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{{Infobox baseball player
 
|選手名 = 平野 恵一
 
|所属球団 = 阪神タイガース
 
|役職 = コーチ
 
|背番号 = 76
 
|選手写真ファイル名 = Hiranokeiichi 20160320.JPG
 
|写真のコメント = 2016年3月20日 [[阪神鳴尾浜球場]]にて
 
|国籍 = {{JPN}}
 
|出身地 = [[神奈川県]][[川崎市]][[多摩区]]
 
|生年月日 = {{生年月日と年齢|1979|4|7}}
 
|没年月日 =
 
|身長 = 169
 
|体重 = 67
 
|利き腕 = 右
 
|打席 = 左
 
|守備位置 = [[二塁手]]、[[外野手]]、[[遊撃手]]、[[三塁手]]
 
|プロ入り年度 = {{NPBドラフト|2001}}
 
|ドラフト順位 = 自由獲得枠
 
|初出場 = 2002年7月19日
 
|最終出場 = 2015年5月21日
 
|年俸 =
 
|経歴 =
 
* [[桐蔭学園中学校・高等学校|桐蔭学園高等学校]]
 
* [[東海大学硬式野球部|東海大学]]
 
* [[オリックス・バファローズ|オリックス・ブルーウェーブ<br />オリックス・バファローズ]] (2002 - 2007)
 
* [[阪神タイガース]] (2008 - 2012)
 
* オリックス・バファローズ (2013 - 2015)
 
|経歴補足題 = コーチ歴
 
|経歴補足 =
 
* 阪神タイガース (2016 - )
 
|選出国 =
 
|選出年 =
 
|得票率 =
 
|選出方法 =
 
}}
 
'''平野 恵一'''(ひらの けいいち、[[1979年]][[4月7日]] - )は、[[神奈川県]][[川崎市]][[多摩区]]出身の元[[プロ野球選手]]([[内野手]]、[[外野手]])、指導者<ref name=coach>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/1558321.html 阪神組閣一覧] - 日刊スポーツ(2015年10月27日)</ref>。
 
  
== 経歴 ==
+
{{テンプレート:20180815sk}}
=== プロ入り前 ===
 
[[川崎市立稲田中学校]]時代は[[リトルシニア]]の[[野球]]チームに所属する一方、学校ではサッカー部に所属しレギュラー選手だった。[[桐蔭学園中学校・高等学校|桐蔭学園高校]]に進学し野球部に入部。[[遊撃手]]を務め、3年時には[[主将]]として[[第79回全国高等学校野球選手権大会]]に出場し、1回戦で[[小町裕貴]]を擁する[[如水館中学校・高等学校|如水館高校]]を破るも、2回戦の[[山口県立西京高等学校|西京高校]]戦では延長10回の末に敗退。[[川岸強]]とは同級生でチームメイト、また当時同校のエースで後にプロでもチームメイトとなる[[浅井良]]とは高校3年間同じクラスだった。
 
  
高校卒業後は[[首都大学野球連盟]]所属の[[東海大学硬式野球部|東海大学]]に進学し、遊撃手のレギュラーとして4年時に第50回[[全日本大学野球選手権]]で優勝した。リーグ戦通算82試合出場、305[[打数]]98[[安打]]、[[打率]].321, 34[[打点]]。ベストナイン6回。{{By|2001年}}の[[2001年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|ドラフト]][[希望入団枠制度|自由枠]]で[[オリックス・バファローズ|オリックス・ブルーウェーブ]]に入団。
 
 
=== オリックス時代 ===
 
1年目の{{By|2002年}}から好守の遊撃手として即戦力になることを期待されていたが7試合しか出れず、応えることが出来なかった。
 
 
{{By|2003年}}は53試合に出場したが、不安定な[[送球]]による[[失策]]が多く、[[ホセ・オーティズ]]のバックアップとして守った[[二塁手]]でも16試合で6失策と散々だった。
 
 
{{By|2004年}}は、[[ホセ・オーティズ]]が[[二塁手]]から[[一塁手]]に[[コンバート (野球)|コンバート]]され、平野は[[遊撃手]]から[[二塁手]]にコンバートされた。また、[[打撃 (野球)|打撃]]好調でシーズン通してレギュラー起用された。[[規定打席]]に到達し、10[[盗塁]]と[[三塁打]]7本を記録した。守備でも硬さが取れ、堅実な[[グラブ (野球)|グラブ]]捌きを見せるようになった。
 
 
{{By|2005年}}は[[大阪近鉄バファローズ]]との球団合併に伴う[[選手分配ドラフト]]で同じ二塁手の[[水口栄二]]が加わったが、二塁手と[[外野手]]の併用で再三ファインプレーを見せた。開幕戦では8回表に[[松坂大輔]]からチーム初打点となる適時打を放ち、オリックス・バファローズとしての初打点を記録した。前半戦は3割を超える打率をキープし、規定打席に到達してチームトップの打率.285を記録。[[2005年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]にも出場し、新人賞を受賞した。[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]とのカードでは、[[サヨナラゲーム|サヨナラ]]安打とセカンドライナーの好捕で2日連続の[[ヒーローインタビュー]]も経験。同年オフの[[契約更改]]において一般女性と結婚し、第一子が誕生していたことを明かした。
 
 
{{By|2006年}}は[[中村勝広]]の方針で[[中堅手]]に専念する構想があったが、前年と同じく二塁手と外野手の掛け持ち状態となった。同姓の[[平野佳寿]]の入団によりスコアボード表記は「平野恵」となる。二塁手として出場した5月6日、[[千葉マリンスタジアム]]での[[千葉ロッテマリーンズ]]戦で風速10 m以上の強風が吹く中、[[ファウルボール|ファウルフライ]]を深追いし一塁側フェンスに頭から激突、捕球したものの胸部[[軟骨]]損傷、右腰の[[肉離れ]]、手首と右[[股関節]]の[[捻挫]]など選手生命を脅かしかねない重傷を負って、シーズンのその後を棒に振った。オフの契約更改で当初球団は[[公傷]]扱いにせず交渉が難航したが、最終的には「公傷」という表現こそ使わなかったものの球団側が折れた。同年10月21日に[[神戸総合運動公園野球場|スカイマークスタジアム]]で行われた練習見学会では練習終了後の挨拶で「こんな小さな身体のボクを見て、頑張れば自分も[[プロ野球]]の選手になれるんじゃないか、と思ってくれているチビッコたちにひとこと言いたいと思います……'''そんなに甘かねぇぞ!'''」と発言、観客の爆笑を呼んだ。
 
 
{{By|2007年}}は主に中堅手として出場。当時の監督だった[[テリー・コリンズ (野球)|テリー・コリンズ]]に「1番バッターは彼しかいない」と絶賛されたが、故障と打撃不振で二軍との往復に終始した。
 
 
=== 阪神時代 ===
 
2007年のシーズン終了後に、[[濱中治]]・[[吉野誠]]との交換[[トレード#プロ野球|トレード]]によって、[[阿部健太]]と共[[阪神タイガース]]へ移籍した。この際、当時阪神の監督であった[[岡田彰布]]は「濱中を出すのはわかった(納得した)。ただし、交換要員は平野(恵一)でお願いする」とフロントに頼み込み、後に自身の著書『頑固力』(角川SSC新書、2008年)でも平野の重要性を説いていた。
 
 
移籍初年度の{{By|2008年}}は、外野手として登録されながら、[[関本賢太郎]]・[[藤本敦士]]・[[坂克彦]]との二塁手レギュラー争いにも参戦。[[オープン戦]]で結果を残したこともあって、2番・二塁手で開幕スタメン出場。1番・[[赤星憲広]]との俊足コンビは話題を呼び内外野両方でたびたび好守を見せるなど、チームのスタートダッシュに貢献した。同年は3年ぶりに規定打席に到達し、リーグ最多の47[[犠牲バント|犠打]]を記録。2006年の重傷からの復活を称えられ、[[セントラル・リーグ]]の[[カムバック賞 (日本プロ野球)|カムバック賞]]を受賞。セ・リーグでカムバック賞受賞者が出るのは[[小久保裕紀]]([[2004年]])以来4年ぶり。
 
 
{{By|2009年}}は[[クレイグ・ブラゼル]]の加入に伴い一時はスタメン落ちするも、赤星の怪我による離脱もあり、[[金本知憲]]・[[新井貴浩]]・[[鳥谷敬]]ら[[クリーンナップ]]に次ぐ自己最多の132試合に出場した。
 
 
{{By|2010年}}は[[真弓明信]]監督の指示で再び内野手登録となる。[[2010年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]に監督推薦で選出され、6年ぶりに遊撃手を務めた。シーズンでは二塁を中心に外野3ポジションも守る活躍を見せ、前年の自己最多を更新する139試合に出場して、[[青木宣親]]に次ぐリーグ2位の打率.350, 左打者ながら対左投手の打率は.399を記録した。球団新記録となる59犠打も挙げて二度目の最多犠打を記録。また、いずれも自身初となる[[ベストナイン (日本プロ野球)|ベストナイン]]と[[ゴールデングラブ賞]]を二塁手部門で受賞した。
 
 
{{By|2011年}}は真弓監督から開幕前に二塁手固定で出場を明言されたものの、中堅手が固定できないチーム事情で中堅手と二塁手と兼任で守ることになった。打撃ではリーグ5位の打率.295を記録し、昨年に続きベストナインとゴールデングラブ賞を二塁手部門で受賞した。
 
 
{{By|2012年}}は二塁手での出場を中心にスタメンの一角を占めたが、打撃守備共にチームの低迷に合わせるように不振に陥り、後半戦は若手の[[上本博紀]]のスタメン起用が多くなり、それに伴って外野や控えに回されることが多くなった。
 
オフには[[西岡剛 (内野手)|西岡剛]]・[[福留孝介]]がメジャーから国内復帰し阪神入りが濃厚だったこともあり内外野共にポジションが危ぶまれると感じ、11月10日、国内FA(フリーエージェント)権を行使することを表明した<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/11/10/kiji/K20121110004525520.html 阪神・平野 国内FA権行使を表明 DeNA獲得名乗り?] - スポーツニッポン(2012年11月10日)</ref>。
 
 
=== オリックスへの復帰後 ===
 
2012年12月25日、古巣であるオリックス・バファローズへ6年振りに復帰することが発表された<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXNSSXKC0328_V21C12A2000000/ オリックス、平野獲得を発表 6年ぶりの古巣復帰] - 日本経済新聞、共同通信、2012年12月25日閲覧</ref><ref>[http://www.buffaloes.co.jp/news/detail/2797.html 平野恵一選手 獲得のお知らせ] - オリックス・バファローズ オフィシャルサイト(2012年12月25日)</ref>。この復帰を機に、阪神時代に着用していた背番号「'''5'''」を、桐蔭学園高校および阪神でのチームメイトであった[[浅井良]]に譲っている<ref>[http://www.sanspo.com/baseball/news/20130809/tig13080905040009-n2.html 刺したァ!浅井、絶体絶命の虎救うレーザービーム(2/2ページ)] - サンケイスポーツ(2013年8月9日)</ref>。また、[[オリックス・バファローズの応援団|オリックスの応援団]]は、平野の復帰に合わせて新しい応援歌を制作。試合で平野が打席に入るたびに、阪神への移籍前に使用していた応援歌と交互で演奏している。
 
 
{{By|2013年}}は、開幕前に右ふくらはぎの肉離れで離脱し出遅れてしまう。5月2日に復帰したものの5月18日の広島戦で今度は左ふくらはぎ痛で途中交代し、翌日登録抹消され、その後結局3ヶ月ほど復帰に時間を費やした。8月に復帰してからは主に1番・レフト、またはセカンドで出場し、打率は3割を超えるなど好成績を残したが、結局故障による長期離脱が悔やまれ、期待されながらも昨シーズンの出場数の半分にも満たない僅か56試合の出場に終わった。
 
 
{{By|2014年}}には、開幕からスタメンで出場。序盤は2番打者を任されていたが、6月以降はもっぱら1番打者で起用。打撃・守備とも
 
シーズンを通じて安定した活躍を見せるとともに、チームを6年振りのAクラス(シーズン2位)に導いた。8月20日のロッテ戦では[[NPB]]史上16人目の一軍通算250犠打<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20140820-1353956.html オリックス平野恵250犠打「監督やコーチに感謝」] - 日刊スポーツ(2014年8月20日)</ref>、9月14日の日本ハム戦では自身2年振り・オリックス復帰後初となる本塁打<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20140914-1366650.html オリックス平野恵2年ぶりの1発で先制] - 日刊スポーツ(2014年9月14日)</ref>を記録している。その一方で、5月26日のDeNA戦で死球を受けたことから、前年に痛めた右ふくらはぎの状態が悪化<ref>[http://www.daily.co.jp/newsflash/baseball/2014/05/26/0006995344.shtml オリックス平野恵が死球で途中交代] - デイリースポーツ(2014年5月26日)</ref>。オールスターゲーム明けの7月24日から8月5日まで、戦線離脱を余儀なくされた。さらに、チームがリーグ優勝争いの渦中にあった9月24日の西武戦で左手に死球を受けて、再び戦線を離脱<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20140924-1372142.html オリックス平野恵、左手に死球で交代] - 日刊スポーツ(2014年9月24日)</ref>。日本ハム(シーズン3位)との[[2014年のパシフィック・リーグクライマックスシリーズ|クライマックスシリーズ・ファーストステージ]]で復帰したものの、第2戦(10月12日)の走塁中に右太腿裏の張りを訴えて交代する<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20141012-1380946.html オリックス平野恵一、右ふともも裏の張りで途中交代]- 日刊スポーツ(2014年10月12日)</ref>など、故障に見舞われることが相次いだ。
 
 
{{By|2015年}}は、ふくらはぎ痛を抱えながらも、開幕から主に二塁手としてスタメン出場を続けていた。しかし、左太腿裏や右のかかとを痛めたため、5月21日に出場選手登録を抹消<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/1480100.html オリックス・バリントンと平野恵一がけがで抹消] - 日刊スポーツ(2015年5月21日)</ref>。前々年から続くふくらはぎ痛の影響や、ルーキー二塁手・[[西野真弘]]の台頭なども相まって、抹消後は二軍でリハビリに専念していた。9月10日の[[ウエスタン・リーグ]]中日戦で実戦復帰を果たすも、万全の状態に戻らない両足や身体に限界を感じたことから、この年限りで現役を引退することを決意<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/09/19/kiji/K20150919011159240.html “小兵のガッツマン”オリックス平野恵 現役引退…ケガ重なり決断] - スポーツニッポン(2015年9月19日)</ref>。9月25日には、京セラドーム大阪内での記者会見で引退を発表した<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/1544202.html オリックス平野恵一が引退会見「体に限界」] - 日刊スポーツ(2015年9月25日)</ref>。
 
 
=== 現役引退後 ===
 
かつて所属していた阪神では、平野のチームメイトであった[[金本知憲]]の一軍監督就任(2015年10月17日)を機に、コーチ陣を大幅に刷新。現役を引退したばかりの平野についても、二軍における内・外野守備の指導を統括する役割で、二軍守備走塁コーチへの就任要請を受諾したことが複数のメディアで報じられた<ref>[http://www.daily.co.jp/newsflash/tigers/2015/10/24/0008507932.shtml 平野恵一氏 掛布2軍監督から後進育成] - デイリースポーツ(2015年10月24日)</ref><ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/1556734.html 阪神が平野恵一氏にコーチ就任要請 今季現役引退] - 日刊スポーツ(2015年10月24日)</ref><ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/10/25/kiji/K20151025011382340.html 阪神 前オリ平野恵氏入閣へ 金本監督とは5年間一緒にプレー] - スポーツニッポン(2015年10月25日)</ref><ref>[http://www.sanspo.com/baseball/news/20151025/tig15102505000008-n1.html 元虎・平野氏、2軍守備走塁コーチ就任へ] - サンケイスポーツ(2015年10月25日)</ref>。
 
 
阪神球団では、2015年10月27日に、平野が翌2016年シーズンから二軍守備走塁コーチへ就任することを正式に発表<ref name=coach />。同年11月の秋季キャンプから、野手の指導に当たっている。その一方で、同月23日には、オリックス球団主催のファン感謝イベント「Bs Fan-Festa 2015」(京セラドーム大阪)で、平野の引退セレモニーを実施した<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/1570272.html オリックス平野引退セレモニー「まさか14年も」] - 日刊スポーツ(2015年11月23日)</ref>。
 
 
阪神コーチへの就任後は、1シーズンにわたって二軍を指導。2017年シーズンからは、一軍の打撃コーチへ異動する<ref>[http://hanshintigers.jp/news/topics/info_4576.html 2017年度コーチの一部配置転換について] - 阪神タイガース公式サイト(2016年10月3日)</ref>。
 
 
== プレースタイル ==
 
主に[[二塁手]]や[[外野手]]として起用され、ダイビングキャッチや走塁時の[[スライディング#ヘッドスライディング|ヘッドスライディング]]など思い切りの良いプレーを持ち味とする<ref>{{Cite book|和書|author=[[小関順二]]、西尾典文、泉直樹|year=2009|title=プロ野球スカウティングレポート2009|publisher=アスペクトムック|pages=308頁|id=ISBN 978-4-7572-1628-0}}</ref>。
 
 
身長169cmと野球選手としては小柄であるが、粘り強さと速球に負けないパンチ力を備えており、三振が少ない。<ref>{{Cite book|和書|author=|year=2005|title=[[野球小僧 (雑誌)|野球小僧]] 世界野球選手名鑑2005|publisher=[[白夜書房]]|pages=60頁|id=ISBN 4-86191-015-3}}</ref>。阪神時代は左打者ながら左投手に強い傾向にあり、阪神移籍後は2010年まで対右打率.276に対して左投手には打率.347を残していた。バントが上手く、2008に両リーグ最多の47犠打を記録し、2010年には球団記録となる59犠打を記録した。
 
 
盗塁数が少なく、成功率も2015年までの通算で60%に留まっているが、打ったあとの走り出しは速く、一塁到達3.77秒を記録する俊足を備える<ref>{{Cite book|和書|author=小関順二、西尾典文、石川哲也、場野守泰|year=2011|title=プロ野球スカウティングレポート2011|publisher=廣済堂出版|pages=307頁|id=ISBN 978-4-331-51519-8}}</ref>。また、肩も強い。この身体能力の高さと中学時代サッカー部のレギュラーだった経験を買われ、2013年12月28日に放送されたテレビ番組、「[[中居正広]]の8番勝負!」の[[フットサル]]対決へ出演したこともある。
 
 
== 詳細情報 ==
 
=== 年度別打撃成績 ===
 
{|{{年度別打撃成績|リーグ=日本プロ野球}}
 
|-
 
|style="text-align:center;"|{{By2|2002}}
 
|rowspan="6" style="text-align:center;white-space:nowrap;"|[[オリックス・バファローズ|オリックス]]
 
|7||24||22||1||5||0||0||0||5||2||1||0||1||0||1||0||0||2||0||.227||.261||.227||.488
 
|-
 
|style="text-align:center;"|{{By2|2003}}
 
|53||176||155||17||39||8||2||1||54||9||3||4||9||0||11||0||1||43||3||.252||.305||.348||.654
 
|-
 
|style="text-align:center;"|{{By2|2004}}
 
|124||424||377||50||105||18||7||6||155||39||10||8||9||2||30||0||6||69||2||.279||.340||.411||.751
 
|-
 
|style="text-align:center;"|{{By2|2005}}
 
|118||457||397||44||113||5||4||3||135||33||6||3||16||4||34||0||6||66||5||.285||.347||.340||.687
 
|-
 
|style="text-align:center;"|{{By2|2006}}
 
|33||111||98||14||23||5||0||2||34||6||0||1||6||1||6||0||0||16||1||.235||.276||.347||.623
 
|-
 
|style="text-align:center;"|{{By2|2007}}
 
|58||176||153||16||33||4||1||1||42||11||5||2||5||2||13||0||3||36||0||.216||.287||.275||.561
 
|-
 
|style="text-align:center;"|{{By2|2008}}
 
|rowspan="5" style="text-align:center;white-space:nowrap;"|[[阪神タイガース|阪神]]
 
|115||452||365||46||96||7||3||1||112||21||7||3||'''47'''||1||35||1||4||62||9||.263||.333||.307||.640
 
|-
 
|style="text-align:center;"|{{By2|2009}}
 
|132||462||404||56||109||15||5||0||134||18||3||0||28||1||22||1||7||53||5||.270||.318||.332||.650
 
|-
 
|style="text-align:center;"|{{By2|2010}}
 
|139||593||492||77||172||22||5||1||207||24||6||7||'''59'''||1||34||0||7||55||2||.350||.399||.421||.820
 
|-
 
|style="text-align:center;"|{{By2|2011}}
 
|142||615||542||62||160||13||5||1||186||29||6||7||34||1||33||1||5||67||6||.295||.341||.343||.684
 
|-
 
|style="text-align:center;"|{{By2|2012}}
 
|134||519||458||43||112||5||2||1||124||24||6||2||15||0||42||2||4||61||4||.245||.313||.271||.584
 
|-
 
|style="text-align:center;"|{{By2|2013}}
 
|rowspan="3" style="text-align:center;white-space:nowrap;"|オリックス
 
|56||238||217||19||68||10||1||0||80||14||1||1||5||0||15||0||1||26||3||.313||.361||.369||.730
 
|-
 
|style="text-align:center;"|{{By2|2014}}
 
|120||517||452||59||121||14||3||1||144||28||5||2||19||2||37||0||7||55||8||.268||.331||.319||.650
 
|-
 
|style="text-align:center;"|{{By2|2015}}
 
|29||123||107||12||28||4||0||0||32||5||1||0||3||1||11||1||1||11||1||.262||.333||.299||.632
 
|-
 
!colspan="2"|[[日本プロ野球|NPB]]:14年
 
|1260||4887||4239||516||1184||130||38||18||1444||263||60||40||256||16||324||6||52||622||49||.279||.337||.341||.679
 
|}
 
* 各年度の'''太字'''はリーグ最高
 
 
=== 年度別守備成績 ===
 
{| class="wikitable" style="text-align: right; font-size: small;"
 
!rowspan="2"|年<br />度!!colspan="6"|二塁!!colspan="6"|三塁!!colspan="6"|遊撃!!colspan="6"|外野
 
|-
 
!試合!!刺殺!!補殺!!失策!!併殺!!守備率!!試合!!刺殺!!補殺!!失策!!併殺!!守備率!!試合!!刺殺!!補殺!!失策!!併殺!!守備率!!試合!!刺殺!!補殺!!失策!!併殺!!守備率
 
|-
 
|2003||16||44||50||6||7||.940||colspan="6" style="text-align: center;"|-||37||54||101||6||19||.963||colspan="6" style="text-align: center;"|-
 
|-
 
|2004||74||137||209||2||37||.994||3||1||3||0||0||1.000||3||0||6||0||0||1.000||44||82||4||1||2||.989
 
|-
 
|2005||115||221||350||'''10'''||84||.983||colspan="6" style="text-align: center;"|-||colspan="6" style="text-align: center;"|-||11||9||1||0||1||1.000
 
|-
 
|2006||7||7||10||0||1||1.000||colspan="6" style="text-align: center;"|-||colspan="6" style="text-align: center;"|-||30||58||6||0||2||1.000
 
|-
 
|2007||colspan="6" style="text-align: center;"|-||colspan="6" style="text-align: center;"|-||colspan="6" style="text-align: center;"|-||56||94||1||2||0||.979
 
|-
 
|2008||95||204||275||5||57||.990||colspan="6" style="text-align: center;"|-||colspan="6" style="text-align: center;"|-||44||57||1||0||0||1.000
 
|-
 
|2009||79||148||198||5||25||.986||colspan="6" style="text-align: center;"|-||colspan="6" style="text-align: center;"|-||79||93||4||0||0||1.000
 
|-
 
|2010||125||305||351||9||82||.986||colspan="6" style="text-align: center;"|-||colspan="6" style="text-align: center;"|-||44||31||2||0||0||1.000
 
|-
 
|2011||110||225||270||5||48||.990||colspan="6" style="text-align: center;"|-||colspan="6" style="text-align: center;"|-||67||96||1||3||0||.970
 
|-
 
|2012||95||226||264||6||45||.988||colspan="6" style="text-align: center;"|-||colspan="6" style="text-align: center;"|-||36||58||2||0||1||1.000
 
|-
 
|2013||35||56||80||2||15||.986||colspan="6" style="text-align: center;"|-||colspan="6" style="text-align: center;"|-||35||34||1||1||0||.972
 
|-
 
|2014||114||233||302||4||54||.993||colspan="6" style="text-align: center;"|-||colspan="6" style="text-align: center;"|-||16||19||0||0||0||1.000
 
|-
 
!通算
 
|865||1806||2359||54||455||.987||3||1||3||0||0||1.000||40||54||107||6||19||.964||462||631||23||7||6||.989
 
|}
 
* 2014年度シーズン終了時
 
* 各年度の'''太字'''はリーグ最高
 
 
=== 表彰 ===
 
* [[ベストナイン (日本プロ野球)|ベストナイン]]:2回 (2010年 - 2011年)
 
* [[ゴールデングラブ賞]]:2回 (2010年 - 2011年)
 
* [[月間MVP (日本プロ野球)|月間MVP]]:1回 (2010年7月)
 
* [[カムバック賞 (日本プロ野球)|カムバック賞]] (2008年)
 
* [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]新人賞 (2005年)
 
 
=== 記録 ===
 
{{出典の明記|section=1|date=2013年9月}}
 
; 初記録
 
* 初出場:2002年7月19日、対[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]12回戦([[福岡ドーム]])、6回裏に[[大島公一]]に代わり[[二塁手]]で出場
 
* 初打席:同上、7回表に[[渡辺正和]]の前に一ゴロ
 
* 初先発出場:2002年7月22日、対千葉ロッテマリーンズ15回戦([[千葉マリンスタジアム]])、2番・二塁手で先発出場
 
* 初安打:2002年9月21日、対大阪近鉄バファローズ25回戦([[神戸総合運動公園野球場|グリーンスタジアム神戸]])、1回裏に[[高村祐]]から二塁内野安打
 
* 初打点:2002年9月22日、対大阪近鉄バファローズ26回戦(グリーンスタジアム神戸)、2回裏に[[マイク・ジョンソン (1975年生の投手)|マイク・ジョンソン]]から右前適時打
 
* 初盗塁:2002年10月13日、対大阪近鉄バファローズ28回戦(グリーンスタジアム神戸)、6回裏に二盗(投手:[[岩隈久志]]、捕手:[[藤井彰人]])
 
* 初犠打:2002年10月14日、対[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハムファイターズ]]28回戦(グリーンスタジアム神戸)、3回裏に[[正田樹]]から
 
* 初本塁打:2003年7月4日、対日本ハムファイターズ13回戦([[ナゴヤドーム]])、9回裏に[[金村曉]]から右越ソロ
 
; 節目の記録
 
* 200犠打:2011年6月15日、対北海道日本ハムファイターズ4回戦([[阪神甲子園球場]])、3回裏に[[ダルビッシュ有]]から投手前犠打 ※史上31人目
 
* 1000試合出場:2012年7月14日、対[[東京ヤクルトスワローズ]]9回戦(阪神甲子園球場)、7番・二塁手で先発出場<ref>{{cite news |title=平野選手、通算1000試合出場達成! |author= |newspaper=阪神タイガース公式サイト |date=2012-07-15 |url=http://hanshintigers.jp/news/topics/info_2421.html |accessdate=2013-04-20}}</ref> ※史上453人目
 
* 1000本安打:2013年8月28日、対[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]17回戦([[大阪ドーム|京セラドーム大阪]])、5回裏に[[美馬学]]から右前安打 ※史上274人目
 
* 250犠打:2014年8月20日、対千葉ロッテマリーンズ16回戦(QVCマリンフィールド)、3回表に[[大嶺祐太]]から一塁前犠打 ※史上16人目
 
 
; その他の記録
 
* 1イニング2死球:2010年8月25日、対[[広島東洋カープ]]16回戦(阪神甲子園球場)、7回裏に[[岸本秀樹]]・[[大島崇行]]から ※史上3人目
 
* [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]出場:4回(2005年、2010年 - 2012年)
 
 
=== 背番号 ===
 
* '''9''' (2002年 - 2007年)
 
* '''5''' (2008年 - 2015年)
 
* '''76''' (2016年 - )
 
 
=== 登場曲 ===
 
* GOT TO BE REAL - [[C+C ミュージック・ファクトリー|C+C MUSIC FACTORY]]
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist}}
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[神奈川県出身の人物一覧]]
 
* [[東海大学の人物一覧]]
 
* [[オリックス・バファローズの選手一覧]]
 
* [[阪神タイガースの選手一覧]]
 
 
== 外部リンク ==
 
{{NPB|61265115}}
 
{{MLBstats |cube=Keiichi-Hirano |brm=hirano001kei}}
 
{{阪神タイガース}}
 
{{Navboxes|title=業績
 
|list1=
 
{{セントラル・リーグ ベストナイン (二塁手)}}
 
{{セントラル・リーグ ゴールデングラブ (二塁手)}}
 
{{セントラル・リーグ・カムバック賞}}
 
}}
 
{{オリックス・ブルーウェーブ2001年ドラフト指名選手}}
 
 
{{デフォルトソート:ひらの けいいち}}
 
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[[Category:日本の野球選手]]
 
[[Category:日本の野球選手]]

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