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{{TVWATCH}}
 
{{基礎情報 アナウンサー
 
|名前=小倉 智昭
 
|ふりがな=おぐら ともあき
 
|画像ファイル=
 
|画像サイズ= <!--ある場合のみ、220px以内-->
 
|画像コメント=
 
|本名=
 
|愛称=オグさん<!--「オヅラ」などのネット上だけの通称は記さないように-->
 
|出身地={{JPN}}・[[秋田県]][[秋田市]]<br />(本籍地・[[香川県]][[丸亀市]])
 
|生年月日= {{生年月日と年齢|1947|5|25}}
 
|血液型=[[ABO式血液型|B型]]
 
|最終学歴=[[獨協大学]][[外国語学部]]フランス語学科卒
 
|所属事務所=[[オールラウンド]]
 
|部署=
 
|職歴=[[時事通信社]]<ref name="sankei">{{cite news|title=【プレミアムシート】キャスター・小倉智昭 「いつまで必要とされるかが勝負」|author=平松澄子|newspaper=MSN産経ニュース|publisher=産経新聞社|date=2011-07-23|url=http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110723/ent11072307010001-n2.htm|accessdate=2011-12-09|archiveurl=http://megalodon.jp/2011-1209-0050-40/sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110723/ent11072307010001-n2.htm|archivedate=2011-12-09}}</ref>社会部記者→[[テレビ東京|東京12チャンネル(現:テレビ東京)]]<ref name="12ch">小倉が入社した当時の株式会社テレビ東京は「株式会社東京十二チャンネルプロダクション」という商号の[[番組制作会社]]であり、この法人が後の[[1973年]]に財団法人[[日本科学技術振興財団]]から東京12チャンネルの放送免許を譲り受けて正式に[[放送事業者]]となり商号も「株式会社東京12チャンネル」に変更した([[1981年]]に現在の商号に再変更)。これらの詳細・経緯については「[[テレビ東京#開局から商号変更まで(東京12チャンネル)]]」を参照。</ref>アナウンサー→フリーアナウンサー
 
|活動期間=[[1970年]] -
 
|ジャンル=情報・バラエティなど
 
|配偶者=あり
 
|家族=
 
|公式サイト=[http://www.okpro.jp/ogura_tomoaki.pdf プロフィール(PDFファイル)]
 
|現在の出演番組=『[[情報プレゼンター とくダネ!]]』など
 
|過去の出演番組=『[[世界まるごとHOWマッチ]]』<br />『[[どうーなってるの?!]]』<br />『[[小倉智昭の夕焼けアタックル]]』<br />『[[嵐の宿題くん]]』など
 
|その他=オーケープロダクション取締役
 
|備考=
 
}}
 
'''小倉 智昭'''(おぐら ともあき、[[1947年]][[5月25日]] - )は、[[日本]]の[[フリーアナウンサー]]、[[タレント]]、[[司会|司会者]]、[[ラジオパーソナリティ]]である。元[[テレビ東京|東京12チャンネル(現:テレビ東京)]]<ref name="12ch"/>[[日本のアナウンサー|アナウンサー]]。[[身長]]は173cm。[[体重]]は75kg。趣味、特技は[[ゴルフ]]。[[東京都]][[練馬区]]在住。既婚。元[[オーケープロダクション]]取締役で、現在は[[オールラウンド]]に所属。
 
  
== 来歴・人物 ==
 
=== 生い立ち ===
 
[[帝国石油]]の技術者だった父親と<ref name="nikkansports">[[日刊スポーツ]] 2006年6月4日(28面)『日曜日のヒーロー519・小倉智昭』より。</ref>、[[鹿児島市]]出身の母親のもと<ref>{{Cite book|和書|author=[[武田鉄矢]]ほか|date=1996-05|title=あの日あの時母の顔 私の母語り|publisher=小学館|isbn=4-09-387179-5|pages=180}}</ref>、当時の父の赴任先だった秋田県<ref name="bunshun">[[週刊文春]] 2002年1月31日号 p.142-146「[[阿川佐和子]]のこの人に会いたい」</ref>に生まれた{{refnest|group="注釈"|本籍地は[[香川県]][[丸亀市]]であるという<ref name="shincho">[[週刊新潮]] 2004年11月11日号 p.46-47「短期集中連載『キャスター誕生!』最終回」</ref>}}。小学2、3年生の時に[[東京]]・[[新宿]]へ移り、小学4年生から再び秋田へ。中学進学後再び東京へ移った<ref name="bunshun"/>。祖父は[[宮大工]]<ref name="shincho"/>。
 
 
世田谷区立梅丘中学校出身。「友達を多くつくるために、勉強よりも体を鍛えること」という父親の方針のもとで育ち、子供の頃からスポーツ好きだった。そのため[[陸上競技]]の記録を伸ばすことばかり夢中になり、成績は[[体育]]だけが跳び抜けて良く、それ以外は平凡なものであった。陸上では世田谷区大会で優勝したことがある<ref name="bunshun"/>。[[中央大学附属中学校・高等学校|中央大学附属高等学校]]では陸上部に所属<ref name="nikkansports"/>。高校生時代は[[100m走]]で10秒9の記録を出したこともある<ref name="anzen">安全衛生のひろば(労働省労働基準局安全衛生部監修 中央労働災害防止協会発行)1991年2月号 p.4-7「対談 [[中尾彬]]のトークギャラリー」</ref>。ある日父が学校に「陸上部辞めたら学校も辞めなければいけないんでしょうか」と相談しに来たことを聞き、これをきっかけに勉強と陸上の両方を頑張るようになった<ref name="bunshun"/>。大学進学時、そのまま[[中央大学]]に進学するものと思われていたが「[[スペイン語]]を学びたい」と言い出し(当時の中大にはスペイン語学科が無かった)<ref name="shincho"/>、また中央大学には「陸上部で嫌いだった先輩が行ったから」という理由で進学せず、[[上智大学]]を受験するも不合格。最終的に[[獨協大学]]外国語学部フランス語学科へ進学した<ref name="nikkansports"/>。獨協大学でも陸上部に所属し陸上競技会に出場した後、東京都陸上競技連盟から[[国民体育大会|国体]]出場の通知を受けたこともある<ref name="nikkansports"/>。しかし大学陸上部は2年で退部。足を怪我したことや、当時[[バンド (音楽)|バンド]]活動で十分稼げるようになっていたからだという。バンドでは[[ボーカル]]と[[バンド (音楽)|ベース]]を担当<ref name="nikkansports"/>、デパートの屋上の[[ビアガーデン]]で[[ビートルズ]]の曲を演奏するアルバイトをやっていた<ref name="shincho"/>。幼い頃から[[吃音症]]に悩まされ、また秋田出身であることから[[訛り]]もひどかったこともあり後にアナウンサー職に就いたのは、吃音を克服するため、あえて喋ることを仕事とする道を志したためであるという<ref name="nikkansports"/>。
 
 
=== 東京12チャンネルアナウンサー ===
 
アナウンサー試験では[[文化放送]]は1次選考、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]は最終選考で不合格<ref name="nikkansports"/>。最終的に東京12チャンネル<ref name="12ch"/>へアナウンサーとして入社した。入社試験に合格した決め手は、フリートーク試験のお題が競馬だったからだと言う(当時東京12チャンネルが、競馬のアナウンサーが欲しかったみたいだったからとも話している)<ref name="post">[[週刊ポスト]] 2008年3月28日号 p.60-63「[[眞鍋かをり]]のココだけで教えて!」</ref>。高校生のころ[[東京都]][[府中市 (東京都)|府中市]]に住んでいたことで<ref name="post"/>当時から競馬をやっていたため競馬に詳しかったことから『[[土曜競馬中継|競馬中継]]』実況アナウンサーとして活躍し、毎週土曜日午後のワイド番組『[[ザ・ロンゲストショー]]』の中で競馬中継を担当した<ref>小倉自身は競馬実況担当時代の想い出として「[[ハイセイコー]]のレース(昭和49年第6回[[東京競馬場|東京競馬]] 第9競走 サラ系4歳上オープン 芝1,800m、1974年11月9日【土】[https://web.archive.org/web/20161002044355/http://members3.jcom.home.ne.jp/y_arima/haiseiko/races/open.html (サラ系4歳上)オープン] ハイセイコーの成績参照)を実況したこと」を挙げている。</ref>。予てから小倉の実力を認めていた[[山城新伍]]が司会を務める『[[独占!男の時間]]』にも起用された<ref>{{Cite news |title=「死去」山城新伍との出会い 「小倉智昭の人生」変えた理由 |url=http://www.j-cast.com/tv/2009/08/14047436.html |newspaper=J=CAST テレビウォッチ |date=2009-08-14 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140222133904/http://www.j-cast.com/tv/2009/08/14047436.html |archivedate=2014-02-22 |accessdate=2014-05-30 }}</ref>。競馬ファンから「競馬中継なら小倉」と言わしめるほどであったという。
 
 
しかしながら、競馬実況アナウンサーとして周囲より早く出世したことや、後輩への競馬実況術を指導したことが当時のスタッフや同僚アナウンサーから反感を買い<ref>当時のアナウンス業界では、技術は盗んで覚えるものとされ、先輩から後輩への技術指導は好ましく思われなかった</ref>、さらに当時人気番組である一方で「ワースト番組」上位にも挙げられていた『独占!男の時間』への出演を巡り(最初は競馬コーナーのみの担当だったが、その人気からレギュラー出演となった)、上層部と衝突を起こすようになる。
 
 
=== フリー転身 ===
 
[[大橋巨泉]]が『[[日曜競馬ニッポン|大橋巨泉の日曜競馬ニッポン]]』([[ニッポン放送]])をスタートさせるにあたり小倉を起用することを決め、巨泉のスカウトに乗る形で29歳のときに東京12チャンネルを退社し<ref name="post"/>、フリーアナウンサーとして大橋巨泉事務所(現:オーケープロダクション)に所属した。このとき前妻と[[離婚]]した。フリーランス転身後は仕事が入らず鳴かず飛ばずの状態が続いた。当時について小倉は「税金なんか当たり前、養育費も公共料金の支払いも滞納が続いた」「質屋と古本屋には本当にお世話になった」という状態が続き、電気・ガス・水道は止められ、電車賃が払えずアパートまで歩いて帰宅し、電車賃を工面するため開店前の古本屋を叩き起こしては本を売り現金化する日々が続いた<ref name="shincho"/>。「前妻の父が学者で、本を出すのに金がかかるから」{{refnest|group="注釈"|父は(小倉と)結婚前に亡くなっているとの前妻の談である<ref name="shincho"/>}}「子供の指の手術代に」などと理由を付けて同僚から金を借りたこともあった<ref name="shincho"/>。時折、父親から食べ物の差し入れがアパートのドアノブに引っ掛けてあり飢えを凌いだ<ref name="shincho"/>。また、[[給料]]の前借りが日常的であったことから「[[バンス]]の小倉」とあだ名を付けられた<ref name="bunshun"/>。
 
 
その後、古巣であるテレビ東京の『[[タミヤRCカーグランプリ]]』での軽快で個性的なナレーション(自称「小倉のお兄さん」)で小中学生からの注目を集め、さらに『[[小川宏ショー]]』のリポーター、『[[アイ・アイゲーム]]』([[フジテレビジョン|フジテレビ]])や『[[世界まるごとHOWマッチ]]』([[毎日放送]])のナレーションが転機となる。『RCカーグランプリ』や『HOWマッチ』では甲高い声と早口で洒脱なナレーションで名前を知られた。当時のキャッチフレーズは “七色の声を持つナレーター” であった。
 
 
また、ラジオパーソナリティとしても頭角を現し、[[文化放送]]『とことん気になる11時』([[1984年]] - [[1987年]])、『小倉智昭の時計の針はいま何時?』(1987年 - [[1991年]])、『[[小倉智昭のニュースアタックル]]』、『[[小倉智昭の夕焼けアタックル]]』([[1992年]] - 1999年)など、平日の帯ワイド番組に長期に亘って出演した。
 
 
フリー転身後もしばらくの間は、[[公営競技]]のレース実況を手掛けており、競馬以外でも[[日本選手権オートレース]](第10回、第13回)、[[第36回日本選手権競輪]]などで実況を担当している。
 
 
=== 司会者として ===
 
ラジオパーソナリティでの話術ぶりを評価され、『[[キャッチ (ワイドショー番組)|キャッチ]]』([[日本テレビ放送網|日本テレビ]]、[[1989年]] - [[1992年]])、『[[ジョーダンじゃない!?]]』(フジテレビ、[[1992年]] - [[1993年]])、『[[どうーなってるの?!]]』(フジテレビ、[[1993年]] - [[1999年]])などの[[ワイドショー]]に次々にメイン司会で起用され、着実に足場を固めて行く。
 
 
そして[[1999年]]4月にスタートした『[[情報プレゼンター とくダネ!]]』(フジテレビ)で、司会者としての地位を確実なものにした。就職活動当時の1970年、小倉はフジテレビジョンが第一志望であり、入社したら朝のワイドショーを担当したいと入社面接時に話していたが不合格に終わったため、『28年来の願いが叶った』と、番組スタートの記者会見の場で語った<ref>{{cite news|url=http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/07/28/kiji/K20160728013051460.html|title=小倉智昭氏「とくダネ」で最多記録達成 大先輩超え「まずかったかな…」|newspaper=スポニチアネックス|date=2016-07-28|accessdate=2016-07-28}}</ref>。
 
 
『とくダネ!』の[[裏番組]]だった『[[はなまるマーケット]]』([[TBSテレビ|TBS]])には出演できないため、[[2000年]]に『はなまるマーケット』の姉妹番組として深夜に放映された『ウラまるカフェ』(TBS)にゲスト出演して[[薬丸裕英]]とのトーク共演を果たしている。
 
 
『とくダネ!』の裏番組『[[あさイチ]]』([[NHK総合テレビジョン|NHK総合テレビ]])を強く意識していると述べている。『あさイチ』の初代キャスターを務めた[[有働由美子]](元[[日本放送協会|NHK]]アナウンサー)とは、コンサートで顔を合わせることもあるが、あまり口を利かないという。小倉は有働をライバル視していた<ref>[https://www.daily.co.jp/gossip/2017/05/30/0010238104.shtml 小倉智昭、敵は有働由美子?に「そりゃそうですよ」],デイリースポーツ,2017年5月30日</ref>。小倉が2017年5月30日放送のNHK総合テレビ『[[ごごナマ]]』で有働のことをライバルと公言した後、有働は小倉に「ライバルなんて言っていただいて光栄です」と手紙を送った。小倉はこの手紙を宝物として飾っている<ref>[http://www.hochi.co.jp/entertainment/20180404-OHT1T50077.html 小倉智昭氏明かす…「ライバル」発言にNHK退社・有働アナから手紙届いた],スポーツ報知,2018年4月4日</ref><ref>[https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201804040000254.html 小倉智昭“ライバル”発言で有働アナから手紙…宝物],日刊スポーツ,2018年4月4日</ref>。
 
 
『とくダネ!』の司会を務める立場として、2010年春にNHKが行った総合テレビにおける『[[連続テレビ小説]]』の放送時間を8時15分から8時に繰り上げた改編に不満を持っている<ref>[http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1832142.html 小倉智昭、有働アナにライバル心?「口きかない」],日刊スポーツ,2017年5月30日</ref>。
 
 
[[マラソン]]に対する造詣は深く、[[フジネットワーク|フジテレビ系列]]のマラソン中継([[北海道マラソン|北海道]]、[[大阪国際女子マラソン|大阪]]・[[名古屋国際女子マラソン|名古屋]]の両女子と奇数年の[[東京マラソン|東京]]、並びに[[国際千葉駅伝]])のゲスト兼応援団長をダブルで出演している。
 
 
Sagooooワークス調べの「実は朝から見たくない朝の顔」(100人調査)ではジャスト半数の50票を獲得し1位に輝いた。見たくない理由として「とにかく偉そうな上から目線の言い方が不愉快ですから。朝からどころか1日中見たくないのが、この人ではないでしょうか」、「自分がどんなに嫌われているのか知っているのか? 性格の悪さが前面に出ている」<ref>[http://www.cyzowoman.com/2015/11/post_18014.html 「小倉は偏見だらけ」「羽鳥は腹黒い」100名に聞いた“実は朝から見たくない”MCランキング]サイゾーウーマン世論調査.2015年11月22日付・閲覧</ref>。2016年に行われた『VenusTap』の全国の既婚女性500人を対象に「あなたが嫌いな情報番組の司会者は誰ですか?」というアンケート調査
 
では2位の[[坂上忍]]に大差をつけて1位になった<ref>[http://news.infoseek.co.jp/article/venustap_1683393/ 4位加藤浩次!「主婦が嫌いな司会者ランキング」1位の朝の顔は]VenusTap / 2016年5月2日 21時40分</ref>。
 
 
2016年5月13日、初期の[[膀胱がん]]を公表し、翌週の5月16日から手術のため1週間休養<ref>{{cite news|url=http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/05/16/kiji/K20160516012597570.html|title=小倉智昭氏が休養入り “代役”笠井アナ「ゆっくりしてください」|newspaper=スポニチアネックス|date=2016-05-16|accessdate=2016-05-16}}</ref>。17日手術、21日に退院し、23日に番組復帰を果たす<ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1651741.html|title=小倉智昭キャスターぼうこうがん手術から番組に復帰|newspaper=日刊スポーツ|date=2016-05-23|accessdate=2016-05-23}}</ref>。
 
 
2016年7月28日、『とくダネ!』の放送回数が4452回となり、同一司会者による全国ネット[[情報番組]]としての最多放送回数を達成した<ref>{{cite news|url=http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/07/28/kiji/K20160728013051460.html|title=小倉智昭氏「とくダネ」で最多記録達成 大先輩超え「まずかったかな…」|newspaper=スポニチアネックス|date=2016-07-28|accessdate=2016-07-28}}</ref>。
 
 
=== 私生活 ===
 
[[1976年]]([[昭和]]51年)のフリー転身当時、小倉には多額の借金があり最初の妻と離婚{{refnest|group="注釈"|ただ小倉本人は「借金が原因で別れたのではない」と話している<ref name="shincho"/>}}。その後、15歳年下の女性と再婚(現在の妻は当時女子大生で大学卒業と同時に結婚(小倉は再婚))。最初の妻との間には子がいるが、現在の妻との間には子はいない。
 
 
[[日本プロ野球|プロ野球]]・[[埼玉西武ライオンズ]]ファンであり、[[清原和博]]のファンでもある。[[西武ドーム]]のシーズンシートを購入している。2009年には本拠地開幕戦始球式に参加した。プロ野球の[[クライマックスシリーズ]](CS)には消極的な考えである。
 
 
== 経営関連 ==
 
旧所属のオーケープロダクションで取締役を務めていたほか、小倉智昭オリジナルブランド「O-GLAND(オーグランド)」の販売なども行っている、グッズ企画や販売、輸出入を事業とする商社『バイオテクニカ』の代表取締役を務めている。
 
 
大橋巨泉に「タレントは使い捨てだから、いつ捨てられても生活していけるように事業を起こせ」と助言され、上記以外にも焼肉店を経営している他、北海道[[石狩郡]][[当別町]]にあるラーメン店「なかむら」を[[のれん分け]]してもらい、自らも出資してオーナーとなっており<ref>[[宝石 (雑誌)|宝石]]([[光文社]])1997年11月号「十年十食 石狩太美のラーメン」</ref>、現在、[[中野坂上駅|中野坂上]]と[[ワイキキ]]に出店している<ref name="bunshun"/>(なお中野坂上店は、1階にあったラーメン店を廃業し、階上にあった同名の焼肉店を階下に店舗拡張している)。
 
 
自らが焼肉店を営業していることもあり、[[フーズ・フォーラス]]が起こした[[ユッケ]]による[[食中毒]]事件に関しては「焼肉食べて中毒で死ぬ人よりも、[[フグ]]の毒で死ぬ人のほうが年間にしては多いんじゃないかと思う」と言及し、生肉の取り扱い規制に対して反対意見を示した。しかし[[厚生労働省]]の発表<ref>[http://www.mhlw.go.jp/topics/syokuchu/03b.html 厚生労働省:食中毒に関する情報]</ref>によると平成15年から21年にかけて、フグ毒による食中毒の年間死者数は3人以下である<ref>この中には釣ったフグを素人が調理したことによる事故も含まれており、これを除けば更に死者数は減少する</ref>。
 
 
== エピソード ==
 
; 血液型
 
血液型はB型だが、幼少時より両親から「お前はA型だ」と言われていたため、40歳の時に検査してB型だと判明するまでA型だと思い込んでいたという。
 
; オリンピック
 
[[1997年]][[5月]]にTBSテレビで放送された『[[そこが知りたい]]』(アナウンサーを取り上げた回)では、'''夢はオリンピックの実況'''と語っていた。2000年の[[シドニーオリンピック]]は弾丸ツアーに参加してまで観戦<ref name="nikkansports"/>。2008年の[[北京オリンピック]]では、フジテレビから派遣されて現地で生観戦し、日本がメダルを獲得した25種目のうち24種目を生観戦し、金メダルは全て生で見たという<ref>『週刊文春』2008年9月4日号、pp.35-36</ref>。
 
:[[1964年]]の[[前東京オリンピック|東京オリンピック]]で、聖火ランナーを務めた(高校2年生、東京都[[府中市 (東京都)|府中市]])<ref>「マイク人生 東京五輪までは」日本経済新聞2016年3月5日夕刊16面</ref>。
 
; カツラの着用
 
カツラ着用者であることは講演会などでカミングアウト済みである<ref>『[[女性セブン]]』2002年1月3日・10日合併号</ref>。講演などではカツラを外すこともあるが、テレビやラジオで取り立てて言うことではないとして、皆判っていることという姿勢を貫いている。
 
 
『[[週刊文春]]』はカツラについて2度記事に取り上げ、2度目の際には「10年前にも同じ質問したでしょ」と小倉からたしなめられている。
 
 
[[2002年]]、『週刊文春』1月31日号の「[[阿川佐和子]]のこの人に会いたい」でカツラ着用について「別に隠してもいないし、皆知ってますよ」「ズレたりなんかしないし、長いのとか短いのとか持ってませんよ。僕は総カツラじゃないんだから(笑)。ほとんどが自分の髪なんだから」「ちゃんとに1ヶ月に1回、美容院行って髪は切ってるし、スッポリ被ってるわけじゃないですよ」と語った。
 
 
[[2003年]][[4月]]、『とくダネ!』のオープニング(同年[[3月31日]]放映)で挨拶をしたときにカツラがとれたという動画が流れ、[[東京スポーツ]]の一面に載る程にまで話題となった。実際に生放送中に外れたことは無く、動画作成者が手を加えたものである。
 
; コンタクトレンズと白内障手術
 
仕事中はほとんど[[コンタクトレンズ]]を装着しているため、それについての話題になると熱くなる傾向がある。ただし、2012年4月6日に両眼の[[白内障]]手術を受けたことをこのほど明らかにし、現在は裸眼で両眼とも視力が1.5に回復したことを語っている<ref>[http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/120410/ent12041009590009-n1.htm 小倉智昭、白内障手術で視力UP「人生観が変わりました!」] 産経新聞 2012年4月10日閲覧</ref>。
 
 
; 同級生
 
[[アニメソング歌手]]の[[水木一郎]]とは中学の同級生で、一緒に漫才をしたこともあるという。2010年12月11日放送の「小倉智昭のラジオサーキット」(ニッポン放送)にゲスト出演し、同窓会トークを繰り広げた<ref>{{Cite web|url=http://www.1242.com/ogura/information/?line=70|title=水木一郎アニキ!ありがとうございました~。|work=小倉智昭のラジオサーキット|publisher=[[ニッポン放送]]|date=2010-12-11|accessdate=2018-04-07}}</ref>。2011年10月9日放送の「ウチくる!?」(フジテレビ)に水木一郎がゲスト出演した際は、小倉智昭との中学時代のエピソードを話したが<ref>{{Cite web|url=https://datazoo.jp/tv/%E3%82%A6%E3%83%81%E3%81%8F%E3%82%8B%EF%BC%81%EF%BC%9F/517406|title=2011年10月9日放送 ウチくる!?|work=TVでた蔵|publisher=[[ワイヤーアクション (企業)|ワイヤーアクション]]|date=2011-10-09|accessdate=2018-04-07}}</ref>。
 
 
; 交友関係
 
[[俳優]]の[[萩原流行]]とは友人で[[さんまのまんま]](1998年5月5日)では2人でゲスト出演した事がある<ref>[http://www.ktv.jp/mamma/backnumber1998.html さんまのまんま606 5/5 小倉智昭・萩原流行 芸能界一友達の少ない二人]関西テレビ2015年4月23日付・閲覧</ref>。所属事務所入りを手助けしたこともあり、2015年4月23日のとくダネで前日交通事故で亡くなった萩原について「非常にショックです。僕は、彼の芸能界の少ない友人でした。家もそばなので今朝早く、彼の家の前で手を合わせてきました。こんな形で彼の事故を伝えることになるとは…」とコメントした<ref>[http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1465729.html 小倉智昭「非常にショック」友人萩原流行さんを追悼]日刊スポーツ2015年4月23日付・閲覧</ref>。
 
 
[[日高晤郎]]とも長い付き合いがあり、小倉の結婚式の司会を日高が務めていたことがある。2018年4月4日放送の『とくダネ!』のエンディングで日高の訃報に触れ、追悼のコメントをした<ref>{{Cite web|url=http://www.hochi.co.jp/entertainment/20180404-OHT1T50081.html|title=小倉智昭氏、日高晤郎さん悼む「僕の結婚式の司会をやってくれた。しゃべりの天才だった」|publisher=[[スポーツ報知]]|date=2018-04-04|accessdate=2018-04-07}}</ref>。
 
 
===暴言・失言等===
 
;メジャー移籍した上原への暴言
 
2009年4月9日『とくダネ!』の放送中、[[ボルチモア・オリオールズ]]に移籍した[[上原浩治]]投手の初登板を中継していた場面で、「オレ、上原って、一シーズン(昨シーズン?)は自分で演出してダメになってたと思うんだよね」との暴言をつぶき<ref>{{cite news|url=http://www.j-cast.com/tv/2009/04/09039132.html |title=上原「大リーグ初勝利」のウラ 小倉「(不調は)自分で演出して…」 |newspaper= J-CAST ニュース |date=2009-04-09|accessdate=2013-10-22}}</ref>、翌10日のオープニングでも「巨人は出してくれなかった。それでちょっと腐っちゃったな」と勝手な自説を展開し、「ボルティモアはとっても安い買い物をした」と語った<ref>{{cite news|url=http://www.j-cast.com/tv/2009/04/10039229.html |title=上原投手「昨期手を抜いた」説 小倉の見立てとFAの本質 |newspaper= J-CAST ニュース |date=2009-04-10|accessdate=2013-10-22}}</ref>。
 
 
; 闇社会との関係
 
2011年8月24日に出演した『とくダネ!』で、闇社会を容認すると受け取れる発言をし、[[ネット掲示板]]などで批判が多数寄せられた<ref>{{cite news|title=〈速報〉紳助さん関連 小倉氏発言に批判殺到|newspaper=日刊スポーツ芸能ニュース|publisher=日刊スポーツ新聞社|date=2011-08-25|url=http://www.asahi.com/showbiz/nikkan/NIK201108250002.html|accessdate=2011-12-09}}</ref>。8月26日、同番組で、釈明をした上で誤解があったら申し訳ないと謝罪した<ref>{{cite news|title=〈速報〉小倉キャスターが番組内で釈明、お詫び|newspaper=日刊スポーツ芸能ニュース|publisher=日刊スポーツ新聞社|date=2011-08-26|url=http://www.asahi.com/showbiz/nikkan/NIK201108260015.html|accessdate=2011-12-09}}</ref>。かつて[[警察庁]]暴力団対策課長を務めていた[[参議院|参議院議員]]の[[小野次郎 (政治家)|小野次郎]]は小倉の発言を不適切であるとして、謝罪と番組降板を求めた<ref>{{Twitter status|Wikipedia|106688035940335616|小野次郎(参議院議員)2011年8月25日の発言}} - [[小野次郎 (政治家)|小野次郎]]</ref>。
 
 
; 潰瘍性大腸炎患者を差別する発言
 
[[2012年]]9月27日に『とくダネ!』の放送の中で、「[[潰瘍性大腸炎]]」(全国に11万人以上の患者がいる[[厚生労働省]]指定の難病<ref>[http://www.nanbyou.or.jp/entry/62 潰瘍性大腸炎([[公費負担医療]]) 公益財団法人 難病医学研究財団 難病情報センター</ref>)の悪化で[[2007年]][[9月12日]]に辞任した[[安倍晋三]]([[内閣総理大臣]]第1期時代、病気を理由に辞任)の[[2012年自由民主党総裁選挙|自民党総裁選]]出馬について、共演者の[[田中雅子]]が「辞め方が...。1年で、もうお腹痛くなっちゃって辞めちゃったということで…」と発言し、この発言に続けて小倉が「(安倍の2007年の病気による辞任は)ちょっと子供みたいだったと思うよ」と発言し、続けて田中は「そうなんで すよ、そうなんですよ」と発言した。小倉と田中が、'''[[厚生労働省]]指定の'''「'''難病'''」である潰瘍性大腸炎を、単なる「腹痛」と軽視して、潰瘍性大腸炎に罹患する患者全体に対する誤解を生む差別的発言をしたことに対して、「好き好んで病気になる人がいますか?」「難病だし、苦しんでる人がいるのに」「同じ病気の私は複雑な気持ち」といった批判や疑問が相次いだ<ref>[http://www.j-cast.com/2012/09/28148223.html 安倍元首相の「腹痛」を揶揄 「とくダネ!」に疑問相次ぐ] J-CASTニュース 9月28日 20時2分配信</ref><ref>[http://getnews.jp/archives/256459 フジテレビ『とくダネ!』で厚生省指定の難病を「お腹が痛くて」と表現し安倍総裁批判] ガジェット通信 9月28日16時45分配信</ref>。
 
同年10月1日同番組の放送で、「さて、ここでお詫びをさせていただきたいと思います。先週の木曜日、自民党の安倍新総裁の体調に触れた際、潰瘍性大腸炎という難病であるにもかかわらず不適切な表現をしてしまいました。もちろん、病気に苦しむ方を傷つけるつもりはありませんでした。お詫びをさせていただきます。では続いてお天気です。[[天達武史|アマタツッ!]]」と安倍については言及しないままで謝罪をした<ref>{{cite web|url=http://www.j-cast.com/2012/10/01148485.html?p=all|title=安倍氏「腹痛辞任」コメントは不適切 「とくダネ!」小倉キャスターが謝罪|publisher=JCASTニュース|date=2012-10-01|accessdate=2012-10-05}}</ref>。
 
 
; 体罰に関しての見解の報道
 
J-CASTテレビウォッチは、2013年1月11日付の配信記事で、大阪市立桜宮高校のバスケットボール部に所属する生徒が自殺した問題に関して、『スポーツに一家言持つ小倉智昭キャスターはそうしたコメンテイターたちに比べると「規律重視」派のようだ。けさは「勝つことを目指すのは人格形成に役立つ」と勝利志向主義の意義を力強く訴え、別の段では、体罰について「もちろんよくないが、目をつぶってもいいんじゃないという体罰もあるかもしれない」と、一定の宥和的な態度を示した』と、小倉の体罰に関する見解を消極的容認派ではないかという解釈のもと、報道した<ref>[http://www.j-cast.com/tv/2013/01/11160950.html 小倉智昭は体罰容認派?「目つぶってもいいんじゃないというのもある」]J-CAST1テレビウォッチ2013年1月11日付、2013年1月12日閲覧</ref>。
 
 
; [[レディー・ガガ]]に対しての暴言
 
2014年12月3日の『とくダネ!』海外ニュースコーナーでは、ガガが過去に披露した奇抜な衣装をVTRで紹介。小倉は呆れ顔で「名前変えたほうがいいよ。レディー・バガ」とばっさり。これには、ガガファンや一部視聴者が、不快感を露わに。ネット上では「『とくダネ!』が、ガガ様を嘲笑ってる」「小倉に謝ってほしい」「小倉ってそんなに偉いんですか?」といった声が見受けられた<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/9541788/ レディー・ガガを「バガ」呼ばわりした小倉智昭に、批判殺到中!「ジジイ・ヅラに改名したらいいのに」]日刊サイゾー2014年12月2日付・閲覧</ref>。
 
 
; [[庄司哲郎]]への資金提供
 
『週刊文春』(2016年9月8日号)に[[覚醒剤]]取締法違反(所持)容疑で逮捕された庄司に小倉が資金提供をしていたと報じられた件に関し、「つらい…自分のがん告知より悲しかった」と述べた<ref>[http://www.oricon.co.jp/news/2077709/full/],ORICON STYLE,2016年9月1日付,閲覧</ref>。
 
 
== 趣味 ==
 
学生時代は[[クレー射撃]]、[[スキー]]も得意にしていた頃があった<ref name="anzen"/>。
 
 
[[オーディオ・ビジュアル|AV]](音響・映像)関係に造詣の深い[[オーディオマニア]]として知られており、CDは毎日3枚、DVDは1枚視聴することを自らに対するノルマとしている。また、自宅や[[北海道]]にAVルームを所有しており、[[THX]]マークをクレジットすることを[[ホームシアター]]としては日本で初めて個人で許。オーディオマニアであることから[[秋葉原]]にもよく通い、[[秋葉原ラジオ会館]]の閉鎖が決定したときはラジオ会館の思い出を綴った。また、HD機を4台持っているという<ref>{{Cite web|url=https://av.watch.impress.co.jp/docs/20050926/avf06.htm|title=小倉智昭氏が語る最新ホームシアター事情-小倉シアター浸水! BD/HD DVD分裂は「ダメだねー」|publisher=AV Watch|date=2005-09-26|accessdate=2018-07-24}}</ref><ref>[[ダカーポ (雑誌)|ダカーポ]]([[マガジンハウス]])2002年7月17日 p.64~67「豪 for it!--当たって砕けろ」</ref>。
 
 
60歳([[2006年]]頃)から趣味として[[ドラムセット|ドラム]]を始めており、自宅にはドラムセットが設置されている。この部屋の模様は、[[2007年]][[11月23日]]放送の『とくダネ!』のおやじバンド特集で紹介されており、ギターなどほかの楽器も置かれている。[[2008年]][[4月23日]]放送の『とくダネ!』で9歳の[[ジャズ]][[ドラマー]]、[[鬼束大我]]が本日メジャーデビューしたことが紹介され、スタジオで生演奏を披露した際にも、ドラムをしていることを公表した。さらに、2012年1月1日に[[日本テレビ]]で放送された[[世界1のSHOWタイム〜ギャラを決めるのはアナタ〜]]で、元[[カシオペア (バンド)|カシオペア]]のドラマー、[[神保彰]]の「自称追っかけ」であることを明かし、自らのリクエストによって神保が出演し、ドラムを披露している<ref>{{Cite web|url=https://tvtopic.goo.ne.jp/program/ntv/22393/535654/|title=世界1のSHOWタイム 第5弾 新春4時間半SP〜ギャラを決めるのはアナタ〜|publisher=gooテレビ|date=2012-01-01|accessdate=2018-04-07}}</ref>。
 
 
ビジネス誌『[[東洋経済新報社|週刊東洋経済]]』にてコラム「ゴルフざんまい」を月に一度の間隔で連載している。<br />
 
2008年[[9月26日]]の『とくダネ!』の「小倉智昭の週刊!エンタ☆マイスター」でブリッティッシュロックや[[プログレッシブ・ロック]]が好きだと発言した<ref name="tokudane080926">{{Cite web|url=http://kakaku.com/tv/channel=8/programID=877/episodeID=200268/|title=「情報プレゼンター とくダネ!」 2008年9月26日(金)放送内容|publisher=[[カカクコム]]|date=2008-09-26|accessdate=2018-04-07}}</ref>。また、同日の同コーナーで生ゲスト出演した[[ポール・アンカ]]は、青春時代に聞いていたようで来て早々ハグしている<ref name="tokudane080926"/>。
 
 
また、[[シンガーソングライター]]の[[絢香]]のファンでもあり、自称「お父さん」を公言している。絢香が活動休止の最中、[[2010年]][[9月20日]]に絢香の夫で[[俳優]]の[[水嶋ヒロ]]が執筆活動専念のため、所属事務所・[[研音グループ|研音]](絢香も研音に所属していた)を退社・俳優業引退の方向とメディアに報じられた際、絢香は小倉に、水嶋は執筆活動などと共に俳優業を続ける意向であるとし、2人は事実と異なる報道に困惑しているとの趣のメールを送り、このメールの内容を小倉は[[9月23日|23日]]放送分の『とくダネ!』で公開した<ref>{{Cite web|url=https://datazoo.jp/tv/%E6%83%85%E5%A0%B1%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%80%80%E3%81%A8%E3%81%8F%E3%83%80%E3%83%8D%EF%BC%81/435651|title=2010年9月23日放送 情報プレゼンター とくダネ!|work=TVでた蔵|publisher=[[ワイヤーアクション (企業)|ワイヤーアクション]]|date=2010-09-23|accessdate=2018-04-07}}</ref>。また、水嶋の引退を報じたメディアは2010年9月20日時点で絢香が研音にまだ所属中ということになっていたが、絢香が小倉に送ったメールの中には活動休止前最後のステージとなった[[2009年]][[12月31日]]の[[日本放送協会|NHK]]『[[第60回NHK紅白歌合戦]]』終了後に研音を退社していたとのことで、実際は絢香のメールでの発言通りだったことも判明した。
 
 
その他、[[WaT]]とも親しく、番組でも共演した[[嵐 (グループ)|嵐]]とは交流があり、彼らのライブにも行っている。
 
 
『ごごナマ』出演時、午後の各局情報番組をチェックしていることを明かし、「それぞれ個性があって面白い」と発言<ref>[https://tvtopic.goo.ne.jp/program/nhk/72252/1066181/ ごごナマ おしゃべり日和「小倉智昭さん 70歳!波乱万丈の人生秘話!!」],goo</ref>。
 
 
== 現在の出演番組 ==
 
=== レギュラー番組 ===
 
* [[情報プレゼンター とくダネ!]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]]、1999年4月 - )
 
* 恋するクラシック(BS日テレ、2018年4月2日 - )
 
 
=== 不定期・単発番組 ===
 
* [[大阪国際女子マラソン]]([[関西テレビ放送|関西テレビ]])
 
* [[東京マラソン]](西暦奇数年、フジテレビ)
 
* [[北海道マラソン]]([[北海道文化放送]])
 
* [[わかるテレビ]](フジテレビ)天の声
 
* [[FNS歌謡祭]](フジテレビ)2008年以降、観覧ゲストとして出演。
 
* PC新時代を楽しもう!最強セキュリティ法と活用術([[BSフジ]]制作、[[ニコニコ生放送]])MC
 
 
その他、フジテレビの[[報道特別番組]]、[[ドキュメンタリー番組]]等にも出演多数。
 
 
=== ラジオ ===
 
 
=== インターネット放送 ===
 
* 週刊 小倉智昭〜担当者でてこい!〜 ([[Bee TV]])
 
 
== 過去の出演番組 ==
 
<!-- 単発のゲスト出演は不要。レギュラー番組のみ記述をお願いします。「Wikipedia:ウィキプロジェクト 芸能人」参照 -->
 
=== テレビ ===
 
* [[小川宏ショー]](フジテレビ)レポーター
 
* [[ザ・ロンゲストショー]]【競馬中継実況担当】(東京12チャンネル=現・[[テレビ東京]])
 
* [[ニューストレイン出発進行]](東京12チャンネル=現・テレビ東京)
 
* [[独占!男の時間]](東京12チャンネル=現・テレビ東京)
 
* [[サタデーナイトショー]](テレビ東京)ナレーション
 
* [[ぐんま・雷・からっ風]]([[群馬テレビ]])
 
* [[アイ・アイゲーム]](フジテレビ)
 
* [[ヤンヤン歌うスタジオ]](テレビ東京)※一時期ナレーション
 
* [[世界のプロレス]](テレビ東京)ナレーション
 
* [[世界まるごとHOWマッチ]]([[毎日放送]])ナレーション
 
* [[巨泉のこんなモノいらない!?]](日本テレビ) ナレーション ※巨泉夏休み中は代行司会も担当
 
* [[紅白そっくり大賞]](フジテレビ)※ナレーション
 
* [[キャッチ_(ワイドショー番組)|キャッチ]](日本テレビ)
 
* [[ジョーダンじゃない!?]](フジテレビ)
 
* [[キモチいい恋したい!]] 最終話 (フジテレビ、1990年9月24日) - ナレーション
 
* [[どうーなってるの?!]](フジテレビ、1993年4月5日 - 1999年3月31日)
 
* [[世界バリバリ★バリュー]](毎日放送)※一時代行司会を担当
 
* [[タミヤRCカーグランプリ]](テレビ東京)※初代ナレーション(2代目は[[関口伸]]が担当)
 
* [[TONでネットワーク]](テレビ東京)
 
* [[とくダネ!発 GO-ガイ!]](フジテレビ)
 
* [[パソコンサンデー]]([[テレビ大阪]])
 
* [[メトロポリタンジャーニー]](フジテレビ、旅の提案者「チーフトラベルプランナー」)
 
* [[アイ・アイゲーム]](フジテレビ)※オープニングナレーション
 
* [[せきらら白書]]([[テレビ朝日]])
 
* [[こんな学園みたことない!]]([[讀賣テレビ放送|読売テレビ]])※ナレーション
 
* [[衝撃の映像クラッシュ]](TBS)※ナレーション
 
* [[スポーツ特Q]](フジテレビ)
 
* [[闘え!脳筋カップルズ]](テレビ朝日)
 
* [[不思議な世界!|不思議な世界!→やっぱり不思議!?]](テレビ東京)
 
* [[爆発ホンネ修羅バトル]](テレビ東京)
 
* [[金ロマン人生いろいろ]](フジテレビ)
 
* [[痛快!知らぬはオトコばかりなり]](フジテレビ)
 
* [[しらばかッ!!]](フジテレビ)
 
* [[しらばかプラス]](フジテレビ)
 
* [[まかせて!!エキスパ]](フジテレビ)
 
* [[わけありバラエティー みんなのヒミツ]](フジテレビ)
 
* [[いまどき!ごはん]](テレビ朝日)
 
* [[絶品!地球まるかじり]](テレビ東京)
 
* [[木曜劇場]] [[非婚家族]](フジテレビ、2001年 第1話ゲスト 影山部長役)
 
* ぐんま・雷・からっ風([[群馬テレビ]])
 
* 明治政府の遺産 海底に眠るニール号の謎([[テレビ静岡]]、2007年8月5日)
 
* [[ハッケン!!]](フジテレビ、2006年10月7日 - 2008年6月28日、一部地域のみ{{要説明|date=2014年4月27日 (日) 13:47 (UTC)}})
 
* [[オジサンズ11]](日本テレビ、2007年10月15日 - 2008年9月8日)
 
* [[サキヨミ]](フジテレビ、不定期コメンテーター)
 
* [[わかるテレビ]](フジテレビ)天の声
 
* [[嵐の宿題くん]]([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])
 
* [[小倉智昭の特命調査隊!国民は怒っているぞ!血税バラまき真相SP]](テレビ朝日)
 
* [[デッドエイジ]](フジテレビ)
 
* [[人生が変わる1分間の深イイ話]](日本テレビ)
 
* 走れ青春 42.195キロ(テレビ東京)
 
* [[TOKYOエアポート〜東京空港管制保安部〜]](フジテレビ、2012年 第9話ゲスト) - 上本仁史 役
 
* [[ガリレオ (テレビドラマ)|ガリレオ 第2シーズン]](フジテレビ、2013年 第9話ゲスト) - 本人 役
 
* [[小倉・住吉のおスミつき!]]([[BS朝日]]、2012年4月 - 2013年3月)
 
* 小倉智昭・住吉美紀の音楽夜話(BS朝日、2013年4月 - 9月)
 
* [[土曜プレミアム]] [[一千兆円の身代金#テレビドラマ|一千兆円の身代金]](フジテレビ、2015年) - 本人 役
 
* [[国際千葉駅伝]](フジテレビ)
 
* [[ヨルタモリ]](フジテレビ)筋肉プレゼンター すじダネ!のMC
 
 
=== ラジオ ===
 
* [[日曜競馬ニッポン|大橋巨泉の日曜競馬ニッポン]]([[ニッポン放送]]、レース実況)
 
* とことん気になる11時(文化放送、[[1984年]][[4月2日]] - [[1987年]][[4月3日]])
 
* 小倉智昭の時計の針はいま何時?(文化放送、1987年 - [[1991年]])
 
* [[小倉智昭のニュースアタックル]](文化放送、[[1992年]])
 
* [[小倉智昭の夕焼けアタックル]](文化放送、1992年 - [[1999年]])
 
* [[小倉智昭のラジオサーキット]] (ニッポン放送、2006年 - 2012年)
 
* 小倉智昭の[[オールナイトニッポンGOLD]](ニッポン放送、2015年6月12日)
 
 
== 映画 ==
 
* [[旅の贈りもの 0:00発]](2006年)(ラジオのアナウンサー)
 
* [[いぬのえいが#犬とあなたの物語 いぬのえいが|犬とあなたの物語 いぬのえいが]](2011年)(愛犬家・鈴木さん役)
 
 
=== 吹き替え ===
 
* [[Mr.インクレディブル]](2004年)(米[[ディズニー]]アニメ、ギルバート・ハフ役)
 
 
=== 本人役 ===
 
* [[UDON]](2006年)(劇中で讃岐うどんブームの紹介をする「とくダネ!」のオープニングシーン)
 
 
==テレビドラマ==
 
* [[噂の刑事トミーとマツ]] 第32話「ああ! トミマツの4回戦ボーイ」(1980年、TBS / [[大映テレビ]]) - リングアナウンサー 役
 
*[[Chef〜三ツ星の給食〜]](2016年) ‐ 小倉智昭
 
 
== アニメーション ==
 
* [[ジャングル大帝#テレビアニメ第4作(2009年)|ジャングル大帝 勇気が未来をかえる]](2006年、テレビスペシャル)([[ヌー]]のドルフ役)
 
 
== 競馬GI級競走実況歴 ==
 
;東京12チャンネル時代
 
* [[皐月賞]](1974年)
 
* [[東京優駿|日本ダービー]](1974年)
 
* [[菊花賞]](1974年)
 
* [[有馬記念]](1974年)
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
=== 注釈 ===
 
<references group="注釈" />
 
=== 出典 ===
 
{{Reflist}}
 
 
== 関連項目 ==
 
*[[天達武史]](「とくダネ!」のお天気コーナーでの呼びかけの「天達ー!」が定番。「朝のヒットスタジオ」放映時は様々な大物アーティストに替え歌で呼ばれていた)
 
 
== 外部リンク ==
 
* [http://www.og-land.com/blog/ 小倉智昭ブログ OG's Diary]
 
 
{{小倉智昭}}
 
{{Normdaten}}
 
 
{{デフォルトソート:おくら ともあき}}
 
[[Category:テレビ東京のアナウンサー]]
 
[[Category:スポーツアナウンサー]]
 
[[Category:競馬アナウンサー]]
 
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[[Category:日本の競馬に関する人物]]
 
[[Category:競輪アナウンサー]]
 
[[Category:オートレースに関連する人物]]
 
[[Category:日本の実業家]]
 
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[[Category:獨協大学出身の人物]]
 
[[Category:秋田県出身の人物]]
 
[[Category:1947年生]]
 
[[Category:存命人物]]
 

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