幕末の四賢侯

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幕末の四賢侯(ばくまつの しけんこう)

幕末に活躍した4人(松平慶永山内豊信島津斉彬伊達宗城)の大名をいう。

このうち島津斉彬は安政5年7月(1858年8月)に急死するが、その後も春嶽・容堂・宗城の三侯は公私にわたる会議・会合に薩摩国主斉彬は異母弟・久光の長男・茂久を養子にして世子としていた。しかし、斉彬の急死により、茂久が数え19で藩主となると、久光はその後見人として藩政を牛耳った。以後、薩摩では久光が事実上の藩主として活躍したため、彼のことを特に「国父」あるいは「国主」と呼んだ。</ref>の島津久光を加えたので、そうした会合は俗に「四侯会議」「四賢侯会議」などと呼ばれるようになった。

なお、「幕末の四賢侯」とは今日の歴史教科書などで使われている表現で、実際に本人たちが活躍していた時代から昭和の戦前頃までは、単に四賢侯(しけんこう)と呼んでいた。



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