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大和国

大和国(やまとのくに)

現在の奈良県。畿内の一国。大国。「やまと」は『日本書紀』では「倭」「大倭」「日本」の文字も用いられ,『続日本紀』によると天平9 (737) 年から 10年間「大養徳国」と書かれた。大和朝廷発祥の地とされ,九州と並んで早くから開けた地方であった。『日本書紀』には闘鶏 (つげ) の国造,『旧事本紀』には大倭国造のほかに葛城国造があり,また古典には県主 (あがたぬし) として菟田 (うた) ,春日,層冨 (そお) ,山辺,十市,高市,磯城 (しき) の名がみえている。また吉野はのちに郡となっているが『万葉集』には吉野国とあり,『続日本紀』には芳野監 (げん) がおかれているので大和国とは別の行政区画の時期があったとみられる。『延喜式』神名帳には 286座 (216社) の神社があり,128座は大社である。特に大神 (みわ) 神社は当国の一宮として崇敬された。同じ『延喜式』には郡として添上 (そふのかみ) ,添下 (そふのしも) ,平群 (へくり) など 15郡を,『和名抄』には 89郷,田1万 7905町を載せている。奈良時代までの都であったため一般の国と異なる点が多く,平安時代以降においても奈良は南都と称された。国府は大和郡山市今国府町とも考えられるが,明らかでない。国分寺は僧寺として東大寺,尼寺として法華寺とされているが問題もある。鎌倉~室町時代を通じて他の国々と異なり守護は任じられなかった。これは旧都であったというほかに興福寺の勢力が強大であったためである。中世には当国の守護職は興福寺が把握し,一国支配権を確立していた。この態勢をくずしたのが織田信長,豊臣秀吉で,秀吉は弟秀長を大和郡山 100万石に封じ大和のほかに紀伊,和泉を支配させた。江戸時代には高取2万 5000石に植村氏,郡山 15万石に柳沢氏,そのほかには柳生に柳生氏,小泉に片桐氏,柳本に織田氏,芝村に織田氏,櫛羅に永井氏などがあり幕末にいたった。明治4 (1871) 年の廃藩置県後,各藩は県となったが,同年 11月には合併して奈良県となった。



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