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[[File:大島節歌詞集.jpg|thumb|坂上豊吉編集 大島節歌詞集 表紙]]
 
[[File:大島節歌詞集②.jpg|thumb|坂上豊吉編集 大島節歌詞集 本文]]
 
'''大島節'''(おおしまぶし)は、[[東京都]]・[[伊豆大島]]・[[大島町]]の[[民謡]]。
 
  
== 来歴 ==
+
'''大島節'''(おおしまぶし)
  
大島節は、[[明治]]初期、[[伊豆大島]]の野増(のまし)村(現[[大島町]])で、人々が茶もみの労作唄(うた)として歌い出した『野増節』が原型といわれる。この『野増節』に、[[横浜市]]あたりで歌われていた、お茶の火入れ再製作業の労作唄『お茶場節』が取り入れられ、現在の大島節のメロディの基となったといわれる。
+
東京都伊豆大島の民謡。明治初期、大島野増(のまし)村(現大島町)の人々が茶もみの労作唄(うた)として歌い出したものだといわれ、『野増節』ともよばれていた。この『野増節』に、横浜市あたりで歌われていた茶の火入れ再製作業の労作唄『お茶場節』が取り入れられ、現在のメロディとなった。1930、31年(昭和5、6)までは大島では手拍子だけで歌う「島ぶし」であったが、いつか三味線の手が入るお座敷唄になった。伊豆大島にはこの唄のほかに『あんこ節』などもあり、観光客にもこれらの唄を聞かせている。
 
 
[[1930年]]([[昭和]]5年)~[[1931年]](昭和6年)頃まで、大島節は手拍子だけで歌う形であった。経年を経て、観光客向けや料亭座敷向けに[[三味線]]の手や、あんこ娘の踊りが入るお座敷唄バージョンも完成されたが、大島地元の人達は、常に手拍子だけで歌っている。
 
 
 
大島節は、本来[[冠婚葬祭]]の席で、島人達が車[[座]]になり、その催事に適した即興詩を詠い回してゆく[[伝承]]民謡である。従い[[歌詞]]は不定形で無限。後出の[[大島町]]岡田在住、[[坂上豊吉]]([[理髪店]][[経営者]]で[[伊豆大島]]の[[伝承]][[芸能]]・文化保存者)による地元古老への聞き書き「大島節歌詞集」を始め、記録され定形詞となってきた歌詞だけで100以上あるとされる<ref name="oosimabusi">[http://www.nichimin.or.jp/culture/culture-map_kanto.html 全国民謡マップ 東京都の民謡] - 日本民謡協会公式サイト 2012年05月03日閲覧</ref><ref>[http://100.yahoo.co.jp/detail/%E5%A4%A7%E5%B3%B6%E7%AF%80/ 大島節] - 百科事典公式サイト 2012年05月03日閲覧</ref><ref>[http://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E5%B3%B6%E7%AF%80 大島節] - コトバンク公式サイト 2012年05月03日閲覧</ref>。
 
 
 
== 来歴補足と近年の衰退 ==
 
 
 
*その昔、[[伊豆大島]]の暮らしは、[[活火山]]である[[三原山]]の[[噴火]]や大型[[台風]]、強い西風他厳しい自然環境に加え、[[火山灰]]地ゆえの食料難や水[[飢饉]]等が重なり生命の危険にさらされること数多、漁農労働の労苦とも相まって決して楽ではなかった。しかしながら、島人の営みがあれば、[[大漁]]や[[豊作]]や[[婚礼]]等、四季折々に楽しい催事や祝いごとも少なからずあった。祝い事の席となれば、[[儀式]]終了後の宴席で「大島節」が歌われた。人々は参集し、車座になり、次から次へと、昔からある[[歌詞]]や、その日の儀式に応じて[[即興]]で[[作詞]]して(婚礼であれば両家や、新郎新婦の名前を入れて)歌うのが常だった。「大島節」は、火の島に暮らす運命共同体・生活共同体の酒盛り唄であり[[民謡]]・[[郷土芸能]]であり心の[[潤滑油]]であった。
 
 
 
*大島節の[[歌詞]]は、[[冠婚葬祭]]に合わせた即興の歌詞の他、定番として、[[郷土]]・自然・生活・[[気質]]・旅・[[恋]]・別れ等の歌詞が多く存在し、島の人々は、生活の発露として、意気地と愛着をもって大島節を歌い継いできた。中でも特に「恋の唄」と「別れの唄」が多いのは、[[南洋]]大島の大らかさと、情けの深さを[[象徴]]する[[特徴]]であろう。若い衆にとっては、「大島節」を歌うことが大人衆への仲間入り(酒席参加)とも言われ、背伸びしつつ好んで大島節を練習したという。
 
 
 
*最近の大島人の生活は、[[冠婚葬祭]]・宴席での車座や、大島節や、手拍子や相の手の掛け合いが少なくなってしまった。海の上([[漁業]])や畑の中([[農業]])で共に生きてきた島人達であるが、時代とともに職業分布と生活様式が近代化し、[[運命]][[共同体]]・生活共同体の連帯意識が希薄になった。島の男たちの、ごつい手の平による手拍子の響きも、手拍子を打つ時の一種独特の手の平のひねりも、昨今、見聞きされることは稀になった。ほとんどの家庭に[[カラオケ]]がある為、祝の席でも、勢いカラオケ大会となるケースが多く、大島節で盛り上がることが少なくなった。大島のあらゆる宴席で、連綿と歌い継がれてきた「大島節」であるが、現在は、島人の生活の場から急速に失われつつある。
 
 
 
== 歌い出し ==
 
 
 
大島節に限らず、大島の[[民謡]]の歌い出しは、「あのこ(娘)が出したら、みな(皆)つけろ」と、歌い出すのが[[定番]]である。「あのこ(娘)」が「あんこ(娘)」の場合もある。
 
 
 
== 歌い回し 相の手 ==
 
 
 
ア ハーイハイトー アアーア アーアア アア 私しゃ大島ァ 御神火(ごじんか)育ちヨ(ナ) ア ハーイハイトー
 
胸に煙はナ(ヨ) 絶えやせぬヨ(ナ) ア ハーイハイトー<ref>[http://musiquejaponaise.free.fr/oshimabushi.html 大島節] - Bienvenue sur Musique japonaise公式サイト 2012年05月03日閲覧</ref>
 
 
 
*「ア ハーイハイトー」と、歌うことを促す「手拍子とはやし」があって、手拍子に合わせて大島節は歌われる。手拍子は小節の1拍目に必ずはいる。「ア ハーイハイトー」の「はやし」は、中間部においても入る。又、1番から2番に移る時、2番から3番に移る時も必ず入る。手拍子を打つと、次の手拍子までの間は両手を2~3回程こすり、もみ手のようにして「間」をとる。この「もみ手」の動作が、「茶もみ唄の名残り」の動作と定義する説があるが、充分な検証はされていない。歌詞の2節・3節・4節の尻に「ヨ」または「ナ」を接続し、語間を引き伸ばしつ唄うのが、大島節の標準的歌唱法である。「ヨ」と「ナ」の挿入が唄い手により全く逆のケースがあるが、どちらが正式ということはないようである<ref name="youtube">[http://www.youtube.com/watch?v=7jtJqfETKVY 大島節 大島民族芸能祭vol.2] - Voneten-TV動画サイト 2012年06月08日閲覧</ref>。
 
 
 
== 伝承歌詞 ==
 
 
 
出典 「大島節歌詞集」昭和59年4月改訂版 大島町岡田 [[坂上豊吉]]による地元古老聞き書き書より121詞を抜粋。(上述写真参照。坂上豊吉は、伊豆大島の[[伝承]][[芸能]][[文化]]保存者)
 
 
 
※歌詞中の「御神火(ごじんか)」は畏敬を込めた[[三原山]][[噴火]]口の呼び名、また、「主」は「ぬし」または「にし」と発音し、伊豆大島の[[方言]]で「あなた」の意(岡田地区では「我」「われ」と言う)。
 
 
 
*001 私しゃ大島 御神火育ち(ヨ) 胸に煙は(ナ) 絶えやせぬ(ヨ)<ref name="youtube" />
 
 
 
*002 つつじ椿は 御山(みやま)を照らす 殿の御船(みふね)は 灘照らす<ref name="youtube" />
 
 
 
*003 男伊達なら 茅ヶ崎沖の 潮の早いを 止めてみろ
 
 
 
*004 潮の早いは 止めよで止まる 止めて止まらぬ 色の道
 
 
 
*005 乳ヶ崎沖まじゃ 見送りましょが それから先は 神だのみ
 
 
 
*006 私しゃ大島 荒浜育ち 色の黒いは 親譲り
 
 
 
*007 私しゃ大島 荒浜育ち 浪も荒いが 気も荒い
 
 
 
*008 うつつ心で 柱にもたれて 起きていながら 主(ぬし)の夢<ref name="youtube" />
 
 
 
*009 夢はよいもの 逢わせてくれる 夢でなければ 逢えやせぬ
 
 
 
*010 胸に千把(せんば)の 茅(かや)焚くとても 煙出さなきゃ 主ゃ知らぬ
 
 
 
*011 私しゃ大島 一重の桜 八重に咲く気は さらにない
 
 
 
*012 今日のうれしさ 障子に書いて 開け閉(た)てするたび 思い出す
 
 
 
*013 相模灘をば 両手で拝む 可愛い旦那ツ子の 乗るうちは
 
 
 
*014 杉の若萌 みたよな殿御 人にとられて なるものか
 
 
 
*015 私の人(男)でも ないのだけれど 誰かの人(男)にも したくない
 
 
 
*016 強い お強い 為朝様も 島のあん娘(こ)にゃ 負けたもの
 
 
 
*017 別れつらくも 帆を巻く朝は 涙流すな 波が立つ
 
 
 
*018 いやなお方の 親切よりも 好いたお方の 無理がよい
 
 
 
*019 客は千来る 万来る中で 私の待つ人 ただひとり
 
 
 
*020 名こそ差さねど あの町にひとり 命かけたい 主(にし)がいる
 
 
 
*021 沖を通るは ありゃどれ丸だ 外じゃあるまい 主(ぬし)の船
 
 
 
*022 さくら丸には 用事はないが 乗ってる旦那っ子に 用がある
 
 
 
*023 千両箱をば 山に積んでも いやなお方は 私しゃいやだ はだかはだしで一文無しでも 主(ぬし)が良い
 
 
 
*024 竹の一本橋ゃ 細くて長くて しなしな しのうて(しなって)危ないけど 私とあなたと二人で渡るにゃ 怖かない<ref name="youtube" />
 
 
 
*025 お江戸離れて 南え三十六里(みそろくり) 潮の花散る 椿島
 
 
 
*026 お江戸恋しや 島なつかしや 橋をかけても 渡りたい
 
 
 
*027 来てはとんとん 雨戸をたたく 心迷わす 西の風
 
 
 
*028 九尺二間の 雨戸一枚と 私の心 あちら閉(た)てれば こちらが立たない こちら閉てれば あちらが立たない 両方閉てれば 身が立たぬ
 
 
 
*029 男心と 茶釜の水は 沸くも早いが 冷めやすい
 
 
 
*030 お月さま たったひと言教えておくれ 主(ぬし)の夕べの 居どころを
 
 
 
*031 野増村から 来い(恋)との手紙 行かじゃなるまい ひと先ずは
 
 
 
*032 岡田みなとで ドンと打つ浪は 可愛い旦那ッ子の 度胸だめし
 
 
 
*033 西も東も 南もいらぬ わたしゃあなたの 北(来た)がよい
 
 
 
*034 「北も南も 東もいらぬ わたしゃやっぱり 西(主=にし)がよい」
 
 
 
*035 なくて七癖 わたしのクセは 逢えば帰すが イヤなクセ
 
 
 
*036 好きで通えば 千里も一里 いやで通えば 一里も千里
 
 
 
*037 アワイ大浜 登りがなけりゃ 野増通いも 苦にゃならぬ
 
 
 
*038 アンコ出て見ろ 三原の煙り いやなお方にゃ なびきゃせぬ
 
 
 
*039 波浮と差木地じゃ 一里のちがい 主(ぬし)と私は 三つ違い
 
 
 
*040 ほれた「ほ」の字は どう書きなさる まよった「ま」の字に ヘン(偏)がつく
 
 
 
*041 逢えばさほどの 話しはないが 逢わなきゃ話しは 富士の山
 
 
 
*042 逢った嬉しさ 別れのつらさ 逢って別れが なけりゃあよい
 
 
 
*043 ガタガタ落としの つるべでさえも 水に合わなきゃ 返りゃせぬ
 
 
 
*044 恋のつるべが 返らぬゆえに あなたの心が 汲みにくい
 
 
 
*045 私の心が 竹なら木なら 割って見せたい 四つ割りに
 
 
 
*046 小石(恋し)九つ 重石(想いし)一つ ままにならぬは 主(ぬし)ひとり
 
 
 
*047 遠く離れて 逢いたい時は 月が鏡に なればよい
 
 
 
*048 来てはくれるな ない名が立つに 来なきゃある名も 立ちゃせぬ
 
 
 
*049 末の取り膳 たのしむよりも 当座抱き寝が してみたい
 
 
 
*050 三原下ろしの 雪風よりも 主のひと言が 身にしみる
 
 
 
*051 返事しかねて いろりの灰に 火箸で判らぬ 文字を書く
 
 
 
*052 手紙千本 やりとりよりも 逢ってひと言 話したい
 
 
 
*053 遠く離れりゃ 手紙が便り(頼り) どこの配達も 目にとまる
 
 
 
*054 思い出すよじゃ 惚れよが薄い 思い出さずに 忘れずに
 
 
 
*055 思い出させて 泣かせておいて どこにそれたか 今朝の風
 
 
 
*056 思い出さでは 泣き暮らさでは いやで別れた 仲じゃない
 
 
 
*057 思い出しては 写真を眺め なぜに写真は もの言わぬ
 
 
 
*058 添われないから 来るなと言うても 来れば泣いたり 泣かせたり
 
 
 
*059 親もよく聞け さて叔父叔母も いやな方とは 添われない
 
 
 
*060 恋の病いを 親達ゃ知らず いやな薬を 飲め飲めと
 
 
 
*061 東京育ちの 学生よりも 山で炭焼く 主(にし)がよい
 
 
 
*062 船長さまより 機関長よりも 炊事(カシキ)あがりの 主(ぬし)がよい
 
 
 
*063 親がくれなきゃ 逃げよじゃないか 逃げて添うのも 粋なもの
 
 
 
*064 連れてゆくから 髪結いなおせ 世間島田で 渡られぬ
 
 
 
*065 連れて逃げれば 戸籍がもめる 死ねば新聞 笑い草
 
 
 
*066 思っちゃ見ちゃ泣き 見ちゃ思っちゃ泣き 葉書き四つ折り 書いちゃ泣き
 
 
 
*067 キリギリス羽根で鳴くかよ セミや腹で鳴く わたしゃ主(にし)ゆえ 胸で泣く
 
 
 
*068 島のアンコに 想いをかけて 月に三度の 島通い
 
 
 
*069 髪の長さに つい魅かされて 誰も寄り来る 大島え
 
 
 
*070 島でなければ 鉄道架けて 一夜通いが してみたい
 
 
 
*071 波浮の港は 巾着みなと 惜しいことには ひもがない
 
 
 
*072 島と名がつきゃ どの島も可愛い 分けて利島(年増)は なお可愛い
 
 
 
*073 お酒飲む人 しんから可愛い 飲んでくだ巻きゃ なお可愛い
 
 
 
*074 三原御神火 名所のひとつ 野増村では 竜の口
 
 
 
*075 明日はお立ちか お名残惜しや せめて波風 おだやかに
 
 
 
*076 明日はお立ちか お名残惜しや 西の十日も 吹けばよいに
 
 
 
*077 沖の荒波 風ゆえもめる わたしゃ主ゆえ 気がもめる
 
 
 
*078 船がかすむと 磯から言えば 磯がかすむと 船で言う
 
 
 
*079 義理に迫れば ウグイスさえも 梅を離れて ヤブで啼く
 
 
 
*080 浮気ウグイス 梅をば捨てて 隣り屋敷の ヤブで鳴く
 
 
 
*081 金のなる木を 庭木に植えて 可愛いあの子に ゆずりたい
 
 
 
*082 松になりたや 乳ヶ崎松に 出船入船を 見て暮らす
 
 
 
*083 松になりたや 岡田の松に 枯れて落ちても 二人連れ
 
 
 
*084 松という字は 木ヘンに公(きみ)だ 君(公)に気(木)がなきゃ 待つ(松)じゃない
 
 
 
*085 沖のかもめが もの言うならば 便り聞いたり 聞かせたり
 
 
 
*086 椿花散りゃ 桜が笑う 次はつつじが 気を燃やす
 
 
 
*087 島のアンコと 椿の花は そっとしておけ 手にとるな
 
 
 
*088 山の椿は 真っ赤に燃えて 主の情けを 待つばかり
 
 
 
*089 去年の今夜は 知らないお人 今年の今夜は 家の人
 
 
 
*090 きょうは嬉しや 皆さんと一座 明日もこの手で 願います
 
 
 
*091 きょうは嬉しや 皆さんと一緒 明日はどなたと 語るやら
 
 
 
*092 飲んでおくれよ 騒いでおくれ きょうは我が家の 身の祝い
 
 
 
*093 目出度めでたの 若松さまよ 枝も栄えて 葉も茂る
 
 
 
*094 ここのお家は 目出度いお家 鶴と亀とが 舞い遊ぶ
 
 
 
*095 ここのお屋根に ウグイスとめて 繁盛繁盛と 鳴かせたい
 
 
 
*096 ここの座敷は 六畳め八畳 九畳(苦情)がないので 来ておくれよ
 
 
 
*097 丸い卵も 切りよで四角 ものも言いよで 角が立つ
 
 
 
*098 「殻も白身も オヘソもいらぬ 私しゃやっぱり 黄身(君)がよい」
 
 
 
*099 唄を願います ○○ さんとやらに お気に召さずと 是非ひとつ
 
 
 
*100 唄え十七 唄わず置いて 後で悔やむな 年老いて
 
 
 
*101 唄いなされよ お唄いなされ 唄で器量は 下がりゃせぬ
 
 
 
*102 唄え唄えと 攻めたてられて 唄は出ないで 汗が出る
 
 
 
*103 主は百まで わしゃ九十九まで ともに白髪の 生えるまで
 
 
 
*104 七転び八起きの浮世に 心配するな 牡丹もコモ着て 冬ごもる
 
 
 
*105 お酒飲む人 花ならつぼみ 今日も咲け咲け 明日も酒
 
 
 
*106 私しゃ大島 雨水育ち 胸にぼうふらは 絶えやせぬ
 
 
 
*107 置いてゆくだな つぼみの私 後で咲くとも 主(にし)や知らぬ
 
 
 
*108 花の大島 岡田の港 椿咲くぞえ 実も結ぶ
 
 
 
*109 年は寄り来る 山道や茂る 人の情けも 薄くなる
 
 
 
*110 沖にちらちら 航海ランプ 主(ぬし)もいるずら あの船に
 
 
 
*111 色で迷わす 西瓜でさえも 中にゃ黒(苦労)の タネがある
 
 
 
*112 月を眺めて ほろりと涙 あの星あたりが 主(ぬし)の空よ
 
 
 
*113 月が出たなら 私と思え 私しゃ主(ぬし)だと 手で拝む
 
 
 
*114 沖を流れる 炭スゴさえも 鳥に一夜の 宿を貸す
 
 
 
*115 今年ゃこれきり また来年も 都合つけては 逢いにくる
 
 
 
*116 心意気さえ 届いていれば 逢うにゃ五年に 一度でも
 
 
 
*117 苦労する身は 細書きに いのちゃお前に かけすずり
 
 
 
*118 行って来いやい 四合の山に せめて十日も いたらこい
 
 
 
*119 先の出ようで 鬼とも蛇とも なるよ神とも 仏とも
 
 
 
*120 私ゃローソク 芯から燃える あなたランプで 口ばかり
 
 
 
*121 主(ぬし)を待つ待つ 月日を忘れ うぐいす鳴くから 春じゃやら
 
 
 
== 大島節 唄い手 ==
 
 
 
大島節の唄い手といえば、[[大島里喜]]である。[[大島町]]元村生まれの[[大島里喜]](おおしま りき)は、大島節を始め、あんこ節他、大島[[民謡]]界きっての唄い手である(物故者)。
 
 
 
[[大島里喜]](本名:大久保里喜 [[1909年]]明治42年生)は、16歳の時、島唄の神様と言われた「柳瀬シズ」(女性)に大島民謡を勧められ、本格的に唄を習い始めたという。里喜によれば、この柳瀬シズが「本当の正式な大島節を始めた人」である。[[1937年]](昭和12年)、里喜が28歳の時、初めて[[NHKラジオ]]でその歌声が日本全国に[[放送]]された。以来、大島里喜は、名実ともに大島[[民謡]]の第一人者となり、「大島節」や「[[あんこ]]節」が代表曲とされた。
 
 
 
[[1948年]](昭和23年)、[[日本放送協会|NHK]]が[[東京]]と[[伊豆大島]]と[[伊豆]]との三元放送を行なった時に、[[大島町]]の民謡として、[[大島里喜]]の「大島節」を紹介した。その際[[アナウンサー]]が「大島のお里喜さんです」と紹介したため、以降「[[大島里喜]]」が通り名となった。[[芸名]]「大島里喜」の由来である。それまでは、本名の「大久保里喜」で活動していた<ref>[http://www.island-net.or.jp/~ankosan/sub120oosimarikino1.htm 大島ゆかりの文化人 大島民謡大島里喜] - 伊豆大島木村五郎農民美術資料館公式サイト 2012年05月06日閲覧</ref><ref>[http://www.island-net.or.jp/~ankosan/sub121oosimarikino2.htm 民謡歌手大島里喜顕彰のページ] - 伊豆大島木村五郎農民美術資料館公式サイト 2012年05月08日閲覧</ref>。
 
 
 
== 大島出身の著名人と大島節 ==
 
*宮川哲夫
 
 
 
[[大島町]][[波浮港]]出身の、[[レコード大賞]][[作詞家]]、宮川哲夫(みやがわ てつお、[[1966年]]作品「[[霧氷 (曲)|霧氷]]」で[[レコード大賞]]受賞、歌手[[橋幸夫]]、作曲[[利根一郎]])は、[[1974年]](昭和49年)に52歳で亡くなったが、[[1976年]](昭和51年)に出版された遺稿「公園の手品師 宮川哲夫詩集」(宮川哲夫遺作品編集室発行、発行者宮川和恵)の47P - 48Pで「大島節」のオリジナル作詞を残していたことが記録されている。以下の7詞であるが、4つは出身地である[[波浮港]]を詞ったものである。
 
 
 
*三原山かよ 椿の花か いいや大島 波浮港よ
 
 
 
*お寄りなされよ 港へ波浮へ 波浮は女子(おなご)と 奥の山
 
 
 
*三原颪(おろし)か 吹く潮風か 誰が咲かせた 島つばき
 
 
 
*小池小池と 莫迦にはするな 波浮の港は 黄金海
 
 
 
*波浮の港を 小池たぁ野暮よ 小池どころか 鍋の底
 
 
 
*色が黒いと 言ふのは無理な 私ァ大島 浜育ち
 
 
 
*黒い髪の毛ァ 丈より長い 惚れたあの娘は 島育ち
 
 
 
※宮川哲夫の[[プロフィール]]詳細は、Wikipedia記事「[[宮川哲夫]]」を参照。
 
 
 
*中出那智子
 
 
 
[[大島町]][[波浮港]]出身の、[[西洋]][[画家]]([[油絵]] [[二紀会]][[宮本三郎]][[画伯]]師事)・中出那智子(なかで なちこ)は、[[2006年]](平成18年)の[[大島町]]・藤井工房での個展「[[ふるさと]]を描く - 中出那智子油絵展」における「画家からのメッセージ」で、「大島節」について以下のように述懐している<ref name="nakade">[http://www.island-net.or.jp/~ankosan/sub52.htm ふるさとを描く中出那智子油絵展] - 大島藤井工房公式サイト 2012年06月09日閲覧</ref>。
 
 
 
画家からの[[メッセージ]]・・・私は画業生活のなかで、自分を見失いそうになった時には、「大島節」を歌ったり、踊ったりして、かろうじて[[バランス]]をとってきた。それは遠い外国([[南米]][[ブラジル]]・[[サンパウロ]])だったり、北陸の雪の中([[石川県]]・[[加賀市]])であったりした。私はいつも、ふるさと伊豆大島の息吹きを、この胸に感じながら絵筆を握ってきた。
 
 
 
※中出那智子の[[プロフィール]]詳細は、Wikipedia記事「[[中出那智子]]」を参照。
 
 
 
*つげ義春
 
 
 
[[大島町]][[元町 (大島町)|元町]]出身(0歳~4歳まで在住)の、[[漫画家]]・つげ義春(つげ よしはる、漫画誌[[ガロ (雑誌)|ガロ]]を中心に活動、代表作「[[ねじ式]]」「[[紅い花]]」他)は、[[1987年]]3月発表の作品「[[海へ]]」の中で、主人公が、家族5人(つげ一家)が幸せに暮らした[[伊豆大島]][[時代]]を懐かしむ[[シーン]]で、母親が[[あんこ]]娘姿で、大島全景や白煙上がる[[三原山]]、[[椿]]の花等を背景に「大島節」を唄い、踊る[[カット]]を、6カット登場させている。(歌詞は、わたしや大島 御神火育ちよ 胸に煙はよ たえやせぬ と表記)
 
 
 
※出典 [[筑摩書房]]ちくま文庫「つげ義春コレクション② 大場電気 鍍金工業所 やもり」51P~88P作品「[[海へ]]」より ※つげ義春のプロフィール詳細は、Wikipedia記事「[[つげ義春]]」を参照。
 
 
 
*石川好
 
 
 
[[大島町]][[波浮港]]出身の、作家・石川好(いしかわ よしみ)は、[[1989年]]に小説「[[ストロベリー・ロード]]」で、第20回[[大宅壮一ノンフィクション賞]]を受賞しているが、同小説の中で、兄や日本人らと、[[カリフォルニア]]のイチゴ農園や出掛けた先々で、[[三原山]]や[[波浮港]]、[[クサヤ]](室鯵の干物)や「大島節」等、出身地[[伊豆大島]]に関わる会話や単語が随所に出てくる。
 
 
 
※出典 [[1988年]]刊「ストロベリー・ロード」(早川書房上 ・下刊、ISBN-10:4152033509、ISBN-13:978-4152033505) ※石川好の[[プロフィール]]詳細は、Wikipedia記事「[[石川好]]」を参照。
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{Reflist}}
 
  
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
 
* [http://www.town.oshima.tokyo.jp/ 東京都大島町公式サイト]
 
* [http://www.town.oshima.tokyo.jp/ 東京都大島町公式サイト]
* [http://www.island-net.or.jp/~ankosan/sub5.htm 中出那智子 伊豆大島生まれの洋画家]
 
 
{{People-stub}}
 
  
 +
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[[Category:日本の民謡の楽曲]]
 
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2018/10/15/ (月) 23:11時点における版

大島節(おおしまぶし)

東京都伊豆大島の民謡。明治初期、大島野増(のまし)村(現大島町)の人々が茶もみの労作唄(うた)として歌い出したものだといわれ、『野増節』ともよばれていた。この『野増節』に、横浜市あたりで歌われていた茶の火入れ再製作業の労作唄『お茶場節』が取り入れられ、現在のメロディとなった。1930、31年(昭和5、6)までは大島では手拍子だけで歌う「島ぶし」であったが、いつか三味線の手が入るお座敷唄になった。伊豆大島にはこの唄のほかに『あんこ節』などもあり、観光客にもこれらの唄を聞かせている。

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