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|知事=[[後藤斎]]
 
|知事=[[後藤斎]]
 
|郵便番号=400-8501
 
|郵便番号=400-8501
|所在地=甲府市丸の内一丁目6番1号<br /><small>{{ウィキ座標度分秒|35|39|50.9|N|138|34|6.3|E|region:JP-19_type:adm1st|display=inline,title}}</small><br />[[File:山梨県庁舎本館および防災新館20170506.jpg|220px|山梨県庁]]
+
|所在地=甲府市丸の内一丁目6番1号<br /><small>{{ウィキ座標度分秒|35|39|50.9|N|138|34|6.3|E|region:JP-19_type:adm1st|display=inline,title}}</small>
 
|外部リンク=[http://www.pref.yamanashi.jp/ 山梨県]
 
|外部リンク=[http://www.pref.yamanashi.jp/ 山梨県]
 
|位置画像=[[ファイル:Map of Japan with highlight on 19 Yamanashi prefecture.svg|320px|山梨県の位置]]{{基礎自治体位置図|19|000}}
 
|位置画像=[[ファイル:Map of Japan with highlight on 19 Yamanashi prefecture.svg|320px|山梨県の位置]]{{基礎自治体位置図|19|000}}
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'''山梨県'''(やまなしけん)は、[[本州]]の[[内陸]]部に[[位置]]する[[日本]]の[[県]]の一つ。[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]は[[甲府市]]。[[令制国]]の[[甲斐国]]に相当する。
+
'''山梨県'''(やまなしけん)
 
 
== 概要 ==
 
南に[[富士山]]、西に[[赤石山脈]]([[南アルプス]])、北に[[八ヶ岳]]、東に[[奥秩父山塊|奥秩父山地]]など、[[標高]]2,000 mを超す山々に囲まれる。海洋国家といわれる日本において、内陸側に位置する数少ない県である。山梨県の面積は全国32位であるが、その8割を山岳地が占めるため可住地面積は全国45位である。
 
 
 
往来が比較的容易で、交通路も整備されている[[東京都]]([[東京都島嶼部|島嶼部]]を除く)、[[神奈川県]][[津久井郡|津久井地区]]、[[長野県]][[中信地方|中]]・[[南信地方]]、[[静岡県]][[大井川]]以東の三方との交流が、古くから盛んである。又、[[埼玉県]][[秩父地方]]との境は[[奥秩父山塊]]に隔てられているが、[[1998年]]([[平成]]10年)の[[国道140号]][[雁坂トンネル]]開通により、自動車やバスでの直接往来が可能となった。なお、山梨県と静岡県を併称する場合は、'''山静'''(さんせい、やましず)や'''甲駿'''(こうすん)という。
 
 
 
「山梨」の県名は[[律令制]]下の甲斐四郡のひとつである「[[山梨郡]]」に由来し、県名は[[1871年]]([[明治]]4年)7月の[[廃藩置県]]に際して旧甲斐国一国が甲府県を経て「山梨県」に改称された<ref group="注">山梨郡の名前の由来は「旧[[春日居町]]にある山梨岡神社の裏山に梨の有名な古木があり、そのためこの地域はいつしか山梨と呼ばれるようになった」という付会伝説が存在しているため、果物の[[ヤマナシ]]に由来していると思われがちである。しかし残簡[[風土記]]には「山無瀬」、[[737年]]([[天平]]9年)の[[駿河国]]正税帳には「夜萬奈之」と記されており、語源としては「'''山平らす(やまならす)'''」、つまり[[甲府盆地]]の高低の少ない平坦な様子を表す言葉が次第に「やまなし」へ転化したとみるのが妥当である。そして[[713年]]([[和銅]]6年)に「諸国の郡郷名は好字(よきじ)で著せ」とする和銅官命が出されたことにより、「[[梨園]]」などの言葉に見られる一種の優雅さを感じさせる「梨」という好字を当てて、「山梨」と呼ぶようになったといわれている([[山梨県道路公社]]『雁坂トンネルと秩父往還』[[1998年]](平成10年))。</ref>。山梨郡は県庁所在である甲府が属している郡域であるが県名の改称理由は不明で、新政府による幕藩時代との断絶が意図されていた可能性が考えられている<ref>[[宮武外骨]]『府藩県制史』、県名改称については有泉貞夫「県名改称と区政実施ほか」『山梨県市』通史編5近現代1第一章第三節</ref>。「山梨郡」は本来甲斐一国を意味する呼称ではないため明治初期には新県名が浸透せず、政治団体やその機関誌等では県域を指す地域呼称として「峡中」が用いられた<ref>有泉「「山梨」と「峡中」」『山梨の近代』山梨ふるさと文庫、2001</ref>。現在では「山梨」が県域全体を指す呼称として定着している。
 
 
 
== 地理・地域 ==
 
 
 
=== 広袤(こうぼう) ===
 
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{{座標一覧|節=広袤(こうぼう)}}
 
国土地理院の全国都道府県市区町村別面積調によると、山梨県の面積は{{自治体面積/山梨県|山梨県}}平方キロメートルである<ref>[http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO-title.htm 全国都道府県市区町村別面積調] 国土地理院 2013年11月28日閲覧</ref>。
 
 
 
[http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/CENTER/kendata/yamanashi_heso.htm 国土地理院地理情報] によると、山梨県の東西南北それぞれの端は以下の位置である。加えて、および県境未確定地域に仮の境界線を入れて求めた重心も併記する。また[[統計局]]の [http://www.stat.go.jp/data/kokusei/topics/topi61.htm 平成22年国勢調査] によると、人口重心は[[笛吹市]]石和町小石和付近にある。
 
{{Col-end}}
 
{| border="1" frame="box" rules="all" cellspacing="0" cellpadding="0" style="font-size:small; text-align:center;"
 
|-
 
| 重心<br />{{ウィキ座標度分秒|35|36|56|N|138|36|31|E|type:landmark_region:JP|name=山梨県重心}} ||<br />北端<br />{{ウィキ座標度分秒|35|58|18|N|138|22|23|E|type:landmark_region:JP|name=山梨県最北端}}<br />↑ || 人口重心<br />{{ウィキ座標度分秒|35|37|35.97|N|138|37|12.79|E|type:landmark_region:JP|name=山梨県人口重心}}
 
|-
 
| 西端<br />{{ウィキ座標度分秒|35|42|52|N|138|10|49|E|type:landmark_region:JP|name=山梨県最西端}}← || 山梨県庁舎所在地<br />{{ウィキ座標度分秒|35|39|50|N|138|34|6|E|type:landmark_region:JP|name=山梨県庁}} || 東端<br />→{{ウィキ座標度分秒|35|37|00|N|139|8|4|E|type:landmark_region:JP|name=山梨県最東端}}
 
|-
 
| &nbsp; || ↓<br />南端<br />{{ウィキ座標度分秒|35|10|6|N|138|29|28|E|type:landmark_region:JP|name=山梨県最南端}} || &nbsp;
 
|}
 
 
 
=== 地形 ===
 
* '''[[盆地]]''':[[甲府盆地]]
 
* '''[[山地]]''':[[赤石山脈]]、[[身延山地]]、[[奥秩父山地]]、[[天子山地]]、[[丹沢山地]]、[[関東山地]]、[[御坂山地]]
 
* '''[[山]]''':[[富士山]]、[[北岳]]、[[甲斐駒ケ岳]]、[[八ヶ岳]]、[[茅ヶ岳]]、[[身延山]]、[[金峰山 (山梨県・長野県)|金峰山]]、[[甲武信ヶ岳]]、[[大菩薩嶺]]
 
* '''[[丘陵]]''':[[曽根丘陵]]、[[七里岩]]
 
* '''[[川]]''':[[富士川]]、[[釜無川]]、[[笛吹川]]、[[早川 (山梨県)|早川]]、[[相模川|桂川]]、[[道志川]]、[[多摩川|丹波川]]、[[荒川 (山梨県)|荒川]]
 
* '''[[湖]]''':[[精進湖]]、[[本栖湖]]、[[山中湖]]、[[河口湖]]、[[西湖 (富士五湖)|西湖]]、[[四尾連湖]]、[[千代田湖]]
 
* '''[[峠]]''':[[雁坂峠]]、[[大菩薩峠]]、[[笹子峠]]、[[籠坂峠]]、[[柳沢峠]]、[[御坂峠]]、[[夜叉神峠]]、信州峠
 
山梨県は急峻な地形であり、[[花崗岩]]が風化したもろい[[真砂土]]の堆積地も多いために、水をどのように治めるかが政治指導者の課題であった<ref name=shiina>[https://www.ygu.ac.jp/yggs/houka/lawjournal/pdf/lawjournal04/lawjournal04_01.pdf 千代田湖ゴルフ場事件の総合的考察] 椎名慎太郎、山梨学院ロー・ジャーナル、2009年</ref>。県内各地に[[信玄堤]]と呼ばれる治水遺構が多くあるのはこの歴史的特性による<ref name=shiina/>。
 
 
 
=== 自然公園 ===
 
* [[国立公園]]
 
** [[富士箱根伊豆国立公園]]、[[秩父多摩甲斐国立公園]]、[[南アルプス国立公園]]
 
* [[国定公園]]
 
** [[八ケ岳中信高原国定公園]]
 
* [[都道府県立自然公園|県立自然公園]]
 
** [[四尾連湖県立自然公園]]、[[南アルプス巨摩県立自然公園]]
 
 
 
=== 気候と植物相 ===
 
[[中央高地式気候]]を呈しているが、山地によって隔てられる地域差も大きい。盆地部は夏の暑さと冬の寒さがともに顕著で、冬の季節風([[八ヶ岳おろし]])が強いが降雪は[[豪雪地帯]]の[[南アルプス市]](旧[[芦安村]])と[[早川町]]を除いてわずか。また、夏は標高の割に最低気温が高くなり、6 - 8月の最低気温の月平年値は熊谷や東京など標高の低い平野部とほぼ変わらなくなる。年降水量が少なく日照時間が長いが、[[台風]]の通過経路でもありしばしば[[集中豪雨]]に見まわれる。その為沼地の多い中巨摩地域では、舟を所有していた家も多かった。山麓地域では盆地部より気温が冷涼で、降水量も多い。このため、盆地周縁では冷涼な気候に向いた[[ブドウ|葡萄]]の栽培が盛んである。
 
 
 
[[植物相]]は盆地部で[[落葉広葉樹林]]、山岳部では亜高山・高山帯の植生。また、富士川下流域の河内地方は温暖多雨であり[[太平洋側気候]]にかなり近く、[[潜在自然植生]]で常緑広葉樹林。
 
 
 
[[富士山]]の山頂は最暖月平均気温が6.0℃で[[ケッペンの気候区分]]では[[ツンドラ気候]]となっている。また、[[清里高原|清里]]のある[[八ヶ岳|八ヶ岳山麓]]、[[青木ヶ原樹海]]や[[富士五湖]]周辺の富士山北麓などの標高1,000mを超える高原地域は[[亜寒帯湿潤気候]](Dfb)に属し、冬の寒さは非常に厳しく厳寒期には-20度を下回るが、夏は冷涼で避暑地となるなど北海道並みの気候である。
 
 
 
{|class="wikitable" style="font-size:smaller; text-align:right; white-space:nowrap"
 
|+ 山梨県内各地の平年値(統計期間:1971年 - 2000年、出典:[http://www.jma.go.jp/jma/menu/report.html 気象庁・気象統計情報])
 
!rowspan="2" colspan="2" | 平年値<br />(月単位)
 
!colspan="6"|[[国中地方]]・中西部
 
!colspan="5"|[[郡内地方]]・東部富士五湖
 
|-
 
! [[北杜市]]<br />[[大泉村 (山梨県)|大泉]] !! [[韮崎市|韮崎]] !! [[甲府市|甲府]] !! [[甲州市]]<br />[[勝沼町|勝沼]] !! [[身延町]]<br />切石 !! [[南部町 (山梨県)|南部]]
 
![[甲府市]]<br />古関 !! [[大月市|大月]] !! [[富士河口湖町]]<br />[[河口湖町|河口湖]] !! [[山中湖村]]<br />山中 !! [[富士山]]
 
|-
 
!rowspan="2"|平均<br />気温<br />([[セルシウス度|℃]])
 
!最暖月
 
| 22.3<br />(8月) || 25.6<br />(8月)
 
| 26.2<br />(8月) || 25.5<br />(8月)
 
| 25.6<br />(8月) || 26.0<br />(8月) || 23.6<br />(8月)
 
| 24.5<br />(8月) || 21.8<br />(8月)
 
| 20.5<br />(8月) || 6.0<br />(8月)
 
|-
 
!最寒月
 
| -0.4<br />(1月) || 2.1<br />(1月)
 
| 2.5<br />(1月) || 2.1<br />(2月)
 
| 1.7<br />(1月) || 3.6<br />(1月) || 0.3<br />(1月)
 
| 1.7<br />(1月) || -0.8<br />(1月)
 
| -2.6<br />(1月) || -18.5<br />(1月)
 
|-
 
!rowspan="2"|[[降水量]]<br />([[ミリメートル|mm]])
 
!最多月
 
| 187.8<br />(9月) || 215.7<br />(9月)
 
| 190.8<br />(9月) || 188.4<br />(9月)
 
| 307.4<br />(9月) || 194.0<br />(9月) || 337.9<br />(9月)
 
| 236.9<br />(9月) || 256.0<br />(9月)
 
| 368.7<br />(9月) ||
 
|-
 
!最少月
 
| 20.4<br />(12月) || 22.1<br />(12月)
 
| 23.5<br />(12月) || 22.6<br />(12月)
 
| 32.9<br />(12月) || 29.0<br />(12月) || 35.7<br />(12月)
 
| 26.6<br />(12月) || 33.7<br />(12月)
 
| 49.1<br />(12月) ||
 
|-
 
|}
 
 
 
=== 山梨県の分類 ===
 
県域は、中西部の[[甲府盆地]]を中心とする[[国中地方|国中]](くになか)と、東部の[[相模川]]と[[多摩川]]の上流域および富士山北麓からなる[[郡内地方|郡内]](ぐんない)に分けられ、両者は[[方言]](郡内は関東地方との結び付きが国中よりも高いため、[[西関東方言]]に分類)など、自然や文化においても大きく異なっている。
 
 
 
地理上では、[[箱根峠]]より西の[[内陸]]に位置する為[[東日本]]に分類されており、[[明治]]以来の日本を八つの地方([[北海道|北海道地方]]・[[東北地方]]・[[関東地方]]・[[中部地方]]・[[近畿地方]]・[[中国地方]]・[[四国]]地方・[[九州]]地方)に分ける方法([[日本の地域|全国八地方区分]])では、中部地方([[中央高地]]、俗に言う[[甲信地方]]又は[[甲信越地方]])として区分されている。しかし、国土整備行政上は[[中部地方|中部圏]]には含まれておらず、[[首都圏整備法]]施行令において[[首都圏 (日本)|首都圏]]と規定されており、国機関の管轄などでは関東地方と一緒に扱われることが多く(例:山梨県は[[関東運輸局]]の管轄)、行政の実務上は中部地方(東海や北陸も含む区分)として扱われることは少ない。県内の大半のJR線を管轄する[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)の担当支社は、[[東日本旅客鉄道八王子支社|八王子支社]]の管轄で、こちらも東京都多摩地域などと同じ枠組みとなっている。
 
 
 
全国八地方区分で、公式に複数の地方に跨っている都道府県は、この山梨県と[[三重県]]の2県のみである<ref group="注">山梨県は中部地方と関東地方(甲信越地方を含む)に、三重県は近畿地方と中部地方(東海地方を含む)に跨る。</ref>。
 
 
 
=== 隣接する都道府県 ===
 
[[東京都]] - [[神奈川県]] - [[埼玉県]] - [[静岡県]] - [[長野県]]
 
 
 
山梨県[[南都留郡]][[山中湖村]]と[[静岡県]][[駿東郡]][[小山町]]の籠坂峠付近と山梨県[[南都留郡]][[鳴沢村]]及び[[富士吉田市]]と[[静岡県]][[富士宮市]]及び[[駿東郡]][[小山町]]の[[富士山]]山頂付近([[県境]])には2ヶ所未定区間がある。[[御殿場市]]は、[[小山町]]の間に境界未定部分が有るため、富士吉田市及び鳴沢村と接する可能性もある。
 
 
 
=== 自治体 ===
 
: 自治体は、以下の13市5郡8町6村がある。町の読み方は富士河口湖町だけが「まち」で、ほかはすべて「ちょう」、村はすべて「むら」である。
 
<!-- : *印は、[[市町村合併|合併]]により消滅する予定の自治体(官報告示済みのもの)。 -->
 
; 市部
 
{{Col-begin}}
 
{{Col-break}}
 
* [[甲府市]](県庁所在地)
 
* [[富士吉田市]]
 
* [[都留市]]
 
* [[山梨市]]
 
* [[大月市]]
 
{{Col-break}}
 
* [[韮崎市]]
 
* [[南アルプス市]]
 
* [[甲斐市]]
 
* [[笛吹市]]
 
{{Col-break}}
 
* [[北杜市]]
 
* [[上野原市]]
 
* [[甲州市]]
 
* [[中央市]]
 
{{Col-end}}
 
{{日本の都道府県内自治体位置図|pref=山梨県|float=right}}
 
; 郡部
 
* [[西八代郡]]
 
** [[市川三郷町]]
 
* [[南巨摩郡]]
 
** [[富士川町]] - [[早川町]] - [[南部町 (山梨県)|南部町]] - [[身延町]]
 
* [[中巨摩郡]]
 
** [[昭和町]]
 
* [[南都留郡]]
 
** [[道志村]] - [[西桂町]] - [[忍野村]] - [[山中湖村]] - [[鳴沢村]] - [[富士河口湖町]]
 
* [[北都留郡]]
 
** [[小菅村]] - [[丹波山村]]
 
 
 
=== 地域区分 ===
 
 
 
* '''[[国中地方|国中(中西部)]]'''=[[山梨郡]]・[[巨摩郡]]・[[八代郡 (甲斐国)|八代郡]]
 
** 中北
 
*** 峡北(甲府盆地北部及び八ヶ岳山麓。[[韮崎市]]、[[北杜市]]。)
 
*** 峡中(甲府とその周辺。[[甲府市]]、[[甲斐市]]、[[中央市]]、[[昭和町]]など)
 
** 峡西([[南アルプス市]]。旧[[中巨摩郡]]の[[釜無川]]西岸地域)
 
*** 山梨県の出先機関である地域振興局が再編成され、峡中地域振興局と峡北地域振興局が統合され「中北地域県民センター」となった。峡中地域振興局は峡西地域も管轄していたため、地域振興局の再編成と呼応する形で峡北・峡中・峡西の3地域の総称として、「山梨県中北地域」が天気予報などでも使われ始めた。
 
** 峡東([[甲府盆地]]東部。[[笛吹市]]、[[山梨市]]、[[甲州市]]など)
 
** 峡南([[富士川]]流域。[[南巨摩郡]]、[[西八代郡]])→富士川流域地域は「河内(かわうち)」とも呼ばれる。
 
* [[郡内地方]](東部富士五湖)=[[都留郡]]
 
** 東部([[西桂町|西桂]]以東。[[都留市]]、[[大月市]]、[[上野原市]])
 
** 富士五湖、富士北麓
 
「国中」「郡内」は、戦国時代以来の呼称。「中西部」「東部富士五湖」は気象情報で用いられている。郡名は古来用いられてきたもの。「峡○」は、県の出先機関である地域振興局の区分となっている(この四つの他、東部・富士北麓地域振興局がある)。[[国中地方]]は中部地方の[[文化]]圏であるのに対し、郡内地方は関東地方の文化圏となっている。方言も[[国中弁]]と[[郡内弁]]で異なる。
 
 
 
== 歴史 ==
 
{{seealso|甲斐国}}
 
 
 
=== 先史時代 ===
 
{{Vertical_images_list
 
|幅= 200px
 
| 1=Kai-Choshizuka-kofun №1.JPG
 
| 2=甲斐銚子塚古墳
 
| 3=金生遺跡復元住居と配石遺構.JPG
 
| 4=金生遺跡の配石遺構
 
}}
 
甲府盆地では[[釜無川]]、[[笛吹川]]が流れ両河川の[[氾濫原]]が広がっており、郡内地方では富士山の火山活動による影響も受け、定住が困難な時代が続いていた。
 
 
 
[[旧石器時代 (日本)|旧石器時代]]の遺跡は長野県との[[八ヶ岳]]山麓や静岡県の[[愛鷹山]]・[[箱根山]]など隣接する文化圏に属する地域や桂川流域を中心に分布する。最古の一杯窪遺跡([[都留市]])や[[立石遺跡]](甲府市)をはじめ、八ヶ岳山麓の[[丘の公園内遺跡群]](北杜市)や[[神津島]]産の[[黒曜石]]が出土した[[横針前久保遺跡]](北杜市)長野県産の黒曜石が発見された[[天神堂遺跡]]などが代表的で、周辺地域に比べ密度は低いものの、周辺地域との人的移動を示す資料が発掘されている。
 
 
 
[[縄文時代]]草創期から前期には引き続き涌水の沸く山麓部や[[富士北麓]]などに遺跡が分布し、後期旧石器から草創期への移行期にあたる[[神取遺跡]](北杜市)や関東文化圏の影響が見られる[[池之元遺跡]](富士吉田市)が出現する。中期には盆地にも進出し、大規模な集落遺跡である[[釈迦堂遺跡群]](笛吹市、甲州市)や重要文化財に指定されている精巧な土器の出土した[[一の沢遺跡]]、豊富な生活遺物が出土している[[花鳥山遺跡]]などが出現し、[[縄文農耕]]論にも一石を投じた[[有孔鍔付土器]]など学史上注目されている遺物も出土している。また、盆地西部の西郡地域は釜無川の氾濫原であり考古遺跡は乏しいが、近年では精巧な土器や土偶が出土した[[鋳物師屋遺跡]]が発掘され注目されている。
 
 
 
後晩期には地球的な寒冷化の影響を受けて遺跡数が減少するものの、石組や[[配石遺構]]など祭祀施設であると考えられている[[八ヶ岳]]南麓の[[金生遺跡]](北杜市)や[[牛石遺跡]](都留市)などが出現する。また、郡内地方の桂川流域では関東地方との交流が見られる遺物が出土している。
 
 
 
[[弥生時代]]には[[身洗沢遺跡]]や[[金の尾遺跡]]などの集落遺跡があり、[[宮の前遺跡]](韮崎市)では[[水田]]が確認されている。盆地南西部の[[曽根丘陵]]では[[東海地方]]経由で弥生文化が流入し、[[方形周溝墓]]が見られる[[上の平遺跡]]など古墳時代に至る遺跡がある。
 
 
 
古墳時代の[[4世紀]]後半には畿内で確立した[[ヤマト王権]]と政治的接触を持っていたと考えられており、曽根丘陵では4世紀前半の[[前方後方墳]]である[[小平沢古墳]]をはじめ、4世紀後半には最大規模の[[甲斐銚子塚古墳]]や[[岡銚子塚古墳]]などの有力首長クラスの[[前方後円墳]]が出現し、[[三角縁神獣鏡]]などの副葬品も出土している。5世紀には中道勢力が衰退し、古墳の造営は盆地各地へ拡散する。
 
 
 
=== 古代 ===
 
[[ファイル:Sakaorimiya zenkei.jpg|thumb|酒折宮]]
 
古代には[[律令制]]下において甲斐国が成立するが、『[[日本後紀]]』延暦16年条によれば甲斐東部の[[都留郡]]の帰属をめぐっては隣接する相模国との間で争論があったという。甲斐国は[[五畿七道]]では東海道に属し、山梨・八代・巨摩・都留の甲斐四郡が成立し、郡郷は『[[和名類聚抄]]』に31郷が記載されている。山梨・八代両郡は古代甲斐国の政治的中心地で、国府は山梨郡笛吹市春日居町に前期国府が存在し、八代郡の笛吹市御坂町に移転されたと考えられている。官道は東海道[[横走宿]]から分岐して都留郡を経て甲府盆地に入り甲斐国府に至る[[甲斐路]]が存在していた。四郡のうち甲斐西部の[[巨摩郡]]は渡来人の入植により成立した郡であると考えられている。
 
 
 
一方、『[[古事記]]』『[[日本書紀]]』(記紀)に記される[[日本神話]]においては[[ヤマトタケル]](倭建命、日本武尊)の東征において[[足柄山]]から甲斐へ入り、[[酒折宮]](甲府市酒折)において老人と歌を交わす説話を記している。記紀に記される日本神話には両書が成立した奈良時代の歴史認識が反映されているものと考えられているが、考古学的にも甲斐においては古墳後期の4世紀後半代から畿内の影響下にあったと考えられており、酒折宮伝承にも[[ヤマト王権]]と甲斐の在地豪族との関係が反映されているものと考えられているほか、足柄山から甲斐国へ至ったヤマトタケルの遠征ルートは古代の交通体系を明らかにする上でも注目されている。
 
[[ファイル:Daizenji temple-01.JPG|thumb|大善寺]]
 
また、『[[続日本紀]]』においては甲斐国司田辺史広足が黒毛の駿馬を朝廷に献上した甲斐の黒駒に関する説話が記されているが、『延喜式』によれば東国では甲斐をはじめ信濃・上野・武蔵の四国に[[御牧]]が設置され馬産が行われていたことが記されており、[[駿河国正税帳]]や[[長屋王家木簡]]などの[[出土文字資料]]からも朝廷への貢馬が確認されている。『延喜式』によれば甲斐には穂坂牧、真衣野牧柏前牧の[[甲斐国の御牧|三御牧]]が設置されていたという<ref>『日本の特別地域特別編集65 これでいいのか山梨県』40頁 - 41頁 (地域批評シリーズ)</ref>。
 
 
 
平安時代には[[市河荘]]や[[八代荘]]などの[[荘園]]が成立し、国府所在地である甲府盆地東部では在庁官人である三枝氏が八代荘を勢力基盤とした。『[[長寛勘文]]』によれば王保2年(1162年)には三枝氏に打撃を与えた[[八代荘停廃事件]]が発生している。
 
 
 
平安時代後期には常陸国から源義清・義光が市河荘に配流され、義清・清光の子孫は甲府盆地の各地へ土着し[[甲斐源氏]]となる。
 
 
 
=== 中世 ===
 
[[ファイル:Takeda Harunobu.jpg|thumb|武田信玄像(高野山持明院本)]]
 
[[File:武田神社-5.JPG|thumb|武田神社 拝殿(2014年5月8日撮影)]]
 
 
 
[[平安時代]]後期の[[治承]]4年([[1180年]])、[[以仁王]]の[[令旨]]が諸国の源氏に下されると甲斐源氏の一族も平氏政権に対して挙兵する。甲斐源氏の一族は伊豆国の[[源頼朝]]の挙兵と協調し、[[富士川の戦い]]など[[治承・寿永の乱]]において活躍する。乱後、甲斐源氏の棟梁となった[[武田氏]]は[[甲斐国]]の守護となるが、甲斐源氏の一族は源頼朝の粛清を受け、衰退する。武田氏は中世には必ずしも甲斐守護を歴任していないが、[[鎌倉幕府]]滅亡後に[[北条時行]]ら北条氏の残党が起こした[[中先代の乱]]までは北条方に属し、南北朝時代には[[建武政権]]から離反した[[足利尊氏]]に従った。
 
 
 
[[室町時代]]には、室町幕府と[[鎌倉府]]の対立や、鎌倉府における[[鎌倉公方]]と[[関東管領]]の対立など関東地方の騒乱の影響を受ける。応永23年([[1416年]])、鎌倉公方の[[足利持氏]]に対し、前関東管領の[[上杉禅秀]]が挙兵した[[上杉禅秀の乱]]では、甲斐守護・武田信満が禅秀方に加担し、滅亡する。これにより甲斐は守護不在状態となり、足利持氏は甲斐国人の[[逸見有直]]を支持して室町幕府に対抗した。一方、室町幕府は[[武田信元]]、続いて[[武田信重]]を甲斐守護に任じ、守護代として[[跡部氏]]を派遣した。以後、甲斐では守護武田氏と有力国人や跡部氏との抗争が続く。
 
 
 
守護・[[武田信昌]]は[[寛正]]5年([[1464年]])には跡部氏を排斥する。信昌は嫡男の信縄に家督を譲り隠居するが、後に次男の[[油川信恵]]に家督を譲る意向を示し、信縄と信恵間の内訌が生じる。信縄の子・武田信虎は永正5年([[1508年]])に信恵方を滅ぼし、国中地方の有力国人や都留郡(郡内地方)の国衆・[[小山田氏]]など従属させる。さらに信虎は駿河国の[[今川氏]]や信濃[[諏訪氏]]、[[扇谷上杉家]]・[[山内上杉家]]と同盟を結び<!--いつの出来事なのかはっきりさせてくれませんか-->、後北条氏と敵対しつつ、信濃侵攻を開始した。また、信虎は従来の[[川田館]](甲府市川田町)から[[甲府]]の[[躑躅ヶ崎館]](甲府市古府中町)に守護館を移転し、新たに[[城下町]]を整備し家臣団を集住させる。
 
 
 
都留郡では小山田氏が武田氏に臣従しつつも、[[中津森館]]・のちに[[谷村館]]を本拠とした独自の領域支配を行い、河内領では[[穴山氏]]が同様に武田家臣となりつつ、下山館を本拠とした領域支配を行った。
 
 
 
信虎の子・[[武田信玄|武田晴信]](信玄)は天文10年(1541年)に信虎を駿河へ追放することで家督を継承する。晴信は信虎の外交方針を転換し、信濃諏訪氏を滅ぼして諏訪郡を領国化する。さらに相模国の後北条氏と和睦を結ぶと、今川・北条間の[[河東の乱]]を調停し、三者の間で[[甲相駿三国同盟]]を成立させる。一方、信濃侵攻により山内上杉氏とは敵対する関係となり、信濃村上氏ら信濃国衆や越後国の長尾景虎([[上杉謙信]])と[[川中島の戦い]]を繰り広げる。
 
 
 
後期には西上野侵攻や今川領国への侵攻([[駿河侵攻]])を行い最大領国を達成し、三河・遠江への侵攻も行い織田・徳川勢力と対抗した。また、信玄期に確立した大名権力により独自の領国支配が展開され、検地の実施や[[棟別諸役]]の整備、[[躑躅ヶ崎館]]を中心とする甲府の城下町整備、[[黒川金山]]や[[湯之奥金山]]など近世まで稼働した[[甲州金山]]の開発、[[信玄堤]]の築造など治水事業が行われている。
 
 
 
勝頼期には[[長篠の戦い]]による武田領国の動揺を招き、天正10年([[1582年]])3月、織田信長・徳川家康連合軍による[[甲州征伐]]で武田氏は滅亡した。また、勝頼から離反した郡内領主の[[小山田信茂]]は織田氏に出仕するが処刑され、小山田氏も滅亡する。
 
 
 
=== 近世 ===
 
{{Vertical_images_list
 
|幅= 200px
 
| 1=Kohu-jo.JPG
 
| 2=甲府城跡
 
| 3=Tokushima-Segi irrigation waterway in Yamanashi prefectur.JPG
 
| 4=徳島堰
 
| 5=Kuonji-temple-Hondou.jpg
 
| 6=身延山久遠寺
 
}}
 
武田氏滅亡後、甲斐一国と信濃諏訪郡は織田家臣の[[河尻秀隆]]が支配するが、同年6月の[[本能寺の変]]により発生した一揆で秀隆が横死すると、本能寺の変後、武田遺領を巡る[[天正壬午の乱]]では三河国の[[徳川家康]]と相模国の[[北条氏直]]が甲斐へ侵攻し八ヶ岳南麓・七里岩地域において対峙するが、同年10月の徳川・北条同盟の成立により後北条氏は撤兵し、甲斐は徳川氏が領し、五カ国を領する勢力となった。
 
 
 
その後、家康は[[豊臣秀吉]]に帰服し、天正18年([[1590年]])には[[駿府]]から[[江戸]]に移封され、甲斐国には[[浅野長政]]ら豊臣大名が入った。[[豊臣政権]]下で甲斐は東国の家康に対する拠点として重視され、新たに[[甲府城]]が築城され新城下町が整備され、甲斐国内の[[検地]]も行われた。
 
 
 
[[慶長]]5年([[1600年]])の[[関ヶ原の戦い]]後には徳川家康が主導した大名の再配置が行われ、甲斐では[[浅野氏]]が和歌山へ移封され再び徳川氏による直轄支配が行われた。甲斐国は関東地方に近い位置から関東防衛の要所として重視され、国中には将軍直系、郡内には譜代大名が配置され([[谷村藩]])、[[代官]]支配[[江戸幕府]]が行われた。江戸時代には[[甲府徳川家]]が入封し、藩政機構が整えられた([[甲府藩]])。宝永元年(1704年)に綱豊([[徳川家宣]])が将軍後継になると、[[川越藩]]主[[柳沢吉保]]が受封し、吉保の子[[柳沢吉里|吉里]]は甲府藩主ではじめて国元へ入っている。ほか、甲斐には[[旗本]]領も存在していた。
 
 
 
[[享保の改革]]においては幕府直轄領の整備が行われ、[[享保]]9年([[1724年]])に吉里が大和郡山に転封されると甲斐は[[幕府直轄領]]化され、谷村藩も[[秋元氏]]の転封後は直轄領化された。甲府町方は[[甲府勤番]]、在方は[[甲府代官所]]をはじめとする三分代官による支配となり、郡内は石和代官所の出張陣屋である谷村代官所が設置された。延享3年(1746年)には御三卿の賄領がおかれ、うち田安領のみは幕末まで存続した。
 
 
 
近世甲斐は[[甲府城下町]]、谷村城下町の[[城下町]]のほか[[在郷町]]や[[身延山久遠寺]]の[[門前町]]や富士北麓の吉田・川口の[[御師]]町など都市や町場が発達し、[[甲州街道]]や[[駿州往還]]、[[佐久往還]]、[[青梅往還]]をはじめとする諸街道が整備された。江戸初期には[[角倉了以]]による[[富士川]]の開削工事が行われ[[富士川舟運]]や[[中馬]]による陸上輸送が発展し、江戸後期には甲斐・信濃の年貢米の[[廻米]]輸送が行われた。<ref>『日本の特別地域特別編集65 これでいいのか山梨県』44頁 - 45頁 (地域批評シリーズ)</ref>
 
 
 
近世には領主権力の確立により治水や[[用水路]]の開削が行われ、釜無川・御勅使川の治水や[[徳島堰]]の開削、郡内での[[谷村大堰]]や[[新倉掘抜]]の開削などが行われ、甲府城下でも[[甲府上水]]が整備される。治水の進捗に伴い在方では[[新田開発]]が進み、[[養蚕]]や[[織物]]など産業が発達した。甲府盆地では一般に米麦栽培に商品作物の栽培、農閑期の行商や大工などの農間余業を組み合わせた生業形態が一般的であったが、甲斐では国土の多くを山地が占めるため山村では林業や狩猟、製炭や漆採取、鉱山経営などの山の生業が発達し、特に郡内では平坦地が少ないため織物の生産や街道沿いでの駄賃稼ぎの占める割合が高い。こうした生業的特徴から甲斐では水利を巡る[[水論]]や山の用益を巡る[[山論]]が多発している。
 
 
 
また、甲斐では金納税制である[[大小切税法]]や[[甲州金]]・[[甲州枡]]の甲州三方が独自の国制として存在し、領主側の廃止や改正に対して領民は存置を求め抵抗している。また、領主側との衝突や災害・凶作などに伴う百姓一揆も発生し、[[米倉騒動]]や[[太枡騒動]]、江戸後期には郡内に発する百姓一揆から無宿・悪党を巻き込み一国規模の騒動となった[[天保騒動]]など大規模な[[百姓一揆]]も発生した。
 
 
 
文化面では甲府城下町の発達により遊芸文化が興隆し、甲府藩時代には大名文化、江戸後期には町人文化が発達する。甲府勤番・勤番士は学問的関心を持ち、甲斐国の総合地誌である『[[甲斐国志]]』の編纂や勤番士による『[[裏見寒話]]』など地誌の編纂が行われ、勤番士の学問所である[[徽典館]]も開かれた。甲府では町人亀屋与兵衛が芝居小屋である[[亀屋座芝居|亀屋座]]を開業し、歌舞伎や相撲、人形浄瑠璃などの諸芸興行を行い、[[1841年]](天保12年)には甲府町人が江戸の人気浮世絵師である[[歌川広重]]を招き、城下の大通りを広重ら人気浮世絵師の幕絵で飾る[[甲府道祖神祭礼]]を創始した。ほか、俳諧や[[和算]]なども発達する。
 
 
 
また、武田信玄は近世から甲斐領民の尊崇を集め、武田氏館跡や墓所、武田氏に関係する寺社などが古跡として成立したほか、近世には[[軍学書]]である『[[甲陽軍鑑]]』が成立し、関係書を含めて武家・庶民の間でも広く読まれ影響力を及ぼし、武田家に関する文学や浮世絵なども製作された。
 
 
 
江戸後期は東国に特徴的な農村の荒廃から無宿・[[博徒]]が増加し、[[竹居安五郎]]や[[黒駒勝蔵]]など甲州博徒が台頭した。幕末には横浜の開港に伴い[[甲州屋忠右衛門]]・[[若尾逸平]]ら在方商人が甲州産物を移出して富を築き、若尾逸平は甲府において製糸業に着手し新興商人として台頭し、明治期には[[甲州財閥]]を形成する。
 
 
 
=== 明治維新から終戦まで ===
 
{{Vertical_images_list
 
|幅= 200px
 
| 1=Fujimura Shiro.jpg
 
| 2=藤村紫朗
 
| 3=Fujimura Memorial Hall.JPG
 
| 4=睦沢学校(現・藤村記念館)
 
}}
 
慶応4年(明治元年、[[1868年]])3月、甲府城へ入った新政府の板垣退助率いる甲州街道軍と、[[近藤勇]]率いる旧幕府軍の[[甲陽鎮撫隊]]([[新選組]])が[[勝沼町|勝沼]]([[甲州市]]の一部)[[大善寺 (山梨県)|大善寺]]で激突。([[甲州勝沼の戦い]])旧幕府軍は駆逐され、甲州鎮撫府が設置された。
 
 
 
同年[[10月19日]]([[9月4日 (旧暦)|旧暦9月4日]])、甲斐国内に[[府中県]]([[都道府県庁所在地|県庁所在地]]は山梨郡甲府)、[[市川県]]、[[石和県]]が設置され、[[12月11日]]([[10月28日 (旧暦)|旧暦10月28日]])にこれら3県を統合して'''[[甲斐府]]'''が設置された。明治2年([[1869年]])[[8月27日]]([[7月20日 (旧暦)|旧暦7月20日]])、「[[府]]」の呼称が[[京都府]]・[[東京府]]・[[大阪府]]に限定されたことから、甲斐府は'''[[甲府県]]'''と改称した。
 
 
 
明治3年([[1870年]])5月に田安領を併合し、明治4年([[1871年]])[[8月29日]]([[7月14日 (旧暦)|旧暦7月14日]])の[[廃藩置県]]後も甲府県は存続したが、同年10月末(旧暦)に始まる第1次府県統合により、旧[[韮山代官所]]を引き継いだ[[韮山県]]の甲斐国内管轄区域などを統合して[[12月31日]]([[11月20日 (旧暦)|旧暦11月20日]])に甲斐国全域を管轄区域とする'''山梨県'''が発足した。県庁所在地は引き続き山梨郡甲府、初代[[県令]]には[[土肥実匡]]が任ぜられた。[[1873年]](明治6年)に着任した[[藤村紫朗]]の[[殖産興業]]政策により、製糸業の勧業や道路整備、金融機関の整備が行われた。特に青梅街道の改築など道路整備を推し進めたことから、藤村は「道路県令」とも呼ばれている。<ref>『日本の特別地域特別編集65 これでいいのか山梨県』46頁 - 47頁 (地域批評シリーズ)</ref>
 
 
 
[[1909年]](明治42年)には甲府連隊([[歩兵第49連隊]])が設置された。第二次大戦中には疎開地でもあったが、[[1945年]](昭和20年)7月には、[[甲府空襲]]によって甲府は灰燼と帰した。
 
 
 
また、明治時代には、1882年、1885年、1907年、1910年と大水害に見舞われ、大きな被害を受けた<ref name=shiina/>。これには、地形的理由だけでなく、林野の強権的官有化による里山の荒廃や急激な開発という人為的理由も一因した<ref name=shiina/>。1873年の[[地租改正]]後、林野の官民有区分が行なわれ、県下の[[入会林野]]の99%以上が1881年に官有とされ、1889年には[[皇室]]財産となった<ref name=shiina/>。これにより地元民は草木採取に際し面倒な手続きを強いられることとなり、盗伐や山火事が頻発して里山の荒廃に繋がった<ref name=shiina/>。さらに、明治期日本の主要産品である[[絹織物]]生産のための桑畑開墾や薪炭材調達のために山林が徹底的に伐採された<ref name=shiina/>。こうしたことが大災害に繋がったとして、1911年に御料林は県に無償返還されて恩賜県有林となり、[[入会権]]などは官有前に戻された<ref name=shiina/>。
 
 
 
=== 戦後から現在まで ===
 
{{underline|※日本の占領時代については「[[連合国軍占領下の日本]]」を参照。}}
 
終戦後、[[1945年]](昭和20年)9月にはアメリカ軍第8軍の部隊が甲府へ進駐。年末には戦闘部隊は引き上げ、少数の山梨県軍政部が県庁周辺の洋風建築を接収して県内の監視を行う。県内人口は復員兵や疎開者の帰還で増加し、戦時期の山林荒廃から災害被害もあり食糧事情は悪化。当局により新潟県からの移入米の配給や米軍の食糧放出など対策を講じるが食糧難はしばらく続き、ヤミ米が流通した。
 
 
 
[[連合国軍最高司令官総司令部]](GHQ)による改革を受け県内でも政党活動や新聞の発行などが再開される。[[1946年]](昭和21年)には内務省官僚による地方支配に代わり公選知事が導入され、[[1947年]](昭和22年)の第一回県知事選では保守派合同の推薦で[[吉江勝保]]が当選し、初代公選知事となる。吉江は[[1948年]](昭和23年)2月に食料増産や山林復旧など10大政策を掲げるが、財政難などの制約もあり産業基盤の復興もままならず、社会福祉制度も構想のみに留まった。
 
 
 
[[1951年]](昭和26年)の知事選では民主党代議士[[天野久]]が擁立され、吉江知事を破り当選。天野「富める山梨」を掲げ、利水に乏しい[[甲府盆地]]西部の御勅使川扇状地を開発する[[野呂川総合開発]]に着手し、計画は国の援助を受け上水道や県営発電所の建設が行われた。また、[[新笹子トンネル]]建設による幹線道路の整備は[[高度経済成長]]期とも重なり、果樹農業や観光の振興にも繋がった。一方で、天野県政期には開発による災害があり、[[北富士演習場]]問題が発生する。1959年と1966年に山梨県は台風により大規模な被害を受けるが、戦時中の治山治水事業の停滞と戦後の乱開発が被害拡大を招いたとされる<ref name=shiina/>。
 
 
 
[[1967年]](昭和42年)に天野知事を破り3代知事となった[[田辺国男]]は「健康山梨」を掲げ、一村一工場誘致を方針に工業団地造成や幹線道路整備を行う一方で、開発により環境破壊が顕著となっていたため環境保護にも配慮したグリーン・プランを提唱する。一方で連峰スカイライン構想を具体化させると批判が相次ぎ、北富士演習場問題の膠着や[[オイルショック]]の影響による不況も重なって巨大開発構想は断念された。文化事業では、[[1978年]](昭和53年)にはフランスの画家ミレーの「種をまく人」を二億円で落札購入した[[山梨県立美術館]]を創設。
 
 
 
田辺県政は日本経済の好景気化も受け4期目をめざすが、中央政界で前天野知事を支持した自民党政治家[[金丸信]]が影響力を強めると県議会においても金丸派が最大派閥となり、これに社会党県連が4選阻止のため提携し副知事の[[望月幸明]]を擁立し、[[1979年]](昭和54年)の県知事選では田辺知事を破り当選。望月県政は金丸信の後見を受けて県議会でのオール与党体制を確立し、北富士演習場問題の小康や[[バブル景気]]の後押しを受け、[[1986年]](昭和61年)の[[第41回国民体育大会|かいじ国体]]の実施や県有林の高度活用、リゾート施設の造成、リニア実験線の建設などを実施。
 
 
 
[[ファイル:Monument of Schistosoma japonicum disease end.JPG|thumb|地方病流行終息の碑]]
 
[[1965年]](昭和40年)までに県内の中央本線が複線・電化され、[[1982年]](昭和57年)には[[中央自動車道]]が全線開通。また石和温泉や富士五湖、清里などの観光地が整備され、東京都区部からの日帰り観光地としても発展した。
 
 
 
[[バブル景気]]が崩壊すると県内の景気も一気に低下。甲府中心地の地価が15年連続下落し、また清里などのリゾート地も衰退する。一方で郊外のベッドタウンでは[[イトーヨーカ堂|イトーヨーカドー]]や[[アピタ]]といったショッピングセンターが次々と開業し、[[西武百貨店|甲府西武]]や[[ダイエー|ダイエー湯村SC]]が撤退し停滞する甲府中心街に対し発展を遂げている。
 
 
 
望月知事が4選を断念し、[[1992年]](平成4年)に望月県政を批判し金丸派候補を破り当選した[[天野建]]知事(父は上記の天野久)は財政難の中公共工事の見直しを行いつつ環境行政を重視し、「幸住県やまなし」事業を実施。[[山梨県立博物館]]の建設推進や排水路整備の推進をおこない、[[1996年]](平成8年)には長年県民を苦しめてきた[[日本住血吸虫]]([[地方病 (日本住血吸虫症)|地方病]])の終息宣言を行う。
 
 
 
天野知事の後、[[2003年]](平成15年)からは前甲府市長[[山本栄彦]]が知事に就任。[[バブル崩壊]]後手付かずだった[[甲府駅]]北口の整備や[[中部横断自動車道]]の[[増穂インターチェンジ|増穂IC]]以南の着工を推進。しかし県政の混乱が発生し、[[2007年]](平成19年)の選挙で[[横内正明]]に敗れ、山本県政は1期で終焉した。
 
 
 
横内県政では、甲府市中心部の再開発や「トップセールス」として山梨県の特産物の海外展開を行なう。この間[[世界金融危機 (2007年-)|世界金融危機]]や[[東日本大震災]]が発生し、特に山梨の景況感は冷え込み全国最下位が続いている。また人口もこの時期から急減ており、これらの問題が大きな課題となっている。
 
 
 
[[2003年]](平成15年)より[[日本の市町村の廃置分合|平成の大合併]]が行われ、64あった市町村が27([[2010年]](平成22年)3月現在)まで集約された。
 
 
 
== 人口 ==
 
[[ファイル:Growth rate map of municipalities of Yamanashi prefecture, Japan.svg|thumb|山梨県市町村人口増減率分布図(2005年度と2010年度国勢調査から算出)
 
{{Multicol}}
 
'''増加'''
 
{{legend|#99FF55|2.5 - 4.99 %}}
 
{{legend|#CCFFAA|0.0 - 2.49 %}}
 
{{Multicol-break}}
 
'''減少'''
 
{{Legend|#FFAAAA|0.0 - 2.5 %}}
 
{{Legend|#FF5555|2.5 - 5.0 %}}
 
{{Legend|#FF0000|5.0 - 7.5 %}}
 
{{Legend|#AA0000|7.5 - 10.0 %}}
 
{{Legend|#550000|10.0 % 以上}}
 
{{Multicol-end}}]]
 
{{人口統計|code=19000|name=山梨県}}
 
===都市===
 
;山梨県内 市別人口ランキング
 
{| class="infobox" style="text-align:center; width:100%; margin-right:10px; font-size:100%"
 
|-
 
! align=center style="background:#f5f5f5;" | 県内順位
 
! align=center style="background:#f5f5f5;" | 都市
 
! align=center style="background:#f5f5f5;" | [[山梨県#地域区分|地域区分]]
 
! align=center style="background:#f5f5f5;" | 人口
 
! align=center style="background:#f5f5f5;" | 県内順位
 
! align=center style="background:#f5f5f5;" | 都市
 
! align=center style="background:#f5f5f5;" | [[山梨県#地域区分|地域区分]]
 
! align=center style="background:#f5f5f5;" | 人口
 
|-
 
|-----
 
|align="center"| '''1'''
 
|align="center"| '''[[甲府市]]'''
 
|align="center"| [[国中地方]]
 
|align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/山梨県|甲府市}}}}人
 
|align="center"| '''6'''
 
|align="center"| '''[[北杜市]]'''
 
|align="center"| [[国中地方]]
 
|align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/山梨県|北杜市}}}}人
 
|-----
 
|align="center"| '''2'''
 
|align="center"| '''[[甲斐市]]'''
 
|align="center"| [[国中地方]]
 
|align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/山梨県|甲斐市}}}}人
 
|align="center"| '''7'''
 
|align="center"| '''[[山梨市]]'''
 
|align="center"| [[国中地方]]
 
|align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/山梨県|山梨市}}}}人
 
|-----
 
|align="center"| '''3'''
 
|align="center"| '''[[南アルプス市]]'''
 
|align="center"| [[国中地方]]
 
|align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/山梨県|南アルプス市}}}}人
 
|align="center"| '''8'''
 
|align="center"| '''[[都留市]]'''
 
|align="center"| [[郡内地方]]
 
|align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/山梨県|都留市}}}}人
 
|-----
 
|align="center"| '''4'''
 
|align="center"| '''[[笛吹市]]'''
 
|align="center"| [[国中地方]]
 
|align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/山梨県|笛吹市}}}}人
 
|align="center"| '''9'''
 
|align="center"| '''[[中央市]]'''
 
|align="center"| [[国中地方]]
 
|align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/山梨県|中央市}}}}人
 
|-----
 
|align="center"| '''5'''
 
|align="center"| '''[[富士吉田市]]'''
 
|align="center"| [[郡内地方]]
 
|align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/山梨県|富士吉田市}}}}人
 
|align="center"| '''10'''
 
|align="center"| '''[[甲州市]]'''
 
|align="center"| [[国中地方]]
 
|align="right"|{{formatnum:{{自治体人口/山梨県|甲州市}}}}人
 
|-----
 
| colspan="11" align=center style="background:#f5f5f5;" |[[2017年]]12月 現在
 
|}
 
{{-}}
 
 
 
<gallery>
 
File:View kofu celeo.JPG|1.[[甲府市]]([[特例市]])
 
File:Ryuo Sta 2010071603.JPG|2.[[甲斐市]]
 
File:Ashiyasu 20120915155728.JPG|3.[[南アルプス市]]
 
File:Isawa Spa Town Aug.2013.JPG|4.[[笛吹市]]
 
File:Looking up Mt. Fuji from the Kamiyoshida town.JPG|5.[[富士吉田市]]
 
File:リゾナーレ小淵沢 - panoramio.jpg|6.[[北杜市]]
 
File:Kofu-Basin from Hottarakashi Onsen 01.jpg|7.[[山梨市]]
 
File:Yamanashi linear motor car.jpg|8.[[都留市]]
 
File:東花輪駅20140927.JPG|9.[[中央市]]
 
File:EnzanStkita.jpg|10.[[甲州市]]
 
</gallery>
 
 
 
;山梨県内市別人口密度ランキング([[2016年]](平成28年)現在)
 
#[[甲斐市]](1,040人/[[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]])
 
#[[中央市]](980人/km<sup>2</sup>)
 
#[[甲府市]](905人/km<sup>2</sup>)
 
#[[富士吉田市]](401人/km<sup>2</sup>)
 
#[[笛吹市]](344人/km<sup>2</sup>)
 
<gallery>
 
File:Outside of Shingen embankment.JPG|[[甲斐市]]
 
File:Higashi-Hanawa-01.JPG|[[中央市]]
 
File:The night view of Kofu City.jpg|[[甲府市]]([[県都]]・[[特例市]])
 
File:View of Fuji-Q Highland from Ferris wheel.jpg|[[富士吉田市]]
 
File:Isawa Hot Springs Creek Aug.2013.JPG|[[笛吹市]]
 
</gallery>
 
 
 
== 政治・行政 ==
 
=== 国政 ===
 
{{Main|衆議院小選挙区一覧#山梨県|山梨県選挙区}}
 
[[衆議院]]の[[小選挙区]]は2013年の区割り改正で、3から2に減少。[[参議院]]では、全県で1区を構成。
 
 
 
=== 県政 ===
 
{{Main|山梨県知事一覧|山梨県庁|山梨県議会}}
 
* [[都道府県知事|知事]]:[[後藤斎]](ごとう ひとし、1期目)
 
 
 
=== 財政 ===
 
: [[2007年]](平成19年)度
 
* [[財政力指数]] 0.42
 
** IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)11自治体中8位
 
 
 
: [[2006年]](平成18年)度
 
* 財政力指数 0.39
 
** IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)11自治体中2位
 
 
 
: [[2005年]](平成17年)度
 
* 財政力指数 0.35
 
** IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)14自治体中10位
 
 
 
: [[2004年]](平成16年)度
 
* 財政力指数 0.32
 
** IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)13自治体中11位
 
 
 
=== 姉妹盟約等 ===
 
* 山梨県と[[アメリカ合衆国|米国]][[アイオワ州]]は、[[1959年]](昭和34年)の台風7号と[[伊勢湾台風]]の2つの台風による災害<ref>{{Cite web |format=PDF |url=http://www.museum.pref.yamanashi.jp/pdfdata/pdf_worksheet/worksheet48-51.pdf |title=山梨を襲った水害について調べてみよう |publisher=山梨県立博物館 |page=10|accessdate=2018-01-01}}</ref>に対してアイオワ州から見舞いとして[[アイオワ州の食用豚支援|農畜産物を贈られた]]ことから姉妹締結した<ref>[http://www.pref.yamanashi.jp/kokusai/2011iowa-yamanashi50anniversary.html 山梨県・アイオワ州姉妹締結50周年記念事業について] - 山梨県</ref>。
 
 
 
== 経済・産業 ==
 
=== 第一次産業 ===
 
[[ファイル:Katsunuma_vineyard_02.jpg|thumb|勝沼のぶどう栽培]]
 
山梨県は[[中央高地式気候]]のため寒暖の差が大きく、[[農業]]に適した地域は[[甲府盆地]]を中心に水捌けの良い平坦地である。江戸時代には治水・用水路開発のにより[[新田開発]]が行われ農業生産力は向上したが、[[養蚕]]や[[果樹]]などの[[商品作物]]栽培を複合させた形態の農業を発達していた。
 
 
 
養蚕は明治初期の[[殖産興業]]において特に力を入れられ日本有数の養蚕県であったが、[[化学繊維]]の台頭などにより昭和30年代をピークに養蚕の減少と果樹栽培の増加に転じており、桑畑から果樹園への転換による景観的変化や、[[年中行事]]など生活・文化面の変化をもたらしている。
 
 
 
戦後の[[高度経済成長]]期において日本経済は農業の比重を低下させているが、工業の立ち後れていた山梨経済においても農業の役割は低下し、農家数や耕地面積は減少している。一方で経済成長により生じた国民生活の変化に対応して農業の形態を変化させており、国民の食生活が変化したことにより[[ブドウ|葡萄]]や[[モモ|桃]]、[[サクランボ]]などの果樹栽培の需要が高まり、葡萄からの[[ワイン]]の醸造も行われている。また、[[首都圏 (日本)|首都圏]]や[[中京圏]]から近い地理的条件を活かして[[観光]]農園として観光客を集めているところも多い。
 
 
 
1980年代から1990年代にかけては果樹栽培への移行と農業の減退の傾向はさらに加速し、農業を主とする第一種[[兼業農家]]から農業を従とする第二種兼業農家への移行を示している。これに伴い中山間地域を中心に[[高齢化]]や農業後継者不足、[[過疎]]などが顕在化し、近年の課題となっている。
 
 
 
また、[[ミネラルウォーター]]の生産量は52万9388キロ[[リットル]]([[2004年]](平成16年))であり、日本の総生産量の40%を占める。山がちな地形であることから[[帯水層]]の露出が多く、都市化が進んでいないため清澄な[[湧水]]が多く採取できる上、主要な消費地の東京圏に近く[[貨物輸送|輸送]][[コスト]]が小さいため、大手メーカーの多くが採取地に山梨県を選んでいる。主な産地は[[赤石山脈|南アルプス]]山麓と[[富士山]]および[[三ツ峠]]山麓である。
 
 
 
=== 第二次産業 ===
 
江戸時代後期から近代・昭和戦後期まで[[養蚕]]・[[製糸業]]が盛んであったが、戦後に斜陽化のため現在は衰退している。また海や大河がなく大量の水を使うことが難しく、また戦後期までは交通機関が未整備であったため[[鉄鋼]]・[[金属]]などの[[重工業]]が発展しにくい土地である。その一方で四方を山地に囲まれ水質が良好であることから、戦後の中央自動車道の全線開通以降、[[長野県]]の[[諏訪地域]]とともに[[精密機械]]産業が発達している。そのほかには[[石英|石英(水晶)]]の採掘地であったことから研磨宝飾を中心とした[[宝石]]加工産業が発達している。
 
 
 
甲府盆地および富士山麓地域を中心にほぼ全地域に工業団地が点在しているが、可住地面積の少なさが災いしてか大規模な工業団地が形成しにくい。そのため近年では県外の工業団地に移転する企業が相次いでいる。
 
 
 
=== 第三次産業 ===
 
[[ファイル:OKAJIMA-depart.JPG|thumb|岡島百貨店]]
 
甲府は近世の甲府城下町が商業的拠点として発達し、明治後に[[中央本線]]が開通すると[[甲府駅]]が開業し、山梨県庁舎をはじめ[[岡島百貨店]]や[[甲府会館|甲府松菱]](のちの[[山交百貨店]])などが駅前に軒を連ね、[[戦後復興期]]までは甲府駅を中心に発展していった。しかし[[高度経済成長]]を迎えると県内でも[[モータリゼーション]]が進行し、並行して[[公共交通機関]]が衰退した。このため旧城下町である甲府は道幅が狭く渋滞が顕著になった甲府駅前を避ける傾向が強まり、代わりに[[高速道路]]や[[バイパス道路]]が整備された郊外に大型商業施設が次々と進出したため、[[1990年代]]より[[ドーナツ化現象]]が進行している。また中央本線の高速化や[[高速バス]]の発展により県外への[[ストロー効果]]が起こり、山梨県の商業そのものに影響を与えている。[[総務省]]が発表した「経済センサス‐基礎調査」によると百貨店・総合スーパーの人口10万人あたり店舗数は0.71軒と全国ワーストとなっている。
 
 
 
外食産業の店舗数が多いことが特徴で、人口当たりで[[寿司屋]]、[[ガスト (ファミリーレストラン)|ガスト]]、[[バーミヤン (レストランチェーン)|バーミヤン]]、[[モスバーガー]]の店舗数は全国1位である<ref>[http://todo-ran.com/ 新都道府県別統計とランキングで見る県民性]</ref>。特に海が隣接していないのにもかかわらず寿司屋が多く、甲府市の中心部では100mあたり5、6店舗が並ぶところがある。山梨に寿司屋が多い理由として昔からの「海に対するあこがれ」や、元々祝いの席で必ず食べるものがなかったのでその代わりとして寿司が祝いの席の食べ物として出されるようになったことなどが挙げられている。<ref>[https://archive.is/20120712015656/mainichi.jp/area/yamanashi/news/20120616ddlk19040039000c.html 追跡・発掘:山梨県民はすしがお好き? 「海へのあこがれ」根底に /山梨](2012年06月16日、[[毎日新聞]])</ref>。また、富士川町の[[鰍沢河岸]]跡からは明治期の[[マグロ]]をはじめとする大型魚骨が出土しており、江戸時代から富士山麓の駿州往還や中道往還を利用した駿河方面からの海産物移入が行われていたと考えられている。
 
 
 
富士川など高低差のある河川を利用して戦前より[[水力発電所]]が建てられ、戦後は山梨県を管轄する[[東京電力]]だけでなく[[山梨県企業局]]による水力発電所も建てられ、企業局ので発電された電気は東京電力に売却され、これが山梨県の財政の助けになっている。また、日照時間の長さを利用した[[太陽光発電]]も建てられ、[[米倉山太陽光発電所]]や[[やまなしメガソーラー]]など10MWクラスの発電所が稼働している。山梨にある発電所は水力と太陽光が大半を占めており、[[火力発電所]]や[[原子力発電所]]は皆無である。
 
 
 
=== その他 ===
 
==== 本社を置く主要企業 ====
 
; 製造業
 
* [[ファナック]] - [[南都留郡]][[忍野村]]
 
* [[明電舎|甲府明電舎]] - [[中央市]]
 
* 新旭電子工業山梨 - [[南アルプス市]]
 
* [[パイオニアマイクロテクノロジー|パイオニア・マイクロ・テクノロジー]] - [[甲府市]]
 
* [[キトー]] - [[中巨摩郡]][[昭和町]]
 
* [[シチズンファインデバイス]] - 南都留郡[[富士河口湖町]]
 
* [[シチズン電子]] - [[富士吉田市]]
 
* [[東京エレクトロン テクノロジーソリューションズ]] - [[韮崎市]]
 
* [[三井金属鉱業|三井金属ダイカスト]] - 韮崎市
 
* [[マルアイ (化成品メーカー)|マルアイ]] - [[西八代郡]][[市川三郷町]]
 
* [[よっちゃん食品工業]] - 中央市
 
* [[シャトレーゼホールディングス]] - 甲府市
 
* [[旭食品 (山梨県)|旭食品]] - [[南巨摩郡]][[富士川町]]
 
* [[テンヨ武田]] - 甲府市
 
* [[はくばく]] - 南巨摩郡富士川町
 
* [[桔梗屋]] - [[笛吹市]]
 
* [[信玄餅|金精軒]] - 北杜市
 
; 情報通信業
 
* システムインナカゴミ - 中央市
 
* カトム - 富士吉田市
 
* o2c - [[甲斐市]]
 
; 金融業
 
* [[山梨中央銀行]] - 甲府市
 
; 卸売業・小売業
 
* 山梨パナソニックシステム - 中巨摩郡昭和町
 
* [[岡島百貨店|岡島]] - 甲府市
 
* [[山交百貨店]] - 甲府市
 
* [[オギノ]] - 甲府市
 
* フカサワ - 甲府市
 
* [[サン宝石]] - 中央市
 
* [[DCMくろがねや]] - 甲府市
 
; 運輸業
 
* [[山梨交通]] - 甲府市
 
* [[山交タウンコーチ]] - 甲府市
 
* [[富士急行]] - 富士吉田市
 
* [[富士急山梨バス]] - 南都留郡富士河口湖町
 
* [[富士急山梨ハイヤー]] - 富士吉田市
 
* [[身延山|身延登山鉄道]] - 南巨摩郡[[身延町]]
 
* 富士五湖汽船 - 南都留郡富士河口湖町
 
* 富士汽船 - 南都留郡[[山中湖村]]
 
; 建設業
 
* [[パナホーム|パナホーム山梨]] - 甲府市
 
 
 
==== 拠点事業所を置く主要企業 ====
 
* [[パナソニック スマートファクトリーソリューションズ]]甲府事業所 - 中巨摩郡昭和町
 
* [[日立オートモティブシステムズ]]山梨事業所 - 南アルプス市
 
* [[横河電機]]甲府事業所 - 甲府市
 
* [[THK]]甲府工場 - 中央市
 
* [[TDK]]甲府工場 - 南アルプス市
 
* [[キヤノンファインテックニスカ]]増穂事業所 - 南巨摩郡富士川町
 
* [[救心製薬]]山梨工場 - 韮崎市
 
* [[サッポロビール]]グランポレール勝沼ワイナリー - [[甲州市]]
 
* [[メルシャン]]勝沼ワイナリー - 甲州市
 
* [[サントリー]]登美の丘ワイナリー - [[甲斐市]]
 
* [[サントリー]]白州蒸溜所 - [[北杜市]]
 
* [[トヨタホーム]]山梨事業所 - 南アルプス市
 
* [[リコージャパン]]山梨支社 - 中央市
 
 
 
== 生活・交通 ==
 
=== 警察 ===
 
* [[山梨県警察]]
 
 
 
=== 交通 ===
 
==== 航空 ====
 
山梨県内に[[空港]]はない。なお、近隣で旅客扱いを行う空港としては[[松本空港]]([[長野県]])や[[東京国際空港]]([[東京都]])や[[富士山静岡空港]]([[静岡県]])などがある。
 
* [[双葉滑空場]]([[場外離着陸場]])
 
:[[学校法人日本航空学園|日本航空学園]]が運営管理している。[[軽飛行機]]などが利用するほか、山梨県消防防災航空隊の[[ヘリポート]]としても使用されている。
 
 
 
==== 鉄道 ====
 
小海線を除いて、電化されている。
 
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; [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)
 
* [[中央本線]]
 
* [[小海線]]
 
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; [[東海旅客鉄道]](JR東海)
 
* [[身延線]]
 
{{Col-break}}
 
; [[富士急行]]
 
* 大月線
 
* 河口湖線
 
: ※上記両線は総称として「[[富士急行線]]」と呼ばれる。
 
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==== バス会社 ====
 
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{{Col-break}}
 
; 山梨交通グループ
 
* [[山梨交通]]([[路線バス]]・[[高速バス]])
 
* [[山交タウンコーチ]](路線バス)
 
{{Col-break}}
 
; 富士急グループ
 
* [[富士急行御殿場営業所|富士急行]](路線バス・高速バス)
 
* [[富士急山梨バス]](路線バス・高速バス)
 
* [[富士急シティバス]](高速バス)
 
* [[富士急静岡バス]](路線バス・高速バス)
 
* [[富士急湘南バス]](高速バス)
 
* [[フジエクスプレス]](高速バス)
 
* [[富士急山梨ハイヤー]](路線バス)
 
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; その他(路線バス運行会社のみ)
 
* [[栄和交通]](路線バス、笛吹・山梨・甲州地区)
 
* [[神奈川中央交通西・津久井営業所|神奈川中央交通西]](路線バス、道志地区)
 
* [[西東京バス]](路線バス、小菅・丹波山地区)
 
* [[山梨峡北交通]](路線バス、韮崎・北杜地区)
 
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; 県内バス輸送人員(年間)
 
* 2012年:695万4000人
 
※全国で2番目にバス利用者が少ない
 
 
 
==== 道路 ====
 
; [[高速道路]]・有料道路
 
* [[中央自動車道]](中央道)
 
* [[中部横断自動車道]]
 
* [[東富士五湖道路]]
 
* [[富士山有料道路]](富士スバルライン)
 
* [[雁坂トンネル有料道路]]
 
 
 
; [[国道]]
 
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{{Col-break}}
 
* [[国道20号]]([[甲州街道]])
 
* [[国道52号]]
 
* [[国道137号]]
 
* [[国道138号]]
 
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* [[国道139号]]
 
* [[国道140号]]
 
* [[国道141号]]
 
* [[国道300号]]
 
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* [[国道358号]]
 
* [[国道411号]]
 
* [[国道413号]]
 
* [[国道469号]]
 
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; [[地域高規格道路]]
 
* [[新山梨環状道路]]
 
* [[西関東連絡道路]]
 
 
 
; [[都道府県道|県道]]
 
* [[山梨県の県道一覧]]
 
 
 
; その他の[[一般道路]]
 
* [[平和通り (甲府市)|平和通り]]
 
* 精進ブルーライン
 
* [[駿州往還]]
 
* 富士パノラマライン
 
* [[御坂みち]]
 
* [[秩父往還道]]
 
* [[山梨県道28号北杜八ヶ岳公園線|清里高原道路]]
 
* [[青梅街道]]
 
* クリスタルライン([[乙女高原]])
 
* フルーツライン
 
 
 
=== 医療・福祉 ===
 
{{main|Category:山梨県の医療機関}}
 
; [[災害拠点病院]]
 
* [[山梨県災害拠点病院]]
 
; [[保育所]]
 
* [[山梨県保育所一覧]]
 
 
 
=== 教育 ===
 
; [[大学]]
 
* [[山梨大学]]
 
* [[山梨県立大学]]
 
* [[都留文科大学]]
 
* [[昭和大学]]
 
* [[帝京科学大学]]
 
* [[身延山大学]]
 
* [[山梨英和大学]]
 
* [[山梨学院大学]]
 
* [[健康科学大学]]
 
; [[短期大学]]
 
* [[大月短期大学]]
 
* [[帝京学園短期大学]]
 
* [[山梨学院短期大学]]
 
; [[専修学校]]
 
* [[山梨県専修学校一覧]]
 
; [[特別支援学校]]
 
* [[山梨県特別支援学校一覧]]
 
; [[高等学校]]
 
* [[山梨県高等学校一覧]]
 
; [[中学校]]
 
* [[山梨県中学校一覧]]
 
; [[小学校]]
 
* [[山梨県小学校一覧]]
 
; [[幼稚園]]
 
* [[山梨県幼稚園一覧]]
 
 
 
=== マスメディア ===
 
==== 新聞 ====
 
戦前には『[[山梨日日新聞]]』(以下山日)、『山梨毎日新聞』はじめ6紙が発行されていたが、[[第二次世界大戦]]中の[[新聞統制]]によって県内の諸紙は山日に統合される。戦後には数紙が創刊され、昭和40年代まで富士急行が大株主である『山梨時事新報』(山時)が山日と部数を競った。[[1969年]](昭和44年)に富士急行が所有株式を売却すると山時は山日に吸収され、現在は、[[全国紙]]をのぞいて日刊紙は山日のみの状態となっている。全国紙は東京版が販売されている。
 
 
 
* [[山梨新報]]
 
 
 
==== テレビ局 ====
 
NHKの[[テレビ放送]]は[[1953年]](昭和28年)に開始された。山梨の地理的条件のため当初は契約数は少なく、[[NHK甲府放送局]]が[[1959年]](昭和34年)に中継送信所を設置して以降に普及した。民間放送ではラジオ山梨が[[1959年]](昭和34年)12月に送信所を設置してテレビ局を開設し、[[山梨放送]](YBS、[[Nippon News Network|NNN]]/[[日本テレビネットワーク協議会|NNS]]系列)が開局。[[1968年]](昭和43年)にUHF(極超短波放送)電波が割り当てられると、免許申請は一本化されて「山梨中央テレビ」として取得し、翌[[1969年]](昭和44年)5月には株式会社[[テレビ山梨]](UTY、[[Japan News Network|JNN]]系列)が発足。
 
 
 
山梨県は[[首都圏 (日本)|首都圏]]に属しているがYBSとUTYの民放2局状態が長く続いている。そのため、[[福井県]]、[[徳島県]]、[[佐賀県]]、[[宮崎県]]と並んで、[[ビデオリサーチ]]による[[視聴率]]調査が行われていない[[都道府県]]の1つとなっている。そのため、有料ケーブルテレビに加入して、[[日本テレビ系列]]のYBSと[[Japan News Network|TBS系列]]のUTYに加えてテレビ朝日・テレビ東京・フジテレビなどを視聴する世帯が多く、2012年現在、約160000世帯である。
 
 
 
*山梨県内のテレビ局
 
**[[NHK甲府放送局]]
 
**[[山梨放送]](YBS)(NNN/NNS系列)
 
**[[テレビ山梨]](UTY)(JNN系列)
 
:※山梨県には[[All-nippon News Network|ANN]]系列局及び[[フジニュースネットワーク|FNN]]/[[フジネットワーク|FNS]]系列局及び[[TXN]]系列局が無いため、同県のANN系列局による報道取材は[[テレビ朝日甲府支局]]、同県のFNN系列局による報道取材は[[フジテレビ甲府支局]]が担当している。
 
 
 
==== ラジオ局 ====
 
* AMラジオ局
 
** [[山梨放送]]([[Japan Radio Network|JRN]]・[[全国ラジオネットワーク|NRN]]系列)
 
** [[NHK甲府放送局]]
 
* FMラジオ局
 
** [[NHK甲府放送局]]
 
** [[エフエム富士]](FM-FUJI)(独立局)
 
** [[エフエム甲府]]([[コミュニティFM]])
 
** [[八ヶ岳コミュニティ放送|エフエム八ヶ岳]](コミュニティFM)
 
** [[エフエムふじやま]](コミュニティFM)
 
** エフエム富士五湖(コミュニティFM)
 
 
 
==== ケーブルテレビ ====
 
山梨県の有料ケーブルテレビ(自主放送)の世帯普及率は、[[2012年]](平成24年)1月現在86%と全国第1位である。共同アンテナ受信なども含めると93%を数える。ただし、同県のケーブルテレビ局は他の都道府県それと用途が異なり、不足するテレ朝系、テレ東系、フジテレビ系の地上波系列の補完が第一であるため、標準契約で視聴できる放送は地上波のみである。地上波の構成はNHK甲府+地元民放2局+テレビ朝日・テレビ東京・フジテレビ+独立局が基本である。かつてはBSアナログ放送も視聴できた。[[セットトップボックス|STB]][[多チャンネル]]は別途オプション契約となる。
 
* [[:Category:山梨県のケーブルテレビ局|山梨県のケーブルテレビ局]](参照)
 
 
 
== 文化・スポーツ ==
 
 
 
{{節スタブ}}
 
=== 方言 ===
 
* [[甲州弁|国中方言]]:国中地方
 
* [[郡内弁|郡内方言]]:郡内地方
 
* [[奈良田方言]]:[[早川町]][[奈良田]]
 
 
 
=== 食文化 ===
 
{{See also|Category:山梨県の食文化}}
 
; 郷土料理
 
{{Main|日本の郷土料理一覧#山梨県}}
 
 
 
=== 伝統工芸 ===
 
; [[経済産業大臣指定伝統的工芸品]]
 
* [[甲州水晶貴石細工]](石工品・貴石細工、[[1976年]])
 
* [[甲州印伝]](その他工芸品、[[1987年]])
 
* [[甲州手彫印章]](その他工芸品、[[2000年]])
 
 
 
; 伝統工芸品
 
{{Main|日本の伝統工芸品の一覧#山梨県}}
 
 
 
=== スポーツ ===
 
{{See also|Category:山梨県のスポーツチーム}}
 
* [[ヴァンフォーレ甲府]]([[サッカー]]・[[日本プロサッカーリーグ]] [[甲府市]]・[[韮崎市]])
 
 
 
== 観光 ==
 
{{main|山梨県の観光地}}
 
 
 
=== 有形文化財建造物 ===
 
; 国宝
 
* [[清白寺]] - 仏殿
 
* [[大善寺 (甲州市)|大善寺]] - 本堂
 
 
 
; 重要伝統的建造物群保存地区
 
* [[赤沢]] (早川町)
 
* 塩山下小田原上条(甲州市)
 
 
 
=== 観光地 ===
 
{{Col-begin}}
 
; 自然
 
* [[富士山]]([[富士吉田市]]、[[南都留郡]][[鳴沢村]])
 
* [[昇仙峡]]
 
* [[西沢渓谷]]
 
* [[忍野八海]]
 
* [[富士五湖]]
 
* [[青木ヶ原]]
 
* [[八ヶ岳]]
 
* [[赤石山脈|南アルプス]]
 
{{Col-break}}
 
; 寺社
 
* [[身延山久遠寺]]
 
* [[甲斐善光寺]]
 
* [[金桜神社]]{{要曖昧さ回避|date=2015年12月}}
 
* [[武田神社]]
 
* [[武田八幡宮]]
 
* [[酒折宮]]
 
* [[恵林寺]]
 
* [[浅間神社 (笛吹市)|浅間神社]](笛吹市)
 
* [[小室浅間神社 (下浅間)|小室浅間神社]](富士吉田市下吉田)
 
* [[冨士御室浅間神社]]
 
* [[北口本宮冨士浅間神社]]
 
* [[実際寺]]
 
* [[天香山妙善寺]]
 
{{Col-break}}
 
; '''史跡'''
 
* [[曽根丘陵]]
 
* [[釈迦堂遺跡]]
 
* [[躑躅ヶ崎館]]跡
 
* [[甲府城]]址
 
* [[新府城]]跡
 
* [[岩殿城]]跡
 
* [[猿橋]]
 
{{Col-break}}
 
; 保養地など
 
* [[石和温泉]]
 
* [[湯村温泉 (山梨県)|湯村温泉]]
 
* [[下部温泉]]
 
* [[清里高原]]
 
* [[山梨県立考古博物館]](甲府市)
 
* [[山梨県立美術館]]・[[山梨県立文学館]](甲府市)
 
* [[山梨県立フラワーセンター ハイジの村]](北杜市)
 
* [[釈迦堂遺跡博物館]](笛吹市)
 
* [[山梨県笛吹川フルーツ公園]](山梨市)
 
* [[信玄公宝物館]](甲州市)
 
* [[北澤美術館|清里北澤美術館]](北杜市)
 
* [[富士急ハイランド]](富士吉田市)
 
{{Col-end}}
 
 
 
=== 祭事 ===
 
* [[吉田の火祭]]([[日本三奇祭]]のひとつ)
 
* [[信玄公祭り]]
 
* [[神明の花火大会]]
 
* [[南部の火祭り]]
 
* [[一之瀬高橋の春駒]]
 
* 塩山の太鼓乗り
 
* 御坂町二ノ宮の太々神楽
 
 
 
== 山梨県を舞台とした作品 ==
 
ここでは「物語の主要舞台が山梨県」「核心部分の舞台が山梨県」「主要舞台が山梨県を参考にしている」作品のみを記載する。
 
* 「撮影地が山梨県であるが、舞台は山梨県とは無関係」「作中に山梨県が登場するが、通過点や部分的に触れているだけで主要や核心といえない」等の作品については割愛する。
 
* 「登場人物が山梨県出身であるが、舞台は山梨県とは無関係の作品」については[[山梨県出身の人物一覧#架空の人物]]にて「人物名(作品名)」として取り扱う。
 
 
 
=== 文芸 ===
 
* [[富嶽百景]](太宰治)
 
* 死亡推定時刻([[朔立木]])
 
* [[滅びの笛]]([[西村寿行]])
 
* [[葡萄が目にしみる]]([[林真理子]])
 
 
 
=== 映画 ===
 
* [[秀子の車掌さん]](1941年)
 
* [[いつか来た道 (1959年の映画)|いつか来た道]](1959年)
 
* [[ダブル・クラッチ (映画)|ダブル・クラッチ]](1978年)
 
* [[死んでもいい (映画)|死んでもいい]](1992年)
 
* [[国道20号線 (映画)|国道20号線]](2007年)
 
* [[初恋 夏の記憶]](2009年)
 
* [[サウダーヂ]](2011年)
 
* [[もらとりあむタマ子]](2013年)
 
* [[追憶の森]](2015年)
 
* [[かぐらめ]](2015年)
 
 
 
その他、東京に比較的近く交通至便のため、上記の作品以外においても(とくに低予算の[[ピンク映画]]や[[オリジナルビデオ]]などで)ロケ地として用いられる事が多い。
 
 
 
=== テレビドラマ ===
 
* [[武田信玄 (NHK大河ドラマ)|武田信玄]]([[日本放送協会|NHK]][[大河ドラマ]]、1988年)
 
* [[風林火山 (NHK大河ドラマ)|風林火山]](NHK大河ドラマ、2007年)
 
* [[夢みる葡萄|夢みる葡萄〜本を読む女〜]](NHK[[月曜ドラマシリーズ]]、2003年)
 
* [[花子とアン]](NHK[[連続テレビ小説]]、2014年)
 
* [[合い言葉は勇気]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]][[木曜劇場]])
 
: 山梨県上巨摩郡富増村を舞台にしたドラマ。ただし、上巨摩郡と富増村は、元から存在しない架空の郡や村である(旧[[北巨摩郡]][[明野村]]がモデルと言われる)
 
 
 
映画同様東京に比較的近いという理由からロケ地撮影されるドラマが多い。
 
 
 
=== 漫画・アニメ ===
 
* [[MEMORIES (映画)|MEMORIES]](1995年公開)
 
:EPISODE.2「最臭兵器」の舞台が山梨県。[[甲府駅]]周辺や[[山梨交通]]の路線バスなど、ローカルネタが随所に登場する。
 
* [[イリヤの空、UFOの夏]]([[秋山瑞人]]原作)
 
:舞台が[[甲斐市]](旧[[竜王町 (山梨県)|竜王町]])。
 
* [[ヤマノススメ]]([[しろ (イラストレーター)|しろ]]原作) - 舞台 : [[西桂町]]([[三つ峠]]) 新2合目 - 新4合目、[[鳴沢村]]・[[富士吉田市]]([[富士山]])新9合目 - 新11合目
 
:ヤマノススメの舞台自体は[[埼玉県]][[飯能市]]であるが、テレビアニメ「ヤマノススメ セカンドシーズン」では山梨県が主舞台となる。[[富士急行]]などの協力で全ての施設・企業名が実名で出ている。
 
* [[ゆるキャン△]]([[あfろ]]原作)
 
:高校および主要キャラクターが[[身延町]]在住のほか、主人公の一人が[[南部町 (山梨県)|南部町]]に移住してきたという設定。また、[[MXテレビ]]でアニメ化の際[[やまなし観光推進機構]]にて特設サイトが設けられ、[[本栖湖]]や[[内船駅]]、[[笛吹川フルーツ公園]]などが描かれている。
 
 
 
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<div class="NavHead" style="text-align:left;">[[まんが日本昔ばなし]]にて山梨県が題材となった話</div>
 
<div class="NavContent" style="text-align:left">
 
*たのきゅう
 
*赤ん坊になったお婆さん
 
*干し葉のおじや
 
*笛吹川
 
*泉
 
*鵜飼いものがたり
 
*もぐらと馬と人間
 
*東つぼ屋西つぼ屋
 
*瓔珞つつじ
 
*無用の位
 
*天狗がみこんだ男
 
*乙女湯
 
*鼻かけ天狗
 
*飯が仕事をしてくれる
 
*河童のきず薬
 
*飯ぬすっと
 
*囲碁のうでまえ
 
*両足八足大足二足
 
*甲斐の湖
 
*人が見たらカエルになれ
 
*ふろ屋の福の神
 
*どうもこうも
 
*こやしの息
 
*赤子坂
 
*産女の幽霊
 
*るすが岩
 
*鰻沢
 
*むじな和尚
 
*栗の木坂のきつね
 
</div></div>
 
 
 
=== ゲーム ===
 
* [[ペルソナ4]]([[アトラス (ゲーム会社)|アトラス]]、2008年発売) 
 
:舞台である稲羽市のモデルとなった街が山梨県F市([[笛吹市]]または[[富士吉田市]])とされ、登場する駅舎が笛吹市の旧[[石和温泉駅]]に酷似していたり、商店街が富士吉田市の[[月江寺駅]]前商店街に酷似していたりする。
 
 
 
== 山梨県出身の人物 ==
 
{{Main|山梨県出身の人物一覧}}
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
=== 注釈 ===
 
{{Reflist|group="注"}}
 
 
 
=== 出典 ===
 
{{Reflist}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
{{ウィキポータルリンク|日本の都道府県/山梨県|[[画像:Flag_map_of_Yamanashi_Prefecture.svg|36px|Portal:日本の都道府県/山梨県]]}}
 
{{Multimedia|山梨県の画像}}
 
{{Wiktionary}}
 
{{Wikivoyage|Yamanashi|山梨県{{en icon}}}}
 
{{Div col|cols=2}}
 
* [[関東地方知事会]]
 
* [[広域関東圏]]
 
* [[山梨百名山]]
 
* [[甲州弁]]
 
* [[郡内弁]]
 
* [[山梨県出身の人物一覧]]
 
* [[山梨県指定文化財一覧]]
 
* [[山梨県高等学校一覧]]
 
* [[甲州 (葡萄)|甲州ぶどう]]
 
* [[:Category:山梨県の自然景勝地]]
 
* [[地方病 (日本住血吸虫症)]]
 
* [[日本の地理]]、[[日本の地域]]
 
* [[アイオワ州の食用豚支援]]
 
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中部地方の内陸県。かつての[[甲斐国]]。[[富士山]],[[赤石山脈]],[[秩父山地]],[[丹沢山地]]に囲まれる山地県で,[[御坂山地]]と秩父山地の大菩薩連嶺で[[国中]]と[[郡内]]の2地方に分かれる。国中は[[甲府盆地]]を中心に,[[釜無川]]と[[笛吹川]],両者を合した[[富士川]]の流域を占める。盆地縁辺部には扇状地が発達し,かつては養蚕地帯であったが,夏季に高温,少雨である気候を利用して,ブドウ,モモを主体とする果樹栽培が発達。甲府盆地東部の甲州市,笛吹市は高い技術をもつ集約的果樹栽培で知られるが,西部の[[御勅使川]]の扇状地をはじめ,ほぼ全域で果樹栽培への転換が進んでいる。盆地底は水田地帯であるが,野菜や果樹の作付けが増え,甲府市周辺では住宅や中小工場の立地が目立つ。北西部の[[八ヶ岳]]の裾野では高所まで水田が開かれ,高冷地野菜の栽培も行なわれる。南西部は富士川が峡谷をなし,平地は少ない。郡内は[[桂川]]の流域と富士山の北麓を占め,桂川の河岸段丘がおもな生活の場である。古くから養蚕が盛んで,家内工業的な機業者が多い。中央自動車道の開通などにより観光客が急速に増え,[[富士五湖]]周辺は観光業に大きく依存する。甲府盆地では中央部に[[石和温泉]],[[積翠寺温泉]]などがあり,観光ブドウ園が各地に開かれている。周辺の秩父山地や赤石山脈,八ヶ岳は登山客,ハイカーが多い。
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== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
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; 行政
 
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* [http://www.pref.yamanashi.jp/ 山梨県]
 
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2018/8/31/ (金) 23:14時点における最新版

やまなしけん
山梨県
地方 中部地方甲信越地方
団体コード 19000-4
ISO 3166-2:JP JP-19
面積 4,465.27km2
(境界未定部分あり)
総人口 818,455
推計人口、2018年4月1日)
人口密度 183人/km2
隣接都道府県 埼玉県東京都神奈川県長野県静岡県
県の木 カエデ
県の花 フジザクラ
県の鳥 ウグイス
他のシンボル 県の獣:カモシカ
県の歌:山梨県の歌
県民の日:11月20日
山梨県庁
所在地 400-8501
山梨県甲府市丸の内一丁目6番1号
北緯35度39分50.9秒東経138度34分6.3秒
外部リンク 山梨県
山梨県の位置

山梨県行政区画図

― 市 / ― 町 / ― 村

 表示 

山梨県(やまなしけん)

中部地方の内陸県。かつての甲斐国富士山赤石山脈秩父山地丹沢山地に囲まれる山地県で,御坂山地と秩父山地の大菩薩連嶺で国中郡内の2地方に分かれる。国中は甲府盆地を中心に,釜無川笛吹川,両者を合した富士川の流域を占める。盆地縁辺部には扇状地が発達し,かつては養蚕地帯であったが,夏季に高温,少雨である気候を利用して,ブドウ,モモを主体とする果樹栽培が発達。甲府盆地東部の甲州市,笛吹市は高い技術をもつ集約的果樹栽培で知られるが,西部の御勅使川の扇状地をはじめ,ほぼ全域で果樹栽培への転換が進んでいる。盆地底は水田地帯であるが,野菜や果樹の作付けが増え,甲府市周辺では住宅や中小工場の立地が目立つ。北西部の八ヶ岳の裾野では高所まで水田が開かれ,高冷地野菜の栽培も行なわれる。南西部は富士川が峡谷をなし,平地は少ない。郡内は桂川の流域と富士山の北麓を占め,桂川の河岸段丘がおもな生活の場である。古くから養蚕が盛んで,家内工業的な機業者が多い。中央自動車道の開通などにより観光客が急速に増え,富士五湖周辺は観光業に大きく依存する。甲府盆地では中央部に石和温泉積翠寺温泉などがあり,観光ブドウ園が各地に開かれている。周辺の秩父山地や赤石山脈,八ヶ岳は登山客,ハイカーが多い。

外部リンク

行政
観光
先代:
府中県市川県石和県
行政区の変遷
1868年 - (甲斐府→甲府県→山梨県)
次代:
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