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[[File:Conscription map of the world.svg|thumb|350px|
 
{{legend|#ff5254|徴兵制を実施している国家・地域}}
 
{{legend|#fcb653|3年以内に徴兵制廃止を予定している国家・地域}}
 
{{legend|#5cacc4|徴兵制を実施していない国家・地域([[志願制度]])}}
 
{{legend|#6600ff|法律には徴兵制が定められているが二割以下だけが召集される国家}}
 
{{legend|#8cd19d|[[常備軍]]を保有していない国家・地域}}
 
{{legend|#b9b9b9|不明}}<br />(注)一部の国家・地域においては「志願・徴兵の並立制を実施している([[中華人民共和国]])」等の例外がある。]]
 
'''徴兵制度'''(ちょうへいせいど)とは、[[国家]]が[[国民]]に兵役に服する義務を課す制度である。徴兵制とも言い、[[国民国家]]や[[国民皆兵]]の思想とかかわりが深く、[[志願兵]](募兵)制度の対義語である。
 
  
北アフリカ諸国の他、[[ベトナム]]、[[イスラエル]]、[[ウクライナ]]、[[キプロス]]、[[韓国]]、[[スイス]]、[[オーストリア]]等、[[CSTO]]に加盟している[[アルメニア]]、[[ベラルーシ]]、[[カザフスタン]]、[[キルギス]]、[[タジキスタン]]、[[ロシア]]などでは徴兵制が続いているが、[[冷戦]]終結後は、西側諸国では[[フランス]](2002年{{efn|しかし2015年の世論調査ではフランスでは徴兵制復活支持と廃止への後悔が多数を占めている。}})<ref>エマニュエル・マクロン大統領は2017年のフランス大統領選挙で18歳から21歳の男女に対し、軍による訓練を中心とした1か月間の兵役の義務化を公約に掲げて当選し実行して復活させた。</ref>、[[ドイツ]](2011年)のように徴兵制度を廃止する国が増え、また、実施している国でも[[良心的兵役拒否]]した場合の代替服務を選択可能を導入している場合が大半である<ref>[http://www.newsdigest.fr/newsfr/actualites/jidai/6952-11.html 11. 国民の一体意識維持のために“徴兵制度復活” ?] - フランス生活情報 フランスニュースダイジェスト</ref><ref>[http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2010/10/post-1685_1.php ドイツ徴兵制廃止の思わぬ副作用] - ニューズウィーク日本版</ref><ref>[https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180120/k10011295281000.html 徴兵制復活へ 仏大統領表明 18~21歳の男女対象]NHK</ref>。
+
'''徴兵制度'''(ちょうへいせいど)
[[北大西洋条約機構|NATO]]に加盟している28か国を例にとると、90年代から00年代にかけて冷戦の終結に伴い次々と徴兵制を廃止し、2010年12月時点でNATO加盟国において徴兵制を採用している国は[[エストニア]]、[[トルコ]]、[[ギリシャ]]、[[デンマーク]]、[[ノルウェー]]の5か国にまで減少している<ref>[https://jp.rbth.com/science/2015/01/14/51695 ロシア軍の契約軍人増加] - ロシア・ビヨンド</ref><ref>[https://www.jica.go.jp/aboutoda/odajournalist/2010/246.html ドイツの軍事改革からJICAの新人研修までを考える] - JICA</ref>。
 
 
 
徴兵制による国民皆兵武装を基盤として[[永世中立国|永世中立]]を掲げるスイス{{efn|2013年に投票権を持つ国民の73%が徴兵制の廃止に反対し、26州全てで廃止反対派が圧倒した。}}<ref>[http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2013/10/post-3068.php スイス国民が徴兵制を望んだ理由] - ニューズウィーク日本版</ref>とオーストリア{{efn|賛成が有効票の59.8%、反対は40.2%}}<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXNASGM2100R_R20C13A1EB1000/ オーストリア、帝国起源の徴兵制維持 国民投票で59.8%賛成] - 日本経済新聞</ref>では国民投票で徴兵制の廃止が否決され、2013年に徴兵制を廃止した[[ウクライナ]]では、翌年発生した[[ロシアのクリミア侵攻]]の後に徴兵制が復活するなど、国是や国家を取り巻く情勢によって左右されている状況にある。また、2010年7月に廃止していた[[スウェーデン]]でもウクライナと同様に、ロシアの脅威を理由に、2018年1月から新たに女性も対象にした徴兵制が復活することになった<ref name="Sweden's conscription">[http://www.afpbb.com/articles/-/3119940?cx_part=txt_topstory スウェーデン徴兵制復活 ロシアの脅威に対応、女性も対象] AFP(2017年3月3日)2017年3月3日閲覧</ref><ref>[http://www.sankei.com/world/news/170303/wor1703030005-n1.html スウェーデン徴兵制復活へ、ロシア脅威で7年ぶり] - 産経ニュース</ref>。
 
 
 
有事の際にかぎり徴兵制を認めている国もあり、常備軍を持たない[[コスタリカ]]では、有事の際に徴兵制を実施できることが憲法に明記されている<ref>山岡加奈子「コスタリカ総合研究序説」、日本貿易振興機構アジア経済研究所</ref>。
 
 
 
== 概要 ==
 
{{出典の明記|section=1|date=2017年1月2日 (月) 02:13 (UTC)}}
 
徴兵とは住民を兵士として召し上げ(徴)、兵役の義務を課すことであり、徴兵制度は[[憲法]]や[[法律]]で一定の年齢に達した国民に兵役を課すための組織化した制度を指す。徴兵制において兵役は国民の義務的な負担として扱われ、[[国防]]への負担と貢献が求められる。徴兵制は[[軍隊]]に対する安定的な人材の確保が長期にわたって容易であるものの、国民に対する負担は大きい。なお一般的には徴兵制度があっても志願[[入営]]は可能である。近年は、[[大韓民国|韓国]]や[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]など一部の国家を除いて、ほとんどの兵役制度がある国家で[[良心的兵役拒否]]権が合法的に認められ、介護や医療、救急などの代替役務が制度化されている。
 
 
 
徴兵制度はほとんどの場合、徴兵適齢の成人[[男性]]が対象となり、さらにその徴兵も兵役の適格性を調査するための[[徴兵検査]]を経て、その検査に合格した人材が徴兵される。また、代替役務などの選択肢が用意された徴兵制度は'''選択徴兵制'''と呼ばれることもある。
 
 
 
古来より兵役・戦役に応ずることは[[市民]]の権利と密接に関係しており、徴兵制は男性のみに普通選挙権などの特権を与える根拠になってきた。現在では男女平等の観点から特権が廃止される傾向が強く、逆に男性のみに義務が発生することへの不平感があるという意見がある。
 
 
 
社会制度として確立された徴兵制度とは異なり、軍隊や部隊が住人や難民を強制的に徴発し、兵や水兵として利用することを特に[[強制徴募]]と呼ぶ。前近代のあらゆる地域でこの形態での徴発が行われたが、国家の近代化・市民化にともない衰退し、[[戦時国際法]]・[[ハーグ陸戦条約]]等では禁止されている。現代でも低開発諸国の紛争地域ではしばしば難民や地域住民への[[強制徴募]]が問題となる。
 
 
 
徴兵制度は[[宗教戦争]]の頃から、市民兵および市民社会の成立と同時に生まれて、18世紀の[[フランス革命]](ジャコバン独裁期)の国家総動員において近代的な徴兵制度が成立した。19世紀にはフランスを模範として[[プロイセン]]でも採用され、兵役制度として確立される。日本では1873年の[[徴兵令]]により確立され、[[イギリス]]や[[アメリカ合衆国]]でも[[第一次世界大戦]]により徴兵制へ移行した。先進諸国では高度化する近代的な軍事兵器を運用するには高度な教育を受けた専門の将兵が求められると、徴兵による人数の確保よりも採用する兵士の質の向上が求められ、[[冷戦]]の終焉に合わせて徴兵制度を廃止または縮小する先進国が多く、新たに導入する国はあまりない。特に冷戦崩壊後に[[欧州連合|EU]]や[[北大西洋条約機構|NATO]]に加盟した[[東ヨーロッパ]]の元[[社会主義国]]は、[[チェコ]]や[[スロバキア]]、[[ハンガリー]]のように徴兵制を廃止して志願制に切り替える国が多い。ただしこれらの国々でも、戦争などの緊急時には政府が迅速に徴兵制度を復活できるように法的には選択肢を残している場合もある。
 
 
 
徴兵制度の兵役義務は'''一般兵役'''義務と'''服役待機'''に分けられ、一般兵役義務は全国民に入営を義務づけるもの(例:韓国の兵役)であり、服役待機は登録されるものの命令がない限り実際には入営しないもの(例:アメリカの{{仮リンク|選抜徴兵制度|en|Selective Service System}})や、一定期間の一般兵役後にいつでも軍に復帰できるように待機することを義務化されているもの(例:ドイツ)などがある。
 
 
 
== 徴兵制度の歴史 ==
 
=== 古代 ===
 
国民に兵役を義務として課す制度は、古代にまで遡る。[[中華人民共和国|中国]]では古く<!--戦国時代-->から存在し、日本でも[[奈良時代]]に実施された([[軍団 (古代日本)|軍団制度]])。
 
 
 
[[古代ギリシャ]]の都市国家([[ポリス]])においては兵役は[[参政権]]を有する[[自由民]]男性の義務であった。一方、女性や奴隷などの非自由民には課されなかった。
 
 
 
[[古代ローマ|ローマ]]においては資産の多寡により兵役の内容が細分化され、多額の資産を有する者は騎兵、零細市民は安価で間に合う兵装、無資産市民は国家存亡の秋を除き兵役の対象から外されていた。その後、[[ガイウス・マリウス|マリウス]]の[[マリウスの軍制改革|軍制改革]]により一般市民の兵役は廃されて[[志願制]]となり、[[職業軍人]]化が進んだ。これにより[[古代ローマ|ローマ]]は地中海世界を制圧する能力を得た。
 
 
 
=== 中世 ===
 
中世のヨーロッパでは、[[騎士]]や[[傭兵]]を中心とした軍制だった。これは[[国王]]など[[貴族]]社会を中心とした制度で、国王が地方の領主・貴族の地位を保証する見返りとして軍事力を国王に提供する、あるいは財力によって軍事力を購入するという形式である。これとは別に自由民に兵役義務が課され、戦時に動員されることもあった。[[傭兵]]主力の軍隊は戦闘意欲に欠け、戦争を長引かせる原因となった。
 
 
 
中世の日本においても軍事力の中心は[[武士]]とその郎党であった。また[[僧兵]]も無視できない戦力を誇った。日本においては[[傭兵]]は目立つ存在ではないが、それに類する雇われ戦力(例えば海賊の類)は存在した。戦国期に入り戦乱が多発するようになると、[[農民]]などが[[足軽]]として参戦するようになる。織田信長は周囲と異なり常備軍を主力とすることで、農繁期に左右されることのない軍を作り上げ<ref>日本深海技術協会会報2009年4号[http://homepage2.nifty.com/desta/kaihou/kai63h7.pdf]{{リンク切れ|date=2017年11月}}</ref><ref>{{PDFlink|[http://www.mod.go.jp/j/library/archives/rma/rma.pdf 情報RMAについて]}} - 防衛庁防衛局防衛政策課研究室(平成12年9月)P.2脚注</ref>、勢力拡大に成功した。
 
 
 
さらに豊臣秀吉の[[刀狩り]]令により[[武士]]と非戦闘民は明確に区別され、これは江戸時代の終わりまで続いた。
 
 
 
=== 近世 ===
 
[[File:Battle of Vienna.SultanMurads with janissaries.jpg|thumb|[[オスマン帝国]]では、一種の徴兵制度である[[デヴシルメ]]制(強制徴用の意)によって[[イェニチェリ]]などの常備軍を整備した。]]
 
近世では[[スウェーデン]]が[[三十年戦争]]時に徴兵制を採用し、人口の少なさを補い大軍を編成した。ただし、この制度には経済的・心理的負担が大きく、部隊の質が低くなりがちになる欠点があった。そのため結果として国民の離散・国家の荒廃を招くこととなる。[[プロイセン王国]](ドイツ)では[[フリードリヒ2世 (プロイセン王)|フリードリヒ大王]]が軍事的拡張主義を採り、人口の4%に当たる[[常備軍]]を作ったが、このとき大規模な傭兵を養える財政がなく、志願制では数が満たせなかったために、1733年に徴兵制([[カントン制度]])を敷いて農民を強制的に軍隊に組み込んだ。この軍は質が悪く士気が低いため、厳罰主義によって規律を保とうとしたが困難であった。
 
 
 
イギリスでは海軍もしくは陸軍に強制的に徴用される[[強制徴募]]や[[クオータ制 (イギリス海軍)|クオータ制]]がしばしば行われた。対象は自国民や自国籍船だけでなく、航海中の船舶や時には他国民に対しても行われ、また植民地の居酒屋やその他の溜まり場で根こそぎ強制徴募されるような事態も発生した。
 
 
 
=== 近代 ===
 
[[Image:King, Stoddard WW1 draft card.jpg|right|thumb|[[第一次世界大戦]]の時期、[[アメリカ合衆国]]で発行された徴兵対象者へのカード]]
 
いわゆる国民皆兵による徴兵制は[[フランス革命]]から始まる。フランス革命以降、国家は王ではなく国民のものであるという建前になったため、戦争に関しても王や騎士など一握りの人間ではなく、主権者たる国民全員が行なう義務があるということになった。そして革命に伴う周辺諸国との戦争で兵員を確保する必要に迫られたため、[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]などによって[[国民軍]]が作られたのである。貧しい人々にとっては軍隊の暮らしは比較的ましであり、給与と生活を保障されるという側面も存在した{{sfn|藤澤房俊|1986|pp=156-157}}。時代が下ると徴兵は名誉であり、祖国に対する忠誠義務と受け取られるようになった。一般の間でも徴兵不適格者への侮蔑がみられるようになった{{sfn|藤澤房俊|1986|pp=157-158}}。
 
 
 
近代に徴兵制が生み出されたのは、戦争の近代化に伴って兵器の威力が増して(槍と機関銃の死者数の違いを思い起こしていただけると理解しやすい)志願制では人員の補充ができなくなるほど戦死者が多くなったことと、国民主権の原理によって国民を戦場に駆り出す大義名分ができたのが主な理由である。アメリカは[[南北戦争]]の激戦によって大量の兵士が死亡し、その欠員を補うために徴兵制が敷かれた。イギリスでも第一次大戦半ばの[[ソンムの戦い]]などで多くの戦死者を出し、戦争を継続するために徴兵制を敷いた。
 
 
 
徴兵制度は本国の議会制定法と市民登録(日本では戸籍簿)を基礎に実施されるため、占領地には適用されないのが通例である。[[ハーグ陸戦条約]]では軍事占領地での住民への忠誠の宣誓を強制することを禁じており(45条)、占領地で兵員確保を行なうにしても、一定の教育を受けたことや、占領地支配に協力的な民族や部族の成員であることを条件に採用する[[志願兵]]制によることが基本であった。いわゆる「[[植民地]]」についても同様で、現地に有力な民族や政体が存在する場合、現地政体を[[保護国]]化することで間接支配する体制を採用したため、いわゆる植民地住民に直接徴兵制を課すことはなかった。一方で直轄領や外地の場合、本国国籍を離脱していない住民は本国からの招集命令に対して応召する義務があった。
 
 
 
この点、短期間であるとはいえ植民地住民に徴兵制を実施した日本は異例である。日本国民(帝国臣民)でありながら朝鮮人、台湾人は長らく兵役の義務から除外されており、日本軍への参加は志願制度に限定されていたが、[[兵役法]]改正によって1943年に[[朝鮮人]]に対して、1944年に[[台湾人]]に対して日本内地人と同様の兵役義務が課せられた。これらの植民地籍徴集兵は、戦争終結のため実際の戦闘に投入されることはなかった。ただし、日本統治下の朝鮮・台湾を欧米のそれと同様な「植民地」と解することには異論もある。(→『[[内地延長]]』)
 
 
 
=== 現代 ===
 
 
 
[[ファイル:MQ-9 Reaper taxis.jpg|thumb|250px|[[MQ-9 リーパー]]。遠隔操作により偵察や攻撃が可能]]
 
戦争の近代化と兵器の機械化・精密化・自動化の進展は、少人数で高性能の兵器の運用が可能となったことから軍隊の省力化と定員の減少をもたらし、同時に兵器の運用技術の高度化・専門化を招いた。定員の減少によって大量の新兵募集は不必要となり、訓練にも費用が掛かり過ぎるなどの理由によって徴兵制度の存在意義は低下した。これを予言した軍人としては[[シャルル・ド・ゴール|ド・ゴール]]が挙げられる。現代においては再び軍人の専門職化、つまり職業軍人の時代が到来したと言える。西ヨーロッパ諸国では冷戦終了後から2000年代初頭にかけて次々と徴兵制を廃止し、イギリス・フランス・イタリア・スペイン・ポルトガル・オランダ・ベルギーなどは志願制に移行している。旧社会主義国だったチェコやスロバキア、ハンガリー、ルーマニアもEUやNATOに加盟すると、ほぼ同時に徴兵制を廃止した。また、人海戦術の印象が強い中国では志願兵を主要として少数の徴集兵を組み合わせた志願・徴兵並立制に移行している。ロシアでは、志願制の採用が本格的に検討されている。
 
 
 
アメリカ[[中央情報局]]「World Fact Book」や[[外務省]]などの資料によると、現在では[[軍隊]]またはこれに類する組織を保有する約170か国のうち約67か国が徴兵制度を採用している。
 
 
 
現在、兵器やコンピュータなどの技術が高度化・専門化が進んでいることにより、これらを扱う軍人の専門職化が進み、単に兵士の数や士気で戦況が決まることがなくなってきたため、徴兵制度は一部の国を除き廃止する動きが強くなってきている(徴兵制度が維持されている国家でも、良心的兵役拒否権を認めるようになってきている)。また冷戦時代に想定されていた多数の兵員を動員した総力戦が起こりにくくなったことや、[[民間軍事会社]]の発展により不完全ではあるが、必要な時だけ必要な数の人員を確保することが可能になったこと、[[軍用ロボット]]の高度化により必要な人員が減っていくと予想されていることも後押ししている。
 
 
 
単純な兵員数で戦況が決まるわけではないことは防衛戦においては古くから証明されているが、侵攻作戦などにおいても[[湾岸戦争]]や[[イラク戦争]]などで実証されつつある{{efn|一方で大規模戦闘終結後のアフガニスタンやイラク情勢においては、[[パウエル・ドクトリン]]に見られる圧倒的な兵力を投入し、短期間で勝利を目指し情勢を支配・管理する手法が再評価されている。}}。<!--徴兵制度を廃止しない国は、廃止できない事情があるか、徴兵に兵力増強以外の意味を積極的に見出しているか、あるいは廃止すべき積極的・説得的な理由がないためと見ることができる。-->
 
 
 
== 徴兵制度の賛否 ==
 
=== 公平負担の観点 ===
 
[[アフガニスタン]]駐留[[アメリカ軍|米軍]]および [[国際治安支援部隊|ISAF]] の司令官だった[[スタンリー・マクリスタル]]は、[[志願制度]]による専門職的な軍隊は全国民を代表しておらず、アメリカがふたたび長期の戦争をする場合には徴兵制度を復活させるべきであると述べた。またマクリスタルは、全国民の1パーセントに満たず、何度も召集される[[予備役]]兵が、[[キャリアプランニング|キャリア]]や[[家庭|一家]]の維持に問題をかかえ、その[[自殺]]率も高いと指摘した<ref>{{Cite web|last = Rogin|first = Josh|date = 2012-07-03|url = http://thecable.foreignpolicy.com/posts/2012/07/03/mcchrystal_time_to_bring_back_the_draft|title = McChrystal: Time to bring back the draft|language = 英語|work = {{仮リンク|フォーリン・ポリシー|label=Foreign Policy|en|Foreign Policy}}|publisher = The Foreign Policy Group|accessdate = 2012-08-22}}</ref>。また、[[アメリカ陸軍|米陸軍]][[大佐]]<ref>論文発表当時の階級は中佐。</ref>{{仮リンク|ポール・イングリング|en|Paul Yingling}}は、徴兵制度によって国内のあらゆる社会が戦争の重荷をひとしく感じられるようになると論じた<ref>{{Cite web |title=The Founders' wisdom |date=2010-02 |accessdate=2012-09-04 |url=http://www.armedforcesjournal.com/2010/02/4384885/ |author={{仮リンク|ポール・イングリング|label=Paul L. Yingnling|en|Paul Yingling}} |work={{仮リンク|アームド・フォーシズ・ジャーナル|label=Armed Forces Journal|en|Armed Forces Journal}} |publisher={{仮リンク|ガネット・ガバメント・メディア|label=Gannett Government Media|en|Gannett Government Media}} }}</ref>。
 
 
 
=== 教育目的の観点 ===
 
{{See also|[[徴農制度]]}}
 
軍隊の教育効果については戦後すぐから繰り返され論じられ(→[[#日本|後述]])、近年でも[[石原慎太郎]]{{efn|2011年6月20日の[[憲政記念館]]における会見では「徴兵制もやったらいい」と発言している。[http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20121025/dms1210251832020-n1.htm 2012年10月25日の会見]では「軍隊でなくても、警察でもいい。いまの若者にもう少ししゃんとしてもらうために連帯責任を負う経験をしてもらいたい。将来きっと役に立つはずだ」と教育目的を強調している。}}など一部の政治家、著名人から徴兵制度を肯定したり、復活を主張する声が出ている。なお、統計的事実を踏まえ若者のモラルを計る指標として法務省『犯罪白書』により犯罪発生率により検討すると、若者による犯罪は劇的に減少しており、特に近年の凶悪犯罪の減少率は顕著である。<ref>[http://www.moj.go.jp/housouken/houso_hakusho2.html 法務省『犯罪白書』]</ref>警察庁『警察白書』によれば石原慎太郎ら現在の老人が若かった頃が若者の犯罪のピークであり、2010年代においても老人による犯罪発生率の方が、若者による犯罪よりも多い。<ref>[https://www.npa.go.jp/hakusyo/index.htm 警察庁『警察白書』]</ref>
 
 
 
=== 反戦平和の観点 ===
 
アメリカの[[民主党 (アメリカ)|民主党]]の{{仮リンク|チャールズ・ランゲル|en|Charles B. Rangel}}や{{仮リンク|アーネスト・ホリングス|en|Ernest Hollings}}などは、反戦平和の観点から{{仮リンク|一般国防法|en|Universal National Service Act}}という、18歳から25歳を対象にした徴兵制度法案をたびたび提出している。これは、自分たちの子供が徴兵の対象となれば、戦争に対する拒否感が生まれるというものであるものであるが、徴兵制採用の必要はないという政府側の見解や、世論も徴兵制に反対しているためにすべて廃案となっている<ref>[https://web.archive.org/web/20061120014023/http://www.cnn.com/2006/POLITICS/11/19/rangel.draft.ap/index.html Top Democrat: Bring back the draft]-webアーカイブ</ref>。
 
 
 
=== 軍事力の質の確保 ===
 
2016年9月、[[スウェーデン]]は、2010年に廃止した徴兵制を復活させると発表している。この理由として、スウェーデンの専門家は、志願制では兵の質や量を確保することが出来ないという理由を挙げている<ref>{{cite news |title=スウェーデン、8年前廃止の徴兵制復活へ 2018年から |newspaper=[[フランス通信社|AFPBB News]] |date=2016-9-30 |url=http://www.afpbb.com/articles/-/3102636 |accessdate=2016-12-23}}</ref><ref>{{cite news |title=徴兵制、復活へ=スウェーデン |newspaper=[[時事通信社]] |date=2016-10-2 |url=http://www.jiji.com/jc/article?k=2016100200016&g=int | accessdate=2016-12-23}}{{リンク切れ|date=2017年10月}}</ref>。
 
 
 
==徴兵制度の問題==
 
{{出典の明記|section=1|date=2015年9月}}
 
{|class=wikitable style="float:right;font-size:smaller"
 
|+大日本帝国陸軍軍人給与、1943年(昭和18年)<ref>大浜徹也・小沢郁郎(編)『帝国陸海軍事典』同成社、1984年。端数切捨。なお当時の物価水準の1円は現代の概ね5000円程度。</ref>
 
!位!!給与{{smaller|(円/月)}}
 
|-
 
|大将||align=right|550
 
|-
 
|中将||align=right|483
 
|-
 
|少将||align=right|416
 
|-
 
|大佐||align=right|370
 
|-
 
|中佐||align=right|310
 
|-
 
|少佐||align=right|220
 
|-
 
|大尉||align=right|155
 
|-
 
|中尉||align=right|94
 
|-
 
|少尉||align=right|70
 
|-
 
|准尉||align=right|110
 
|-
 
|曹長||align=right|75
 
|-
 
|軍曹||align=right|30
 
|-
 
|伍長||align=right|20
 
|-
 
|兵長||align=right|13
 
|-
 
|上等兵||align=right|10
 
|-
 
|一等兵||align=right|9
 
|-
 
|二等兵||align=right|6
 
|}
 
徴兵制度は納税などと同じく国民の義務として導入される性質のものであり、職業軍人のように生計を営み人生を設計するに十分な勤務対価は支払われないのが通常である(旧日本軍の場合、兵長までが徴兵による[[兵 (日本軍)|兵]]であり、伍長から上は[[判任官|官吏]]の扱いであった)。このため、かつては給与を抑えられることから人件費抑制を期待できる側面があった<ref name="conscription1">第八回衆議院外務委員会(昭和25年10月4日)[[菊池義郎]]委員</ref>。しかし、現代の軍運用や装備状況においては、これは過度な期待といわざるを得ない{{要出典|date=2012年8月}}。現代では組織が負担する費用は運用費や装備品など給与・人件費以外の費用が多く、よほど徴用兵の給与水準を抑えない限り経費節減の効果は限定的な物でしかない{{要出典|date=2012年8月}}。これは軍の特性として、要員すべての宿舎や衣服や食事の用意、兵器や装備品の充足などが必要となるためであり、事務処理や教育・監督なども兵員数に比例するためである{{要出典|date=2012年8月}}。
 
 
 
現在、徴兵制度を採用している一部の国では訓練に莫大な費用がかかるため、軍事政策に関して批判もある{{要出典|date=2012年8月}}。また、若い時期に2、3年兵役を課すことによって、その間の学力や技術の向上が妨げられ、若年労働力が奪われ産業に悪影響を及ぼし、国力として損失が出ているとの指摘もある{{要出典|date=2012年8月}}。ドイツでは兵役は若者の学問的向上期間を制約するとの認識もあり、批判が根強い{{要出典|date=2012年8月}}。実際にドイツでは学力低下が著しく、他のヨーロッパ諸国に差を付けられつつある<ref>{{cite journal|和書|url=http://ci.nii.ac.jp/naid/110004792814|author=原田 信之|title=教育スタンダードによるカリキュラム政策の展開 : ドイツにおけるPISAショックと教育改革|year=2006|journal=九州情報大学研究論集|naid=110004792814|accessdate=2010-09-30}}</ref>。また、一般に徴用兵は自発的ではなく強制されている点で志願兵より士気・意欲が低く、訓練期間も短いため兵の質が低下する。なお、[[日本]]の[[自衛隊]]の任期制隊員の1任期は、[[自衛官候補生]]としての3箇月間をのぞき、[[陸上自衛隊]]が1年9箇月(一部、技術系は2年9箇月)、[[海上自衛隊]]および[[航空自衛隊]]が2年9箇月(2任期目以降は2年)である<ref>{{Cite web|url = http://www.mod.go.jp/gsdf/jieikanbosyu/recruit/09.html|title = 自衛官募集ホームページ:各種募集種目:自衛官候補生|publisher = [[防衛省]]・[[自衛隊]]|accessdate = 2012-08-22}}</ref>。
 
 
 
<!-- また一般に民主制国家では、志願制と徴兵制で待遇に大差はない。まず軍の就職先としての魅力は決して低くなく、給与の上昇は抑えられている。国が待遇を保証し、衣食住に不自由がない軍に入隊を希望する若者は少なくない。特に教育費用を捻出できず、キャリアに展望を持てない低所得層にとっては魅力的な存在である。軍や政府でも従軍中に各種技能や資格を取得したり、勤務成績が優秀な者については士官学校への推薦枠を与えて[[将校]]への道を開くなどの機会を与え、除隊後も退役軍人向けの奨学金制度や職業訓練などを用意する例が多く、退役軍人会や在郷軍人会などのネットワークを通じ、退役後の生活について援助を得られるように配慮している。逆に徴兵制だからといって給与や待遇を削りすぎると不満につながり、[[汚職]]や政情不安の原因になる。特に不満が支持率に影響する民主制国家において顕著である。-->
 
国富・国家財政の面からいっても問題は多い。若青年層を網羅的に徴用することで就労上や学究上のキャリアの断絶につながる。直接的には数万単位の若年労働力が労働市場から隔離されることで、労働コストの上昇や生産力の低下を招く可能性がある。また徴用兵に対する国庫負担が生じる一方で、徴用された人が納めるはずだった所得税等が[[国庫]]に入らなくなる(参照:[[軍事ケインズ主義]])。
 
 
 
[[経済学者]]の[[スティーヴン・ランズバーグ]]は「軍隊を維持するコストは、兵士になった若者が失う機会の価値に等しい」と指摘している<ref>スティーヴン・ランズバーグ 『ランチタイムの経済学-日常生活の謎をやさしく解き明かす』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2004年、112頁。</ref>。
 
 
 
人員不足を解消するためには[[外人部隊]]を組織する国もあるが、近年では[[民間軍事会社]](社員は[[退役軍人]]など経験者)によるサービスが広まっている。
 
 
 
== 女性兵士の徴兵 ==
 
[[File:Flickr - Israel Defense Forces - Karakal Winter Training (1).jpg|thumb|イスラエル軍の、招集された女性兵士]]
 
兵役の義務が課されているのは男性だけである国家が多く、女性も徴兵される国はイスラエル、マレーシア{{efn|実質上の短期教育制度であり軍事教練を行わないため、他国の徴兵制と同列に扱うのは難しい}}、ノルウェー<ref name="AFP">[http://www.afpbb.com/articles/-/3098855 女性も徴兵のノルウェー軍、部屋も「男女混合」] AFPBB</ref>、北朝鮮、スウェーデン<ref>{{Cite web |date=2017-03-02 |url=http://www.government.se/articles/2017/03/re-activation-of-enrolment-and-the-conscription/ |title=Sweden re-activates conscription - Government.se |accessdate=2017-12-05}}</ref>などである。かつては、このような義務が課せられたことが、男性のみに参政権等の権利が与えられる根拠となっていた<ref>[https://www.swissinfo.ch/jpn/%E7%9B%B4%E6%8E%A5%E6%B0%91%E4%B8%BB%E5%88%B6%E3%81%B8%E5%90%91%E3%81%8B%E3%81%86/%E5%A5%B3%E6%80%A7%E3%81%AE%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%8F%82%E5%8A%A0_-%E6%A8%A9%E5%88%A9%E3%81%A8%E7%BE%A9%E5%8B%99%E3%81%AE%E4%B8%8A%E3%81%AB%E7%AB%8B%E3%81%A4%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%B0%91%E4%B8%BB%E4%B8%BB%E7%BE%A9/43050094 「権利と義務の上に立つスイスの民主主義」] SWISSINFO</ref>。
 
 
 
アメリカの社会学者[[ワレン・ファレル]]は男性のみに徴兵制度が強制されている状態を[[男性差別]]であると指摘し、批判している<ref>Warren Farrell著"The Myth of Male Power"(Barkley Publishing Group;Reprint版、2001年、ISBN 0425181448 、ISBN 978-0425181447)p.28-29</ref>。逆に志願制の国家では、男性しか志願できないことが女性差別になりうる。特に貧困層においては経済的理由から入隊を希望する場合もあるため([[経済的徴兵制]])、2013年に、アメリカ議会は男女平等に基づき女性兵士の前線での戦闘行為を容認する法律の施行を2016年までにすすめることを決めた。大統領である[[バラック・オバマ]]はこの決定を男女平等への歴史的一歩と述べた<ref>[http://uk.reuters.com/article/2013/01/25/uk-usa-military-women-idUKBRE90N17320130125 Pentagon lifts the US ban on women in combat]Reuters 2013年1月25日</ref>。
 
 
 
イギリスは第二次大戦当時、女性を徴兵した唯一の国であったが、その任務のほとんどは敵軍と直接接触することのない後方支援や看護の分野であった(詳細は英語版[[:en:Women's roles in the World Wars#United Kingdom]]参照。){{efn|[[志願兵]]としての女性兵士は第二次大戦当時でも、アメリカの[[婦人陸軍部隊|陸軍婦人部隊]]、ソビエトで[[マリーナ・ラスコーヴァ]]の組織した女連隊、フィンランドの[[ロッタ・スヴァールド]]などが存在した(英語版[[:en:Women's roles in the World Wars#World War II]]参照)。またアメリカでは第一次大戦中にバイリンガルの女電話交換手を採用し軍務に従事させていた([[ハロー・ガールズ]])。}}{{efn|日本の[[国民義勇隊#国民義勇戦闘隊|国民義勇戦闘隊]]については[[義勇兵役法]]により女性にも義勇召集に応ずる義務が課せられたが、軍事行動を行う事態には至らなかった。(国会議事録118衆社会労働委員会8号 末次政府委員発言に基づく)}}。
 
 
 
[[男女平等]]が浸透している[[ノルウェー]]でもかつては徴兵は男性のみとなっていたが、2014年に女性も対象とする法案が可決し、2015年から女性の徴兵を開始した。訓練内容だけでなく部屋も男女混合である<ref name="AFP"/>。2018年から開始されるスウェーデンの徴兵制も同様に、女性をも徴兵の対象にしている。
 
 
 
女性徴兵の課題点としては性暴力の多さが挙げられる。例えば北朝鮮では強姦が日常的であり<ref>{{Cite web |date=2017-11-22 |url=http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-42077034 |title=強姦は日常的、生理は止まり……北朝鮮の女性兵たち |publisher=BBC |accessdate=2017-11-23}}</ref>、志願制の米兵では1日に50件程度の性暴力が確認されており、3割以上がレイプ被害、6割以上が性的嫌がらせを受けている<ref>{{Cite web |date=2013-03-21 |url=http://blogos.com/article/58543/ |title=27分ごとに発生する米兵の性暴力で女性兵士3割レイプ被害-軍隊は女性も住民も兵士自身も守らない |publisher=BLOGOS |accessdate=2017-11-23}}</ref>。
 
 
 
== 徴兵忌避 ==
 
[[File:NYRiot.jpg|thumb|1863年に[[ニューヨーク徴兵暴動|ニューヨークで発生した徴兵制度への反対抗議]]は、暴動に発展した。暴動の発生理由は、徴兵回避に大金がかかり、それが富裕層優遇とされたためである。]]
 
{{see also|兵役逃れ}}
 
徴兵制が行われてからもすべての人がそれに従ったわけではなく、国家や政治体制への忠誠心の不在や反感、死や負傷への恐怖、経済的理由、平和主義や宗教上の信条など様々な理由により、兵役から逃れようとする人々も多く現れた。単に徴兵から逃せるのではなく、不満から暴動や反乱に発展する例もある。例えば264年、[[中国]][[三国時代 (中国)|三国時代]]の[[呉 (三国)|呉]]では、徴兵を含む労役に招集されるのを不満に思った[[交州]]の住民が、役人の呂興に率いられて、朝廷に対して反乱を起こしている。日本では1873年(明治6年)にいわゆる[[血税一揆]]が発生した。
 
 
 
徴兵を逃れるには[[国籍]]の変更、[[亡命]]、免除規定の活用(高額税金の支払いや、その他特例の利用)、身体毀損や逃亡等の方法があるが、意思的な不服従の立場から徴兵に従わないことを徴兵拒否といい、そのなかでもさらに倫理的・政治的・宗教的な信条に発する徴兵の拒否を[[良心的兵役忌避]]という。[[思想・良心の自由]]を標榜する自由主義国家においては国家への忠誠とともに重要な課題である。また、軍務に服する意欲のない者を徴兵することは却って兵の質の維持に支障をきたすため、その意味でも適切な兵役忌避制度の整備は重要となることがある。
 
 
 
一般的に徴兵忌避は、法律の規定によって罰せられ<!--、場合によっては[[命令不服従]]、[[脱走|脱走罪]]、[[敵前逃亡|敵前逃亡罪]]などで[[死刑]]か-->[[懲役]]や[[財産刑]]の対象になることが多い{{efn|家族や親族に罰を加える性質のものも存在した。エジプト1279年シャッワール月9日付勅令第26号(1863年3月30日)によれば徴兵からの逃亡に家族・親族への連携罰則として土地を含めた財産の没収を規定している<ref>{{PDFlink|[http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/14763/1/chichukai0000901870.pdf 「1863年公布2勅令にみる19世紀中葉エジプト農民の土地喪失過程」]}} 加藤博(地中海論集1984一橋大学機関リポジトリ)</ref>。}}{{efn|日本の旧徴兵令では、兵役忌避は1月以上1年以下の重禁錮刑に3円以上30円以下の罰金刑が附加される(徴兵令31条)<ref>{{PDFlink|[http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/13613/1/16_p123-134.pdf 「第二期国定修身教科書の「忠義」及び「忠君愛国」の教材の背景:日露戦争に着目して」]}} Jason S.Barrows(教授学の探求1999.03.05北海道大学)PDF.P.7</ref>。}}しかし現在では良心的兵役忌避を[[基本的人権]]の1つとして認め、その代替に清掃や介護、消防のような社会奉仕活動への従事を制度として整備している国が多い。
 
 
 
=== 徴兵拒否の実例 ===
 
日本では近代に集権的な政府によって徴兵制([[徴兵令]])が実施されると、徴兵が免責されていた[[養子]]の身分を得る為に[[養子縁組]]を行う者や、徴兵制施行が先延ばしにされていた[[北海道]]に本籍を移す者(近代の徴兵制は[[本籍地]]で区分された)が後を絶たなかった([[兵役逃れ]])。同様に朝鮮・台湾など植民地や、沖縄や小笠原諸島など徴兵制の無い土地に移住する者もいた。著名な人物では[[夏目漱石]]、[[鈴木梅太郎]]らが本籍地を移して徴兵忌避者となっている。[[血税一揆]]など徴兵制そのものに反対する暴動も発生し、遂には「徴兵忌避の指南書」が販売されるまでになり、[[国民皆兵]]を目指す[[明治政府]]を悩ませた。政府の苦悩を他所に国民の間では「'''徴兵、懲役、一字の違い'''」と徴兵は監獄に入れられるのと同じであり、徴兵忌避は当然の事だと揶揄する言葉が流行した。徴兵忌避者にはのちの[[立憲政友会]]総裁、[[社会民衆党]]党首、[[元勲]]の女婿、[[日本芸術院|帝国美術院]]会員などもいる<ref>[[松下芳男]]『日本軍事史説話』土屋書店、「第四話 徴兵忌避と蒸発」</ref>。
 
 
 
こうした徴兵忌避者を減らすべく、[[徴兵令]]に代わり制定された[[兵役法]]では「徴兵を不当に忌避しようとした者」には罰則が設けられた。他に[[第二次世界大戦中]]に[[学徒出陣]]が行われた際、学徒動員の対象外とされた理工系学部に生徒が殺到し、文系学部から転科する者も大勢現れた。
 
 
 
[[1861年]]に成立した[[イタリア王国]]では徴兵忌避が全国的に発生し、1860年から1871年の間に13万8千人の徴兵忌避者を出している{{sfn|藤澤房俊|1986|pp=155}}。1865年以後は徐々に減少したものの、1884年の2.87%を下限として再び上昇し、1895年以降は徴兵対象者の9%以上が徴兵忌避を行っている{{sfn|藤澤房俊|1986|pp=156}}。
 
 
 
[[ベトナム戦争]]期の[[アメリカ合衆国]]では平和運動の高まりもあって大規模な徴兵忌避が増加した。政治的な理由、宗教的な理由から徴兵拒否は行われ、ベトナム戦争当時、[[モハメド・アリ]]は[[イスラム教]]の教えに従うとして、徴兵を拒否した。SF作家の[[ウィリアム・ギブスン]]は、徴兵を拒否して[[カナダ]]に移住し、しばらく[[ホームレス]]として路上生活を経験した。後の[[大統領]][[ビル・クリントン]]は上院議員[[J・ウィリアム・フルブライト]]のスタッフであったために徴兵を受けず、批判者からは意図的な徴兵逃れではないかという指摘を受けた。『ベトナム症候群』(著者:松岡完、出版社:中公新書)によると、ベトナム戦争への徴兵に従わなかった者は57万人、うち起訴された者は2万5000人、有罪判決を受けた者は9000人、実際に処罰されたのは3000人となっている。
 
 
 
また、[[黒人]]解放運動家の[[マルコムX]]は[[精神異常]]を装うことで、[[第二次世界大戦]]の際に徴兵されるのを逃れた。[[物理学者]]の[[ファインマン]]は[[兵役]]につく際に行われた[[精神鑑定]]の結果、不採用になった<ref>リチャード P. ファインマン (著), Richard P. Feynman (原著), 大貫昌子 (翻訳) 『[[ご冗談でしょう、ファインマンさん]]〈上〉 (岩波現代文庫)』20000/01,ISBN:978-4006030056</ref>。[[アルベルト・アインシュタイン|アインシュタイン]]は「[[偏平足]]」の診断を受けて、[[スイス]]の[[兵役]]を免除されている。
 
 
 
児童文学作家の[[ミヒャエル・エンデ]]は16歳の時、[[召集令状]]を破り捨て、[[ミュンヘン]]まで[[シュヴァルツヴァルト|シュヴァルツヴァルトの森]]の中を夜間のみ80km歩いて、疎開していた母の所へ逃亡。その後、近所に住む[[イエズス会]]の[[神父]]の依頼でレジスタンス組織「バイエルン自由行動」の反[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス]]運動を手伝い、伝令としてミュンヘンを[[自転車]]で駆け回った。
 
 
 
画家の[[山下清]]は、徴兵検査を逃れるために放浪した。その後21歳の時に知的障害者施設の職員によって滞在先の食堂で発見され、強制的に徴兵検査を受けさせられたが兵役免除となった。
 
 
 
[[アドルフ・ヒトラー]]は[[オーストリア=ハンガリー帝国]]の徴兵義務を拒否し、[[ミュンヘン]]で逃亡生活を送った末に逮捕され、徴兵検査を受けたが不適格と診断された。[[第一次世界大戦]]の勃発とともに{{仮リンク|ドイツ帝国陸軍|de|Deutsches Heer (Deutsches Kaiserreich)}}(厳密には{{仮リンク|バイエルン軍|en|Bavarian Army}})へは積極的に志願した。『[[我が闘争]]』<ref>アドルフ・ヒトラー (著), 平野一郎, 将積茂 『わが闘争 上—完訳』角川文庫 白 224-1 (文庫)</ref>によると、ドイツに対する帰属心が強く、オーストリアのために戦う気はなかったからという。
 
 
 
== 徴兵制をめぐる世界情勢 ==
 
=== 概観 ===
 
{{色}}
 
==== 徴兵制を施行している国家 ====
 
2015年時点で、[[国際連合]]加盟193か国のうち、軍隊を保有する169か国中、徴兵制を採用している[[国家]]は、CIA World Factbookによると下記の64か国であり<ref name="military-service">[https://www.cia.gov/library/publications/resources/the-world-factbook/fields/2024.html#da CIA>World Factbook>Military Service Age and Obligation>]</ref>、国連から国家として承認されていない地域で、徴兵制を採用する地域は下記の1地域である<ref name="military-service" />。
 
 
 
[[File:Conscription map of the world.svg|thumb|right|350px|{{legend|#ff5254|徴兵制を実施している国家・地域}}]]
 
{{ARM}}、{{AUT}}、{{BLR}}、{{CHE}}、{{CYP}}、{{DNK}}、{{FIN}}、{{GEO}}、{{GRC}}、{{MDA}}、{{NOR}}<ref>{{cite web|title= ノルウェー王国 |url= http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/norway/data.html#section1 |publisher=外務省|date=2015-05-01|accessdate=2015-11-28}}</ref>、{{RUS}}<br />
 
{{KOR}}、{{PRK}}<ref>{{cite web|title=  北朝鮮 |url=http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/n_korea/data.html#section3 |publisher=外務省|date=2015-10-06|accessdate=2015-11-28}}</ref>、{{ROC-TW}}、{{MNG}}<br />
 
{{ISR}}、{{TUR}}、{{YEM}}、{{IRN}}、{{KWT}}、{{SYR}}、{{QAT}}、{{ARE}}<br />
 
{{KHM}}、{{VNM}}、{{THA}}、{{MYS}}、{{LAO}}、{{SGP}}<br />
 
{{TJK}}、{{UZB}}、{{TKM}}、{{KAZ}}<br/>
 
{{AGO}}、{{EGY}}、{{DZA}}<ref>{{cite web|title=  アルジェリア民主人民共和国 |url= http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/algeria/data.html |publisher=外務省|date=2015-09-08|accessdate=2015-11-28}}</ref>、{{BEN}}、{{CAF}}、{{CPV}}、{{CIV}}、{{GNB}}、{{GIN}}、{{MLI}}、{{SWZ}}、{{SEN}}、{{SDN}}、{{SSD}}、{{SOM}}、{{TCD}}、{{TGO}}、{{TUN}}、{{MOZ}}、{{NER}}、{{GNQ}}<br />
 
{{CUB}}<ref>{{cite web|title= キューバ共和国|url= http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/cuba/data.html#section3 |publisher=外務省|date=2015-05-07|accessdate=2015-11-28}}</ref>、{{BRA}}<ref>{{cite web|title= ブラジル連邦共和国|url= http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/brazil/data.html#section1 |publisher=外務省|date=2015-08-12|accessdate=2015-11-28}}</ref>、{{COL}}<ref>{{cite web|title= コロンビア共和国 |url= http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/colombia/data.html#section3 |publisher=外務省|date=2015-05-07|accessdate=2015-11-28}}</ref>、{{VEN}}<ref>{{cite web|title= ベネズエラ・ボリバル共和国 |url= http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/venezuela/data.html#section3 |publisher=外務省|date=2015-04-14|accessdate=2015-11-28}}</ref>、{{BOL}}<ref>{{cite web|title= ボリビア多民族国 |url= http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/bolivia/data.html#section3 |publisher=外務省|date=2015-05-07|accessdate=2015-11-28}}</ref>、{{PAR}}<ref>{{cite web|title= パラグアイ共和国 |url= http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/paraguay/data.html#section3 |publisher=外務省|date=2015-09-11|accessdate=2015-11-28}}</ref>、{{ECU}}<ref>{{cite web|title= エクアドル共和国 |url= http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/ecuador/data.html#section3 |publisher=外務省|date=2015-09-01|accessdate=2015-11-28}}</ref>、{{SLV}}、{{GTM}}、{{MEX}}
 
 
 
: 上記の内、
 
* [[女性]]も徴兵の対象としている国家
 
: {{ISR}}、{{MYS}}、{{ERI}}、{{PRK}}(2015年より)、{{NOR}}(2015年から実施<ref>[http://www.afpbb.com/articles/-/2950463?pid=10910004 ノルウェーが徴兵を女性にも拡大、欧州で唯一 2015年にも実施 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News]</ref>)
 
::<small>ただし、マレーシアの徴兵制は軍への兵士としての入隊ではなく、「国防省の管理下で6箇月間の共同生活」であるため、通常の徴兵制とは異なる。</small>
 
* [[良心的兵役拒否]]が非合法であり、代替役務が制度化されていない国家
 
: {{KOR}}、{{PRK}}、{{TUR}}
 
* 志願兵を主とし少数の徴集兵が組み合わされた志願・徴兵並立制の国家
 
: {{CHN}}
 
:毎年採用される[[中国人民解放軍]]新兵の枠は、志願兵も徴集兵も計画的に決められている。入隊志願者・被奨励者の中から選抜されて現役志願兵に採用される。これに漏れた者は、徴兵制度に委ねられる。徴兵された者が[[役種|現役]]兵となるか[[予備役]]兵となるかは、年齢・能力・適性によって判断される。[[中国民兵|民兵]]組織への一定期間の参加も兵役と見なされる。
 
* 2015年までに徴兵制を廃止することを明言している国家
 
: {{ROC-TW}}<ref>詳しくは中華民国軍[[:zh:%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E6%B0%91%E5%9C%8B%E8%BB%8D%E4%BA%8B]]<!--|できれば、Wikipedia以外のソースがあれば、紹介して欲しいです。 --></ref>
 
* 法律上は形式的に兵役義務が規定されているものの、実質的には徴兵制度が存在しない国家
 
: {{MYA}}{{efn|[[義務教育]]における[[軍事教練]]のみ存在する。}}
 
 
 
==== 徴兵制を施行していない国家 ====
 
2015年時点で、[[国際連合]]加盟193か国のうち、軍隊を保有する169か国中、徴兵制を採用していない[[国家]]は、CIA World Factbookによると、上記以外のの105か国であり<ref name="military-service" />、国際連合から国家として承認されていない地域で、徴兵制を採用しない地域は、上記の1地域以外の地域である<ref name="military-service" />。
 
 
 
[[:en:Military service]]も参照。
 
 
 
{{DEU}}、{{NZL}}、{{ISL}}、{{IND}}、{{JPN}}、{{USA}}{{efn|[[ベトナム戦争]]後に完全廃止ではなく、一時停止中であり、{{en|Selective Service System}} という制度により、18〜25歳までの男性アメリカ合衆国国籍保持者、および男性アメリカ合衆国永住権保持者の名簿が、[[アメリカ合衆国国防総省]]で作成され続けている。}}、{{GBR}}、{{CAN}}、{{FRA}}、{{ITA}}、{{ESP}}、{{PRT}}、{{NLD}}、{{BEL}}、{{SAU}}、{{JOR}}、{{PAK}}、{{BGD}}、{{IRL}}、{{AUS}}、{{GNQ}}{{efn|かつて、徴兵期間が一番長い国として[[ギネス世界記録]]に掲載されたことがある。}}、{{ARG}}、{{CRI}}{{efn|コスタリカは常設軍を廃止しているが憲法147条・121条により非常時徴兵を規定<ref>[http://www1.ocn.ne.jp/~mourima/sindou.html 「最近のコスタリカ評価についての若干の問題」] 新藤通弘 アジア・アフリカ研究2002年第2号</ref>。}}、{{CZE}}、{{SVK}}、{{HUN}}<ref>在日本ハンガリー大使館『[http://www.hu.emb-japan.go.jp/download/geppou/2004_11.pdf ハンガリー政治経済月報]』2004年11月</ref>、{{NIC}}、{{ROU}}、{{SWE}}{{efn|2010年7月1日に徴兵制度を廃止したが、2018年1月より再び兵役義務が課される予定になっている。}}、{{POL}}{{efn|2008年に徴兵制度が廃止されるまでは男女ともに9箇月間の兵役義務を負っていた。}}、{{SRB}}{{efn|2011年に徴兵制度を廃止。}}、{{SVN}}{{efn|2003年に徴兵制度を廃止。}}、{{BGR}}、{{BRN}}、{{UAE}}、{{HRV}}、{{MNE}}、{{LVA}}、{{MAR}}、{{SYC}}、{{KNA}}、{{BFA}}
 
 
 
: 上記の内、
 
* 歴史上、過去に一度も徴兵制を施行したことがない国家
 
: {{NZL}}、{{ISL}}、{{IND}}
 
* 軍隊を保有していない国家
 
[[File:Map of countries without armed forces.svg|thumb|right|350px|
 
{{legend|#47828f|一切の軍事力を保有していない国家}}
 
{{legend|#5f8f47|常備軍は保有していないが、制限された軍事力は保有している国家}}
 
]]
 
: {{main|軍隊を保有していない国家の一覧}}
 
 
 
=== 日本 ===
 
==== 近代までの徴兵制 ====
 
''明治以降の徴兵制度の経緯は[[徴兵令]]・[[兵役法]]を、徴兵の教育などは[[兵 (日本軍)]]も参照''
 
===== 明治維新以前 =====
 
7世紀末から8世紀初め、[[日本]]は大陸の[[唐]]や[[新羅]]と敵対しており、また日本列島内でも[[蝦夷]]など異民族と小競り合いを繰り返していた。これらから防衛するため、日本は[[養老律令]]の軍防令によって、成人男性3人につき1人を兵士として徴発し、[[軍団 (古代日本)|軍団]]を構成するとした。しかし、実際に徴兵された数はこの規則より低めであり、1戸から1人が実数ではなかったかと考えられている。兵士の食糧と武器は自弁であり、負担がかなり重かったため、逃亡兵が相次いでいたようである。
 
 
 
これらは、唐や新羅と関係改善が進み、また蝦夷たちの[[大和民族]]への同化が進んで脅威が減少すると不要と考えられるようになり、軍団は縮小、廃止の方向になった。また日本は[[律令国家]]から[[王朝国家]]に変化していく過程で、軍事政策もかつての民衆を徴用する軍団から[[国衙軍制]]に変化した。身分が固定化するに従い、豪族や百姓、[[俘囚]]のうち、弓馬に優れるものを優先的に徴用するようになり、軍は少数精鋭の職業軍人の集団へと変化した。また、一般民衆の兵役はほぼ無くなった。
 
 
 
10世紀以降、国衙軍制の発展など、様々な要因から日本には[[軍事貴族]]、すなわち[[武士]]という身分が形成されるようになった。武士は元来、自らが切り開いた土地を防衛していたが、やがて軍事を通じて貴族にも影響力を与える存在となり、やがて軍事そのものを司る役目が、朝廷や貴族から武士に移っていく。[[源頼朝]]によって[[鎌倉幕府]]が築かれると、[[幕府]]は朝廷から半ば独立して、全国の武士を直接に統括するようになる。一般民衆は志願や強制など、様々な方法で戦争を含む軍事行動に参加したものの、これらは職業軍人足りえず、武士階級による軍事力の独占が進んだ。
 
 
 
時代が進み、日本全国で恒常的に戦乱が続発する[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]になると、[[職の体系]]、身分制度が崩壊し、武士だけでなく農民や商人も自らの実力に相応しい発言力を求めて軍事力の整備に努め、時に戦乱に参入した。民衆と軍人の境目は薄れ、農民は[[足軽]]や[[小荷駄]]として参戦した。[[武田家]]などには、半農半士の者の中に、兵として従軍することで年貢の一部負担を免除された「軍役衆」と呼ばれる集団がいた。城や砦の建設や修復、戦に巻き込まれた市街の再建などの土木工事には、多くの人夫が動員された。戦国時代は、[[太閤検地]]の実施から[[江戸幕府]]の確立による[[兵農分離]]が進められるまで、農民と武士の境目は曖昧であり、多くの者が軍事に携わっていた時代であった。農閑期でなければ戦そのものが難しいなど、一般民衆の軍事への協力は非常に重要であった。
 
 
 
[[徳川家康]]によって[[江戸幕府]]が開かれ、再び身分が固定化する時代が訪れると、かつてのように軍権は武士が独占するようになり、百姓や町人たちは原則として軍に関わらなくなった。この時代における「徳川の平和」は、幕府と大名の武威に基づくものであり、武威は[[参勤交代]]における[[大名行列]]によって示された。しかし、大名行列は武士だけでは成り立たなかったため、大名は、百姓や町人を[[エキストラ]]として行列に参加させることが多かった。
 
 
 
==== 大日本帝国憲法下の徴兵制 ====
 
[[ファイル:Examination for conscription in Japan.jpg|thumb|right|1941年頃の日本で行われていた徴兵検査の光景]]
 
 
 
[[明治維新]]により、江戸幕府が崩壊して身分制度が廃止されると、[[1873年]]には国民の義務として国民皆兵を目指す[[徴兵令]]が出され、のち[[兵役法]]となった。[[大日本帝国憲法]]にも「日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ兵役ノ義務ヲ有ス」兵役の義務が盛り込まれた(第20条)。
 
 
 
徴兵令は、それまで軍事に関する権益を独占していた[[武士]]([[士族]])の特権を奪うものと認識され、[[士族反乱]]の原因の一つとなった。一方、徴兵令の対象となった平民からも不満が出て、一部では[[血税一揆]]などの騒動に発展した。
 
 
 
===== 徴兵制の概要 =====
 
日本の徴兵制度は[[戸籍]]制度を前提にしており、明治6年1月10日法では「一家ノ主人タル者」や家産・家業維持の任に当たる者は兵役の義務から免除されていた<ref>[http://ci.nii.ac.jp/naid/110000401087/ 徴兵令における「家」と国家] 熊谷開作(同志社法学Vol.14, No.8)p.425</ref>。[[戸籍法]]の適用を受ける日本国民の男性は、満20歳([[1943年]]からは19歳)の時に受ける徴兵検査によって身体能力別に甲-乙-丙-丁-戊の5種類に分けられた。甲が最も健康に優れ体格が標準である甲種合格とされ、ついで乙種合格、丙種合格の順である。丁は徴兵に不適格な身体である場合、戊は病気療養中に付き翌年に再検査という意味である。
 
 
 
当初は一番体格が標準的である甲種の国民が抽選で選ばれた場合に、「現役兵」として徴兵されるにとどまっていた。具体的にはおおよそ10人に1人から4人に1人程度であり、これらの兵士が戦時体制となる前の平時の訓練を受けた兵であった。戦争が始まると甲から順次徴兵されていった。しかし不公平感から全国で徴兵反対運動、あるいは徴兵逃れのための不正が横行するようになった。
 
 
 
そのため徴兵制度は大改正され[[1889年]]には法制度上、男性に対して[[国民皆兵]]が義務付けられ、甲種合格の者はほとんどが入隊した。やがて徴兵逃れ行為も下火となり、逆に乙種以下とされ徴兵されない事が不名誉とみなされるようになった。
 
 
 
[[太平洋戦争]]において戦局が激化するにつれ、現役兵としての期間を終えた後の[[予備役]]や後備役にあった元兵士の国民も[[召集令状]]によって召集され、大戦末期の昭和20年には徴集率は九割を超えた。通常、現役での徴兵を「徴集」、予備役・後備役での徴兵を「召集」と呼んで区別されていたが、混乱期には区別せずに「徴集」を用いることもあった。この召集制度が悪用された例として[[竹槍事件]]がある。さらに第二次世界大戦末期になると兵力不足が顕著になり、文科系[[学生]]への徴兵([[学徒出陣]])や熟練工・植民地人の徴兵が行われた。
 
 
 
[[日本の降伏]]後は、[[陸軍省]]・[[海軍省]]の解体に伴い、[[日本軍]]そのものが消滅し<!--(「空軍省」は当初からなかった。諸外国でも空軍が創設されたのは1950年代以降である)-->、徴兵制度の根拠となる兵役法は、[[1945年]](昭和20年)[[11月17日]]に廃止された。
 
 
 
==== 日本国憲法と徴兵制 ====
 
===== 概説 =====
 
[[日本国憲法]]における徴兵制についての理解には諸説ある。
 
* 徴兵制は[[日本国憲法第9条]]に反するとする説<ref name="miyazawa">宮沢俊義『憲法II新版』1971年、p.335</ref>
 
** 戦力不保持を定めた日本国憲法第9条のもとで徴兵制を採用する余地はないとする学説<ref name="miyazawa"/>。
 
* 徴兵制は[[日本国憲法第18条]]に反するとする説<ref name="nonaka">野中俊彦、中村睦男、高橋和之、高見勝利『憲法I第4版』有斐閣、2006年、p.388以下</ref>
 
** 徴兵制は日本国憲法第18条に定める意に反する「苦役」に当たり認められないとする学説<ref name="nonaka"/>。通説であり政府見解(昭和55年8月15日・昭和56年3月10日政府答弁)の立場でもある<ref name="nonaka"/>。具体的には1980年(昭和55年)[[鈴木善幸内閣]]で「徴兵制は[[違憲]]との統一見解」を[[閣議]]決定。[[内閣法制局]]が過去に「徴兵・兵役は[[日本国憲法第18条|日本国憲法(第18条)]]で禁じる“意に反する苦役”であり」、違憲だという見解を示した{{efn|衆議院予算委員会(昭和56年2月4日)内閣法制局長官 角田禮次郎委員の発言を参照。ただし、これ以前の時期には、内閣法制局は徴兵制度が「意に反する苦役」にあたるか否かについて、はっきりした見解を示していなかった。この点については第六十三回衆議院内閣委員会(昭和45年10月28日)内閣法制局長官 高辻政府委員の発言を参照。}}。
 
** 徴兵制は日本国憲法第18条に定める意に反する「苦役」に当たり認められないとする説に対しては比較憲法的に不自然であるという批判がある<ref name="miyazawa"/>。しかし、この批判に対しては日本国憲法は大日本帝国憲法とは異なり兵役の義務を課していないという反論がある<ref name="nonaka"/>。
 
 
 
徴兵制については、2014年(平成26年)7月の[[集団的自衛権]]をめぐる政府見解による憲法解釈変更の際、自衛隊志願者が激減して徴兵制を敷かざるを得なくなるのではないかという議論も出された<ref>{{Cite news|url=http://www.asahi.com/articles/DA3S11207782.html|title=(集団的自衛権を問う)拡大防げず徴兵制招く 小池清彦さん|date=2014-6-25|accessdate=2014-7-8|newspaper=朝日新聞}}</ref>。また、集団的自衛権に関して従来とられていた政府見解が変更されたことから、徴兵制についてとられている政府見解も将来的に変更されるのではという問に対し、[[内閣官房]]のウェブページの一問一答では「徴兵制は憲法上認められない」と答えている<ref>{{Cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140705/plc14070523470027-n1.htm|title=集団的自衛権「わが国を防衛するためのもの」 政府、HPでアピール|date=2014-6-25|accessdate=2014-7-8|newspaper=産経新聞}}</ref>。2014年(平成26年)7月15日の[[参議院]][[予算委員会]]で[[安倍晋三]]首相は徴兵制は採用しないと述べた<ref>{{Cite news|url=http://www.saga-s.co.jp/news/national/10202/84118|title=徴兵制あり得ないと首相|date=2014-7-15|accessdate=2014-7-16|newspaper=佐賀新聞}}</ref>。
 
 
 
===== 徴兵制を巡る議論 =====
 
戦後、[[警察予備隊]]、[[海上警備隊]](後の[[自衛隊]])が発足したものの、徴兵制が憲法18条に反するという一般的解釈、終戦直後における国民の軍隊への悪感情などから徴兵制度は導入されず、[[志願制度]]が採られた。その後、徴兵制度に関する議論はしばしば繰り返されてきたものの、制度として採用しようとする表立った動きはなかった。もっとも、自衛隊を増強しようとする動きの一環として、[[核武装論]]と共に一部で主張されることがある。
 
 
 
徴兵制については、青少年に「筋金を入れる」うえで徴兵制度に見合う社会的な教育運動の必要性・[[精神論]]を説く議論が終戦直後からなされており<ref>第七回衆議院予算委員会(昭和25年2月13日)13号[[北澤直吉]]委員「昔は日本には徴兵制度というものがありまして、二十歳になると徴兵検査を受ける。その中で優秀なものは兵役に服すということで、それによつてわれわれ日本国民に一つの筋金が入つておつたと私は思うのでありますが、今日は徴兵検査もなく、徴兵もないというわけで国民に筋金を入れる組織が非常に弱いのではないかとおもうのであります。そういう点から考えまして、こういうような青年の運動あるいは青年を訓練するような制度というものを、取上げる必要があるのではないかと思うのであります。もつとも現在においてもボーイ・スカウトの運動、あるいはガール・スカウトの運動というものがありますけれども、さらにそのほかに、ちようどアメリカのニュー・デイールの中でやりましたような思想も、取入れて、日本の青年の指導というものにつきまして、格段のご注意をお願いした方がいいと思うのであります」</ref>、また[[警察予備隊]]発足当初では7万5千の警察予備隊を持つ金があれば、徴兵制にすれば30万以上の軍隊を持つことができるとの計測があった<ref name="conscription1">第八回衆議院外務委員会(昭和25年10月4日)[[菊池義郎]]委員</ref>。だが第二次大戦の戦没者の多くが志願兵ではなく徴集兵であったという事実から、徴兵制度に嫌悪感を示す論調が大勢を占めていた<ref>たとえば第五回参議院本会議(昭和24年5月16日)[[草葉隆圓]]など</ref>。
 
 
 
一部の論者によって展開される徴兵制論が、しばしば教育的意図をもって語られ、純軍事的見地から、本来の徴兵制の意味を逸脱しているとの反論もある。詳細は[[#徴兵制度の現状]]を参照{{efn|戦時中でも徴兵拒否者はいたとされ、俳優の[[伴淳三郎]]は[[召集令状]]を受け取っていたのだが、[[徴兵検査]]にはきれいに化粧をした女装で出かけていき、その格好を見た検査官が激怒して検査場から追い出され、検査直前に[[醤油]]を大量に(一升瓶1本分)飲み、「[[肝臓#肝臓の病気|肝臓病]]」を装って徴兵を逃れている(一時的に同一症状が出せる)。他にも[[灯台社]]の[[明石順三]]による徴兵拒否が有名。}}。
 
 
 
2017年(平成29年)8月現在、[[国会 (日本)|国会]]に議席を持つ政党で、徴兵制度の復活を党是や公約に掲げている政党は存在しない。[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]が着手している日本国憲法改正に対して「徴兵制を復活させようとするものである」という批判がしばしば行われるが<ref>[http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-11-28/2005112801_03_1.html 「改憲案は戦争準備 自民案批判でシンポ」] - [[しんぶん赤旗]]2005年11月28日(月)</ref><ref>[http://www5.sdp.or.jp/central/topics/kenpou2006012002.html 「自民党「新憲法草案」批判(案)」] - 2006年1月20日社民党憲法部会</ref>、自民党側はこれを認めていない。[[2010年]](平成22年)[[3月4日]]には、共同通信社は[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]の「憲法改正推進本部が徴兵制度を検討することを示唆した」と報じられたが<ref name="47news20100304">{{cite news
 
| url = http://www.47news.jp/CN/201003/CN2010030401000592.html
 
| title = 自民、徴兵制検討を示唆 5月めど、改憲案修正へ
 
| newspaper = [[共同通信社]]
 
| publisher = [[47NEWS]]
 
| date = 2010-03-04
 
| accessdate = 2010-05-25
 
}}</ref>、[[自民党幹事長|幹事長]][[大島理森]]は直後にこれを否定している<ref name="47news20100304"/><ref>{{cite web
 
| url =http://www.jimin.jp/activity/discourse/098612.html
 
| title = "徴兵制検討"との一部報道について 大島理森幹事長コメント(3/4)
 
| newspaper =
 
| publisher = [[自由民主党 (日本)|自由民主党]]
 
| date = 2010-03-04
 
| accessdate = 2012-12-24
 
}}</ref>。2012年(平成24年)にはネット上などで自民党の改憲案が徴兵制度を復活させようとするものであるという主張がしばしば行われ、[[林芳正]]党幹事長特別補佐は「それ(徴兵制)は政権公約には書いてありませんので、また我々の憲法の草案にも一切書いてございませんので、ご心配ご無用だと思います。」と回答している<ref>[http://news.nicovideo.jp/watch/nw461685 自民党・日本未来の党の党代表者にユーザーが質問 投開票日直前特番 全文書き起こし(3/4)]-[[ニコニコニュース]]2012年12月15日(土)17時57分配信</ref>。
 
 
 
=== 中華民国(台湾) ===
 
[[File:Conscription(Taiwan).jpg|thumb|right|180px|兵役に召集され、駅で発車を待つ台湾の青年]]
 
[[中華民国]]([[台湾]])では、男性に1年の兵役の義務がある。2000年から制度改正が行われ、[[良心的兵役拒否]]権が認められるようになった。2009年3月には、徴兵制度を2015年に廃止する方針が示され、2012年1月1日に1年間の兵役義務が「停止」された{{efn|2011年12月30日、国防部および内政部は、2012年1月1日より徴兵制を停止し、常備兵役の軍事訓練の期間および対象者の出生年について、「1994年1月1日以降に出生した兵役適齢男子は、2013年1月1日より4カ月の常備兵役の軍事訓練を受けることに改める。」及び「1993年12月31日以前に出生した兵役適齢男子は、徴兵を受けていない者、あるいはまだ徴兵に就いていない者は、兵役法第25条3項の規定に基づき、1年間の期限で代替役(兵役の代わりに公的機関で勤務)に付くものとする。」とした<ref>[http://www.roc-taiwan.org/JP/OKD/ct.asp?xItem=245601&ctNode=10423&mp=692 台湾の徴兵制が停止、今後は志願兵制に移行]</ref>。}}。ただし、代わりに'''4箇月'''の軍事訓練{{efn|なお、高校や大学、専門学校などで行われる「軍事教練」授業の8時間分を軍事訓練の1日分と換算して、最大で30日分を限度として4箇月の訓練期間に充当が可能であり、また、夏休みなどを利用して軍事訓練を受けることも可能<ref>中華民国外交部『[http://taiwantoday.tw Taiwan Today(日本語版)]』</ref><ref>「[http://taiwantoday.tw/ct.asp?xItem=182327&ctNode=1770 「兵役法」が改正、志願制に向けてまい進]」</ref>。}}を行うため、完全な意味での停止ではなく、「兵役期間の短縮」であると言える。削減分の予算の一部は兵器の充実に回す予定だが、野党などから国防費を急増させる中国との軍事格差がますます広がるとの懸念も出ている<ref>{{cite web
 
| url =http://www.asahi.com/international/update/0309/TKY200903090293.html
 
| title =台湾の徴兵制度に幕 緊張緩和、財政負担も 14年全廃
 
| publisher = [[朝日新聞]]
 
|accessdate=2009年3月9日
 
}}</ref>。
 
 
 
兵役につく男性は、まず身体検査によって「常備役」「替代役」または「免役」(兵役義務が課されない)に分類される。常備役に分類された者は中華民国国軍に編入し[[兵士]]になる。ただし学歴によって軍官([[士官]]に相当)や士官([[下士官]]に相当)になることも可能。替代役は軍に編入されず、主に政府や警察、消防機関で公務の補佐を行う([[代替役]]を参照)。なお常備役判定でも条件を満たせば替代役に就けるが、兵役義務期間は替代役判定者より長い。[[中華民国国軍]]や[[中華民国徴兵規則]]も参照のこと。
 
 
 
=== 中華人民共和国 ===
 
義務兵と志願兵を並立させた制度を採用している。[[中国人民解放軍]]は、選抜徴兵制の下で徴集兵・志願兵ともに定員が大きく削減されたが、貧困層にとって有力な就職先であり志願兵希望者が多い。毎年、志願兵の定員以上の志願者が応募している。一方で徴兵制度自体は廃止すると国防上弊害があるので徴兵制度も並立して存在している。人民解放軍は、志願兵を主要としそれに少数の徴集兵が組合されている。毎年採用される新兵の枠は志願兵(下士官)も徴集兵(義務兵)も両者ともに定員が決められている。志願兵応募者や軍から奨励された者の中から選抜されて現役志願兵に採用される。これに漏れた者は徴兵制度に委ねられる。本人の意思に係わらず、徴集年齢にある者は基本的に兵役機関に出向き、徴兵制度により徴集される際に、現役徴集兵となるか[[予備役]]兵となるかは、年齢・能力・適性により判断される。軍からの徴集を受けず上限年齢の22歳又は24歳を過ぎた者も最終的に35歳までに[[中国民兵|民兵]]組織への参加することを義務付けられている。なお現役徴収兵として満期に達したものでも個人の意思により新たに志願兵として軍務に就く道がひらけている。
 
 
 
中華人民共和国では、徴集兵と志願兵とでは身分が異なる。賃金体系、待遇、兵役期間、階級制度が大きく異なり、志願兵の方がより良い条件となっている。
 
 
 
中華人民共和国では、毎年の現役徴集の人数、基準と時期は、[[中華人民共和国国務院|国務院]]と中央軍事委の命令で定められる。各省、自治区、直轄市は、国務院と中央軍事委の徴兵命令に基づき、当該地域の徴兵業務を手配する。平時の徴集は年1回行われる。兵役法によると、毎年12月31日までに満18歳に達した男子は徴集されて現役に服さなければならない。徴集されなかった者は、22歳までは徴集可能とされる。必要に応じ、女子も徴集できる。毎年12月31日までに満18歳に達する男子は、9月30日までに兵役登録をしなければならない。条件に適合する徴集対象公民は、県、自治県、市、市管轄の区の兵役機関の許可を経て、徴集されて現役に服する。徴集すべき公民が一家の生計を維持する唯一の労働力か全日制学校に就学中の学生であるときは、徴集猶予できる。勾留されて捜査、起訴、裁判中か懲役、拘留、監視の判決を受けて服役中の公民は、徴集しない。
 
 
 
民兵は生産から離脱しない大衆武装組織で、中華人民共和国の武力の重要な一部で、中国人民解放軍の助手と予備力である。民兵組織は普通民兵組織と基幹民兵組織に分かれる。基幹民兵組織には民兵応急分隊、歩兵分隊、専門技術分隊及び専門分野分隊が設けられている。現在、全国の基幹民兵は1000万に上る。基幹民兵は18〜22歳の間に30〜40日の軍事訓練に参加し、うち専門技術兵の期間は必要に応じて延長される。民兵の軍事訓練任務は中央軍事委の承認を受け、総参謀部が下部に伝える。民兵の軍事訓練は主に県クラス行政区内の民兵軍事訓練基地で集中的に行われ、一部の省、市には専門技術兵訓練センターや人民武装学校が設けられている。民兵業務は、国務院、中央軍事委が指導する。省軍区(衛戍区、警備区)、軍分区(警備区)及び県、自治県、市、市管轄の区の人民武装部は当該地域の民兵業務を担当する。郷、民族郷、鎮、居住区の人民武装部は当該地域の民兵業務を担当する。企業が国の関係規定に基づいて設置した人民武装部は、職場の民兵業務を担当する。人民武装部を設置していない企業は、専任者を決めて民兵業務処理にあたる。
 
 
 
[[大学]]、[[高等学校|高校]]の国防教育は、教室での授業と軍事訓練を合わせることになっている。[[大学生]]は男女を問わず、在学中に学内で行われる基礎的軍事訓練を受けなければならない。全軍学生軍事訓練工作弁公室は教育省と共同で全国生徒学生軍事訓練計画を策定した。2003年は、大学1100校と高校1万1500校が生徒・学生の軍事訓練を実施し、800万人が訓練を受けた([http://www.china-embassy.or.jp/jpn/zgbk/gfzc/t182206.htm 出典:2004年中国の国防])。
 
 
 
=== 大韓民国 ===
 
==== 制度 ====
 
[[大韓民国国軍|韓国軍]]は徴兵制と志願兵制を併用している。徴兵に応じることは、韓国の若い男性達の義務とされている。18歳の男子への[[徴兵検査]]によって判定され、1-3級までが現役、4級は[[補充役 (韓国)|補充役]]・[[公益勤務要員|公益勤務]]、5級は免除・有事時出動、6級が身体異常による完全免除とされている。しかし有力家出身者の兵役回避が社会問題となっており、徐々に[[身体検査]]や等級判断が広げられ、時に本来は不適格な者までが入隊を余儀なくされる問題が指摘されている。また[[軍隊]]の施設や訓練生活において、[[体罰]]や[[いじめ]]など[[1960年代]]そのままの風習が残り、若い男性にとって適応が一層困難となっている。さらに、検査の際の問診で半数近くが「人格障害」と診断されたことがあり、受験者が徴兵を嫌がってわざとそのような回答をすることが多いとわかる。兵士の兵役義務期間は[[陸軍]]と[[海兵隊]]で21箇月、[[海軍]]で23箇月、[[空軍]]で24箇月で、海軍と空軍は志願しない限り配属されない。
 
 
 
待遇はほぼ無給であり、[[二等兵]]で日本円で月1万円程度である。2018年1月、徴兵された一般兵士の月給が倍近くに増額され、二等兵で30万6100ウォン(約3万2000円)に引き上げられたが、それでも韓国の[[最低賃金]]にはるかに満たない賃金である<ref>{{cite news |title=韓国軍一般兵の月給が倍増、なお最低賃金を下回る |newspaper=[[フランス通信社|AFPBB]] |date=2018-1-17 |url=http://www.afpbb.com/articles/-/3158733 |accessdate=2018-2-16 }}</ref>。外出や外泊は月に1日、服務期間全体で10日間と制限され、多くの場合、40人部屋での生活を余儀なくされる<ref name="nw1242507">{{cite news |title="徴兵制のリアリティを日本の若者に感じて欲しい"〜兵役を拒否し亡命中のイ・イェダ氏が会見  |newspaper=ニコニコニュース |date=2014-9-20 |url=http://news.nicovideo.jp/watch/nw1242507 |accessdate=2014-9-21 }}</ref>。
 
 
 
以前は男性が[[就職]]適齢期に兵役につく場合が多いことから、兵役を終えた男性に限り公務員に就職する際の優遇措置があった。しかし[[フェミニスト]]が「女性差別だ」と抗議したために、兵役満了者への優遇措置は撤廃された。この措置に対しては撤廃は不当だという男性側からの不満も表明されている。[[朝鮮日報]]によるアンケート調査では、回答した韓国の男子学生の46.3%が「大学や韓国社会において[[男性差別]]がある」という認識を示している。これは男性のみへの兵役強制(女子は免除)、更には兵役満了者への優遇措置撤廃が背景にある<ref>[http://www.chosunonline.com/article/20060813000011 『韓国の男子学生「大学には男性差別がある」46.3%』] 2006年8月13日付配信 朝鮮日報</ref>。
 
 
 
一方で兵役免除の特典を与えられるものもいる。スポーツでめざましい成績を収めたもの(例:[[近代オリンピック|オリンピック]]でメダリスト、[[FIFAワールドカップ|サッカーワールドカップ]]でベスト16以上など)、理工系で将来研究員になったり、大手企業に就職などをすることが期待されるなど、学業が特に優秀な場合などが免除される。また、[[在日韓国・朝鮮人|在日韓国人]]などの国外での[[永住権]]取得者も免除の対象となる。ただし、韓国への永住帰国や韓国での[[住民登録番号|住民登録]]によってこの免除はなくなる。
 
 
 
また、[[芸能人]]は「芸能兵士」制度があり、軍の広報活動や部隊への慰問公演などを行っていたが、芸能兵士の不祥事が相次いで発覚し、制度は廃止された。他にも「尚武」と呼ばれる[[大韓民国国軍体育部隊|国軍体育部隊]]に所属しスポーツ活動を行う者もいる。また韓国で人気の[[オンラインゲーム]]で活躍する[[プロゲーマー]]をコンピュータ技師(電算[[特技兵]])として採用し、ゲームを利用した広報を担当させている。いずれも特別な選考があり、その分野で活躍している者が選ばれる。
 
 
 
2016年9月30日、韓国[[ギャラップ (企業)|ギャラップ]]が公開した徴兵制に関する調査結果によると、韓国人の48%が徴兵制の維持に賛成し、35%は徴兵制の廃止と志願制の導入に賛成した<ref>{{cite news |title=徴兵制維持に賛成48% 志願制は35%=韓国世論調査|newspaper=[[朝鮮日報]] |date=2016-9-30|url=http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2016/09/30/2016093002215.html |accessdate=2016-9-30 }}</ref>。
 
 
 
[[文在寅]]大統領は、大統領選挙で兵役義務期間の短縮を公約にしており、[[国務会議]]と大統領の裁可を経て、陸軍は18箇月、海軍は20箇月、空軍は21箇月に、それぞれ3箇月短縮される見込み。
 
 
 
==== 兵役忌避 ====
 
現在の韓国では、良心的兵役拒否は全く認められていない。公益勤務要員、産業技能要員、専門研究要員、義務警察官、戦闘警察官、海洋警察、警備矯導隊、義務消防隊などの軍隊以外での勤務を行うことで2年の兵役を4週間に短縮する制度がある。しかし、これらの制度の適用となるためには、難関資格取得が必要だったり、防衛産業へ就職したり、選抜試験に合格する必要があるため、狭き門である。なお、現在は約6万人が対象となって勤務している。しかしながら、この代替服務制度も段階的に縮小して廃止し、重症の[[身体障害]]者を除いてはボランティアの形で服務する社会服務制を導入する予定であると報道された<ref>[http://www.chosunonline.com/article/20070109000037 政府、6カ月の兵役短縮案を検討(朝鮮日報2007年1月9日)]</ref>。
 
 
 
韓国では、良心的兵役拒否者で処罰を受けた人は、1954年から2018年まで約2万人に上る。また、その99.2%が[[エホバの証人]]の信徒とされる<ref>{{cite news |title=エホバの証人「国防部傘下での代替服務はできない」=韓国 |newspaper=[[中央日報]] |date=2018-7-1|url=http://japanese.joins.com/article/774/242774.html|accessdate=2018-7-1}}</ref>。
 
 
 
大学在学中に休学して兵役に就く者が多く、大学受験の[[過年度生|浪人]]が制限されるなどの影響があり、韓国の受験戦争が加熱する要因の一つともなっている。2002年には、アメリカで活動していた歌手のユ・スンジュンが、代替勤務を容認されながら入営直前にアメリカ市民権を取得したため、兵役忌避とみなされ13年間の入国拒否処分を受けた。
 
 
 
一方で、就職に影響が少ない大学在学中に兵役を済ませようとする若者も多いが、予算や兵舎の問題から、韓国軍が受け入れられる人数にも限りがあるため、毎年、入隊を希望しながらも入隊できない者もいる。彼らは入隊が適うまで大学を休学する事もある。このような「入隊浪人」が、毎年5万人ほど出ている<ref>{{cite news |title=徴兵:「入隊浪人」年間5万人、競争率7.7倍の狭き門 |newspaper=[[ハンギョレ]] |date=2015-11-8 |url=http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/11/07/2015110700485.html |accessdate=2015-11-8 |author=宣政敏 }}</ref>。
 
 
 
2000年代頃より宗教上の理由で兵役を拒否する[[良心的兵役拒否]]者が出てきて、[[裁判]]で[[有罪]]判決を受ける者が増えてきている。年に750人程度が兵役拒否を行い、懲役刑を受けて刑務所へ収監されている。現在、全世界の兵役拒否を理由とした[[良心の囚人]]の内、韓国人が占める割合は90%を超えている。兵役拒否者は、[http://www.geocities.co.jp/WallStreet/1747/heieki.html 大韓民国兵役法]違反で1年6カ月から3年の懲役に処されている<ref>[http://www.onekoreanews.net/past/2007/200709/news-syakai03_070926.cfm 韓国社会を読む-兵役拒否(『統一日報』2007年9月26日発行版)]</ref>。2016年10月18日、[[光州広域市|光州]]地方裁判所は、入営を拒否して兵役法違反の罪で起訴された[[エホバの証人]]の信者3人に対し、無罪を言い渡した。この三人は、一審では[[禁錮]]18月の有罪とされており、それが覆っての無罪である。これまで韓国では、一審で宗教的兵役拒否に無罪を言い渡す事例はあったが、二審では逆転有罪となっていた。この判決のように、二審で無罪となった事例は初めてのため、この判決は韓国内で注目されている。ただし、[[大法院 (大韓民国)|最高裁]]がこの判決を支持する可能性はほぼ無いという見方が大勢である<ref>{{cite news |title=韓国の宗教的兵役拒否、地裁で無罪判決も最高裁では… |newspaper=[[朝鮮日報]] |date=2016-10-21 |url=http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2016/10/21/2016102101081.html |accessdate=2016-10-21 }}</ref><ref>{{cite news |title=韓国、良心的兵役拒否への有罪判決覆る 徴兵反対派は「画期的」と歓迎 |newspaper=[[フランス通信社|AFPBB News]] |date=2016-10-18 |url=http://www.afpbb.com/articles/-/3104840 |accessdate= 2016-10-23}}</ref>{{efn|現行法上、懲役1年6か月以上の刑が確定しない限り、正式に徴兵が免除されないため。}}。
 
 
 
また、プロ野球などのスポーツ選手や芸能関係者らがあらゆる手段を用いて[[兵役逃れ]]をしていたことが相次いで発覚し、社会問題化した。彼らに対する批判的意見はもちろん強いが、スポーツや芸能活動にとって、若い時代に長期間軍隊に拘束されることによるマイナス面は非常に大きいため、同情的な意見もある{{efn|ドラマ『[[冬のソナタ]]』に出演していた俳優である[[ペ・ヨンジュン]]と歌手でもある[[パク・ヨンハ]]は、それぞれ目の異常のため免除された。また同じく俳優である[[ウォンビン]]は兵役に従事したが以前から抱えていたひざの病状が悪化したため途中から除隊されたというようなケースもある}}。
 
 
 
徴兵を忌避して、韓国から出て行く若者もおり、2013年には[[フランス]]に[[亡命]]した兵役拒否の韓国人男性の[[難民]]申請が[[難民認定|認められたケース]]もある<ref name="nw1242507"/>。
 
 
 
2004年8月、韓国の[[憲法裁判所]]は、[[良心的兵役拒否]]を処罰する兵役法について、裁判官7対2の意見で[[合憲]]とした。一方、合憲意見を出した裁判官のうち5人は「代替服務制」の導入を勧告した<ref name="hani21328">{{cite news |title=良心的兵役拒否の代替服務制導入しない韓国…国際社会からも批判|newspaper=[[ハンギョレ]] |date=2015-7-10 |url=http://japan.hani.co.kr/arti/politics/21328.html|accessdate=2015-8-2 |author=イ・ギョンミ }}</ref>。[[国際連合|国連]]の[[自由権規約人権委員会]]や[[国際連合人権理事会|人権理事会]]は、2005年から繰り返し、韓国に対して良心的兵役拒否を認めるよう勧告している<ref name="hani21328" />。国連からの要請を受けて、[[盧武鉉]]政権では代替服務制を推進したが、その次の[[李明博]]政権は「代替服務制導入は時期尚早」として、この議論は衰退した<ref name="hani21328" />。
 
 
 
韓国の[[大韓民国国家人権委員会|国家人権委員会]]は、「良心的兵役拒否者を処罰することは、普遍的人権である良心の自由を侵害する」という見解を出している他、[[国防部 (大韓民国)|国防部]]に良心的兵役拒否者の代替服務履行計画の策定を要求している<ref>{{cite news |title=韓国国家人権委、「兵役拒否者の処罰は良心の自由の侵害」憲法裁に意見提出|newspaper=[[ハンギョレ]] |date=2016-12-13 |url=http://japan.hani.co.kr/arti/politics/25948.html|accessdate=2016-12-15 |author=アン・ヨンチュン }}</ref>。
 
 
 
2018年6月28日、韓国の憲法裁判所は、現在の良心的兵役拒否者に対する処罰は合憲としたものの、代替服務制を兵役の種類として規定していない条項は憲法に合致しないとして、2019年12月31日までに兵役法を改正し、代替服務制の導入を求めた<ref>{{cite news |title=良心的兵役拒否者の処罰は「合憲」 韓国憲法裁判所が判断|newspaper=[[聯合ニュース]] |date=2018-6-28 |url=http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2018/06/28/0200000000AJP20180628002800882.HTML|accessdate=2018-6-28}}</ref>。
 
 
 
=== 朝鮮民主主義人民共和国 ===
 
[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]では表向きは自身で志願するシステムであり徴兵制度ではないものの、法令上や北朝鮮社会の一般的観点から、事実上男性に10年の兵役義務が課せられている。以前は13年の兵役期間であったが、2006年に兵役期間が短縮された。この他国と比較して長い兵役は、同国の政治方針である「[[先軍政治]]」に基づくものであり、これにより約110万人の兵士数を確保している。<!--この長期の兵役が経済に与える影響は深刻である。なお、脱走者が後を絶たず年間1万5千人が脱走している{{要出典|date=2008年12月}}。-->全人口に対する兵員の比率は世界トップクラスである(出典:エンカルタ総合大百科2007)。
 
 
 
2014年9月20日には、兵力不足を補うために2015年より女性にも7年間の兵役を課し、男性の兵役期間も11年に延長すると[[東亜日報]]が報じた<ref>{{cite news |title=北が女性にも徴兵制、食糧難で兵力枯渇? 韓国紙報道 |newspaper=[[産経新聞]] |date=2014-9-20 |url=http://sankei.jp.msn.com/world/news/140920/kor14092009490003-n1.htm| accessdate=2014-9-21 | author=藤本欣也}}</ref>。これまで女性は志願制であったが、[[苦難の行軍]]と呼ばれた1990年代の食料不足の時期、出生率が3割低下しており、その世代が徴兵される時期となったため、120万ともされる軍の兵力を、現行の制度では維持できない事が背景とされる<ref>{{cite news |title=女性も徴兵制 北朝鮮導入へ 兵力不足で |newspaper=[[東京新聞]] |date=2014-9-20 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2014092002000246.html | accessdate=2014-9-21 | author=中村清}}</ref>。
 
 
 
=== シンガポール ===
 
[[シンガポール軍]]は1971年12月に[[イギリス軍]]が撤退した後に結成された。2万人の職業軍人のほか、2年間の徴兵制を男性に対して課している。徴集兵の数は5万5千人に達する。徴兵検査は17歳の時に行われ、進学の場合を除いて延期・猶予は認められていない。ただしシンガポールの「徴兵」は正式には国民役務(National Service)と呼ばれており、[[軍隊]]以外の公的機関([[警察]]や「民間防衛隊」と呼ばれる[[消防]]や[[救急]]など)を選択することも可能となっている。
 
[[2004年]]6月15日、テオ・チーヒン国防相は、Aレベル([[大学]]入学資格)保持者や[[ディプロマ]]保持者の徴兵期間を2年半から2年に短縮することを議会で報告した。軍の場合、中等教育終了後に1回目の[[召集令状]]が[[国防省]]から届くが、本人の意志により[[高等教育]]終了後まで入隊延期を申請することができる。高等教育は概して、ジュニア・カレッジ(2年。卒業後、Aレベル保持)、ポリテクニック(Polytechnics。高度な専門技術を身につけ、卒業後、[[ディプロマ]]を保持)、技術教育研究所及び職業実習に分かれ、各課程終了後に最終的な召集令状が国防省から送付される。召集期間はジュニア・カレッジ及びポリテクニック修了者が2年半、並びにその他の高等教育修了者及び高等教育未満の学歴の者は2年だったが、2004年の改革によって前者の徴兵期間が最大で2年となった。前者の階級は[[伍長]]から始まり、成績優秀者は2年半で[[中尉]]に昇進するが、更に半年軍と契約することで[[大尉]]に昇進する。新兵は3か月の基礎訓練を受け、そこにおいて、[[射撃]]、野外工作、[[サバイバル]]、[[カモフラージュ]]の教育が行われる。一部の兵はその後、士官候補生教育またはスペシャリスト教育を受ける。士官候補生コースは9箇月、スペシャリスト教育コースは21週ある。残りの大部分は様々な部隊に配属される。
 
徴兵期間終了後も、軍勤務希望者は更に10年の契約を行える。その後、再契約することができ、将校は45歳、[[下士官]]は55歳で定年を迎える。一方、軍に残らず一般社会に戻る者も、将校は50歳、下士官と[[兵]]は40歳まで[[予備役]](Operationally Ready National Service)に編入され、年一度の召集に応じなければならず、13年間はIn-Camp Trainingを受けなければならない。さらに毎年不定期に、主に[[電話]]を使用する「Silent」、または[[テレビ]]、[[ラジオ]]等[[マスメディア]]を使用する「Open」のいずれかの方法による非常呼集<!--(Mobilisation)軍隊では「非常呼集」ではなく「動員」(Mobilization)ではないか?-->がかけられ、対象者は数時間以内に定められた装備を着用して非常呼集司令部に集合しなければならず、正当な理由なく応じなかった者は処罰される([[罰金]]、[[懲役]])。([http://www.jcci.org.sg/storefront/members/monthly_report/pdf/08-2004/s-03.pdf 出典:国防省資料])
 
 
 
=== タイ王国 ===
 
[[タイ王国]]の男性は、21歳に[[徴兵検査]]を受ける義務があり、身体検査合格者から[[くじ引き]](黒票:免除、'''赤票:兵役''')によって、実際に徴兵される者が選ばれる。ただし、[[士官学校]]生や一般の学校(マッタヨム 4〜6年)などで「軍事科(ウィチャー・タハーン)」を受けた者や、身体や精神に障害のある者、体力のない者は徴兵対象外とされている。
 
 
 
タイの[[MTF]] [[トランスセクシュアル]]の中には男性器を切除した者も多いが、タイの法律では戸籍の性別は変えることができないため、たとえ“手術済み”のトランスセクシュアルであっても戸籍上の性別が「男性」である限り、徴兵検査と兵役のくじ引きに参加しなければならない。しかし、今までは「強く勇敢な兵士になれそうになく、軍の風紀も乱れる恐れがある」との理由から「[[精神障害]]者」ということにして不合格としていた。
 
 
 
ところが、『NATION』紙2008年3月20日号によると、[[ゲイ]]権利団体が軍に「徴兵検査失格証明書に精神障害者であると記載されているために[[就職]]や[[ローン]]の審査で不利になる」と抗議した。それを受けて防衛省徴兵局長のソムキアット将軍が「精神障害者と記載するのはすぐに止め、男でもなく女でもなくトランスセクシュアルを差別するのでもない新しい第3の性別名を探してみる」と述べた。
 
 
 
「第3の性別名」が決まるまでの間は、徴兵検査を受ける[[カトゥーイ]]は「30日以内に完治しない病気に罹っている」として不合格にすることとなった。さらに「第3の性別名を適用されるためには、3年間連続で彼らが真剣に女性として生きようとしていることを証明するレポートを軍に提出しなければならない」とソムキアット将軍は述べた。ちなみに徴兵検査参加者のうち、トランスセクシュアルが占める割合は毎年1%未満である。
 
 
 
=== マレーシア ===
 
[[マレーシア]]では、2003年より[[マハティール]]前首相の提唱で制定された「国民奉仕制度」が施行された。これは国民の団結を図る目的で「抽選で選ばれた18歳の男女が国防省の管理下で3か月間の共同生活を行う」という内容であり、強制的に国民へ課せられる義務である。
 
 
 
=== ベトナム ===
 
[[ベトナム人民軍]]は1944年12月22日に設立された。徴兵制を採用しており、18-27歳の男子に原則として2年の兵役義務が課されている。主力部隊、地方部隊、民兵の三結合方式を採用している。国家国防安全委員会主席は国家主席が兼任し、首相が副主席である。[[中越戦争]]時には正規軍だけで170万人の兵力を有していたが、現在は48万4000人まで兵員が削減された。陸軍41万2000人、海軍4万2000人、空軍3万人である。このほか予備役と民兵が300-400万人。予備役将校の職業はさまざまで、高級官僚や大学教員も少なくない。
 
 
 
=== アメリカ合衆国 ===
 
[[File:Young_men_registering_for_military_conscription,_New_York_City,_June_5,_1917.jpg|thumb|right|200px|[[第一次世界大戦]]期、選抜徴兵登録制度に望む[[ニューヨーク市]]の男性(1917年6月6日撮影)]]
 
{{main|アメリカの徴兵制の歴史|アメリカの軍需経済と軍事政策#アメリカの軍隊・国防総省・軍需産業の雇用者数}}
 
[[アメリカ合衆国]]は、[[ベトナム戦争]]での[[パリ協定 (ベトナム和平)|パリ協定]]締結後の[[1973年]]以降、徴兵を停止した。選抜徴兵登録制度である{{仮リンク|セレクティブ・サービス・システム|en|Selective Service System}}(Selective Service System){{efn|[[:en:Selective Service System|Selective Service System]](選抜徴兵登録制度)と呼ばれる仕組みがあり、18歳-25歳の米国国民の男性と永住外国人の男性に連邦選抜徴兵登録庁への徴兵登録が義務と規定されている。ただし、ベトナム戦争以後に、この名簿に基づいて徴兵が行われたことは今のところない。}}に基づく名簿の作成も、[[1975年]]に廃止された。しかし、1980年に選抜徴兵法が制定され、再び選抜徴兵登録制度が復活した。この男性限定の選抜徴兵登録に対して、[[男性差別]]であるとして裁判が起された。ところが、[[1981年]]6月に連邦最高裁で「選抜徴兵法が男性だけに選抜徴兵登録を義務とすることはアメリカ合衆国憲法修正第5条に違反しない」と合憲判決が下され、現在に至るまで名簿の作成が[[国防総省]]において継続されている。従って、米国に在住している[[市民#市民権|市民権]]及び[[永住権]]を持つ[[男性]]は18歳になった時点で[[郵便局]]において登録の義務が課せられている。男性市民は登録しないと[[罰金]]刑の対象になる他、[[政府]]からの[[奨学金]]が受給できない等の各種の不利益が科される。永住者には徴兵[[拒否権]]があるが、この場合、米国の国籍は取得できなくなる(本来は連続5年在住で[[帰化]]申請資格ができる。軍歴ができることで米国への忠誠を誓ったと見做され、必要滞在歴が2年に短縮される)。ベトナム戦争当時の米国では、[[ホームレス]]になる若年男性が大量に現れた。住所不定になれば、[[召集令状]]の送付先がなくなるためである。
 
 
 
ベトナム戦争終結以後、徴兵制を復活すべきという主張は連邦議会の非常に少数の議員が提唱しているが、連邦議会の議員と議員への立候補者の大部分も、大統領と大統領への立候補者も、国防総省も、徴兵制の復活は必要ないと繰り返し表明している。徴兵制を復活すべきという主張の理由は、志願兵制では就職先または除隊後の大学奨学金を求めて、経済的に貧しい階層の志願率が高くなるので、経済的階層にかかわらず軍務を国民全員に機会平等に配分するという考えに基づく。徴兵制復活を主張する連邦議会議員は2004年に一般的徴兵法案を連邦議会に提出し、下院本会議で採決した結果、賛成2票 - 反対402票で否決され、上院では委員会審議を通過できず本会議での審議・票決には至らなかった。
 
 
 
アメリカ合衆国の将兵の数は、第二次世界大戦中の1945年度は1,205万人、就業人口に対する比率は18.6%、総人口に対する比率は8.6%。朝鮮戦争中の1952年は363万人、就業人口に対する比率は6.0%、総人口に対する比率は2.3%。ベトナム戦争中の1968年は354万人、就業人口に対する比率は4.6%、総人口に対する比率は1.8%。冷戦末期の1988年は220万人、就業人口に対する比率は1.9%、総人口に対する比率は0.9%。冷戦終結後の1998年は147万人、就業人口に対する比率は1.1%、総人口に対する比率は0.5%。アフガニスタンとイラクで戦争中の2006年は144万人、就業人口に対する比率は1.0%、総人口に対する比率は0.5%である。長期的な視点では、就業人口と総人口に対する軍人と軍属の人数の比率が著しく減少している。また、兵器の機械高度化や[[民間軍事会社]]への[[アウトソーシング]]化により、[[州兵]]を含む志願兵でまかなえることから、[[アメリカ合衆国連邦政府]]も兵員数を増やすために徴兵する必要がなく、2000年代最初の10年間である現在で、予測可能な将来の範囲内では米国が徴兵制を採用する可能性はない。
 
 
 
=== イギリス ===
 
{{see also|強制徴募}}
 
[[イギリス]]では従来、志願制度で必要な兵員を確保できており、[[第一次世界大戦]]参戦より1年半後、1916年1月に兵士不足を補うためにイギリス史上初めての徴兵制に踏切ったが、第一次大戦終了と同時に志願制に復旧した。その後[[第二次世界大戦]]が勃発した1939年9月、開戦当日に再び徴兵制に踏切った。
 
 
 
1939年の兵役法では18〜40歳の男子、1941年の第二兵役法では17歳8か月〜51歳の在外英国人・在英外国人、および20〜30歳の独身女子<ref>[http://www.learningcurve.gov.uk/homefront/women/armed/Default.htm The National Archives: Women at War] ”As a result, in 1941 they introduced conscription for all single women aged between 20 and 30.”</ref>に兵役が課された。1942年には男女とも16歳まで引下げられた。イギリスは第二次大戦で独身女性を徴兵した唯一の国である<!--他の国の情報は [[#女性兵士の徴兵]]で記述-->([[#女性兵士の徴兵]]参照) 。
 
 
 
第二次大戦後も制度的には継続されていたが、[[植民地]]からの撤退により大幅な人員過剰となり、[[1960年]]に廃止された。
 
 
 
なお、イギリスは徴兵制を実施していた期間を通じて、宗教的理由以外での[[良心的兵役拒否]]が合法的・制度的に認められていた稀有な国家である<ref>『臆病者と呼ばれても―良心的兵役拒否者たちの戦い』(M・セジウィック著、[[金原瑞人]]訳、あかね書房、2004、ISBN 4-251-09833-1)</ref>。
 
 
 
ただし制度化できたのは、軍人が尊敬を受ける一方で、兵役拒否者が「臆病者」「[[ノブレス・オブリージュ]]を果たしていない」として、社会的指弾の対象となる風土にあって、拒否申請者が相対的に少ないからである。例えば1939年から1948年の間、第二次世界大戦における300万人以上の動員数に比して、兵役拒否の申請はわずか50分の1程度の62,301名であり、18,495件は却下され、17,231件は後方勤務(農業労働・医学実験対象・看護など)を命ぜられたため、兵役から解放されたのは26,575名に過ぎなかった<ref>例えば「良心的兵役拒否の思想」阿部知二 1969年 岩波書店</ref>。
 
 
 
=== フランス ===
 
[[フランス]]は[[フランス革命]]で市民による徴兵制度を作り上げたが、近年では冷戦の終結と共に軍事の役割が減少したと判断され、[[軍事技術]]が複雑化と専門化したこともあり、[[1990年代]]半ばに段階的に徴兵制を廃止した。これ以降は、18歳の男性に対する1年間の国民役務の義務は廃止され、代わりに16歳から18歳の男女すべてに対して1日のビデオ講習による防衛準備召集が義務化された([http://www.ambafrance-jp.org/IMG/pdf/Politique_defense.pdf 出典:在日フランス大使館ホームページ「フランスの対外および防衛政策についての最近の関係資料」])。
 
 
 
=== ドイツ ===
 
;西ドイツ
 
[[西ドイツ]](ドイツ連邦共和国)では第二次世界大戦後に徴兵制が廃止され、再軍備にあたっては志願兵制が採用されていたが、戦後間もないこともあって募集に応じる者は少なかった。冷戦構造が深刻化する中では、志願兵制に固執していては要員の確保ができないため、やむを得ず[[1956年]]に徴兵制度を復活させた。[[ドイツ連邦共和国基本法]]で満18歳以上{{efn|ドイツの選挙権年齢は1970年に21歳から18歳に引き下げられたが、その背景に徴兵制度と参政権の議論が存在する<ref>[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/064/0530/main.html 第064回国会公職選挙法改正に関する調査特別委員会第7号] 自治省行政局長宮澤弘(政府委員)</ref>。}}の男性に兵役の義務が定められた。ただし、当時のアデナウアー首相は、侵略戦争を行なった歴史を持つ国としての立場を考慮し、基本法([[憲法]])の中に「良心的兵役拒否権」の明文規定を設けた。
 
 
 
;東ドイツ
 
東ドイツ([[ドイツ民主共和国]])では、[[ベルリンの壁]]が構築された5箇月後の1962年1月に徴兵制が施行された。その際に兵役拒否者が続出した。兵役拒否者は逮捕され拘禁刑を受けるにもかかわらず2年で1,550名に及び、政府は対応を迫られた。[[教会]]は若者を支援し、良心的兵役拒否権を認めるよう政府に働きかけた。西ドイツではすでに良心的兵役拒否が、基本法に権利として保障されていた事情もあり、この点で東ドイツも政権の民主性を国際社会にアピールする必要があったため、1964年6月に「建設部隊」が人民軍内に設置された。この制度は、国家が兵役拒否する「反社会主義的」「反国家的」な若者も人民軍の中に取り込んでしまおうとしたものである。東ドイツは国家による諸組織に国民を組み込もうという包括的な社会統合政策が採用されており、建設部隊もその一環であった。武器を持たない新部隊は、当初「労働大隊(Arbeits-bataillone)」と名付けられたが、公文書に手書きで「労働大隊」を消して「建設部隊(Baueinheiten)」と書き直された。「労働大隊」はナチス政権の懲罰組織を想起させるが、「建設」には前向きな響きがある。またこれまで存在しない新しい名前であったため、市民から偏見なく受け入れられた。しかし建設部隊の生活は厳しく、日常的になされる上官からの誹謗、嫌がらせ、軍事施設での任務、良心の自由が権利として認められない状況、除隊後の教育・就職差別があり、さらには建設兵士をも拒否すると法を犯すことになる。そこで建設兵士らは除隊後、建設部隊に入ることさえ拒んだ人と平和活動を始めた。
 
 
 
;統合後のドイツ
 
東西ドイツの統合後、兵役期間は次第に短縮され、2002年1月からは9箇月間と短くなった。基本法において明文化されている良心的兵役拒否を根拠に、兵役に代わって老人介護施設での介護作業に従事する兵役拒否者の場合は、社会福祉事業や環境保護活動、消防活動などに通常の兵役期間より長い期間奉仕することが求められていたが、2004年10月からは兵役期間と同じ9箇月間とされた。これらの義務は25歳までに果たす必要があるとされていた。
 
 
 
しかし、2010年10月に[[フォルカー・ヴィーカー]]連邦軍総監は、連邦軍改革のため将来の連邦軍に関する報告書を議会に提出し、将来像としては新たな志願制による軍が望ましいとした。この報告書では「コンパクトで効率的で、同時に高性能の軍隊」を造るためには志願制が有利であるとされている{{sfn|木戸衛一|2010|pp=1974}}。こうして、2011年6月末を以て長らく続いてきたドイツに於ける徴兵制の幕が降ろされた。同時に、社会的に大きな役割を担っていた良心的兵役拒否者による社会福祉事業への貢献は終了したが、新しい{{仮リンク|連邦ボランティア役務制度|de|Bundesfreiwilligendienst}}(Bundesfreiwilligendienst)が導入されている{{sfn|木戸衛一|2010|pp=1976}}。
 
 
 
徴兵制度の支持者に配慮するために「廃止」ではなく「中止」としたため、今後のドイツの国防情勢の変化によって復活する余地は残されているものの、現状では復活する可能性は低いと考えられている。
 
 
 
=== イタリア ===
 
[[イタリア]]では[[1990年]]頃から現代戦に適応した軍の再編成が計画され、徴兵制についても議題となった。職業軍人主体の高度化が妥当との結論に達し、[[2000年]]に徴兵制を廃止した。
 
 
 
=== ロシア ===
 
[[画像:RIAN archive 662758 Recruits entering Voroshilov Barracks.jpg|thumb|right|[[ソビエト連邦]]の徴集兵(1941年)]]
 
[[ロシア|ロシア連邦]]では、21世紀の現在も名目上は徴兵制度を存続させている。ただし徴兵制度は形骸化が進み、裕福な層を中心に合法・違法な[[兵役逃れ]]が横行している。先進諸国の軍隊やロシア国内の一般市民のそれと比べても極端に安い将兵の給与レベルや、新兵に対するイジメや食料事情の悪さ、居住環境の劣悪さなど多くの問題が徴兵制度の行方に影響を与えている。これらの理由により実際に兵役に就く者は全対象者の10%以下であり、それらの多くが文字の読めない者や犯罪歴のある者、健康に問題がある者といった民間会社ではあまり採用されない者達である。詳しくは[[ロシア連邦軍]]を参照のこと。
 
 
 
ロシア連邦軍は、広大な領土や長大な国境線を持つ陸軍大国である。このため平時での定員数に加えて、戦時にはさらに大量動員が可能なように予備役将兵の層の厚さが特徴となっている。
 
 
 
2002年6月28日、ロシア下院は代替奉仕に関する法案(代替文民勤務法)を採択し、良心的兵役拒否が制度的に明文化された。ロシア政府は男性に1年間の兵役を義務付けているが、ソ連崩壊後の1993年に制定された新憲法は、宗教や他の信条を理由に兵役を拒否する人に対し、代替奉仕の可能性を保障している。しかし代替奉仕に関する具体的取り決めを定めた法律はそれまで存在しておらず、軍隊からの脱走の多発や兵役拒否するための賄賂等、汚職の原因となっていた。2002年6月28日、下院で可決された法案によると、兵役の代わりに民間施設で3年半、または軍事施設で3年間の代替奉仕を選択することができるようになる。また、大学卒業者の場合は、奉仕期間は半分ですむ。ただし徴兵委員会が代替奉仕者の任地を決めるため、自宅や家族の近くで働ける可能性はない。この法律は2004年1月1日から発効した。ロシアでは18歳からの兵役が義務付けられているが、大学生は兵役を遅らせることが許可されている。
 
 
 
政府は2010年までに徴兵制を廃止して完全な職業軍人による志願制への移行を目指していたが、1年間という短い兵役や急激な少子化によって兵員の確保が難しい状況に陥っており、今後は兵役期間の延長や志願兵枠を削減して徴兵を増やす方針が検討されている<ref>[http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/europe/370731/ 露徴兵制度は維持困難? 志願制移行破綻(産経新聞)]</ref>。
 
 
 
ロシアの徴兵制は形骸化が進み、もはや破綻寸前であるという評価もある。ロシアの徴兵制は非常に評判が悪く、若者の間では徴兵逃れが蔓延している上、ロシアは[[少子化]]が進んでいることもあって、もはや軍の定数すら維持できない状態にある。ロシア軍は志願制に進みつつあり、2020年には兵士の3分の2が、給与を受け取りながら2~3年ほど軍で働く契約軍人になるとの予測もある。ロシアの大学には軍事教練が存在し、これが徴兵制度を補っている<ref>{{cite news |title=ロシアが名門以外の大学生に軍事教育を義務化 破綻の危機に直面する徴兵制、頭をひねる政府幹部・・・ |newspaper=[[日本ビジネスプレス]] |date=2014-2-20 |url=http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39982 |accessdate=2014-2-22|author=小泉悠}}</ref>。
 
 
 
=== スイス ===
 
[[ファイル:Caroline-Migros-p1000507.jpg|thumb|200px|[[SIG SG550]][[アサルトライフル]]を携帯したまま買い物するスイス人男性]]
 
[[Image:Swiss Army marching Fcb981.JPG|thumb|250px|[[グラールス]]近郊におけるスイス陸軍の訓練]]
 
[[スイス]]の男性市民は、18歳時に兵役を務められる能力があるかどうかを調べる身体検査が義務付けられている。そこで不合格と診断されると兵役免除となるが、合格者は20歳までに18又は21週間の初任訓練を受けて個人装備一式が支給される。34歳までに3週間ほどの補充講習を約7回受け、20歳から数えて通算で合計260日間の兵役に就かなければならない。兵役を一度で済ませる制度も存在する。その場合の兵役は300日間である。
 
 
 
過去、国防関係者が「冷戦の終結により外敵からの侵略の危険性が減少したことで、現役総定員36万人は過大であるから、装備の近代化と職業軍人の増加で軍隊のプロ化を進め、兵士数も12万人程度に削減する」との考えを「21世紀の国防軍指針」で発表し、徴兵制を廃止するために[[国民投票]]を2度発議したが、否決された。しかし、国防相が最近になって、再び、職業軍人制度への移行を訴えている。また、2012年には「平和主義グループ」が中道左派政党の支持の下に、徴兵制廃止を目指す[[イニシアチブ]]成立に必要な数の[[署名]]を集め、提出した。この案は、[[志願制]]の軍隊の創設と、任意での民間役務の維持を目標としている。その後、2012年12月から国民発議についての議論が開始された。今後、全州議会(上院)での議論を経て、内閣が[[国民投票]]の日程を決める予定である。なお、徴兵制廃止案が国民投票にかけられるのは、この25年間で3度目になる<ref>swissinfo.ch「[http://www.swissinfo.ch/jpn/detail/content.html?cid=34751736 徴兵制支持、欧州で弱まる]」</ref>。2013年9月22日に徴兵制廃止は反対多数で否決された<ref>「スイス、徴兵制廃止を否決 国民投票、伝統を支持」産経新聞、2013年9月23日</ref>。
 
 
 
1991年の国民投票の結果、良心的兵役拒否が合法的に認められるようになり、介護や医療などの代替役務(Zivildienst)が1996年に制度化された。{{efn|[[アルベルト・アインシュタイン|アインシュタイン]]は、米国に行く前にスイス国籍を取得していたが、[[扁平足]]であることを理由に兵役を免除された。}}<ref>『現代ドイツ情報ハンドブック&lt;+オーストリア、スイス&gt;』p.229、三修社、2003年、『スイス探訪 したたかなスイス人のしなやかな生き方』p.86-95、[[国松考次]]、[[角川書店]]、2003年)</ref>。
 
 
 
=== その他のヨーロッパ諸国 ===
 
その他の[[ヨーロッパ]]諸国では、多くの国家で徴兵制が敷かれていたが、フランスやイタリアとほぼ同時期に[[オランダ]]、[[ベルギー]]、[[スペイン]]、[[ポルトガル]]などの西ヨーロッパ諸国でも一斉に廃止された。<!--これには米国と[[東側諸国]]との冷戦終結の影響もあるが、[[湾岸戦争]]の影響による軍事思想の転換(人数さえ多ければ戦争に勝てるわけではない)も大きな要因である。-->[[オーストリア]]、[[ギリシャ]]、[[キプロス]]は徴兵制度がある。
 
 
 
=== 北欧諸国 ===
 
[[画像:Lov om almindelig Værnepligt for Kongeriget Danmark.JPG|thumb|[[デンマーク]]で1849年に発布された徴兵制度の告知文]]
 
[[File:ConscriptionFinland.jpg|thumb|予備訓練に対する参加証書([[フィンランド]]、1897年)]]
 
[[ノルウェー]]や[[フィンランド]]、[[デンマーク]]では[[男性]]に徴兵制が課されている。ただし代替役務を課することにより、良心的兵役拒否も許されている。
 
 
 
[[デンマーク]]では、段階的に徴兵期間が短縮され、それまで9か月だったのが4箇月間の基礎訓練だけで徴兵期間は終了し、それ以降の継続は選択できるようになった。
 
 
 
[[アイスランド]]に関しては徴兵制度を課したことが歴史上一度もない。(アイスランドは軍隊を保有していない)
 
 
 
[[スウェーデン]]では、2010年7月1日に徴兵制度が廃止されたが、2017年に2018年1月から復活することを発表。2010年以前は女性は対象外であったが、今回からは男女全員が徴兵対象となる。2018年には1999年生まれの若者から13000人が選ばれ聞き取り調査をされた上で4000人が徴集され、兵役に就く期間は9か月~11か月<ref>2018年1月28日中日新聞朝刊3面</ref>となる、という計画である<ref>{{cite news |language = en| author =| url =http://www.bbc.com/news/world-europe-39140100| title =Sweden brings back military conscription amid Baltic tensions - BBC News| publisher =| date= 2017-3-2| accessdate =2018-1-20}}</ref>。
 
 
 
[[ノルウェー]]では、1年間の徴兵義務が、2015年から[[女性]]にも拡大され、[[ヨーロッパ]]で唯一平時に女性を徴兵する国であったが、2018年1月以降はスウェーデンでも同様に女性が徴兵されるようになる。<ref>{{cite news |language = | author =| url =http://www.afpbb.com/article/politics/2950463/10910004| title =ノルウェーが徴兵を女性にも拡大、欧州で唯一 2015年にも実施| publisher =| date= 2013-6-15| accessdate =2013-6-17}}</ref>
 
 
 
=== 東欧諸国 ===
 
[[ウクライナ]]や[[ベラルーシ]]や[[エストニア]]など旧ソ連諸国では男性に対する徴兵制度がある。一方、NATOやEUに加盟した[[チェコ]]や[[スロバキア]]、[[ハンガリー]]、[[ルーマニア]]といった旧社会主義国の東欧諸国は2000年代前半から半ばにかけて相次いで徴兵制を廃止した。[[リトアニア]]は一度廃止した徴兵制を[[ロシア]]の脅威を理由に復活<ref>2018年1月28日中日新聞朝刊3面</ref>。
 
 
 
=== イスラエル ===
 
[[イスラエル]]では、[[ユダヤ教徒]]のイスラエル[[国民]]と[[永住]]者に対して兵役の義務が課せられている。条件や期間に差があるものの女性にも徴兵制があることが特徴となっている。徴兵制を取る国家においても、そのほとんどは男性のみを対象としていることから考えると非常に珍しい事例であるが、周囲すべてが程度の差はあれ敵性国家であり、祖国の存亡を賭した戦争が明日にでも起こりうるという同国の事情が根底に存在する。[[超正統派]]ユダヤ教徒と[[ドゥルーズ派|ドゥルーズ教徒]]を除くアラブ系国民に対しては兵役が免じられている(志願入隊することは可能である)。
 
 
 
男性は3年、女性は1年9ヶ月間の兵役期間である。拒否者には3年間の[[禁錮|禁固刑]]が科される。[[ユダヤ教]]の[[モーセ五書|律法]]によると女性の男装は禁じられているため、女子は宗教上の理由による良心的兵役拒否が可能であるが、条件は少し厳しい{{efn|イスラエル国籍の女優[[ナタリー・ポートマン]]は米国の[[ハーバード大学]]に留学していて兵役を免除された。}}。妊娠等の理由による例も含め、女性の約1/3が兵役を免除されている。男性はユダヤ教の[[神学校]]を卒業し、[[超正統派]]の[[ラビ]]になれば、[[宗教]]上の理由で兵役を拒否できる。ただし、イスラエル最高裁が2012年2月に、超正統派に対する兵役免除を「法の下の平等」に反するとして改善措置を命じており、その後、2012年7月31日にユダヤ教超正統派の宗教学校生の兵役を免除する「兵役猶予法」が失効し、イスラエル政府が超正統派の徴兵に向けた準備(手続きには数カ月かかる見通し)を開始したと報じられている<ref>{{cite news |title=イスラエル:失効の兵役猶予法で社会分断も |newspaper=[[毎日新聞]] |date=2012-08-02 |url=http://mainichi.jp/select/news/20120803k0000m030047000c.html |accessdate=2012-08-10}}</ref>。
 
 
 
かつてイスラエルでは将校になることがエリートコースの典型であったが、産業の発展により魅力が薄れている。
 
 
 
=== レバノン ===
 
[[レバノン]]では、1975年の[[レバノン内戦]]以前には徴兵制は存在しなかったものの、1980年代初頭に徴兵制が施行された。しかしこの当時は[[レバノン軍|レバノン国軍]]は極めて貧弱であり、この法令が遵守されたのは[[ベイルート]]周辺のみであったと言われている。この制度も1985年頃にレバノン国軍が衰弱した頃には[[死文]]化したといわれる。1990年以降、内戦が沈静化すると、政府軍の早期再建とレバノン政府の威信回復、宗派間の対立解消を目的として「フラッグ・サービス」と呼ばれる事実上の徴兵制が再施行された。全宗派のレバノン国民男性が対象であり兵役期間は1年であったが、現在は6か月までに短縮されている。しかしシーア派など一部の宗派では「[[ヒズボラ]]」や「[[アマル]]」といった[[民兵]]組織に入隊するなど、黙殺する住民も少なくない。
 
 
 
=== トルコ ===
 
[[トルコ軍]]は良心的兵役拒否を認めない完全な男性皆兵制を採っており、身体障害がない限り男性には15箇月間、ただし、大学卒業者は12箇月間の兵役が課され、それぞれ陸軍、海軍、空軍、[[沿岸警備隊]]に配属される。定期バスのような公共輸送機関では軍隊によるID検査があり、兵役を逃れている者はそのまま任地に強制連行され、一度、帰宅することも許されない。18歳〜40歳までの男性で国籍を有するIDカード保持者を対象に行われるが、学生は徴兵猶予される。学士課程は29歳まで、修士課程は33歳まで、博士課程は37歳までである<ref>出典:[[:en:Conscription in Turkey|Conscription in Turkey]]</ref>。
 
 
 
一般には20歳までに兵役に応じ、最下級の兵士(er)としての訓練と任務に就くことになる。また大学卒業者は、[[兵卒]]ではなく予備[[将校]]として訓練を受ける。兵役期間中の給与は安く、軍種・兵科・任地により異なるが、2006年現在、20新トルコリラ程度(約1600円)である。これは[[タバコ]]8箱程度の価値であり、一般には兵役は無償(bedava)とみなされている。これに対して職業軍人は「有給軍人(para askeri)」と呼ばれる。以前は「代人料」を払って兵役期間を短くする制度があったが、貧富で格差が出て問題になったため、廃止されている。
 
 
 
近年、トルコでは良心的兵役拒否に関する議論が活発化している。[[ヨーロッパ評議会]]の構成国の中で兵役拒否を認めていないのはトルコと[[アゼルバイジャン]]のみである。1987年4月9日に発表された兵役義務への良心的拒否に関するヨーロッパ評議会閣僚委員会の勧告No.R(87)8では、「徴兵制度に服すべき者で、納得できる良心的な理由から武力使用への関わりを拒否する者は、そのような役務に服する義務から解放される権利を有する。そのような者は、代替的な役務に服することがある」としている。
 
 
 
2006年、[[欧州人権裁判所]] (ECHR) は Osman Murat Ulke の良心的兵役拒否に関して、トルコ政府が2年6箇月の懲役刑を科したことに対して、[[人権]]侵害であると認めた。2005年に[[クルド人]]であるMehmet Tarhanは兵役拒否の罪で4年間、軍の[[刑務所]]に収監されることとなった(しかし、彼は2006年に突然、釈放された)。[[ジャーナリスト]]のPerihan Magdenはトルコの[[裁判所]]に、Tarhanの良心的兵役拒否を認めるように訴えたが、[[逮捕]]された。後に彼女は無罪となった<ref>参考:[http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2066147/612132 2006年6月7日のAFPの記事「良心的兵役拒否を支持する記事で著名作家起訴」]、[http://www.amnesty.or.jp/modules/news/article.php?storyid=383 2007年10月3日のアムネスティ・インターナショナルの記事]、[[:en:Osman Murat Ulke|Osman Murat Ulke]]、[[:en:Mehmet Tarhan|Mehmet Tarhan]]、[[:en:Perihan Magden|Perihan Magden]]</ref>。
 
 
 
===その他の中東諸国===
 
[[File:Conscription in Iran 3.jpg|thumb|イランの徴集兵]]
 
イラン、エジプトでは徴兵制が施行されている。なお、中東地域の君主制国家では志願制を採用しているケースが大多数である([[カタール]]、[[アラブ首長国連邦]]、[[バーレーン]]、[[サウジアラビア]]、[[オマーン]]、[[ヨルダン]])。ただし、[[クウェート]]は君主制国家であるが徴兵制を施行している。
 
 
 
===アフリカ諸国===
 
[[エリトリア]]は軍事国家であり、完全な[[国民皆兵]]制度を持っている。エリトリア人は男女を問わず全員、無期限の兵役または政府事業での労役が義務付けられている。事実上の強制労働であり、難民や脱走兵は見つかれば刑務所送りであり、処刑されることもある<ref>{{cite news |title=エリトリア難民、命がけの逃亡 失う物は何もない |newspaper=[[スイス放送協会]] |date=2014-9-16 |url=http://www.swissinfo.ch/jpn/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E9%9B%A3%E6%B0%91-%E5%91%BD%E3%81%8C%E3%81%91%E3%81%AE%E9%80%83%E4%BA%A1-%E5%A4%B1%E3%81%86%E7%89%A9%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%82%82%E3%81%AA%E3%81%84/40694210 |accessdate=2014-9-24 }}</ref>。
 
{{-}}
 
 
 
== 徴兵制度と諸概念 ==
 
* 徴集兵:呼び出され集められた兵。[[ドラフト]](draft)。
 
** 召集兵:一度は徴兵された後に服務待機となり、改めて召集された兵
 
** 応召兵:召集令状に応じて指定地に行く兵。あるいは召集に応じた兵。
 
** 徴用兵:呼び出され用いられる兵
 
* 志願兵:(事実上の有無は問わず)本人の志願により兵役についた兵士
 
** [[義勇兵]]:志願兵にほぼ同じ、ただし正規軍ではない義勇軍の兵士を明示的に指す場合もある。[[ボランティア]]({{lang-en-short|volunteer}})
 
* 徴募兵:(1)つのり集めた兵であり、志願兵のこと(2)呼び集められた兵のこと、徴集兵。「諸藩の兵を―して/近世紀聞(延房)」<ref>[https://dictionary.goo.ne.jp/jn/144841/meaning/m1u/%E5%BE%B4%E5%8B%9F/ GOO辞書「徴募」]</ref>。[[強制徴募]]も参照
 
 
 
*[[動員]]:服務待機の兵を召集すること。あるいは動員済みの兵を根拠地に集結させること。
 
*[[復員]]:動員を解除し服務待機に戻すこと。
 
*[[入隊]]:軍隊に入ること。徴集兵の場合、兵役登録が事実上の入隊であるが、実際に召集を受けた場合は[[入営]]とも。
 
*[[除隊]]:軍隊を辞めること。退役、退職とも。
 
 
 
== 注釈 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{notelist}}
 
 
 
==文献情報==
 
*{{PDFlink|[http://home.hiroshima-u.ac.jp/heiwa/JNL/24/Ichikawa.PDF 「ドイツにおける徴兵制の変容-国家と個人の相克-」]}} 市川ひろみ(今治明徳短期大学 広島平和科学24(2002)広島大学)
 
*{{PDFlink|[http://home.hiroshima-u.ac.jp/heiwa/JNL/29/3ichikawa.pdf 「軍人による市民的不服従-選択的兵役拒否と脱走-」]}} 市川ひろみ(今治明徳短期大学 広島平和科学29(2007)広島大学)
 
*{{PDFlink|[http://www.jikkyo.co.jp/contents/download/5724505706 「兵役拒否に揺らぐ徴兵制」]}} 佐々木陽子(国立看護大学校非常勤講師 地歴・公民科資料60号 実教出版2005-02-20)
 
*{{PDFlink|[http://www.yoakenonippon.com/pdf/study_eu_heiekigimu.pdf 「EU各国(27か国)における兵役義務・非軍事的代替役務義務」]}} 中山太郎事務所(「夜明けの日本」勉強コーナー)
 
*{{PDFlink|[http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/6382/1/A05111951-00-030000399.pdf 「平和的生存権と抵抗権1」]}} 後藤光男(早稲田法学会誌30巻1979)
 
*{{PDFlink|[http://www.ps.ritsumei.ac.jp/assoc/master/2005/pdf/200623.pdf 「ホッブスの抵抗権批判-事実de factoに基づく義務の理論-」]}} 矢島信(2005年度政策科学研究科修士論文 立命館大学政策科学研究科)要約※修士論文のため取扱注意
 
*[https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihondaigakukyouikugakkai/29/0/29_KJ00009752845/_article/-char/ja/ 「ドイツ社会主義教育崩壊の内在的原因3-防衛教育における問題-」] 石井正司(日本大学 教育学雑誌第29号1995年日本大学教育学会紀要)
 
*{{PDFlink|[http://www.seinan-gu.ac.jp/jura/home04/pdf/410304/410304kawashima.pdf 「戦後ドイツの教会と平和問題」]}} 河島幸夫(西南学院大学法学部法学論集41巻3.4号2008年)
 
*{{PDFlink|[http://libir.fukuoka-edu.ac.jp/dspace/bitstream/123456789/66/1/5004.pdf 「イギリス初等教育草創期におけるMzthasRothの体育授業導入提案」]}} 榊原浩晃(福岡教育大学紀要第55号、第5分冊、2006年)
 
*{{PDFlink|[http://jicr.roukyou.gr.jp/hakken/2004/138/138-italia.pdf 「イタリアの社会的協同組合2001」]}}(協同の發見2004.1 NO.138)※イタリアの2001年末における良心的兵役拒否者数の州別人数の資料あり
 
*{{PDFlink|[http://www.rieb.kobe-u.ac.jp/academic/ra/dp/Japanese/dpJ83.pdf 「台湾の国防役制度と産業競争力-台湾IT産業におけるエンジニアの囲い込み-」]}} 神吉ほか(神戸大学経済経営研究所ディスカッションペーパーNo.J83.2008.11改定)
 
 
 
* {{Cite journal|和書|author= [[木戸衛一]]|title=徴兵制「停止」に向かうドイツの政治社会 : 軍事化の中の民主主義と人権 (大平祐一教授 徐勝教授 中島茂樹教授 松井芳郎教授 水口憲人教授 退職記念論 文集)|date=2010  |publisher=立命館大学|journal=立命館法學  |naid=110008462932|volume=2010(5/6)、1963-1988|pages= |ref=harv}}
 
* {{Cite journal|和書|author= [[藤澤房俊]]|title=イタリア軍の成立と徴兵忌避現象|date=1986|publisher=立命館大学|journal=イタリア学会誌  |naid=110002959253|volume=35 |pages= 139-162 |ref=harv}}
 
 
 
== 出典 ==
 
=== 世界各国・地域の情報 ===
 
* [http://www.mofa.jp/mofaj/area/index.html 外務省 各国地域情報] - [https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/index.html CIA World Fact Book] - [http://www.theodora.com/wfb/ Countries of the World] - [http://www.nationmaster.com/index.php NationMaster]
 
 
 
=== 防衛省の防衛白書 ===
 
[http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/2007/w2007_00.html 2007年版] - [http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/2006/w2006_00.html 2006年版] - [http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/2005/w2005_00.html 2005年版] - [http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/2004/w2004_00.html 2004年版] - [http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/2003/w2003_00.html 2003年版] - [http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/2002/w2002_00.html 2002年版] - [http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/2001/w2001_00.html 2001年版] - [http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/2000/w2000_00.html 2000年版] - [http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1999/w1999_00.html 1999年版] - [http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1998/index.html 1998年版] - [http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1997/index.html 1997年版] - [http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1996/index.html 1996年版] - [http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1995/index.html 1995年版] - [http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1994/w1994_00.html 1994年版] - [http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1993/w1993_00.html 1993年版] - [http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1992/w1992_00.html 1992年版] - [http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1991/w1991_00.html 1991年版] - [http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1990/w1990_00.html 1990年版] - [http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1989/w1989_00.html 1989年版] - [http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1988/w1988_00.html 1988年版] - [http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1987/w1987_00.html 1987年版] - [http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1986/w1986_00.html 1986年版] - [http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1985/w1985_00.html 1985年版] - [http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1984/w1984_00.html 1984年版] - [http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1983/w1983_00.html 1983年版] - [http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1982/w1982_00.html 1982年版] - [http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1981/w1981_00.html 1981年版] - [http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1980/w1980_00.html 1980年版] - [http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1979/w1979_00.html 1979年版] - [http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1978/w1978_00.html 1978年版] - [http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1977/w1977_00.html 1977年版] - [http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1976/w1976_00.html 1976年版]
 
 
 
=== 防衛白書の資料編 ===
 
[http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/2007/2007/datindex.html 2007年版] - [http://jda-clearing.jda.go.jp/hakusho_data/2006/2006/datindex.html 2006年版] - [http://jda-clearing.jda.go.jp/hakusho_data/2005/2005/datindex.html 2005年版] - [http://jda-clearing.jda.go.jp/hakusho_data/2004/2004/datindex.html 2004年版] - [http://jda-clearing.jda.go.jp/hakusho_data/2003/2003/datindex.html 2003年版] - [http://jda-clearing.jda.go.jp/hakusho_data/2002/siryo/index.htm 2002年版] - [http://jda-clearing.jda.go.jp/hakusho_data/2001/siryo/index.htm 2001年版] - [http://jda-clearing.jda.go.jp/hakusho_data/2000/siryo/index.htm 2000年版] - [http://jda-clearing.jda.go.jp/hakusho_data/1999/siryo/index.htm 1999年版]
 
 
 
=== 脚注 ===
 
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== 関連項目 ==
 
* [[軍事]]
 
* [[徴兵検査]]
 
** [[陸軍身体検査規則]](大日本帝国)
 
* [[国民皆兵]]
 
* [[強制徴募]]
 
* [[志願制度]]
 
* [[良心的兵役拒否]]・[[代替役]]
 
* [[兵役逃れ]]
 
* [[予備役]]
 
* [[徴農制度]]
 
* [[国民国家]]
 
* [[役種]]
 
* [[性差別]]
 
** [[男性差別]]
 
** [[マスキュリズム]]
 
* [[軍事用ロボット]]
 
* [[民間軍事会社]]
 
  
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[[国家]]が一定の年齢層から[[国民]]を選抜し,一定期間の[[兵役]]を課する制度。類似した義務兵役制度は,17~18世紀,[[民族国家]]の形成に伴ってヨーロッパ諸国でみられたが,近代的な徴兵制度は,[[フランス革命]]において革命政府が施行した 1798年9月の徴兵令が最初である。この徴兵令は 20~25歳の全フランス国民の男子に登録を義務づけるもので,14年以上にわたって[[ナポレオン1世]]に 261万人の兵士を供給した。1807~13年に[[プロシア]]が徴兵制を発展させ,金銭や代人などによる免除を認めず一般国民に兵役を強制する一般兵役義務制を確立し,これを範としてほかのヨーロッパ諸国にも 19世紀に徴兵制度が広まった。日本では[[明治維新]]後,[[和歌山藩]]と[[土佐藩]]の兵制改革で徴兵制がとられ,明治政府が明治3(1870)年に徴兵規則を定めた。同 5年に徴兵の詔書および太政官告諭が発せられ,翌 1873年に[[徴兵令]]が公布され,満 20歳以上の全男子が兵籍に編入されることとなった。当初は徴兵免除や代人の制などがあったが漸次改定され,1927年兵役法の制定によって国民皆兵の体制がつくられ,1945年の[[第2次世界大戦]]終結まで存続した。諸外国では[[スイス]],[[イスラエル]],[[ロシア]],[[エジプト]],[[タイ]],[[シンガポール]],[[ベトナム]],[[大韓民国]],[[朝鮮民主主義人民共和国]]などが今日でも徴兵制度を実施している。イスラエルなどでは,男子だけでなく女子も徴兵の対象としている。他方,[[イギリス]]は 1960年に徴兵制を,[[アメリカ合衆国]]は 1973年に[[選抜徴兵制]]を廃止し,[[志願兵制度]]を採用している。さらに 1990年代以降,[[冷戦]]の終結と[[兵器システム]]のハイテク化に伴ってヨーロッパの軍隊は専門化,職業化が進み,[[フランス]]や[[ドイツ]]などが徴兵制度を廃止もしくは停止した。
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徴兵制度(ちょうへいせいど)

国家が一定の年齢層から国民を選抜し,一定期間の兵役を課する制度。類似した義務兵役制度は,17~18世紀,民族国家の形成に伴ってヨーロッパ諸国でみられたが,近代的な徴兵制度は,フランス革命において革命政府が施行した 1798年9月の徴兵令が最初である。この徴兵令は 20~25歳の全フランス国民の男子に登録を義務づけるもので,14年以上にわたってナポレオン1世に 261万人の兵士を供給した。1807~13年にプロシアが徴兵制を発展させ,金銭や代人などによる免除を認めず一般国民に兵役を強制する一般兵役義務制を確立し,これを範としてほかのヨーロッパ諸国にも 19世紀に徴兵制度が広まった。日本では明治維新後,和歌山藩土佐藩の兵制改革で徴兵制がとられ,明治政府が明治3(1870)年に徴兵規則を定めた。同 5年に徴兵の詔書および太政官告諭が発せられ,翌 1873年に徴兵令が公布され,満 20歳以上の全男子が兵籍に編入されることとなった。当初は徴兵免除や代人の制などがあったが漸次改定され,1927年兵役法の制定によって国民皆兵の体制がつくられ,1945年の第2次世界大戦終結まで存続した。諸外国ではスイスイスラエルロシアエジプトタイシンガポールベトナム大韓民国朝鮮民主主義人民共和国などが今日でも徴兵制度を実施している。イスラエルなどでは,男子だけでなく女子も徴兵の対象としている。他方,イギリスは 1960年に徴兵制を,アメリカ合衆国は 1973年に選抜徴兵制を廃止し,志願兵制度を採用している。さらに 1990年代以降,冷戦の終結と兵器システムのハイテク化に伴ってヨーロッパの軍隊は専門化,職業化が進み,フランスドイツなどが徴兵制度を廃止もしくは停止した。



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