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妙義龍 泰成(みょうぎりゅう やすなり、1986年10月22日 - )は兵庫県高砂市出身の境川部屋所属の現役大相撲力士。本名は宮本 泰成(みやもと やすなり)。身長186cm、体重152kg、血液型はA型、最高位は東関脇2012年9月場所 - 11月場所、2013年7月場所 - 9月場所、2014年9月場所)。趣味は釣り。Facebookを利用している。得意手は押し相撲だが、右を差して寄る相撲も見せている。いわゆる「花のロクイチ組」の1人[1]

経歴

中学卒業まで

自動車の板金塗装を営む家庭に生まれる。幼少期から元気な子供であり、他の子供が補助輪を付けて自転車に乗っているときに宮本は補助輪なしで自転車をこいでおり、この様子を見た両親は競輪選手にさせようと考えたという。[2]子供の頃からそろばん習字水泳体操柔道など多くの習い事を経験したが、相撲に出会ったのは小学2年生の時であった。[2]その時、近所の神社で行われた祭りの相撲大会で優勝した、そこで1対1の勝負に勝つという楽しさを知った宮本は兵庫県姫路市の広畑少年相撲教室に通うようになった。[2]チームメイトには同県龍野市(現在のたつの市)出身で中学卒業後に北の湖部屋へ入門した同級生の北磻磨がいた。しかし実際に相撲教室で行ったことは追いかけっこのような遊びが主体であった。[2]楽しく1年を過ごした後、前回優勝したよろこびが忘れられず、また神社の相撲大会に出た。この時は決勝で負けてしまい、この悔しさから相撲に本格的に打ち込むようになり、以来祭りなどの催し的なものではなく、市大会や県大会のような公式戦に出場するようになった。[2][3]高砂市立荒井中学校時代には3年生の時に兵庫県大会で2位の実績を挙げたことで全国中学校体育大会(全中)への出場を果たした一方で陸上部に籍を置いて円盤投げ砲丸投げにも取り組んだ。ただ、この頃は相撲教室には2ヶ月に1回しか通っておらず、完全に相撲に対する興味が薄れており、釣りを楽しんだりゲームセンターで遊んでいたりした。[3]また、この頃は不良グループに入っており、髪を茶髪にしたり、深夜まで学生服を着て遊んだり、時には喧嘩をしたりしたが、問題になると決まって父から痛い仕置きを受けた。[3]中学時代はトラック運転手に憧れていたが、将来の夢について両親と真面目に話し合った時に、サボっていた相撲を「もっと本気でやってみないか」と言われた。[3]全中に出場した際、埼玉栄高校の相撲部監督に見学を薦められ、その縁で同校に入学。[4]高校の寮のある埼玉県へ向かうのに、澤井豪太郎と同じ新幹線の車両で共に東京駅までの道を進んだ[1]

高校時代から大学時代

後に結婚する女性とは高校1年生の時に出会っており、隣の席だったのがその女性であり「いろいろとしゃべっているうちに。同じクラスメートで気になる存在だった」と意識するようになった。しかし、当時の相撲部は恋愛禁止だったため、交際には発展せず。さらに、携帯電話の所持も禁止で寮生活だったため、学校で会った時にだけ会話する日々が続いた[5]

高校2年生の時まで公式戦に出る機会がなく、ひたすら雑用をこなしながら稽古場の隅で鉄砲を打つ日々を送っており、[6]鉄砲だけで1日の稽古が終わったこともあった[7]。監督の山田道紀からは「鉄砲で日本一になれ」と言われたことから、とにかく宮本は鉄砲柱に向かった[7]2004年には同級生の豪栄道と共に全国高等学校総合体育大会(高校総体)に出場し、団体戦では澤井が主将・宮本が副将としてチームを引っ張った。個人戦では豪栄道が高校横綱、妙義龍は準優勝に輝いた。

高校卒業後は現在の妻とは別々の大学に進学。こまめに連絡を取り合っていたが、この時も交際には発展しなかった[5]日本体育大学時代には1年生の頃から公式戦に出場する機会を与えられ、なかなか勝てない中監督は辛抱強く宮本を試合に出し続けた。[8]その甲斐あってか、4年生の2008年には大分国体成年個人の部で優勝し、大相撲幕下15枚目格付出の資格を獲得した[9]

入門から十両昇進まで

複数の部屋から誘いがあったが[9]2009年5月場所前に豪栄道が所属する境川部屋へ入門し[9][10]、5月場所で2007年3月場所の以来となる幕下15枚目格付出として初土俵を踏んだ[11]。入門に関して宮本は後年「親方の人柄で決めました」と話している。[8][12]

初土俵となった2009年5月場所では、デビュー戦では黒星を喫したものの、その後4連勝して5勝2敗と勝ち越しを決めた。その後、同年7月場所・9月場所・11月場所と3場所連続して5勝2敗と勝ち越し、同年11月場所後の番付編成会議で2010年1月場所における新十両への昇進が決定。兵庫県からの新十両は、2004年9月場所の若麒麟以来。昇進と同時に、四股名を本名である「宮本」から、「いろいろな技を出せるように」という意味を込めて、埼玉栄高校時代の恩師らと考案した「妙義龍」へと変更した。

新十両後

新十両の場所となった2010年1月場所では、初日に十文字を押し出しで破って初勝利を挙げたが、2日目の臥牙丸戦で左膝前十字靭帯断裂という重傷を負って3日目から休場し、以後は再出場することなくこの場所を1勝2敗12休で終えた。さらに翌3月場所から3場所連続で休場し、9月場所で復帰した時には番付は西三段目94枚目まで落ちた。この場所は7戦全勝の成績を収め、優勝決定戦では大学の後輩である千代桜に敗れたものの、翌11月場所にて幕下へと復帰した。その11月場所では、一番相撲で負けたものの、そこから連勝を続けて6勝1敗の成績を挙げ、優勝決定戦も制して幕下優勝を果たした。2011年1月場所は一番相撲から6連勝としたが、千秋楽に同じく全勝の松谷(現・松鳳山)に敗れて優勝を逃した。翌5月技量審査場所では東幕下8枚目の位置で4勝3敗という成績だったものの、大相撲八百長問題で関取から多数の引退者が出た影響もあり、翌7月場所において再十両を果たした。その7月場所では11勝4敗の成績を挙げ優勝決定戦まで進出し、優勝決定戦では舛ノ山を破って初の十両優勝を飾った。翌9月場所でも圧倒的な強さを見せ、13勝2敗の成績を挙げて2場所連続2回目となる十両優勝を達成し、翌11月場所において新入幕。兵庫県からの新入幕は、2011年5月場所の栃乃若以来。

新入幕後

2011年・2012年

新入幕となった2011年11月場所では11日目に勝ち越しを決め、最終的には10勝5敗という好成績を挙げた。翌2012年1月場所でも12日目に勝ち越しを決め、9勝6敗の成績を挙げて初の技能賞を受賞した[13]。自己最高位となる東前頭筆頭の位置で迎えた翌3月場所では、横綱・大関陣に対して1勝もできず、早々と11日目に負け越しが決まってしまったものの、結果的には7勝8敗と1点の負け越しに抑えてこの場所を終えた。翌5月場所では4大関を破る活躍を見せて、9勝6敗の成績を挙げて2回目の技能賞を受賞した。翌7月場所では新三役へ昇進(東小結)した。兵庫県からの新三役は、1991年5月場所の貴闘力以来。その場所は3日目に大関・鶴竜を破り、8日目にそれまで全勝だった大関・把瑠都を破る活躍を見せて、8勝7敗と勝ち越しを決めて3回目の技能賞を受賞した。翌9月場所には新関脇へ昇進(東関脇)。兵庫県からの新関脇は、1991年7月場所の貴闘力以来。その場所は初日に大関・稀勢の里戦で敗れたが、2日目から6連勝し、11日目に勝ち越しが決定。最終的に10勝5敗の好成績を挙げて4回目の技能賞を受賞した。3場所連続しての技能賞受賞は、1987年5月場所から同年9月場所にかけての旭富士以来25年ぶりのこととなった。場所後に妙義龍が現在の夫人を食事に誘い、交際に発展[5]。翌11月場所は序盤から苦戦して、早々と10日目に負け越しが決まってしまい、結果的にも6勝9敗に終わったものの、11日目に大関・鶴竜、12日目には新横綱の日馬富士、13日目には大関・琴奨菊を破って意地を示した。

2013年

翌2013年1月場所では3日目に横綱・白鵬を破り自身初となる金星を獲得。千秋楽に勝てば初の殊勲賞受賞だったが、大学の後輩である千代大龍に敗れて7勝8敗となって負け越したために受賞を逃した。3月場所は不戦勝も含め3大関から白星を挙げて8勝7敗。同年5月場所では2日目に横綱・日馬富士を破り2個目の金星を獲得し、11勝4敗の好成績を挙げて5回目の技能賞を受賞した。翌7月場所で一気に東関脇に復帰したが、初日は千代大龍戦でまげを引っ張ってしまい、初の反則負けを喫してしまった[14]。9日目には横綱・日馬富士を2場所連続で破ったが[15]、千秋楽に8勝7敗とようやく勝ち越しにとどまった。翌9月場所では新入幕場所以来となる初日白星で発進したが、中盤から終盤に崩れて14日目に負け越しが決まり、最終的には6勝9敗に終わった。平幕に落ちた11月場所は8勝7敗で勝ち越し。

2014年

2014年1月場所は再び三役に番付を戻したが、初日の碧山に敗れた一番で脇腹付近を痛めた上に3日目に豪風に敗れた際に脇腹の負傷を悪化させ、結局初日から3連敗を喫した末に4日目から「右後腹膜血腫で約2週間の安静加療を要する」との診断書を日本相撲協会に提出して休場した。 [16]途中休場を喫した直後は食事を摂るだけで青黒く腫れた患部に強い痛みが走ったというが、患部の画像を携帯電話に残して見返すことでそのころの辛さを忘れないようにしたと伝わっている。[17]復帰場所となった3月場所、翌5月場所はいずれも8勝を挙げ、同年7月場所は11勝4敗の好成績を挙げて復調を示した。この場所は技能賞獲得の可能性が取り沙汰されるも、三賞選考委員会の賛成が過半数に満たず受賞はお預けとなった。[18]9月場所は1年ぶりに東関脇の地位で迎えたが、左目網膜剥離により全休。境川は「約1週間前から目の違和感を訴えており、稽古も休んでいた。休場は残念だが、早く手術した方がいいので決断した」と話した。9月11日に東京都内の病院で左目の手術を受け、その後入院せず部屋での静養を行っている模様。[19][20]東前頭11枚目まで番付を下げた翌11月場所は、11日目に勝ち越しが決定し、最終的に9勝6敗。

2015年

東前頭8枚目だった2015年1月場所は、13日目に勝ち越しが決定し、最終的に9勝6敗。翌3月場所では番付運に恵まれて小結に復帰(西小結で7勝8敗だった栃煌山は、東前頭筆頭に下がった)。この場所では、2日目に大関・稀勢の里を破った。なお、大関との取組での勝利は、2013年11月場所4日目の琴欧洲戦以来(対戦しての勝利は、2013年9月場所8日目の鶴竜戦以来)。14日目には、2013年7月場所(当時関脇)以来となる三役での勝ち越しが決定し、最終的に8勝7敗。翌5月場所では、関脇に復帰し、この場所は7勝8敗と負け越して小結に落ちるも、7月場所で8勝7敗と勝ち越して9月場所で関脇に復帰。この場所は2013年7月場所以来2年ぶりに関脇で勝ち越した。翌11月場所では、足首の状態が良くなかったためか2勝13敗と自身初の二桁黒星を喫したが、5日目に横綱・鶴竜を2場所連続で破った。

2016年

1月場所は東前頭8枚目で迎え、8勝7敗と勝ち越し。東前頭6枚目に番付を上げた3月場所は、12日目終了時点で10勝2敗と優勝の争いの一角に加わっていたが、13日目以降は平幕力士相手に3連敗を喫して脱落。それでも10勝5敗と大きく勝ち越した。東前頭筆頭で迎えた5月場所は、初日から4連敗し、その後も勝ち星を伸ばせず12日目に負け越しが決まり、最終的には6勝9敗だった。西前頭3枚目で迎えた7月場所は、夏場所後に足首を手術した影響を残したのか序盤から負けが込んで10日目にして8敗を喫し負け越しが確定。しかしそこからは5連勝で7勝8敗まで戻して面目を保った。9月場所は東前頭4枚目で5勝10敗と自身2度目の2ケタ黒星。11月場所は千秋楽で勝利して8勝と勝ち越し。

2017年

ファイル:Myogiryu-1.jpg
靖国神社奉納大相撲 妙義龍関の相手は貴景勝関(2017年4月17日撮影)

東前頭7枚目に番付を再び上げた1月場所は一度も連勝できず4勝11敗の大敗。東前頭14枚目まで番付を落とした3月場所も調子が上がらず、序盤から黒星が先行した。それでも12日目にそれまで10勝1敗と優勝争いをしていた栃煌山を破り、場所中初めて星を五分に戻した。しかし13日目に十両の阿武咲に敗れて後がなくなると、14日目に千代翔馬に敗れてついに負け越しが決まる。千秋楽も敗れ、この終盤の3連敗が響いて6勝9敗。初土俵以来初めてとなる幕内二桁台での皆勤負け越し。5月場所は十両陥落の可能性もあったが、番付を一枚下げたのみの東前頭15枚目で迎えることになった。5月場所は前半戦こそ黒星と白星の一進一退が続いたが、8日目から4連敗で負け越しとなる8敗目を喫すると、その後も星が伸びず4勝11敗と大敗した。これにより34場所連続で在位した幕内から落ちることとなった。7月場所は3日目終了時点で1勝2敗と黒星先行であったが、12日目には勝ち越しを確定させた。最終的に10勝5敗の好成績を残した。9月場所も8勝7敗で勝ち越しを決めた。

9月29日、高校時代の同級生であった女性と結婚したことを発表。同月17日に第一子となる長男が誕生したことも明らかになっている。度重なるケガに苦しんだ時に支えてもらい「一緒にいてこの人だと思った」と妙義龍からプロポーズした[5][21][22]。11月場所は返り入幕で勝ち越しの望みがあったが、13日目の取組で膝を負傷し、14日目から左膝半月板損傷で2週間の安静加療を要するという診断書を提出し休場した。正代戦は不戦敗[23]。千秋楽翌日、松葉づえをつきながら1人で帰京し、11月30日、幹部の内視鏡手術を行い1週間入院。退院後、ウォーキングからリハビリを始めた[7]。このような状態で2018年1月場所に出場できるのかと不安になっていたが、山田道紀の教えを思い出し、初心に帰って鉄砲で体の動きを確かめた。心境も「十両に落ちたくない」というものから「落ちても関取」と余裕のあるものに変わった[7]

2018年

1月場所は東十両筆頭に番付を下げたが、休場明けの序盤は黒星が先行する厳しい成績だった。しかし、中盤以降は白星を積み重ねて10勝5敗とし、英乃海との優勝決定戦を制して3度目の十両優勝を果たした。優勝インタビューでは、2017年12月の終わりには全く相撲が取れない状況であったと明かし、さらにご当地の3月場所に向けての意気込みを語った[24]。2場所ぶりの幕内となる西前頭15枚目で臨んだ3月場所は終盤の連敗もあって6勝9敗の負け越しに終わった。番付が後ろに1枚半しかない状況で十両陥落となる星勘定であったが、幕内から十両へ落ちる力士の数が多く、5月場所は僅か半枚減の東前頭16枚目に踏みとどまった。この場所は10勝5敗の好成績で、およそ2年ぶりに幕内で二桁勝利を果たした。東前頭9枚目に番付を伸ばした7月場所も9勝を挙げた。

取り口

全盛期には187cmの長身ながらも膝を割って腰を落とした低い体勢のまま鋭い出足を活かして[25]前に出て繰り出す押し相撲を得意としており、これは強い下半身がもたらす卓越した型と呼べる。引き技にも落ちにくく、そのまま追尾して引き・叩きに乗じるように勝負を決めることも多かった。特に引きに乗じる相撲は上位陣に対して大きな威力を発揮していた。[26]この押し相撲の相撲の型が評価されてこれまでに技能賞を5回獲得している。[27]押し相撲だけでなく右差しから寄る相撲もこなすことができる。一方で守勢に回ると脆く、突き押しを受けると後退しやすく廻しを取られると粘れない部分がある。実際のところ、10回以上幕内で対戦した最高位が関脇以下の力士の中での、もろ差しを得意とする力士やパワー型の右四つ力士との対戦成績は一概に良いとは言い切れない。逆に、左四つ一辺倒の力士や突き押しと左四つの折衷型力士には比較的相性が良い。2016年11月場所前の座談会では西岩「以前は前に絶対落ちないのが持ち味だったんですけど、最近はそうでもなくなってきている」と評されており、同席していた中立は「稽古量がちょっと減ったというのはあるよね。目の手術やいろいろなケガとかでやりたくてもできないというのはあっただろうし」と前に落ちやすくなった理由を語っている[28]

合い口

いずれも2018年9月場所終了現在。
  • 横綱・白鵬には1勝16敗。初顔合わせから2012年11月場所まで5連敗だった(特に9月場所は立合い直後に足から崩れ落ちて完敗[29])が、2013年1月場所で初勝利を挙げ、初金星を獲得した。
  • 横綱・鶴竜には8勝9敗。鶴竜の大関昇進後から横綱昇進前までは6勝4敗。鶴竜の横綱昇進後は2勝3敗。2012年5月場所から11月場所まで4連勝していた。最近では2015年11月場所で勝利している。
  • 横綱・稀勢の里には4勝16敗。稀勢の里の横綱昇進後は対戦無し。最近では2015年5月場所で寄り切りで勝利している。
  • 大関・高安には11勝4敗。2012年4月場所の幕内初顔から2013年7月場所まで5連勝、2014年7月場所から2015年9月場所にかけて5連勝を記録している。
  • 大関・栃ノ心には7勝11敗。栃ノ心の大関昇進後は対戦なし。直近の勝利は2016年7月場所で、決まり手は寄り切り。
  • 元大関・琴奨菊には10勝10敗(不戦敗による1敗を含む)。琴奨菊の大関在位中は8勝10敗(不戦敗による1敗を含む)。2013年5月場所から7月場所まで2連勝していた。
  • 元大関・照ノ富士には3勝9敗。照ノ富士の大関在位中は1勝5敗。
  • 元横綱・日馬富士には5勝13敗だが、日馬富士の横綱昇進後は4勝10敗だった。2013年5月場所から7月場所まで2連勝していた。
  • 元大関・把瑠都には4勝3敗(不戦勝による2勝を含む)だった。把瑠都の大関時代は2勝2敗(不戦勝による1勝を含む)だが、把瑠都が関脇へ降下してからは2勝1敗(不戦勝による1勝を含む)と勝ち越した。
  • 元大関・琴欧洲には4勝6敗(不戦勝による2勝を含む)だった。途中、2013年1月場所から5月場所まで3連勝していた。
  • 元関脇・碧山には8勝9敗。2011年11月場所に幕内初顔となって黒星を喫して以降、碧山との幕内での対戦における星取りはヌケヌケである。
  • 最高位が関脇以下の力士との幕内での対戦成績は以下の通りである。
力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
関脇
碧山 9 9 朝赤龍 1 0 安美錦 11 5 阿覧 4 1
6 5 逸ノ城 6 3 隠岐の海 8 9 魁聖 8 6
旭天鵬 6 1 琴勇輝 2 8 正代 1 5(1) 宝富士 12 3
豪風 13 4 玉鷲 3 4 栃煌山 13 12 豊ノ島 5 5
御嶽海 0 2 嘉風 2 6
小結
遠藤 4 4 阿武咲 1 2 臥牙丸 7 1 黒海 1 0
常幸龍 1 2 松鳳山 10 8 貴景勝 0 3 千代鳳 5 1
千代大龍 6 5 時天空 1 5 豊真将 2 2 若荒雄 0 2
前頭
朝乃山 2 3 東龍 1 0 阿炎 0 1 阿夢露 3 0
荒鷲 2 3 石浦 2 3 宇良 1 0 大砂嵐 2 5
2 2 北太樹 8 0 木村山 1 0 旭秀鵬 5 1
旭大星 2 0 磋牙司 1 0 里山 1 0 蒼国来 6 1
大奄美 2 1 大栄翔 1 3 大翔丸 3 4 大道 1 1
貴ノ岩 2 2 千代翔馬 2 3 千代ノ皇 1 1 千代の国 2 2
千代丸 4 1 德勝龍 4 5 栃乃若 3 1 錦木 2 4
英乃海 2 0 富士東 0 1 北勝富士 1 2 誉富士 3 0
舛乃山 0 1 豊山 1 0 芳東 1 0
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。太字は2018年9月場所終了現在、現役力士

エピソード

  • 中学時代には地元の巡業に来ていた土佐ノ海の胸を借りたことがある。[30]
  • 2013年8月24日夜、ジャカルタ巡業の遠征中であった妙義龍は豊響と共にタクシーに乗って夕食に出掛けたが、2人とも一般と比べて並外れた巨漢であったことから現地の警察官はテロリストと疑って車を止め、荷物を調べた後警官は2人が力士であると理解してようやく収束した。[31]
  • 2010年1月場所で重傷を負って途中休場していた際はしばらく車椅子生活を送っていたが入院先の女性看護師が自身の乗った車椅子を懸命に押している姿を見て不甲斐なさや恥ずかしさを感じ、全力でリハビリに取り組んだという。この体験が三役を掴んだ原動力となっている。[32]
  • 豪風と並んで角界随一の筋トレ論を持つ力士であるといい、豪風と共に相撲教習所で行ったトークショーで「週に最低2回、基本は下半身」とトレーニング周期と重点的に鍛える部位を語ったことがある。因みに豪風は「肩の日、胸の日、背中の日と3日間に分けています」とそのトークショーで答えていた。[33]妙義龍はまた同じトークショー内で「ゆでたまごを1日20個食べてます」と明かしたが、豪風からは「タンパク質を取りすぎると肝臓に負担がかかって疲れやすくなるからダメ。ちゃんこ鍋がバランスの良いプロテイン」と駄目出しを受けてしまった。[34]
  • 2015年4月よりサントリー伊右衛門 特茶」のCMに出演(宮沢りえらと共演)。
  • 日体大の後輩である千代大龍からは一目置かれている。2017年5月場所千秋楽で四股名に「龍」の字が付く者同士の「ドラゴン対決」では、勝った千代大龍が「向こうのほうが強そうですから。僕なんて"千代小龍"です」と恐縮して負けた妙義龍を立てた[35]
  • 2017年4月29日、都内で自身の激励会が行われた。この時は2017年5月場所の番付発表前で十両落ちも懸念される状況であったが、家族や埼玉栄高時代の相撲部の同級生など、約100人が集まり「アットホームでいいですよね。ありがたいです。幸せだと思います」と感謝した。参加者が座るテーブルを周り、談笑や記念撮影をしたり、カラオケで美声を響かせるなどして、日頃から支えてもらっている人らに恩返しをした。会の最後には「今は下位にいますけど、また上に戻って横綱、大関を倒せるようになりたいです」と抱負を語り、大きな拍手で激励を受けた。しかしその5月場所で34場所連続で在位した幕内の地位を離れることになるという憂き目にあった[36]
  • 2016年10月21日には秋巡業神戸場所が行われ、地元高砂市出身の妙義龍や9月場所で初優勝した豪栄道らが、約4000人の観衆を沸かせた。神戸巡業は9年ぶり。取組のほか、公開稽古や相撲甚句の披露などもあった。髪結い実演のモデルを務めるなど大忙しだった妙義龍は、大声援を浴びながら豪風を突き落としで下し「本場所に来られない人たちにも会うことができた。声援を力に変え、これからも頑張ります」と笑顔で話した[37]

記録など

  • 2012年5月場所から同年9月場所にかけて平成以降では単独1位となる3場所連続単独での技能賞受賞を記録している[38]。同じく平成以降単独1位の記録として同一年における技能賞受賞回数の記録が残っており、2012年には3月場所と11月場所を除いて技能賞を4回を受賞している。
  • 全休した2014年9月場所を除く、幕内在位34場所中で初日の成績は10勝24敗。初日が白星だったのは、新入幕だった2011年11月場所・幕内で初の2連勝スタートだった2013年9月場所・2014年5月場所・幕内で初の3連勝スタートだった2014年7月場所・2015年5月場所・2015年9月場所・2016年3月場所・2016年9月場所・2017年3月場所・2017年11月場所の10場所。2012年1月場所から、2度目の三役復帰だった2013年7月場所まで10場所連続で初日が黒星だった(うち7場所は勝ち越し)。逆に、途中休場した2014年1月場所・2017年11月場所・全休した2014年9月場所を除く、幕内在位32場所中で千秋楽の成績は17勝15敗と勝ち越している。

主な成績

2018年9月場所終了現在

通算成績

  • 通算成績:378勝314敗60休(56場所)
  • 通算勝率:.546
  • 幕内成績:282勝276敗27休(39場所)
  • 幕内勝率:.505

各段優勝

  • 十両優勝:3回(2011年7月場所、2011年9月場所、2018年1月場所)
  • 幕下優勝:1回(2010年11月場所)

三賞・金星

  • 金星:2個(白鵬1個、日馬富士1個)
  • 三賞:5回
    • 技能賞:5回(2012年1月場所、2012年5月場所、2012年7月場所、2012年9月場所、2013年5月場所)
                        
妙義龍泰成
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2009年
(平成21年)
x x 幕下付出15枚目
5–2 
西幕下7枚目
5–2 
西幕下2枚目
5–2 
西幕下筆頭
5–2 
2010年
(平成22年)
東十両14枚目
1–2–12[39] 
東幕下14枚目
休場
0–0–7
西幕下54枚目
休場
0–0–7
西三段目34枚目
休場
0–0–7
西三段目94枚目
7–0 
東幕下58枚目
優勝
6–1
2011年
(平成23年)
西幕下26枚目
6–1 
八百長問題
により中止
東幕下8枚目
4–3 
西十両12枚目
優勝
11–4
東十両3枚目
優勝
13–2
西前頭11枚目
10–5 
2012年
(平成24年)
東前頭5枚目
9–6
東前頭筆頭
7–8 
東前頭2枚目
9–6
東小結
8–7
東関脇
10–5
東関脇
6–9 
2013年
(平成25年)
西前頭筆頭
7–8
西前頭2枚目
8–7 
東前頭筆頭
11–4
東関脇
8–7 
東関脇
6–9 
東前頭筆頭
8–7 
2014年
(平成26年)
東小結
0–4–11 
東前頭10枚目
8–7 
東前頭8枚目
8–7 
西前頭6枚目
11–4 
東関脇
休場
0–0–15
東前頭11枚目
9–6 
2015年
(平成27年)
東前頭8枚目
9–6 
西小結
8–7 
西関脇
7–8 
西小結
8–7 
西関脇
8–7 
西関脇
2–13 
2016年
(平成28年)
東前頭8枚目
8–7 
東前頭6枚目
10–5 
東前頭筆頭
6–9 
西前頭3枚目
7–8 
東前頭4枚目
5–10 
東前頭9枚目
8–7 
2017年
(平成29年)
東前頭7枚目
4–11 
東前頭14枚目
6–9 
東前頭15枚目
4–11 
東十両4枚目
10–5 
西十両筆頭
8–7 
西前頭15枚目
6–8–1[40] 
2018年
(平成30年)
東十両筆頭
優勝
10–5
西前頭15枚目
6–9 
東前頭16枚目
10–5 
東前頭9枚目
9–6 
東前頭5枚目
8–7 
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴

  • 宮本 泰成(みやもと やすなり)2009年5月場所 - 2009年11月場所
  • 妙義龍 泰成(みょうぎりゅう - )2010年1月場所 -

主なメディア出演

CM出演

参考文献

  • 『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(著者:塩澤実信、発行元:北辰堂出版、2015年)p233-234

脚注

  1. 1.0 1.1 大空出版『相撲ファン』vol.06 p68-71
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 角界随一「アスリート型相撲取り」の原点 カベと向き合い挑戦する:妙義龍(関取/力士)第1回 (2) CAMPANELLA 07.14.2016
  3. 3.0 3.1 3.2 3.3 角界随一「アスリート型相撲取り」の原点 カベと向き合い挑戦する:妙義龍(関取/力士)第1回(3) CAMPANELLA 07.14.2016
  4. 『大相撲ジャーナル』2013年10月号
  5. 5.0 5.1 5.2 5.3 妙義龍が結婚と長男誕生発表 埼玉栄同級生、隣の席 日刊スポーツ 2017年9月29日16時7分
  6. 【妙義龍】下積みから頂点へ、そして「ゼロ以下」からスタート カベと向き合い挑戦する:妙義龍(関取/力士)第2回(1) CAMPANELLA 07.21.2016
  7. 7.0 7.1 7.2 7.3 『相撲』2018年3月号 p.44-45
  8. 8.0 8.1 【妙義龍】下積みから頂点へ、そして「ゼロ以下」からスタート カベと向き合い挑戦する:妙義龍(関取/力士)第2回(2) CAMPANELLA 07.14.2016
  9. 9.0 9.1 9.2 日体大の宮本が境川部屋に入門へ”. スポニチ (2009年4月24日). . 2009年12月3日閲覧.
  10. 宮本「全勝目標」で最速十両照準!”. スポニチ (2009年5月2日). . 2009年12月3日閲覧.
  11. 国体王者の宮本が黒星デビュー/夏場所”. 日刊スポーツ (2009年5月12日). . 2009年12月3日閲覧.
  12. 『大相撲ジャーナル』2017年2月号68ページ
  13. “鶴竜 初の殊勲賞 妙義龍は技能で初三賞 千代の国は落選”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2012年1月22日). http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2012/01/22/kiji/K20120122002484140.html . 2013閲覧. 
  14. ““日体大対決”先輩の妙義龍が反則負け「しょうがない」”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2013年7月7日). http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2013/07/07/kiji/K20130707006171520.html . 2013閲覧. 
  15. “妙義龍 粘りの押しで日馬撃破「気合ですよ」10日目は白鵬戦”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2013年7月15日). http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2013/07/15/kiji/K20130715006224550.html . 2013閲覧. 
  16. 小結妙義龍が休場 右後腹膜血腫、初日に脇腹痛め3日目に悪化 Sponichi Annex 2014年1月15日 10:12
  17. 【大相撲名古屋場所】妙義龍、一気の出足で遠藤退ける 辛さ忘れないために携帯に腫れた患部 MSN産経ニュース 2014.7.14 20:30
  18. 【名古屋場所】殊勲賞に豪栄道、高安は敢闘賞 大砂嵐は勝ち越しで殊勲賞 2014年7月27日13時45分 スポーツ報知
  19. 妙義龍、左目を手術 入院せず静養 2014年9月11日18時18分 スポーツ報知
  20. 関脇・妙義龍が網膜剥離のため秋場所休場 2014年9月11日12時26分 スポーツ報知
  21. 『大相撲中継』2017年11月18日号 p.107.
  22. 『大相撲ジャーナル』2017年12月号p104
  23. 妙義龍が休場、左膝半月板損傷 幕内合計9人
  24. 『大相撲中継』2018年2月17日号 p.75
  25. 『相撲』2012年1月号70頁
  26. 『相撲』2013年11月号56頁
  27. 『相撲』2012年3月号 技の世界 第36回
  28. 『大相撲ジャーナル』2016年12月号68ページ
  29. 白鵬荒技ー平成24年9月場所十二日目妙義龍戦 youtube 2016/3/22 閲覧
  30. 『大相撲ジャーナル』2015年6月号40ページ
  31. 妙義龍&豊響 テロリストに間違えられた「いい経験になりました…」 Sponichi Annex 2013年8月26日 06:00
  32. 妙義龍復活させた"ナースとの恥辱体験" 東スポWeb 2012年7月18日 12時00分
  33. 妙義龍と豪風がトークバトルで筋力自慢!? nikkansports.com 2014年9月3日22時9分
  34. 妙義の筋肉食に豪風がダメ出し nikkansports.com 2014年9月4日8時59分 紙面から
  35. 『大相撲ジャーナル』2017年7月号 p85
  36. 妙義龍「ありがたい」激励会に同級生など100人 日刊スポーツ 2017年4月29日22時41分
  37. 地元力士・妙義龍に大声援 9年ぶり神戸で巡業 デイリースポーツ 2016.10.22
  38. 昭和時代も含めると栃錦の5場所連続、千代の富士の4場所連続に続いて3位タイ。因みに後者は技能賞該当者なしの場所を挟んだ形を含めた場合5場所連続となる。
  39. 途中休場
  40. 左膝半月板損傷で14日目から休場
  41. 妙義龍が初CM 大関への足掛かりへ発奮材料 - 大相撲 日刊スポーツ

関連項目

外部リンク

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