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[[File:Herkulaneischer Meister 002.jpg|thumb|[[ポンペイ]]の壁画、「紙とペンを持つ女」]]
 
[[File:Thought bubble.svg|thumb|right|100px|「思考」を表現するイラストレーション]]
 
'''思考'''(しこう、{{lang-en-short|Thinking}})は、考えや思いを巡らせる[[行動]]<ref name="koujien1157">{{Cite book|和書|year=1999|title=広辞苑|edition=第五版第一刷|publisher=岩波書店|pages=1157|chapter=【思考】|isbn=4-00-080113-9}}</ref>であり、[[結論]]を導き出す<ref name="tec-ac">{{cite web|url=http://www.teu.ac.jp/kmdit/pukiwiki/?plugin=attach&refer=%C1%CF%C0%AE%B2%DD%C2%EA2007&openfile=sousei01_iwadare.pdf|format=PDF|language=日本語|title=思考と言語|publisher=[[東京工科大学]]コンピュータサイエンス学部亀田研究室|author=岩重洋志|accessdate=2010-06-05}}</ref>など何かしら一定の[[状態]]に達しようとする過程において、筋道や方法など模索する[[精神]]の活動である<ref name="NohongoDai838">{{Cite book|和書|year=1989|title=日本語大辞典|edition=第一刷|publisher=講談社|pages=838|chapter=【思考】|isbn=4-06-121057-2}}</ref>。広義には[[人間]]が持つ知的作用を総称する言葉、狭義では[[概念]]・[[判断]]・[[推理]]を行うことを指す<ref name="koujien1157" />。知的[[直感]]を含める場合もあるが、[[感性]]や意欲とは区別される<ref name="koujien1157" />。[[哲学]]的には'''思惟'''(しい、しゆい)と同義<ref name="NohongoDai838" />だが、[[大森荘蔵]]は『知の構築とその呪縛』(p152)にて思考と思惟の差について言及し、思惟とは思考を含みつつ[[感情]]なども包括した心の働きと定義している<ref name="shiga-u">{{cite web|url= http://www.edu.shiga-u.ac.jp/dept/e_ph/dia/mmaeda.pdf|format=PDF|language=日本語|title=異類の存在論|publisher=[[滋賀大学]]教育学部倫理研究室|author=前田麻澄|pages=39|accessdate=2010-07-03}}</ref>。
 
  
[[論理学]]分野で研究されてきた思考の定義は定まっておらず<ref group="2-" >『ブリタニア国際大百科事典、第2版改訂』</ref>、多様な側面を持つ<ref name="aisyou">{{cite web|url=http://www2.aasa.ac.jp/org/lib/j/netresource_j/pf/pf_thinking_j.html|language=日本語|title=思考|publisher=[[愛知淑徳大学]]図書館バスファインダー |author=|accessdate=2010-06-05}}</ref>。[[心理学]]分野の研究では、思考とは何らかの[[思想]]や[[問題]]対処法を立ち上げる心の過程や操作を示し<ref name="koujien1157" />、その対象は問題解決、方略、推理、理解、表象(心像、観念、概念など)知識といった現象を取り扱う<ref group="2-" >『日本大百科全書』</ref><ref name="aisyou" />。
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'''思考'''(しこう、{{lang-en-short|Thinking}}
  
[[漢字]]「思考」の「思」は、「田」が[[頭蓋骨]]の意味が転じた「[[頭脳]]の活動」、「心」が「精神の活動」を指す。「考」は知恵の意味「老」に終わりなく進む「て」が付属したものである。漢字全体では、頭や心で活動し、知恵を巡らせることを意味する<ref name="hamamasu-u">{{cite web|url=http://home.adin.hamamatsu-u.ac.jp/~sand/06sys.htm|language=日本語|title=単語/熟語研究(27):laut nachdenken|publisher=[[浜松大学]]|author=砂子岳彦|accessdate=2010-06-05}}</ref>。
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思惟ともいう。はっきりした定義はないが,一般的には,ある対象,事態ないしはそれらの特定の側面を,知覚の働きに直接依存せず,しかもそれと相補的な働き合いのもとで,理解し把握する活動または過程をさす。その活動には,判断作用,抽象作用,概念作用,推理作用,さらに広義には想像,記憶,予想などの働きを含む。また連想心理学では,観念の連鎖をさす。思考は古くから心理学の研究対象として取上げられ,問題解決場面における意識過程の分析や行動の解析が行われてきたが,最近ではコンピュータを用い,シミュレーションなどによる研究もなされている。
 
 
思考とは何かという疑問は、人類の[[歴史]]の中で繰り返し問いかけられてきた。ただし思考だけを独立させて取り扱うのではなく、[[知能]]や[[生命]]、さらに[[社会]]など総体的に人間が生きる側面のひとつとみなし、[[複雑系]]を構成する要素として組織的に扱う必要がある<ref name="hiroshima-u">{{cite web|url=http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/metadb/up/74007224/Hirodai-Hokengaku-J_1-1_11-15_2001.pdf|format=PDF|language=日本語|title=作業療法の学問的位置づけと21世紀の展望|publisher=[[広島大学]]学術情報リポジトシ|author=宮前珠子|accessdate=2010-06-05}}</ref>。[[イマヌエル・カント]]は、近代的な[[個人]]の思考とはひとりでは成り立たせることは不可能であり、必ず他者と共同され、[[公開]]し、[[主観]]を[[共有]]する状態からしか生まれないと述べた。そうでないものを「[[未成年]]状態」と定め、それを脱却するために[[啓蒙]]が必要と説いた。したがって、[[言論の自由]]とは[[意思]]を[[発表]]する[[権利]]という点に止まらず、思考の権利でもあると考えた<ref name="kyoto-u">{{cite web|url= http://kyodo.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~lumieres/index.php?plugin=attach&openfile=%BA%B4%C6%A3-%A5%CF%A1%BC%A5%D0%A5%DE%A5%B9.pdf&refer=%5B%5B%A5%D7%A5%ED%A5%B0%A5%E9%A5%E0%5D%5D|format=PDF|language=日本語|title=『公共性の構造転換』p7-8|publisher=[[京都大学]]人文科学研究所「啓蒙の運命」共同研究班|author=佐藤淳二/[[北海道大学]]|accessdate=2010-06-05}}</ref>。
 
 
 
== 思考の意味 ==
 
[[File:Rodin TheThinker.jpg|right|190px|thumb|[[オーギュスト・ロダン]]『[[考える人]]』]]
 
=== 広義と狭義 ===
 
思考とは、何らかの事象や[[目標]]などの対象について考える働きまたは過程の事であり<ref group="2-" >『新版心理学事典』</ref><ref name="aisyou" />、対象となるものの意味を知る、または意味づけを行うことで働かせる[[理性]]的な[[脳]]や<ref name="fukuokaedu-u" />[[心]]の作用を言う<ref name="seisinjiten">{{cite web|url=http://web.sc.itc.keio.ac.jp/~kokikawa/seisin/nishimaru2.html|language=日本語|title=臨床精神医学辞典(西丸四方著、[[南山堂]]、1974年、1985年より)その2 |publisher=[[慶應義塾大学]]|author=川村光毅|accessdate=2010-06-05}}</ref>。これには二つの意味がある<ref name="toyama-uOgawa">{{cite web|url= http://www.crdc.gifu-u.ac.jp/cerd/scs/resume2k6/scs20061124ogawa.pdf|format=PDF|language=日本語|title=教師と子どもの発想を広げる方法‐総合的な学習の時間や情報教育で育てる思考する力‐|publisher=[[富山大学]]人間発達科学部|author=小川亮|accessdate=2010-06-05}}</ref>。
 
 
 
広義には「心」が動くことそのものを言い<ref name="toyama-uOgawa" />、「内化された心像・概念・言語を操作すること」<ref group="2-" >佐治守夫【思考】『心理学小辞典』[[有斐閣]]、1978年</ref>である<ref name="fukuokaedu-u">{{cite web|url=http://www.fukuoka-edu.ac.jp/~jissen/staff/amano/kyouyou.html|language=日本語|title=教養教育のあり方について|publisher=[[福岡教育大学]]|author=川村光毅|accessdate=2010-06-05}}</ref>。このような意味では、思考とは、心の中で自発的につくられた観念が、[[時間]]の経過とともにそれぞれが連鎖し変遷する「心的過程」のひとつと言うことが出来<ref name="kyoudou">{{cite web|url=http://www.nips.ac.jp/contents/publication/report/html/2008_30/data/12houkoku_w10.html|language=日本語|title=心的過程の神経機構:スパイク統計性に対する理論からの予言と検証|publisher=[[大学共同利用機関法人]]自然科学研究機構[[生理学研究所]]|author=岡本洋、深井朋樹|accessdate=2010-06-05}}</ref>、人間は常に何かを思考している<ref name="toyama-uOgawa" />。逆に思考をしないためには心を[[空 (仏教)|空]]にする特別な修練を積む必要がある<ref name="toyama-uOgawa" />。
 
 
 
狭義には、何らかの目標達成や問題解決のために行う一連の[[情報処理]]を指し、思考する対象の意味を理解しながら進められる認知的な行動である<ref name="toyama-uOgawa" />。ここで思考が使う[[情報]]とは、記憶の中に[[分布]]する[[ホログラム]]と言える<ref group="2-" >K.H.プリブラム『脳の言語‐実験上のパラドックスと神経心理学の原理』p380、岩原信九郎、酒井誠訳、誠信書房、1978年</ref><ref name="okayama-u">{{cite web|url=http://ed-www.ed.okayama-u.ac.jp/~youji/takahashi/byouga/byouga2.htm|language=日本語|title=幼児の頭足人的表現形式の本質と脳から見た人体説|publisher=[[岡山大学]]教育学部|author=高橋敏之|accessdate=2010-06-05}}</ref>。そして思考は、組織化された外部情報を成分要素とする内的な[[シミュレーション]]と定義される<ref name="fukuokaedu-u" />。これによって人間は様々な予測を得る。しかし、その予想精度には、精確で豊富かつそれらが有機的に繋がった情報([[知識]])を元に精確なモデルを構築し、それをさらに精確なシミュレーション(思考)に掛ける必要がある<ref name="fukuokaedu-u" />。
 
 
 
=== 特徴 ===
 
狭義の思考は[[情報処理]]のひとつである。ただしそれは断片的な情報を連想で引き出しつつ論理的に繋ぎ合わせながら<ref name="maebashiit-u">{{cite web|url=http://www.maebashi-it.ac.jp/library/chiken/seeds/006.pdf |format=PDF|language=日本語|title=脳に原理を学んだ連想記憶|publisher=[[前橋工科大学]]|author=山根茂|accessdate=2010-06-05}}</ref>言語や[[イメージ]]を用いて行う内的なもので、思考自体は直面した問題に対応してどのような行動を取ることが適切かという回答を捻出する[[努力]]を払っているまでの状態と言え<ref name="yamanashi-u">{{cite web|url=http://opac.lib.yamanashi.ac.jp/igaku/mokuji/YNJ/YNJ4-2/image/YNJ4-2-047to057.pdf|format=PDF|language=日本語|title=親子関係形成に向けての面会に関するNICU看護師の思い|publisher=[[山梨大学]]付属図書館医学分館|author=安藤晴美、岡部恵子|accessdate=2010-06-05}}</ref>、その際に外部へ向けた行動は止まっている<ref group="2-" >福井純『現代哲学事典』p275-277、[[講談社]]現代新書、2003年</ref>。しかし思考を孤立したものと捉えるのは間違いであり、問題に直面して行き詰まったような場合に行動へ修復をかけるための手段としても活用される<ref name="tohokugakuin-uUjiie15">{{cite web|url=http://www.edutech.tohoku-gakuin.ac.jp/ujiie/genri15.htm|language=日本語|title=講義:教育の原理 15.教育の方法について|publisher=[[東北学院大学]]|author=氏家重信|accessdate=2010-06-05}}</ref>。この意味では、思考は一連の行動におけるひとつの要素と言える<ref name="tohokugakuin-uUjiie15" />。
 
 
 
[[ジル・ドゥルーズ]]は、思考を「解釈でなく、実験」と言う<ref group="2-" >G ドゥルーズ『記号と事件:1972-1990年の対話』河出書房新社、1992年</ref>。これは、解釈が対象を解釈者の範囲の中に入れ込んでしまう行動なのに対し、思考は限定される範囲が無い創造的活動だという主張である<ref name="kansai-u">{{cite web|url=http://www.chat.kansai-u.ac.jp/people/katsuhiro_yamazumi/grants1/file/02.pdf|format=PDF|language=日本語|title=グローバリゼーションと英語教育|publisher=[[関西大学]]文学部|author=山住勝利|accessdate=2010-06-05}}</ref>。
 
 
 
雑念や[[空想]]も思考の一形態である。ただし一般に言われる思考とは本人が意図して取り組む自主的なものという受け取られ方をしており、それに対して雑念は「浮かぶ」「湧く」などの自動詞で表現される通り、意図せず偶然に侵入してくる邪魔者のような観念で捉えられ、空想とは異なり好ましくは見られていない。雑念恐怖症のように神経症のひとつにも受け取られる。しかし、両者は明瞭に区別できるものではなく、瞬間的な何かの思いつきなどを継続して考えれば思考になり、継続させたくないという意思が働けば雑念になるとも言える。そしてこのような刻々の思いつきは人間にとって自然な事である<ref name="tuins-u">{{cite web|url=http://library.tuins.ac.jp/kiyou/2008kokusai-PDF/00803otani.pdf|format=PDF|language=日本語|title=雑念恐怖症の諸相‐森田療法の観点から‐|publisher= |author=大谷孝行|accessdate=2010-06-05}}</ref>。
 
 
 
[[ギルバート・ライル]]は、思考の本質として以下の特徴を挙げている。1) 必ず新奇な事象を含む。 2) 状況に敏感に反応し、修正や新しい[[ルーチン]]を作り出す。 3) 目的のため多様なルーチンを用いる。 4) 試行錯誤と見直しを繰り返すため、必ずしも合理的、正当とは言いがたい。 5) 過去に学習で得たルーチンを一般化し別の状況に適合できる。 6) 階層的であり、背景に期待や疑いなどが介在する。ライルはまた、思考とは特定の[[技術]]や[[技能]]を行使するものという意見にも反対する。思考とは確立された技術などと異なり、必ずしも結論に至るものではない。思考の過程とは成功への道筋が存在しない中で、暫定的、実験的、懐疑的なさまざまな糸口らしきものを探し、[[失敗]]にも多く行き当たりながら思索を進めるものと論じた<ref name="osaka-u">{{cite web|url=http://www.hus.osaka-u.ac.jp/kiyo/file/33/33-02_ikey.pdf|format=PDF|language=日本語|title=思考についての哲学的探求‐ギルバート・ライルの観点から‐|publisher=[[大阪大学]]人間科学研究科|author=池吉琢磨、中山康雄|accessdate=2010-06-05}}</ref>。
 
 
 
人間の思考とは、対称モードと非対象モードが混合する、いわゆる複論理的構造 (bi-logical structure) を持つという。非対象モード(非均質モード)とは純粋理論に相当する。それに対し対称モードとは本来対称と取らないニ項(例えば「全体」と「部分」、「質」と「量」など)を対称的に捉え、それらを無意識に圧縮や置き換え、時間性の無視、相互矛盾の無視、外的と内的の取り替えなどを加える<ref name="ritsumei-u">{{cite web|url=http://www.psy.ritsumei.ac.jp/~hat/cgi-bin/al/slide.cgi?Nakano-2007J.ppt|format=PPT|language=日本語|title=無意識の思考における対称性|publisher=[[立命館大学]]文学部心理学研究所|author=中野昌宏([[大分大学]])|accessdate=2010-06-05}}</ref>。
 
 
 
=== 人間と動物の違い ===
 
[[File:Mono pensador.jpg|left|150px|thumb|一見思慮深げな[[表情]]を見せても、[[猿]]が思考をしているとは言い難い<ref name="tohokugakuin-uUjiie3" />。]]
 
[[昆虫]]や[[動物]]が高い[[選択]]性をもって行動している場合があり、それはまるで思考をめぐらせて得られた結論から起因したもののように見える事がある。しかし、実際にはそれぞれが[[生存]]や[[繁殖]]する上で必要な[[刺激]]情報を感覚的に取り入れて行う[[本能]]行動に過ぎず、たとえ[[学習]]を経て会得した高度な行動パターンでもこの域を出ない<ref name="tohokugakuin-uUjiie3">{{cite web|url=http://www.edutech.tohoku-gakuin.ac.jp/ujiie/sisou3.htm|language=日本語|title=講義:思想の世界 3.思考とは何か|publisher=[[東北学院大学]]|author=氏家重信|accessdate=2010-06-05}}</ref>。
 
 
 
例えば、[[雌|メス]]の[[ダニ]]は[[交尾]]を終えると[[木]]の[[枝]]で[[哺乳類]]が通り過ぎるのを待ち、その体へ移る。だが動物が通ることは非常に稀で、そのためダニは場合によっては数年間も待ち続け、数少ない機会を選択して飛び移る。この行動は一見外部情報をダニが選択し、思考を巡らせて飛ぶか否かを決めているように見える。しかしその実態は動物の体が放つ[[酪酸]][[臭気|臭]]に反応するだけで、あらかじめ身体に仕込まれた反射行動でしかない。[[雛]]を守る[[鶏|親鶏]]の行動も思考し選択をしているように見えるが、これも雛の鳴き声という部分的な[[信号]]によって誘発される行動であり、見掛け思考をしているようであってもその実は限定された感覚的情報に突き動かされた[[本能]]的反応でしかない<ref name="tohokugakuin-uUjiie3" />。
 
 
 
人類に近い[[チンパンジー]]について、[[ドイツ]]の心理学者[[ヴォルフガング・ケーラー]]は、手が届かない[[バナナ]]を[[道具]]を使って取らせる[[実験]](『類人猿の知恵試験』<ref>{{cite web|url=http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/ai/video/aibook/chapter4_2.html|language=日本語|title=第四章 世代を超えて伝わるもの2 |publisher=[[京都大学霊長類研究所]]|accessdate=2010-07-15}}</ref>)を行い、思考についての考察を纏めた。それによると、[[棒]]とバナナが同じ[[視野]]に入らない場合、チンパンジーがバナナを獲得することは非常に困難になる。また、無用なものも含めた複数の道具がある状況では、成功するまで数々の道具を使った[[試行錯誤]]を繰り返す。これらは、バナナを見つけたチンパンジーは本能からそれを手に入れることへ行動エネルギーが[[ベクトル]]化され、実は有用な道具類も同時に見えない限り意味を見出せず、視線を外したとたん切捨てられる傾向があるためである。また、複数の道具の有用性を事前には想像できず、試さなければ判らないという点も汲み取れる<ref name="tohokugakuin-uUjiie3" />。
 
 
 
これら本能行動には無駄が存在する余地は無く、[[感覚器]]が収拾する情報は狭い選択範囲に限定されている。これに対し人間は、[[文明]]を築き上げ本能行動に依存しない生存環境を作り出したこと、そのために生きるための環境への[[適応]]能力を失ったがゆえに雑多な外的情報を無秩序に受け入れる余地を得た。さらに[[アルノルト・ゲーレン]]によれば、人間は生物としての衝動的なエネルギーが本能によって方向づけされていないために、関心とも言い換えられる衝動エネルギーが生存の維持とはさほど関係しない事象にまで向けられる特質を持つと言う。そして、この一見無駄とも思えるエネルギーが無秩序な世界を把握する方向に向けられた結果が、[[自然]]の制御など人類が生存できる環境の作り変えに発展した<ref name="tohokugakuin-uUjiie3" />。
 
 
 
さらに人間は、一旦眼にしたものを言語化して記憶し、それを後に取り出して別な場面で関連付けることができる。それは[[経験]]に裏打ちされた[[過去]]の情報でも可能である。このような後天的な学習で得た情報を使ってなにかしらを判断することが思考であり、これは人間のみが獲得した特質と言える<ref name="tohokugakuin-uUjiie3" />。
 
 
 
=== 思考の生理的解釈 ===
 
人間の高次神経系を3つに分けて説明した[[イワン・パブロフ]]は、思考とは[[大脳皮質]]の言語神経系(第二信号系)が行う概念化の活動と考察した。ただしこの第二信号系活動は原始的・情動的活動を司る第一信号系と本能的な体系部分と切り離されている訳ではなく、密接に関連し合いながら相互に影響を与える<ref name="keio-uKawamura">{{cite web|url=http://web.sc.itc.keio.ac.jp/~kokikawa/emotion.html|language=日本語|title=情動の機構と歴史的考察|publisher=[[慶應義塾大学]]|author=川村光毅、小幡邦彦|accessdate=2010-06-05}}</ref>。
 
 
 
心理学者・[[神経科学]]者のポール・マクリーン[[:en:Paul D. MacLean|(en)]]は「内臓脳」/「辺縁系」と「三型階層性脳」説を唱えた。これによると、人間は進化の過程で言語野である大脳皮質を発達させた。そうして他者や集団とのコミュニケーションが行われ、抽象的概念を用いた思考を獲得し、動物的な情動を抑え、洞察するという手段を手に入れた<ref name="keio-uKawamura" />。
 
 
 
脳における思考のメカニズムは、感情や記憶・学習などと同様に[[シナプス]]の働きを基盤としており<ref>{{cite web|url=http://www.tmin.ac.jp/medical/17/synapse2.html|language=日本語|title=シナプスの働き|publisher=財団法人東京都医学研究機構 東京都神経科学総合研究所|accessdate=2010-07-17}}</ref>、[[電気生理学]]や[[分子生物学]]手法にて研究が行われている<ref>{{cite web|url=http://www.m.u-tokyo.ac.jp/research/research_pamph/Japanese/FunctionalBiology.pdf|format=PDF |language=日本語|title=機能生理学|publisher=[[東京大学]]大学院 医学系研究科・医学部|accessdate=2010-07-17}}</ref>。[[光トポグラフィー]]を用いた実験では、論理的な思考には脳の右半球[[下前頭回]] (inferior frontal gyrus) 領域が活発な活動を起こすことが示された<ref>{{cite web|url=http://www.keio.ac.jp/ja/press_release/2009/kr7a43000001mq0h-att/090824_1.pdf|format=PDF |language=日本語|title=プレスリリース 2009年8月24日 論理的思考の脳内機構を解明|author=渡辺茂・辻井岳雄/慶應義塾大学大学院社会科学研究科|publisher=[[慶應義塾大学]]|accessdate=2010-07-17}}</ref>。
 
 
 
一方で、神経エネルギーの観点から思考を解説し、これらと身体行動との関連も説明されている。感覚によって喚起された感情や思考は、別の感情や思考を起こす引き金になり連続的に続く。これは神経エネルギーの流れが作用する現象である。一方で、この神経エネルギーは思考・感情だけでなく身体活動にも影響するため、これら3つの要素は関連性を持っている。例えば、身体を激しく動かすと思考や感情に注がれるエネルギーは相対的に低下し、逆に思考へ極端に集中すると活動や感情は抑えられる<ref name="hosei-u">{{cite web|url=http://www.t.hosei.ac.jp/~hhirano/2000/nakajima/index.html|language=日本語|title=[[ハーバート・スペンサー]]著『笑いの生理学』、中島三恵訳、1860年3月|publisher=[[法政大学]]多摩キャンパス|author=中島三恵|accessdate=2010-06-05}}</ref>。
 
 
 
== 思考と情報 ==
 
思考とは、心に色々な事柄を思い浮かべる(心像:mental image)行動を通じて、それらの関係を構築する作業である。この心像には、[[五感]]で受け取った像(知覚心像)と、それらを脳内で再構成した像(記憶心像)があり、思考ではこの2種類の心像を複数照会し合いながら同定し、判断に至る作業を行う<ref group="2-" >山鳥重『「わかる」とはどういうことか‐認識の脳科学』ちくま新書339</ref><ref name="Nagoya-uYoshida">{{cite web|url=http://www.eps.nagoya-u.ac.jp/~yoshida/japanese/books/2002/yamadori-wakaru.html|language=日本語|title=山鳥重著『「わかる」とはどういうことか』のまとめ |publisher=[[名古屋大学]]理学部|author=吉田茂生|accessdate=2010-06-05}}</ref>。
 
 
 
思考は人間が直面する問題を解決するために問題と状況を「理解」し「解」を導き出す心の働きである点から、対象について多角的なアプローチが行われつつ検討が繰り返されるため、漸進的でありかつ累積的に進むところを特徴とする。また、思考は心の働きではあるが閉じている訳ではなく、外部から得る情報を取り込みながら行われる<ref name="chuo-uMiyake">{{cite web|url=http://yoshio.sist.chukyo-u.ac.jp/yoSemi/papers/think-support.pdf|format=PDF|language=日本語|title=思考支援|publisher=[[中央大学]]情報科学部|author=三宅芳雄|accessdate=2010-06-05}}</ref>。この情報とは、[[短期記憶]]や思考する際に五感から得られた外的情報でなければならない事は無く、過去に得た知識を用いた<ref group="2-" >『認知と思考:思考心理学の最前線』</ref><ref name="aisyou" />経験的な[[長期記憶]]や[[連想]]などだけでもよい<ref name="toyama-uOgawa" />。
 
 
 
[[File:Bundesarchiv B 145 Bild-F077948-0006, Jugend-Computerschule mit IBM-PC.jpg |thumb|[[コンピュータ]]などの[[情報機器]]は、思考を手助けする有効なツールである。]]
 
[[コンピュータ]]など[[情報機器]]は、思考を支援することができる。思考する対象の情報を得て理解する段階にて、情報を得る早さや[[検索]]機能など適切な情報に行き当たる[[確率]]の向上、そして絶対的な情報[[量]]の多さや[[統計]]的な整理、[[図案]]化など理解しやすい表現などが可能となる。また、具体例を示したり、情報の属性に応じた検索などは洞察を深め[[発想]]に繋がる。記憶の蓄積や操作、整理統合にも役立ち、この点は思考過程を一部外化していることになる。これらの思考支援機能の各要素を同じ環境下に備える「統合的思考支援環境」の開発は、情報処理機器の研究開発が目指すひとつの目標となっている<ref name="chuo-uMiyake" />。
 
 
 
== 思考の過程 ==
 
思考とは、何らかの事象へ反射的に行われるものではなく、複雑な内的過程を経て結論へ導かれる考え<ref group="2-" >『思考:認知心理学;4 東京大学出版社 1996年』</ref>である<ref name="aisyou"/>。この過程を段階的に捉える試みは数多くあり、多様な説明がなされている。
 
 
 
次の例では、思考過程を5つの過程で説明する。1) [[分析]]では、単位情報をそれが持つ要素や性質まで分解すること 2)[[総合]]では、分解した要素や性質に着目し情報を結合させること 3)[[比較]]では、分解した要素や性質を比較して情報間の相違や類似部分を洗い出すこと 4)[[抽象]]では、情報の本質は何かを見出すこと 5)[[概括]]では、見出した情報の本質をまとめ上げることである<ref name="tec-ac" />。
 
 
 
思考には不可欠である言葉(ロゴス)と関連させ、思考‐言語を相関させた3段階で成された説明もあり、これは思考の「[[概念]]」「[[判断]]」「[[推理]]」を言語の「[[名辞]]」「[[命題]]」「[[推論]]」の作用と対応させている。思考は先ず、「概念 (concept)」の形成から始まる。これは複数の対象に共通する特徴を把握し、それらを包括的・概括的に認識することにあり、対象群を[[抽象化]]する過程、本質的な[[特徴]]を見極めること<ref group="2-" >栗田賢三他編『岩波哲学小辞典』p30、岩波書店、1979年</ref>でもある。この把握された特徴は言葉によって表され(「名辞」)、概念として認識されることになる。このような特徴は、名辞された言葉が持つ意味内容と紐付けされた内包 (intension) 要素と、言葉が適用される対象の範囲を示す外延 (extension) 要素の2つで構成される。概念が構成されると、次にそれらを組み合わせて大きな[[単位]]を作る段階である「判断 (judgment)」 ‐言語単位では「命題 (proposition)」 ‐に入る。これは対象である存在 (being) とその性質や特徴を示す属性 (attribute) または複数の対象間にある関係 (relation) について、[[主語]]‐[[客語]]‐[[連辞]]という[[文章]]形式で組み立てられる<ref group="2-" >村次能就編『哲学用語辞典』p338-339、東京堂出版、1974年</ref>。判断が構成されると、次にこれを前提に置いて結論が導き出される<ref group="2-" >[[アリストテレス]]『[[オルガノン]]、分析論前書』第1巻第1章</ref><ref group="2-" >村次能就編『哲学用語辞典』p228、東京堂出版、1974年</ref>。この過程は「推理 (inference) 」‐言語単位では「推論」‐と呼ばれ、ひとつ以上の[[真実]]と思われる判断を元に、別の判断を真実とみなす思考の作用である<ref group="2-" >栗田賢三他編『岩波哲学小辞典』p30、岩波書店、1979年</ref>。この推理を進める方法には、[[経験]]を排除し[[論理]]に基づいて結論を導く[[演繹]]的推理と<ref group="2-" >栗田賢三他編『岩波哲学小辞典』p23、岩波書店、1979年</ref>、個別事情を勘案しそこから一般的な結論を見出す[[帰納]]的推理がある<ref group="2-" >栗田賢三他編『岩波哲学小辞典』p52、岩波書店、1979年</ref>。推論の種類には、ひとつの判断から直接的に別の判断の真偽を判定する直接推論と<ref group="2-" >アリストテレス『オルガノン、分析論前書』14 </ref>、いわゆる[[三段論法]]にように2つの判断から結論を導く間接推論<ref group="2-" >村次能就編『哲学用語辞典』p228、東京堂出版、1974年</ref>がある<ref name="iwate-u">{{cite web|url=http://ir.iwate-u.ac.jp/dspace/bitstream/10140/3015/1/beeiu-v8p26-32.pdf|format=PDF|language=日本語|title=思考の根本形式|publisher=[[岩手大学]]|author=犬塚博彦|accessdate=2010-06-05}}</ref>。
 
 
 
[[数学]]における反省的思考という範疇では、[[ジョン・デューイ]]は思考とは5つの段階を踏むと提唱した。1) 暗示、2) 知性的整理、3) 仮説(指導的観念)、4) 推理作用、5) 仮説の検証 をそれぞれ踏む事で問題解決を成すという。これは、対象が記号化・言語化され、感覚的に捉えたそれら情報を意識的か否かに関わらず論理的に斟酌する行動を指す<ref name="gunmaYanagi">{{cite web|url=https://gair.media.gunma-u.ac.jp/dspace/bitstream/10087/4722/1/NO26_2009_03.pdf|format=PDF|language=日本語|title=数学における反省的思考|publisher=[[群馬大学]]|author=柳田修平|accessdate=2010-06-05}}</ref>。
 
 
 
== 言語と思考 ==
 
思考とは[[言葉]]の操作であり<ref name="zoukei-u">{{cite web|url=http://opac.lib.yamanashi.ac.jp/igaku/mokuji/YNJ/YNJ4-2/image/YNJ4-2-047to057.pdf|format=PDF|language=日本語|title=東京造形大学研究報No.4 2003年4月 言葉の哲学p166|publisher=[[東京造形大学]]|author=加藤茂|accessdate=2010-06-05}}</ref>、これを指して[[プラトン]]は「思考」を自分自身との内的な「[[対話]]」と呼んだ<ref group="2-" >プラトン『ソピステース』263e </ref>。同様に[[藤沢令夫]]は、思考とは言葉([[ロゴス]])を発する本人が同時に発する言葉を聞く行為が必ず付随するため、結果的に自己内で対話(ディアロゴス)をしている状態になり、これが思考の本質でありそのダイナミズムを適切に表現していると論じた<ref group="2-" >[[藤沢令夫]]『イデアの世界』p25-、岩波書店、1980年</ref>。ただし、現象学を研究する[[エトムント・フッサール]]は、この対話とは通常のコミュニケーションと比較すると「告知作用」に欠け、「意味作用」のみの働きと分析している<ref name="Osaka-uHama">{{cite web|url= http://www.let.osaka-u.ac.jp/~cpshama/gyouseki/taiwa3.htm|language=日本語|title=『対話の現象学にむけて‐現象学の可能性をめぐって‐』|publisher=[[大阪大学]]文学部|author=浜渦辰二/[[静岡大学]]人文学部|accessdate=2010-06-05}}</ref>。
 
 
 
思考と[[言語]]が密接に関係するということは、言葉が曖昧なものだと、それが言語を超越した直感でも無い限り思考の内容である語義と意図が曖昧であることを意味する<ref name="zoukei-u" />。また、[[サピア=ウォーフの仮説]]では、思考は言語構造に規定されるということ(言語相対性仮説)が提案されている。これは、何らかの対象について思考する際、それぞれの人間が使う言語が持つ個別概念が影響を及ぼすというものである。例えば本来区切りが無い[[虹]]について、ある言語で「虹は六色」、他では「七色」と分類されていると、それを使う人間の思考では虹はそれぞれの数の色分けをして然るべきという認識が科せられる<ref name="arc">{{cite web|url= http://www.arc.ac.jp/info/img/zouhoP250-281.pdf|format=PDF|language=日本語|title=増補項目p258 |publisher=アークアカデミー日本語教師養成講座|author=|accessdate=2010-06-05}}</ref>。
 
 
 
思考と言葉の関係そのものについても、それぞれの言語種類で捉え方に違いがある。[[日本語]]では両者は分けられる傾向にあり、「声に出して思考する」という表現は馴染まない。しかし[[ドイツ語]]の分離[[動詞]]「nachdenken」には「熟考する」という意味の他に、[[副詞]]と結びついて「laut nachdenken」では「熟考した結果を公にする」という意味を持つ。日本語の思考では頭(または心)の中だけの行動と取られがちだがドイツ語では思考と言葉を同じものとみなす傾向があり、細分すると思考は表現する前の言葉であり、言葉は表現した思考となって、両者は本質的に同じものと捉えられている<ref name="dokkyo-u">{{cite web|url= http://www.dokkyomed.ac.jp/dep-m/german/tjk27.html|language=日本語|title=単語/熟語研究(27):laut nachdenken|publisher=[[獨協医科大学]]|author=柳田修、寺門伸|accessdate=2010-06-05}}</ref>。
 
 
 
思考は人間の知能を知る上で重要な要素である。しかし、知能の解明は未だ不充分であり、その背景には本来密接に関連する思考と言語がばらばらに研究されてきた事がある<ref name="tec-ac" />。
 
 
 
このような思考と言語の関係について、[[ギルバート・ライル]]は異なる観点を提示している。多くある思考は自分自身への語りかけであり言語または[[シンボル]]の形態を取るという意見に反論し、ライルは思考過程において言語が使われてもそれは思考が目標に向かう過程で経由した単なる段階でしかなく、誰かに聞かせる意図を持つものではないと論じ、思考は言語に限らない多くの伝達手段を自己に対して実験的に投げかけているものだと主張した<ref name="osaka-u" />。思考は言語を基礎に行われるが、それだけではなくイメージなども関与する。また、感情や動機づけなども影響を与える複合的な過程である<ref name="chuo-uMiyake" />。
 
 
 
== 思考の種類 ==
 
思考を説明するに当たり、論理的思考など「…的思考」という表現などが使われる事が多い。以下ではいくつかの例を示す。
 
 
 
「論理的思考」の定義は様々である。これについて井上尚美は、3つの定義を提唱した。狭義では推論が[[形式論理学]]の規則に従っている事を挙げ、次に論証の形式である前提‐結論や主張‐理由という骨格がある事、広義には直感やイメージからの思考ではなく概念的思考である事としている<ref name="Ryukyu1">{{cite web|url= http://www.cc.u-ryukyu.ac.jp/~michita/works/2003/kiyo0309.html |language=日本語|title=論理的思考とは何か? |publisher=[[琉球大学]]教育学部|author=道田泰司|accessdate=2010-06-05}}</ref>。この論理的思考は、直感的発想にある正確性や明示性に欠ける点を補い、妥当なものかどうかを確認・察知する有効な手段であり、前提を漏れなく明示しつつ真偽を検証し、さらに推論のプロセスを明瞭にして検証可能な状態にすることができる<ref>{{cite web|url= http://www.umds.ac.jp/kiyou/k/16-2/k16-2akagawa.pdf|format=PDF|language=日本語|title=直感的発想と論理的思考|publisher=[[流通科学大学]]|author=赤川元彦|accessdate=2010-06-05}}</ref>。しかし、論理的思考で得られた結論が必ず正しいとは言い切れず、また絶対に結論を得られるものではない点にも留意する必要がある<ref>{{cite web|url= http://www.ngm.edhs.ynu.ac.jp/negami/document/principle/principle.html|language=日本語|title=人間に宿る数理的原理|publisher=[[横浜国立大学]]教育人間科学部|author=根上生也|accessdate=2010-06-05}}</ref>。
 
 
 
[[アメリカ合衆国]]の高等教育において重要な目標とされる<ref group="2-" >Kurfiss, 1998</ref>「批判的思考」の定義は明瞭ではなく、研究者の間でも把握概念に違いが見られる<ref name="Ryukyu2">{{cite web|url= http://www.cc.u-ryukyu.ac.jp/~michita/works/kiyo0109/kiyo0109.html |language=日本語|title=批判的思考の諸概念|publisher=[[琉球大学]]教育学部|author=道田泰司|accessdate=2010-06-05}}</ref>。ひとつの有力な説明では「信じるもの、取るべき行動の判断を下に当たって行う反省的思考」<ref group="2-" >R.H.Ennis, A taxonomy of critical thinking dispositions and abilities, In J.Baron & R.J.Sternberg(Eds.) Teaching thinking skills: Theory and practice. W.H.Freeman, 1987年, p10</ref>と言い、具体的な説明では「根拠に基づく評価と判断を行う能力と意思」<ref group="2-" >C.E.Wade, On thinking critically about introductory psychology. In Sternberg,R.J.(Ed.) Teaching introductory psychology. American Psychological Association, Pp.151-162. 1997年, p153</ref>と言う<ref name="hyogo-u">{{cite web|url= http://www.edu.hyogo-u.ac.jp/miyahiro/ct_in_psy.html|language=日本語|title=批判的思考を中核においた心理学教育のあり方について|publisher=[[兵庫教育大学]] |author=宮元博章|accessdate=2010-06-05}}</ref>。
 
 
 
「白黒はっきりつける」「ものの善悪」など、二律背反で事象を思考する傾向を「二分法的思考」と言う。これは情報の理解や思考の結果である判断を素早く下せる利点があるが、一方で[[パーソナリティ障害]]<ref group="2-" >Beck, Freeman, & Associates, 1990年</ref>や[[完全主義]]<ref group="2-" >Shafran, Cooper, & Fairbum, 2002年</ref>および[[人間関係]]の悪化に繋がる場合もある。二分法的思考は、物事を明確にしたいという「二分法の選好」、物事は2つの[[グループ]]に分けられるという「二分法的信念」、そして自分にとって[[利益]]があるものか否かという「損得勘定」の3つの因子が影響している<ref name="chubu-uKoshi2008">{{cite web|url=http://psy.isc.chubu.ac.jp/~oshiolab/research/pages/scanned/posters/2008dichotomous_personality.pdf|format=PDF|language=日本語|title=二分法的思考尺度の作成|publisher=[[中部大学]]人文学部|author=小塩真司|accessdate=2010-06-05}}</ref><ref name="chubu-uKoshi2010">{{cite web|url=http://psy.isc.chubu.ac.jp/~oshiolab/research/pages/scanned/2010oshio_DTI.pdf|format=PDF|language=日本語|title=二分法的思考尺度の特徴|publisher=中部大学人文学部|author=小塩真司|accessdate=2010-06-05}}</ref>。
 
 
 
心理学者の[[アーヴィング・ジャニス]]が提唱した「[[集団思考]]」(Groupthink、集団的浅慮)は、集団で思考して得た結論が、時に個人の思考で導いた結論よりも不合理であったり間違っていたりすることを指す。このようなことが起こる要因は、集団に結束力があること (cohesive) と、集団が一致を求める傾向にあること (concurrence-seeking tendency) がある<ref group="2-" >Janis, Irving L. (1982) Groupthink: Psychological Studies of Foreign-Policy Decisions and Fiascoes. Houghton Mifflin.</ref><ref group="2-" >[[アーヴィング・ジャニス]]『集団思考の犠牲者』1972年、改題『集団思考』1982年</ref>。これを社会心理学的実験で検証したR.S.バロンは、各人が個別に否定的な情報を持っているような場合に、集団の一致性を志向する傾向が高まり、異論が封殺されるという結果を得た。逆に、コンピュータを介して[[匿名]]のまま議論をする場合には集団思考の傾向は現れにくくなるという結果もあった<ref group="2-" >Baron, R. S. (2005) "So Right It's Wrong: Groupthink and the Ubiquitous Nature of Polarized Group Decision Making", in Mark P.Zanna (Ed.) Advances in Experimental Social Psychology, Vol. 37. (219-253) Elsevier. </ref><ref name="nagoya-ubitstream">{{cite web|url= http://ir.nul.nagoya-u.ac.jp/dspace/bitstream/2237/9344/1/%E9%9B%86%E5%9B%A3%E6%80%9D%E8%80%83.pdf|format=PDF|language=日本語|title=集団思考と技術のクリティカルシンキング|publisher=[[名古屋大学]]学術機関リポジトリ|author=伊勢田哲治|accessdate=2010-07-17}}</ref>。
 
 
 
== 関連項目 ==
 
*[[思考心理学]]、[[パターン認識]]、[[問題解決学習]]、[[論理学]]、表象主義批判
 
*[[表象]]、[[アフォーダンス]]、[[コネクショニズム]]
 
*[[チューリング・テスト]]
 
:[[アラン・チューリング]]は、[[チューリング・テスト]]と呼ばれる知能判定を想定し、人間の能力に相当する充分な記憶装置と実行ユニット、命令が正しい順番で行われるようにする制御装置を備えたデジタル計算機は原理的に思考することができると論説した。このテストは、デジタル計算機が人間を模倣してコミュニケーションを取る人物を騙して会話相手が思考をしていると思わせればよく、またこのようなことが可能な計算機を想定することが目的である。このデジタル計算機とはひとつの状態から別の状態へ不連続に飛び移る「離散状態機械」を想定しており、これは中間的な状態が無いため、初期条件と途中の入力条件が判明すれば未来を含めた機械の状態を特定できる計算機と仮定している<ref>{{cite web|url=http://mtlab.ecn.fpu.ac.jp/turing_ihon.html|language=日本語|title=異本「計算する機械と知性について」|publisher=[[福井県立大学]]経済学部|author=田中求之|accessdate=2010-06-05}}</ref><ref>{{cite web|url= http://mtlab.ecn.fpu.ac.jp/myNote/reconsidering_turing_test.html|language=日本語|title=[[チューリング・テスト]]|publisher=[[福井県立大学]]経済学部|author=田中求之|accessdate=2010-06-05}}</ref><ref>{{cite web|url= http://www.unixuser.org/~euske/doc/turing-ja/index.html|language=日本語|title=計算する機械と知性 翻訳[[アラン・チューリング]]|accessdate=2010-06-05}}</ref>。
 
* [[正思惟]](しゃうしゆゐ、しゃうしゐ) – 仏教用語
 
 
 
== 脚注 ==
 
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== 出典 ==
 
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== 外部リンク ==
 
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| commons = Category:Thinking
 
}}
 
*{{cite web|url=https://ir.u-gakugei.ac.jp/bitstream/2309/70831/1/18804330_59_05.pdf|format=PDF |language=日本語|title=男女の思考パターンに違いはあるか?:男脳・女脳の分析|publisher=[[東京学芸大学]]リポジトリ|author=三田雅敏、伊藤知佳、指宿明星|accessdate=2010-07-17}}
 
* {{PhilP|thought-and-thinking|Thought and Thinking}}
 
  
 +
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[[Category:思考|*]]
 
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2019/5/7/ (火) 20:40時点における最新版

思考(しこう、: Thinking

思惟ともいう。はっきりした定義はないが,一般的には,ある対象,事態ないしはそれらの特定の側面を,知覚の働きに直接依存せず,しかもそれと相補的な働き合いのもとで,理解し把握する活動または過程をさす。その活動には,判断作用,抽象作用,概念作用,推理作用,さらに広義には想像,記憶,予想などの働きを含む。また連想心理学では,観念の連鎖をさす。思考は古くから心理学の研究対象として取上げられ,問題解決場面における意識過程の分析や行動の解析が行われてきたが,最近ではコンピュータを用い,シミュレーションなどによる研究もなされている。



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