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{{Infobox 列車名
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|列車名=富士
 
|ロゴ=
 
|ロゴサイズ=
 
|画像=JNR EF66 42 20050308.jpg|thumb|right|200px|寝台特急「はやぶさ・富士」
 
|画像サイズ=300px
 
|画像説明=(2005年3月8日 [[東海道本線]] [[真鶴駅|真鶴]] - [[湯河原駅|湯河原]]間)
 
|国={{JPN}}
 
|種類=[[寝台特別急行列車|寝台特急]]
 
|現況=廃止
 
|地域=東京都・神奈川県・静岡県・愛知県・岐阜県・滋賀県・京都府・大阪府・兵庫県・岡山県・広島県・山口県・福岡県・大分県
 
|前身=
 
|運行開始=[[1964年]][[10月1日]]
 
|運行終了=[[2009年]][[3月13日]]
 
|後継=
 
|運営者=
 
|旧運営者=[[日本国有鉄道]](国鉄) → <br/>[[九州旅客鉄道]](JR九州)<br/>[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)<br/>[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)<br/>[[東海旅客鉄道]](JR東海)<br/>[[日本貨物鉄道]](JR貨物)
 
|平均乗客数=
 
|起点=[[東京駅]]
 
|停車地点数=
 
|終点=[[大分駅]]
 
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|平均所要時間=
 
|運行間隔=
 
|列車番号=
 
|使用路線=JR東日本:[[東海道本線]]([[東海道線 (JR東日本)]])<br />JR東海:東海道本線([[東海道線 (静岡地区)]]・[[東海道線 (名古屋地区)]])<br />JR西日本:東海道本線([[琵琶湖線]]・[[JR京都線]]・[[JR神戸線]])・[[山陽本線]](一部JR神戸線)<br />JR九州:山陽本線・[[鹿児島本線]]・[[日豊本線]]
 
|クラス=
 
|身障者対応=
 
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|車運車=
 
|食事=
 
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|娯楽=
 
|荷物=
 
|その他=
 
|車両=[[国鉄14系客車]]([[熊本鉄道事業部#熊本車両センター|熊本鉄道事業部熊本車両センター]])
 
|軌間=1,067 [[ミリメートル|mm]]
 
|電化=[[直流電化|直流]]1,500 [[ボルト (単位)|V]]<br>[[交流電化|交流]]20,000 V・60 [[ヘルツ|Hz]]
 
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|線路所有者=
 
|ルート番号=
 
|備考=
 
|路線図=
 
|路線図表示=<!--collapsed-->
 
}}
 
[[ファイル:Fuji-headmark.jpg|thumb|right|200px|「富士」ヘッドマーク]]
 
[[ファイル:Fuji 1.JPG|thumb|right|200px|大分駅に到着した「富士」]]
 
[[ファイル:Fuji 2.JPG|thumb|right|200px|客車の最後尾とテールマーク]]
 
 
 
'''富士'''(ふじ)とは、[[九州旅客鉄道]](JR九州)、[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)、[[東海旅客鉄道]](JR東海)が[[東京駅]] - [[大分駅]]間を[[東海道本線]]・[[山陽本線]]・[[日豊本線]]経由で、[[2009年]][[3月14日]]のダイヤ改正まで運行していた[[寝台列車|寝台]][[特別急行列車|特急列車]]([[ブルートレイン (日本)|ブルートレイン]])である。なお、同日のダイヤ改正で併結する「[[はやぶさ (列車)|はやぶさ]]」とともに廃止された<ref name="haishi_asahi">
 
[http://www.asahi.com/national/update/1218/TKY200812180377.html ブルトレ、東京駅から消える 3月に富士・はやぶさ廃止] - [[朝日新聞]] 2008年12月19日</ref><ref name="haishi_jreast">{{PDFlink|[http://www.jreast.co.jp/press/2008/20081216.pdf 2009年3月ダイヤ改正について]}} - 東日本旅客鉄道プレスリリース 2008年12月19日</ref><ref name="haishi_jrcentral">{{PDFlink|[http://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000003911.pdf 平成21年3月ダイヤ改正について 別紙]}} - 東海旅客鉄道プレスリリース 2008年12月19日</ref>。
 
 
 
なお本項では、「富士」としての名称の沿革と、[[東京]]と[[九州]]東部を日豊本線経由で運行されていた夜行列車の沿革についても記述する。
 
 
 
== 概要 ==
 
1964年10月1日に東京 - 大分間で運行を開始した。翌年10月には日豊本線経由で西鹿児島駅(現・[[鹿児島中央駅]])まで延長し、東京 - 西鹿児島間1,574.2kmを24時間以上かけて運行する日本最長運転の定期旅客列車となった<ref>{{Cite news|author=杉山淳一 |url=http://news.mynavi.jp/series/trivia/284/ |title=鉄道トリビア (284) 東京 - 西鹿児島間を31時間以上かけて走った列車があった |newspaper=[[マイナビニュース]]|publisher=[[マイナビ]]|date=2014-12-20 |acessdate=2015-12-25 |archiveurl=  |archivedate=}}</ref>。
 
1980年10月には運行区間を[[宮崎駅]]までに短縮、1990年3月には[[南宮崎駅]]までに変更されたが、利用者の減少が続き、1997年11月には大分駅まで短縮された。2005年3月には東京 - [[門司駅|門司]]間で「はやぶさ」との併結運転を開始したが、運行後期は乗車率が低迷し<ref>[http://www.nishinippon.co.jp/nnp/feature/2009/article7/20090314/20090314_0001.shtml さらば九州ブルトレ 「はやぶさ」と「富士」最終便] - [[西日本新聞]]朝刊 2009年3月14日付・西日本新聞公式[[ウェブサイト|サイト]] 2009年3月15日</ref> JR九州によると2007年度の平均乗車率は約20%(1989年時点と比べ約4分の1)<ref name="res20090313">[http://response.jp/article/2009/03/13/121766.html 東京発ブルートレイン「はやぶさ・富士」最終日] - [[Response.]] 2009年3月13日</ref>、1日の平均利用者は百数十人にまで減少し<ref>[http://www.nishinippon.co.jp/nnp/feature/2009/article7/20090314/20090314_0001.shtml 寝台特急九州に別れ 大分・熊本―東京「富士」「はやぶさ」来春廃止] - [[西日本新聞]]朝刊 2008年12月20日付・西日本新聞公式[[ウェブサイト|サイト]] 2009年3月15日</ref>、2009年3月14日に廃止された。
 
 
 
=== 列車名の由来 ===
 
列車名の由来は日本を代表する[[富士山]]とされるが、[[1929年]](昭和4年)9月に[[鉄道省]]が公募により初めて列車愛称を命名したもので、「日本最古の列車愛称」でもある。
 
 
 
「富士」の愛称は、戦後に復活して以来、[[1964年10月1日国鉄ダイヤ改正]]まで四国連絡を含む東海道本線の電車特急で使用されていた。
 
 
 
== 廃止直前の運行概況 ==
 
[[列車番号]]は下りが '''1'''、上りが '''2''' として全区間運行された。
 
 
 
=== 停車駅 ===
 
東京駅 - [[横浜駅]] - [[熱海駅]] - [[沼津駅]] - [[富士駅]] - [[静岡駅]] - [[浜松駅]] - ([[豊橋駅]]) - [[名古屋駅]] - ([[岐阜駅]]) - ([[京都駅]]) - ([[大阪駅]]) - [[[岡山駅]]] - [[[福山駅]]] - [[[尾道駅]]] - [[広島駅]] - [[岩国駅]] - [[柳井駅]] - [[下松駅 (山口県)|下松駅]] - [[徳山駅]] - [[防府駅]] - [[新山口駅]] - [[宇部駅]] - [[下関駅]] - [[門司駅]] - [[小倉駅 (福岡県)|小倉駅]] - [[行橋駅]] - [[中津駅 (大分県)|中津駅]] - [[宇佐駅]] - [[別府駅 (大分県)|別府駅]] - 大分駅
 
 
 
* ( )は下りのみ停車、[ ]は上りのみ停車
 
* 下りの下松 → 大分間では、[[乗車券]]と[[特別急行券#立席特急券|立席特急券]]でB寝台に乗車することが可能であった。
 
 
 
このほか、下り列車は[[米原駅]]・[[姫路駅]]・岡山駅・[[杵築駅]]、上り列車は[[大阪駅]]・米原駅で[[停車 (鉄道)#運転停車|運転停車]]をおこなっていた。なお、上りは中津駅で「[[ソニック (列車)|ソニック]]」48号、下りは杵築駅で「ソニック」9号の待避を行っていた。
 
 
 
なお、大幅な遅延などで[[品川駅]]止まりとなった場合は[[小田原駅]]に臨時停車し、小田原 - 品川間は[[東海道貨物線]]経由での運転となり横浜駅は経由しなかった。
 
 
 
=== 使用車両・編成 ===
 
{{Fuji+Hayabusa 2005}}
 
{{-}}
 
 
 
牽引機関車は、東京 - 下関間を[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)の[[下関地域鉄道部#下関車両管理室|下関地域鉄道部下関車両管理室]]に所属していた[[国鉄EF66形電気機関車|EF66形電気機関車]]を使用し、下関 - 門司間ではJR九州の[[大分鉄道事業部#大分車両センター|大分鉄道事業部大分車両センター]]に所属する[[国鉄EF81形電気機関車|EF81形電気機関車]]、門司 - 大分間は同センターに所属する[[国鉄ED76形電気機関車|ED76形電気機関車]]が使用されていた。
 
 
 
=== 担当乗務員区所 ===
 
* 車掌
 
** 東京 - 下関間…JR西日本[[下関地域鉄道部#下関乗務員センター|下関地域鉄道部下関乗務員センター]]
 
** 下関 - 大分間…JR九州[[大分鉄道事業部#大分車掌センター|大分鉄道事業部大分車掌センター]]
 
 
 
* [[運転士]]は各旅客会社が自社区間を担当<ref>[[鉄道ジャーナル]]、鉄道ジャーナル社、2006年10月号</ref>。
 
 
 
== 沿革 ==
 
{{see also|東海道本線優等列車沿革|山陽本線優等列車沿革}}
 
 
 
=== 寝台特急以前の「富士」 ===
 
==== 戦前・日本初 特別急行1・2列車「富士」 ====
 
* [[1912年]]([[明治]]45年)[[6月15日]]:[[汐留駅 (国鉄)|汐留]](現在の[[新橋駅|新橋]]に相当) - [[下関駅|下関]]間に、[[一等車|一]]・[[二等車]]のみで編成された日本初の特別急行列車として'''1・2列車'''が運行開始。最後尾には一等[[展望車]]を連結。
 
*: 運行当時より1・2列車の終着駅であった[[下関市]]から日本領[[日本統治時代の朝鮮|朝鮮]]の[[釜山広域市|釜山]]へ[[鉄道省]]による[[鉄道連絡船]]の[[関釜連絡船|関釜航路]]が運航されており、そこから先の[[朝鮮総督府鉄道]]と連絡し、[[中華民国]]内と[[シベリア鉄道]]を経由して、[[パリ]]([[フランス]])から[[ロンドン]]([[イギリス]])に至るまでの[[連絡運輸#国際連絡運輸|国際連絡運輸]]が行われていた。1・2列車はその一翼を担うことにもなるため日本の威信をかけ、当時の最高水準ともいえる設備とサービスを有していた。ソファーや書棚が置かれ、一角には貴賓・高官用の特別室を設けた展望車を連結したほか他の当時の多くの列車の[[食堂車]]が「[[日本料理|和食]]堂車」であったのに対して1・2列車は高貴な「[[洋食]]堂車」を連結していたことなどがその例といえる<ref>洋食堂車と和食堂車の違いは、前者はあくまでも洋食専門で予約制のコース料理を提供していたのに対し、和食堂車は和食だけでなく、様々なアラカルト料理を大衆的な価格で提供していた点が異なる。和食堂車だからといって洋食を提供していなかったわけではなかった。</ref>。
 
* [[1914年]]([[大正]]3年)[[12月20日]]:[[東京駅]]の開業に伴い、1・2列車は東京駅発着に変更。
 
* [[1926年]](大正15年)9月23日:[[海田市駅]]付近の豪雨に伴う土砂崩壊により1列車が脱線転覆するいわゆる[[山陽本線特急列車脱線事故]]が発生。多数の死傷者を出したことから強度に優れる客車の鋼製化を促す契機となった。
 
* [[1927年]]([[昭和]]2年)[[8月1日]]:1・2列車は山陽本線内を夜間に通過する関係から一等展望車の連結区間が東京 - [[神戸駅 (兵庫県)|神戸]]間に短縮され、神戸駅で切り離された一等展望車は山陽本線内を昼間に通過する急行7・8列車の[[京都駅|京都]] - 下関間で使用することとなった<ref>プレス・アイゼンバーン『レイル』No.13 1984年10月 pp.69 - 76 古山善之助『蒸機全盛時代の国鉄の特急・急行列車』</ref>。
 
* [[1929年]](昭和4年)[[9月15日]]:特別急行列車に[[列車愛称]]を[[鉄道省]]が[[公募]]により初めて命名。1・2列車を「富士」<!--、1923年7月1日から運行していた特急3・4列車を「[[さくら (列車)|櫻]]」-->とした。
 
*: この当時も1・2列車は一・二等車のみ<!--、そして特急3・4列車は[[普通車 (鉄道車両)|三等車]]のみ-->の編成であった。最後尾の一等展望車には同年11月から[[方向幕#ヘッドマーク|テールマーク]]が取り付けられている。
 
*: また、同年から1930年にかけて、1926年の脱線事故に鑑み「富士」用の鋼製客車が製造され、順次これまで使用されてきた木造客車を置き換える。また、このとき作られた一等展望車は同時期に新築した百貨店の[[白木屋 (デパート)|白木屋]]の内装デザインに似ていることにちなんで「白木屋式」と呼ばれるスマートな洋式内装のものと漆塗りや金メッキ金具を用いた「[[安土桃山時代#桃山文化|桃山式]]」と呼ばれる豪華な装飾が施されたものの2種類が存在した。
 
* [[1930年]](昭和5年)
 
**[[4月]]:鋼製客車への置き換えに伴い客車の運用が変更され、「富士」の一等展望車は再び東京 - 下関間の全区間で連結されるようになった。
 
**[[10月1日]]:「[[つばめ (列車)|燕]]」運行開始に伴うダイヤ改正で、「富士」も東海道本線内を中心にスピードアップが行われる。
 
* [[1934年]](昭和9年)[[12月1日]]:[[丹那トンネル]]開通に伴うダイヤ改正で、「富士」にも三等車が連結される<ref>[{{NDLDC|1114638/67}} 『鉄道省年報. 昭和9年度』](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>。<!--同時に「櫻」にも二等車が連結された。-->
 
* [[1935年]](昭和10年)[[7月]]:「富士」に連結していた一等寝台車(現行では[[A寝台]]車に相当する)[[国鉄スハ32系客車#寝台車(二重屋根車)|マイネ37130号車]]に[[シャワー]]室を設置。ただし同車のみ1両しか改造されなかったため、4日に1本のみであった。使用は一・二等客に限られ、使用する際は車掌から30銭の「浴券」を購入した。しかし4日に1本という運用頻度から利用が低迷し、同年10月ごろには休止となっている<ref>なお戦前のシャワー室休止の時期に関しては諸説あり、[[国鉄スハ32系客車#寝台車(二重屋根車)|マイネ37130号車の項目]]では1938年5月とされている。</ref><ref>7月15日開始10月1日停止[{{NDLDC|1114644/69}} 『鉄道省年報. 昭和10年度』](国立国会図書館近代デジタルライブラリー)</ref>。
 
* [[1939年]](昭和14年)[[11月]]:[[満州国]]との輸送量増大による大陸方面への輸送需要が増大したため「富士」は京都 - 下関間で二等寝台車・三等寝台車各1両の増結を開始。
 
* [[1941年]](昭和16年)[[7月]]:[[日中戦争]]の激化による輸送力増強のため三等寝台車の使用を中止。
 
* [[1942年]](昭和17年)[[11月15日]]:[[関門トンネル (山陽本線)|関門トンネル]]開通に伴い、「富士」の運行区間を東京 - [[長崎駅|長崎]]間に拡大。また[[上海市|上海]]航路の[[旅客船|客船]]が到着する日には上り列車のみ、それとの連絡を図るため港に隣接した[[長崎港駅]]を発着駅とした。
 
* [[1943年]](昭和18年)
 
** [[7月1日]]:それまでの特急列車を「第一種急行」、急行列車を「第二種急行」とする。「特急列車」の呼称は、制度上はここで消滅している。
 
** [[10月1日]]:運行区間を、東京 - [[博多駅|博多]]間に縮小。
 
* 1944年(昭和19年)[[4月1日]]:[[大東亜戦争]]([[太平洋戦争]])の激化により運行中止。
 
 
 
==== 戦後における「富士」の変遷 ====
 
[[第二次世界大戦]]後における「富士」の名称は、戦前に日本を代表する列車名称であったことから「それにふさわしい列車が出るまでは」と使用に慎重な姿勢が続いた。結局、[[1961年]]10月の[[サンロクトオ|ダイヤ改正]]で列車の増発により東海道本線の電車特急に使用されたが「機会を逸した」との意見も少なからずあったとされる。
 
 
 
「機会を逸した」とは、例えば「九州特急」の仮称があった「[[あさかぜ (列車)|あさかぜ]]」の設定時に「富士」の名称を用いることが検討されたが採用されず、「ビジネス特急」の仮称があった「[[こだま (列車)|こだま]]」の名称公募の際も"「富士」は将来別途使用の計画がある"という理由で温存され投票対象から除外された。
 
* [[1950年]](昭和25年)ごろ:[[新宿駅|新宿]] - [[河口湖駅|河口湖]]間で運行された行楽[[臨時列車]]に一時「富士」の名称を使用したとされる。これについては、「[[ホリデー快速富士山]]」も参照されたい。
 
* [[1961年]](昭和36年)10月1日:東京 - [[神戸駅 (兵庫県)|神戸]]・[[宇野駅|宇野]]間の[[国鉄181系電車|151系電車]]特別急行列車に「富士」と命名。[[つばめ (列車)|「つばめ」「はと」]]「[[こだま (列車)|こだま]]」と並び[[東海道本線優等列車沿革|東海道本線の昼行特急列車群]]の一翼を担う。
 
*: 設定当時、「四国特急」の仮称があったとされる東京 - 宇野間を運行した「(下り)第1富士」、「(上り)第2富士」は当時[[夜行列車|夜行]][[急行列車]]だった「[[瀬戸 (列車)|瀬戸]]」と同じく四国連絡列車の1つとなり、その折り返し運用として大阪 - 宇野間を運行する特急「[[マリンライナー#戦後の直通列車|うずしお]]」<!--「うずしお_(列車)」では大阪 - 宇野間特急の説明をしていないため。-->が設定された。しかし、東京 - 神戸間を運行した「(下り)第2富士」、「(上り)第1富士」はそれまでの「(下り)第2こだま」、「(上り)第1こだま」を名称変更する形となった。
 
*: なお、東京 - 宇野間の765.7kmは当時の昼行電車特急列車運行区間としては最長であった。また、「富士」で号数がつく唯一の例となった。しかし、翌[[1962年]](昭和37年)[[6月10日]]で「(下り)第1つばめ」、「(上り)第2つばめ」が[[広島駅]]へ延伸されたのに伴い「(下り)第1富士」、「(上り)第2富士」の持っていた最長記録は同列車の894.2kmに更新された。
 
* [[1964年]](昭和39年)
 
** [[4月24日]]:東海道本線[[草薙駅 (JR東海)|草薙]] - [[静岡駅|静岡]](当時)間を運行中の「(下り)第1富士」が[[踏切]]を横断中の[[ダンプカー]]と衝突。この事故で大破した一等[[特別席]]のパーラーカーであるクロ151-7は廃車となった。詳細は[[国鉄181系電車#クロ151-7脱線大破事故|クロ151-7脱線大破事故]]を参照。
 
** [[9月30日]]:翌10月1日に控えた[[東海道新幹線]]開業により東海道本線の電車特急は新幹線列車へ移行し、全廃されることとなった。このため、昼行列車としての「富士」は廃止。「富士」の名称は[[#最長九州特急「富士」と最長夜行急行「高千穂」|下記の寝台特急]]に移行した。
 
 
 
=== 東京対日豊本線夜行列車「高千穂」「富士」 ===
 
1964年(昭和39年)10月以降、「富士」は日豊本線直通の寝台特急となりそれ以前から既に運行されていた東京 - 西鹿児島間急行列車「高千穂」の上位格の列車となった。翌1965年(昭和40年)10月1日には[[宮崎県]]へ乗り入れ、初の同県対東京直通特急となった。
 
 
 
なお「あさかぜ」以来、東京と九州各地を結ぶ寝台特急列車に国鉄での呼称として'''"[[あさかぜ (列車)#九州特急設定の経緯と過程|九州特急]]"'''が知られるが「富士」はそのうち愛称を個別に与えられた最後発列車となった。
 
 
 
==== 東京対九州東部連絡急行「たかちほ」 → 「高千穂」と周辺列車群 ====
 
* [[1951年]](昭和26年)[[11月25日]]:東京 - [[都城駅|都城]]間を運行する夜行急行列車として'''501・502列車'''が運行を開始する。
 
*: 東京 - 門司間は、東京 - [[熊本駅|熊本]]間急行'''[[はやぶさ (列車)|31・32列車]]'''との併結。大分県・宮崎県からは初の東京直通列車でもあった。
 
* [[1952年]](昭和27年)11月:501・502列車に「'''たかちほ'''」と命名。同時に31・32列車には「阿蘇」(あそ)の名称が与えられる。
 
* [[1954年]](昭和29年)10月1日:「たかちほ」は併結列車を東京 - [[博多駅|博多]]間急行「[[あさかぜ (列車)|玄海]]」(げんかい)に変更。同時に、半室合造車ながら[[A寝台|二等寝台車]]を連結。
 
* [[1956年]](昭和31年)[[11月19日]]:「高千穂」は併結を取りやめて全区間単独運転となり、運行距離を延長して東京 - 西鹿児島間の運行とする。同時に食堂車を連結。また、列車愛称も「'''高千穂'''」と漢字表記とする。
 
*: この時から日本最長距離を走る列車となり、全区間走破には31時間28分を要した。しかし東京駅・大阪駅から西鹿児島駅へは到達時分の短い[[鹿児島本線]]経由が一般的であったため、同列車を全区間乗り通す客はそれほどいなかったといわれている。
 
* [[1961年]](昭和36年)10月1日:夜行急行列車「'''ぶんご'''」が東京 - [[大分駅|大分]]間で運行開始。また[[団体専用列車#観光団体専用列車|観光団体専用列車]]として、東京 - 大分・長崎間を運行する「'''九州観光団体専用列車'''」(きゅうしゅうかんこうだんたいせんようれっしゃ)が設定される。
 
* [[1963年]](昭和38年)[[6月1日]]:寝台特急「[[はやぶさ (列車)|みずほ]]」に[[国鉄20系客車|20系客車]]を充当。同時に大分駅発着編成を連結する。
 
*: このとき20系客車を使用するにあたり初めての[[多層建て列車|二階建て列車]]として運用された。
 
{{Mizuho_JNRPC_20_Format_1963_6}}
 
{{-}}
 
 
 
==== 最長九州特急「富士」と最長夜行急行「高千穂」 ====
 
* [[1964年]](昭和39年)10月1日:[[東海道新幹線]]開業に伴う[[1964年10月1日国鉄ダイヤ改正|ダイヤ改正]]により、以下のように変更。
 
*# 特急「みずほ」の大分駅発着編成の乗り入れを終了。代わりに東京 - 大分間を運行する寝台特急列車として「富士」の運行を新たに開始。「富士」には20系客車を使用する。
 
*#* このとき「富士」の一部客車は[[下関駅]]で[[増解結]]を行い、大分駅乗り入れ編成は従前の「みずほ」と同じく8両であった。<!--
 
*#* ちなみに、この東京対日豊本線特急の仮称として「しおかぜ」の愛称が与えられたが、[[#戦後・「富士」の変遷|「富士」の列車愛称]]をあえて充てたとも言われている。-->
 
*# 「ぶんご」運行を終了する。
 
* [[1965年]](昭和40年)10月1日:このときのダイヤ改正により、以下のように変更。
 
*# 特急「富士」、運行区間を日豊本線経由で西鹿児島駅まで延長。
 
*#: 東京 - 西鹿児島間1,574.2kmを実に24時間以上かけて運行することから同じ区間を走る「高千穂」とならび、[[日本一の一覧|日本最長]]運転の定期旅客列車となった。なお、この日本記録は「高千穂」が[[1975年]](昭和50年)[[3月10日]]に廃止され、「富士」が1980年(昭和55年)10月1日に運行区間を短縮して以降破られていない<ref>それ以降の最長距離列車については、「はやぶさ」の 東京 - 西鹿児島間の実運行距離であった山陽本線[[柳井駅]]経由の1,515.3kmであった(ただし、[[営業キロ]](運賃計算キロ)は運賃計算上の経路である[[岩徳線]]経由の1,493.6kmとされている。)。</ref><ref>1997年(平成9年)11月29日の「はやぶさ」が東京 - 熊本発着となり短縮されてからは、臨時列車を含めると[[トワイライトエクスプレス]]の[[札幌駅|札幌]] → [[大阪駅|大阪]]間([[函館本線|砂原線]]経由)の運行でも1,508.5kmと最長であったが、2015年(平成27年)3月12日始発基準で運行終了となった。</ref><ref>トワイライトエクスプレスの運行終了後は、[[上野駅|上野]] - 札幌間の「[[北斗星 (列車)|北斗星]]」・「[[カシオペア (列車)|カシオペア]]」の1,214.7kmが最長となるが北斗星は2015年8月22日始発基準で臨時列車も含めた運行を終了しており、カシオペアについても2016年(平成28年)3月20日始発基準で運行終了となった。</ref><ref>カシオペア運行終了後の2016年3月22日以降では、東京 - [[博多駅|博多]]間直通の「[[のぞみ (列車)|のぞみ]]」が一般販売扱いの最長列車となっている。</ref>。
 
*# 「九州観光列車」の名称を「'''九州第1観光号'''」に変更。また、大分駅発の上りのみ運行となる。
 
* [[1967年]](昭和42年)10月1日:「九州第1観光号」の名称を行き先毎に変更し同列車の長崎駅編成に「'''五島'''」(ごとう)、大分駅編成に「'''くにさき'''」の名称が与えられる。
 
* [[1968年]](昭和43年)10月1日:[[ヨンサントオ|このときのダイヤ改正]]により、以下のように変更。
 
*# 「富士」は、下関駅発着の編成を大分駅発着に変更。
 
*# 「高千穂」は、鹿児島本線経由の急行「[[はやぶさ (列車)|霧島]]」との併結列車とし、寝台車・食堂車連結を廃止。<ref>なお、鹿児島本線急行「霧島」には食堂車を連結したが、食堂車連結の有無を除くと、両列車とも一等車1両と二等車座席車のみの編成となった。</ref>
 
*# 「くにさき」運行区間を新大阪駅・大阪 - 大分間に短縮。「[[彗星 (列車)|べっぷ(下り)3号、(上り)2号]]」に名称を変更する。
 
* [[1970年]](昭和45年)10月1日:「高千穂」に併結される鹿児島本線急行列車の名称を「桜島」(さくらじま)に変更。
 
* [[1972年]](昭和47年)[[3月15日]]:「桜島」の[[食堂車]]の連結を終了。
 
* [[1975年]](昭和50年)[[3月10日]]:[[山陽新幹線]]博多駅乗り入れに伴う[[1975年3月10日国鉄ダイヤ改正|ダイヤ改正]]により、以下のように変更。
 
*# 「富士」、使用車両を[[国鉄24系客車|24系24形客車]]に変更。このときの編成図は[[:Template:JNRPC24 Shinagawa Depot 1975-1978|こちら]]を参照されたいが「はやぶさ」「[[出雲 (列車)|出雲]]」と運用上も同じとした。
 
*# 急行「高千穂」を名古屋 - [[宮崎駅|宮崎]]間の臨時列車に格下げ。
 
 
 
==== 九州特急凋落の時代と「富士」 ====
 
* [[1976年]](昭和51年)10月1日:このときの[[1976年-1987年の国鉄ダイヤ改正#1976年(昭和51年)|ダイヤ改正]]により「富士」の使用車両を24系24形客車から[[国鉄24系客車|24系25形客車]]に置き換え。「はやぶさ」「出雲」とともに東京発着の定期寝台特急初の2段B寝台車を投入。同時に新形の1人用個室[[A寝台]]、「オロネ25形車両」も連結される。<ref>実際にはダイヤ改正に先行して9月25日東京発より24系25形に置き換えられた。:「ブルトレ興亡録」、[[イカロス出版]]より</ref>
 
* [[1978年]](昭和53年)[[2月1日]]:「[[あさかぜ (列車)|あさかぜ]]」1・4号(いわゆる博多「あさかぜ」)の24系25形化に伴い食堂車の運用を捻出するため、食堂車は大分回転の付属編成となる。同様の措置は共通運用だった「はやぶさ」「出雲」でも行われた。 → 当時の編成図は[[:Template:JNRPC25 Shinagawa Depot 1978-1986|こちら]]を参照されたい。
 
*: 当時の国鉄では需要減が続いていた[[在来線]]の食堂車を新製しない方針であったため、運用が丸一日となる「富士」「はやぶさ」の食堂車を途中駅折り返しとすることで終着駅での滞泊をなくし車両基地であった東京・[[品川運転所]]に戻る日を一日早めることで必要車両数を削減し、博多「あさかぜ」へ振り向けることが可能となった。
 
: この年、東京 - 下関間の牽引機関車を[[国鉄EF65形電気機関車|EF65形]]の500番台(P形)から1000番台7次車に変更。
 
* [[1979年]](昭和54年)9月25日 :日豊本線全線電化により宮崎 - 西鹿児島間の牽引機である[[国鉄DF50形ディーゼル機関車|DF50形ディーゼル機関車]]による牽引を廃止。ED76による牽引は終点の西鹿児島駅まで延長された。
 
* [[1980年]](昭和55年)10月1日:[[1980年10月1日国鉄ダイヤ改正|このときのダイヤ改正]]で、利用者の減少により運行区間を[[宮崎駅]]までに短縮。これにより、日本最長距離特急の座を「はやぶさ」に譲る。
 
:; 宮崎 - 西鹿児島間廃止時の停車駅
 
:: 宮崎駅 - [[都城駅]] - [[霧島神宮駅]] - [[隼人駅]] - [[鹿児島駅]] - 西鹿児島駅。
 
* [[1984年]](昭和59年)
 
** [[2月1日]]:廃止されていた九州内の[[方向幕#ヘッドマーク|ヘッドマーク]]取り付けが復活。
 
** [[10月19日]]:[[西明石駅]]を通過中の上り「富士」が脱線して[[プラットホーム|ホーム]]に激突、32名が負傷するいわゆる[[西明石駅列車脱線事故]]が発生。
 
* [[1985年]](昭和60年)[[3月14日]]:東京 - 下関間の牽引機を[[国鉄EF66形電気機関車|EF66形]]に変更。また、これを機に「富士」のヘッドマークを円形から[[#戦前・日本初 特別急行1・2列車「富士」|戦前の「富士」]]同様の山型のものに変更した。
 
* [[1986年]](昭和61年)
 
** [[3月3日]]:「富士」に4人用B個室寝台「カルテット」(オハネ24形700番台)を連結。
 
** [[11月1日]]:[[1986年11月1日国鉄ダイヤ改正|このときのダイヤ改正]]に伴い「富士」の客車の受持ちを品川運転所から[[鹿児島車両センター|鹿児島運転所]](基本編成)、[[熊本鉄道事業部#熊本車両センター|熊本運転所]](付属編成)へ変更。「はやぶさ」と共通編成となり、[[ロビーカー]]を連結開始。「カルテット」は「あさかぜ1・4号」へ変更。なお、編成図は[[Template:Hayabusa Fuji 1986-1999#1986年(昭和61年)11月1日時点での編成図|こちら]]を参照されたい。
 
 
 
==== 民営化以降の展開 ====
 
* [[1989年]](平成元年)[[3月11日]]:「富士」に1人用B個室寝台「ソロ」(オハネ25形1000番台)を連結。編成図は[[:Template:Hayabusa Fuji 1986-1999#1989年(平成元年)3月11日改正時|こちら]]を参照されたい。
 
* [[1990年]](平成2年)[[3月10日]]:「富士」の運行区間を南宮崎駅まで1駅延長。
 
* [[1991年]](平成3年)[[3月16日]]:[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)[[東京車掌区]]が「[[成田エクスプレス]]」運行開始に伴う人員確保のため「富士」からの乗務を降り、JR九州大分車掌区(現・大分鉄道事業部大分車掌センター)が全区間を担当することになる。
 
* [[1993年]](平成5年)[[3月18日]]:「富士」食堂車が営業を売店営業に差し替え。また、博多地区の通勤輸送改善のため、下り列車の東京 - [[小倉駅 (福岡県)|小倉]]間のダイヤが「はやぶさ」と差し替えられて「富士」の南宮崎駅到着が1時間9分繰り上がった。
 
* [[1997年]](平成9年)[[11月29日]]:「富士」運行区間を大分駅までに短縮。また、食堂車であったオシ24形の連結終了。最終的な24系25形のみで運行された編成図は[[:Template:Hayabusa Fuji 1986-1999#1997年(平成9年)11月29日改正・「はやぶさ」・「富士」運行区間短縮|こちら]]を参照されたい。
 
*: 終点大分駅到着後編成を2分割にする作業を実施していた。これは、折返しの清掃等を行う[[大分鉄道事業部#大分車両センター|大分運転所]]がフル編成で入区できないためであり、上りの東京行きでも大分駅でフル編成にする作業を実施していた。
 
:; 大分 - 南宮崎間廃止時の停車駅
 
:: 大分駅 - [[臼杵駅]] - [[津久見駅]] - [[佐伯駅]] - [[延岡駅]] - [[日向市駅]] - [[高鍋駅]] - [[宮崎駅]] - 南宮崎駅
 
 
 
==== 九州特急の終焉 ====
 
* [[1999年]](平成11年)[[12月4日]]:寝台特急列車の系統整理により、東京駅よりJR九州管内を結ぶ寝台特急列車は「さくら」「はやぶさ」と「富士」の2往復のみとなった。また、「富士」の担当車掌区がJR西日本下関乗務員センターに変更。ただし、上りの広島 → 東京間のみ広島車掌区が担当した。
 
{{Kyushu Limited From Tokyo 1999-2002}}
 
{{-}}
 
{{Kyushu Limited From Tokyo 2002-2005}}
 
* [[2002年]](平成14年)[[3月23日]]:「さくら」の開放式B寝台を1両、「はやぶさ」は2両減車。「さくら」は5両編成とし「はやぶさ」は7両編成となり、「富士」は12両編成での運行となる。
 
* [[2004年]](平成16年)2月:[[九州新幹線]]開業に伴い西鹿児島駅が鹿児島中央駅に改称するのを記念し、東京(品川) → 西鹿児島間を下り列車のみ[[団体専用列車]]「懐かしの富士号」として復活運転。なお、通常通りのダイヤで定期列車も運行されていた。
 
[[ファイル:JNR-EF66-53-for-Fuji.jpg|thumb|right|200px|単独運転時代の「富士」]]
 
* [[2005年]](平成17年)[[3月1日]]:この時のダイヤ改正で「はやぶさ」に併結していた「さくら」が廃止、同時に「富士」は「はやぶさ」との併結列車となり使用車両は全車[[国鉄14系客車|14系客車]]となった。これに伴い「ロビーカー」と[[荷物車]]の連結がなくなり、[[荷物列車|小荷物輸送]]の「ブルートレイン便」の取扱いも終了した。
 
*: 改正に先立ち、オロネ25形をオロネ15形3000番台に改造するため下りは[[1月12日]]から[[2月22日]]まで、上りは[[1月13日]]から[[2月23日]]までの間、個室A寝台「シングルデラックス」の連結を中止していた。
 
*: また、運行変更に伴う車両回送列車は以下のような手順で行われた。
 
*:* 2005年3月1日定刻に東京駅到着後、[[田町車両センター]]へ回送し旧「さくら・はやぶさ」、旧「富士」の14系客車を分割後、2編成併結の上、下り「富士・はやぶさ」となった。24系客車については[[3月2日]]発で品川から熊本へ2編成併結で返却[[回送]]された。3月1日着下り「富士」の24系客車については大分駅で分割後熊本へ回送された。
 
 
 
{|style="text-align:center; float:left; margin:0 0 0 1em; border:1px solid #999;"
 
|-
 
|style="background:#eee; border-bottom:solid 4px #0072bc;"|「富士」単独運転最終日編成
 
|-
 
|style="font-size:80%;"|{{TrainDirection|大分|東京}}
 
|-
 
|
 
{| class="wikitable" style="margin:auto; font-size:80%;"
 
|+下り編成(2月28日東京発)
 
!所属
 
|colspan="7"|熊本鉄道事業部
 
|colspan="6"|長崎鉄道事業部
 
|-
 
!号車
 
|電源車||1||2||3||4||5||6||7||8||9||10||11||12
 
|-
 
!客車形式
 
|カニ24<br />9
 
|オハネフ25<br />112
 
|オハネ25<br />183
 
|オハネ25<br />244
 
|欠車
 
|オハ24<br />701
 
|オハネフ25<br />144
 
|スハネフ14<br />6
 
|オロネ15<br />3004
 
|オハネ15<br />2003
 
|オハネ15<br />1202
 
|オハネ15<br />1201
 
|スハネフ15<br />21
 
|-
 
!機関車
 
|colspan="4"|東京 → 下関間:EF66 47(下関)
 
|colspan="4"|下関 → 門司間:EF81(大分)
 
|colspan="4"|門司 → 大分間:ED76(大分)
 
|}
 
 
 
{|class="wikitable" style="border:1px; font-size:80%; float:left;"
 
|+上り編成(2月28日大分発)
 
!所属
 
|colspan="7"|熊本鉄道事業部
 
|colspan="6"|長崎鉄道事業部
 
|-
 
!号車
 
|電源車||1||2||3||4||5||6||7||8||9||10||11||12
 
|-
 
!客車形式
 
|カニ24<br />3
 
|オハネフ25<br />149
 
|オハネ25<br />113
 
|オハネ25<br />182
 
|欠車
 
|オハ24<br />703
 
|オハネフ25<br />110
 
|スハネフ15<br />2
 
|オロネ15<br />3001
 
|オハネ15<br />2001
 
|オハネ15<br />1102
 
|オハネ15<br />3
 
|スハネフ15<br />20
 
|-
 
!機関車
 
|colspan="4"|大分 → 門司間:ED76(大分)
 
|colspan="4"|門司 → 下関間:EF81(大分)
 
|colspan="4"|下関 → 東京間:EF66 50(下関)
 
|}
 
|}
 
{{-}}
 
 
 
* [[2009年]](平成21年)
 
** [[2月1日]] - [[2月28日]]:列車廃止間近の特需への対応策として、上り列車に限り大分 → 小倉間では[[乗車券]]と[[特別急行券#指定席特急券|指定席特急券]]でB寝台に乗車することを可能にした<ref>[http://www13.jrkyushu.co.jp/newsreleaseweb.nsf/9dd28b8cb8f46cee49256a7d0030d2e6/137ecf5b39bbf47e4925752a0057fffa?OpenDocument 平成21年2月限定 寝台特急「富士」「はやぶさ」に寝台券なしでご乗車になれます!] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20081229180647/http://www13.jrkyushu.co.jp/newsreleaseweb.nsf/9dd28b8cb8f46cee49256a7d0030d2e6/137ecf5b39bbf47e4925752a0057fffa?OpenDocument |date=2008年12月29日 }} - 九州旅客鉄道プレスリリース 2008年12月25日</ref>。
 
** [[3月13日]]:この日に始発駅を発車する列車をもって「富士」「はやぶさ」ともに廃止。これにより、[[関門トンネル (山陽本線)|関門トンネル]]を越えて運行する定期旅客優等列車自体が運行されなくなった。なお、[[さよなら運転|ラストラン]]は[[上り]]・[[下り]]ともに大幅に遅れてしまった。<ref>[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]、[[交友社]]、2009年6月号</ref>
 
[[File:FUJI14MAR2009.jpg|thumb|right|200px|最終運転日の寝台特急富士・門司-小倉間]]
 
{|style="text-align:center; float:left; margin:0 0 0 1em; border:1px solid #999;"
 
|-
 
|style="background:#eee; border-bottom:solid 4px #0072bc;"|「はやぶさ・富士」最終日編成
 
|-
 
|style="font-size:80%;"|{{TrainDirection|熊本・大分|東京}}
 
|-
 
|
 
{| class="wikitable" style="margin:auto; font-size:80%;"
 
|+下り編成(3月13日東京発)
 
!編成
 
|colspan="6"|はやぶさ編成・東京 → 熊本間
 
|colspan="6"|富士編成・東京 → 大分間
 
|-
 
!所属
 
|colspan="12"|熊本鉄道事業部
 
|-
 
!号車
 
|1||2||3||4||5||6||7||8||9||10||11||12
 
|-
 
!客車形式
 
|スハネフ15<br />1
 
|オロネ15<br />3004
 
|オハネ15<br />2005
 
|オハネ15<br />1202
 
|オハネ15<br />1122
 
|スハネフ14<br />12
 
|スハネフ15<br />2
 
|オロネ15<br />3001
 
|オハネ15<br />2004
 
|オハネ15<br />1246
 
|オハネ15<br />1102
 
|スハネフ14<br />6
 
|-
 
!機関車
 
|colspan="3"|東京 → 下関間:EF66 53(下関)
 
|colspan="3"|下関 → 門司間:EF81 411(大分)
 
|colspan="3"|門司 → 熊本間:ED76 94(大分)
 
|colspan="3"|門司 → 大分間:ED76 90(大分)
 
|}
 
{|class="wikitable" style="border:1px; font-size:80%; float:left;"
 
|+上り編成(3月13日熊本・大分発)
 
!編成
 
|colspan="6"|富士編成・大分 → 東京間
 
|colspan="6"|はやぶさ編成・熊本 → 東京間
 
|-
 
!所属
 
|colspan="12"|熊本鉄道事業部
 
|-
 
!号車
 
|1||2||3||4||5||6||7||8||9||10||11||12
 
|-
 
!客車形式
 
|スハネフ15<br />20
 
|オロネ15<br />3006
 
|オハネ15<br />2003
 
|オハネ15<br />4
 
|オハネ15<br />2
 
|スハネフ14<br />11
 
|スハネフ15<br />21
 
|オロネ15<br />3002
 
|オハネ15<br />2002
 
|オハネ15<br />3
 
|オハネ15<br />1
 
|スハネフ14<br />3
 
|-
 
!機関車
 
|colspan="3"|熊本 → 門司間:ED76 90(大分)
 
|colspan="3"|大分 → 門司間:ED76 94(大分)
 
|colspan="3"|門司 → 下関間:EF81 411(大分)
 
|colspan="3"|下関 → 東京間:EF66 42(下関)
 
|}
 
|}
 
{{-}}
 
 
 
==== 復活運転 ====
 
* [[2014年]]
 
** [[12月19日]] : 東京駅開業100周年記念ツアーの団体臨時列車として東京 → [[伊東駅|伊東]]間の下りのみ復活運転<ref>[http://www.tetsudo.com/event/11101/ 寝台特急 富士 団体臨時列車(ツアー)] - TETSUDO COM</ref>。使用された車両は[[青森車両センター]](現・[[盛岡車両センター#青森派出所|盛岡車両センター青森派出所]])配置の[[国鉄24系客車|24系24形客車]]で、[[高崎車両センター#高崎支所|高崎車両センター高崎支所]]配置の[[国鉄EF65形電気機関車|EF65 501]]が全区間を牽引。機関車の区名札は[[東京機関区]]を表す「東」が再現された。
 
 
 
== ギャラリー ==
 
<gallery>
 
File:Fuji Train1.jpg|東京駅10番線ホームの時刻表示(2009年3月4日撮影)
 
File:Fuji Train2.jpg|東京駅10番線ホームに入線する「富士」(2009年3月4日撮影)
 
File:Fuji Train3.jpg|同左、ホームの「富士」(2009年3月4日撮影)
 
File:Fuji Train4.jpg|同左、最後尾の車両(2009年3月4日撮影)
 
File:Fuji Train5.jpg|同左、寝台車の通路(2009年3月4日撮影)
 
File:Fuji Train6.jpg|同左、寝台上段(2009年3月4日撮影)
 
File:Fuji Train7.jpg|同左、寝台下段(2009年3月4日撮影)
 
</gallery>
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
{{Commonscat|Fuji (train, 1964-2009)}}
 
* [[さくら (列車)]]
 
* [[はやぶさ (列車)]]
 
* [[あさかぜ (列車)]]
 
* [[東海道本線優等列車沿革]]
 
* [[山陽本線優等列車沿革]]
 
* [[急行高千穂号事件]]
 
 
 
{{DEFAULTSORT:ふし}}
 
[[Category:列車愛称 ふ|し]]
 
[[Category:日本の特急列車|廃ふし]]
 
[[Category:東日本旅客鉄道の列車|廃ふし]]
 
[[Category:東海旅客鉄道の列車|廃ふし]]
 
[[Category:西日本旅客鉄道の列車|廃ふし]]
 
[[Category:九州旅客鉄道の列車|廃ふし]]
 
[[Category:日本国有鉄道の列車]]
 
[[Category:東海道本線の列車]]
 
[[Category:山陽本線]]
 
[[Category:日豊本線]]
 
[[Category:日本の夜行列車]]
 
[[Category:ブルートレイン]]
 

2018/9/22/ (土) 11:16時点における最新版



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