「宇宙戦艦ヤマト」の版間の差分

提供: miniwiki
移動先:案内検索
(1版 をインポートしました)
(内容を「 『'''宇宙戦艦ヤマト'''』(うちゅうせんかんヤマト) 松本零士作画による漫画作品。アニメのテレビ放映と並行して連載され...」で置換)
(タグ: Replaced)
 
1行目: 1行目:
{{Otheruseslist|TVアニメ|同作の主役を務める架空の[[宇宙戦艦]]|ヤマト (宇宙戦艦ヤマト)|シリーズ作品全般|宇宙戦艦ヤマトシリーズ}}
 
{{Infobox animanga/Header
 
|タイトル= 宇宙戦艦ヤマト
 
|画像=
 
|サイズ=
 
|説明=
 
|ジャンル= [[SFアニメ]]
 
}}
 
{{Infobox animanga/TVAnime
 
|タイトル=宇宙戦艦ヤマト
 
|原作= [[西崎義展]]、[[山本暎一]](企画原案)
 
|監督= [[松本零士]]
 
|キャラクターデザイン= 松本零士、[[岡迫亘弘]]
 
|メカニックデザイン= 松本零士、[[スタジオぬえ]]
 
|アニメーション制作= オフィス・アカデミー
 
|製作= [[讀賣テレビ放送|讀賣テレビ]]、[[オフィス・アカデミー]]
 
|放送局= 讀賣テレビ
 
|放送開始= {{Flagicon|Japan}} [[1974年]][[10月6日]]
 
|放送終了=[[1975年]][[3月30日]]<br />{{Flagicon|USA}} [[1979年]][[9月17日]] - [[1980年]][[3月10日]]
 
}}
 
{{Infobox animanga/Footer
 
|ウィキプロジェクト= [[プロジェクト:アニメ|アニメ]]・[[プロジェクト:漫画|漫画]]・[[プロジェクト:コンピュータゲーム|ゲーム]]
 
|ウィキポータル=[[Portal:アニメ|アニメ]]・[[Portal:漫画|漫画]]・[[Portal:文学|文学]]・[[Portal:ゲーム|ゲーム]]
 
}}
 
『'''宇宙戦艦ヤマト'''』(うちゅうせんかんヤマト)は、[[1974年]]に[[讀賣テレビ放送]]・[[日本テレビ放送網]]で[[放送]]された[[テレビアニメ]]及び、[[1977年]]に劇場公開された[[アニメーション映画]]作品。通称「一作目」「ヤマト」「ヤマト1」「パート1」。
 
  
本項目では、宇宙戦艦ヤマトシリーズの第1作であるテレビアニメ、劇場版について記述する。権利関係を含むシリーズ全体については「[[宇宙戦艦ヤマトシリーズ]]」を、また、続編の詳細については各項目を参照。
+
『'''宇宙戦艦ヤマト'''』(うちゅうせんかんヤマト)
  
== 概要 ==
+
松本零士作画による漫画作品。アニメのテレビ放映と並行して連載された。『冒険王』1974年11月号~1975年4月号に連載。秋田書店サンデーコミックス全3巻。
戦争としての戦闘の描写、その中で繰り広げられる人間ドラマと主人公の成長や[[サイエンス・フィクション|SF]]的[[ガジェット]]などの詳細な設定は、放映当時(1970年代)の[[アニメーション]]作品としては斬新な試みが取り入れられた連続作品である。
 
  
当初は同時間帯に放送されていた『[[アルプスの少女ハイジ (アニメ)|アルプスの少女ハイジ]]』『[[フランダースの犬 (アニメ)|フランダースの犬]]』([[フジテレビ]])、『[[SFドラマ 猿の軍団|猿の軍団]]』([[TBSテレビ|TBS]])などの影響もあって[[視聴率]]が低迷。本来の予定回数から短縮された。
+
{{テンプレート:20180815sk}}
 
 
しかし、[[再放送]]などで改めて注目され、再編集した劇場映画が公開される頃までには社会現象とも言える大ブームとなっていた。子供のものと思われていたアニメ作品に中・高校生から青年層までの幅広い視聴者が存在していたことを広く示すことになった。その後の『[[銀河鉄道999 (アニメ)|銀河鉄道999]]』『[[機動戦士ガンダム]]』『[[超時空要塞マクロス]]』『[[新世紀エヴァンゲリオン]]』に至るアニメブームの先駆けとなった。
 
 
 
[[映画]]・[[レコード]]・[[小説]]・[[漫画]]・[[アニメ雑誌]]・[[ラジオドラマ]]・[[キャラクター]]商品など、アニメビジネスにおいて多くの足跡を残した。後に[[磁気テープ#ビデオ用磁気テープ製品|ビデオ]]・[[コンパクトディスク|CD]]・[[レーザーディスク|LD]]・[[DVD]]・[[テレビゲーム]]などもリリースされている。
 
 
 
本作品の著作の[[クレジットタイトル|クレジット]]はオフィスアカデミーであり、小説や漫画などの形で先行した、いわゆる原作(漫画、小説)は存在しない<ref name="court">{{Cite web|date=2001-11-28|url=http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/27E3DE7D0CD6356249256BE200353BDD.pdf|title=平成11年(ワ)第20820号 著作権侵害差止等請求事件、同12年(ワ)第14077号 著作者人格権確認反訴請求事件|format=PDF|pages=|publisher=裁判所ウェブサイト|accessdate=2010-12-09}}</ref>。(詳細については[[宇宙戦艦ヤマトシリーズ#知的財産権に関する特記]]を参照)。
 
 
 
== ストーリー ==
 
[[2199年]]、[[地球]]は謎の異星人国家・'''[[ガミラス帝国]]'''の侵略を受けていた。[[冥王星]]に前線基地を建設したガミラスは、地球に対して'''[[遊星爆弾]]'''による無差別攻撃を加え続け、海は蒸発し地球は赤茶けた姿に変貌し、[[放射能]]汚染で地上の生物は死滅する。人類は地下都市を建設し、[[地球防衛軍 (宇宙戦艦ヤマト)|地球防衛軍]]を結成して抵抗を続けていたが、科学力の差の前になす術もなく、地下にも放射能汚染が進行し、人類滅亡まであと1年と迫っていた。
 
 
 
そんな中、外宇宙から飛来した1隻の宇宙船が火星に不時着し、通信カプセルが回収される。その中には、地球から14万8000[[光年]]離れた[[大マゼラン雲|大マゼラン星雲]]にある'''[[イスカンダル (宇宙戦艦ヤマト)|イスカンダル星]]'''から地球に宛てた、「放射能除去装置 '''コスモクリーナーD'''を受け取りに来るように」とのメッセージと、外宇宙航海に必要な'''[[波動エンジン]]'''の設計図が納められていた。
 
 
 
地球は、宇宙船へと改造されつつあった、九州・坊ノ岬沖で[[第二次世界大戦|250年も前の世界大戦]]中に沈んだ戦艦「'''[[大和 (戦艦)|大和]]'''」に、この波動エンジンを搭載し、コスモクリーナーの受領のための宇宙戦艦「'''[[ヤマト (宇宙戦艦ヤマト)|ヤマト]]'''」として完成させる。'''[[沖田十三]]'''を艦長とし、'''[[古代進]]'''、'''[[島大介]]'''、'''[[森雪]]'''などの乗組員を乗せ、イスカンダル星に向け、1年という限られた猶予の中、宇宙戦艦ヤマトは人類最後の希望を託されて往復29万6千光年の旅に発つ。
 
 
 
ガミラス冥王星前線基地を撃破して太陽系を離脱したヤマトは、宇宙機雷やガス生命体などのガミラスの罠や、原始星団などの自然現象を突破して銀河系外へと踏み出す。一方、ヤマトの存在を目障りに思い始めたガミラス総統'''[[デスラー]]'''は、将軍'''[[ドメル]]'''にヤマト討伐の任を与える。次元断層で一戦交えてヤマトを強敵と判断したドメルは、ヤマトの航路の中間地点バラン星までヤマトを誘い込み、バラン基地ごと撃破する作戦を立案・実行するが、作戦内容に反発した部下の密告により失敗し、基地のみを失ってしまう。
 
 
 
デスラーの温情により最後のチャンスを与えられたドメルは、ヤマトと七色星団での決戦に臨む。ヤマトは[[瞬間物質移送器]]での航空機のワープによる奇襲攻撃に苦戦し、ドリルミサイルで切り札の[[波動砲]]を封じられて内部から爆破される窮地に立たされるが、ドリルミサイルの排出と爆発で逆に敵艦隊を撃滅する。生き残ったドメルはヤマトへ接舷し、沖田と言葉を交わした後、ヤマトを巻き込み自爆する。辛うじて生き延びたヤマトだったが、その犠牲は大きく、戦死した乗組員の宇宙葬を行い、再びイスカンダルへ進み始める。
 
 
 
ヤマトはついに大マゼラン星雲まで辿り着くが、そこにはイスカンダル星だけでなく、[[二重惑星]]であるガミラス星もあった。罠に嵌ってガミラス星へと引きずり込まれたヤマトは絶体絶命となるが、波動砲で海底火山脈を撃ちぬき、地上に大火山活動を誘発させ勝機を見出す。激戦の末、生けるもののいない廃墟と化したガミラス星を見た古代は、自分たちが犯した過ちを痛感する。そして、自分たちに今できることはイスカンダルへ向かうことであると思い至り、再びヤマトを発進させる。
 
 
 
イスカンダルへ辿り着き、コスモクリーナーDを受け取ったヤマトは、一路地球への帰路を急ぐが、地球を間近にしてガミラス本星での戦闘を生き延びたデスラーに襲撃され、その戦いの中で森雪が命を落としてしまう。恋人である古代は悲しみに暮れ、地球を目前として、雪の遺体を第一艦橋へと連れて行き、ともに地球の姿を眺める。地球を目前にした沖田は、その姿を目に焼き付け静かに息を引き取る。その後、第一艦橋に連れてこられていた雪が蘇生し、古代を始め艦橋にいた全員に喜びが広がった。
 
 
 
そして、西暦2200年、ヤマトは地球へと帰還。地球は蘇り、元の青さを取り戻した。
 
 
 
== 主な登場キャラクター ==
 
{{see also|宇宙戦艦ヤマトシリーズの登場人物一覧}}
 
 
 
=== 地球人 ===
 
; [[沖田十三]]
 
: ヤマト艦長。52歳。
 
: 歴戦の勇将だが、宇宙放射線病に侵されている。イスカンダルへの旅を命を賭けるだけの価値があるものだと考え、ヤマトに乗り込む。
 
; [[古代進]]
 
: ヤマト戦闘班長。18歳。
 
: 沖田以外のヤマト乗組員の中では唯一の天涯孤独の孤児。兄を戦死させた沖田を当初は信用していなかったが、次第に信頼していくようになる。血気盛んな性格で、命令違反や独断行動をよくとっていたが、航海の中で成長して行き、バラン星での戦闘後、沖田から艦長代理に任命される。
 
; [[森雪]]
 
: ヤマト生活班長。18歳。
 
: ヤマト唯一の女性乗組員<ref group="注">ただし、第10話では雪以外の女性乗組員の姿も確認される。プロデューサーの西崎は、元々ヤマトの女性乗組員は雪一人と考えていたが、現場との情報伝達が不十分のため作画されてしまったと語っている。</ref>。後に古代と恋仲となる。
 
; [[島大介]]
 
: ヤマト航海班長。18歳。
 
: 古代とは親友でありライバル。古代とは対照的に冷静な性格で、イスカンダルへの航海を最優先に考える。
 
; [[古代守]]
 
: 駆逐艦ゆきかぜ艦長。28歳。
 
:冥王星会戦において、撤退命令を拒否し、敵艦隊へ特攻していき行方不明となる。
 
 
 
=== イスカンダル人 ===
 
; [[スターシャ|スターシャ(スターシァ、スターシア)]]
 
: イスカンダルの女王。地球へ救済の手を差し伸べる。
 
; [[サーシャ (宇宙戦艦ヤマト)|サーシャ(サーシァ、サーシア)]]
 
: スターシャの妹。波動エンジンの設計図を持って地球へ向かうが、ガミラスの攻撃を受け火星に不時着。古代と島が発見したときには既に息絶えていた。
 
 
 
=== ガミラス人 ===
 
; [[デスラー]]
 
: 大ガミラス帝国を統べる総統。地球への移住を計画する。
 
; [[ヒス]]
 
: 大ガミラス帝国の副総統。
 
; [[ドメル]]
 
: 太陽系方面作戦司令長官。歴戦を潜り抜けてきた名将で、ルビー戦線から凱旋帰国した後、ヤマト討伐に志願する。
 
; [[ゲール (宇宙戦艦ヤマト)|ゲール]]
 
: 太陽系方面副司令官。元は司令官だったが、ドメルの着任に伴い降格された。ドメルとは折り合いが悪い。
 
; [[シュルツ (宇宙戦艦ヤマト)|シュルツ]]
 
: ガミラス冥王星前線基地司令官。遊星爆弾を使用し、地球環境の改造を行った。
 
 
 
== 主な登場メカ ==
 
{{see also|宇宙戦艦ヤマトシリーズの登場艦船一覧|宇宙戦艦ヤマトシリーズの航空機・宇宙艇|宇宙戦艦ヤマトシリーズの輸送船・特殊艦船|宇宙戦艦ヤマトシリーズの陸上兵器・地上部隊}}
 
 
 
=== 地球防衛軍 ===
 
==== 艦艇 ====
 
; [[ヤマト (宇宙戦艦ヤマト)|宇宙戦艦ヤマト]]
 
: 本作の主役戦艦。全長265.8m。乗組員数114名。
 
: イスカンダルから提供された波動エンジンの設計図により、地球で最初に光速突破を果たした。元々は選ばれた人類を乗せて地球を脱出するために造られた移民船。
 
; [[沖田艦]]
 
: 地球防衛艦隊に所属する宇宙戦艦。冥王星会戦において唯一生還した。
 
; [[ゆきかぜ (宇宙戦艦ヤマト)|突撃宇宙駆逐艦ゆきかぜ]]
 
: 地球防衛艦隊に所属するミサイル艦で、古代守が艦長を務める。同型艦が多数登場するが、全艦撃沈される。
 
 
 
==== 航空機・宇宙艇 ====
 
; [[コスモゼロ]]
 
: ヤマト艦載機。運用の位置付けは基本、戦闘班長および編隊長機。
 
; [[ブラックタイガー (宇宙戦艦ヤマト)|ブラックタイガー]]
 
: ヤマト艦載機。
 
 
 
=== ガミラス軍 ===
 
==== ガミラス軍の艦艇 ====
 
; [[駆逐型デストロイヤー艦]]
 
: ガミラスの中では最もポピュラーな艦艇。ヤマトより旧型の地球艦では全く歯が立たない性能を有している。
 
; [[高速空母]]
 
: ガミラスが保有する円盤型の空母。発進前のヤマトを急襲した。
 
; [[ドメラーズ2世]]
 
: 七色星団の戦いにおけるドメル艦隊の旗艦。艦首両舷に[[瞬間物質移送器]]を搭載しており、艦載機をワープさせることでヤマトへの奇襲を行った。
 
; [[三段空母]]
 
: ガミラスの精鋭空母。4つの飛行甲板を有する。七色星団の戦いにおいて、ルビー、サファイア、ダイヤ戦線から3隻が召集された。
 
; [[戦闘空母]]
 
: ガミラスの精鋭空母。飛行甲板を反転させることで多数の砲門を露出させ、砲撃戦も行うことができる。七色星団の戦いにおいて、オメガ戦線から召集された。
 
; [[デスラー艦]]
 
: デスラーの座乗艦で、元はガミラス天井都市にある総統府。艦首に[[波動砲]]と同原理の[[デスラー砲]]を搭載している。
 
 
 
==== ガミラス軍の航空機・宇宙艇 ====
 
; [[宇宙戦艦ヤマトシリーズの航空機・宇宙艇#ガミラス戦闘機|ガミラス戦闘機]]
 
: 冥王星前線基地等に配備されている戦闘機。後に偵察の機体の1機がヤマトに鹵獲された。
 
; [[宇宙戦艦ヤマトシリーズの航空機・宇宙艇#DMF-3|ドメル式DMF-3型高速戦闘機]]
 
: 七色星団の戦いにおいて第1空母に搭載された戦闘機。通称「ガミラスファイター」。
 
; [[宇宙戦艦ヤマトシリーズの航空機・宇宙艇#DMB-87|ドメル式DMB-87型急降下爆撃機]]
 
: 七色星団の戦いにおいて第2空母に搭載された爆撃機。
 
; [[宇宙戦艦ヤマトシリーズの航空機・宇宙艇#DMT-97|ドメル式DMT-97型雷撃機]]
 
: 七色星団の戦いにおいて第3空母に搭載された雷撃機。
 
; [[宇宙戦艦ヤマトシリーズの航空機・宇宙艇#重爆撃機|重爆撃機]]
 
: 七色星団の戦いにおいて戦闘空母に搭載された大型の爆撃機。ヤマトの波動砲口に[[ドリルミサイル]]を発射した。
 
 
 
==== ガミラス軍の各種兵器 ====
 
; [[遊星爆弾]]
 
: 地球に投下されている隕石型の爆弾で、地球上の都市を壊滅へ追いやり、地表を放射能で汚染した。
 
; [[反射衛星砲]]
 
: 冥王星前線基地に配備されていた拠点防衛兵器。反射衛星を中継して砲撃を行うことができ、事実上の死角がない。
 
 
 
== 登場勢力・天体 ==
 
{{see also|宇宙戦艦ヤマトシリーズの天体}}
 
; [[太陽系]]
 
:; [[地球]]
 
:: 太陽系第3惑星。ガミラスの手によって地表を放射能汚染されており、その放射能が地下都市をも汚染しつつある。
 
::; [[地球防衛軍 (宇宙戦艦ヤマト)|地球防衛軍]]
 
::: 地球を守るために編成された軍。ガミラスとの戦いで消耗しきっており、最後の頼みである地球防衛艦隊も冥王星会戦で壊滅した。
 
:; [[火星]]
 
:: 太陽系第4惑星。冥王星会戦の最中、サーシャが不時着した。
 
:; [[木星]]
 
:: 太陽系第5惑星。波動エンジンに異常を来たしたヤマトがその引力につかまり、木星圏へ引き寄せられた。
 
::; 浮遊大陸
 
::: 木星の雲の中の衛星軌道に乗っている大陸。ガミラスによって占領されていたが、ヤマトの波動砲によって消滅した。
 
:; [[土星]]
 
:: 太陽系第6惑星。
 
::; [[タイタン (衛星)|タイタン]]
 
::: 土星の衛星。コスモナイトが微量、埋蔵されている。
 
:; [[冥王星]]
 
:: 太陽系第9惑星<ref group="注">放映当時の設定。現在では[[準惑星]]に分類されている、</ref>。ガミラスの前線基地が設置されている。
 
; [[宇宙戦艦ヤマトシリーズの天体#サンザー太陽系|太陽系サンザー]]
 
: 大マゼラン星雲内にある恒星系。
 
:; [[イスカンダル (宇宙戦艦ヤマト)|イスカンダル]]
 
:: サンザーの第8惑星。ガミラス星とは二重惑星の関係。
 
:; [[ガミラス帝国]]
 
:: サンザーの第8惑星を母星とする星間国家。20世紀の始め以来、宇宙侵略を着々と進めていたが、母星の寿命が近づいたため地球への移住を計画し、地球人類の抹殺を計る。
 
; [[宇宙戦艦ヤマトシリーズの天体#オクトパス原始星団|オクトパス原始星団]]
 
: 銀河系と外宇宙の境界付近にある8つの[[原始星]]で構成された星団。ヤマトはここで3週間もの足止めを食うことになる。
 
; [[宇宙戦艦ヤマトシリーズの天体#ビーメラ星|ビーメラ星]]
 
: 銀河間空間に存在する惑星。昆虫型の[[ヒューマノイド]]による社会が構成されているが、現在ではガミラスの支配下に置かれ、ガミラスの傀儡と化した女王による恐怖政治が行われている。
 
; [[宇宙戦艦ヤマトシリーズの天体#バラン星|バラン星]]
 
: 銀河系と大マゼラン星雲のちょうど中間に位置する惑星。ガミラスの基地が存在する。主星を持たない暗黒の星だが、ガミラスによって打ち上げられた人工太陽が惑星の周囲を周っている。
 
; [[宇宙戦艦ヤマトシリーズの天体#七色星団|七色星団]]
 
: 大マゼラン星雲の手前にある星団。それぞれ違った習性に基づく6つの星とガス状の暗黒星雲からなる混成星団。ヤマトとドメル艦隊による決戦が行われた。
 
 
 
== 用語 ==
 
; 波動エンジン
 
: イスカンダルから伝えられた恒星間航行用エンジン。宇宙エネルギーを取り込み圧縮して、光よりも速いタキオン粒子に変換し、それを動力とする。
 
; 宇宙キロ・宇宙ノット
 
: 本作で使用される架空の単位。宇宙キロは宇宙空間での距離を表す場合に、宇宙ノットは宇宙空間での艦船などの速度を表す場合に使用される。宇宙キロ、宇宙ノットは共に、本作に限らず松本作品で宇宙を舞台とした作品でしばしば使用されるが、実在する距離・速度との換算が作中に明確に登場したことはない。
 
; <span id="宇宙放射線病">宇宙放射線病</span>
 
: ヤマトの初代艦長[[沖田十三]]が度重なる海戦で受けた[[戦傷]]により[[発症]]する。ヤマト出航前には、すでに蝕まれており、航海途中に悪化する。本作のリスペクトとして『[[トップをねらえ!]]』、続く『[[トップをねらえ2!]]』に同様の病名が登場している。
 
; <span id="コスモクリーナーD">コスモクリーナーD</span>
 
: [[イスカンダル (宇宙戦艦ヤマト)|イスカンダル]]星所有の[[放射能]]除去装置。イスカンダル星の[[スターシャ]]から、「滅亡したくなければ、受け取りに来るように」のメッセージが地球に送られ、ヤマトは旅立つことになる。
 
: イスカンダル星ではパーツ単位で引き渡され、スケジュールの関係上、地球への帰路の最中に[[真田志郎]]により艦内工場にて組み立てられる。地球到着直前、不測の事態により試運転もなしに起動、空気から放射能を除去する過程で[[酸欠]]状態を作り出してしまうことが判明、改修が行われた。
 
: そして、ヤマトの帰還とともに、荒廃した地球がもとの青さを取り戻す光景が、本作のラストシーンとなった。
 
 
 
== スタッフ ==
 
{{See also|#制作体制}}
 
 
 
* 企画・原案・プロデューサー - [[西崎義展]]
 
* 監督・設定デザイン - [[松本零士]]
 
* 構成 - [[舛田利雄]]、西崎義展、[[山本暎一]]
 
* 音楽 - [[宮川泰]]
 
* SF設定 - [[豊田有恒]]
 
* 設定製作 - [[野崎欣宏]]
 
* メカニックデザイン - 松本零士、[[スタジオぬえ]]
 
* 監修 - 山本暎一、舛田利雄、豊田有恒
 
* 演出 - [[石黒昇]]
 
* 現像 - [[東京現像所]]
 
* キャラクターデザイン - [[岡迫亘弘]]
 
* 原画 - [[正延宏三]]、[[タイガープロダクション|タイガープロ]]([[金田伊功]]、[[内山正幸]]、[[友永和秀]])、[[湖川友謙]]、[[山崎和男]] 他
 
* 音響監督 - 田代敦巳
 
* 雑誌連載 - [[小学館学習雑誌]]、[[テレビランド]]、[[冒険王 (漫画雑誌)|冒険王]]、朝日ソノラマ
 
* 制作担当プロデューサー - 佐野寿七、柴山達雄、中村建一
 
 
 
== 制作の経緯 ==
 
=== 企画の発端 ===
 
本作は、[[虫プロダクション|虫プロ商事]]と[[瑞鷹 (アニメ制作会社)|瑞鷹エンタープライズ]]にも籍を置いていたオフィスアカデミーのプロデューサー[[西崎義展]]が[[虫プロダクション]]の[[山本暎一]]に声をかけ1973年の初め頃に企画を立ち上げた<ref>山本暎一『虫プロ興亡記 安仁明太の青春』新潮社、1989年、p.338</ref><ref>[http://www.starblazers.com/html.php?page_id=455 StarBlazers.com - Yamato Origins Part 1: The Big Picture] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20100918011944/http://www.starblazers.com/html.php?page_id=455 |date=2010年9月18日 }}</ref>。前2作(『[[海のトリトン]]』、『[[ワンサくん]]』)を商業的に失敗で終えた西崎は[[ロバート・A・ハインライン]]の『地球脱出』(後に『メトセラの子ら』に改題)における「地球の危機的状況から脱出して宇宙に移住の地を求める」話に刺激を受けた<ref name="hanketsu">[http://www.law.co.jp/cases/yamato.htm 『宇宙戦艦ヤマト』事件判決] [http://www.law.co.jp/ 弁護士法人英知法律事務所公式サイト] 内</ref>。これに[[豊田有恒]]と[[スタジオぬえ]]のメンバーが参加して練られたものである。テレビアニメ草創期に虫プロでアニメの脚本を執筆していた豊田は、当時アニメ界から離れていたが、西崎と虫プロ出身である山本暎一の要請に応える形で参加した{{sfn|豊田|2000|p=224}}。
 
 
 
西崎は、子供の頃に[[海野十三]]<ref group="注">松本零士も海野十三に憧れていたため、自分がキャラクター設定を任された際に、艦長を「沖田十三」と命名した。</ref>や[[南洋一郎]]によるSF冒険作品から影響を受け、透明な飛行機や空飛ぶ戦艦などに憧れていた<ref name="nishizaki1978">[https://web.archive.org/web/20120402091742/http://www.starblazers.com/html.php?page_id=456 StarBlazers.com - Yamato Origins Part 2: Yoshinobu Nishizaki Essay, 1978](英語)(インターネットアーカイブ2012年4月2日分キャッシュ)を参照<!--日本語→英訳→和訳なので、原文とは言葉やニュアンスが異なっている可能性あり。StarBlazers.comによれば、原文は1978年6月にオフィス・アカデミーから出版された全3巻のハードカバー書籍に載っていたそうなので、手元にある方は補足・訂正して下さい-->。</ref>。
 
 
 
最初の企画案は、[[藤川桂介]]と豊田有恒が競合する形で創られた。
 
 
 
藤川案におけるタイトルは『'''宇宙戦艦コスモ(仮題)'''』<ref>詳細および関連イラストは[https://web.archive.org/web/20121009194139/http://www.starblazers.com/html.php?page_id=457 StarBlazers.com - Yamato Origins Part 3: Space Battleship Cosmo](英語)(インターネットアーカイブ2012年10月9日分キャッシュ)を参照。</ref>。
 
 
 
一方、豊田案におけるタイトルは『'''アステロイド6'''』。『[[西遊記]]』を下敷きにして遠い異星に人類を救う放射能除去装置を取りに行くという基本ストーリーで{{sfn|豊田|2000|p=225}}、この段階での敵はコンピュータだった。宇宙船は、[[小惑星]]そのものにエンジンを組み込んだもので、「岩石宇宙船イカルス」と呼ばれていた<ref>詳細および関連イラストは[https://web.archive.org/web/20121009193204/http://www.starblazers.com/html.php?page_id=458 StarBlazers.com - Yamato Origins Part 4: Asteroid Ship Icarus](英語)(インターネットアーカイブ2012年10月9日分キャッシュ)を参照。</ref>。乗員も世界各国から集まる国連形式で構想され、名前や性格などの素案も作成された。
 
 
 
豊田案が提出用企画書の原案となり、岩石宇宙船の内部に戦艦が内蔵された「アステロイドシップヤマト」なるアイデアに変更された。その名残りがアステロイドリングに見られる。
 
 
 
宇宙船のデザインはスタジオぬえの[[松崎健一]]が行い、戦艦「[[三笠 (戦艦)|三笠]]」のイメージ{{sfn|ガンダム者|2002|pp=99-100|ps=松崎健一インタビュー}}から「[[長門 (戦艦)|長門]]」らしくなり、最終的には「[[大和 (戦艦)|大和]]」となった。企画書(後述)に描いたのは背景監督の槻間八郎だった{{sfn|ロマンアルバムEX.54|1983|p=213.214.225}}。
 
 
 
当時の世相として、公害問題や[[オイルショック]]など大規模な社会問題が頻発し、『[[ゴジラ対ヘドラ]]』や『[[日本沈没]]』『[[ノストラダムスの大予言 (映画)|ノストラダムスの大予言]]』『[[漂流教室]]』など、1970年代前半には“滅亡”や“公害”をテーマにした作品がブームとなっており<ref>[[山本弘 (作家)|山本弘]]『トンデモ大予言の後始末』[[洋泉社]]、2000年、pp.46-47</ref><ref>夏目房之介『マンガの力 成熟する戦後マンガ』晶文社、1999年、p.164。</ref>、放射能汚染による地球の滅亡と復活という内容には、そうした公害と終末ブームという世相が企画当初から意識されていた{{sfn|豊田|2000|p=225}}。
 
 
 
その後、元虫プロの作家の[[石津嵐]]、脚本家の[[藤川桂介]]、イラストの斉藤和明、背景美術の槻間八郎が加わり検討が繰り返された結果、敵は異星人となり、放射能汚染された地球を救うためにヤマトが放射能除去装置を求めてイスカンダル星を目指すという大筋が完成した。この時点で、ワープ航法や波動砲といったヤマトを象徴するギミックも考案されている。
 
 
 
1973年夏の終わり頃までに『宇宙戦艦ヤマト』の名を冠した企画書<ref>この企画書の内容は、「[[月刊OUT]]」1977年9月号で初めて一般公開された。</ref>が完成。全45ページにおよぶ同企画書は、『[[ポセイドン・アドベンチャー]]』や『日本沈没』に触れる導入部から始まり、全52話のプロット、ヤマト艦内の命令系統図、ヤマト本体のスペック、イスカンダル到着までの日程・行程、乗組員の制服・武器、さまざまな惑星・異星人・宇宙船などに関する諸設定をイメージ・イラスト付きでまとめていた<ref>[https://web.archive.org/web/20121009192718/http://www.starblazers.com/html.php?page_id=459 StarBlazers.com - Yamato Origins Part 5: Plan Book by Eiichi Yamamoto](インターネットアーカイブ2012年10月9日分キャッシュ)および[http://www.starblazers.com/html.php?page_id=460 StarBlazers.com - Yamato Origins Part 5b: Plan Book by Eiichi Yamamoto, Part 2] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20130113160607/http://www.starblazers.com/html.php?page_id=460 |date=2013年1月13日 }}(ともに英語)に、企画書の一部が画像ファイルとして掲載されている。</ref>。
 
 
 
1974年の4月頃になって、[[松本零士]]がデザインのスタッフとして参加依頼を受けた。これは、設定制作の[[野崎欣宏]]の推薦によるものだった<ref name="hanketsu"/>。既に『宇宙戦艦ヤマト』のタイトルも読売テレビでの放映も決定していた段階での参加だったが<ref>「インタビュー 私は『みつばちマーヤ』が作りたい 松本零士」『季刊ファントーシュ』第2号、1976年。松本零士の発言による</ref><ref>「松本零士インタビュー 」『ぱふ』1981年9月号、p.91。</ref>、結果的にキャラクターや個々のストーリー作りなど作品制作に深く関わるようになる。さらに監督を務める予定だった山本暎一が、他の仕事のため1974年6月末にヤマトから抜けることになったことにより、松本が石黒昇のサポートを受けながら監督も務めた<ref name="hanketsu"/>。松本は、キャラクターやメカのデザインをするとともに、『[[新選組血風録]]』を元に若者の集団劇を構成した<ref>『ぴーぷる最前線 松本零士』[[福武書店]]、1983年、p.166。</ref><ref>瀬戸龍哉編『コミックを創った10人の男 巨星たちの春秋』[[ワニブックス]]、2002年、p.8。松本零士インタビュー。</ref>。
 
 
 
一説では、『[[セクサロイド (漫画)|セクサロイド]]』に感銘した西崎が松本にデザイン監修を持ちかけたところ、「全てを任せてもらえるのでなければ」といったん断られたが、上記のように山本が離脱したため、西崎が松本の条件を受け入れることになったとされている<ref name="matsumoto-outline">[http://www.starblazers.com/html.php?page_id=302 StarBlazers.com - Matsumoto's Yamato: Story Outline by Leiji Matsumoto] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20120312083646/http://www.starblazers.com/html.php?page_id=302 |date=2012年3月12日 }}(英語)を参照。</ref>。これについて西崎は1978年のエッセイで、『セクサロイド』で機械と人間がうまく共存している描写に共感を覚え、また同作における女性のイメージが自分の理想像になったと述べている<ref name="nishizaki1978"/>。
 
 
 
松本は、上記の1973年の企画書にあったキャラクター設定・メカ設定を一新し、1974年5月21日に基本ストーリーの初稿を執筆した。「ガミラス」という名称が初めて使われたのも、この稿である<ref name="matsumoto-outline"/>。
 
 
 
=== 放映の決定 ===
 
西崎はテレビ局へ企画を持ち込み、1974年8月に読売テレビに売り込むための[[パイロット版|パイロットフィルム]]が制作された<ref>[http://www.starblazers.com/html.php?page_id=463 StarBlazers.com - Yamato Origins Part 9: The Pilot Film and the Homestretch] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20120314210158/http://www.starblazers.com/html.php?page_id=463 |date=2012年3月14日 }}(英語)も参照。</ref>。こうして『宇宙戦艦ヤマト』の放映枠は日本テレビ系の日曜19時半に決まった。企画当初は虫プロでのアニメ制作が予定されていたが、虫プロは倒産し{{sfn|ガンダム者|2002|PP=99-100|ps=松崎健一インタビュー}}、本作はオフィス・アカデミーで企画製作を行うこととした。なお、『宇宙戦艦ヤマト』の企画は西崎プロデューサーが在籍していた瑞鷹で行われ、フジテレビ系の裏番組『[[アルプスの少女ハイジ]]』が瑞鷹の製作番組だったため、道義上の問題から、別会社での製作になったのだという瑞鷹の高橋茂人の見解もある<ref>[[小野耕世]]「[http://www.kyoto-seika.ac.jp/event/kiyo/pdf-data/no26/ono.pdf 高橋茂人, 日本におけるテレビCMとTVアニメの 草創期を語る(TCJからズイヨーへの歴史)]」 [[京都精華大学]]内</ref>。
 
 
 
なお、当初の企画書では全52話だったが、放送決定時には全39話に短縮された<ref>[http://www.starblazers.com/html.php?page_id=462 StarBlazers.com - Yamato Origins Part 8: The 39-Episode Outline]に全39話のプロットが掲載されている。結局、視聴率がふるわず、最終的には全26話に短縮された。そのため、先行執筆されていた小説版のエピソードやキャラクターの一部([[ハーロック]]など)がカットされた。</ref>。
 
 
 
『ハイジ』の裏番組になったため『ハイジ』の視聴者である幼児をターゲットとせず、本作は『[[ルパン三世 (TV第1シリーズ)|ルパン三世(旧)]]』、『[[ゼロテスター]]』と同じく中学生以上を取り込むことになった{{sfn|猪俣|1995}}<!--ページ数を銘記してください-->。<!--1974年夏に読売テレビへのプレゼン用の[[パイロットフィルム]]が完成した。-->
 
 
 
=== 制作体制 ===
 
西崎義展をプロデューサーとし、監督は松本零士(絵コンテ・美術・設定デザインも担当)、演出は石黒昇が担当。松本のキャラクター原案を元にしたキャラクターデザインは岡迫亘弘。SF設定は豊田有恒。スタッフの多くが[[虫プロダクション#株式会社虫プロダクション(旧虫プロ)|虫プロダクション]](旧虫プロ)の出身者により占められた<ref>アニメージュ編集部編『TVアニメ25年史』徳間書店、1988年、p.55</ref>。[[山本暎一]]、藤川、宮川、石黒昇などのメインスタッフは前年の西﨑プロデュースの虫プロ作品『[[ワンサくん]]』から続投である<ref>アニメスタイル編集部「TVアニメ50年史のための情報整理 [http://animestyle.jp/2012/08/20/2089/#content 第11回 1973年(昭和48年)虫プロの倒産と業界の再編成]」 WEBアニメスタイル 2012年8月20日</ref>。
 
 
 
演出の石黒昇は、アニメに初参加だった監督の松本零士をサポートし、絵コンテを全てをチェックして、西崎と松本のイメージを画面作りに反映する演出作業を行った。石黒はSF好きということもあり、無重力での爆発などヤマト独特の爆発フォルムを産み出したり、さまざまな自然現象のエフェクトアニメーションにも手腕をふるった{{sfn|池田編|1982|p=34}}{{sfn|石黒・小原|1980|pp=201-207}}。作画面では、岡迫と[[芦田豊雄]]の虫プロ系と、小泉謙三のスタジオメイツと[[白土武]]の[[タイガープロダクション]]と主に東映動画(現・[[東映アニメーション]])の仕事を主にしていた作画プロダクションに二分された。そのため、作画監督によってキャラクターの顔が異なり、そのことは逆にアニメファンにアニメーターの個性を認識させる一因となった<ref>小黒祐一郎「この人に話を聞きたい 第八十五回 芦田豊雄 前編」『アニメージュ』2006年3月号、徳間書店。</ref>。オープニングや[[バンクシステム|バンク]]のヤマトの作画は泉口薫が担当した{{sfn|池田編|1982|p=30}}。
 
 
 
構成と監修でクレジットされている映画監督の[[舛田利雄]]は、西崎プロデューサーに監督とストーリーの監修を依頼されたが同時期に既に制作に入っていた東宝映画『[[ノストラダムスの大予言]]』の仕事のため、企画会議に3度出席しただけで実際にはテレビシリーズには直接タッチしていない<ref name="masuda290">佐藤・高編、2007年、p290.</ref>。
 
 
 
初期の企画担当者で基本設定を考案した豊田有恒は、裏番組の『猿の軍団』の原作者の1人となったことから、脚本は執筆せず、監修という立場でSF設定の助言をするにとどまった{{sfn|豊田|1979|pp=109-110}}。
 
 
 
企画段階から参加して企画書をまとめた山本暎一は「宇宙戦艦ヤマト」の[[ロゴ]]をデザイン。一旦は別の仕事の海外取材をしていたが、西崎プロデューサーの要請で復帰。各話のラフを担当した上に脚本を執筆してヤマトを人間ドラマ中心にシフトさせた他、脚本と絵コンテのチェックの役目を負った{{sfn|ロマンアルバムEX.54|1983|p=204}}<ref>山本暎一「『宇宙戦艦ヤマト』への情熱 西崎義展さんを悼む」『[[東京新聞]]』2010年11月26日付夕刊</ref><ref>『月刊OUT』1977年9月号</ref>。
 
 
 
[[富野由悠季|富野喜幸]]、[[安彦良和]]らが制作スタッフとして参加しており、主に絵コンテを担当した。ただし富野は「ヤマト」制作への参加は当初から乗り気ではなく、強引に発注された絵コンテのストーリーが気に入らず内容を改竄して、参加は第4話のみに留まる。西崎主導の作品と分かって縁を切るために喧嘩を売ったのだと富野は自著で回想した<ref>富野由悠季『だから 僕は… 増補改訂版』徳間書店アニメージュ文庫、1983年、p.297。</ref><ref name="tomino">『富野由悠季全仕事』キネマ旬報社、1999年、p.102.富野由悠季インタビューより</ref>。ただし富野はプロデューサーとしての西崎については評価しており、「[[機動戦士ガンダム]]」を制作した理由もライバルとして評価する西崎を打倒するため、ロボットものを使ってでもヤマトを潰すためだったと公言している<ref>『だから 僕は… 増補改訂版』p.298</ref><ref>天本伸一郎編「第2章/サンライズ創生記 富野由悠季ロング・インタビュー「1972〜1978」」『富野由悠季 全仕事』[[キネマ旬報社]]〈キネ旬ムック〉、1999年6月9日、ISBN 4-906649-00-9、103頁。</ref>。
 
 
 
なお、監督については、クレジットされていた松本零士ではなく、実質的には、製作総指揮をとっていた西崎義展だった。三共と東北新社のパチンコの訴訟で、東京地方裁判所は各証拠に基づいて「本件映画の監督は、映画における表示では補助参加人P1とされていたが、その制作に当たっての実質的な監督業務は、P2が行った」という「当裁判所の判断」を下している<ref name="H181227">[http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20061228131917.pdf H18.12.27 東京地裁 平成16(ワ)13725 著作権 民事訴訟事件] 裁判所公式サイト</ref>。松本自身も、著作者人格権裁判の後、2004年に西崎と交わした和解書で自身は「総設定・美術・デザイン」の担当であり、「監督」は西崎であったことを確認している<ref>[https://web.archive.org/web/20060620234336/http://www.enagio.com/yamato/reconciliation-3-.pdf 和解書] エナジオ公式サイト内 (InternetArchiveのキャッシュ)</ref>。
 
 
 
音楽面では、音楽とストーリーの融合性も当初から重視していた西崎は、『ワンサくん』で組んだ[[宮川泰]]を引き続き起用し、山本暎一と相談しながら、迫力あり、かつ番組の基本テーマを強調するような音楽を製作するよう依頼した<ref name="nishizaki1978"/>。西崎の強い意向で、フルオーケストラ(第1作は正確には[[ビッグバンド]]型式)をバックにした主題歌や楽曲が宮川泰の手で作曲された。なお、『ヤマト』以前は予算の制約からこのような例は多くなかった。本作から、アニメ音楽の[[サウンドトラック]]はオーケストラが増えて、ビデオがまだ普及していない時代において音楽編とともにドラマ編がリリースされていた<ref>佐藤忠男、山根貞男責任編集『シネアルバム 日本映画1983 1982年公開映画全集』芳賀書店、1983年、p.207。</ref>。
 
 
 
=== 製作状況 ===
 
制作スタジオは広く、スタッフの質量は通常のテレビアニメなら4シリーズ分が制作できるだけの人材が投入されたが、絵コンテで参加した安彦良和は西崎義展による会議の連続でスケジュール管理が破綻していたと証言している{{sfn|ガンダム者|2002|pp=63&ndash;64}}。そのため、現場はかなり過酷な環境であったと言われ<ref name="yoiko">岡田斗司夫、山本弘『空前絶後のオタク座談会2 ナカヨシ』楽音楽専科社、2002年、pp.14-15。『ヤマトアソシエーション』出身で本作のDVDの解説書を担当した伊藤英明の発言による。</ref>、打ち切りは低視聴率のせいではなく、放送スケジュールに間に合わせてフィルムを納品できなくなったため、西崎の側から降りたのではないかと安彦が推測するほどであった{{sfn|ガンダム者|2002|pp=63&ndash;64}}。映像が間に合わず、シナリオだけで録音をしたという声優の証言もある{{要出典|date=2010年1月}}。作中の七色星団会戦は、「タイガープロ(作画プロダクション)をつぶしかねないほどの日程(9人の原画マンで50日)と描きこみが行われた」とする当時の同プロダクション代表・白土武の証言もある。{{sfn|ロマンアルバムEX.54|1983|pp=224}}要因として、西崎の会議主義のために会議が多く、製作現場で描く時間がなかったことが挙げられている{{sfn|ガンダム者|2002|pp=63&ndash;64}}<ref name="yoiko"/>。後年に徳間書店から発売されたロマンアルバムなどの資料によれば、会議中に出たアイデアを説明するために作画した絵がそのまま採用されたと松崎健一は語っている。{{sfn|ロマンアルバムEX.54|1983|pp=225}}。
 
 
 
なお、西崎は[[大塚康生]]に作画監督として本作に参加しないかと誘ったことがあるが、即座に断られている。{{sfn|大塚|2004|pp=27}}<ref>[http://toyokeizai.net/articles/-/116453 宮崎駿の"師匠"の原点は蒸気機関車だった] - 東洋経済オンライン</ref>
 
 
 
=== 別バージョン ===
 
第1話、第2話、第22話には諸般の事情により本放送で使用されなかったり、再放送以降使用されない別バージョンが存在し、それぞれ「NG版第1話」、「再放送第2話」、「本放送NG第22話」と呼ばれている。これらは『宇宙戦艦ヤマトDVDメモリアルボックス』及び『宇宙戦艦ヤマトTV BD-BOX』に映像特典として収録されている<ref>『宇宙戦艦ヤマトDVDメモリアルボックス 保完ファイル』バンダイビジュアル、2000年、p.24等より。</ref>。
 
; 第1話
 
: NG版第1話では島大介の声が[[仲村秀生]]ではなく、新人であった[[野村信次]](本放送では相原義一役)が演じているが、古代の声を演じた[[富山敬]]にトーンが重なるために、本放送版では落ち着いた仲村秀生に変更され、島の声だけが再録音された。他にも沖田艦に格納される[[宇宙戦艦ヤマトシリーズの航空機・宇宙艇|100式探索艇]]の入庫角度がやや異なったり、OPとEDの歌手が[[ささきいさお]]ではなく、[[山崎あきら]]が[[子門真人]]風に歌っている。このNG版第1話の原盤は現在紛失しており、メモリアルボックスでは簡易テレシネで録画した家庭用ビデオ版から収録している。
 
; 第2話
 
: 再放送版第2話では[[大日本帝国海軍]][[大和 (戦艦)|戦艦大和]]の出撃シーンと続く戦闘シーンで「[[軍艦マーチ]]」がBGMとして使用されている。本放送時に、戦争賛美アニメとレッテルが貼られるのを避けたい松本監督と石崎すすむら若手現場スタッフが西崎プロデューサーに猛反対し、放送直前のためにフィルムのプリントが間に合わなかったため、新潟地方を除く全国では、軍艦マーチの部分をヤマトBGMにテープで切り替えられて放送された{{sfn|石黒・小原|1980|pp=208-212}}。しかし[[1975年]]から[[1978年]]までの再放送では、本放送のヤマトBGM版のフィルムで放送された地方と、「軍艦マーチ」版のフィルムで放送された地方があった。
 
; 第22話
 
: 本放送NG版第22話とは[[1975年]][[3月2日]]に放映された本放送バージョンで、通常のヤマトの宇宙背景は暗紺色が基本であるが、この第22話の七色星団の戦闘での宇宙背景はドメル艦隊側を暗黒星雲、ヤマト側を七色混成発光星域の明色宇宙と区別されるべきであったが、通例の暗紺宇宙背景のまま撮影されてしまった。他にも、本来同一画面に映るはずのないガミラスファイターと急降下爆撃機が重なってしまったり、ラストの宇宙葬の場面で古代のセリフがないのに口が動き、いわゆる「[[口パク]]」になるといったNGシーンがあった。
 
: 制作の遅れから本放送ではNGシーンを修正する間もなく放送されたが、第26話制作の直後には再撮影と編集作業が行われ、[[1977年]]以降の再放送には新プリントされた修正版が放送されている<ref group="注">一方、古代に撃墜されるガミラスファイターが、本来の緑ではなく紫色になっている場面は修正されていない。</ref>。
 
 
 
=== 未使用設定 ===
 
古代守が松本のオリジナルキャラクターである[[ハーロック|キャプテンハーロック]]の名前で再登場することや、小マゼラン星雲での戦い、ヤマト艦内に潜入した女性兵士イローゼの破壊工作なども企画されたが、視聴率低迷の影響で話数が削減され未使用に終わった<ref name="densetsu">「小マゼランに迷い込みハーロックが大活躍する!?未放映エピソード」『宇宙戦艦ヤマト伝説』安斎レオ編、フットワーク出版、1999年、pp.150-157</ref>。
 
 
 
放送開始当初は、航海途中での大規模な反乱が予定されていた<ref name="densetsu" />。
 
 
 
その首謀者は初期プロットでは真田技師長だったが、監督の山本暎一が首謀者は徳川機関長だと勘違いしたため、出航当初は艦橋にいた機関長が途中から機関室に籠る描写が増えたり、島航海長と対立したりといった伏線が描かれていた。
 
 
 
シリーズ中盤、部下の藪機関士が徳川機関長を焚き付けるような台詞を口にした点について他のスタッフから指摘されて山本も勘違いに気付き、また低視聴率による放送短縮により徳川機関長率いる機関部員の反乱はオミットされたが、その名残として薮がイスカンダルで反乱を起こすことになる<ref>みのり書房『[[月刊OUT]]』1977年9月号・石黒昇へのインタビュー。</ref>。
 
 
 
== 主題歌 ==
 
; オープニングテーマ「宇宙戦艦ヤマト」
 
; エンディングテーマ「真赤なスカーフ」
 
: 2曲とも、作詞 - [[阿久悠]] / 作曲・編曲 - 宮川泰 / 歌 - [[ささきいさお]]、[[ミュージカル・アカデミー]](初回盤)
 
 
 
オープニングの「宇宙戦艦ヤマト」はヤマトの航海の目的とそれをやり遂げる信念を歌い上げた内容となっている。ささきの証言によれば、プロデューサーである西崎からは「想いをこめて男のロマンを」と、音楽監督である宮川からは「いさましく」と指示されたため、混乱したという。録音テイクでは、かなりのNGが出た後、声を嗄らしたささきの歌声が、悲壮なロマンを彷彿とさせるということで決定となったそうである<ref>NHK『BS熱中夜話 ヒーローソングナイト』2008年7月10日放送</ref>。エンディングの「真赤なスカーフ」は、旅立った後の男が地球に想いを馳せる内容となっている。
 
 
 
コーラスグループは再発売の際に[[ロイヤルナイツ (ボーカルグループ)|ロイヤル・ナイツ]]に変更された。その後の商品化ではロイヤル・ナイツ版(の『宇宙戦艦ヤマトIII』のオープニング曲)を収録するのが通例となっていた。ミュージカル・アカデミー版は[[2000年]]春に[[通信販売]]限定で発売された『松本零士音楽大全』で初回盤以来の商品化(初CD化)が実現し、同年発売のささきのベストアルバム『佐々木功ソングブック グレイテスト・ベスト』に収録されたことで通常市場にて正式に復活した。[[2001年]]、本編に使用された歌曲を全曲収録した「宇宙戦艦ヤマト ETERNAL EDITION File No.10 Yamato The Best」にはミュージカル・アカデミー版が収録され、その反対にロイヤル・ナイツ版が番外化し、他の本編未使用歌曲とともに「Yamato The Best II」に収録された。
 
 
 
ささきは1978年のインタビューで、主題歌に[[子門真人]]が関わっていた(歌手オーディションに参加した)と証言した。これについて、当時、[[日本コロムビア]]文芸部に所属していた[[堀江美都子]]は、子門がオーディションで歌った可能性はあると述べている<ref>[https://web.archive.org/web/20121010211955/http://www.starblazers.com/html.php?page_id=239 StarBlazers.com - About the Space Battleship Yamato Theme](英語)(インターネットアーカイブ2012年10月10日分キャッシュ)を参照。</ref>。当時の日本コロムビアでは、主題歌製作の際、まず歌を作ってからオーディションで歌手を選ぶという基本方式をとっていた。中には『[[仮面ライダー]]』『[[仮面ライダーV3]]』などのように、異なる歌手による録音を実行するケースもあったが、本作で子門版が録音されたかどうかは不明である。2005年に[[NHK-BS]]系列局で放映されたテレビ番組内で、ささきは当時のことを「自分の他に何名かの歌手が既にデモテープの録音を済ませており、その中に子門(真人)さんの名前があった」と語っている。ただし、ささき自身は子門が吹き込んだとされる「ヤマト」のデモテープを実際に聴く機会はなかったという。
 
 
 
オープニングテーマはハ短調であるが、録音に際してささきに渡されていた譜面は、調号を書き忘れたハ長調のものだった。オーケストラの演奏を聴いて、事態に気付いた彼は1時間で譜面を覚え直して録音に臨んだという<ref>読売新聞、2013年9月22日、日曜版</ref>。
 
 
 
『[[さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち]]』上映期の「ヤマト・ファンクラブ本部」会報や『[[冒険王 (漫画雑誌)|冒険王]]』1978年9月号などに、阿久悠自身の作詞によるOPの3・4番が掲載された<ref>[https://web.archive.org/web/20120402101915/http://www.starblazers.com/html.php?page_id=360 StarBlazers.com - Space Battleship Yamato theme: the full version](英語)(インターネットアーカイブ2012年4月2日分キャッシュ)で、日本語の歌詞および英訳が閲覧可能。</ref>。どこかで歌唱されたとの説もあるが、その音源が存在するかどうかは不明である。また、宇宙戦艦ヤマト全記録集のTVシナリオ版(1979年)では、阿久悠自筆原稿よりOPの1・2・3・4番が掲載されている。
 
 
 
エンディングテーマ「真赤なスカーフ」は、プロデューサーの西崎義展がファンクラブにリクエストするよう働きかけ、[[ニッポン放送]]のリクエスト番組で1位になった{{sfn|池田編|1982|p=100}}{{sfn|竹熊編|1997|p=23}}。
 
 
 
オープニングテーマは21世紀に入ってからも[[高校野球]]の[[応援歌]]の定番の曲で、[[阪神甲子園球場]]などではブラスバンドが頻繁に演奏している。そのほか、[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]・[[柏レイソル]]の応援歌としても採用されている。2007年のリーグ戦ではこのアニメのネタを引用して、試合に勝利するたびに「地球滅亡まで勝ち点○○」という横断幕が掲げられた。[[海上自衛隊]]の海外派遣の際には見送りの曲として使用される。[[横浜DeNAベイスターズ]]の[[前田大和|大和(前田大和)]]は、[[阪神タイガース|阪神]]時代の2012年から2014年の間自身の名前にちなんで入場曲として採用していた。[[2013年]][[7月1日]]からは[[西日本旅客鉄道|JR西日本]][[呉線]][[呉駅]]の[[接近メロディー]]にも採用されている<ref>{{Cite news |url=http://mainichi.jp/select/news/20130701k0000m040019000c.html?inb=ra |title=JR呉駅:電車接近メロディーに「宇宙戦艦ヤマト」主題歌 |newspaper=毎日jp |publisher=毎日新聞社 |date=2013-06-30 |accessdate=2013-07-01 |archiveurl=https://archive.is/20130701130417/mainichi.jp/select/news/20130701k0000m040019000c.html?inb=ra |archivedate=2013-07-01}}</ref>。2015年7月現在、[[auショップ]][[大和市|大和店]]([[大和ラジオ放送|FMやまと]])のCM曲として使用されている。
 
 
 
[[2006年]][[3月21日]]に亡くなった宮川泰の葬儀時、遺言により葬送の曲として使われた<ref>[https://web.archive.org/web/20060510051037/http://www.nikkansports.com/entertainment/f-et-tp0-20060325-11285.html 宮川さんヤマトで旅立ち] 日刊スポーツ 2006年3月25日 (InternetArchiveのキャッシュ)</ref><ref>「謹んで、宮川泰先生のご冥福をお祈り申し上げます」 2006年3月21日 ささきいさおオフィシャルウェブサイト。[http://cgi.www5c.biglobe.ne.jp/~isao/ ささきいさおオフィシャルウェブサイト]のNEWSの2006年3月21日付</ref>。
 
 
 
[[2017年]][[2月18日]]に[[NHK BSプレミアム]]にて放送された生放送番組『[[ニッポンアニメ100|カウントダウンLIVE アニソン ベスト100!]]』では、オープニングテーマが昭和の楽曲で最高位となる16位、エンディングテーマが225位にランクインした<ref>{{cite web|url=http://www.nhk.or.jp/anime/anime100/anison/rank.html |title=アニソンベスト100!結果発表 - ニッポンアニメ100 |publisher=[[日本放送協会]] |date= |accessdate=2017-03-03}}</ref>。
 
 
 
=== オープニング・エンディングのバリエーション ===
 
; オープニング
 
映像ソフトに収録されているオープニング映像には、大きく分けて以下の4種類が存在する。さらに映像と曲の組み合わせの違い、テロップの表示タイミングの違い、細かいリテイクなどを含めるとバリエーションは多岐にわたる。本放送時の正確な使用状況を記録した資料は残されていないが、記録が残っている1978年の再放送の時点では、オープニング映像の種類は細かい違いも含めて17種類にのぼっていた<ref>LD-BOX「宇宙戦艦ヤマト パーフェクトコレクション」解説書</ref>。
 
 
 
# 歌い出しの「''さらばちきゅうよ たびだつふねは うちゅう戦艦ヤマト''」の部分が合唱のみ、かつスローテンポで流れるもの(第1話 - 第7話および第23話 - 第25話で使用)。
 
# 曲の最初に短いブリッジ曲が編集されたもの(第8話 - 第11話で使用)。
 
# レコードに収録されている曲が流れるもの(第12話 - 第21話で使用)。
 
# 第22話、第26話は主題歌が流れず、本編の導入部となっている特別版。第22話では『宇宙戦艦ヤマト』がエンディングとして使用された(映像もオープニングと同じものを使用)。
 
 
 
; エンディング
 
映像では曲のサビ部分でスターシャの顔が徐々にアップになり、その後画面右上方向に遠ざかっていく。第1話では曲のサビ部分でスターシャの顔が徐々に遠ざかっていくものだった。
 
また、第26話(最終回)では無音でスタッフロールのみが表示される特別版。
 
 
 
スターシャの顔のカットでは、第1話エンディングの撮影後にスタッフが誤って原画を破ってしまったため、第2話以降のエンディングではスターシャの顔に修正の跡が見受けられる<ref>LD-BOX「宇宙戦艦ヤマト パーフェクトコレクション」解説書</ref>。
 
 
 
これらのオープニング・エンディングの中には原版ネガフィルムが現存しないものもあり、LD-BOXやDVD-BOXでは当時の放映用プリントを使用するなどして可能な限り本放送当時の状態に近付けられているが、再放送時や映像ソフトによっては画質などの観点から素材が統一されている場合がある。
 
 
 
; その他
 
:; 『宇宙戦艦ヤマト2』
 
:: イントロのサウンドエフェクトが異なっている。
 
:; 『宇宙戦艦ヤマトIII』
 
:: 曲の最後の部分(「銀河を離れ〜」以降)を『宇宙戦艦ヤマト』の別バージョン(『宇宙戦艦ヤマト』で使われたバージョン3&4のエコーが掛かっていないもの)に差し替えてミックスした曲。エンディング部分が短くなっている。
 
:: 第1話NG版の子門真人風に歌う山崎あきらの別テイクが収録されている。
 
:; 「英語盤 SPACE CRUISER YAMATO」
 
:: [[レコード|シングル盤]]。発売元:日本コロムビア。商品番号:CK-517。発売日:[[1978年]]12月<ref>同月発売のLP「[[アニメロマンの世界#ささきいさお 英語盤/アニメヒットを歌う|ささきいさお 英語盤/アニメヒットを歌う]]」にも収録された。</ref>。
 
:: [[レコード#A面/B面|A面]]:SPACE CRUISER YAMATO(2分12秒)。
 
:: [[レコード#A面/B面|B面]]:THE RED SCARF(3分00秒)。
 
:: 2曲とも、日本語オリジナル版のカラオケ(作曲・編曲 - 宮川泰)を流用したもので、訳詞はDonald P. Berger、歌はささきいさおによる(バックコーラスなし)。
 
:; 外国版の主題歌
 
:: Star Blazers-Iscandar(Star Blazersの最初の主題歌、歌手不明)
 
:: Star Blazers-Comet Empire
 
:: Star Blazers2
 
 
 
番組挿入歌([[スキャット]])は歌手の『[[川島和子]]』が担当している。
 
 
 
== 各話リスト ==
 
各サブタイトルはアフレコ台本上の表記どおり。また映画化においては、各エピソードに対し主に以下の変更点が加えられた。
 
* シリーズ全体で構成に影響のない、一話完結エピソードはカット。テレビシリーズでは前後編にまたがっていたエピソードや戦いを、1回分に集約だけではなく劇場版用に描き直した部分もある。特に第26話の後半部分は石黒昇による絵コンテ、芦田豊雄らによる新規作画が行われている。
 
 
 
{| class="wikitable" style="font-size:small"
 
|-
 
!話数!!放送日!!サブタイトル!!脚本!!絵コンテ!!演出助手!!作画監督!!背景!!width="280em"|劇場版での編集反映!!width="40em"|人類滅亡までの日数
 
|-
 
|第1話||'''1974年'''<br />10月6日||SOS地球!!甦れ宇宙戦艦ヤマト||rowspan="5"|[[藤川桂介]]||rowspan="2"|[[松本零士]]<br />[[石黒昇]]||rowspan="2"|[[井内秀治]]||[[芦田豊雄]]||rowspan="2"|[[椋尾篁#ムクオスタジオ|椋尾スタジオ]]||物語の発端であるため反映。||style="text-align:center"|-
 
|-
 
|第2話||10月13日||号砲一発!!宇宙戦艦ヤマト始動!!||[[白土武]]||第3話と統合しつつ冒頭部分と回想シーンを反映。||364日
 
|-
 
|第3話||10月20日||ヤマト発進!!29万6千光年への挑戦!!||石黒昇<ref group="注">アカデミーの資料では、第3話絵コンテは松本零士と石黒昇の2名となっていたが、その後の「宇宙戦艦ヤマト TV DVD-BOX 記録ファイル」(バンダイビジュアル・2008/2/22発行)で訂正されている。</ref>||石崎すすむ||芦田豊雄<br />(作画演出)||水野尾純一||第2話の部分と統合しつつ発進のいきさつを反映。||363日
 
|-
 
|第4話||10月27日||驚異の世界!!光を飛び越えたヤマト||[[富野由悠季|富野喜幸]]<br />石黒昇||[[腰繁男]]||白土武||東篠俊寿||ワープテストを中心に反映。||362日
 
|-
 
|第5話||11月3日||浮遊大陸脱出!!危機を呼ぶ波動砲!!||松本零士<br />石黒昇||石崎すすむ||芦田豊雄||水野尾純一||波動砲テストをダイジェストで反映。||361日
 
|-
 
|第6話||11月10日||氷原に眠る宇宙駆逐艦ゆきかぜ!||田村丸||[[安彦良和]]||井内秀治||白土武||東篠俊寿||一話完結エピソードのため、カット。||359日
 
|-
 
|第7話||11月17日||ヤマト沈没!!運命の要塞攻略戦!!||rowspan="3"|藤川桂介||松本零士<br/>石黒昇||腰繁男||芦田豊雄||水野尾純一||rowspan="2"|冥王星基地攻略戦をダイジェストで反映。||356日
 
|-
 
|第8話||11月24日||決死のヤマト!!反射衛星砲撃破せよ!!||rowspan="2"|安彦良和||石崎すすむ||[[小川隆雄]]||東篠俊寿||354日
 
|-
 
|第9話||12月1日||回転防禦!!アステロイド・ベルト!!||腰繁男||[[小泉謙三]]||水野尾純一||一話完結エピソードのためカット。<br />ただしシュルツの戦死とアステロイドベルトのみ使用。||338日
 
|-
 
|第10話||12月8日||さらば太陽圏!銀河より愛をこめて!!||田村丸||池野文雄||井内秀治||白土武||東篠俊寿||一話完結エピソードのためカット。<br />ただし太陽系との別離のみ反映。||315日
 
|-
 
|第11話||12月15日||決断!!ガミラス絶対防衛線突入!!||藤川桂介||安彦良和<br />石黒昇||腰繁男||芦田豊雄||水野尾純一||ガミラスの作戦会議を第12話と統合して反映。||311日
 
|-
 
|第12話||12月22日||絶体絶命!!オリオンの願い星、地獄星||田村丸||安彦良和||石崎すすむ||白土武||rowspan="2"|東篠俊寿||オリオン星の戦闘と沖田の発病を反映。||308日
 
|-
 
|第13話||12月29日||急げヤマト!!地球は病んでいる!!||rowspan="3"|藤川桂介||小泉謙三<br/>石黒昇||長谷川康雄||小泉謙三||一話完結エピソードのためカット。<br />ただしドメル登場のみ反映。||305日
 
|-
 
|第14話||'''1975年'''<br />1月5日||銀河の試練!!西暦2200年の発進!!||安彦良和||腰繁男||芦田豊雄||rowspan="2"|水野尾純一||rowspan="6"|一話完結エピソードのためカット||280日
 
|-
 
|第15話||1月12日||必死の逃亡!!異次元のヤマト||白土武||石崎すすむ||白土武||273日
 
|-
 
|第16話||1月19日||ビーメラ星、地下牢の死刑囚!!||[[山本暎一]]||安彦良和||野村和史||[[岡迫亘弘]]||rowspan="11"|東篠俊寿||267日
 
|-
 
|第17話||1月26日||突撃!!バラノドン特攻隊||rowspan="2"|藤川桂介||松本零士<br/>石黒昇||腰繁男||白土武||263日
 
|-
 
|第18話||2月2日||浮かぶ要塞島!!たった二人の決死隊!!||安彦良和||石崎すすむ||芦田豊雄||260日
 
|-
 
|第19話||2月9日||宇宙の望郷!!母の涙は我が涙||rowspan="2"|山本暎一||石黒昇||腰繁男||岡迫亘弘||255日
 
|-
 
|第20話||2月16日||バラン星に太陽が落下する日!!||rowspan="2"|安彦良和||長谷川康雄||小泉謙三||一話完結エピソードのためカット。<br />ただしバラン星基地のカットなどを一部反映。||253日
 
|-
 
|第21話||2月23日||ドメル艦隊!!決死の挑戦状||rowspan="2"|藤川桂介||[[寺田和男]]||[[坂本三郎]]||七色星団戦への導入部を反映。||215日
 
|-
 
|第22話||3月2日||決戦!!七色星団の攻防戦!!||松本零士<br />石黒昇||style="text-align:center"|-||白土武||ほぼノーカットで反映。||214日<ref>本編ではテロップはなく、絵コンテおよびアフレコ台本より。</ref>
 
|-
 
|第23話||3月9日||遂に来た!!マゼラン星雲波高し!!||rowspan="3"|山本暎一||rowspan="3"|安彦良和||石崎すすむ||芦田豊雄<br />小川隆雄<br />(作監補佐)|||ヤマトの到着とガミラスの作戦を使用。||164日
 
|-
 
|第24話||3月16日||死闘!!神よガミラスのために泣け!!||腰繁男||小泉謙三||ほぼノーカットで反映。||161日
 
|-
 
|第25話||3月23日||イスカンダル!!滅びゆくか愛の星よ!!||石崎すすむ||岡迫亘弘||イスカンダル到着後の大半を新規撮影。||131日
 
|-
 
|第26話||3月30日||地球よ!!ヤマトは帰ってきた!!||藤川桂介||松本零士<br />石黒昇||colspan="2" style="text-align:center"|-||新規作画を交えて反映。<br />デスラーの逆襲と雪の戦死はカット。||style="text-align:center"|-
 
|}
 
 
 
== 放送局 ==
 
{{Col|
 
* よみうりテレビ
 
* [[札幌テレビ放送|札幌テレビ]]
 
* [[青森放送]]
 
* [[テレビ岩手]]
 
* [[宮城テレビ放送|宮城テレビ]]
 
* [[秋田放送]]
 
* [[山形放送]]
 
* [[福島中央テレビ]]
 
* [[日本テレビ放送網|日本テレビ]]
 
* [[新潟総合テレビ]]
 
|
 
* [[北日本放送]]
 
* [[北陸放送]]
 
* [[福井放送]]
 
* [[山梨放送]]
 
* [[テレビ静岡]]
 
* [[中京テレビ放送|中京テレビ]]
 
* [[日本海テレビジョン放送|日本海テレビ]]
 
* [[広島テレビ放送|広島テレビ]]
 
* [[山口放送]]
 
* [[四国放送]]
 
* [[西日本放送テレビ|西日本放送]](当時の放送免許エリアは[[香川県]]のみ)
 
|
 
* [[南海放送]]
 
* [[高知放送]]
 
* [[福岡放送]]
 
* [[テレビ長崎]]
 
* [[熊本放送]](日曜 11:30 - 12:00)
 
* [[テレビ大分]]
 
* [[テレビ宮崎]]
 
* [[鹿児島テレビ放送|鹿児島テレビ]]
 
ほか
 
}}
 
 
 
== 放映と影響 ==
 
[[1974年]][[10月6日]]から[[1975年]][[3月30日]]まで26回にわたり、讀賣テレビ放送をキー局として放映された。
 
 
 
当初は最大39話(企画時では全51話)の放送を予定し、[[小マゼラン雲|小マゼラン]]基地撃破編などのストーリーが用意されていた。[[視聴率]]は[[ビデオリサーチ]]調べで平均6.0%、[[エーシーニールセン|ニールセン]]調べで平均7.3%に終わった{{sfn|宇宙戦艦ヤマト大事典|1983|p=129}}。しかしながらSFファンからは人気を得て、[[日本SF大会]]のファン投票で[[星雲賞]]を受賞する。
 
 
 
低視聴率に加えて、前述の過酷な制作、そして1話あたり予算が500万円の計算だったのが800万円かかって{{sfn|宇宙戦艦ヤマト大事典|1983|p=140|ps=「西崎義展氏ファイナル・メッセージ ヤマトをふりかえる12の質問に答える」}}、1話制作すると100万円単位の赤字が出たために{{sfn|石黒・小原|1980|p=232}}、第3クールへの延長は第1クール中に断念され、終盤への伏線を削除して全26話に再構成の上で製作・放映された。
 
 
 
以上のように本放送では失敗したが、1975年9月より札幌地域、翌1月より読売テレビ系で再放送が始まり、他地域でも続々と再放送が行われるにつれ、『宇宙戦艦ヤマト』が再評価されるようになり、特に関東地域では20%の視聴率を記録した<ref name="cruiser"/>。この再放送や映画化により社会現象とも言える人気を得て、ヤマトブームのみならず、後述のアニメブームの他、アニメ史上でさまざまな影響をもたらした。
 
 
 
[[同人誌即売会]]の[[コミックマーケット]]は当初は[[少女マンガ]]が中心であったが、本作によりアニメのサークルの参加が増え始めた<ref>『別冊宝島358 私をコミケにつれてって! 巨大コミック同人誌マーケットのすべて』宝島社、1998年、p.30。</ref>。
 
 
 
[[1970年代]]から[[1980年代]]の声優ブームは、本作のヒットによってアニメ声優が注目された影響とも言われる<ref>松本靖弘「声優ブームってやつ」『動画王 Vol.1 決戦!巨大ロボットアニメ』キネマ旬報社、1997年、p.86。</ref><ref>[[月刊ニュータイプ]]・編「コラム(1) 現在の声優ブームは、第3期にあたるらしい?」『キャラクターボイスコレクション 女性編1』 [[角川書店]]、1994年12月25日、ISBN 4-04-852522-0、32頁。</ref>。
 
 
 
漫画市場においても、『宇宙戦艦ヤマト』が、漫画とテレビアニメの関係がどちらが主体とは言い難い複雑で密接なものとなり、[[メディアミックス]]による市場拡大がなされる転機となった作品との評価がある<ref>中野晴行『マンガ産業論』[[筑摩書房]]、2004年、pp.122-123.</ref>。
 
 
 
後のクリエイターに与えた影響も大きく、[[庵野秀明]]や[[出渕裕]]らはヤマトがなければ今の自分はなかったとの旨を語っている<ref>[http://www.dot-anime.com/tb/yamato/msg_anno.html Message from 庵野秀明 (インジェクションキット監修)] トルネードベース・宇宙戦艦ヤマト{{リンク切れ|date=2014年9月}}</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20081025071044/http://www.dot-anime.com/tb/yamato/sp_talk/s02_1.html SPECIAL TALK #05 出渕裕] トルネードベース・宇宙戦艦ヤマト(インターネットアーカイブ2008年10月25日分キャッシュ)</ref>。
 
 
 
本作が当時の中高生に人気を博した理由に関して、社会学者から[[モラトリアム]]の拡大が指摘されている。当時は高校進学率や大学進学率が大きく伸びており、モラトリアムの期間が拡大した結果、中高生が本作のようなアニメを楽しむ余裕があったとされている<ref>[[今柊二]]「第一章 ガンダム登場前夜 ヤマトブームのつくりだしたもの」『ガンダム・モデル進化論』[[祥伝社]]、2005年3月5日、ISBN 4-396-11004-9、64頁。 </ref>。また、学生運動の衰退と社会の固定化により、若者は「サブカルチャー」に群れることで空想の世界に溺れるようになったとも言われる<ref>{{Harvnb|井上|2012|p=196}}</ref>。
 
 
 
=== 日本国外 ===
 
日本国内だけでなく、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で1977年に再編集した劇場版『Space Cruiser Yamato』が公開され、1979年より『Star Blazers』という題名で、シンジケーション番組としての都市部でテレビ放映された。『STAR BLAZERS』視聴率はさほどでもなく、その人気はアメリカ全土ではなく東海岸を中心にしたものにとどまった。『[[科学忍者隊ガッチャマン]]』の改変に比較すると、『STAR BLAZERS』の改変は暴力的な描写や戦艦大和の削除などわずかにとどまった。宇宙戦艦ヤマトの艦名は[[ギリシア神話]]に登場するArgo([[アルゴー船]])に変更され、登場人物も[[WASP]]風に改名された<ref>草薙聡志『アメリカで日本のアニメは、どう見られてきたか?』徳間書店、2003年、pp.127-130.</ref><ref>ジョン・レナード「[http://cruel.org/other/animeprogress.html アメリカにおける日本アニメの爆発的成長とファン流通、著作権]」[[山形浩生]]訳、2004年 山形浩生公式サイト内</ref>。
 
 
 
アメリカから再輸出された[[オーストラリア]]、[[イタリア]]などの国々でも同様である。
 
 
 
アジアでは、[[大韓民国|韓国]]で[[1981年]]に『宇宙戦艦V号』({{Lang|ko|우주전함V호}})のタイトルで放送され<ref>[http://www.cbs.co.kr/nocut/show.asp?idx=1089120 {{lang|ko|추억의 만화영화가 성인도박으로 인기만화 콘셉트 도용 사행성 게임 개발·유포}}] [[基督教放送]]公式サイト内 2009年3月12日</ref>、『銀河艦隊地球号』({{Lang|ko|은하함대지구호}})という模倣作品も登場した{{sfn|豊田|1979|p=94}}。[[香港]]では『太空奇艦』として放送され、ともに漫画版や[[絵本]]や[[ムック (出版)|ムック]]の[[海賊版]]も出版されていた{{sfn|池田編|1982|p=34}}。[[台湾]]では『宇宙戰艦』のタイトルで放送された(ただし、テレビ版第1作と第2作のみ)。
 
 
 
==== 英語表記 ====
 
1977年に第1作を再編集して輸出した映画版の[[英語]]表記は『Space Cruiser Yamato』だった。プロデューサーの西崎義展が[[ヨット|クルーザー]]を所有していたためとされる{{sfn|吉本|2009|p=141}}。また、英語圏のSF作品ではStar Trekのように「Battleshipという単語には愚鈍さもあるので、宇宙戦艦には用いない」ということもある。現在は『Space Battleship Yamato』に変更されている。
 
 
 
[[アメリカ合衆国]]では、『[[:en:Star Blazers|STAR BLAZERS]]』<ref>[http://www.starblazers.com/ STAR BLAZERS公式サイト(英語)]</ref> の題名でテレビ放映された。
 
 
 
=== アニメブーム ===
 
再放送で起こった本作のブームを引き継ぐ形で『[[銀河鉄道999 (アニメ)|銀河鉄道999]]』『[[機動戦士ガンダム]]』が人気を得たことで、ヤマトブームに終わらず、アニメブームの火付け役になったとの評価が定着している<ref>津堅信之『アニメーション学入門』平凡社新書、2005年、p81</ref><ref>増田弘道『アニメビジネスがわかる』NTT出版、2007年、p119、p112。</ref>。
 
 
 
1975年3月末の本放送の終了後、西崎プロデューサーの資金繰りで再放送の権利が『[[ワンサくん]]』と抱き合わせで東北新社に売却<ref>「MONUMENTAL YAMATO Producer Special Interview」『ロマンアルバム・エクセレント53 宇宙戦艦ヤマト PERFECT MANUAL1』徳間書店、1983年、p.208。西崎義展インタビューより。</ref>。実際は、1975年の再放送時には再放送権は売却しておらず東北新社は西崎の再放送権売却の提案を蹴っており、再放送の業務委託をしたに過ぎない。再放送は西崎が独自に実施し大ヒットさせた。そのヒット後、当時東北新社代表である[[植村伴次郎]]が”あの時買っておけば良かった”と後悔したことを西崎に言った逸話がある。1975年夏に[[近畿地方]]から再放送が始まり、1975年秋から全国的に行われ、人気が高まる{{sfn|吉本|2009|p=109}}。高視聴率を得たほか<ref>よみうりテレビ開局20周年記念事業企画委員会編『よみうりテレビの20年 写真と証言』読売テレビ放送株式会社、1979年、p.78</ref>、これをきっかけに全国各地でファンクラブが結成される{{sfn|吉本|2009|p=109}}{{sfn|竹熊編|1997|p=25}}。ファンクラブは最盛期には全国で851団体、15万人を数えたという{{sfn|猪俣|1995|p=90}}。ファンクラブは西崎プロデューサーの呼びかけに応えて、主題歌のラジオ番組へのリクエストや映画公開の際にはポスター貼りなどを行って、ヤマトブームの盛り上げに一役買った{{sfn|池田編|1982|pp=95-101}}。1977年12月には、オフィスアカデミーが主宰し、西崎が会長の公式ファンクラブ「宇宙戦艦ヤマト・ファンクラブ本部」が発足し、機関誌「宇宙戦艦ヤマト」を発行していた{{sfn|池田編|1982|p=107}}{{sfn|宇宙戦艦ヤマト大事典|1983|p=64}}。
 
 
 
そして、『宇宙戦艦ヤマト』によって多数誕生した中高校生・ハイティーン世代のファンへ向けてアニメ雑誌が誕生した。当時は、児童向けのテレビ雑誌の『[[テレビマガジン]]』『テレビランド』『冒険王』があった程度で、[[アニメ雑誌]]が存在せず、まずサブカルチャー雑誌としてスタートした『[[月刊OUT]]』が1977年6月号(創刊第2号)でヤマト特集を行った。このヤマト特集は、同人活動を行っていたファンの[[小牧雅伸]]、[[氷川竜介]]、伊藤秀明(ケッダーマン)をライターに起用して執筆がなされ{{sfn|吉本|2009|p=117}}、雑誌としては異例の増刷になった<ref>氷川竜介『世紀末アニメ熱論』キネマ旬報社、2000年、p54.</ref><ref>小牧雅伸『アニメックの頃… 編集長(ま)奮闘記』NTT出版、2009年、p.10。</ref>。若者向けの商業誌で本格的にヤマトが取り上げられたことは初めてであり{{sfn|吉本|2009|p=117}}、この『月刊OUT』の50ページのヤマト特集がヤマトブームの火つけ役だったとも言われる{{sfn|竹熊編|1997|p=22}}。さらに同年8月に発売された[[テレビランド]]増刊『ロマンアルバム宇宙戦艦ヤマト』はファンクラブに入っていない層からの多大な反響を得て、『[[アニメージュ]]』に繋がるアニメ雑誌の流れを作る<ref>[[尾形英夫]]『あの旗を撃て アニメージュ血風録』オークラ出版、2004年、p42-56.</ref><ref>御園まこと編著『図説テレビアニメ全書』原書房、1999年、p31-33.</ref>。
 
 
 
ヤマトによって形成された世代層向けに、本作の成功面と失敗面を研究して『[[機動戦士ガンダム]]』が企画された{{sfn|猪俣|1995|p=24}}ことを、日本サンライズに在籍していた飯塚正夫や元社長の山浦栄二と吉井孝幸が証言している。元々『機動戦士ガンダム』の企画は、宇宙空母ペガサスを主役として企画されたものだった{{sfn|ガンダム・エイジ|1999|pp=63-64,p. 70}}{{sfn|ガンダム者|2002|p=9|ps=吉井孝幸インタビュー}}。[[バンダイ]]にとっても、ヤマトのプラモデルのノウハウは、[[ガンプラ]]に活かされることになった(詳細は[[宇宙戦艦ヤマトシリーズ#玩具]]を参照)。
 
 
 
=== 社会・暗部への影響 ===
 
上記のような一般社会への好ましい影響ばかりではなく、[[カルト教団]]といった社会の暗部にも影響を与えている。特に[[オウム真理教]]はさまざまな[[サブカルチャー]]の影響を受けていることが指摘され、本作についてもその一つとして影響が取り沙汰されている。具体的には空気清浄機の[[コスモクリーナー (オウム真理教)|コスモクリーナー]]、行動部隊の[[白い愛の戦士]]という名称、教団の自主アニメにおける宇宙船のコクピットとコスチューム、滅びに瀕した人類を救うというモチーフなどである<ref>{{Harvnb|井上|2012|p=212}}「オウム真理教と宇宙戦艦ヤマト‐ナショナリズムとフェミニズムの暗黒面」</ref><ref>[[切通理作]]「お前が人類を殺したいなら おたくジェネレーションとオウム真理教」『宝島30』1995年8月号、[[宝島社]]、「アニメ 宇宙戦艦ヤマト著作者バトルの悲劇」『[[AERA]]』2002年4月15日号、[[朝日新聞社]]、pp.23-25</ref><ref>[[岡田斗司夫]]「オウムとアニメとエヴァンゲリオン 元オウム・アニメーターインタビュー」『世紀の大怪獣!!オカダ 岡田斗司夫のお蔵だし』[[イースト・プレス]]、1998年、p.51</ref>。
 
 
 
== 劇場版 ==
 
{{Infobox Film
 
| 作品名 = 宇宙戦艦ヤマト
 
| 原題 =
 
| 画像 =
 
| 画像サイズ =
 
| 画像解説 =
 
| 監督 = [[舛田利雄]]
 
| 脚本 = [[藤川桂介]]<br />[[山本暎一]]
 
| 原案 = [[西崎義展]]
 
| 原作 =
 
| 製作 = 西崎義展
 
| 製作総指揮 = 西崎義展
 
| ナレーター = [[木村幌]]
 
| 出演者 =
 
| 音楽 = [[宮川泰]]
 
| 主題歌 =
 
| 撮影 =
 
| 編集 = 鶴渕允寿
 
| 製作会社 =
 
| 配給 = オフィスアカデミー([[東急レクリエーション]])<br />東映洋画(東京都外)<ref>[http://animeanime.jp/special/archives/2009/05/82.html 斉藤守彦の「特殊映像ラボラトリー」 第8回 クールアニメ・マーケティング・ヒストリー(4)興行会社が主体性を持って上映を決めた「宇宙戦艦ヤマト」=前編-2] アニメ!アニメ! 2009年5月25日</ref>
 
| 公開 = {{flagicon|JPN}} 1977年8月6日
 
| 上映時間 = 151分
 
| 製作国 = {{JPN}}
 
| 言語 = [[日本語]]
 
| 製作費 =
 
| 興行収入 = 21億円<ref name="daijiten131">『宇宙戦艦ヤマト大事典』p.131</ref>
 
| 配給収入 = 9億円
 
| 前作 =
 
| 次作 = [[さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち]]
 
}}
 
[[1977年]]に劇場公開された、テレビ放映版の再編集作品。
 
 
 
正式タイトルはテレビ放映版と同じ『宇宙戦艦ヤマト』だが、テレビ放映版との区別のため、ビデオソフトなどでは「宇宙戦艦ヤマト(劇場版)」と表記されている。
 
 
 
=== 経緯 ===
 
テレビ放送終了後、第22話の再撮影が行われた<ref name="cruiser">[http://www.starblazers.com/html.php?page_id=236 StarBlazers.com - Flying off to Iscandare for the Cosmo DNX! Can we defeat the Gorgons? - The Story of ''Space CRUISER Yamato''] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20090901111853/http://www.starblazers.com/html.php?page_id=236 |date=2009年9月1日 }}</ref>。同話は、過密スケジュールの影響でNGシーンが入ったままテレビ放送されていたが([[#別バージョン]]参照)、第21話 - 第22話(七色星団の戦い)を1つにまとめて40分の中編映画としてフィルム・レンタル会社に売り込むことを想定し、修正されることになったのである。ここから劇場映画化というアイデアが生まれた<ref name="cruiser"/>。
 
 
 
当初は日本国外輸出向けに舛田利雄と山本暎一らの協力で再編集していたが、1977年初頭に小説版などで縁のあった朝日ソノラマ社の社員から国内のファンの存在を考慮して国内向けにしてみないかという助言を受ける{{sfn|今語るべき|2014|pp=55 - 56}}。
 
 
 
しかし、当時は西崎もまだ無名のプロデューサーであり、さらにテレビでは商業的に失敗に終わった作品のため、[[東宝]]、[[松竹]]、[[東映]]等の大手映画会社や洋画映画配給の[[日本ヘラルド映画]]からも映画化を断わり、どうにか東急レクリエーション系の東京都内の劇場4館での公開にこぎつける。なお、当初西崎はこれを最後にアニメから手を引き、オフィス・アカデミー自主配給でファン向けに1週間だけ劇場公開するつもりだったという{{sfn|池田編|1982|p=90}}<ref>佐藤利明、高護編『映画監督舛田利雄 〜アクション映画の巨星 舛田利雄のすべて〜』ウルトラ・ヴァイヴ、2007年、p292.</ref>。
 
 
 
東京都外の上映に関しては、西崎が最後に売り込んだ東映の[[岡田茂 (東映)|岡田茂]]社長(当時)が映画化権を買い付ける<ref name="nikkeibp">{{Cite book |和書 | author = 金田信一郎 | year = 2006 | title = テレビはなぜ、つまらなくなったのか スターで綴るメディア興亡史 | chapter = 岡田茂・東映相談役インタビュー | publisher = [[日経BP社]] | pages = 211-215 | isbn=4-8222-0158-9 }}([http://megalodon.jp/2014-0618-1041-32/business.nikkeibp.co.jp/free/tvwars/interview/20060203005275_print.shtml  NBonlineプレミアム : 【岡田茂・東映相談役】テレビとヤクザ、2つの映画で復活した(archive))]</ref><ref name="悔いなき">{{Cite book | 和書 | title = 悔いなきわが映画人生:東映と、共に歩んだ50年 | author = [[岡田茂 (東映)|岡田茂]] | publisher = 財界研究所 | year = 2001 | id = ISBN 4-87932-016-1 }}</ref><ref>{{Cite book | 和書 | title = 波瀾万丈の映画人生:岡田茂自伝 | author = 岡田茂 | publisher = [[角川書店]] | year = 2004 | page = 183 | id = ISBN 4-04-883871-7 }}</ref><ref>[http://www.asahi.com/showbiz/column/animagedon/TKY201004120034.html asahi.com(朝日新聞社):ヤマトは「文芸もの」だった?]、2010年4月12日</ref>。岡田が買った理由は「うちはほかに作品がないから」である<ref name="nikkeibp"/>。岡田は戦艦を天空に浮かべるという奇想天外なアイデアに舌を巻き「ああいう発想はおれたちのような映画屋では絶対に生まれない。げに恐ろしきものは素人」と西崎を評し<ref>西沢正史「天国と地獄をみた男・西崎義展」『[[キネマ旬報]]』1983年3月下旬号、p.98</ref><ref>堀内実三、[[黒井和男]]他「83年映画界の展望を語る 1982年度決算「映画・トピックス・ジャーナル」ワイド座談会 」『キネマ旬報』1983年2月下旬号、p.206</ref>、腹心の吉田達プロデューサーを2年半、オフィス・アカデミーに出向させ{{sfn|ヤマトを作った|2015|pp=137&ndash;138}}、ヤマトシリーズ作品を担当させて、西崎の取り込みを計った{{sfn|ヤマトを作った|2015|pp=137&ndash;138}}。岡田は外部からの変わり者には吉田を担当に就けた<ref>{{Cite book | 和書 | title =  <small>[総特集]</small> 五社英雄 <small>極彩色のエンターテイナー</small> | series = [[河出書房新社|KAWADE夢ムック]] 文藝別冊 | author = [[春日太一]] | publisher = [[河出書房新社]] | year = 2014 |page = 93 | id = ISBN  978-4309978512 }}</ref>。ヤマトシリーズは、岡田にアニメ映画の威力を強く印象付けて{{sfn|ヤマトを作った|2015|pp=137&ndash;138}}<ref name="活動屋人生">{{Cite book | 和書 | title = 映画界のドン 岡田茂の活動屋人生 | author = | publisher = [[新文化通信社|文化通信社]] | year = 2012 |pages = 109、145、156、215、242-243頁 | id = ISBN 978-4-636-88519-4 }}</ref>、東映がアニメ映画を多数製作していく切っ掛けとなった{{sfn|ヤマトを作った|2015|pp=137&ndash;138}}<ref name="活動屋人生"/>{{sfn|今語るべき|2014|p=56}}。岡田は「映画製作はファッション。絶えず大衆の求めているものは揺れ動いている。これについてゆくためには、まったく別の発想のモノを入れ込むこともやらにゃダメ。[[角川春樹]]クンに頼んでシャシン入れてもらったのも、西崎クンが入って来てアニメ映画の革命を起こしたのも、みんなそれ」などと述べている<ref>{{Cite book | 和書 | title = 映画界のドン 岡田茂の活動屋人生 | author = | publisher = [[新文化通信社|文化通信社]] | year = 2012 |page = 242 | id = ISBN 978-4-636-88519-4 }}</ref>。
 
 
 
=== 再編集の内容 ===
 
1975年5月、劇場向けの再編集を開始。当初は3時間半あるいは5時間の長さ{{sfn|今語るべき|2014|p=56}}であったが、舛田利雄の監督のもと沖田艦長の物語に焦点を当てる方針で第13-19話分を丸ごと削除するなどして、約2時間短縮した<ref name="cruiser"/>。さらに、イスカンダル到着シーンの脚本が書き直され、最終回のデスラー再襲シーンも削除され、2時間8分まで短縮。イスカンダルのシーンは、スターシャがすでに亡くなっており、立体ホログラムで登場するという設定で、石黒昇が新たな絵コンテを起こし{{sfn|石黒・小原|1980|p=215}}<ref name="itoh98-100">「劇場版『宇宙戦艦ヤマト』のひみつ」『宇宙戦艦ヤマト大クロニクル』伊藤秀明編著、グライドメディア、2010年、p.98-100</ref><ref name="cruiser"/>、芦田豊雄のスタジオが作画を行った<ref name="cruiser"/><ref name="gekijouanime70">アニメージュ編集部編『劇場アニメ70年史』徳間書店、1989年、p.70。</ref>。よって、古代守の生存・再登場もない。このシーンが入っているバージョンは、俗に「スターシャ死亡編」と呼ばれる。なお、もともと16ミリのレンタルフィルム向け総集編として製作されたことと予算不足で、追加シーンは16mmフィルムで撮影されている。そのため35ミリフィルムで撮影されたテレビ版からの再利用部分に比べると画質が粗い<ref name="cruiser"/><ref name="itoh98-100" />。
 
 
 
なお、本作は山本版と舛田版の2つが作られており、山本が比較したうえで舛田版を選んだとされる{{sfn|今語るべき|2014|p=57}}。
 
 
 
アフレコは一部のセリフの差し替えを主として、メインキャストによる新録が行われた{{sfn|今語るべき|2014|pp=57 - 58}}。
 
 
 
=== 日本での動向 ===
 
==== 『月刊OUT』の特集記事 ====
 
劇場版『宇宙戦艦ヤマト』の存在が一般に知られるようになったのは『[[月刊OUT]]』誌の1977年6月号(同4月下旬発売、創刊第2号)においてである<ref name="releases">[https://web.archive.org/web/20121007062131/http://www.starblazers.com/html.php?page_id=226 StarBlazers.com - Space Battleship Yamato the Movie: Video Releases](英語)(インターネットアーカイブ2012年10月7日分キャッシュ)</ref>。同号には、'''ヤマト・アソシエイション'''(YA)というファンクラブの協力により、西崎義展のインタビュー、エピソード・ガイド、キャラクター・ガイド、ヤマト百科などを含む全60ページ<ref group="注">5月号(創刊号)の次号予告では50ページとされていたが、6月号の表紙によれば60ページである。</ref>のヤマト大特集が掲載された<ref name="out">[http://www.starblazers.com/html.php?page_id=265 StarBlazers.com - Inside OUT - OUT Magazine and the ''Yamato'' Boom] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20120402155532/http://www.starblazers.com/html.php?page_id=265 |date=2012年4月2日 }}</ref>。
 
 
 
『月刊OUT』が8月号(6月下旬発売)で再び『宇宙戦艦ヤマト』を取り上げ、8月6日から劇場公開されるという情報を掲載。元々、オフィスアカデミーの自主配給により新宿の映画館でファンのみを対象とした1週間の上映会を行うつもりだったが、同誌6月号に対するファンの好反響などを受け、東急レクリエーション系4館での公開が決定したのである。同号には前売券の入手方法も掲載され、前売券が大量に売れる。
 
 
 
この『月刊OUT』誌上の東京上映のみという情報が、後述の全国公開に発展する流れを生む<ref name="daijiten131" />。
 
 
 
==== 周辺の動き ====
 
1977年7月、[[日本コロムビア]]よりテレビ版のサウンドトラックLP(CS-7033)が発売され、ヒット。この場合の「サウンドトラック」は、「テレビのオリジナル音声から編集した'''名場面集'''」という意味で<ref group="注">当時はまだ、アニメのBGM集という商品は存在しなかった。「交響組曲 宇宙戦艦ヤマト」が発売になる前のことである。<!--テレビ作品でBGM集が出ていたのは刑事ドラマぐらいしかなかった。--></ref>、OP主題歌の冒頭にも「無限に広がる大宇宙...」という、テレビでおなじみのナレーションと効果音が入っていた。また、帯には「君は覚えているか! あの熱き血潮を!!」と書かれていた。
 
 
 
その他にも、再放送の人気やファンクラブの活動が新聞などで次々と報道される。
 
 
 
==== 公開前夜 ====
 
『[[月刊OUT]]』が9月号(7月下旬発売)で2度目のヤマト大特集を組む<ref name="out"/><ref group="注">当時の『月刊OUT』はアニメ雑誌ではなく、当時はまだ、アニメ雑誌という媒体そのものすら存在していなかったが、本作の記事が載った号の売上が高かったことからアニメ関連の記事が増えるようになり、結果的にアニメ雑誌のパイオニアとなった。</ref>。
 
 
 
1977年8月5日夜、公開を翌朝に控え、[[セル画]]プレゼントを目当てにしたファンが劇場前に行列を作った。それまで、アメリカ映画の『[[エクソシスト]]』で徹夜が生じたことはあったが、日本映画で初めて徹夜組が出たのはこのヤマト劇場版第1作だと言われている{{sfn|吉本|2009|p=110}}<ref>[http://animeanime.jp/article/2009/06/26/4830.html 斉藤守彦の「特殊映像ラボラトリー」第9回 クールアニメ・マーケティング・ヒストリー(5)ティーン向けアニメ映画の路線化 「宇宙戦艦ヤマト」=後編-1] ''アニメ! アニメ!'' 2009年6月26日</ref><ref name="tokuyama">スタジオジブリ責任編集『ナウシカの「新聞広告」って見たことありますか。ジブリの新聞広告18年史』徳間書店スタジオジブリ事業本部、2002年、pp.110-111。映画宣伝を担当したメイジャーの徳山雅也による証言。</ref>。
 
 
 
「ファンが劇場前に行列」というテレビ報道を見た西崎らは、同夜のうちに劇場前にかけつけた。同伴した[[石黒昇]]によれば、西崎は並んでいるファン全員と握手しかねない勢いだったという<ref name="releases"/>。この時に徹夜で行列したファンの数は2万人以上である<ref name="releases"/><ref>「"ヤマト"総攻撃成功セリ なんと朝6時に開演 都内6館で2万人」『スポーツニッポン』1997年8月7日付</ref>。
 
 
 
==== 劇場公開 ====
 
1977年8月6日、劇場版『宇宙戦艦ヤマト』が東京の4館で公開。1977年夏に日本で上映されたのは2時間10分の「スターシャ死亡編」である<ref name="gekijouanime70" /><ref name="kinejun201011p31">山下慧「『宇宙戦艦ヤマト』36年の軌跡」『キネマ旬報』2010年11月下旬号、p.31</ref><ref>『北海道新聞』1977年8月1日付。『宇宙戦艦ヤマト』広告記事。</ref>{{sfn|井上|2012|p=37}}。
 
 
 
前述の『月刊OUT』8月号誌上で東京の4館のみでの上映の情報が伝わると、全国での上映を希望する声が高まり、オフィスアカデミーでもファンクラブを通じて、ラジオ局への曲リクエストとポスターを貼る作戦を行い、マスコミの話題となる<ref name="daijiten131" />。これらの反響により、岡田茂東映社長の意向で{{Sfn|劇場アニメの新時代|2017|pp=51 - 52}}、地方都市の配給は[[東映]]が担当し、系列の東映洋画系で全国配給が決まった{{Sfn|劇場アニメの新時代|2017|pp=51 - 52}}。東京公開から1週遅れの8月13日に[[札幌市]]の2館公開予定だったのが、[[旭川市]]、[[函館市]]、[[室蘭市]]に拡大公開されることになった<ref>「劇場版『宇宙戦艦ヤマト』公開に発展」『宇宙戦艦ヤマト大クロニクル』伊藤秀明編著、グライドメディア、2010年、p.105</ref><ref name="releases"/>)ことを皮切りに地方のブッキングが進み、全国ロードショーが決定する<ref name="daijiten131" /><ref name="tokuyama" /><ref name="ra-saraba">「ドキュメント さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」『ロマンアルバム11 DELUXE さらば宇宙戦艦ヤマト』徳間書店、1978年、p.100</ref>。
 
 
 
地方での上映館が増えたのは、アメリカ映画『[[ブラック・サンデー (映画)|ブラックサンデー]]』の上映中止事件によって穴が空いた地方の映画館が存在したことも一因だった。最終的に225万2000人の観客を動員し、9億円の配給収入、21億円の興行収入をあげて<ref name="daijiten131" />、1977年の日本映画では9位の興行成績を記録したヒット作品となった<ref>[http://animeanime.jp/article/2009/06/26/4829.html 斉藤守彦の「特殊映像ラボラトリー」 第9回 クールアニメ・マーケティング・ヒストリー(5)ティーン向けアニメ映画の路線化 「宇宙戦艦ヤマト」=後編-2] アニメ!アニメ! 2009年6月26日</ref>。
 
 
 
当時は長編のアニメ映画といえば、東映動画(現・東映アニメーション)による低年齢向けの[[東映まんがまつり]]の独擅場という状況であったが、劇場版ヤマトのヒットはこの状況を打ち破り、ハイティーンのアニメファン向けにテレビアニメ再編集版や新作の長編アニメが続々と劇場で公開されるアニメ映画ブームをも巻き起こした<ref>[[氷川竜介]]・[[藤津亮太]]編「第三章 映画版への志 第三章解説」『ガンダムの現場から 富野由悠季発言集』[[キネマ旬報社]]、2000年10月16日。ISBN 4-87376-537-4、156頁。</ref><ref>中島紳介、斉藤良一、永島収『イデオンという伝説』太田出版、1998年、p.161。</ref>。『宇宙戦艦ヤマト』が1977年8月に劇場公開されたとき、“アニメブーム”なる言葉が生まれ<ref>{{Cite journal | 和書 | author = |date = 1986年2月13日増刊号 | title = 映画40年全記録 | journal = [[キネマ旬報]] | page = 15 }}</ref>、本作の大ヒットから、それまでテレビの夕方の子供向けの時間帯にひしめいていたアニメーション映画が大型化されて劇場に進出するようになった<ref>{{Cite book | 和書 | title = 日本映画の現在 | series = 講座日本映画7 | author = 緑川亨 | publisher = [[岩波書店]] | year = 1988 | page = 20 | id = ISBN 4-00-010257-5 }}</ref>。長く低迷していた東映アニメーションが本作を機に復活<ref name="nikkeibp"/><ref name="活動屋人生"/>、配給した東映洋画が飛躍する原動力にもなった<ref name="悔いなき"/>。宣伝面では従来の「まんが映画」に代わって「アニメ」という言葉を全面に押し出し、特典付き前売券や初日舞台挨拶、セル画プレゼントなど、後発のアニメ映画で一般的になる手法を使ったはしりとなったのが本作である<ref name="tokuyama" /><ref name="releases"/>。
 
 
 
==== テレビ放送 ====
 
劇場公開の翌年、『[[さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち]]』公開前日の1978年[[8月4日]]にテレビ放送されたのは、スターシャが生存しており救出された古代守と恋愛関係にあるというテレビシリーズに沿った形で146分になった「スターシャ生存編」である<ref name="kinejun201011p31" />。「生存編」として再編集されたことにより、藪の反乱がなかったストーリーであるにもかかわらず(地球帰還時、第一艦橋に藪の姿が見える)、徳川がスターシャに頭を下げて出ていくシーン、古代守・スターシャとの別れの場面で雪が負傷しているというシーンが存在する(ラストの地球を観るシーンで藪が登場していることから、反乱が描かれなかったのではなく、なかったと考えないと筋が通らない)。
 
 
 
劇場版『宇宙戦艦ヤマト』の放送局はテレビシリーズの日本テレビ系ではなく、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]であり、日本テレビと競り合って5000万円で放送権を獲得した。視聴率は31.9%{{sfn|猪俣|1995|p=90}}<ref>「フジ『宇宙戦艦ヤマト』放映 放映料5000万円」『[[日刊スポーツ]]』1978年6月20日付</ref>。以後、「スターシャ死亡編」はヤマトシリーズの正史ではなくなり、再公開の際にも上映されず<ref name="hikawa">中谷達也「アニメミニ百科 スターシャの死はどこへ?」『アニメ大好き! ヤマトからガンダムへ』池田憲章編、徳間書店、1982年、p.106</ref><ref name="am9003">[[小黒祐一郎|まにあ小黒]]「今月のビデオ拝見 最終回 ヤマトLDセット」『アニメージュ』1990年3月号</ref>、翌1979年にフジテレビが放送した『[[宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち]]』は「スターシャ生存編」に則ったテレビ版第1作および『[[宇宙戦艦ヤマト2|2]]』の続編となっている。
 
 
 
1979年7月14日開始の「宇宙戦艦ヤマトフェスティバル」において、西崎義展プロデュース作品の『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』『[[海のトリトン]]』とともに3本立てでロードショー公開(東映洋画部配給)された時も「生存編」が上映された。その時の配給収入は5億1000万円だった<ref>川端靖男、[[黒井和男]]「1979年度日本映画・外国映画業界総決算」『[[キネマ旬報]]』1980年2月下旬号、p.129</ref>。
 
 
 
==== ビデオソフト化とバリエーション ====
 
本作の最初のビデオソフト化は1983年で、[[東映ビデオ]]から[[VHS]]と[[ベータマックス]]、[[日本ビクター]]から、VHSと[[VHD]]、日本コロムビアからLDが発売された{{sfn|いま語るべき|2014|p=54}}。
 
 
 
このうち、ビクター発売のビデオソフト用として、音声をステレオ化したものが新たに制作された。映像は同一だが、BGMが差し替え、あるいは疑似ステレオ化されている{{sfn|いま語るべき|2014|p=54}}。
 
 
 
長らく封印状態だった「スターシャ死亡編」は、1990年になって[[レーザーディスク]]「宇宙戦艦ヤマト 劇場版パーフェクトコレクション」の特典映像として初収録された<ref name="hikawa" /><ref name="am9003" />。この映像特典は、当初16ミリレンタルフィルム用の総集編フィルムとして制作されながら、劇場公開にあたってカットされたヤマトの潜水シーンやスターシャの宮殿が沈むシーンも収録されている<ref name="itoh98-100" />{{sfn|いま語るべき|2014|p=52}}。
 
 
 
後のDVD版およびBD版では、メニュー画面で選択する形で生存編と死亡編を選択して視聴出来るが、死亡編には宮殿の沈没シーンは未収録となっている{{sfn|いま語るべき|2014|p=52}}。
 
 
 
2015年現在、本作には「スターシャ死亡編」と「スターシャ生存編」、およびそれぞれにモノラル版とステレオ版が存在する状態となっており、DVD以降はこの計4種のバリエーションを選択できる。
 
 
 
=== 日本国外での展開 ===
 
1976年頃までに、オフィスアカデミーは日本映画の国外販売に従事するようになっており、『宇宙戦艦ヤマト』もそのラインナップに加えられた<ref name="cruiser"/>。その際、上映時間が短い方が売りやすいということで、さらにオリオン星関連のシーン(第12話)を削除して1時間38分まで短縮された<ref name="cruiser"/>。
 
 
 
1977年5月、英語吹替版『Space Cruiser Yamato』(「スターシア死亡編」)が[[第30回カンヌ国際映画祭]]に出品された<ref>『宇宙戦艦ヤマト大事典』p.130</ref><ref name="cruiser"/>。英語版の[[チラシ]]も配られ、[[アメリカ合衆国]]、[[メキシコ]]、[[カナダ]]、[[イギリス]]、[[フランス]]など、11か国の配給会社と契約が成立<ref name="ra-saraba"/><ref name="cruiser"/>。アメリカでは映画館での上映のみでなく、一部ではテレビ放送も行われた<ref group="注">これは後に『STAR BLAZERS』という英題で放送されたテレビ版ではなく、あくまでも劇場版のテレビ放送である。</ref><ref name="cruiser"/>。
 
 
 
==== 日本国外での評価 ====
 
1978年3月発行の『Starburst』誌(イギリスのSF・ファンタジー雑誌)第2号に『Space Cruiser Yamato』の映画評が掲載されたが、その筆者は『宇宙戦艦ヤマト』が『[[スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望|スター・ウォーズ]]』の後発だと勘違いし、両作品の共通点を挙げ連ねて酷評した<ref name="cruiser"/>。
 
 
 
=== 関連商品 ===
 
1977年11月、[[日本コロムビア]]が『Space Cruiser Yamato』の箱入りLPレコードを発売。LPの収録内容は英語吹替版の音声トラックを編集して54分にまとめたもので、付属ブックレットには日英両語の脚本が掲載され、スタジオぬえによる描き下ろしポスターも同梱されていた<ref name="cruiser"/>。
 
 
 
なお、日本コロムビアは1978年12月、ささきいさお歌唱による英語版主題歌シングル「SPACE CRUISER YAMATO / THE RED SCARF」([[#主題歌]])を発売したが、これは劇場版『Space Cruiser Yamato』とは直接関係はない<ref name="cruiser"/>。
 
 
 
== パイロット版 ==
 
1974年8月に読売テレビに売り込むために制作された[[パイロット版|パイロットフィルム]]。作曲家の宮川泰による音楽は完成しておらず、BGMには映画『[[2001年宇宙の旅]]』でも使用された[[リヒャルト・シュトラウス]]の「[[ツァラトゥストラはこう語った (交響詩)|ツァラトゥストラはかく語りき]]」など3曲のアレンジが使用された。LDではそのままの形で収録されているが、DVD及びBDでは版権の問題で音声完全収録が不可能となり、ナレーションや効果音のあるオリジナル音声は差し替えとなり、全編にBGMとして「無限に広がる大宇宙」「地球を飛び立つヤマト」が流れるのみである。
 
 
 
1974年8月/9分/[[イーストマンカラー]]
 
 
 
; キャスト
 
* ナレーション - 納谷悟朗
 
* イスカンダル星のスターシャ - 平井道子
 
 
 
; スタッフ
 
* 絵コンテ - 岡迫亘弘、石黒昇
 
* 演出 - 岡迫亘弘
 
* 原画 - 岡迫亘弘、芦田豊雄、野館誠一、正延宏三
 
 
 
== ビデオソフト ==
 
; テレビシリーズ
 
: 下記のほか、3社から計4回[[磁気テープ#ビデオ用|ビデオ]]化がされている<ref name="記録ファイルP4">『宇宙戦艦ヤマト TV DVD-BOX 記録ファイル』バンダイビジュアル、2008年、p.4。</ref>。
 
:; 宇宙戦艦ヤマト TVシリーズPART1パーフェクトコレクション
 
:: 販売元:[[バンダイビジュアル]] / 発売日:1990年7月27日
 
:: 全7枚組の[[レーザーディスク]]のボックス。音声特典としてNG曲を含むサウンドトラックが収録されていた。
 
:: また、映像特典のパイロットフィルムは、このLD-BOXが現時点で唯一オリジナル音源が聞ける媒体である。
 
:; 宇宙戦艦ヤマト DVDメモリアルボックス
 
:: 品番:BCBA-0530 / 販売元:バンダイビジュアル / 発売日:2000年07月25日
 
:: 全5枚組の[[DVD]]のボックス。初回放送の再現という意図で製作されており、本編映像は35mmネガから16mmポジに落とした放送用フィルムを元にしている<ref name="記録ファイルP4"/>。特典映像として家庭用ビデオ収録の第1話NG映像などを収録している<ref name="記録ファイルP4"/>。映像は当時最良の解像度のアナログ信号で収録された<ref name="記録ファイルP4"/>。パイロット版やNG版第1話などの映像特典を多数収録している<ref name="記録ファイルP4"/>。
 
:: 全64ページの[[ライナーノーツ|解説冊子]]「宇宙戦艦ヤマト DVDメモリアルボックス 保完ファイル」が付属する。
 
:: なお、まだ本作の権利問題が解決する前に発売されたボックスのため、再生する際に冒頭で「原作・総設定 松本零士」のテロップが流れる。
 
:; 宇宙戦艦ヤマト TV DVD-BOX<ref>[http://av.watch.impress.co.jp/docs/20071113/bandai2.htm バンダイビジュアル、「宇宙戦艦ヤマト」TV版のDVD-BOX]、AV Watch、2007年11月13日</ref>
 
:: 品番:BCBA-3167 / 販売元:バンダイビジュアル / 発売日:2008年02月22日
 
:: 全7枚組のDVDボックス。[[ハイビジョン]]対応テレビが増え始めている中で立てられたHDリマスター化企画により、西崎義展の監修の下製作された<ref name="記録ファイルP4"/>。35mmのオリジナル[[ネガフィルム|ネガ]]から、映像をHDリマスター化して収録している<ref name="記録ファイルP4"/>。映像特典の類はない。なお、このDVD-BOX版作成時に、本編の色指定ミス、口パクのズレなど一部がデジタル修正されている(BD-BOXも同様)。
 
:: 全27ページの解説冊子「宇宙戦艦ヤマト TV DVD-BOX 記録ファイル」が付属している。この冊子は、上記の「宇宙戦艦ヤマト DVDメモリアルボックス 保完ファイル」の続編として作成されている<ref name="記録ファイルP4"/>。
 
:; 宇宙戦艦ヤマト TV BD-BOX<ref>[https://www.bandaivisual.co.jp/cont/item/BCXA-0451/ 宇宙戦艦ヤマト TV BD-BOX スタンダード版 | 商品詳細 | バンダイビジュアル]、2014年11月23日閲覧</ref><ref>[https://www.bandaivisual.co.jp/cont/item/BCXA-0452/ 宇宙戦艦ヤマト TV BD-BOX 豪華版 | 商品詳細 | バンダイビジュアル]、2014年11月23日閲覧</ref>
 
:: 品番:BCXA-0451(スタンダード版)、BCXA-0452(豪華版) / 販売元:バンダイビジュアル / 発売日:2012年07月27日
 
:: 全5枚組の[[Blu-ray Disc|BD]]ボックス。上記の「TV DVD-BOX」で作られた35ミリHDネガ[[テレシネ]]マスターを元に更に再調整を行った高画質映像を収録している。絵コンテ本編再生と初回放送版再現モード、および[[柏原満]]、[[庵野秀明]]、[[出渕裕]]、[[氷川竜介]]出演によるオーディオコメンタリーを特典として収録。完全初回限定生産の豪華版にはさらにDVDメモリアルボックスにて収録されていた映像特典や絵コンテ、原画等を収録した特典ディスクが追加されている。
 
:: 全36ページの解説冊子「宇宙戦艦ヤマト TV BD-BOX スタンダード版ファイル」が付属し、さらに豪華版には全64ページの「宇宙戦艦ヤマト TV BD-BOX 豪華版ファイル」が併せて付属する<ref group="注">スタンダード版はストーリー解説等を中心としたベーシック版で、豪華版は「宇宙戦艦ヤマト DVDメモリアルボックス 保完ファイル」に新規資料を収録した増補改訂版である。</ref>。
 
; 劇場版
 
: 下記の商品以前に、上述の通り1983年に[[東映ビデオ]]から[[VHS]]と[[ベータマックス]]、[[日本ビクター]]から、VHSと[[VHD]]、日本コロムビアからLDが発売された{{sfn|いま語るべき|2014|p=54}}。
 
:; 宇宙戦艦ヤマト 劇場版パーフェクトコレクション
 
:: 品番:BELL-315
 
:: 劇場版・テレビスペシャル計5作品をまとめた全8枚組のLDボックス。
 
:; 宇宙戦艦ヤマト 劇場版
 
:: 品番:BCBA-0250、BCBA-3081(メモリアルBOX)、BCBA-3707(廉価版) / 販売元:バンダイビジュアル / 発売日:1999年08月25日、2007年08月24日(メモリアルBOX)、2009年11月25日(廉価版)
 
:: DVD。音声をステレオとモノラルで切り替えられるほか、「スターシャ死亡編」を収録している。画面サイズはオリジナルスタンダードサイズから上下カットされたビスタサイズになっている2007年には宇宙戦艦ヤマトシリーズ30周年記念として他の劇場版作品DVDと合わせてBOX化されており、DVDラベルがそれに準じた仕様になっている。また、2009年には廉価版である「EMOTION the Best」が発売された。。
 
:; 宇宙戦艦ヤマト 劇場版<ref>[http://animeanime.jp/article/2012/12/25/12494.html 劇場版「宇宙戦艦ヤマト」 昭和の5作品がBD化決定 2013年4月より順次発売]、アニメ!アニメ!、2012年12月25日</ref><ref>[http://av.watch.impress.co.jp/docs/news/20121225_580115.html 劇場版「宇宙戦艦ヤマト」5作品がHDリマスターでBD化]、AV Watch、2012年12月25日</ref>
 
:: 品番:BCXA-0714 / 販売元:バンダイビジュアル / 発売日:2013年6月21日
 
:: 映像をHDリマスターしたBD。DVD版ではサイズが上下カットされていたが、本BDではスタンダード、ビスタ両方を選択可能。「スターシャ死亡編」の収録仕様はDVD版と同様。
 
 
 
== メディア展開 ==
 
=== 漫画 ===
 
; 宇宙戦艦ヤマト(作画 - 松本零士)
 
: アニメの放映と並行して『[[冒険王 (漫画雑誌)|冒険王]]』誌の[[1974年]]11月号から[[1975年]]4月号まで連載。単行本化の際に60ページ余りが加筆されたが<ref>『別冊宝島 名作マンガのラストシーン再び いきなり最終回PART4』JICC出版、1992年、p.8</ref>、月刊誌での掲載によるペースの遅さに加え、途中でアニメが打ち切りとなったため、ストーリーはかなり省略され、松本自身がダイジェストと自認する内容となっている<ref>松本零士『宇宙戦艦ヤマト第2巻』(秋田書店サンデーコミックス、1979年)カバーの著者松本零士の言葉。</ref>。
 
: なお、単行本第2巻と文庫本第1巻終盤以降の内容は『[[さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち]]』『[[宇宙戦艦ヤマト2]]』のものである。
 
:; 単行本{{sfn|いま語るべき|2014|p=103}}
 
::# 1975年7月20日発売、ISBN 978-4253063302
 
::# 1979年4月30日発売、ISBN 978-4253063319
 
::# 1980年4月1日発売、ISBN 978-4253063326
 
:; 文庫本([[秋田文庫]])
 
::# 1994年7月発売、ISBN 978-4253170178
 
::# 1994年7月発売、ISBN 978-4253170185
 
:
 
; 宇宙戦艦ヤマト(作画 - [[聖悠紀]])
 
: 児童向け月刊誌『[[テレビランド]]』の1974年11月号から1975年3月号まで連載{{sfn|いま語るべき|2014|p=105}}。最終回は、大マゼラン星雲でドメル艦隊の総攻撃を、ヤマトはワープの空間ひずみでかわし、イスカンダルに到着、死亡した沖田艦長を埋葬するシーンで終わっている。掲載以後、研究資料用の300部限定の同人誌が発行されたのみで、一度も公式な再録も単行本化もされていない。1975年発売の『別冊テレビランド』第1号には、番外編として植民星出身ガミラス軍捕虜のオリジナルエピソードが掲載され{{sfn|いま語るべき|2014|p=105}}、こちらは『[[ハイパーホビー]]』2012年7月号に再録された<ref>[http://hyperhobby.jp/magazine/hh2012_07.html ハイパーホビー2012年7月号|HYPER HOBBY] [http://hyperhobby.jp/index.html ハイパーホビー公式サイト]内 2012年7月7日閲覧</ref>。
 
; 宇宙戦艦ヤマト(作画 - ひおあきら)
 
: 1974年から1975年にかけて[[朝日ソノラマ]]のサンコミックスから全3巻で描き下ろしで発行された[[コミカライズ]]作品。アニメ版の脚本を担当した藤川桂介が構成を行い漫画原作を担当。アニメ版ではオミットされたハーロックやイローゼが活躍を見せ、沖田十三が航行途中で死亡して宇宙葬され、以降は古代が艦長を務めるなど、アニメ版のストーリーに比べ異なった展開を見せている。他にも一部、旧39話版のストーリーも描かれている<ref>「偉大なコミカライズの暴走作 ひおあきら版『宇宙戦艦ヤマト』は強烈に熱い!」『宇宙戦艦ヤマト伝説』安斎レオ編、フットワーク出版、1999年、pp.176-187</ref>。
 
: 2005年には[[メディアファクトリー]]から文庫化、さらに2009年には『[[宇宙戦艦ヤマト 復活篇]]』の公開に伴い[[コンビニコミック]]化された。
 
:; 単行本(サンコミックス)
 
::# 1974年11月20日発売、ISBN 978-4257915393
 
::# 1974年12月25日発売、ISBN 978-4257915386
 
::# 1975年2月20日発売、ISBN 978-4257913047
 
:; 文庫本(MF文庫)
 
::# 2005年2月発売、ISBN 978-4840112154
 
::# 2005年2月発売、ISBN 978-4840112161
 
:; コンビニコミック([[MFコミックス]])
 
::# 2009年11月発売、ISBN 978-4840129329
 
::# 2009年12月7日発売、ISBN 978-4840129497
 
:
 
; 宇宙戦艦ヤマト 永遠のジュラ編(作画 - 松本零士 / 企画協力 - 西崎義展)
 
: 『[[プレイコミック]]』誌の[[1976年]]8月26日号に掲載{{sfn|いま語るべき|2014|p=104}}。当時流行した、オリジナル作者による有名漫画の読みきり新作企画{{Refnest|group="注"|1976年から1977年にかけ、「冒険王」「[[月刊少年ジャンプ]]」などでも同様の企画が組まれていたため、この時期に読みきりの新エピソードが執筆された漫画作品は多い。本作や『[[サイボーグ009]]』『[[サブマリン707]]』など、『プレイコミック』掲載分の作品は、1977年6月に『プレイコミック ビッグまんがBOOK 帰って来たヒーロー特集号』としてまとめて発売された<ref>[http://www.starblazers.com/html.php?page_id=172 StarBlazers.com - ''Eternal Story of Jura'': the "secret" episode] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20110920184011/http://www.starblazers.com/html.php?page_id=172 |date=2011年9月20日 }}を参照。</ref>}}の一環として描き下ろされたサイドストーリー。デスラーの妻子が描かれている唯一の作品。
 
 
 
=== 小説 ===
 
; 宇宙戦艦ヤマト 地球滅亡編 / 宇宙戦艦ヤマト 地球復活編
 
: 著者:石津嵐 / 原案:豊田有恒 / 発行元:朝日ソノラマ / 発売日:1974年10月20日(地球滅亡編)、1975年2月3日(地球復活編)
 
: 本作品の企画段階で没とされた豊田などの案を元に構成されており、スターシアがコンピュータであり、デスラーはスターシアにより創造された仮生命体であること。ヤマト乗員のほとんどはイスカンダル星に到着までに戦死または事故死すること。放射能汚染された地球は回復不能でその環境に適応するよう生態改造を行う旨を告げられること。仮生命体であるデスラーを倒すため、創造主たるスターシア(イスカンダル)を破壊するなど、ストーリー・設定がアニメ版とは大幅に異なっている。豊田有恒によれば「99.9%石津の仕事」とのこと{{sfn|豊田|1979|p=70}}。なお、終盤の設定の一部が劇場版の「スターシア死亡編」に生かされた。
 
: 1975年11月10日にソノラマ文庫に合本して再録(ISBN 978-4257760016)。
 
; 宇宙戦艦ヤマト 発進編 / 宇宙戦艦ヤマト 死闘編 / 宇宙戦艦ヤマト 回天編
 
: 構成:西崎義展 / 発行元:朝日ソノラマ / 発売日:1977年7月20日(発進編)、1977年8月1日(死闘編)、1977年8月10日(回天編)
 
: 1978年12月30日にソノラマ文庫に再録。
 
:; ソノラマ文庫
 
::*発進編、ISBN 978-4257761204
 
::*死闘編、ISBN 978-4257761211
 
::*回天編、ISBN 978-4257761228
 
:
 
; 宇宙戦艦ヤマト
 
: 著者:[[若桜木虔]] / 監修:西崎義展 / 発行元:[[集英社]] / 1978年9月20日
 
: [[コバルト文庫|集英社文庫コバルトシリーズ]]。ISBN 978-4086102285。
 
; 宇宙戦艦ヤマト
 
: 著者:牧美智瑠 / 監修:西崎義展 / 発行元:集英社 / 発売日:1978年11月10日
 
; 宇宙戦艦ヤマト 総集編
 
: 著者:三浦清史 / 監修:西崎義展 / 発行元:集英社 / 発売日:1978年11月10日
 
: モンキー文庫。
 
; 熱血小説 宇宙戦艦ヤマト
 
: 著者:[[高垣眸]] / 発行元:オフィス・アカデミー / 発売日:1979年7月4日
 
: 西崎の「ヤマトを文学作品として残す」という意気込みに高垣が同調して作られた小説{{sfn|いま語るべき|2014|p=88}}。
 
: アニメの矛盾点をいくらか解消しようとしたと思われる内容となっており、メッセージの到来が2年前で、ヤマトの建造に1年をかけていたり、ガミラス人はそこまで知能が発達しておらず、サーシャの宇宙船を見逃したりヤマトとの戦闘で戦術的に大敗したりしている{{sfn|いま語るべき|2014|p=88}}。
 
 
 
=== 絵物語 ===
 
; 空想科学[[絵物語]]版
 
: アニメ放送と同時期に「[[小学館の学年別学習雑誌|小学五年生]]」1974年10月号から1975年3月号まで6回連載。構成と文は藤川桂介、絵が松本零士。最終回はドメル艦隊との七色星団の決戦が中心で、ガミラス星攻防戦やイスカンダル星のくだりは、32行の文章で済ませ終了している。1999年に『こんなマンガがあったのか! 名作マンガの知られざる続編・外伝』で全6回が初再録された<ref>斎藤宣彦編集『こんなマンガがあったのか! 名作マンガの知られざる続編・外伝』メディアファクトリー、1999年、pp.202-232</ref>。次いで[[2010年]]に[[小学館|小学館クリエイティブ]]から発行された『松本零士 初期SF作品集』の「未復刻SF作品集」でも再び再録された。この書籍にはサーシャ・シップや脱出カプセルのモデルとなった『マシン童子』(「ぼくらマガジン」1970年.講談社)も掲載されている。
 
; 絵物語版
 
: アニメ放送と同時期に「[[小学館の学年別学習雑誌|小学四年生]]」1974年10月号から75年3月号まで6回連載。文章:藤川桂介/絵:[[池原しげと|池原成利]]。最終回直前は第8話の冥王星壊滅作戦が、最終回はガミラス本星攻防戦が掲載され終了している。
 
 
 
=== ゲーム ===
 
; 宇宙戦艦ヤマト
 
: 発売元:[[TAITO]] / 発売年:1985年 / ジャンル:コマンドシューティング
 
: [[レーザーディスクゲーム|業務用レーザーディスクゲーム]](アーケードゲーム)。
 
; 宇宙戦艦ヤマト
 
: 発売元:[[ベック]] / 発売日:1992年7月17日 / ジャンル:ウォー・シミュレーション
 
: [[ゲームボーイ]]用。
 
; 宇宙戦艦ヤマト
 
: 発売元:[[ヒューマン (ゲーム会社)|ヒューマン]] / 発売日:1992年12月22日 / ジャンル:ウォー・シミュレーション
 
: [[PCエンジン]]([[SUPER CD-ROM2|SUPER CD-ROM<sup>2</sup>]])用。
 
:発売から3年後に[[古代進]]役の[[富山敬]]が死去したため、富山が進を演じた最後の作品となった。
 
; [[宇宙戦艦ヤマトシリーズ (PlayStation)#宇宙戦艦ヤマト 遥かなる星イスカンダル|宇宙戦艦ヤマト 遥かなる星イスカンダル]]
 
: 発売元:[[バンダイ]] / 発売日:1999年2月4日 / ジャンル:ウォー・シミュレーション
 
: [[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]]用。いくつかのステージに分かれており、平面の戦略マップ上を進行し、敵と接触すると立体的な戦術マップに切り替わり立体戦闘になる。通常(艦隊戦)マップのほか白兵戦マップがあり、場合によっては両方が同時進行する。本作はキャラクターデザインが松本零士の画風により近いものにアレンジされているほか、オリジナルキャラクターとしてシュルツの兄・[[宇宙戦艦ヤマトシリーズの登場人物一覧#PS版・PS2版『宇宙戦艦ヤマト』シリーズ|コルサック]]が登場する。
 
; 宇宙戦艦ヤマト
 
: 発売元:バンダイ / 発売日:2001年2月8日 / ジャンル:シミュレーション
 
: [[ワンダースワンカラー]]用。
 
 
 
== 脚注 ==
 
=== 注釈 ===
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist|group=注}}
 
 
 
=== 出典 ===
 
{{reflist|2}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
*{{Cite book|和書
 
|year      = 1983
 
|title    = ロマンアルバム・エクセレント54 宇宙戦艦ヤマト PERFECT MANUAL2
 
|publisher = [[徳間書店]]
 
|ref      = {{SfnRef|ロマンアルバムEX.54|1983}}
 
}}
 
*{{Cite book|和書
 
|year      = 1983
 
|title    = 宇宙戦艦ヤマト大事典
 
|publisher = [[ラポート|ラポート社]]
 
|ref      = {{SfnRef|宇宙戦艦ヤマト大事典|1983}}
 
}}
 
*{{Cite book|和書
 
|author    = 豊田有恒
 
|year      = 1979
 
|title    = あなたもSF作家になれるわけではない
 
|publisher = 徳間書店
 
|ref      = {{SfnRef|豊田|1979}}
 
}}
 
*{{Cite book|和書
 
|author    = 豊田有恒
 
|year      = 2000
 
|title    = 日本SFアニメ創世記 虫プロ、そしてTBS漫画ルーム
 
|publisher = [[阪急コミュニケーションズ|TBSブリタニカ]]
 
|isbn      = 4-484-00205-1
 
|ref      = {{SfnRef|豊田|2000}}
 
}}
 
*{{Cite book|和書
 
|author    = 藤川桂介
 
|year      = 1998
 
|title    = アニメ・特撮ヒーロー誕生のとき [[ウルトラマン]]、宇宙戦艦ヤマトから[[六神合体ゴッドマーズ]]まで
 
|publisher = ネスコ
 
|isbn      = 4-89036-979-1
 
|ref      = {{SfnRef|藤川|1998}}
 
}}
 
*{{Cite book|和書
 
|author    = 石黒昇・[[小原乃梨子]]
 
|year      = 1980
 
|title    = テレビ・アニメ最前線 私説・アニメ17年史
 
|publisher = [[大和書房]]
 
|ref      = {{SfnRef|石黒・小原|1980}}
 
}}
 
*{{Cite book|和書
 
|editor    = Web現代「ガンダム者」取材班
 
|year      = 2002
 
|title    = ガンダム者 ガンダムを創った男たち
 
|publisher = [[講談社]]
 
|isbn      = 4-06-330181-8
 
|ref      = {{SfnRef|ガンダム者|2002}}
 
}}安彦良和とスタジオぬえの松崎健一のインタビュー
 
*{{Cite book|和書
 
|author    = 猪俣謙次
 
|year      = 1995
 
|title    = ガンダム神話
 
|publisher = [[ダイヤモンド社]]
 
|isbn      = 4-478-95007-5
 
|ref      = {{SfnRef|猪俣|1995}}
 
}}
 
 
 
*{{Cite book|和書
 
|author    = 井上静
 
|year      = 2012
 
|title    = 宇宙戦艦ヤマトの時代
 
|publisher = 世論時報社
 
|isbn      = 978-4-915340-81-9
 
|ref      = {{SfnRef|井上|2012}}
 
}}
 
*{{Cite book|和書
 
|author    = 猪俣謙次・加藤智
 
|year      = 2010
 
|title    = ガンプラ開発戦記 誕生から大ブームまで
 
|publisher = [[アスキー新書]]
 
|isbn      = 978-4-04-870216-4
 
|ref      = {{SfnRef|猪俣・加藤|2010}}
 
}}
 
*{{Cite book|和書
 
|author    = 松本悟・仲吉昭治
 
|year      = 2007
 
|title    = 俺たちのガンダム・ビジネス
 
|publisher = [[日本経済新聞出版社]]
 
|isbn      = 978-4-532-16598-7
 
|ref      = {{SfnRef|松本・仲吉|2007}}
 
}}
 
*{{Cite book|和書
 
|editor    = 『映画秘宝』関係者の中にいたガンダム野郎
 
|year      = 1999
 
|title    = ガンダム・エイジ ガンプラ世代のためのガンダム読本
 
|publisher = [[洋泉社]]
 
|isbn      = 4-89691-379-5
 
|ref      = {{SfnRef|ガンダム・エイジ|1999}}
 
}}
 
*{{Cite book|和書
 
|editor    = 竹熊健太郎
 
|year      = 1997
 
|title    = 庵野秀明 パラノ・エヴァンゲリオン
 
|publisher = [[太田出版]]
 
|isbn      = 4-87233-316-0
 
|ref      = {{SfnRef|竹熊編|1997}}
 
}}
 
*{{Cite book|和書
 
|editor    = 池田憲章
 
|year      = 1982
 
|title    = アニメ大好き! ヤマトからガンダムへ
 
|publisher = 徳間書店
 
|isbn      = 4-19-402631-4
 
|ref      = {{SfnRef|池田編|1982}}
 
}}
 
*{{Cite book|和書
 
|author    = 吉本たいまつ
 
|year      = 2009
 
|title    = おたくの起源
 
|publisher = [[NTT出版]]
 
|isbn      = 978-4-7571-4209-1
 
|ref      = {{SfnRef|吉本|2009}}
 
}}
 
*{{Cite book|和書
 
|author    = M.TAKEHARA
 
|author2  = Agila
 
|author3  = M.D
 
|year      = 2014
 
|title    = いま語るべき宇宙戦艦ヤマト
 
|publisher = [[竹書房]]
 
|isbn      = 978-4801900752
 
|ref      = {{SfnRef|いま語るべき|2014}}
 
}}
 
*{{Cite book|和書
 
|author    =牧村康正・山田哲久
 
|year      = 2015
 
|title    = 宇宙戦艦ヤマトを作った男 西崎義展の狂気
 
|publisher = 講談社
 
|isbn      = 978-4-06-219674-1
 
|ref      = {{SfnRef|ヤマトを作った|2015}}
 
}}
 
*{{Cite book|和書
 
|editor    = 劇場アニメ~80's 戦後アニメ映画の歴史
 
|year      = 2017
 
|title    = [[映画秘宝]]EX 劇場アニメの新時代
 
|series    =洋泉社MOOK
 
|publisher = 洋泉社
 
|isbn      = 978-4-8003-1182-5
 
|ref      = {{SfnRef|劇場アニメの新時代|2017}}
 
}}
 
*{{Cite book|和書
 
|author    = 大塚康生
 
|year      = 2004
 
|title    = リトル・ニモの野望
 
|isbn    = 4-484-00205-1
 
|publisher = 徳間書店
 
|ref      = {{SfnRef|大塚|2004}}
 
}}
 
 
 
== 外部リンク ==
 
* [http://www.yamatocrew.jp/ 宇宙戦艦ヤマトオフィシャルコミュニティヤマトクルー]
 
 
 
{{前後番組
 
|放送局=[[日本テレビ放送網|日本テレビ]][[日本テレビネットワーク協議会|系列]](ここまで[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]製作)
 
|放送枠=日曜19:30枠
 
|番組名=宇宙戦艦ヤマト(第一作)<br />(1974年10月6日 - 1975年3月30日)
 
|前番組=[[侍ジャイアンツ]]<br />(1973年10月7日 - 1974年9月29日)
 
|次番組=[[日立ドキュメンタリー すばらしい世界旅行]]<br />※日曜22:00から移動
 
}}
 
 
 
{{宇宙戦艦ヤマト}}
 
{{松本零士}}
 
{{星雲賞メディア部門|映画演劇部門}}
 
{{舛田利雄監督作品}}
 
  
 
{{デフォルトソート:うちゆうせんかんやまと}}
 
{{デフォルトソート:うちゆうせんかんやまと}}

2019/4/27/ (土) 18:00時点における最新版

宇宙戦艦ヤマト』(うちゅうせんかんヤマト)

松本零士作画による漫画作品。アニメのテレビ放映と並行して連載された。『冒険王』1974年11月号~1975年4月号に連載。秋田書店サンデーコミックス全3巻。



楽天市場検索: