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(日本の皇族の身位)
 
(内容を「 '''女王'''(じょおう、ラテン語:regina、フランス語:reine、英語:queen、ドイツ語:Königin) 1 女性の王。 2 王の后(...」で置換)
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{{複数の問題
 
| 出典の明記 = 2013年11月20日 (水) 01:32 (UTC)
 
| 独自研究 = 2017年1月
 
}}
 
'''女王'''(じょおう、[[ラテン語]]:regina、[[フランス語]]:reine、[[英語]]:queen、[[ドイツ語]]:Königin)は、一般に「[[王]]」のうち女性であるもの、または男性の「王」に相当する女性の地位。
 
  
「王」は、君主の一般的な称号として用いられるほか皇族や諸侯の称号として、あるいは転じて第一人者の意味で用いられるが、これは「女王」についても同様である。ここでは、君主としての女王の意味のほか、その派生的用法について記述する。
+
'''女王'''(じょおう、[[ラテン語]]:regina、[[フランス語]]:reine、[[英語]]:queen、[[ドイツ語]]:Königin)
  
== 概要 ==
+
1 女性の王。
:''以下、ヨーロッパ諸言語の一般例として[[英語]]を用いる。''
 
[[file:Queen Elizabeth the Queen Mother portrait.jpg|thumb|right|150px|エリザベス・ボーズ・ライアンは「クイーン・エリザベス・クイーンマザー」と呼ばれたが、ここでの2つの「クイーン」は「ジョージ6世'''王妃'''(クイーン)及び'''女王'''(クイーン)エリザベス2世の生母のエリザベス」と意味で異なる。]]
 
[[日本語]]においては、君主として自ら王位を有する女王(queen regnant)は、男王の[[配偶者]]である[[王妃]](queen consort)とは言葉の上で完全に区別される。また、王位ではなく帝位を有する[[女帝]](empress regnant:これも[[皇后]](empress consort)とは区別される)とも区別される。ただし、原語で女王と王妃を区別せず、単に[[クイーン]](queen)とされている場合に、本来は「王妃」であっても「女王」と訳されることもある。
 
  
女王の配偶者は[[王配]](prince consort, king consort)と呼ばれることがある。
+
2 王の后(きさき)。
  
== 女王が即位できる王国 ==
+
3 内親王の宣下のない皇族の女性。
*{{Flagicon|イギリス}}[[イギリスの君主|イギリス]]
 
*{{Flagicon|スペイン}}[[スペイン君主一覧|スペイン]]
 
*{{Flagicon|デンマーク}}[[デンマーク君主一覧|デンマーク]]
 
*{{Flagicon|トンガ}} [[トンガの国王|トンガ]]
 
*{{Flagicon|ブータン}}[[ブータンの国王一覧|ブータン]]
 
  
=== 男女で区別して王位継承順位を変えない国 ===
+
4 皇族で、3世以下の嫡男系嫡出の女性。旧皇室典範では5世以下の皇族の女性。
*{{Flagicon|オランダ}} [[オランダ君主一覧|オランダ]]
 
*{{Flagicon|スウェーデン}}[[スウェーデン君主一覧|スウェーデン]]
 
*{{Flagicon|ノルウェー}}[[ノルウェー君主一覧|ノルウェー]]
 
*{{Flagicon|ベルギー}}[[ベルギー国王の一覧|ベルギー]]
 
*{{Flagicon|タイ}} [[タイ君主一覧|タイ]]
 
  
== 「女王」の読み ==
+
5 その分野で最も実力または人気のある女性。
{{出典の明記|date=2017年1月|section=1}}
 
{{観点|date=2017年1月|section=1}}
 
「女王」は「じょ'''う'''おう」と読まれる例が多くみられるが、NHK等の放送では「じょおう」が用いられている。これは、同じく漢字にはない長音を付加する例として「夫婦」(ふ'''う'''ふ)、「詩歌」(し'''い'''か)といった読み方が江戸時代以前からなされてきたことに対し、「女王」を「じょうおう」と読む例は比較的最近に発生したと思われるため伝統的な読み方である「じょおう」を採用している、とNHK放送文化研究所は主張している<ref>[http://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/term/067.html NHK放送文化研究所・最近気になる放送用語「女王」の読み]</ref>。
 
  
=== 現在在位する女王  ===
 
{{現在の女王}}
 
  
== 女性王族で君主の継嗣、またはそれに次ぐ人物 ==
+
{{テンプレート:20180815sk}}
以下の人物は、各国における君主位の継承権第1位から第2位の地位にある女性王族である。
 
* [[法定推定相続人]]とは将来にわたり当人より上位の継承権を持つ人物が生まれる可能性がない継承権第1位の人物
 
* [[推定相続人]]とは上位の継承権を持つ人物が生まれて順位が変わる可能性がある継承権第1位の人物。
 
{| class="wikitable"
 
!名
 
!生年
 
!年齢
 
!国
 
!
 
!配偶者
 
|-
 
|[[ヴィクトリア (スウェーデン王太子)|ヴィクトリア]]
 
|1977年7月14日
 
|{{年数|1977|7|14}}歳
 
|{{Flagicon|SWE}}[[スウェーデン君主一覧|スウェーデン]]
 
|法定推定相続人
 
|[[ダニエル (ヴェステルイェートランド公)|ダニエル]]
 
|-
 
|[[エリザベート・ド・ベルジック|エリザベート]]
 
|2001年10月25日
 
|{{年数|2001|10|25}}歳
 
|{{Flagicon|BEL}}[[ベルギー国王の一覧|ベルギー]]
 
|法定推定相続人
 
| -
 
|-
 
|[[カタリナ=アマリア・ファン・オラニエ=ナッサウ|カタリナ=アマリア]]
 
|2003年12月7日
 
|{{年数|2003|12|7}}歳
 
|{{Flagicon|NED}}[[オランダ君主一覧|オランダ]]
 
|法定推定相続人
 
| -
 
|-
 
|[[レオノール・デ・ボルボン|レオノール]]
 
|2005年10月31日
 
|{{年数|2005|10|31}}歳
 
|{{Flagicon|SPA}}[[スペイン君主一覧|スペイン]]
 
|推定相続人
 
| -
 
|-
 
|[[イングリッド・アレクサンドラ|イングリッド]]
 
| 2004年1月21日
 
|{{年数|2004|1|21}}歳
 
|{{Flagicon|NOR}}[[ノルウェー君主一覧|ノルウェー]]
 
|継承権2位(確定)
 
| -
 
|-
 
|[[エステル (エステルイェートランド公)|エステル]]
 
| 2012年2月23日
 
|{{年数|2012|2|23}}歳
 
|{{SWE}}
 
|継承権2位(確定)
 
| -
 
|}
 
 
 
== 歴史 ==
 
{| style="float:right"
 
|-
 
|-
 
|[[ファイル:Elizabeth II greets NASA GSFC employees, May 8, 2007 edit.jpg|サムネイル|150px|2014年現在、2人いる女性君主の一人、[[エリザベス2世]](在位1952年 - )。[[イギリス]]を含む16カ国の[[国家元首]]であり、在位期間は2012年で60年を迎えた。]]
 
|style="vertical-align:top"|[[ファイル:Drottning Margrethe av Danmark.jpg|150px|サムネイル|2014年現在、2人いる女性君主の一人、[[デンマーク]]の[[マルグレーテ2世]](在位1972年 - )。デンマークの歴史上2人目の女王である。]]
 
|}
 
 
 
以下では女王だけでなく、女性君主全般についても言及する。
 
 
 
近代以前には男性を中心とし、かつ君主に実質的な統治権力が与えられる社会が多く見られたが、こういった社会においてはその帰結として女性が君主となることは少なかった。
 
 
 
伝えられる中で最も古い女王としては、[[旧約聖書]]に出てくる[[シバの女王]]がいるが、[[伝説]]の域を出ていない。
 
 
 
古代の[[プトレマイオス朝]]エジプトでは、男王との共同統治という形で[[クレオパトラ7世|クレオパトラ]]などの女王が現れた。古代エジプトでは[[王位継承権]]を、王室の[[王女]]が持つことが多く([[王子]]が持つこともあった)、この王女と結婚した王室の男性が[[ファラオ]](王)になるという慣習があった。この慣習の後、プトレマイオス朝では、代々男王と女王の共同統治が続くことになった。一方、力を持ち単独で支配した女性の[[ファラオ]]は[[第18王朝]]の[[ハトシェプスト]]がいるのみである。他には[[セベクネフェル]]などの単独の女王もいた。
 
 
 
古代の[[日本]]においては、[[邪馬台国]]の女王として[[卑弥呼]]が知られるが、実権は弟が握っていたとも見られ、実態は明らかでない。[[飛鳥時代]]から[[奈良時代]]、また[[江戸時代]]には[[女性天皇]]が存在したが、これについては当該項目を参照。
 
 
 
[[新羅]]では7世紀に[[善徳女王]]など3人の女王が即位した。中国では女性君主も[[女系継承]]という考え方もなく、母后として実権を振るった女性は多いが、女帝として即位したのは[[武則天]]が唯一であった。
 
 
 
[[東ローマ帝国]](ビザンツ帝国)では8世紀に[[エイレーネー (東ローマ女帝)|エイレーネー]]が女帝となったが、西ヨーロッパはこれに反発し、[[カール大帝]]を西ローマ皇帝とした。東ローマ帝国では以後も[[テオドラ (東ローマ女帝)|テオドラ]]、[[ゾエ]]、[[エウドキア・マクレンボリティサ]]など女帝が誕生する。
 
[[ファイル:Dronning victoria.jpg|サムネイル|150px|left|[[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア女王]]は19世紀にイギリスの王位を継承した。在位63年。一方、女子相続を認めない[[サリカ法]]によって、[[ジョージ1世 (イギリス王)|ジョージ1世]]以来[[同君連合]]を組んできたドイツの[[ハノーファー王国]]の王位を継承することはできなかった。]]
 
一方、西ヨーロッパにおいては、ゲルマン法系の[[サリカ法典]]が女性による土地の相続を禁止しており、これが女性の王位継承を禁じていると解釈されたため、その影響下にある地域([[フランス王国|フランス]]、[[ドイツ]]諸邦など)においては女王は原則として存在しなかった。しかし、他の地域では女性君主が存在することがあった。
 
 
 
[[12世紀]]の[[エルサレム王国]]では、国王[[ボードゥアン2世 (エルサレム王)|ボードゥアン2世]]の娘メリザンドがアンジュー伯[[フルク5世]]を婿に迎え、共同国王とした。
 
 
 
12世紀の[[イングランド王国|イングランド]]では、[[ヘンリー1世 (イングランド王)|ヘンリー1世]]の死後、唯一の嫡子である娘[[マティルダ (神聖ローマ皇后)|マティルダ]]が王位を主張した。上述のメリザンドは既に即位しており、その夫フルクはモードの夫アンジュー伯[[ジョフロワ4世]]の父に当たるため、イングランドでも同様の即位は可能と考えたと思われる。しかし、一時期「イングランド人の女主人」を称し事実上の女王となったが、正式の即位は果たせず、息子[[ヘンリー2世 (イングランド王)|ヘンリー2世]]が王位を継ぐことになる。
 
 
 
[[13世紀]]の[[スコットランド王国|スコットランド]]では、3歳の幼君[[マーガレット (スコットランド女王)|マーガレット]]が女王となるが、父である[[ノルウェー]]王[[エイリーク2世 (ノルウェー王)|エイリーク2世]]の下で養育される、完全に名目だけの君主だった。しかも7歳の時、スコットランドへ渡り着くやいなや死去している。
 
 
 
[[14世紀]]の終わりに、[[デンマーク]]王女[[マルグレーテ1世|マルグレーテ]]が同国の事実上の君主として辣腕を振るい、[[デンマーク]]、[[ノルウェー]]、[[スウェーデン]]の北欧三国を支配した([[カルマル同盟]])が、正式な女王の位にはついていない。しかし君主並みの権力を擁していたため、後年女王として遇され、[[20世紀]]に即位したデンマーク女王は[[マルグレーテ2世 (デンマーク女王)|マルグレーテ2世]]と称している。
 
 
 
[[15世紀]]に[[イサベル1世 (カスティーリャ女王)|イサベル1世]]が[[カスティーリャ王国|カスティーリャ]]女王となったが、イサベルはカスティーリャにおいては夫の[[アラゴン王国|アラゴン]]王[[フェルナンド2世 (アラゴン王)|フェルナンド2世]]との共同統治、アラゴンにおいてはフェルナンドの王妃であった。イサベル1世の死にともないフェルナンドもカスティーリャ王位を失い、カスティーリャ王位は2人の娘の[[フアナ]]女王が継承したもののその数年後に健康を害した。アラゴンの王位はフェルナンド2世の死後にフアナの長男[[カール5世 (神聖ローマ皇帝)|カルロス1世]]が継承した。両王位が形式上も1人の君主のものとして統合されるのは、フアナの死後のことである。
 
 
 
16世紀にスコットランドでは、[[メアリー (スコットランド女王)|メアリー]]女王が生後わずか数日で即位するが、5歳で[[フランス王国|フランス]]に渡り、その後[[フランソワ2世 (フランス王)|フランソワ2世]]の王妃となった。フランソワ2世が早世したため18歳でスコットランドに帰国するが、24歳で退位している。その間、スコットランド国内は貴族が支配し、メアリーに君主としての実権はほとんどなかった。
 
 
 
16世紀のイングランドでは[[エドワード6世 (イングランド王)|エドワード6世]]の死で[[テューダー朝|テューダー家]]の男子が絶え、[[ジェーン・グレイ]]、[[メアリー1世 (イングランド女王)|メアリー1世]]、[[エリザベス1世]]と女王が続いた。ジェーンは完全な傀儡であり、しかも即位自体を認めない場合もある。メアリーも夫のスペイン王[[フェリペ2世 (スペイン王)|フェリペ2世]]に政治的干渉を受けていたため、実権を持つ単独の女王はエリザベスが初めてであるという見方もある。エリザベス1世は25歳で即位、45年在位してイギリス海洋帝国の基礎を築いた。
 
 
 
[[17世紀]]の[[スウェーデン]]では、[[グスタフ2世アドルフ (スウェーデン王)|グスタフ2世アドルフ]]の戦死後、6歳の娘[[クリスティーナ (スウェーデン女王)|クリスティーナ]]が女王になった。従兄の[[カール10世 (スウェーデン王)|カール10世]]と継承争いが起こってもおかしくない状況であったが、クリスティーナがカールと婚約することですんなりと決まった。しかし、クリスティーナは決められた結婚と不自由な女王の座を嫌い、28歳で王位をカール10世に譲り、[[ローマ]]に移住して気ままな人生を送った。スウェーデンではまた、18世紀初頭に[[カール12世 (スウェーデン王)|カール12世]]の後を襲い、[[ウルリカ・エレオノーラ (スウェーデン女王)|ウルリカ・エレオノーラ]]が女王に戴冠している。しかし王権が著しく制限されたことへの不満から、わずか2年で夫[[フレドリク1世 (スウェーデン王)|フレドリク1世]]に譲位した。
 
[[ファイル:Kronprinsessan Victoria, prinsessan Estelle och Prins Daniel-4.jpg|150px|サムネイル|[[ヴィクトリア (スウェーデン皇太子)|スウェーデン王女ヴィクトリア]](左)と第一子エステル王女(中央)と王配ダニエル王子(右)。ヴィクトリアは、同国国王[[カール16世グスタフ (スウェーデン王)|カール16世グスタフ]]の第一子であるが、1980年の王位継承法改正によって弟[[カール・フィリップ (ヴェルムランド公)|カール・フィリップ]]に代わり王位継承者となった。即位すればスウェーデン史上3人目の女王になる。またエステル王女は出生時から推定相続人であり、スウェーデンは女王が2代続くことになる。]]
 
 
 
[[18世紀]]には、女性による継承が禁じられていた[[ハプスブルク家]]において相続問題が生じたものの、[[プラグマティッシェ・ザンクツィオン]]([[国事勅書]])により[[マリア・テレジア]]が家督を相続した。これを巡って[[オーストリア継承戦争]]が勃発する。ハプスブルク家が事実上世襲化していた[[神聖ローマ皇帝]]位は、一時[[バイエルン選帝侯領|バイエルン]]の[[ヴィッテルスバッハ家]]に奪われた後、マリア・テレジアの夫[[フランツ1世 (神聖ローマ皇帝)|フランツ1世]]が継承した。マリア・テレジア自身は神聖ローマ帝国においてはフランツ1世の皇后という立場だったが、ハプスブルク家領([[ハプスブルク君主国]])においては[[オーストリア大公]]、[[ハンガリー王国|ハンガリー]]女王、[[ボヘミア王国|ボヘミア]]女王などの君主位に就いており、自らが君主として君臨した。
 
 
 
18世紀の[[ロシア帝国]]では、[[エカチェリーナ1世]]が[[女帝]]となって以降、4人の女帝が現れた。重臣たちの傀儡が多かったが、[[エカチェリーナ2世]]は実権を振るい、ロシアの黄金期を造りあげた。
 
 
 
[[スペイン・ブルボン朝]]は創始時にはサリカ法を導入していたが、[[19世紀]]に[[フェルナンド7世 (スペイン王)|フェルナンド7世]]がこれを廃し、娘の[[イサベル2世 (スペイン女王)|イサベル2世]]が即位している。
 
 
 
現代のヨーロッパの王室では、スウェーデンやイギリス、オランダ、ベルギーのように後継者問題や女性の地位向上などに伴い、「男子優先主義」を廃して性別を問わず第一子を後継者とする「第一子主義」への転換を行った国が多く現れている。
 
 
 
== 主な女王 ==
 
{{main|女性君主の一覧}}
 
* [[古代エジプト]]
 
** [[ハトシェプスト]]([[エジプト第18王朝|第18王朝]]、在位:紀元前1473年頃 - 紀元前1458年頃)
 
** [[クレオパトラ7世]]([[プトレマイオス朝]]、在位:紀元前51年 - 紀元前30年)
 
* [[新羅]]
 
** [[善徳女王]](在位:632年 - 647年)
 
** [[真徳女王]](在位:647年 - 654年)
 
** [[真聖女王]](在位:887年 - 897年)
 
* [[イギリス]]
 
** [[メアリー (スコットランド女王)|メアリー1世]]([[スコットランド王国|スコットランド]]、在位:1542年 - 1567年)
 
** [[メアリー1世 (イングランド女王)|メアリー1世]]([[イングランド王国|イングランド]]、在位:1553年 - 1558年)
 
** [[エリザベス1世]](イングランド、在位:1558年 - 1603年)
 
** [[メアリー2世 (イングランド女王)|メアリー2世]](イングランドおよびスコットランド、在位:1689年 - 1694年)
 
** [[アン (イギリス女王)|アン]](イングランドおよびスコットランド、のち[[グレートブリテン王国|グレートブリテン]]、在位:1702年 - 1714年)
 
** [[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア]]([[グレートブリテン及びアイルランド連合王国|連合王国]]、在位:1837年 - 1901年)
 
* [[オランダ]]
 
** [[ウィルヘルミナ (オランダ女王)|ウィルヘルミナ]](在位:1890年 - 1948年)
 
** [[ユリアナ (オランダ女王)|ユリアナ]](在位:1948年 - 1980年)
 
** [[ベアトリクス (オランダ女王)|ベアトリクス]](在位:1980年 - 2013年)
 
* [[スペイン]]
 
** [[ウラカ (カスティーリャ女王)|ウラカ]]([[カスティーリャ王国|カスティーリャ]]、在位:1109年 - 1126年)
 
** [[ペトロニラ (アラゴン女王)|ペトロニラ]]([[アラゴン王国|アラゴン]]、在位:1137年 - 1162年)
 
** [[イサベル1世 (カスティーリャ女王)|イサベル1世]](カスティーリャ、在位:1474年 - 1504年)
 
** [[フアナ (カスティーリャ女王)|フアナ]](カスティーリャ、在位:1504年 - 1555年)
 
** [[イサベル2世 (スペイン女王)|イサベル2世]]〈在位:1833年 - 1868年)
 
* [[ポルトガル王国|ポルトガル]]
 
** [[マリア1世 (ポルトガル女王)|マリア1世]](在位:1777年 - 1816年)
 
** [[マリア2世 (ポルトガル女王)|マリア2世]](在位:1826年 - 1828年、1834年 - 1853年)
 
* [[スウェーデン]]
 
** [[クリスティーナ (スウェーデン女王)|クリスティーナ]](1632年 - 1654年)
 
** [[ウルリカ・エレオノーラ (スウェーデン女王)|ウルリカ・エレオノーラ]](在位:1718年 - 1720年)
 
* [[ポーランド王国|ポーランド]]
 
** [[ヤドヴィガ (ポーランド女王)|ヤドヴィガ]](在位:1384年 - 1399年)
 
** [[アンナ (ポーランド女王)|アンナ]](在位:1575年 - 1586年)
 
**:この2人はいずれも男王と同じ(「王妃」とは完全に区別される)称号を用いている。
 
* [[シチリア王国|シチリア]]・[[ナポリ王国|ナポリ]]
 
** [[コスタンツァ (シチリア女王)|コスタンツァ]](在位:1194年 - 1198年)
 
** [[ジョヴァンナ1世 (ナポリ女王)|ジョヴァンナ1世]](在位:1343年 - 1382年)
 
** [[ジョヴァンナ2世 (ナポリ女王)|ジョヴァンナ2世]](在位:1414年 - 1435年)
 
* [[ハンガリー王国|ハンガリー]]
 
** [[マーリア (ハンガリー女王)|マーリア]](在位:1382年 - 1385年、1386年 - 1395年)
 
** [[マリア・テレジア]](在位:1740年 - 1780年、[[ボヘミア王国|ボヘミア女王]]としては在位:1743年 - 1780年) ※女帝と称されるが、正式には皇后および女王である。
 
* [[グルジア王国|グルジア]]
 
** [[タマル (グルジア女王)|タマル]](在位:1184年 - 1213年)
 
* その他
 
** [[卑弥呼]]([[邪馬台国]]、在位:175年頃? - 248年頃)
 
** [[台与]](邪馬台国、在位:235年頃? - ?)
 
** [[ゼノビア]]([[パルミラ王国|パルミラ]]、在位:267年? - 272年)
 
** [[アマラスンタ]]([[東ゴート王国]]、在位:534年)
 
** [[リリウオカラニ]]([[ハワイ王国|ハワイ]]、在位:1891年 - 1895年)
 
 
 
== 日本の皇族の身位 ==
 
{{main|女王 (皇族)}}
 
女王の称号は、日本の[[皇族]]の[[身位]]にも用いられる。この場合の[[女王 (皇族)|女王]]は、現代では[[皇室典範]]で定める、[[天皇]]からみて[[嫡男]]系嫡出で3[[親等]]以遠の皇族女子である。
 
 
 
日本の歴史における女王君主については、'''[[女性天皇]]'''を参照。
 
 
 
== 派生的用法 ==
 
* ある分野で最も実力・人気がある女性、あるいは優れたもの。ある言葉につけて「〜の女王」と呼ばれる。
 
** [[ブログ]]の女王:[[眞鍋かをり]]、[[中川翔子]]
 
** [[択一クイズ|三択]]の女王:[[竹下景子]]
 
** [[ディスコ]]の女王:[[ドナ・サマー]]
 
** [[ご当地ソング]]の女王:[[水森かおり]]
 
** [[果物]]の女王:[[マンゴスチン]]
 
** [[洋ラン]]の女王:[[カトレヤ]]
 
** [[スパイス]]の女王:[[カルダモン]]
 
** [[証拠]]の女王:[[自白]]
 
** [[アドリア海]]の女王:[[ヴェネツィア]]
 
** [[瀬戸内海]]の女王:[[ロイヤルウイング|くれない丸]]
 
** [[アナタハンの女王事件|アナタハンの女王]]:比嘉和子
 
** [[SMの女王]]:[[日活ロマンポルノ]]でSMもので売り出された女優
 
** 島の女王:[[ドラゴンメイド]]
 
* [[社会性昆虫]]で[[繁殖]]を行なう[[雌]]を指す([[女王蜂]]、女王蟻)。
 
* 将棋の女流タイトル戦[[マイナビ女子オープン]]のタイトル称号『女王』。
 
* 競技における女性優勝者を指す俗称。[[クイーン]]。
 
** 樫の女王:[[優駿牝馬]]の優勝馬。
 
 
 
=== 女王様 ===
 
* [[SM (性風俗)|SM]]の女王様については[[SM嬢]]、もしくは[[ミストレス]]を参照。
 
* [[高飛車]]な性格の女性を指すこともある。
 
* [[渋谷]]などで見かける「[[ギャル]]」の小グループの中のリーダーのことをまれに言う。クイーンとも。
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
 
 
== 関連項目 ==
 
*[[女性君主の一覧]]
 
*[[女帝]]
 
*[[女系]]
 
*[[王]]
 
*[[王妃]]
 
*[[王子]]
 
*[[王女]]
 
*[[クイーン]]
 
*[[王位継承]]
 
*[[天の女王]]
 
  
 
{{DEFAULTSORT:しよおう}}
 
{{DEFAULTSORT:しよおう}}
246行目: 19行目:
 
[[Category:女性君主|*しよおう]]
 
[[Category:女性君主|*しよおう]]
 
[[Category:女性の称号]]
 
[[Category:女性の称号]]
[[fa:شهبانو]]
 

2018/10/28/ (日) 20:29時点における最新版

女王(じょおう、ラテン語:regina、フランス語:reine、英語:queen、ドイツ語:Königin)

1 女性の王。

2 王の后(きさき)。

3 内親王の宣下のない皇族の女性。

4 皇族で、3世以下の嫡男系嫡出の女性。旧皇室典範では5世以下の皇族の女性。

5 その分野で最も実力または人気のある女性。




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