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{{Otheruses|武家社会における大名}}
 
{{出典の明記|date=2017年1月14日 (土) 10:19 (UTC)}}
 
'''大名'''(だいみょう)は、大[[名主]]より転じた語。大いに名の轟く者のことを指す。[[対義語]]は[[小名]]である。
 
  
== 概要 ==
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'''大名'''(だいみょう)
もともと[[地方]]で勢力をふるう者のことを言った。そのうち、[[武家]]社会において、多くの所領や部下を所有する[[武士]]を意味する語となった。
 
  
[[室町時代]]には[[守護|守護職]]が領国支配を強め、[[守護大名]]となった。
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平安時代から戦国時代にかけて,当初は大きな[[名田]] (みょうでん) を領有するもの,やがて[[家子郎党]] (いえのころうとう) を養って在地支配の力をもつ[[武士]]をいったが,江戸時代には1万石以上の武家で,将軍に臣属する者をさした。徳川氏は慶長5 (1600) 年の関ヶ原の戦い以後,大名を徳川氏との親近度によって[[親藩]],[[譜代]],[[外様]]の3つに分類した。親藩は家康の子孫を封じた3家 ([[御三家]] ) および[[御三卿]]と越前,会津2松平家および[[家門]] (御三家,越前家,会津家から分家した大名) をいい,特に御三家の支流を連枝と呼んだ。譜代は徳川氏が三河を領していた当時の家臣で大名となった者。外様は関ヶ原の戦い前後に徳川氏に臣従した者。その他,領地の大小によって,国主 (国持) ,準国主,城主 (城持) ,城主格,領主に分類する分け方もある。大名の領地を領分,家臣を家中と称したが,これらを藩と総称することが多い。
  
[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]には、さらに強固な領国支配を確立した[[大身]]領主が現れ、大名分の[[国人]]や[[戦国大名]]と呼ばれている。
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[[江戸時代]]には主に[[石高]]1万石以上の所領を[[江戸幕府|幕府]]から禄として与えられた'''[[藩主]]'''を指す言葉となった。1万石未満の武士のうち幕府直属の武士を直参という。ただし大名の対義語である小名がその間に存在するため、この定義には曖昧な面がある。江戸時代の大名はその封建[[領主]]と性格が中国の諸侯と性格を共有することから、[[諸侯]]に準えて'''大名諸侯'''とも称された。また歴史学上の用語としては、[[近世大名]]とも称する。
 
 
 
{{main|守護大名|守護代|戦国大名|キリシタン大名|近世大名|譜代大名|外様大名|国持大名|城主大名}}
 
 
 
== 大名にちなんだ言葉 ==
 
*[[華族|大名華族]] - 華族のうち、大名諸侯出身のもの。
 
*[[大名屋敷]] - 大名の屋敷。江戸に何箇所か有し本邸を上屋敷、その他を下屋敷という。
 
*大名然 - 大名の様に鷹揚な様。
 
*[[大名行列]] - 大名が[[参勤交代]]の際に隊列を組んで移動する様。要人を囲んで集団が移動する様を揶揄していうことも。
 
*[[大名庭園]] - 大名が築造した[[日本庭園]]。
 
*[[大名火消]] - 江戸幕府が諸大名に命じて作らせた江戸の消防部隊。諸[[藩]]の[[藩士]]で構成。
 
*大名貸し - 大商人が[[蔵米]]を担保に大名に[[高利貸し]]をしたこと。
 
*大名預け - 幕府が罪人の管理を大名に任せること。
 
*大名普請 - 贅沢な普請。
 
*大名旅行 - 贅沢な旅行。
 
*大名飛脚 - 大名が江戸と国許の連絡のために設けた[[飛脚]]のこと。
 
*大名下ろし - 中骨に身を多く残すようにして魚を三枚におろすこと。豪勢であることからいわれる。
 
*大名切り - 魚や肉の身を大雑把に大きく切ること。
 
*大名買い - 売り手の言うままに購入すること。
 
*大名椀 - 大きな椀。
 
*大名倹飩 - 主に大名の[[家紋|紋]]や船などが描かれた、漆絵がある器に入れて出された[[倹飩#派生|倹飩]]を指して言う。
 
*大名縞 - 細かい縦縞模様。
 
*[[婆沙羅大名]] - 主に[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の社会風潮や文化的流行をあらわす言葉であり、勝手気ままに振る舞う大名。
 
 
 
== 語義・音の変遷 ==
 
室町時代の辞書『[[節用集]]』には、「たいめい」・「だいみょう」の2音を載せ、前者は守護(大領主)、後者は銭持(富裕層)の意であるとした。戦国時代には音による意味の区別が薄れ、「たいめい」と呼ぶことが多かったとされる。[[17世紀]]初頭の[[日葡辞書]]にも「だいみょう」・「たいめい」の2音が掲載されているが、語義の区別は明確でなく、2音とも大領主としている。「だいみょう」の音に定着したのは江戸時代に入ってからで、[[寛政]]期頃には専ら「だいみょう」と称した。
 
 
 
== 琉球王国の大名 ==
 
[[琉球王国]]では、[[間切]](行政単位。今日の市町村に相当)を治める総地頭職(王子地頭、[[按司]]地頭を含む)にある者は、大名(でーみょー)と呼ばれた。総地頭職は通常、王子、按司、[[親方 (沖縄)|親方]]の位階にある者が就いたので、彼らの尊称から[[御殿 (沖縄)|御殿]][[殿内]](うどぅんとぅんち)とも呼ばれた。総地頭職の下に位置する、一村(今日の[[大字|字]]に相当)を治める脇地頭職にある者は大名とは呼ばれない。
 
 
 
== 脚注 ==
 
<references/>
 
 
 
== 参考文献 ==
 
{{参照方法|date=2018年4月|section=1}}
 
*宮里朝光監修、那覇出版社編『沖縄門中大事典』那覇出版社、1998年 ISBN 4890951016
 
 
 
== 関連項目 ==
 
{{Commons|Category:Daimyo}}
 
*[[近世大名]]
 
*[[キリシタン大名]]
 
*[[定府大名]]
 
*[[与力|与力大名]](組下大名)
 
*[[豪族]]
 
*[[旗本]]
 
  
 
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大名(だいみょう)

平安時代から戦国時代にかけて,当初は大きな名田 (みょうでん) を領有するもの,やがて家子郎党 (いえのころうとう) を養って在地支配の力をもつ武士をいったが,江戸時代には1万石以上の武家で,将軍に臣属する者をさした。徳川氏は慶長5 (1600) 年の関ヶ原の戦い以後,大名を徳川氏との親近度によって親藩譜代外様の3つに分類した。親藩は家康の子孫を封じた3家 (御三家 ) および御三卿と越前,会津2松平家および家門 (御三家,越前家,会津家から分家した大名) をいい,特に御三家の支流を連枝と呼んだ。譜代は徳川氏が三河を領していた当時の家臣で大名となった者。外様は関ヶ原の戦い前後に徳川氏に臣従した者。その他,領地の大小によって,国主 (国持) ,準国主,城主 (城持) ,城主格,領主に分類する分け方もある。大名の領地を領分,家臣を家中と称したが,これらを藩と総称することが多い。



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