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{{Infobox 湖
 
|名称=手賀沼
 
|画像=[[ファイル:Lake Tega.JPG|300px]]<br/>手賀沼遊歩道(我孫子市)からの眺望
 
{{maplink2|frame=yes|plain=yes|type=point|zoom=13|frame-align=center|frame-width=300}}
 
|所在地={{JPN}}<br>[[千葉県]]
 
|coords={{coord|35|51|24|N|140|1|54|E|region:JP-12_type:waterbody_scale:50000|name=手賀沼|display=inline,title}}(手賀沼)<br />
 
{{coord|35|49|51|N|140|5|54|E|region:JP-12_type:waterbody_scale:25000|name=下手賀沼}}(下手賀沼)
 
|面積=4.02<ref name="menseki">{{Cite web|author=国土地理院|authorlink=国土地理院|date=2015-03-06|title=平成26年全国都道府県市区町村別面積調 湖沼面積|url=http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO/201410/kosyo.pdf|format=PDF|accessdate=2015-03-22}}</ref>
 
|周囲長=38.0
 
|最大水深=3.8
 
|平均水深=0.9
 
|貯水量=0.0056
 
|標高=3
 
|成因=河川による[[堰止湖]]
 
|淡汽=淡水
 
|湖沼型=過栄養湖
 
|透明度=0.5
 
}}
 
{{mapplot|140.0334|35.8577|手賀沼}}
 
{{osm box|n|91543649}}
 
[[ファイル:teganuma_landsat.jpg|thumb|300px|{{ランドサット}}]]
 
[[ファイル:Lake Tega upper part Aerial photograph.1989.jpg|thumb|350px|手賀沼周辺の空中写真。<br/>{{国土航空写真}}。<small>1989年撮影の14枚を合成作成。</small>]]
 
[[ファイル:Lake Tega lower part Aerial photograph.1989.jpg|thumb|350px|下手賀沼周辺の空中写真。<br/>{{国土航空写真}}。<small>1989年撮影の6枚を合成作成。</small>]]
 
[[ファイル:Teganuma in Ciba Japan.jpg|thumb|180px|[[コブハクチョウ]]と[[河童]]]]
 
'''手賀沼'''(てがぬま)は、[[千葉県]]北部、[[柏市]]、[[我孫子市]]、[[白井市]]、[[印西市]]にまたがる[[利根川]]水系の[[湖沼]]。[[湖沼水質保全特別措置法]]指定湖沼。
 
  
== 地理 ==
+
'''手賀沼'''(てがぬま)
手賀沼は、もともと「つ」の形をした大きな[[沼]]であったが、現在では[[干拓]]事業によって約8割の水域が消滅し、北と南に分離された形になっている。干拓地には[[水田]]が開かれ、[[2010年]]([[平成]]22年)時点では大津川から沼周辺に農地が広がっている。南北の二つの水域は手賀川を介してつながっている。一般に、北の水域を手賀沼(上沼)、南の水域を下手賀沼(下沼)という。
 
  
沼の北から東にかけては我孫子市街地を挟んで利根川が流れ、[[小貝川]]の合流点も近い。また、[[東日本旅客鉄道|JR]][[常磐線]]と[[成田線]]が北側の沿岸近くを走っている。南には[[千葉ニュータウン]]もある。
+
千葉県北西部,利根川の南岸にある狭長な沼。面積 4.1km<sup>2</sup>,周囲 37km。最大水深 3.8m。利根川本流からの逆流により,堆積物が[[下総台地]]を流れる支流の谷の出口をふさいで生じた。近世以降しばしば洪水に見舞われ,沿岸の開発工事が進められてきたが,1954年国営干拓事業が完成,面積は4割減った。フナ,コイなどの漁獲がある。周辺は宅地造成が急速に進行している。[[印旛手賀県立自然公園]]の一部で,近郊緑地特別保全区。野鳥が多く,沼の近くに山階鳥類研究所がある。
  
流域面積は148.85km<sup>2</sup>、流域内の人口は約48万人。
+
{{テンプレート:20180815sk}}  
 
 
== 利用 ==
 
手賀沼の水は農業用水として利用されているほか、[[釣り]]や[[内水面]][[漁業]]も行われ、[[コイ]]や[[フナ]]などが漁獲されている。[[2003年]](平成15年)の漁獲量は218t。
 
 
 
また、千葉[[都道府県立自然公園|県立自然公園]]「[[印旛沼|印旛]]手賀自然公園」にも指定されており、住民生活や観光・行楽でも重要な存在である。我孫子市は環境経済部に「手賀沼課」という専門部署を設けている。湖畔では柏・北柏ふるさと公園、手賀沼公園、手賀沼親水広場・水の館、[[我孫子市鳥の博物館|鳥の博物館]]、[[山階鳥類研究所]]、手賀沼遊歩道、手賀沼[[ビオトープ]]、五本松公園、手賀沼フィッシングセンター、手賀の丘公園、[[ハス|蓮]]の群生地といった施設がある。
 
 
 
毎年8月には大規模な[[花火大会]]が、10月には[[マラソン]]大会が開催され、大いに賑わいを見せている。
 
 
 
== 歴史 ==
 
およそ2万年前、海面が著しく低下していた際に形成された[[下総台地]]の[[侵食谷]]が手賀沼の前身である。[[縄文海進]]時に[[溺れ谷]]となり、[[中世#日本|中世]]末まで[[香取海]](古鬼怒湾)につながる[[入り江]]だった。その頃は'''手下浦'''('''てかのうら''')と呼ばれていた。その後、その出口を河川の運搬物(土砂など)がせき止めて、[[堰止湖]]として手賀沼が形成された。
 
 
 
[[江戸時代]]に入って、[[江戸]]の町を利根川の氾濫による[[水害]]から守るため行われた[[利根川東遷事業]]によって、手賀沼は利根川の下流となった。周辺の村々は水害により大きな被害を受けるようになった。また当時人口が激増していた江戸の町の食料事情もあって、沿岸の地は[[町人請負新田]]として干拓された。
 
 
 
[[享保]]12年([[1727年]])、[[江戸幕府]](八代[[征夷大将軍|将軍]][[徳川吉宗]])は[[勘定吟味役]]であった[[井沢弥惣兵衛|井沢弥惣兵衛為永]]の建議で沼全体の干拓を計画し、江戸[[町人]]の高田茂右衛門友清に工事を着手させたが、その後工事計画を変更。沼を上・下に分け、中央に千間堤(浅間堤)を築き、下部のみを干拓した。これにより、約200町歩の新田が拓かれたが、上部沿岸の村々は排水不良となり、毎年のように[[洪水]]の被害を受けた。[[元文]]3年([[1738年]])に千間[[堤防|堤]]は[[決壊]]し、[[新田]]は水没。その後、[[老中]][[田沼意次]]や[[水野忠邦]]の時にも干拓の努力は続けられたが、洪水と老中失脚とにより成功しなかった。
 
 
 
当時の手賀沼は[[カモ]]などの水鳥や[[コイ]]、[[ウナギ]]などの魚介類に恵まれ、特に水鳥とウナギは[[江戸]]の人々に美味として珍重されていた。現在でも我孫子市内には江戸時代から続くウナギ屋や、コイやフナ料理の店が多い。
 
* ただし2003年の全国的な[[コイヘルペス]]感染で[[養殖]]コイの大量廃棄が行われて以来、現在(2008年時点)に至るまでコイの養殖は再開されておらず、コイ・フナ料理店でもコイ料理はメニューから消えたままとなっている。
 
 
 
水鳥猟は張切網によって行われ、手賀沼鳥猟組合が水鳥の減少によって解散する[[1942年]]([[昭和]]17年)まで続いた。
 
 
 
[[大正|大正時代]]、湖畔には[[志賀直哉]]や[[武者小路実篤]]らの[[別荘]]もあり、手賀沼は[[白樺派]]ゆかりの地であった。
 
 
 
干拓事業の2年前の[[1944年]](昭和19年)11月22日に、我孫子中央国民学校の教諭・生徒をはじめとした、44名が手賀沼を渡船で横断中、大風に煽られて転覆し、17名の死者を出すという水難事故が発生した(手賀沼の悲劇)。市内には「手賀沼殉教教育者の碑」として、記念碑が建てられている<ref>[http://www.city.kashiwa.lg.jp/soshiki/bloghakunchu6/p019123.html 手賀沼殉教教育者の碑]</ref>。
 
 
 
[[第二次世界大戦]]後の[[1946年]](昭和21年)[[農林水産省|農水省]]の直轄事業として大規模な干拓事業が再び着手され、[[1968年]](昭和43年)に完成。約500ヘクタールの水田が造成され、沼の面積は著しく減少している。沼では[[競艇場]]建設、1964年[[前東京オリンピック|東京オリンピック]]ボート競技の誘致、[[手賀沼ディズニーランド]]の建設などの開発計画が持ち上がったが、いずれも失敗している<ref>我孫子市史編集委員会 近現代部会 編(2004):619 - 634ページ</ref>。
 
 
 
=== 年表 ===
 
* [[元和 (日本)|元和]]7年([[1621年]]):[[江戸幕府]]は[[利根川東遷]]事業を計画し、[[利根川]]の水を[[江戸川]]と[[常陸川]]へ振り分けるため、[[赤堀川 (茨城県)|赤堀川]]の開削が着手される<ref name="syonan">"手賀沼の歴史と素顔"[[道の駅しょうなん]]構内の石碑,沼南ロータリークラブ寄贈</ref>。
 
* [[承応]]3年([[1654年]]):利根川東遷事業が竣工する<ref name="syonan"/>。
 
* [[寛文]]6年([[1666年]]):[[布川町|布川]]・[[布佐 (我孫子市)|布佐]]間を締め切り、[[新利根川]]へ流路を移すものの、洪水により失敗し元の流れに戻す。のちに、手賀河口を[[堤防|堤]]で締切り、[[水門#他の構造物との区別#樋門・樋管|圦樋]](いりひ)により利根川へ排水される<ref name="syonan"/>。
 
* 寛文11年([[1671年]]):江戸商人、海野屋作兵衛らによる手賀沼新田開発により、排水路を掘割り利根川まで通される<ref name="syonan"/>。
 
* 享保13年([[1728年]]):[[江戸幕府]]の下沼干拓計画により、千間堤を沼中に築堤<ref name="syonan"/>。
 
* 享保19年([[1734年]]):洪水と利根川からの逆流により千間堤防が決壊<ref name="syonan"/>。
 
* 元文3年([[1738年]]):洪水により再び千間堤が崩壊し新田は壊滅。下沼干拓事業は失敗に終わる<ref name="syonan"/>。
 
* [[天明]]5年([[1785年]]):老中、[[田沼意次]]により手賀沼の干拓に着手<ref name="syonan"/>。
 
* 天明6年([[1786年]]):洪水により、干拓事業を断念。排水路の整備に事業方針が転換される<ref name="syonan"/>。
 
* [[明治]]3年([[1870年]]):「午年の大洪水」により、布佐堤が決壊。未曽有の大水害に見舞われる<ref name="syonan"/>。
 
* [[1890年]](明治23年):利根川の洪水により堤防が決壊。手賀沼沿岸が水害に見舞われる<ref name="syonan"/>。
 
* [[1956年]](昭和31年):手賀沼排水機場が完成。機械排水による戦後干拓が始まる<ref name="syonan"/>。以後、手賀沼は大きく縮小し東半分が消滅することとなる。
 
* [[1960年|1952年]](昭和27年):[[1960年|1955年]](昭和30年)まで柏町営水泳場開業。
 
* [[1960年]](昭和35年):手賀沼のフナ・ウナギ等が大量に浮かび、水質汚染が顕著になる<ref name="syonan"/>。
 
* [[1964年]](昭和39年):[[手賀大橋]]開通。県営の渡し船が廃止される<ref name="syonan"/>。
 
* [[1968年]](昭和43年):手賀沼第一干拓・第二干拓(計439ヘクタール)完成<ref name="syonan"/>。
 
* [[1974年]](昭和49年):水質汚染全国ワースト・ワンになる<ref name="syonan"/>。
 
* [[2000年]]([[平成]]12年):手賀沼浄水化を期待された北千葉導水道完成<ref name="syonan"/>。
 
* [[2001年]](平成13年):手賀大橋(4車線化)開通<ref name="syonan"/>。
 
 
 
== 水質と生物 ==
 
手賀沼は[[1955年]](昭和30年)頃までは[[ウナギ|うなぎ]]などの漁獲が多い清澄な沼であった。水底が透けて見え、子供たちは沼で泳ぎ、[[漁師]]は[[漁船|船上]]から沼の水をすくって飲んだほどであった。その後の[[高度経済成長]]による周辺の都市化に伴い、手賀沼に注ぐ[[大堀川 (千葉県)|大堀川]]、[[大津川 (千葉県)|大津川]]に[[生活排水]]や産業排水が流された結果、沼の[[水質汚濁]]と[[富栄養化]]は全国有数となった<ref>[http://www.city.abiko.chiba.jp/kurashi/faq/shizen/teganuma/yogore.html 手賀沼はなぜ汚れてしまったのですか?]我孫子市手賀沼課(2018年7月5日閲覧)</ref>。
 
 
 
[[化学的酸素要求量]] (COD) の年平均で見ると[[1974年]](昭和49年)から[[2001年]](平成13年)までの27年間連続で全国の湖沼でワースト1に甘んじていた。各種の水質対策や、[[北千葉導水路]]の完成もあって、1990年代までのような猛烈な汚濁レベル(COD年平均20mg/l台)からは改善している。
 
 
 
しかし、[[2012年]](平成24年)のCOD年平均は9.6mg/lで<ref name="ex_a">[http://www.pref.chiba.lg.jp/suiho/kasentou/inbanuma/kounoudo.html 千葉県環境生活部 [[印旛沼]]・手賀沼の水質浄化について CODが高い湖沼(ワースト5)]</ref>、[[印旛沼]]に次いで全国2位、[[環境省]]の定める[[環境基準]](手賀沼の場合、5mg/l以下)から見ても依然として高水準である。また、北千葉導水路によるとされる改善も、利根川からの導水によって水を希釈・押し流しているに過ぎないため、水質汚濁が根本的に解決されたわけではない。流入河川での対策では、例えば大堀川で礫間浄化施設による浄化などが行われている。また、底泥巻き上げ・溶出による内部負荷が大きいことも、水質浄化が足踏みしている原因の1つである。
 
 
 
このほか水中の[[栄養塩]]を吸収・除去するため[[ホテイアオイ]]や[[アオコ]]を回収したり<ref>[http://www.city.abiko.chiba.jp/kurashi/faq/shizen/teganuma/jyuoka2.html 手賀沼に対して、どのような水質浄化を行っていますか?その2]我孫子市手賀沼課(2018年7月5日閲覧)</ref>、湖岸の水生植物群を保存・育成したりしている<ref>[http://www.city.abiko.chiba.jp/kurashi/faq/shizen/teganuma/kuiuchi.html 手賀沼の若松地区沖と高野山新田地区沖にある杭打ちされている場所がありますが、一体何を行っているのでしょうか?]我孫子市手賀沼課(2018年7月5日閲覧)</ref>。
 
 
 
2011年3月の[[福島第一原子力発電所事故]]の後、大気中に飛散した[[放射性物質]]が手賀沼にも降下した。2013年3月時点では底質に放射性泥土が残留しており、千葉県はモニタリングを実施している。ただし、水が放射線を遮蔽するため、水面では弱く、人の日常生活には支障がない。<ref>[http://www.pref.chiba.lg.jp/suiho/press/2013/inte/130902h25intemonitor1.html 千葉県環境生活部水質保全課]</ref>
 
千葉県は2013年9月2日付けで“手賀沼で釣りをする皆様へ”と題して、モツゴ、ギンブナ及びコイについては放流、食用にしない、他の河川への移動をさせないように警告した<ref>[http://www.pref.chiba.lg.jp/gyoshigen/housyanou/osirase1.html] 千葉県農林水産物漁業資源課</ref>。
 
 
 
=== 手賀沼の生物 ===
 
手賀沼とその周辺の[[生物多様性]]は水質汚濁や干拓・護岸工事で損なわれたが、汚染に強い種や[[外来種]]を含めて多くの生物がいる。[[魚介類]]や[[両生類]]など水生動物が約20種類、[[水生植物]]5~6種類のほか、水鳥などが見られる<ref>[http://www.city.abiko.chiba.jp/kurashi/faq/shizen/teganuma/ikimono.html 手賀沼にはどんな生き物がいますか?(魚、水生動物&植物)]我孫子市手賀沼課(2018年7月5日閲覧)</ref>。
 
==== 魚介類 ====
 
[[コイ|鯉]]、[[モツゴ]]、[[ハクレン]]、[[ゲンゴロウブナ]]、[[ワタカ]]、[[ハス (魚)|ハス]]、[[ドブガイ]]、[[タイワンシジミ]]、[[アメリカザリガニ]]、[[テナガエビ]]など。
 
==== 両生類 ====
 
[[ウシガエル]]
 
==== 水生植物 ====
 
[[ヨシ]]、[[マコモ]]、[[ヒメガマ]]、[[ハス]]など。ハスについては1965年に1.5ヘクタールだった群落が23.6ヘクタール(2017年時点)に広がり、[[生態系]]への悪影響が懸念されることから、一部の駆除が行われている<ref>[https://mainichi.jp/articles/20180703/ddl/k13/040/009000c 「ロボットでハス刈り取り/東大大学院開発/大量繁茂の千葉・手賀沼で初実験」]『毎日新聞』朝刊2018年7月3日(東京面)2018年7月5日閲覧</ref>。
 
 
 
=== COD値の動き ===
 
[[環境省]]の公共用水域水質測定結果<ref>[http://www.env.go.jp/water/suiiki/index.html 公共用水域の水質測定結果 - 環境省]</ref>および千葉県環境生活部水質保全課のデータ<ref name="ex_a"/>による、近年のCOD値を並べる。
 
{| class="wikitable"
 
|-
 
!調査年度!!COD(mg/L)!!順位!!備考
 
|-
 
|1994年(平成6年)||21||ワースト1位||&nbsp;
 
|-
 
|1995年(平成7年)||25||同上||1990年代のピーク値
 
|-
 
|1996年(平成8年)||24||同上||この年から下降
 
|-
 
|1997年(平成9年)||23||同上||&nbsp;
 
|-
 
|1998年(平成10年)||19||同上||&nbsp;
 
|-
 
|1999年(平成11年)||18||同上||&nbsp;
 
|-
 
|2000年(平成12年)||14||同上||北千葉導水路が完成
 
|-
 
|2001年(平成13年)||11||ワースト2位||ワースト1位から脱出(代わって静岡県の[[佐鳴湖]]がワースト1位となる)
 
|-
 
|2002年(平成14年)||8.2||ワースト9位||ワースト5位圏内から外れる
 
|-
 
|2003年(平成15年)||8.4||ワースト6位||年々下降していたが上昇に転じる
 
|-
 
|2004年(平成16年)||8.9||ワースト4位||ワースト5位圏内に復帰
 
|-
 
|2005年(平成17年)||8.2||ワースト6位||再び下降に転じワースト5位圏内から外れる
 
|-
 
|2006年(平成18年)||7.9||ワースト11位||ワースト10位圏内から外れる
 
|-
 
|2007年(平成19年)||8.4||ワースト6位||再び上昇に転じワースト10位圏内に転落
 
|-
 
|2008年(平成20年)||8.2||ワースト8位||
 
|-
 
|2009年(平成21年)||8.6||ワースト5位||[[印旛沼]]と同順位
 
|-
 
|2010年(平成22年)||8.9||ワースト5位||印旛沼と同順位
 
|-
 
|2011年(平成23年)||9.3||ワースト2位||印旛沼は 11&nbsp;mg/l で全国トップ
 
|-
 
|2012年(平成24年)||9.6||ワースト2位||印旛沼は 11&nbsp;mg/l で全国トップ
 
|-
 
|2013年(平成25年)||9.5||ワースト2位||印旛沼は 12&nbsp;mg/l で全国トップ
 
|}
 
* COD値は年平均値であり、3桁目は四捨五入している。
 
* 手賀沼は「湖沼B」に分類されるため、CODの環境基準値は5mg/L以下である。
 
* 1979年(昭和54年)には年平均28mg/Lを記録している。
 
 
 
== 橋 ==
 
上流より
 
* [[柏ふるさと大橋]]–手賀沼と[[大堀川 (千葉県)|大堀川]]の境付近にかかる橋。
 
* [[手賀大橋]]–手賀沼の中央付近にかかる橋。[[千葉県道8号船橋我孫子線|県道8号線]]。
 
* [[手賀曙橋]]–手賀沼と[[手賀川]]の境付近にかかる橋。
 
 
 
== 周辺のイベント ==
 
* '''[[手賀沼花火大会]]''' - 8月上旬。柏市と我孫子市の主催。約1万3500発の花火が手賀沼湖上で打ち上げられ、手賀沼公園(我孫子市)、柏ふるさと公園などが主な会場となる。2009年(平成21年)は、不景気のため協賛金が集まらないとの理由で中止となった。2010年(平成22年)はこれまでの企業からの協賛金に加え、市民から募金を募る形をとり、2年ぶりの開催となった。2011年(平成23年)は[[東日本大震災]]の影響、2012年(平成24年)は[[東葛地域]]における放射性物質対策に予算を集中させる必要から中止。2013年(平成25年)より毎年開催されている。
 
* '''手賀沼トライアスロン''' - 8月下旬。県協会公認のトライアスロンで、沼南地区を会場に開かれる。毎年参加者が増えている。
 
* '''手賀沼エコマラソン''' - 10月。毎年約8000人の参加者が集まる。
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
=== 注釈 ===
 
{{Reflist|group="注釈"}}
 
 
 
=== 出典 ===
 
<!-- 文献参照ページ -->
 
{{Reflist|2}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
<!-- 使用した出典文献一覧 -->
 
* 我孫子市史編集委員会 近現代部会 編『我孫子市史 近現代篇』我孫子市教育委員会、平成16年3月31日、779p.
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[印旛沼]]
 
* [[日本の湖沼一覧]]
 
* [[山階鳥類研究所]]
 
* [[大堀川 (千葉県)|大堀川]]
 
* [[大津川 (千葉県)|大津川]]
 
* [[手賀川]]
 
* [[手賀沼干拓]]
 
* [[道の駅しょうなん]]
 
* [[美しい日本の歩きたくなるみち500選]]
 
* [[ちば遺産100選]]
 
 
 
== 外部リンク ==
 
{{Commonscat|Lake Tega}}
 
* [http://www.life-joho.com/ 手賀の丘公園]
 
* [http://www.teganuma-run.com/ 手賀沼エコマラソン]
 
* [http://tgn.sakura.ne.jp/ 写真集手賀沼]
 
 
 
{{柏市の河川等}}
 
{{日本の湖沼}}
 
{{Normdaten|NDL=00636491}}
 
 
{{DEFAULTSORT:てかぬま}}
 
{{DEFAULTSORT:てかぬま}}
 
[[Category:関東地方の湖]]
 
[[Category:関東地方の湖]]

2019/6/13/ (木) 15:26時点における最新版

手賀沼(てがぬま)

千葉県北西部,利根川の南岸にある狭長な沼。面積 4.1km2,周囲 37km。最大水深 3.8m。利根川本流からの逆流により,堆積物が下総台地を流れる支流の谷の出口をふさいで生じた。近世以降しばしば洪水に見舞われ,沿岸の開発工事が進められてきたが,1954年国営干拓事業が完成,面積は4割減った。フナ,コイなどの漁獲がある。周辺は宅地造成が急速に進行している。印旛手賀県立自然公園の一部で,近郊緑地特別保全区。野鳥が多く,沼の近くに山階鳥類研究所がある。



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