嫉妬

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嫉妬(しっと、: Jealousy)とは、一つの感情であり、主として何かを失うこと、または個人がとても価値をおくもの(特に人間関係の領域)を失うことを予期することからくる懸念、怖れ、不安というネガティブな思考や感情に関連した言葉である。嫉妬は、たとえば怒り、恨み、自分とは釣り合わないという感覚、どうにもできないという無力感、嫌悪感といったさまざまな感情との複合から成る場合が多い。嫉妬(jealousy)と羨望(envy)という2つの言葉は、一般的には同じような意味を持つ言葉のように扱われているが、その元来の意味は異なっており、現在では嫉妬という言葉は、従来において羨望という言葉にのみ用いられていた意味をも帯びるようになっている。嫉妬は、典型的には人間関係における経験である。嫉妬は生後5か月の乳児にも観察されている[1][2][3][4]。嫉妬はあらゆる文化にみられると主張するものがいる一方で[5][6][7]、嫉妬は文化依存的な現象だと主張するものもいる[8]

羨望との比較

嫉妬(jealousy)と羨望(envy)は一般的には同じような意味を持つ言葉として用いられているが、心理学的には異なる2つの感情である[注 1][注 2]。羨望は、自分以外の誰かが望ましいよいものをわがものとしていて、それを楽しんでいることに対する怒りの感情であり、二者関係に基づいている[9]。対して嫉妬は、三者関係で自分が愛する対象が別の存在に心を寄せることを怖れ、その存在をねたみ憎む感情である[10]

嫉妬は主として現実、想像上にかかわらず、自分以外の誰かとの情欲関係においてみられる。羨望は最も原始的で悪性の攻撃欲動であり、よい対象を破壊してしまうが、嫉妬は愛する対象への愛情は存在していて、羨望の様によい対象が破壊されてしまうことはない(嫉妬の中に羨望が入りこむことはある)。羨望を乗り越えたところに発達する、相対する情緒として感謝が挙げられる。

嫉妬に対する考察

  • 嫉妬が強い人物は、下に見える人を見て悦に入る、上に見える人を見て反感を抱く傾向がある。
  • 人間以外の動物にも「嫉妬」の感情は存在する。複数のペットを飼っていて、特定の個体だけを可愛がったりするとその個体へ嫌がらせをしたり、部屋をわざと散らかしたりすることもある。
  • 嫉妬の「嫉」も「妬」もともに「ねたみ」を表している(『新大辞典』講談社)。また『広辞苑』(岩波書店)の「嫉妬」の項には、(1)「自分より優れた者をねたみそねむこと」、および(2)「自分の愛する者の愛情が他にむくのをうらみ憎むこと」とある。つまり嫉妬と「ねたみ」とはあまり区別されずに使われてきた。両者を区別したとしても、現象によっては、どちらとも言えない場合もあり、また両者が混在している場合もしばしばある。ときには、その違いをあまり強調しないほうが良い場合もあろう。
  • たとえば、「嫉妬とは日常的な意味では、他人が自分より物心両面にわたってすぐれていることに対する『ねたみ』であり、また自分が愛している者が、他人に愛情を向けるのを『うらみ憎む』といった、激しい感情である」[11]という研究者もいる。
  • その一方で多くの研究者たちは各々の言い回しで、両者の違いを明確にしようとしてきた。彼らは、日本語の嫉妬とねたみを区別するように、ドイツ語、フランス語、英語でもEifersucht, jalousie, jealousyとNeid, envie, envyを区別してきたのである。
  • 「嫉妬」という用語にも混乱がみられる。羨望の意味に使われる時もあり、ほんとうの嫉妬を指すこともある、患者が<自分は誰それの地位等々をたいへん嫉妬していると千万言を費やしてしゃべりまくることがあれば、当人は実は羨望しているのに、気づいていないだけのことだ[12]
  • 「人は自分の所有しているものに嫉妬し、他人の所有しているものを羨望する」〈ダランベール〉[13]。羨望とは「他人の勢力下にあるものを所有したいという欲望」であり、嫉妬 jalousie とは「自分自身の所有物をもち続けようとするときの邪推深い気づかい」である[14]
  • テレンバッハ・Hは嫉妬が働いている場合は「私が私のものであると思っている何かの喪失の恐れがある」のに対して、ねたみは「常に一次的に他人のものである何かに向いている」[15]のである。
  • フリートマン・M も、ねたみNeidは「我々自身が得たいと強く願っているある価値を、ある他人がもっているか獲得したことについての怒りの混じった悔しがり」[16]である、としている。フリートマン・M [16]は愛情嫉妬(性愛嫉妬)の他に、志向性嫉妬にも言及している。地位名誉・財産などの価値あるものを巡っての嫉妬である。たとえば、名誉ある地位についていた師匠に評価されて、その後継者であると自他ともに認めていたところに、ある分野では自分より優れた面をもっているライバルが現れたとする。そのライバルが総合的にも目覚ましい成長を遂げ、遂には師匠の評価を得て、自分から後継者の地位を奪ってしまうのではないかと恐れる場合などに生じる感情である。
  • 文学者ラ・ロシュフコーは、他人の美点を誉めそやすことの裏にも、嫉妬があると見る。その人の偉さに対する敬意よりも、自分自身の見識に対する得意があり、実は自分が賛美を浴びたいと思う心があるという[17]。これは、嫉妬が常に怒りや非難という形で表現されるとは限らないということを示唆している。

嫉妬に対する発言

  • 精神科医土居健郎と英語学者渡部昇一の共著書「いじめと妬み」の中で、2人は共にキリスト教に言及し、土居は「キリスト教的に言えば、妬みは生まれながらにあるもので、誰にでも、どこでも起こりうる心の状態なのです。」[18]と述べ、渡部は「私は、キリスト教で、"愛"の反対は"妬み"だと習いました。」[19]と述べている。土居は「心を打ち明けられる人を持つことがとても大切だと思います。」と述べている[20]
  • 劇作家山崎正和筑紫哲也との対談集『若者たちの大神』のなかで「大衆社会で一番怖いのは、平等化からくるねたみだと思う。ねたみというのはね、上下の差が小さくなったときに起きるものです。それに、ねたみはいわゆる公の憤りと非常にくっきりとした違いをもっていますね。これは、たとえ自分のほうに落ち度があると知っていても起こる感情なんです。しかも、これは、ほうっておくと無限に自己増殖するんですね。大衆社会が退廃していく最初のきっかけはねたみなんです。この感情だけは、どうしたらいいのか私には分かりません」と残している。
  • パリス・ヒルトンは「嫉妬するということは、相手より自分が下であると認めてしまうこと」[21]「嫉妬というのは最高の感情。悪魔は優しい心の人にカルマを与えるの。私は一度も嫉妬したことがないわ」と発言している[22]

脚注

  1. 七つの大罪において、その元の言葉はいくつかの日本語に翻訳することができるが、その一例として envy が挙げられる。envy は「羨望、嫉妬、羨み、妬み」等と翻訳することができる。それらは心理学領域では嫉妬(jealousy)と羨望(envy)という近似した、しかし異なる感情として議論されることがあるが、七つの大罪における元々の言葉は envy 一つであり、そうした議論とは無縁である点に注意が必要である。
  2. 日常生活で用いる嫉妬という日本語には2つの意味があり、「自分が愛する人の愛情が他人にむけられるとき」に生じる愛情関連の嫉妬と、「自分がほしいのに得られなかったもの持っている人をみたとき」に生じる優劣関連の嫉妬がある。( 水島広子 (2014) pp. 18, 26, 68)
    英語の jealousy(嫉妬)とenvy(羨望)は欧米の心理学的議論に沿って訳し分けられたが、実際の日本語の日常生活においては、「愛情関連の嫉妬」と「優劣関連の嫉妬」として、嫉妬の一語で jealousy と envy の両方の意味を担うことができる。

出典

  1. Draghi-Lorenz, R. (2000). Five-month-old infants can be jealous: Against cognitivist solipsism. Paper presented in a symposium convened for the XIIth Biennial International Conference on Infant Studies (ICIS), 16–19 July, Brighton, UK.
  2. Hart, S (2002). “Jealousy in 6-month-old infants”. Infancy 3: 395–402. doi:10.1207/s15327078in0303_6. 
  3. Hart, S (2004). “When infants lose exclusive maternal attention: Is it jealousy?”. Infancy 6: 57–78. doi:10.1207/s15327078in0601_3. 
  4. Shackelford, T.K.; Voracek, M.; Schmitt, D.P.; Buss, D.M.; Weekes-Shackelford, V.A.; Michalski, R.L. (2004). “Romantic jealousy in early adulthood and in later life”. Human Nature 15: 283–300. doi:10.1007/s12110-004-1010-z. 
  5. Buss, D.M. (2000). The Dangerous Passion: Why Jealousy is as Necessary as Love and Sex. New York: Free Press.
  6. Buss DM (December 2001), “Human nature and culture: an evolutionary psychological perspective”, J Pers 69 (6): 955–78, doi:10.1111/1467-6494.696171, PMID 11767825. 
  7. White, G.L., & Mullen, P.E. (1989). Jealousy: Theory, Research, and Clinical Practice. New York, NY: Guilford Press.
  8. Peter Salovey. The Psychology of Jealousy and Envy. 1991. ISBN 978-0-89862-555-4
  9. 松木邦裕 (2002) p. 305
  10. 岩崎徹也 (2002) p. 194
  11. 倉持弘著『女性の幻覚と妄想』金剛出版、1984年、74頁
  12. H.S.サリバン著:中井久夫、山口直彦、松川周悟(訳)『精神医学の臨床研究』みすず書房、1983年、148頁
  13. ドウーピエール著:荻野恒一、杉田栄一郎(訳)『嫉妬の心理』中央出版社、1961年、43頁
  14. ドウーピエール著:荻野恒一、杉田栄一郎(訳)『嫉妬の心理』中央出版社、1961年、43,44頁
  15. Tellenbach,H. (1967). Zur Phӓnomenologie der Eifersucht.Nervenarzt 38:333-336,1967
  16. 16.0 16.1 Friedmann,M. (1911). Über der Psychologie der Eifersuchtswahn. Wiesbaden,1911.
  17. 『ラ・ロシュフコー箴言集』邦訳:二宮フサ,岩波文庫,ISBN 4003251016
  18. 「いじめと妬み 戦後民主主義の落とし子」、土居健郎/渡部昇一 共著、PHP文庫、1997年、154ページ
  19. 「いじめと妬み 戦後民主主義の落とし子」、土居健郎/渡部昇一 共著、PHP文庫、1997年、75ページ
  20. 「いじめと妬み 戦後民主主義の落とし子」、土居健郎/渡部昇一 共著、PHP文庫、1997年、156ページ
  21. 著書「Confession of ann air reply」
  22. bounce.com. “インタビューファイル パリス・ヒルトン”. . 2008年12月18日閲覧.

参考文献

  • 小此木啓吾(編代) 『精神分析事典』 岩崎学術出版社、2002年。ISBN 9784753302031。
  • メラニー・クライン(著)小此木啓吾、岩崎徹也(訳) 『羨望と感謝』 誠信書房、1996年(原著1975年)。ISBN 9784414431056。
  • H・S・サリヴァン(著)中井久夫、山口直彦、松川周二(訳) 『精神医学の臨床研究』 みすず書房、1983年(原著1973年)。ISBN 9784622021902。
  • H・スィーガル(著)岩崎徹也(訳) 『メラニー・クライン入門』 岩崎学術出版社、1977年(原著1964年)。ISBN 9784753377060。
  • 松木邦裕 『対象関係論を学ぶ—クライン派精神分析入門』 岩崎学術出版社、1996年。ISBN 9784753396054。
  • 水島広子 『「ドロドロした嫉妬」がスーッと消える本』 ベストセラーズ、2014年。ISBN 9784584135433。

関連項目