専門紙

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専門紙(せんもんし)とは、特定産業業界の話題に特化した記事を掲載している新聞専門新聞(せんもんしんぶん)や業界紙(ぎょうかいし)とも呼ばれる。対概念は一般紙。

日本における専門紙

日本における専門紙は、大きく三つに分けられる。読売新聞記者としてマルチメディアの報道に長く従事したマスコミ向け広報の専門家である高橋真人は、三つを下記のように説明している。経済を中心に世事全般を広く扱う「経済紙」、すべての産業分野をカバーし、経済紙に漏れた企業動向を掲載する「産業紙」、もっと細かく、業界内部で働く人々だけを読者層として想定し、業界の詳細情報を掲載する「専門紙」である[1]

各分野における人事、法制、技術、新製品、展示会などのイベント、業界人インタビューなど、業界動向に関する情報が豊富に掲載され、一般的な報道記事は少ないかほとんどない。専門紙は、読者としてその業界に属している人を想定しているので、特化して個人での購読は少なく、法人や事業者による購読比率が高いものが多い(これらは一般的に業界紙と呼ばれる)が、経済紙や産業紙は個人向けに駅売店などでも販売しているケースも多い。最近ではインターネット専業の専門紙も増えている。

発行部数は数百部程度のものから数十万部のものまで様々である。また、発行形態も日刊隔日刊週刊旬刊月刊、紙面もブランケット判タブロイド判・B3版・B5版・A4変形など、多岐にわたる。冊子のものは専門雑誌に分類され、多く業界誌と言われるが、その種別は曖昧である。

戦後、数多くの専門紙が出来、そして消えていった。専門紙『日本加工食品新聞』の執筆・編集に長く従事し、編集長を務めた藤沢周平(小菅留治)の回想によれば、昭和30年代に藤沢が初めて勤めた新聞社は社員が極めて少なく、4ページの新聞が刷り上がると社長自ら広告取りをして歩いており、新聞は短期間で消滅したという[2]

通常は経済若しくはビジネスに関する記事を中心に掲載している新聞を指すが、広義に於いては小・中学生新聞や英字新聞、スポーツ新聞予想紙などを含む。また、政党宗教団体などの機関紙も専門紙に含める事がある。

経済紙

ビジネス全般に関する話題を広く扱う新聞。産業情報紙とも呼ばれる(日本経済新聞は購読者数の多さ・紙面の内容から一般紙として扱われる事が殆どである)。

産業紙

すべての産業分野をカバーし、経済紙に漏れた企業動向を掲載する新聞。日経産業、日経MJは経済紙の日本経済新聞、専門紙の日経金融新聞(現・日経ヴェリタス)と合わせて日経4紙と呼ばれている。

業界紙

特定業種の記事に特化した新聞。業界新聞とも呼ばれる。単に専門紙と言った場合は業界紙を指す場合が多い。多くは一業種一紙。

マーケット・金融・投資

証券専門紙も参照されたい。

保険

  • 保険毎日新聞(保険毎日新聞社)
  • 新日本保険新聞 (新日本保険新聞)
  • 保険銀行日報 (保険銀行日報社)
  • インシュアランス(保険研究所)

税務

農林漁業

電機・通信

出版

鉱工業

海運

繊維

交通・自動車

運輸

化学・薬剤

食品

電気・ガス・水道

建設

不動産

住宅

医療

教育

製紙

環境

自営業・中小企業

観光

スポーツ紙

スポーツ公営競技に関する新聞。詳細はスポーツ新聞競馬新聞予想紙を参照。

政党紙・宗教紙

政党や宗教団体が発行する新聞。

子供向け新聞

小・中学生を対象とした新聞。

外国語新聞

英語などで書かれた新聞。通信社の英文記事に加え、ザ・デイリー読売は読売新聞の記事の英訳、ジャパンタイムズは英語で書き起こされた記事からなる。

英字新聞

日本初の英字新聞は、1861年創刊の「ナガサキ・シッピング・リスト・アンド・アドバタイザー」とされる。同年10月までに28号を発行したのち廃刊し、同じ発行者により、同年11月から横浜外国人居留地で横浜初の英字新聞「ジャパン・ヘラルド(The Japan Herald)」が創刊[3]。日本人による最初の英字新聞は頭本元貞主筆で1897年に創刊したジャパンタイムズ

日刊紙
週刊紙

アメリカにおける専門紙

政治

経済

軍事

イギリスにおける専門紙

経済

教育

広告

中国における専門紙

経済

財政

注釈

  1. 高橋『宣伝費ゼロ時代の新しいPR術』、河出書房新社(KAWADE夢新書シリーズ)、2004。高橋の分類はマスコミ関係者が広く用いている『マスコミ電話帳』でも同様の区分訳が用いられており、情報産業業界では概ね認知されている。
  2. 藤沢『ふるさとへ回る六部は』新潮文庫所収の回想より。藤沢は後に移った会社で長く編集長を務め、編集長時代は本名小菅留治で執筆している。
  3. 幕末・明治期の欧字新聞と外国人ジャーナリスト鈴木雄雅、上智大学コミュニケーション研究、1991-03-25

関連項目