]]と17世紀のフランス人数学者[[ピエール・ド・フェルマー]]の間で最大の貢献者に位置づけられる」とされている<ref>[http://books.google.es/books?id=sIk2_5kLwqIC&pg=PA2&dq=squaring+the+circle.thinking&cd=1#v=onepage&q=Fibonacci&f=false Duthel,Heinz:''Squaring the circle-thinking the unthinkable",p.84'']</ref>。
 
 
 
16世紀から17世紀には、[[フランソワ・ビエト]]、[[クロード=ガスパール・バシェ・ド・メジリアク]]らが数論の発展に貢献し、特に[[ピエール・ド・フェルマー]]は[[無限降下法]]を用いてディオファントスの問題について初めての一般的証明を与えた。1637年にフェルマーが提示した[[フェルマーの最終定理]]については、1994年まで証明できなかった。フェルマーは1657年に <math>61x^2 + 1 = y^2</math> という方程式も問題として提示している。
 
 
 
18世紀にはオイラーとラグランジュが数論の分野で重要な貢献をした。オイラーは解析的整数論の研究も行い、方程式 <math>61x^2 + 1 = y^2</math> の解法を見出した。ラグランジュはさらに一般化した[[ペル方程式]]の解法を見出した。オイラーやラグランジュのペル方程式の解法は[[連分数]]を使うものだが、[[インド]]のチャクラバーラ法に比べると複雑である。
 
 
 
=== 近代数論の始まり ===
 
18世紀の終わりに[[アドリアン=マリ・ルジャンドル|ルジャンドル]]の『数の理論に関する試作』(''Essai sur la Théorie des Nombres''、1798年)が出版される。19世紀に入って出版された[[カール・フリードリヒ・ガウス|ガウス]]の『算術研究』(''[[Disquisitiones Arithmeticae]]''、1801年)は、近代数論の扉を開いたとされている。
 
 
 
[[合同式|合同]]についての理論はガウスの著作『算術研究』が始まりである。彼は次のような記法を導入した。
 
 
 
:<math>a \equiv b \pmod c</math>
 
 
 
そして、合同算術について広く考察している。1847年に[[パフヌティ・チェビシェフ|チェビシェフ]]はロシア語で合同算術についての著作を出版し、フランスでは[[ジョゼフ・アルフレッド・セレ]]がそれを広めた。
 
 
 
ルジャンドルはそれまでの成果をまとめただけでなく、[[平方剰余の相互法則]]についても記している。この法則はオイラーが数値計算に基づき帰納的に発見し発表したもので、ルジャンドルが自著『数の理論に関する試作』(1798年)で証明を試みた。オイラーやルジャンドルとは別にガウスも[[1795年]]にこの法則を独力で発見し、[[1796年]][[4月8日]]に最初の完全な証明を完成させた。他にその発展に貢献した数学者として、[[オーギュスタン=ルイ・コーシー|コーシー]]、数論の古典とされている『整数論講義』で知られる[[ペーター・グスタフ・ディリクレ|ディリクレ]]と[[リヒャルト・デーデキント|デーデキント]]、[[ヤコビ記号]]を導入した[[カール・グスタフ・ヤコブ・ヤコビ|ヤコビ]]、[[ジョゼフ・リウヴィル|リウヴィル]]、[[フェルディナント・ゴットホルト・マックス・アイゼンシュタイン|アイゼンシュタイン]]、[[エルンスト・クンマー|クンマー]]、[[レオポルト・クロネッカー|クロネッカー]]らがいる。この理論はさらに[[3次剰余の相互法則]]、[[4次剰余の相互法則]]へと発展した。アイゼンシュタインは最初に3次剰余の相互法則の証明を発表した。
 
 
 
ガウスは数を二元[[二次形式]]で表現する理論の創始者でもある。
 
 
 
=== 素数論 ===
 
数論の中でも特によく研究されているテーマが素数の分布である。[[カール・フリードリヒ・ガウス]]は10代のころに素数の分布を漸近的に予想した([[素数定理]])。
 
 
 
[[ペーター・グスタフ・ディリクレ|ディリクレ]](1837年)は、全ての適格な等差数列が素数を無限に含むことを証明した。[[パフヌティ・チェビシェフ|チェビシェフ]](1850年)は、素数の分布に関する[[ベルトランの仮説|チェビシェフの定理]]を証明した。リーマンは[[リーマンゼータ関数]]の理論に[[複素解析]]を導入した。これによりゼータ関数の[[零点]]と素数の分布の関係が導かれ、ついに1896年、[[ジャック・アダマール|アダマール]]と[[シャルル・ジャン・ド・ラ・ヴァレ・プーサン|ド・ラ・ヴァレ・プーサン]]がそれぞれ独自に[[素数定理]]を証明した。後の1949年には[[ポール・エルデシュ]]と[[アトル・セルバーグ]]が初等的証明を与えた。ここでいう初等的とは複素解析の技法を使っていないということを意味する。それでもその証明はまだ非常に込み入っていて難しい。より正確な情報を与えるであろう[[リーマン予想]]は、まだ証明されていない。
 
 
 
=== 19世紀 ===
 
[[オーギュスタン=ルイ・コーシー|コーシー]]、[[ルイ・ポアソン|ポアソン]](1845年)、そして特に[[シャルル・エルミート|エルミート]]も数論に貢献している。3次形式の理論については[[フェルディナント・ゴットホルト・マックス・アイゼンシュタイン|アイゼンシュタイン]]が先駆者であり、彼と [[:en:H. J. S. Smith|H. J. S. Smith]] が形式論全般について注目に値する進展をもたらした。Smithは3元2次形式を完全に分類し、ガウスの実数の[[二次形式|2次形式]]を複素数へと拡張した。4個から8個の平方数の和で表せる数の探求はアイゼンシュタインが進展させ、Smithが理論として完成させた。
 
 
 
[[ペーター・グスタフ・ディリクレ|ディリクレ]]はこの問題についてドイツの大学で初めて講義を行った。彼は他にも[[フェルマーの最終定理]]
 
:<math>x^n+y^n \neq z^n, (x,y,z \neq 0, n > 2)</math>
 
 
 
の ''n'' = 5 と ''n'' = 14 の場合の証明に貢献している(オイラーとルジャンドルが ''n'' = 3 と''n'' = 4 の場合を既に証明しており、それによって ''n'' が3または4の倍数の場合も含意されていた)。19世紀後半から活躍した他のフランス人数学者として、[[エミール・ボレル|ボレル]]、貴重な回想録を数多く著している[[アンリ・ポアンカレ|ポアンカレ]]、[[トーマス・スティルチェス|スティルチェス]]らがいる。ドイツでは、[[レオポルト・クロネッカー]]、[[エルンスト・クンマー]]、[[リヒャルト・デーデキント|デーデキント]]らがいる。オーストリアでは[[オットー・シュトルツ]]、イギリスでは[[ジェームス・ジョセフ・シルベスター]]も知られている。
 
 
 
=== 19世紀末から20世紀初頭 ===
 
この時代には、[[アクサル・トゥエ]]が[[ディオファントス方程式]]の研究に重要な貢献をした。また、[[ダフィット・ヒルベルト]]は代数的整数論で貢献し、[[ウェアリングの問題]]の証明も行った。[[ヘルマン・ミンコフスキー]]は幾何学的数論を創始した。他にも、[[アドルフ・フルヴィッツ]]、[[ヴァツワフ・シェルピニスキ]]といった数学者が数論の発展に貢献している。
 
 
 
=== 20世紀 ===
 
20世紀の数論研究の有名人としては、[[ヘルマン・ワイル]]、[[ヘルムート・ハッセ]]、[[ポール・エルデシュ]]、[[ゲルト・ファルティングス]]、[[ゴッドフレイ・ハロルド・ハーディ]]、[[エトムント・ランダウ]]、[[イヴァン・ニーベン]]、[[シュリニヴァーサ・ラマヌジャン]]、[[アンドレ・ヴェイユ]]、[[アトル・セルバーグ]]、[[カール・ジーゲル]]、[[ジョン・テイト]]、[[ロバート・ラングランズ]]、[[志村五郎]]、[[岩澤健吉]]、[[ジャン=ピエール・セール]]、[[ピエール・ルネ・ドリーニュ]]、[[エンリコ・ボンビエリ]]、[[アラン・ベイカー]]、[[ウラジーミル・ドリンフェルト]]、[[ローラン・ラフォルグ]]、[[アンドリュー・ワイルズ]]、[[リチャード・テイラー (数学者)|リチャード・テイラー]]といった人物がいる。
 
 
 
20世紀の数論における大きな出来事として次のようなことが挙げられる。
 
* 1920年代には、[[高木貞治]]、[[エミール・アルティン]]、[[フィリップ・フルトヴェングラー]]らが[[類体論]]を創始し、1930年代に[[ヘルムート・ハッセ]]や[[クロード・シュヴァレー]]が発展させた。
 
* 1940年代に[[アンドレ・ヴェイユ]]が[[ヴェイユ予想]]を発表し、[[バーナード・ドゥワーク]]、[[アレクサンドル・グロタンディーク]]、[[ピエール・ルネ・ドリーニュ]]らがその証明に取り組んだ。
 
* 1961年の M. B. Barban の成果に基づき、1965年に[[エンリコ・ボンビエリ]]らが「{{仮リンク|ボンビエリ=ヴィノグラドフの定理|en|Bombieri–Vinogradov theorem}}」を定式化した。
 
* 1960年代後半に[[ロバート・ラングランズ]]が[[ラングランズ・プログラム]]を提唱し、そこから他の数学者により様々な発展が得られた。
 
* [[陳景潤の定理]]が1966年に発表され、1973年に証明された。
 
* [[アンドリュー・ワイルズ]]による[[フェルマーの最終定理]]の証明(1994年)。また、これと密接に関連する[[谷山・志村予想]]は1999年、[[クリストフ・ブレイユ]]、[[ブライアン・コンラッド]]、[[フレッド・ダイアモンド]]、[[リチャード・テイラー (数学者)|リチャード・テイラー]]によって証明された。
 
 
 
== 数論の未解決問題 ==
 
[[ファイル:Ulam 1.png|250px|right|thumb|[[ウラムの螺旋]]。[[自然数]]を螺旋形に順に並べ、[[素数]]にあたる位置だけを強調表示した図。何らかのパターンが見えており、法則が予想されているが、その予想はまだ証明されていない。]]
 
数多く存在するが、その多くに素数分布予測の難しさが絡んでいると思われる。問題そのものは初等的に記述できても本質的に現代数学の概念を要請するものが多い。
 
*[[コラッツの問題]]
 
*[[ゴールドバッハの予想]]
 
*[[双子素数予想]]
 
*[[リーマン予想]]
 
*[[BSD予想]]
 
 
 
== 脚注・出典 ==
 
{{Reflist}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
* 本橋洋一, 解析的整数論 I 及び II, 朝倉書店, 東京 2009/2011. ISBN 978-4-254-11821-6 /  ISBN 978-4-254-11822-3
 
* {{Citation| last=Apostol| first=Tom M.| author-link=トム・アポストル| title=Introduction to analytic number theory| publisher=Springer-Verlag| location=New York-Heidelberg| series=Undergraduate Texts in Mathematics| isbn=978-0-387-90163-3| id={{MathSciNet | id = 0434929}}| year=1976}}
 
* {{cite book | author=Dedekind, Richard | title=Essays on the Theory of Numbers | publisher=Cambridge University Press | year=1963 | isbn=0-486-21010-3}}
 
* {{cite book | author=Davenport, Harold | title=The Higher Arithmetic: An Introduction to the Theory of Numbers (7th ed.) | publisher=Cambridge University Press | year=1999 | isbn=0-521-63446-6}}
 
* {{cite book | author=Guy, Richard K. | title=Unsolved Problems in Number Theory | publisher=Springer-Verlag | year=1981 | isbn=0-387-90593-6}}
 
* {{cite book | author=Hardy, G. H. and Wright, E. M. | title=An Introduction to the Theory of Numbers (5th ed.) | publisher=Oxford University Press | year=1980 | isbn=0-19-853171-0}}
 
* {{cite book | author=Niven, Ivan, Zuckerman, Herbert S. and Montgomery, Hugh L. | title=An Introduction to the Theory of Numbers (5th ed.) | publisher=Wiley Text Books | year=1991 | isbn=0-471-62546-9}}
 
* {{cite book | authorlink= |author=Ore, Oystein | title=Number Theory and Its History | publisher=Dover Publications, Inc. | year=1948 | isbn=0-486-65620-9}}
 
* Smith, David. [http://www.gutenberg.net/etext05/hsmmt10p.pdf ''History of Modern Mathematics'' (1906)] (adapted public domain text)
 
* Dutta, Amartya Kumar (2002). 'Diophantine equations: The Kuttaka', ''Resonance - Journal of Science Education''.
 
* O'Connor, John J. and Robertson, Edmund F. (2004). [http://turnbull.mcs.st-and.ac.uk/~history/Indexes/Arabs.html 'Arabic/Islamic mathematics'], ''[[:en:MacTutor History of Mathematics archive|MacTutor History of Mathematics archive]]''.
 
* O'Connor, John J. and Robertson, Edmund F. (2004). [http://turnbull.mcs.st-and.ac.uk/~history/Indexes/Indians.html 'Index of Ancient Indian mathematics'], ''MacTutor History of Mathematics archive''.
 
* O'Connor, John J. and Robertson, Edmund F. (2004). [http://turnbull.mcs.st-and.ac.uk/~history/Indexes/Number_Theory.html 'Numbers and Number Theory Index'], ''MacTutor History of Mathematics archive''.
 
* Kraeft, Uwe, (2000–2010). 'Studies in Number Theory', 22 vols., last vol. 'Additive Representations of Integers in Number Theory', Shaker Verlag, Aachen, ISBN 978-3-8322-8793-1.
 
 
 
== 外部リンク ==
 
{{Commonscat|Number theory}}
 
{{wikibooks}}
 
* [http://www.numbertheory.org Number Theory Web]
 
* [http://www.shoup.net/ntb/ A Computational Introduction to Number Theory and Algebra] by Victor Shoup
 
 
 
{{数学}}
 
{{Normdaten}}
 
 
{{DEFAULTSORT:すうろん}}
 
{{DEFAULTSORT:すうろん}}
 
[[Category:数論|*]]
 
[[Category:数論|*]]
 
[[Category:数学に関する記事]]
 
[[Category:数学に関する記事]]

2019/5/2/ (木) 09:54時点における最新版

数論(すうろん、number theory

整数に関する演算,大小関係,整除性,素数など,その諸性質を研究する数学の一分科である。超越数などをも含めて,数の個性を研究する分野という意見もある。歴史的にはユークリッドの『原本』のなかに独創的な研究がみられる。その主要な結果は,素数の集りの無限性,整数の素因数分解,ユークリッドの互除法などである。また素数の分布については,エラトステネスのふるい,アルキメデスの不定方程式の研究がある。さらにアレクサンドリアのディオファントスは,その不定方程式の研究によって整数論に不滅の足跡を残した。しかし,整数論の現代的研究は,P.フェルマ以後である。彼の素数をつくりだす公式,P.ディリクレの等差級数に素数が無限に含まれるという定理の証明,フランスの J.アダマールとベルギーの C.ド・ラ・バレ=プーサンによる素数定理の証明などは画期的な重要性をもっている。しかし,素数の平均的分布の問題として提起されている C.ゴルドバッハの予想などは現在まで未解決のまま残されている。整数論に飛躍的発展をもたらしたのはなんといっても C.F.ガウスである。彼は整数の整除性について,合同式の概念と記法を導入し,推論を容易にしたり,整数論の対象として複素数を取入れることを主張したりして,代数的整数論への道を開いた。また解析的整数論への端緒は,ディリクレによって開かれた。



楽天市場検索: