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{{otheruses|[[東京都]]の街|[[テレビ埼玉]](テレ玉)制作の[[テレビ番組]]|玉ニュータウン}}
 
  
'''多摩ニュータウン'''(たまニュータウン)は[[東京都]][[稲城市]]・[[多摩市]]・[[八王子市]]・[[町田市]]にまたがる[[多摩丘陵]]に計画・開発された日本最大規模の[[ニュータウン]]である<ref name="yomiuri_40"/>。
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'''多摩ニュータウン'''(たまニュータウン)
 
 
== 概要 ==
 
[[File:多摩ニュータウンの全景(2013年10月12日撮影).jpg|thumb|800px|center|全景(2013年10月12日撮影)奥には[[東京23区]]の高層ビル群がうっすりと見える。]]
 
開発主体は、[[都市再生機構]]、[[東京都]]、[[地方住宅供給公社|東京都住宅供給公社]]、[[稲城市]]、[[土地区画整理組合]]と多岐にわたる。区域は東京都の稲城市、[[多摩市]]、[[八王子市]]、[[町田市]]の4市にまたがる面積約2,884ヘクタールで、主に[[京王相模原線]]に沿った東西約15km、南北約5kmに広がっている。
 
 
 
基本方針としては、すぐれた自然環境と調和した良好な居住環境を備えた住機能の充実と、教育、文化、業務、商業の機能を備えた活力ある新市街地の形成を図るものとしている。また、[[多摩地域]]の自立化を推進する拠点都市として、広域的な都市機能を充実し、周辺地域と連携した複合都市づくりを目指している<ref name="hachioji_tamant">[http://www.city.hachioji.tokyo.jp/seisaku/machidukuri/newtown/005175.html 多摩ニュータウン|八王子市]</ref>。
 
 
 
また、[[多摩丘陵]]の自然と地形をいかしながら自動車交通と立体分離された緑豊かな[[歩行者専用道路]]のネットワークを整備し、周辺地域との融和を図り、優れた住環境を整えた魅力ある都市づくりを心掛け、「安全なまち」「健康なまち」「利便性のあるまち」「快適なまち」「文化的なまち」の形成が目標とされた<ref>{{Cite web|url=http://www.jpci.or.jp/JC/v28/280208.pdf|title=多摩ニュータウンの歩道橋|accessdate=2013年12月7日}}</ref>。
 
 
 
第1次入居は[[1971年]](昭和46年)[[3月26日]]、諏訪・永山地区において開始された。
 
 
 
===施行事業一覧===
 
多摩ニュータウンは下記の事業区域で構成される<ref>『多摩ニュータウン開発事業史 -通史編-』UR都市機構、2006年3月、268ページ。</ref>。これらは[[1966年]](昭和41年)に事業着手して以来、18次に及ぶ都市計画の決定・変更を重ね、段階的に整備がすすめられた。
 
 
 
*[[新住宅市街地開発事業]]
 
**第1~8住区、第10~13住区、第19住区 - [[都市再生機構]]施行
 
**第14~18住区、第20住区、第21住区 - [[東京都]]施行
 
**第9住区 - [[東京都住宅供給公社]]施行
 
 
 
*[[土地区画整理事業]]
 
**多摩土地区画整理事業 - 東京都施行
 
**由木土地区画整理事業 - 東京都施行
 
**相原・小山土地区画整理事業 - 東京都施行
 
**小野路第一土地区画整理事業 - 東京都施行
 
**小野路第二土地区画整理事業 - 東京都施行
 
**小野路第三土地区画整理事業 - 東京都施行
 
**堂ヶ谷戸土地区画整理事業 - 都市再生機構施行
 
**百村土地区画整理事業 - [[稲城市]]施行
 
**竪台土地区画整理事業 - 竪台土地区画整理組合施行
 
 
 
== 歴史 ==
 
{{double image|right|多摩ニュータウン京王堀之内駅周辺の1979年の航空写真.jpg|250|多摩ニュータウン京王堀之内駅周辺の1989年の航空写真.jpg|250|左:[[1979年]](昭和54年)と、右:[[1989年]](平成元年)の[[京王堀之内駅]]周辺。<br />{{国土航空写真}}}}
 
 
 
===開発のはじまり===
 
戦後の[[高度経済成長期]]、東京区部での深刻な住宅難にともなって地価は著しく上昇し、その結果として地価の安かった市部が急速に宅地造成されていったが、民間の無計画な開発は[[スプロール化]]をもたらした<ref name="hachioji_tamant">[http://www.city.hachioji.tokyo.jp/seisaku/machidukuri/newtown/005175.html 多摩ニュータウン|八王子市]</ref>。また、当時は違法な宅地造成が56%を占める状況であった<ref>『多摩ニュータウンアーカイブプロジェクト -第1編- 草創期~中興期の夢と苦悩を知る』多摩ニュータウン学会、2010年5月20日、53ページ。</ref>。そのなかで、このような乱開発を防止するとともに、居住環境の良好な宅地を大量に供給することを目的として、多摩ニュータウンが計画された<ref name="hachioji_tamant"/>。
 
 
 
開発に当たって、制定されたばかりの[[新住宅市街地開発法]]に基づいた初めての事業認可・承認のための申請作業が進められたが、多摩ニュータウン区域内には土地に強い愛着を有する約2000戸に及ぶ農家集落があり、これを全面買収することは困難であった。そして[[1966年]](昭和41年)1月の地元住民から既存集落の区域除外の要望を受けて、同年11月に[[東京都]]は「[[新住宅市街地開発事業]]との関係から施行が急がれるので、この区域は、東京都が施行者となって[[土地区画整理事業]]によって整備する」という方針が決定し、土地区画整理事業と併用して開発することとなった。そのため、街づくりの基本概念となる後述の[[近隣住区]]理論を実践するに当たり、[[歩行者専用道路]]網などが一部途切れて空間構成に矛盾を生じることになったが、他方、街の形成に自由度を残した多様性をもたらした<ref>高橋賢一『連合都市圏の計画学 ニュータウン開発と広域連携』鹿島出版会、1998年6月25日、88ページ</ref>。
 
 
 
法的手続きの経過としては下記の通りである<ref>北条晃敬『多摩ニュータウン構想の全貌』多摩ニュータウン歴史研究会、2012年12月25日、37ページ。</ref>。
 
*[[1963年]](昭和38年)11月 [[多摩地域#三多摩の行政区画の変遷|南多摩地域]]の都市計画区域決定
 
*[[1964年]](昭和39年)5月 多摩新都市開発計画の基本方針の決定
 
*1964年(昭和39年)7月 多摩ニュータウンに関わる[[用途地域]]、街路計画の決定告示
 
*1964年(昭和39年)10月~[[1965年]](昭和40年)12月 農林省協議
 
*1965年(昭和40年)12月 多摩ニュータウン新住宅市街地開発事業計画区域決定
 
*[[1966年]](昭和41年)12月 多摩ニュータウン事業決定、土地区画整理事業区域決定
 
こうして多摩ニュータウン事業が始まった。
 
 
 
しかし一時は、東京都知事に初の革新都政となる[[美濃部亮吉]]が当選し、その就任第一声が「東京都は多摩ニュータウンから手を引く」であったため、計画は暗雲に包まれた。多摩ニュータウンの主要なインフラ整備に東京都は不可欠であったが、就任直後にその予算は凍結されてしまった<ref>『多摩ニュータウンアーカイブプロジェクト -第1編- 草創期~中興期の夢と苦悩を知る』多摩ニュータウン学会、2010年5月20日、68ページ。</ref>。これは結局、東京都は[[住宅金融公庫]]からの借り入れで既に西部地区([[南大沢駅]]を中心とする区域)の百万坪を取得していたため、事業から手を引くことは困難で、事業は継続されることとなった<ref>北条晃敬『多摩ニュータウン構想の全貌』多摩ニュータウン歴史研究会、2012年12月25日、91ページ。</ref>。
 
 
 
===第一次入居と鉄道開通===
 
[[File:多摩ニュータウン愛宕二丁目住宅150624.JPG|thumb|開発初期に建設された団地]]
 
[[1971年]](昭和46年)、多摩ニュータウンの最初の入居が諏訪・永山地区で行われた。この地区はもともと別の開発計画として存在し、早期から買収が進んでいた[[日本住宅公団]]の「聖蹟桜ヶ丘地区」であったが、多摩ニュータウンに組み入れられた<ref>『多摩ニュータウンアーカイブプロジェクト -第1編- 草創期~中興期の夢と苦悩を知る』多摩ニュータウン学会、2010年5月20日、52ページ。</ref>。こうして、この地区を中心に[[オイルショック]]までの3年間に約8千5百戸あまりの住宅が供給され、[[1974年]](昭和49年)に多摩ニュータウンの人口は3万人に達した<ref name="tamant_jinko_2005"/>。このころに供給された住宅は、他の多くの地区とは違い公的賃貸住宅を中心としているほか、住宅不足の解消を目的とした画一的な仕様の住宅であり、その後の[[高齢化]]の温床となることになる<ref name="machisen_suwa_nagayama_genjitsu">{{Cite web|url=http://www.machisen.net/nt_resurrection/index1.php|title=持続可能な“団地再生”に向けて:たま・まちせん|accessdate=2013年9月15日}}</ref>。
 
 
 
なお、この時点では諏訪・永山地区まで鉄道が開通しておらず、住民は2km以上先の[[京王線]][[聖蹟桜ヶ丘駅]]等まで路線バスやタクシーでの移動を強いられた<ref>『多摩ニュータウンアーカイブプロジェクト -第1編- 草創期~中興期の夢と苦悩を知る』多摩ニュータウン学会、2010年5月20日、169ページ。</ref>。乗り入れ認可を受けていた当時の[[京王電鉄|京王帝都電鉄]]・[[小田急電鉄]]は、新線建設の費用のほか多摩ニュータウン方面からの輸送量増加に伴う在来区間の複々線化の費用が掛かるとなると、とても採算が取れないとしていて、国や都に用地の無償提供などを求めて建設を中断していたためであった<ref>読売新聞(昭和46年5月21日)</ref>。最終的には、[[日本鉄道建設公団]]が私鉄事業者の鉄道施設を建設し、完成後に25年の割賦で事業者に譲渡するという方策がとられることとなり、小田急線が[[1974年]](昭和49年)6月に[[永山駅 (東京都)|小田急永山駅]]まで、続いて京王線が同年10月に[[多摩センター駅|京王多摩センター駅]]まで開通し、小田急も翌1975年(昭和50年)に[[多摩センター駅|小田急多摩センター駅]]まで開通した。
 
 
 
===オイルショックと計画の転換===
 
[[1974年]](昭和49年)の[[オイルショック]]で[[高度経済成長]]は終焉し、大都市圏で旺盛だった住宅需要は一気に落ち込んだ。住宅不足は解消し、住宅不足を解決するための画一的な住宅は販売不振に陥った。このように社会情勢が大きく変化したなかで、多摩ニュータウンは「少しでも早く安く、計画的な良好な都市を大規模に提供する」ことから、「時間をかけて理想的な都市を作る」ことが要求されるようになった。こうして、個性的なタウンハウス住宅やコーポラティブハウスやプラスワン住宅、一般公募宅地分譲住宅等、多彩な住宅が供給されてゆき、多摩ニュータウンは理想的な都市を作るという計画に転換していった<ref>北条晃敬『多摩ニュータウン構想の全貌』多摩ニュータウン歴史研究会、2012年12月25日、175ページ。</ref>。
 
 
 
一方でそのころ、[[多摩市]]内では小中学校等の公共施設の建設費の負担が大きな問題となり、開発が中断されていた。当初の負担ルールでは、多摩ニュータウンの新住民が一挙に多摩市に移り住んだ場合、行政需要の急激な増大から約14年で100億円の累積赤字が出ると試算され、当時の多摩市の財政規模では立ち行かなくなることが予想されていたためである<ref>『多摩ニュータウンアーカイブプロジェクト -第1編- 草創期~中興期の夢と苦悩を知る』多摩ニュータウン学会、2010年5月20日、182ページ。</ref>。これは[[1974年]](昭和49年)10月、学校の土地・建物を事実上、[[東京都]]が全額負担するという取り決めを盛り込んだ行財政要綱が定められたことで開発は再開した<ref>『多摩ニュータウンアーカイブプロジェクト -第1編- 草創期~中興期の夢と苦悩を知る』多摩ニュータウン学会、2010年5月20日、187ページ。</ref>が、他にも30%以上の緑と[[オープン・スペース]]を確保することが盛り込まれ、これも以降の多摩ニュータウンの街づくりに大きな影響を与えた。これはその後、オープンスペースに関係して、[[2005年]](平成17年)までの間に[[都市再生機構]]施行区域だけで、緑の都市賞を2度、日本都市計画学会賞を2度、都市景観大賞を3度、日本造園学会特別賞、日本不動産学会業績賞を受賞することにつながった<ref>『多摩ニュータウン開発事業誌 -通史編-』 UR都市機構、平成18年、247ページ。</ref>。
 
 
 
===「サービスインダストリー地区」の設置===
 
[[File:多摩ニュータウンのサービスインダストリー地区150710.JPG|thumb|サービスインダストリー地区]]
 
多摩ニュータウンは当初から自立都市として構想されていたが、当時の[[新住宅市街地開発法]]の規定で業務系施設は「居住者の共同の福祉又は利便のため必要なもの」に限定され、それ以外の業務施設の誘致は困難であった<ref name="ntjigyoshi_tsushi_111">『多摩ニュータウン開発事業史 -通史編-』UR都市機構、2006年3月、111ページ。</ref>。しかし多摩ニュータウンの地元市は、税金の増収による自主財源の確保や、就業の場としての業務系施設の導入を要望していた。そして[[1973年]](昭和48年)6月、[[西武鉄道]]から[[日本住宅公団]](現・[[都市再生機構]])に移管された第4住区(聖ヶ丘地区)の施行計画協議の中で、[[多摩市]]議会は第4住区を業務用施設用地に転換する要望書を提出し、これを契機として業務施設を誘致するための具体的検討が始まった<ref>『多摩ニュータウンアーカイブプロジェクト -第1編- 草創期~中興期の夢と苦悩を知る』多摩ニュータウン学会、2010年5月20日、185ページ。</ref>。
 
 
 
まず、新住宅市街地開発法の規定をくぐりぬけるために、業務施設は住民生活を支えるために必要なものとして位置づけることとなった。そこで日常の暮らしに不可欠な「サービスインダストリー」という概念が持ち出された。次に、新住宅市街地開発法の制約により工業系の[[用途地域]]が指定できなかったことから、都市計画上は[[特別用途地区]]を定め、「住居地域」の用途規制を「準工業地域」並みに緩和することとした(当時の用途地域)<ref>『多摩ニュータウンアーカイブプロジェクト -第1編- 草創期~中興期の夢と苦悩を知る』多摩ニュータウン学会、2010年5月20日、83ページ。</ref>。
 
 
 
その後、多摩市から候補地は第4住区以外の適地でもかまわないとの見解が出されたため、[[鎌倉街道]]と[[尾根幹線]]の交差部周辺で「サービスインダストリー地区」を設置することとなり、[[1981年]](昭和56年)5月に「特別業務地区」として都市計画決定された。施設用地募集は[[1982年]](昭和57年)4月から[[1986年]](昭和61年)11月に行われ、食品製造、集配センター等約30社が立地した<ref name="ntjigyoshi_tsushi_111"/>。
 
 
 
===多摩センター駅以西への開発の進展===
 
[[1980年代]]には、[[多摩センター駅]]周辺で開発が進む中、西部地区と呼ばれる[[南大沢駅]]を中心とする区域でも開発が進んでいき、多摩ニュータウンの人口は[[1980年]](昭和55年)に6万人だったものが、[[1987年]](昭和62年)には10万人に達した<ref name="tamant_jinko_2005"/>。西部地区の開発にあたっては、[[1974年]](昭和49年)に緑とオープンスペースの確保を盛り込んだ行財政要綱が決定されたことから見直された基本計画が、「多摩ニュータウン西部地区開発大綱」にまとめられ、西部地区はこの要綱に基づき開発が進められた。そして[[1983年]](昭和58年)3月に第14住区で1018戸の入居が行われ、西部地区の入居開始となった<ref>『多摩ニュータウン開発事業誌 -通史編-』UR都市機構、平成18年3月、84ページ。</ref>。
 
 
 
西部地区の入居開始時点では南大沢駅まで鉄道が開通していなかったため、住民はバスで多摩センター駅まで移動していた。西部地区を含む多摩センター駅以西への[[京王相模原線]]の延伸には、その途中にある多摩市落合のゴルフ場「府中カントリークラブ」の敷地通過が問題となっていた。工事着工にあたりゴルフ場側に補償金5億円を提示したが拒否され、その後、10億8800万円まで引き上げられたが折り合いがつかなかった。[[1986年]]2月28日には強制収用の手続きに入ったが、最終的に10億8800万円の補償金で和解し工事が進められ、[[1988年]]5月21日に京王相模原線の京王多摩センター駅 - 南大沢駅間が開業した。
 
 
 
また、[[1990年]](平成2年)に[[小田急多摩線]]が小田急多摩センター駅から[[唐木田駅]]まで延伸すると同時に、[[唐木田]]地区が入居開始した。開発前の唐木田地区では[[東京都]]施行の[[土地区画整理事業]]区域と、[[住宅・都市整備公団]](現・[[都市再生機構]])施行の[[新住宅市街地開発事業]]区域が複雑な形状をなしており、また、この両区域の高低差が大きかった。地区南部では小田急線車庫が計画されていたことから、この両区域の一体的施工が必須となったため、土地区画整理事業が東京都から住宅・都市整備公団に委託された。そうして、この地区では高低差の少ない一体的な土地利用計画を実現している<ref>『多摩ニュータウン開発事業史 -通史編-』UR都市機構、2006年3月、133ページ。</ref>。
 
 
 
===都立大学をはじめとする大学の進出===
 
[[File:多摩センターのベネッセビルから見る明星大学日野キャンパス150506.jpg|thumb|明星大学]]
 
多摩ニュータウンの外周には、[[中央大学]]や[[明星大学]]、[[帝京大学]]、[[多摩美術大学]]等、[[1960年代]]より大学が進出していたが、[[1983年]](昭和58年)の[[東京都立大学]]の移転構想を契機として、多くの大学が多摩ニュータウン区域内にも進出することになった<ref>高橋賢一『連合都市圏の計画学 ニュータウン開発と広域連携』鹿島出版会、1998年6月25日、134ページ</ref>。
 
 
 
東京都立大学は当初、[[立川市]]への移転を予定していた。しかし、都立大学内部では立川の用地が手狭であることが問題となっており、一方で[[東京都]]の多摩都市整備本部内部では、東京都施行の西部地区での住宅販売を促進する思惑から、計画上は[[多摩センター駅]]前に次ぐサブセンターという位置づけの[[南大沢駅]]前にも、商業的な賑わいを形成しようと都立大学の誘致が画策された。そのなかで、立川、八王子、多摩ニュータウンの3箇所が移転先候補となり、最終的に多摩ニュータウン西部地区への移転が決まった<ref>北条晃敬『多摩ニュータウン構想の全貌』多摩ニュータウン歴史研究会、2012年12月25日、204ページ。</ref>。
 
 
 
都立大学側は移転先の条件として駅から近いことを挙げていた。そこで具体的な場所としては、[[松木 (八王子市)|松木]]日光緑地を大学敷地に含むという条件で、南大沢駅前に決まった。緑地を大学敷地に含むことには地元市の負担を軽減できるだけでなく、大学側にもゆとりのあるキャンパスが構成できるというメリットがあった<ref>『多摩ニュータウン宅地造成技術資料集成1』東京都、1992年、IV-32ページ。</ref>。そうして、[[1991年]](平成3年)4月に都立大学が開設した。なお都立大学はその後の都立4大学の再編・統合により、[[2005年]](平成17年)4月1日、[[首都大学東京]]となっている<ref>[https://www.tmu.ac.jp/university/info/history.html 歴史・沿革について] 首都大学東京 公式サイト</ref>。
 
 
 
その後も多摩ニュータウン区域内への大学進出が相次ぎ、[[1986年]](昭和61年)10月に[[恵泉女学園大学]]、[[1988年]](昭和63年)4月に[[大妻女子大学]]、[[1989年]](平成元年)4月に[[多摩大学]]、[[1992年]](平成4年)4月に[[国士舘大学]]、[[1997年]](平成11年)4月に[[ヤマザキ学園大学]]、[[2011年]](平成23年)4月に[[東京医療学院大学]]が開設された。
 
 
 
また開発前から存在し、多摩ニュータウン区域に取り囲まれた形となっていた[[多摩美術大学]]は、敷地が周囲の多摩ニュータウン区域内にも拡張された。
 
 
 
===新住法の改正と「特定業務施設」の立地===
 
[[1986年]](昭和61年)の[[新住宅市街地開発法]]の改正では「特定業務施設」が創設された。この特定業務施設は「居住者の雇用の増大や、[[昼間人口]]の増加による開発地区の都市機能の増進に寄与し、かつ良好な居住環境と調和するもので公益的施設以外のもの」と規定される。これにより初めて、多摩ニュータウンをはじめとする[[新住宅市街地開発事業]]で開発されたニュータウンへの業務施設の立地が、法的に可能になったといえる。これを受けて[[1987年]](昭和62年)より多摩ニュータウン内で導入が行われた<ref>高橋賢一『連合都市圏の計画学 ニュータウン開発と広域連携』鹿島出版会、1998年6月25日、135ページ</ref>。
 
 
 
特定業務施設の配置は、[[都市再生機構]]施行区域内には約38.6haが多摩センター地区や、唐木田・長池業務地区等に、東京都施行区域内には西部地区センターに5.2haが計画された。「南多摩新都市開発計画1990」では特定業務施設の本格導入が図られ、バブル終焉で経済状況が一変するなか多摩ニュータウンでは業務用地の販売が好調を呈し、「[[朝日生命保険]]多摩本社」や「[[ベネッセコーポレーション]]東京本社」をはじめ各種企業が誘致された。
 
 
 
また、このとき集合住宅用地の民間卸が可能となり、新住宅市街地開発事業区域内においても、豊ヶ丘地区で[[1989年]](平成元年)入居の「コスモフォーラム多摩」を皮切りに民間マンションの建設が進んだ。[[1997年]](平成9年)に[[住宅・都市整備公団]](現・都市再生機構)が分譲マンションの建設から撤退して以降は、民間卸による分譲マンション建設が本格化することとなった。
 
 
 
===稲城市内への開発の進展===
 
{{see also|向陽台 (稲城市)|長峰 (稲城市)|若葉台 (稲城市)}}
 
[[File:From chofu Mt.Fuji.jpg|thumb|[[調布市]]多摩川より[[稲城市]]方向]]
 
[[稲城市]]内にあたる地区では、[[1988年]](昭和63年)3月、第1住区の[[向陽台 (稲城市)|向陽台]]での260戸の入居をもって入居開始となった。
 
 
 
この地区は[[京王相模原線]]沿線で、多摩ニュータウンのなかで最も都心寄りに位置するため、当初から鉄道が開通していたが、[[下水道|雨水排水]]の問題からそれまで開発が進んでいなかった。[[河川]]の流域は[[多摩川]]の支川である[[三沢川]]であるが、すぐ下流からは[[川崎市]]に入るため調整が難しかったためである。
 
 
 
[[1971年]](昭和46年)7月の事業承認時点では、暫定的に[[調整池]]を設置することが予定されていたが、この地区の[[地層]]は水に弱く[[浸食]]しやすいため、設置が困難であることが判明した。
 
 
 
このため、地区内から多摩川へ至る[[トンネル#水路トンネル|トンネル]][[放水路]]を新設することとなり、三沢川分水路が整備された。これは三沢川中流部から分水後、地区内の[[排水路|雨水幹線]]を2か所で合流させ、[[南武線]][[多摩川橋梁 |多摩川鉄橋]]の上流100[[メートル|m]]地点で多摩川に流入させるもので、総延長2,679m、トンネル断面は最大内径8.1mに及ぶ大規模河川トンネルである。[[1978年]](昭和53年)10月に着工、[[1985年]](昭和60年)3月に完成。これにより当地区の雨水排水の問題は解決し、開発にこぎつけることになった。
 
 
 
===町田市内への開発の進展===
 
{{see also|多摩境駅|小山ヶ丘}}
 
[[町田市]]内における多摩ニュータウン開発は、[[1990年代]]より「[[相原町|相原]]・[[小山町 (町田市)|小山]]土地区画整理事業」で行われた。この区域は西部地区のさらに西方に位置する。当初この区域は、[[新住宅市街地開発事業]]による開発が予定され、[[1965年]](昭和40年)にその都市計画決定を受けていた。しかし、この区域は多摩ニュータウン計画の中で「誘致施設用地」に位置づけられていたことから、当初の[[新住宅市街地開発法]]の枠内で業務施設の誘致を行うことは困難で、長らく開発は進まなかった。その後、新住宅市街地開発法の改正で誘致が可能になったが、地域開発に関わる時代背景の変化に伴い[[土地区画整理事業]]によって開発されることになった<ref>『多摩ニュータウン 相原・小山土地区画整理事業誌』東京都、2005年3月、14ページ</ref>。
 
 
 
計画では[[多摩ニュータウン通り]]と[[尾根幹線道路]]に挟まれた東西にわたって「業務ゾーン」が設けられ、第1号進出企業となる[[小山ヶ丘]]2丁目の「[[サンリオ]]ディストリビューションセンター」をはじめ、[[2005年]](平成17年)時点で約50社が進出している。
 
 
 
また、多摩ニュータウン通りの西側に位置する「研究住居複合地区」では、多くの大規模マンションが建てられたほか、[[サレジオ工業高等専門学校]](旧・[[学校法人育英学院|育英工業高等専門学校]])が、[[2005年]](平成17年)に[[杉並区]]から小山ヶ丘4丁目に移転している<ref>『多摩ニュータウン 相原・小山土地区画整理事業誌』東京都、2005年3月、66ページ</ref>。
 
 
 
[[1990年]](平成2年)3月30日、[[京王相模原線]]の[[南大沢駅]] - [[橋本駅 (神奈川県)|橋本駅]]間が開業し、翌年の[[1991年]](平成3年)4月6日にはこの区域に[[多摩境駅]]が開業した。これをもって多摩ニュータウン内の全駅開業となった。そして多摩ニュータウンの人口は、1991年(平成3年)には15万人になった<ref name="tamant_jinko_2005">『多摩ニュータウン開発事業史 -通史編-』UR都市機構、2006年3月、270ページ。</ref>。
 
 
 
===多摩ニュータウンの現在===
 
[[File:多摩ニュータウンで少子化に伴い解体されるプレハブ校舎150710.JPG|thumb|少子化に伴い解体されるプレハブ校舎]]
 
[[2010年]](平成22年)時点で多摩ニュータウンの人口は21万人に達したが、全人口の16%を[[高齢者]]が占めるという状況で、[[高齢化]]が進んでいる<ref name="tamant_jinko_chosa_h22"/>。特に住宅難の解消を目的として[[オイルショック]]以前に建設された団地では、画一的で住戸面積が狭いため多様な世帯を受け入れることができず、家賃も安いことから必然的に高齢者が集中し高齢化の温床になっている<ref name="machisen_suwa_nagayama_genjitsu">{{Cite web|url=http://www.machisen.net/nt_resurrection/index1.php|title=持続可能な“団地再生”に向けて:たま・まちせん|accessdate=2013年9月15日}}</ref>。オイルショック以降に定住性を重視して建てられた専有面積100平米を超すマンションやタウンハウスにおいても、老夫婦や独居老人が住み続け、過剰な住宅規模で持て余しているといったケースが見られている<ref name="homesreform00465">{{Cite web|url=http://www.homes.co.jp/cont/press/reform/reform_00465/|title=多摩ニュータウンに子育て世代を呼び戻すために。老朽団地の建て替えで多世代共生を目指す ① | 住まいの「本当」と「今」を伝える情報サイト【HOME'S PRESS】|accessdate=2017年02月13日}}</ref>。また、[[2009年]](平成21年)現在、[[東京都]]で一番クラス数の多い小学校は多摩ニュータウンにある<ref>{{Cite web|url=http://www.riu.or.jp/document/aging20.pdf|title=超高齢化社会問題研究会 第20回「多摩ニュータウンの現状と高齢化問題」|accessdate=2010年4月10日}}</ref>一方で、1住区につき4小学校2中学校が建設された[[1970年代]]の開発地区では、少子化の進行によりそれ以降の開発地区と同様の2小学校1中学校へ再編が進んでいる<ref>『多摩ニュータウン開発事業誌 -通史編-』 UR都市機構、平成18年、173ページより。</ref>。今後、多摩ニュータウンの人口は[[2025年]]頃にピークを迎え、[[2050年]]には、2010年現在より7%人口が減少し、[[高齢化率]]は35%に達すると推計されている<ref>{{Cite web|url=https://www.city.tama.lg.jp/dbps_data/_material_/_files/000/000/022/710/8shiryou6.pdf|title=『多摩ニュータウン再生方針(最終案)』平成27年10月30日、多摩ニュータウン再生検討会議、8ページ|accessdate=2015年11月15日}}</ref>。建築物も経年劣化し、新たな価値の再生が必要なことが指摘されている。そうしたなか、住民レベルでは分譲マンションの建て替えが進められているほか、行政は都営住宅の建て替えや、住み替え支援といった取り組みを進めている状況である<ref name="homesreform00465"/>。[[都市再生機構]]の賃貸住宅については「団地の福祉拠点化」として、高齢者にとって住みやすい環境の整備が行われている<ref>{{Cite web|url=http://www.ur-net.go.jp/welfare/kyoten/index.html|title=UR都市機構|地域医療福祉拠点化とは|ウェルフェア|accessdate=2017年02月13日}}</ref>。
 
 
 
[[買い物難民]]対策として、東京都と多摩市が[[京王グループ]]の協力を得てニュータウン内の[[都営住宅]](愛宕団地)に[[移動販売]]車を導入<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/local/tokyotama/news/20171219-OYTNT50172.html 多摩ニュータウンで移動販売 都営団地で初めて実施、京王ストアが商品提供]『読売新聞』朝刊2017年12月20日(地域面)</ref>するなど、建て替えや住み替え以外の高齢者支援も取り組まれつつある。
 
 
 
行政改革等の煽りもあり公的な開発は、東京都が[[2003年]](平成15年)で、[[都市再生機構]](旧 [[住宅・都市整備公団]]、[[日本住宅公団]])が[[2006年]](平成18年)ですべて終了し、未開発用地244ヘクタールは売却して民間等による開発に委ねられることとなった<ref name="yomiuri_40">{{Cite news|url=http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyotama/kikaku/097/2.htm|title=企画・連載 40歳のニュータウン 成熟する街も人も|newspaper=読売新聞|date=2007年1月2日|accessdate=2013年9月10日|publisher=読売新聞社|archiveurl=https://archive.is/20131120173609/http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyotama/kikaku/097/2.htm|archivedate=2013年11月20日}} キャッシュ:</ref>。これらの民間売却地には高層マンションがいくつも建設されてきており、中低層の住宅を中心とした、ゆったりとした街並みは大きく変わろうとしている<ref>秋元孝夫(2007)『ニュータウンの未来』まちづくり専門家会議 p.66</ref>。
 
 
 
== 都市計画 ==
 
[[File:多摩ニュータウンを走る京王線と小田急線150624.jpg|thumb|多摩ニュータウンを走る京王線と小田急線]]
 
[[File:多摩ニュータウンの歩車分離150624.jpg|thumb|「歩車分離」により歩行者と自動車の交通が分離されている]]
 
 
 
=== 骨格構造 ===
 
多摩ニュータウン区域は、地形等の条件から一体的に開発ができ、かつ、排水系統が[[多摩川]]水系単一となるように設定されている。その骨格として、東西方向に中央部を横断する鉄道2路線([[京王相模原線]]・[[小田急多摩線]])があり、また、東西方向に中央部、南部、北部を横断する広域幹線道路([[多摩ニュータウン通り]]・[[尾根幹線道路]]・[[野猿街道]])と、それを南北方向に結ぶ住区幹線道路が配置されている<ref name="ur_tamant_planning">[https://www.ur-net.go.jp/syutoken/nt/planning.html UR都市機構「多摩ニュータウンの計画~Planning」]</ref>。
 
 
 
多摩ニュータウンの中心である「都市センター」には[[多摩センター駅]]周辺が定められているほか、地区内の駅前には規模の差はあるが商業施設を集積している<ref name="ur_tamant_planning"/>。
 
 
 
また、多摩丘陵の緑を系統的に保存するために、多摩ニュータウン南縁の尾根部には地区公園や低容積の誘致施設が配置され、計画的に配置された公園緑地、歩行者専用道路、住宅内緑地等の面積は地区全体の30%以上を占めている<ref name="ur_tamant_planning"/>。
 
 
 
=== インフラ ===
 
電気・ガス・上下水道等、ライフラインのインフラストラクチャーが、マスタープランに基づいた都市基盤建設の中で住宅等の開発前から整備されており、「都市センター」地区には[[無電柱化]]や[[地域冷暖房]]等を可能にする地下[[共同溝]]が設けられている。
 
 
 
=== 近隣住区 ===
 
ニュータウン区域は新住宅市街地開発事業地に新住区を設け、幹線道路を境にして[[中学校]]の[[学区]]を基本単位とする21の住区に分けられている。この概念はコミュニティー空間の外周に幹線道路を配置し、生活の場から不要な通過交通を排除することなどを主眼とした「[[近隣住区]]理論」に基づいている<ref name="ur_tamant_planning"/>。
 
 
 
根本理念は理想的住環境を目指し、1住区は面積約100ha、住宅3,000 - 5,000戸、人口はおおむね12,000 - 20,000人で計画されていた。各住区には原則として中学校1校、[[小学校]]2校を設置し、[[歩行者専用道路]]の導入を図った生活道路、オープンスペースとしての公園(近隣公園・街区公園)や緑地帯、食料品・日用品等の商店、[[交番]]、[[郵便局]]、[[診療所]]などといった住民サービス施設の集まる「近隣センター」が配置されている。中には開発によって農業をやめた住民が商店を経営するということもあった。こういった住区をいくつかあつめて地区を構成しており、地区の中心(鉄道駅の周辺)には「地区センター」が配置されている。
 
 
 
=== 歩行者専用道路 ===
 
多摩ニュータウンでは、[[歩行者専用道路]]が新住宅市街地開発区域全体にわたって整備された。歩行者専用道路と車道は[[立体交差]]しているため、住宅地から駅前、公園や学校などへ、車道を一切横断することなく行き来することができる。特に多摩センター・落合・鶴牧地区、南大沢地区は徹底した整備がされ、道路脇の歩道よりも歩行者が多いことが見てとれる。
 
 
 
=== 土地利用計画 ===
 
<TABLE class="wikitable">
 
    <TR>
 
      <TH colspan="5">土地利用計画(新住宅市街地開発事業都市計画決定区域)<ref>東京都公示第1438号(平成12年12月20日)</ref></TH>
 
    </TR>
 
    <TR>
 
      <TH colspan="2">区分</TH>
 
      <TH>面積(ha)</TH>
 
      <TH>比率(%)</TH>
 
      <TH>備考</TH>
 
    </TR>
 
    <TR>
 
      <TD colspan="2">住宅用地</TD>
 
      <TD align="right">785.6</TD>
 
      <TD align="right">35.3</TD>
 
      <TD>集合住宅用地、宅地分譲用地</TD>
 
    </TR>
 
    <TR>
 
      <TD rowspan="3">公共用地</TD>
 
      <TD>公園・緑地</TD>
 
      <TD align="right">432.9</TD>
 
      <TD align="right">19.4</TD>
 
      <TD>街区公園、近隣公園、地区公園、緑地</TD>
 
    </TR>
 
    <TR>
 
      <TD>道路</TD>
 
      <TD align="right">421.7</TD>
 
      <TD align="right">19.0</TD>
 
      <TD>歩行者専用道路、区画道路、幹線道路</TD>
 
    </TR>
 
    <TR>
 
      <TD>その他の公共施設用地</TD>
 
      <TD align="right">4.8</TD>
 
      <TD align="right">0.2</TD>
 
      <TD>河川、水路</TD>
 
    </TR>
 
    <TR>
 
      <TD rowspan="3">公益的施設用地</TD>
 
      <TD>商業・業務用地</TD>
 
      <TD align="right">77.6</TD>
 
      <TD align="right">3.5</TD>
 
      <TD>都市センター、地区センター、近隣センター</TD>
 
    </TR>
 
    <TR>
 
      <TD>教育施設用地</TD>
 
      <TD align="right">212.6</TD>
 
      <TD align="right">9.6</TD>
 
      <TD>幼稚園、小学校、中学校、高等学校</TD>
 
    </TR>
 
    <TR>
 
      <TD>その他の公益的施設用地</TD>
 
      <TD align="right">229.2</TD>
 
      <TD align="right">10.3</TD>
 
      <TD>誘致施設用地、公民館、児童館、病院、鉄道</TD>
 
    </TR>
 
    <TR>
 
      <TD colspan="2">特定業務施設用地</TD>
 
      <TD align="right">61.2</TD>
 
      <TD align="right">2.7</TD>
 
      <TD>事務所等の特定業務施設</TD>
 
    </TR>
 
    <TR>
 
      <TD colspan="2" align="center">合計</TD>
 
      <TD align="right">2,225.6</TD>
 
      <TD align="right">100.0</TD>
 
      <TD></TD>
 
    </TR>
 
</TABLE>
 
 
 
=== 鶴牧・落合地区のオープンスペース計画 ===
 
[[File:多摩市にある奈良原公園の桜並木(2014年4月7日撮影) 16x9.jpg|thumb|250px|奈良原公園の桜並木]]
 
[[File:多摩市、鶴牧東公園の「鶴牧山」131106.JPG|thumb|鶴牧東公園の「鶴牧山」]]
 
多摩ニュータウンでは[[オイルショック]]以降の方針転換で30%以上のオープンスペース(公園緑地等)を確保することとして整備が進んでいた。しかし、このように確保された多くのオープンスペースが中高層住宅に埋もれてしまい、認知されにくいと指摘されていた。そのため、鶴牧・落合地区の整備にあたっては計画が見直され、いまあるような街並みが整備されることになった。<ref name="tamant_archive1_p235">『多摩ニュータウンアーカイブプロジェクト -第1編-』 多摩ニュータウン学会、2010年、235ページより。</ref>
 
 
 
そこで鶴牧・落合地区ではオープンスペースを街の骨格構造にしてしまおうという発想のもとに設計された。一般的に街の骨格構造は道路ネットワークを中心に認知されるため、新たな試みとして、建物は全く描かず、[[公園]]と[[歩行者専用道路]]のみが描かれた図面が作られた。従来「皆が平等に公益を受ける」という考え方から公園はまんべんなく散りばめられていたが、その考え方を逸脱せずにどのように骨格構造となるような空間を作り出すか様々な検討が行われ、4つの[[公園#都市基幹公園|近隣公園]]をリング状に連続的に配列し「基幹空間」が作り出された。<ref name="tamant_archive1_p235"/>
 
 
 
基幹空間の外環にあるのが「基幹空間系」を補完する「リング系」で、歩行者専用道路や[[公園#都市基幹公園|街区公園]]で形成され、多摩ニュータウンにおける「みち空間」の組織化を図っている。さらにその外側の「外周系」は3系統あり、東側は地区東端から[[多摩中央公園]]・遺跡公園([[東京都埋蔵文化財センター]])に至る系統、西側は地区西部から唐木田へ連なる系統、南側は多摩よこやまの道が該当する。他にこれらを補完する「独立系」があり、「基幹空間系」「リング系」「外周系」「独立系」で鶴牧・落合地区のオープンスペースを形成している。<ref name="jigyoshi_shiki1_p127">『多摩ニュータウン開発事業誌 -市域編I-』 UR都市機構、平成20年、127,130ページより。</ref>
 
 
 
歩行者専用道路は、地区内にある全ての集合住宅・戸建て住宅地、公園や小中学校、施設等を結び、[[多摩センター駅]]前の[[ペデストリアンデッキ|歩行者デッキ]]に接続している。車道との交差部分は、全て歩道橋による立体交差となっていて、車道を一切横断することなく地区全域および駅前へと移動を可能にしている。<ref name="jigyoshi_shiki1_p127"/>
 
 
 
景観も重視して街づくりが行われることになり、「ヴィジュアルプラン」が作成された。これは「見る・見られる」意識したもので、今でいう景観計画の先駆的事例だった。景観も建物まわりの街並みといったスケールだけでなく、街の概括的な眺めを作り出すことが意識された。特に「山」の景観が重視され、基幹空間を構成する「富士見通り」は、[[富士山]]の方向に向かって一直線に整備されている。また自分たちの街を見渡すことができる視座・場所を創出しようと、鶴牧東公園にある小丘の「鶴牧山」をはじめ、地区のあちこちに眺望ポイントが設けられた。<ref name="tamant_archive1_p235"/>
 
 
 
鶴牧・落合地区における最初の住宅供給は[[1982年]](昭和57年)に行われ、当時一世を風靡していたタウンハウスを中心に供給された。[[住宅・都市整備公団|公団]]の当時の技術者たちはここを「[[田園調布]]のような場所にしたい」という思いがあり、本部にこの計画が持ち上げられた際には、勤労者向けの住宅を供給するという公団の使命に反することから、ひどく叱られたという。分譲価格も一般的に約2500万~2600万円だった時代だったが、ここでは約4800万円で売りに出され、当時新聞で「公的機関が高額物件を売っている」と批判を浴びた。<ref name="tamant_archive1_p235"/><ref name="tamant_archive2_p161">『多摩ニュータウンアーカイブプロジェクト -第2編-』 多摩ニュータウン学会、2011年、31,161ページより。</ref>
 
 
 
結果的にこの贅沢な街並みは、日本全国の計画都市のなかでも突出してユニークな都市景観となり、「街全体が公園のようだ」と評価されている。[[1983年]](昭和58年)に放映され大ヒットドラマとなった「[[金曜日の妻たちへ]]」は、この鶴牧・落合地区が撮影地として多用された。また鶴牧・落合地区の街づくりを評価されて公団は、[[1983年]](昭和58年)に「緑の都市賞」、[[1985年]](昭和60年)に「日本都市計画学会計画設計賞」、[[1993年]](平成5年)に「日本造園学会特別賞」を受賞している。<ref>『ニュータウンの生活文化と都市環境デザイン』 都市環境デザイン会議、1997年、58ページより。</ref><ref>『多摩ニュータウン研究 No.15 2013』多摩ニュータウン学会 p.110</ref><ref name="tamant_archive2_p161"/>
 
[[ファイル:tama newtown panorama.jpg|thumb|800px|center|鶴牧・落合地区の街並み]]
 
 
 
== 商業 ==
 
[[File:ケーズデンキ多摩ニュータウン店150920.JPG|thumb|ケーズデンキ多摩ニュータウン店|alt=ケーズデンキ多摩ニュータウン店]]
 
多摩ニュータウンの商業的な特徴として、駅前には「都市センター」や「地区センター」として商業核が設定され、「都市センター」には百貨店を含む都市型商業施設、「地区センター」には量販店を基軸とした郊外型商業施設の進出が盛んである。また、住区内の「近隣センター」には日用品を充足する店舗、区画整理事業地区にはコンビニエンスストアや特色ある個人商店が多く点在している。
 
 
 
近年は特に郊外型の大型店が増加傾向にあり、広大な売場面積を持つ新形態の「三井アウトレットパーク多摩南大沢」や[[カインズホーム]]・[[ケーヨー|ケーヨーデイツー]]・[[コーナン]]・[[ユニディ]]など大規模ホームセンターと、[[ドン・キホーテ (企業)|ドン・キホーテ]]のような総合ディスカウントストア、[[ギガスケーズデンキ|ケーズデンキ]]・[[ヤマダ電機]]・[[ノジマ]]といった[[家電量販店]]などが多数進出している。
 
 
 
以下には「都市センター」や「地区センター」となっている駅周辺について、ニュータウンの東側の地区より記述する。
 
 
 
=== 若葉台駅周辺 ===
 
:[[若葉台駅]]前は「地区センター」として整備されており、[[東京都]]の「[[都心等拠点地区]]」に位置付けられている。若葉台駅の[[1974年]](昭和49年)の開業後しばらくの間、駅周辺は多摩ニュータウンの外側の[[川崎市]]側に小さな商店が見られる程度だったが、[[1999年]](平成11年)に進出した[[三和]]・[[ユニディ]]を皮切りに、[[2006年]](平成18年)に「[[フレスポ]]若葉台WEST」、[[2007年]](平成19年)に[[ケーズデンキ]]、[[2009年]](平成21年)には[[ノジマ|ノジマ電機]]が主要テナントの「[[フレスポ]]若葉台EAST」がオープンし、土日には賑わいを見せている。[[多摩市]]内の[[鎌倉街道]]から[[川崎市]]の[[新百合ヶ丘駅]]方面を結ぶ道路の完成を控え、[[2014年]](平成26年)には[[ヤマダ電機]]を中心とした「アクロスプラザ若葉台」が完成し、大規模書店の[[コーチャンフォー]]が首都圏初進出している。
 
 
 
=== 永山駅周辺 ===
 
:[[永山駅 (東京都)|永山駅]]前は「地区センター」となっていて、駅に隣接して[[1974年]](昭和49年)に多摩ニュータウンで最初に開業した複合商業施設「グリナード永山」や、[[ボウリング]]場や[[スーパー銭湯]]などがある娯楽施設ビルの「ヒューマックスパビリオン」、総合病院の[[日本医科大学多摩永山病院]]がある。
 
:グリナード永山の屋上からは3本の[[歩道橋]]が伸び、オフィス街区や住宅街の遊歩道([[歩行者専用道路]])と接続していて、車道を横断することなく移動を可能にしている。西側の歩道橋を渡った先には[[JTB]]研修所や[[富士火災]]多摩研修センター、[[アイフル]]コンタクトセンターがある。東側の歩道橋を渡った先には日本最古のMac専門店の「PlusYU」が入るアクロスビル、その先の遊歩道の階段を上った先には多摩永山情報教育センターがあり、遊歩道は馬引沢方面へと続いている。北側の歩道橋は、公民館や図書館などが入る「ベルブ永山」の間を抜け、永山北公園の遊歩道に接続し、その先には[[イトーヨーカドー]]研修センターがある。また、グリナード永山の1階・2階出口から、京王永山駅・小田急永山駅の両駅の高架下にある商業施設を1本の通路が貫いていて、1つの商店街のようになっている。
 
 
 
=== 多摩センター駅周辺 ===
 
[[File:多摩ニュータウン、多摩センター駅周辺の空撮2012.jpg|thumb|多摩センター駅周辺の空撮]]
 
[[File:多摩センター駅前の歩行者デッキ(2013年5月25日撮影).jpg|thumb|多摩センター駅前の歩行者デッキ]]
 
[[File:多摩中央公園131105s.jpg|thumb|多摩中央公園]]
 
:[[多摩センター駅]]南側の一帯は多摩ニュータウンの中心として、また周辺地域も含めた広範囲のエリアに高次な都市機能を提供するための「都市センター」として整備された<ref name="ur_tamant_planning"/>。駅北側は「多摩土地区画整理事業」で整備され、駅の南北を合わせて「多摩センター地区」を形成している<ref>『多摩ニュータウン東部地区施設誘致方針策定調査報告書』東京都多摩都市整備本部、1ページ。</ref>。
 
 
 
:この「多摩センター地区」は、[[東京都]]の「[[都心等拠点地区]]」に位置付けられている<ref>{{Cite web|author=東京都都市整備局|url=http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/seisaku/new_ctiy/pdf/katuyou_housin02-3.pdf|title=新しい都市づくりのための都市開発諸制度活用方針 - 拠点位置図|format=PDF|accessdate=2015年5月4日}}</ref>ほか、[[首都圏基本計画]]で[[多摩市]]が「[[業務核都市]]」とされていることから「業務施設集積地区」に位置付けられている<ref>{{Cite web|author=東京都都市整備局|url=http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/seisaku/gyomu/gyomu_hachio02.pdf|title=八王子・立川・多摩業務核都市基本構想本文|format=PDF|accessdate=2015年5月4日}}</ref>。主な企業として、[[ベネッセコーポレーション]]東京本社や[[朝日生命保険]]多摩本社、[[東京海上日動システムズ]]本社、[[ミツミ電機]]本社、[[みずほ銀行]]情報センターなどがあり、[[2007年]](平成19年)には[[CSK (企業)|CSK]]複合研究施設、[[ティアック]]本社、[[2009年]](平成21年)には[[JUKI]]本社が移転して来ている。[[2010年]](平成22年)には[[野村総合研究所]]データセンター、[[東京都民銀行]]研修センターが移転してくる予定である。
 
 
 
:商業施設としては、ファッションビルの「[[多摩カリヨン館]]」や、[[三越]]と多数の専門店が入る「[[ココリア多摩センター]]」(旧・[[多摩そごう]])、[[京王プラザホテル]]多摩の向かい側には[[イトーヨーカドー]]を核テナントとする「丘の上プラザ」があり、[[2005年]](平成17年)には駐車場跡地に[[ワーナー・マイカル・シネマズ]]と[[スポーツオーソリティ]]を核テナントとした複合商業施設「丘の上パティオ」も建設された。[[2006年]](平成18年)には[[ザ・ダイソー]]の大型店舗、[[2008年]](平成20年)に[[多摩中央公園]]に隣接して複合商業施設「[[クロスガーデン多摩]]」、2009年(平成21年)には駅ビルに複合商業施設「京王多摩センターSC」がオープンした。
 
 
 
:行政施設としては、多摩市役所多摩センター駅出張所、[[東京法務局|東京法務局多摩出張所]]、[[多摩中央警察署]]、[[多摩消防署 (東京都)|多摩消防署]]、[[多摩郵便局]]、[[東京都住宅供給公社]]多摩窓口などが、また文化施設としては、複合文化施設[[パルテノン多摩]]や[[多摩美術大学]]美術館のほか、屋内型[[テーマパーク]]の「[[サンリオピューロランド]]」が国内外から多くの観光客を集めている。
 
 
 
:これらの施設は全て、多摩センター駅から延びる[[ペデストリアンデッキ|歩行者デッキ]]で結ばれている。この歩行者デッキは、多摩ニュータウンの住宅街を網羅する[[歩行者専用道路]]とも接続し、住宅街から駅前まで車道を一切横断することなく行き来ができる。
 
 
 
:多摩センター駅には[[京王電鉄]]、[[小田急電鉄]]が乗り入れ、[[2000年]](平成12年)には[[多摩地域]]の南北方向のアクセスを担う[[多摩都市モノレール|多摩モノレール]]が開通し利用客を伸ばしている。京王線は日中、停車駅の少ない「快速」、[[新宿駅]]まで最速の直通29分で結ぶ「特急」(京王線において特急料金はかからない)、[[都営地下鉄新宿線|都営新宿線]]直通の「区間急行」が順番に4分~6分間隔で入線し、都心までの利便性は高くなっている。小田急線は[[東京メトロ千代田線]]・[[常磐線|JR常磐線]]直通の「多摩急行」が設置され、都心までの利便性が上がった。京王線・小田急線ともに新宿駅を起点としており、どちらかの路線が不通になっても、ほとんどの場合はもう一方を使うことができる。多摩モノレールは[[立川北駅|立川北]]まで24分で結ぶ。
 
 
 
:ライトノベル原作のメディアミックス作品『[[とある魔術の禁書目録]]』(および外伝『[[とある科学の超電磁砲]]』)では、多摩センター駅前を中心とした多摩ニュータウンの風景が作中における「学園都市」の背景モデルとして多く登場することから、多摩市ではこれにあやかり「とあるアニメの学園都市化計画」を展開しており、実際の地図にアニメの画像をリンクさせた限定非売品のマップ「学園都市広域詳細地図」の配布などのイベントが行われた<ref>{{Cite web|url=http://www.tamapre.jp/news/2010/12/22/toaru-anime-project.html|title=立川市と多摩市で限定マップ配布 人気アニメ連携で地域活性化 ニュース|たまプレ!-ハイパーローカル多摩メディア|accessdate=2011年4月9日}}</ref>。実際に多摩センター駅周辺には大学が多く、[[中央大学]]・[[帝京大学]]・[[桜美林大学]]・[[恵泉女学園大学]]・[[国士舘大学]]・[[東京医療学院大学]]などへのバスが発着している。
 
 
 
=== 京王堀之内駅周辺 ===
 
:[[京王堀之内駅]]前の「地区センター」には、駅直結のショッピングセンター「VIA長池」があり、[[2011年]](平成23年)には大型ホームセンターの「[[ミスターマックス]]」が進出している。また道路に隣接して自動車販売店が立ち並んでいる。駅南側の住宅街までは大きな高低差があるため、VIA長池の屋上から住宅街までは[[エスカレーター]]で高低差をカバーしている。
 
 
 
=== 南大沢駅周辺 ===
 
[[ファイル:Mitsui Outlet Park Tama Minami-Osawa.jpg|thumb|[[三井アウトレットパーク 多摩南大沢]]]]
 
:[[南大沢駅]]前は、[[東京都]]が施行した区域である「西部地区」の地区センターで、東京都の[[都心等拠点地区]]に位置付けられている。センターエリア南端のバスターミナルから、北端の[[首都大学東京]]にかけて[[ペデストリアンデッキ|歩行者デッキ]]が真っ直ぐに延び、これに沿って各種施設が配置されている。
 
 
 
:核となる商業施設が「[[三井アウトレットパーク]]多摩南大沢」であり、[[2000年]](平成12年)に「4人家族」というコンセプトのもと周辺の街並みと一体化した施設としてオープンした<ref>東京ウォーカー「[http://news.walkerplus.com/article/57705/ GWは開業20周年の「三井アウトレットパーク」へ!]」 2015年4月16日</ref>。商業施設は他にも「[[イトーヨーカドー]]南大沢店」や「[[TOHOシネマズ]]南大沢」があり、[[2006年]](平成18年)に「フォレストモール南大沢」が、[[2009年]](平成21年)には「フレンテ南大沢」がオープンした。
 
 
 
:大学は首都大学東京のほか、[[ヤマザキ学園大学]]が駅から程近くに立地している。[[2009年]](平成21年)には南大沢警察署が新設された。
 
 
 
== 主な進出企業 ==
 
[[File:ベネッセビル展望台より多摩センターのオフィス街区130525.jpg|thumb|多摩センターのオフィス街区]]
 
[[ファイル:Benesse Corporation in Tokyo in 2009.jpg|thumb|right|200px|ベネッセ東京本社]]
 
;多摩センター地区
 
*[[朝日生命保険]]多摩本社
 
*[[ベネッセコーポレーション]]東京本社
 
*[[東京海上日動システムズ]]本社
 
*[[みずほ銀行]]情報センター
 
*[[ミツミ電機]]本社([[東京証券取引所|東証1部]] 6767)
 
*[[JUKI]]本社
 
*[[ティアック]]本社(東証1部 6803)
 
*[[レイテックス]]本社([[マザーズ|東証マザーズ]] 6672)
 
*[[セコム]]HDセンター多摩
 
*[[SCSK]]多摩センター
 
*[[東京都民銀行]]研修所
 
*[[野村総合研究所]]東京第一DC
 
 
 
;永山地区センター
 
*[[ジェイティービー|JTB]]フォレスタ
 
*[[AIG損害保険]]トレーニングセンター
 
*[[アイフル]]コンタクトセンター
 
*[[セブン&アイ・ホールディングス]]多摩研修センター
 
 
 
;唐木田・長池業務エリア
 
*[[大和証券]]多摩研修センター
 
*[[三菱UFJ銀行]]多摩ビジネスセンター
 
*[[三菱自動車]]多摩デザインセンター
 
*[[丸紅]]多摩センター研修所
 
*[[全国労働者共済生活協同組合連合会|全労済]]情報センター
 
 
 
;若葉台地区
 
* [[テレビ朝日]]「テレビ朝日若葉台メディアセンター」<ref name="テレビ朝日">{{cite web|url=http://www.tv-asahi.co.jp/reading/touch/84921/|title=ゴーちゃん。若葉台メディアセンターに行ってきました! - テレビ朝日|accessdate=2017-02-12}}</ref><ref name="sumai.itot.jp">{{cite web|url=http://sumai.itot.jp/s1-wakabadai/269|publisher=sumai.itot.jp|title=「若葉台」駅前にまもなく誕生!テレビ朝日らしさを体験できる新施設 - sumai.itot.jp|accessdate=2016-12-31}}</ref>
 
 
 
;特別業務地区・尾根幹線沿道
 
*[[KDDI]]多摩通信センター
 
*KDDI多摩テクニカルセンター
 
*伊藤忠飼料水産食品事務所
 
*[[ケル]]本社([[ジャスダック|JASDAQ]] 6919)
 
*国際計測器本社(JASDAQ 7722)
 
*[[日本自動車連盟|JAF]]中央研修所
 
 
 
;小山ヶ丘地区
 
*[[三井倉庫]]多摩事務所
 
*[[日本バルカー工業]]MRTセンター
 
*[[サンリオ]]ディストリビューションセンター
 
 
 
== 各地区の特色 ==
 
多摩ニュータウンは[[多摩市]]、[[八王子市]]、[[稲城市]]、[[町田市]]にまたがっているため、それぞれ市域ごとに大きく分類する。
 
 
 
=== 多摩市にまたがる区域 ===
 
[[File:多摩市内で並走する京王線と小田急線140514.jpg|thumb|多摩市内の区域では京王相模原線と小田急多摩線が並走する]]
 
多摩市にまたがる区域には、[[1971年]](昭和46年)に多摩ニュータウンの第1次入居地区となった諏訪・永山地区や、多摩ニュータウンの中心として計画された多摩センター地区などが含まれる。なお、[[南多摩尾根幹線|尾根幹線道路]]沿いの地域の一部は、開発当初は[[多摩ニュータウン#町田市にまたがる区域|町田市に属しており(後述)]]、[[1973年]](昭和48年)[[12月]]に多摩市へ編入している。
 
 
 
[[新住宅市街地開発事業]]区域では4~12住区と17,18住区が該当し、[[土地区画整理事業]]区域は多摩土地区画整理事業区域、小野路第1~3土地区画整理事業区域が該当する。
 
 
 
街路は道路ごとにテーマをもって統一した並木が植栽されているのが特徴で、住区同士をネットワークする[[歩行者専用道路]]にも愛称名がつけられ、地区・近隣センターと住居地、公園や学校等を結んでいる。また、住民間の交流を活性化するため公設の「コミュニティーセンター」を地区ごとに設置している。
 
 
 
公園(地区公園・近隣公園・街区公園・保全緑地等)は市域全体で大小を含めて約200箇所設けられ、多摩市全体の面積当たりの公園面積は東京都で1位、人口当たりで2位となっている<ref>{{Cite web|url=http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/kouen/kouenannai/kouen_menseki.html|title=東京都都市公園等区市町村別面積・人口割比率表|accessdate=2014年2月5日}}</ref>。
 
 
 
; [[聖ヶ丘]](ひじりがおか)
 
: [[1984年]](昭和59年)入居開始の第4住区を構成し、一戸建てを中心とした地区として開発された。聖ヶ丘という地名は公募で、近くに[[旧多摩聖蹟記念館|聖蹟記念館]]があることに由来している。聖ヶ丘病院や[[多摩大学]]多摩キャンパス、陸上競技場と武道館を開設している多摩東公園がある。開発前は[[西武鉄道]]が砂利採取をしていて、「アパッチ砦」と呼ばれる送電塔の周囲だけを残して切り崩されたままの危険な状態だった。
 
; [[連光寺]](れんこうじ)
 
: 第4住区の東端を構成。連光寺は大字連光寺に由来している。大部分が都立桜ヶ丘公園と大谷戸公園になっている。
 
; [[関戸]](せきど)
 
: [[土地区画整理]]区域の東端を構成。関戸6丁目1~9番地が該当する。
 
; [[馬引沢 (多摩市)|馬引沢]](まひきざわ)
 
: [[土地区画整理]]区域の谷戸部筋に沿った地区である。当地区の南部は元々多摩ニュータウン事業区域外であったが、地主の強い要望があり「多摩ニュータウン多摩土地区画整理事業」の第二工区として開発された。馬引沢という地名は連光寺の小字、馬引沢に由来している。
 
; [[諏訪 (多摩市)|諏訪]](すわ)
 
[[File:多摩市豊ヶ丘における多摩ニュータウンの初期に開発された街並み1510082.JPG|thumb|初期入居地区の街並み]]
 
: [[1971年]](昭和46年)に第1次入居が行われた第4住区を構成する。開発当時の東京の住宅不足という時代背景を反映し、マンモス団地が建ち並ぶ。多摩ニュータウン開発前からある「馬引沢団地」と一体的に整備された。諏訪という地名は諏訪神社と連光寺の小字、諏訪越、諏訪坂に由来している。
 
; [[永山 (多摩市)|永山]](ながやま)
 
: [[1971年]](昭和46年)に第一次入居が行われた第5住区および多摩土地区画整理事業区域、小野路第三土地区画整理事業区域である。永山という地名は乞田の小字永山に由来している。開発当時の東京の住宅不足という時代背景を反映し、マンモス団地が建ち並ぶ。[[永山駅 (東京都)|永山駅]]の周辺は「地区センター」として整備され、「グリナード永山」や「ヒューマックスパビリオン」といった商業施設や、総合病院の「[[日本医科大学多摩永山病院]]」があるほか、金融企業等の研修センターが多く立地している。また、6丁目の「サービスインダストリーエリア」には、日本一大きい[[ブックオフ]]<ref>{{Cite news|url=http://hachioji.keizai.biz/headline/533/|title=ブックオフ、多摩永山の旗艦店を改装-グループ20周年へ向けイメチェンも|date=2010年3月22日|accessdate=2012-12-31}}</ref>とされる「ブックオフスーパーバザー多摩永山店」があり、他にも自動車販売店や中小企業の工場が集まっている。7丁目には「[[国士舘大学]]多摩キャンパス」がある。
 
; 乞田(こった)
 
: 乞田という地名は昔、干ばつで住民が領主に「田を乞うた」ことに由来している。幹線道路の多摩ニュータウン通りと桜並木の名所となる乞田川に沿った土地区画整理事業区域で地名は旧乞田の名残りである。
 
; [[貝取]](かいどり)
 
[[File:多摩ニュータウンの遊歩道として整備された鎌倉古道140503.jpg|thumb|遊歩道として整備された鎌倉古道]]
 
: 地区南端で第二次入居が行われ、[[1976年]](昭和51年)に入居開始した。第7住区を構成する。閑静な緑の多い落ちついた住宅環境が特色で、北側の丘陵地には里山を保全した貝取山緑地がある。貝取という地名は大字貝取から由来している。
 
; [[豊ヶ丘]](とよがおか)
 
: 地区南端で第二次入居が行われ、[[1976年]](昭和51年)に入居開始した。第8住区を構成する。豊ヶ丘という地名は落合の小字豊ヶ岡に由来している。憩いの場として里山を再生した豊ヶ丘北公園と大池や非常用の水槽を具備した豊ヶ丘南公園などがある。住宅・都市整備公団(当時)施工の集合住宅が圧倒的に多い住区であるが、[[1989年]](平成元年)の入居で従来から原則として排除されていた、新住区域への民間マンション進出に先鞭をつけた「コスモフォーラム多摩」がある。
 
; [[落合 (多摩市)|落合]](おちあい)
 
: 落合地区は青木葉通りに沿う多摩土地区画整理事業区域と、それを境界にして東西にある第9・10住区、[[尾根幹線道路]]付近の小野路第三土地区画整理事業区域で構成される。落合という地名は大字落合に由来している。第9住区は[[東京都住宅供給公社]]が単独で造成し、[[1976年]](昭和51年)に入居が開始された。続いて[[1982年]](昭和57年)に入居開始された第10住区では、第11住区(鶴牧)と一体の骨太のオープンスペースが特徴の独特な街づくりが行われた。[[公園]]や[[緑地]]が数多く配置され、高層階から見ると住宅街が緑に埋もれているように見える。なお、第10住区の北端は「多摩センター地区」で、鶴牧・落合地区を網羅する遊歩道(歩行者専用道路)が多摩センター駅前の[[ペデストリアンデッキ|歩行者デッキ]]に接続している。
 
; [[鶴牧]](つるまき)
 
[[File:多摩市落合の多摩ニュータウンの街並み151008.JPG|thumb|鶴牧・落合地区の街並み]]
 
: [[1983年]](昭和58年)に入居開始した第11住区の東部を構成する。鶴牧という地名は落合の小字鶴牧に由来している。北部は「多摩センター地区」におけるビジネスパークとして位置付けられ、企業の本社ビルや多摩中央警察署、集配局の多摩郵便局などが集積している。当住区から10住区(落合)にかけてのオープンスペース計画は特徴的で、多摩ニュータウン内でよく見られるように、公園と公園を「線」として遊歩道をつなげるだけではなく、鶴牧地区から落合地区(第10住区)にわたって大きな公園のそのものが連続してリング状に配置されている。加えてそこから延びる遊歩道(歩行者専用道路)は住宅街を網羅し、多摩センター駅前の歩行者デッキに接続している。公園どうしの接続や、遊歩道は車道と[[立体交差]]になっているので、住宅地から駅前、学校などへは車道を一切横断することなく行き来することができる。これらの「軸」となる富士見通り周辺は、特に桜の季節は市外からも大勢の人が集まるほどの名所にもなり、その景観のすばらしさから[[日本都市計画学会]]による日本都市計画学会賞「計画設計賞」を受賞している。
 
; [[唐木田]](からきだ)
 
: [[1991年]](平成3年)入居開始。第11住区および第12住区および土地区画整理事業区域である。唐木田という地名は落合の小字唐木田に由来している。広大なゴルフカントリーが隣接する戸建て住宅地(無電柱化したガーデンロード他)となっている。[[唐木田駅]]から延びる唐木田通りには小規模商店が立ち並び賑わいを見せている。他にも[[大妻女子大学]]多摩キャンパスや、企業の研修センター、小田急線の唐木田車庫、多摩清掃工場や総合福祉センターがあり、ちょうど[[八王子市]]と[[町田市]]に挟まれた細長い区域は「唐木田・長池業務地区」となっていて[[データセンター]]が多く立地する。南西部は町田市から[[多摩市]]に編入された区域があり、[[ぐりーんうぉーく多摩]]の敷地の約半分は多摩市から八王子市に編入された。
 
; [[愛宕 (多摩市)|愛宕]](あたご)
 
: [[1972年]](昭和47年)入居開始した第17住区を構成し、西隣に位置する八王子市鹿島とは同一住区をなしている。愛宕という地名は現存の[[愛宕神社]]に由来している。区域にはテニスコートなどのある愛宕東公園や里山を保全した愛宕山緑地があり、尾根筋の高台に沿って見晴らしを良好にしたマンモス団地が立ち並ぶ。
 
; [[東寺方]](ひがしてらがた)
 
: 第17住区の北東端のわずか2haの部分を構成。寺方という地名は付近に寺が多いことに由来し、八王子市恩方地区に同じく寺方があることから東がついた。区域にはわずか団地6棟が立っている。東寺方団地と呼ばれている。
 
; [[和田 (多摩市)|和田]](わだ)
 
: 第17住区の市道愛宕北通り以北を構成。区域には和田郵便局がある。和田団地と呼ばれている。
 
; [[山王下]](さんのうした)
 
[[ファイル:セコム研修所.jpg|thumb|セコム研修所]]
 
: 第18住区を構成し、北隣に位置する八王子市松が谷と同一住区をなす。山王下の由来は大字落合の小字山王下から来ているが、当初は多摩・八王子市境にあった「三本松」になる予定で、落合字山王下の既存住民が山王下を要望したため現在の地名になった。[[東京都立南多摩看護専門学校|都立南多摩看護専門学校]]があるほか、企業の研修施設やデータセンターが集積している。かつては[[東京都]]の多摩ニュータウン開発事業を統括していた「多摩ニュータウン開発本部」があった。
 
; [[中沢 (多摩市)|中沢]](なかざわ)
 
: [[1993年]](平成5年)入居開始。第11住区の北西部を構成する。中沢の由来は大字落合の小字中沢から来ている。当初は唐木田になる予定であったが、落合字中沢の既存住民が中沢を要望したため、中沢になった。地域には南多摩地域全体の医療を担う「多摩南部地域病院」や「新天本病院」などの大型医療機関が集積している。一戸建てと民間のマンションが多く、西端の谷戸部には花菖蒲の景勝地中沢池公園がある。加えて、多摩ニュータウン区域外に隣接して府中カントリークラブとクラブハウスがある。
 
; [[南野 (多摩市)|南野]](みなみの)
 
: 新住宅市街地開発事業区域7~11住区と小野路第1~2土地区画整理事業区域の、[[尾根幹線道路]]以南で構成される。南野は大部分が旧町田市小野路町で多摩市の南であることが名付けられた。[[恵泉女学園大学]]多摩キャンパスや、ナイター照明のある市営野球場とテニスコート、移築された古民家と池などを備えた一本杉公園がある。南野が位置するニュータウンと町田市との境界線となる尾根筋には連続して「[[よこやまの道]]」という遊歩緑道が整備されている。
 
 
 
=== 八王子市にまたがる区域 ===
 
[[File:南大沢駅前から都立小山内裏公園へと続く多摩ニュータウンの遊歩道の桜並木140401.JPG|thumb|200px|南大沢駅前から都立小山内裏公園へと続く遊歩道の桜並木]]
 
八王子市由木地区(旧[[南多摩郡]][[由木村]])に旧来よりある「堀之内・別所・東中野・大塚・松木・越野・南大沢・下柚木・上柚木・鑓水・中山」の11の区域の中に新住宅市街地開発事業地区(新住区10箇所)と、それらに含まれない土地区画整理事業地区が設けられた。その中で「松が谷・鹿島」の2住区は旧東中野・大塚区域に新たに設けられた地名である。
 
 
 
[[新住宅市街地開発事業]]区域では第12~20住区が該当し、[[土地区画整理事業]]区域は由木土地区画整理事業が施行されている。
 
 
 
別所・中山・上柚木・松が谷・鹿島地区を除き、多摩ニュータウン開発以前から住んでいる住民が多い。由木村は開発を反対する住民の意向から日野市への編入の向きもあったが、[[1964年]](昭和39年)[[8月1日]]に開発を推し進める派の[[八王子市]]に編入された。[[1971年]](昭和46年)に[[東京都]]から新住宅市街地開発事業の対象地域とされ、多摩ニュータウン開発が行われた。南大沢・上柚木地区周辺は[[歩行者専用道路]]網が充実している。
 
 
 
旧由木地区の11区域のそれぞれの詳細は次に掲げるとおりである。
 
; 東中野
 
: 現在のバス停「東中野」付近一帯である。[[中央大学]]がある。かつては「中野」と称したが、八王子市中央部に「中野」があったため、「東」の字を冠し「東中野」とした。ここも多摩ニュータウン開発以前からの住民が大変多い。明治期より「由木東小学校」がある。この小学校は[[学制]]が布かれた際「生蘭学舎」という名前で設立された。なお、現東中野区域のほとんどはニュータウンの域外に位置するが、東中野2000番台は土地区画整理事業区域の東端のわずかの領域に入っている。
 
; [[堀之内 (八王子市)|堀之内]]
 
: 現在の「[[京王堀之内駅]]」の北側一帯である。3本通う幹線道路周辺の広い範囲が土地区画整理事区域であり、野猿街道北側には新住宅市街地開発事業区域の第19住区があるが、第19住区は堀之内3000番台および256・661番地からなる東山住宅で構成される。かつては京王堀之内駅付近(現在の八王子市堀之内3丁目)を「堀之内日影地区」、野猿街道沿い(バス停の「由木堀之内」付近・現在の八王子市堀之内2丁目)を「堀之内日向地区」と呼んでいた。
 
: 多摩ニュータウン開発以前からの住民が大変多い。ニュータウン開発の際、家を新築した住民が多く昔ながらの家々は少なく、その住民らが建てた賃貸[[マンション]]が多くある。[[中央大学]]や[[東京都立大学]]([[首都大学東京]])、[[東京薬科大学]]の学生も多く住む。また、東京薬科大学や[[京王電鉄]]の[[京王資料館]]もある。なお、一時期「八王子市の東の玄関口」と称されていた。
 
; [[別所 (八王子市)|別所]]
 
[[File:せせらぎ緑道と多摩NTノナ由木坂団地160426.JPG|thumb|せせらぎ緑道]]
 
: 現在の「京王堀之内駅」の南側一帯の第12住区である。多摩ニュータウン開発をするまでは丘陵地帯であり住民もほとんどいなかった。現在は住都公団(当時)と都公社が建設した分譲住宅等が多く立ち並んでいる。里山を保全した長池公園付近には東京四谷にあった[[四谷見附橋]]を生きた文化財として移築した長池見附橋もある。このライブ長池地区は[[2001年]](平成13年)度に首都圏初の「美しいまちなみ大賞」(国土交通大臣による)を受賞している。
 
: [[京王堀之内駅]]の名称は当初「別所」が予定されていたが、駅北側に多く住む開発以前からの住民に配慮して、駅北側の地名である「堀之内」を付けることになった。
 
: 尾根幹線道路沿いは[[多摩市]]にまたがって「唐木田・長池業務地区」となっており、八王子市別所側には商業施設が多く、多摩市唐木田側にはデータセンターや研修施設が多く立地している。商業施設は総合ドラッグストアのカワチ、家電量販店のケーズデンキのほか、そこに隣接して[[ぐりーんうぉーく多摩]]という大規模な複合商業施設が[[2007年]](平成19年)春にオープンし、核テナントとなる[[コーナン]]、[[ニトリ]]、[[ベルク (企業)|ベルク]]、[[ヤマダ電機]]などが開店している。
 
; [[松木 (八王子市)|松木]]
 
: 現在の「京王堀之内駅」の西側一帯、バス停「浅間神社前」・「フェアヒルズ入口」一帯である。土地区画整理事業による開発で多摩ニュータウン開発以前からの住民が大変多い。ニュータウン開発の際、家を新築した人が多いため、昔ながらの家々は残っていない。なお、新住区として第13住区を構成する松木中学校がある付近の旧松木区域の一部が、別所1丁目に地名変更されている。
 
; 越野
 
: 現在のバス停「帝京大学中高校」一帯である。土地区画整理事業区域の[[野猿街道]]沿いは多摩ニュータウン開発以前からの住民が大変多いが、街道裏手には新住宅市街地開発事業区域の第19住区西部があり、開発後に来た住民の家々が立ち並んでいる。
 
; [[南大沢]]
 
[[File:多摩ニュータウン南大沢地区の街並み160420.jpg|thumb|南大沢地区の街並み]]
 
: 現在の「[[南大沢駅]]」周辺である。[[多摩ニュータウン通り]]を境界にして[[新住宅市街地開発事業]]区域の第14・15住区を構成。現在のバス停では「大田橋(旧南大沢)」・「南大沢駅」一帯である。かつては「大沢」と称したが、同じ南多摩郡内に別の「大沢」(現在の八王子市[[加住町]]二丁目)があったため、[[明治]]時代の旧村時代にそれぞれ「南」・「北」の字が冠された。
 
: 多摩ニュータウン開発以前は[[大田川 (東京都)|大田川]]沿いや日向などに農家が点在していたが、ニュータウン開発時の全面土地買収による造成で、今のように広大な範囲に住宅等が整備された。駅開設直後は駅舎周辺一帯が更地であった。しかし、それゆえ「地区センター」として大胆に白紙開発が出来たため[[東京都立大学]](当時、現・[[首都大学東京]])の誘致や大規模なショッピングセンター等が立地し、公的施設として福祉センター・図書館・市民センターを複合した文化会館がある。また[[2009年]](平成21年)[[4月]]、南大沢1丁目に地域を所轄する「[[南大沢警察署]]」が新設され、3丁目には消防署の建設計画がある。
 
: [[1990年]](平成2年)前後に公団が分譲し、統一感のある優れた景観から話題を呼び「BCS賞」を受賞していた「ベルコリーヌ南大沢」は42棟中20棟が施工に問題ありとされ建替えが行われている。
 
; [[下柚木]]
 
: 現在のバス停「由木中央小学校」・「[[由木折返場]]」一帯である。その一部に新住宅市街地開発事業区域の第20住区を構成。明治期より「由木中央小学校」がある。ここも多摩ニュータウン開発以前からの住民が大変多い。また、旧来からの山々や林も若干残っており、松木地区と接する新住区域には広大な富士見台公園がある。
 
; [[上柚木]]
 
[[ファイル:Kamiyugi Park Tx-re.jpg|thumb|[[上柚木公園]]]]
 
: 現在の「南大沢駅」北側一帯である。第21住区を構成。多摩ニュータウン開発をするまでは山林が主体の丘陵地帯であり、住民もほとんどいなかった。現在は、住都公団(当時)が建設した分譲住宅等が多く立ち並んでいる。広大な[[上柚木公園]]があり本格的な陸上競技場や野球場などを備えている。
 
; [[鑓水]]
 
: 現在のバス停「鑓水中央」一帯である。その一部に第16住区を構成。八王子周辺は古くから[[養蚕業]]が盛んだったが、開港場・横浜へ向かう街道(愛称「[[絹の道]]」)もあって、財をなした生糸商人が多く、「鑓水商人」と呼ばれた。当時を偲ばせるものとして「絹の道資料館」や[[1878年]](明治11年)に造られた「小泉家屋敷」がある。また、街の西端には[[多摩美術大学]]がある。八王子市域の中では優先分譲地を除き開発が残された住区となっていたが、鑓水公園などが整備され近年、急速に宅地化が進んでいる。
 
; [[鹿島 (八王子市)|鹿島]]
 
: [[多摩モノレール]]の[[松が谷駅]]の東側に位置し、第17住区を構成する。[[八王子市役所#事務所(横山・館・由木東・恩方・川口・加住・由井・石川)|八王子市役所由木東事務所]]や自然林を活用した大塚東公園がある。鹿島という地名の由来は昔、このあたりに鹿島神社があったからといわれている。
 
; [[松が谷 (八王子市)|松が谷]]
 
: [[多摩モノレール]]の[[松が谷駅]]の西側に位置し、第18住区を構成する。緑が深く森の中の街という印象で、大塚公園、大塚西公園、望地公園、東中野公園、乳母が丘公園と公園が多い。[[大塚公園 (八王子市)|大塚公園]]には、野球場、テニスコート、プールが設備されている。また、[[デジタルハリウッド大学]]や外国語科がある[[東京都立松が谷高等学校|都立松が谷高校]]もある。松が谷という地名の由来はこのあたりに松が谷戸という谷があったからといわれているが、現在は造成により地形が変化し丘陵部の高台にある住区となっている。
 
 
 
多摩市との境界付近にある鹿島・松が谷の2地区は、マスタープランで定めた新住区と行政区の区域割りが一致しておらず、同一住区内でそれぞれが多摩市側の愛宕・山王下と重なり、多摩市役所や多摩センター駅にも近いため、生活圏は完全に多摩市側に組み込まれている。そのことから、[[1982年]](昭和57年)に両地区住民が八王子・多摩両市に対して「鹿島・松が谷地区の多摩市編入」を求める陳情を提出したが、旧由木村が八王子市に編入される際に起こった衝突の二の舞<ref>当時、由木村は「八王子市編入派」と「日野市編入派」の対立が並々でなく、新聞等で報道される程の事件や運動が起こっていた。最終的には住民投票によって「八王子市編入」が「日野市編入」を上回ったため、八王子市に編入された。</ref>を恐れて「鹿島・松が谷地区の多摩市編入反対」の陳情を出した。
 
 
 
これに対して、多摩市議会は「鹿島・松が谷地区の多摩市編入」を可決したものの、八王子市議会は「鹿島・松が谷地区の多摩市編入」を否決して現在も「鹿島・松が谷地区」は八王子市に留まることとなる。
 
 
 
その結果として、八王子市は当地区へ市役所の出張事務所や公園施設の充足を図ったが、住民は合理的な学校区の選択などができず、本来の[[近隣住区]]理論に基づいた街の生活の利便性を享受しにくい環境が生じている。また、両市にまたがる境界付近にある開発用地の使途もなかなか定まらない状況になっている。
 
さらに、鹿島・松が谷の他にも行政サービスの均一化の観点から別所二丁目など八王子市域新住区の住民で多摩市への編入を望む意見が多い<ref>ニュータウン再生への途 ~多摩・高蔵寺・千里ニュータウン住民意識調査~ 大妻女子大学社会情報学部人文地理学研究室</ref>。
 
 
 
=== 稲城市にまたがる区域 ===
 
[[ファイル:Kohyohdahi.JPG|thumb|200px|[[向陽台 (稲城市)|向陽台]]の公園通り及び[[城山公園 (稲城市)|城山公園]]のファインタワー]]
 
稲城にまたがる区域は多摩ニュータウンの東端を形成し「'''ファインヒルいなぎ'''」のネーミングを持つ。当初は多摩ニュータウン計画に含まれていなかったが、稲城村(当時)の熱心な働きかけにより新住宅市街地開発事業区域に組み込まれることになった地域である。
 
 
 
新住宅市街地開発事業区域の第1~3住区が該当するほか、堂ヶ谷戸、百村、竪台といった土地区画整理事業が行われている。
 
 
 
[[1971年]](昭和46年)に建設大臣の事業承認を受けるも、先行した多摩市域のニュータウン開発に目をつけた企業が転売益を狙って土地買収に参入、土地収用は難航する。またニュータウン区域の排水問題をいかに解決するかにも手間取り開発の開始までに16年間を要した。
 
 
 
; [[向陽台 (稲城市)|向陽台]]
 
: [[稲城駅]]北西に位置し、[[新住宅市街地開発事業]]区域の第1住区を構成する。また、地区の北部はJR[[南武線]][[南多摩駅]]から徒歩圏である。[[1988年]](昭和63年)より入居が開始され、集合住宅と戸建て住宅をうまく織りなしながら地形を生かした美しい景観が評価され、[[1995年]](平成7年)に「[[都市景観大賞]]」を受賞している。近隣には展望台のある広大な[[城山公園 (稲城市)|城山公園]]やショッピングセンター、市立の城山文化センター、中央図書館がある。向陽台の地名は公募であるが、地名の由来ははっきりしない。
 
; [[長峰 (稲城市)|長峰]]
 
: 向陽台と若葉台との間のなだらかな丘上に位置し、新住宅市街地開発事業区域の第2住区を構成する。ゴルフカントリーが隣接し地域を見渡せる眺望の良い環境が特長で、陸上競技場や総合体育館などを備えた[[稲城中央公園]]がある。また、親水公園のある谷戸部を跨ぎ若葉台との住区間を上空で結んでいる巨大なアーチ橋「上谷戸大橋」が目を引く。長峰は公募であるが、地名の由来ははっきりしない。
 
; [[若葉台 (稲城市)|若葉台]]
 
[[ファイル:Wakabadai.JPG|thumb|若葉台地区の街並み]]
 
: [[若葉台駅]]北側一帯の第3住区である。新住宅市街地開発事業により開発されているが、旧[[住宅・都市整備公団]]が分譲住宅建設事業から撤退する前後の時期となる[[1999年]](平成11年)に街開きが行われたため、先鞭開発をした公団住宅が一部に存在するも、民間事業者による大規模[[マンション]]と戸建て住宅が多いのが特徴である。丘陵の起伏を利用した若葉台公園があり、駅前の「地区センター」には市役所出張所、ホール、図書館などのある市立複合文化施設「iプラザ」や「[[フレスポ]]若葉台」などの商業施設が充実し、それらは住宅、学校施設にもつながる[[歩行者専用道路]]で結ばれている。若葉台の由来は、その地が自然環境の豊かな旧来からの丘陵地で、若葉が多く派生する台地であったことから命名された。なお、若葉台の名前は京王線の駅名の方が先であり、街開き後に地名ができた。また、若葉台駅は稲城市ではなく、川崎市に入ったところに立地する。
 
; 百村
 
: 稲城中央公園の東に位置する。第2住区の一部と竪台土地区画整理地区を構成する。住所では百村2100番台にあたる。ほとんどが土地区画整理地区であるため、住宅地が多い。
 
 
 
=== 町田市にまたがる区域 ===
 
[[File:多摩ニュータウン多摩境地区の街並み(2013年10月12日撮影).jpg|thumb|250px|小山ヶ丘地区の街並み]]
 
[[File:Tamasakai.jpg|thumb|250px|多摩境駅周辺の大型マンション群]]
 
町田にまたがる区域は多摩ニュータウンの西端を形成し「'''町田グランネットタウン'''」のネーミングを持つ。
 
 
 
他市域に比べ事業開始が後発となり[[1988年]](昭和63年)に都市計画決定し、開発面積は174haで比較的狭い領域にある地区である。ニュータウンと既存地域との間にある丘陵南斜面になった境界地に建設するため、開発には両地域の整合性を考慮して「新住宅市街地開発法」は適用せず、従来からの緑豊かな自然環境を保全しつつ、ある程度自由な尺度の中で住宅ほか、商業、業務、リクリエーション、教育、文化厚生の諸施設が立地すべく開発誘致が行われているのが特徴である。
 
 
 
; [[小山ヶ丘]]
 
: [[多摩境駅]]一帯の東西に細長い地区。街づくりの手法は新住宅市街地開発事業ではなく、東京都施行の土地区画整理事業により開発されている。工業団地「まちだテクノパーク」があり、周辺には民間事業者によるマンションや[[コストコ]]などの大型量販商業施設が多く立地している。[[サレジオ工業高等専門学校]]がある。
 
 
 
; 開発初期の区域
 
:現在多摩市の区域となっている、[[南多摩尾根幹線|南多摩尾根幹線道路]]沿いの地域(永山・貝取・南野・豊ヶ丘・落合・鶴牧・唐木田)の一部は、多摩ニュータウンの開発初期まで'''町田市'''の[[小野路町 (町田市)|小野路町]]・[[下小山田町 (町田市)|下小山田町]]・[[上小山田町 (町田市)|上小山田町]]に属していたが、[[1973年]][[12月]]に多摩ニュータウン開発区域にあわせて町田市から多摩市へ編入し、それぞれ'''多摩市'''[[小野路町 (多摩市)|小野路町]]・[[下小山田町 (多摩市)|下小山田町]]・[[上小山田町 (多摩市)|上小山田町]]を経て現在の町名となった経緯がある。
 
:そのため、1973年の編入以降は[[小山町 (町田市)|小山町]](現・小山ヶ丘)が開発エリアになるまで、多摩ニュータウンに町田市域となる地区は存在しなかった。
 
 
 
== 交通 ==
 
=== 鉄道 ===
 
[[File:多摩ニュータウンを走る多摩モノレール(松が谷駅付近)150604.JPG|thumb|多摩ニュータウンを走る多摩モノレール]]
 
[[File:小田急電鉄唐木田車庫20130827.jpg|thumb|250px|小田急線の唐木田車庫]]
 
根幹となる公共交通機関として[[1974年]](昭和49年)から[[京王電鉄|京王帝都電鉄]](現京王電鉄)および[[小田急電鉄]]が新規鉄道路線で乗り入れている。両線とも鉄道建設公団方式による高速運転が可能な安全を最大限に留意した全線立体交差の新線で建設された。また、[[2000年]](平成12年)には多摩地域の南北間の連絡を担う[[多摩都市モノレール]]が乗り入れている。
 
* [[京王相模原線]]:[[若葉台駅]]、[[永山駅 (東京都)|京王永山駅]]、京王多摩センター駅、[[京王堀之内駅]]、[[南大沢駅]]、[[多摩境駅]]
 
* [[小田急多摩線]]:[[永山駅 (東京都)|小田急永山駅]]、小田急多摩センター駅、[[唐木田駅]]
 
* [[多摩都市モノレール線|多摩都市モノレール]]:[[多摩センター駅]]、[[松が谷駅]]
 
また、鉄道の各駅とそれぞれの近隣住区とはバスの路線網が整備され連絡をしている。さらに、[[聖蹟桜ヶ丘駅]]([[京王線]])、[[稲城駅]](京王相模原線)、[[橋本駅 (神奈川県)|橋本駅]](京王相模原線・[[横浜線]]・[[相模線]])、[[南多摩駅]]([[南武線]])といった区域外の駅を最寄りとする地区も存在する。
 
 
 
==== 多摩モノレール・小田急線の延伸 ====
 
[[多摩モノレール]]の[[多摩センター駅]]から[[町田駅]]方面・[[八王子駅]]方面への延伸が、東京都による次期整備路線(導入空間の確保に着手すべき路線)とされており、すでに町田方面へは[[多摩市]]内の全区間と[[町田市]]内の一部区間で導入空間が確保されている<ref>{{Cite web|author=町田市|url=https://www.city.machida.tokyo.jp/kurashi/sumai/kotsu/tamamonorail/20130705171218232.files/kouenshiryou.pdf|title=モノレールとまちづくり|accessdate=2013年9月10日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130927182446/https://www.city.machida.tokyo.jp/kurashi/sumai/kotsu/tamamonorail/20130705171218232.files/kouenshiryou.pdf|archivedate=2013年9月27日|deadlinkdate=2017年9月}}</ref>。町田市は「多摩都市モノレール町田方面延伸協議会」を設立し、町田市として延伸を推進している<ref>{{Cite news|url=http://machida.keizai.biz/headline/1300/|title=多摩モノレール「町田へ延伸」目指す-市が協議会設立|newspaper=町田経済新聞|date=2013年2月5日|accessdate=2013年9月10日|publisher=町田経済新聞}}</ref>。
 
 
 
また[[1990年]](平成2年)に唐木田地区の入居に合わせ多摩センター駅から[[唐木田駅]]まで延長された[[小田急多摩線]]は、[[相模原駅|JR相模原駅]]を経由して[[上溝駅]]に至るルートが運輸政策委員会の「今後、整備について検討すべき路線」とされ、[[相模原市]]が延伸の促進を重点プロジェクトに位置付けている<ref>{{Cite web|url=http://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/toshikotsu/20804/22611/001662.html|title=小田急多摩線の延伸の促進|相模原市|accessdate=2011年4月9日}}</ref>。
 
 
 
=== 道路 ===
 
道路は多摩丘陵の地形を礎にして配置されているが、前述の「近隣住区理論」に基づいて建設されている。幹線道路は基本的に旧谷戸部筋に配して、丘陵部にある住区内の生活道路と分離している。これにより、生活道路域の安全と良好な環境を確保し、不要な通過交通および渋滞を排除している。各道路には原則として歩道が付加され安全性を高め、景観の向上と環境保全のため並木が植栽されている。また、特筆できるものとして一般の車道とは別に「[[歩行者専用道路]]網」が存在し、そのための立体交差の道路橋が数多く設置されている。
 
しかし、居住区外からの流入車が多い幹線道路には恒常的に渋滞が発生する地域があり、住区境を跨る箇所の生活道路も長い、もしくは急な坂が続くために、自転車利用者や歩行能力の衰えた者が高低差を移動する事が苦労となる地域も存在する。
 
 
 
; 多摩ニュータウン通り
 
[[ファイル:Tokyo prefectural road 158 01.jpg|thumb|250px|多摩ニュータウン通り]]
 
: 比較的走行車線の幅は広い。後述の[[南多摩尾根幹線]]を含めた正式名称は[[東京都道158号小山乞田線]]。西は町田街道に接する町田市小山町の多摩ニュータウン入口交差点を起点に、東は[[東京都道18号府中町田線|鎌倉街道]]と交わる多摩市乞田の乞田新大橋交差点までの区間。中央分離帯がある全線片側2車線で文字通り背骨になる幹線道路として多摩ニュータウンを東西に結ぶ大動脈。旧谷戸部筋を通し丘陵地を貫いているため途中2箇所にトンネル区間がある。
 
:大型貨物車の通行も多くバスも走行する上、道路沿いに店舗が多い事、交差する鎌倉街道など他の幹線道路とは平面で交差しており、信号の間隔も短いため乞田新大橋交差点など渋滞が発生する事も多いが、すいている時間帯は車両の走行速度は高く、夜間の交通量はかなり少ない為に閑静な佇まいも見せる。
 
; [[野猿街道]]
 
: ニュータウン区域の北側に沿う幹線道路の東京都道20号線で多摩ニュータウン通りと平行に走っている。ニュータウン開発後に拡幅やルート変更等の大幅な改良が行われ、上り線は[[多摩川]]に新しく架かった府中四谷橋を経由して、[[中央自動車道]]の[[国立府中インターチェンジ]]に直結している。下り線は下柚木交差点から先が東京都道160号線となり、野猿峠から[[京王線]][[北野駅 (東京都)|北野駅]]を経て[[東日本旅客鉄道|JR]][[八王子駅]]まで至る。
 
; 柚木街道
 
: 東京都道20号線の通称名は下柚木交差点から西方先が柚木街道に変わり国道16号線まで至る。
 
; [[南多摩尾根幹線]]
 
[[ファイル:Onekankoyodai.JPG|thumb|[[南多摩尾根幹線]]の幅50mの巨大な中央分離帯]]
 
: 多摩ニュータウン通りと並び多摩ニュータウンを代表する[[幹線道路]]。正式名は[[都市計画道路]][[多摩3・1・6号線]]([[1989年]](平成元年)以前は多摩1・3・4号線)であるが、「尾根幹」と略される事もある。広域交通ネットワークの東西交通網として[[1966年]](昭和41年)に都市計画決定された[[鶴川街道]]~[[町田街道]]間の延長13.8km・幅員32.5m - 58mの都道である。終点の町田街道から先も現道がありこれは神奈川県道である。この道路を経て将来的に圏央道に繋がる構想がある。最大幅員が58mもあるのは非常に広い中央分離帯を確保しているためであり、そこには本線部分が建設される計画である。
 
: 計画では中央に4車線の本線、その両側に各1車線の側道が配される。現在では側道部分はほぼ全通している。計画段階では永山団地・諏訪団地付近のみ団地の真横を側道が通過する構造であったが、これについては住民の反対運動が展開された為に現在では上り車線予定地を緩衝帯に用い、居住環境に配慮している。
 
: [[2005年]](平成17年)[[7月]]には町田市小山町 - 八王子市別所二丁目の本線部分が供用されるなど徐々に整備は進んでいる。
 
 
 
=== 歩行者専用道路網 ===
 
[[File:多摩ニュータウンにおける遊歩道と車道を立体交差にした歩車分離151115.jpg|thumb|250px|遊歩道と車道を立体交差にした歩車分離]]
 
多摩ニュータウンの[[新住宅市街地開発事業]]で整備された地域の都市基盤には各住区を結ぶ[[歩行者専用道路]](遊歩道)のインフラが網の目のように整備されている。この道路網は[[多摩丘陵]]の高低差をうまく利用することで車道と歩道を平面交差することなく立体的に分離し、モータリゼーションに起因する交通人身事故が発生しにくい安全な街を目指したもの。これら歩行者専用道路のほとんどは植栽を施したアメニティー空間の緑道となっており、区域内のすべての住宅、施設、公園や学校が結ばれている。[[多摩センター駅]]前や[[永山駅 (東京都)|永山駅]]前の[[ペデストリアンデッキ|歩行者デッキ]]にも接続しており、区域内の移動だけでなく、駅前へも歩行者専用道路だけでの移動が可能である。
 
 
 
{{-}}
 
 
 
== 多摩ニュータウンの大学 ==
 
[[ファイル:Tokyo Metropolitan University 2006 10 07 v4.jpg|thumb|[[首都大学東京]]]]
 
[[ファイル:Chuo univ from Chudaieki.jpg|thumb|[[中央大学]]]]
 
多摩ニュータウン区域内およびその近隣地域には以下の大学・短期大学・高等専門学校が立地している。
 
=== 公立大学 ===
 
* [[首都大学東京]]
 
** (旧・[[東京都立大学]] - 2011年3月31日まで)
 
=== 私立大学 ===
 
* [[中央大学]]
 
* [[帝京大学]]
 
* [[国士舘大学]]
 
* [[明星大学]]
 
* [[多摩大学]]
 
* [[東京薬科大学]]
 
* [[多摩美術大学]]
 
* [[大妻女子大学]]
 
* [[駒沢女子大学]]
 
* [[駒沢女子短期大学]]
 
* [[恵泉女学園大学]]
 
* [[デジタルハリウッド大学]]
 
* [[サレジオ工業高等専門学校]]
 
* [[ヤマザキ学園大学]]
 
* [[東京医療学院大学]]
 
 
 
== 東京都都市整備局の調査による人口 ==
 
[[東京都都市整備局]]都市づくり部多摩開発企画担当課は、[[住民基本台帳]]ベースでの集計作業を担っており、ここではそのデータを掲載する。
 
 
 
表中の「区整」は[[土地区画整理事業]]、「新住」は[[新住宅市街地開発事業]]を指す。
 
 
 
[[1975年]](昭和50年)以来の人口・世帯数の推移は以下の通りで、[[2010年]](平成22年)現在まで人口は増加を続けている。[[2000年]](平成12年)から2010年(平成22年)にかけては人口は約11%増加し、開発が続いていることによる人口の流入が伺える<ref>{{Cite web|url=http://www.nri.com/~/media/PDF/jp/opinion/teiki/region/2014/ck20140303.pdf|title=ニュータウンは「新たな郊外まちづくり」を牽引し得るか 株式会社 野村総合研究所|accessdate=2014年4月21日}}</ref>。2010年(平成22年)現在の人口は216,400人で、計画人口342,200人に対して63.2%の達成率である。
 
 
 
<TABLE class="wikitable">
 
  <TR>
 
      <TH colspan="8" align="center">多摩ニュータウンの人口・世帯数の推移(各年10月現在)</TH>
 
    </TR>
 
  <TR>
 
    <TH rowspan="2" width="50"></TH>
 
    <th colspan="3" align="center">人口(人)</th>
 
    <th colspan="3" align="center">世帯数(世帯)</th>
 
    <TH rowspan="2">出典</TH>
 
    </TR>
 
  <TR>
 
    <TH width="80">区整区域</TH>
 
    <TH width="80">新住区域</TH>
 
    <TH width="100">合計</TH>
 
    <TH width="80">区整区域</TH>
 
    <TH width="80">新住区域</TH>
 
    <TH width="100">合計</TH>
 
    </TR>
 
  <TR>
 
    <th>S50</th>
 
    <TD></TD>
 
    <TD align="right">30,239</TD>
 
    <TD align="right">30,239</TD>
 
    <TD></TD>
 
    <TD align="right">8,726</TD>
 
    <TD align="right">8,726</TD>
 
    <TD align="right"><ref name="tamant_jinko_suii"/></TD>
 
    </TR>
 
  <TR>
 
    <th>S55</th>
 
    <TD align="right">4,761</TD>
 
    <TD align="right">62,679</TD>
 
    <TD align="right">67,440</TD>
 
    <TD align="right">1,532</TD>
 
    <TD align="right">18,149</TD>
 
    <TD align="right">19,681</TD>
 
    <TD align="right"><ref name="tamant_jinko_suii"/></TD>
 
    </TR>
 
  <TR>
 
    <th>S60</th>
 
    <TD align="right">11,604</TD>
 
    <TD align="right">94,471</TD>
 
    <TD align="right">106,075</TD>
 
    <TD align="right">4,804</TD>
 
    <TD align="right">27,479</TD>
 
    <TD align="right">32,283</TD>
 
    <TD align="right"><ref name="tamant_jinko_suii"/></TD>
 
    </TR>
 
  <TR>
 
    <th>H2</th>
 
    <TD align="right">26,282</TD>
 
    <TD align="right">122,325</TD>
 
    <TD align="right">148,607</TD>
 
    <TD align="right">12,599</TD>
 
    <TD align="right">36,786</TD>
 
    <TD align="right">49,385</TD>
 
    <TD align="right"><ref name="tamant_jinko_suii"/></TD>
 
    </TR>
 
  <TR>
 
    <th>H7</th>
 
    <TD align="right">39,332</TD>
 
    <TD align="right">134,435</TD>
 
    <TD align="right">173,767</TD>
 
    <TD align="right">19,329</TD>
 
    <TD align="right">42,411</TD>
 
    <TD align="right">61,740</TD>
 
    <TD align="right"><ref name="tamant_jinko_suii"/></TD>
 
    </TR>
 
  <TR>
 
    <th>H12</th>
 
    <TD align="right">42,958</TD>
 
    <TD align="right">146,248</TD>
 
    <TD align="right">189,206</TD>
 
    <TD align="right">20,989</TD>
 
    <TD align="right">50,234</TD>
 
    <TD align="right">71,223</TD>
 
    <TD align="right"><ref name="tamant_jinko_suii"/></TD>
 
    </TR>
 
  <TR>
 
    <th>H17</th>
 
    <TD align="right">50,522</TD>
 
    <TD align="right">152,052</TD>
 
    <TD align="right">202,574</TD>
 
    <TD align="right">24,169</TD>
 
    <TD align="right">55,858</TD>
 
    <TD align="right">80,027</TD>
 
    <TD align="right"><ref name="tamant_jinko_suii">『多摩ニュータウン開発事業誌 -通史編-』 UR都市機構、平成18年、270頁。八王子市立図書館に所蔵。</ref></TD>
 
    </TR>
 
    <th>H22</th>
 
    <TD align="right"></TD>
 
    <TD align="right"></TD>
 
    <TD align="right">216,400</TD>
 
    <TD align="right"></TD>
 
    <TD align="right"></TD>
 
    <TD align="right"></TD>
 
    <TD align="right"><ref name="tamant_jinko_chosa_h22">{{Cite web|url=http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/bosai/tama/pdf/tama09.pdf|title=東京都都市整備局 多摩ニュータウン人口調査|accessdate=2013年3月5日}}</ref></TD>
 
    </TR>
 
</TABLE>
 
 
 
[[2010年]](平成22年)10月現在の多摩ニュータウンの行政区域別の人口、高齢者人口、高齢化率は以下の通りである。多摩ニュータウンの高齢化率は16.0%と、同年同月の日本の高齢化率
 
23.1%(住民基本台帳)と比べて低い値である。ただし多摩市にまたがる区域においては、第1次入居地区である諏訪・永山地区を含むため、21.0%と高くなっている<ref name="ntstudy2012_216"/>。
 
 
 
<TABLE class="wikitable">
 
  <TR>
 
    <th colspan="4">多摩ニュータウンの行政区域別人口(平成22年10月現在)<ref name="ntstudy2012_216">『多摩ニュータウン研究 No.14』 多摩ニュータウン学会、2012年、216ページより。</ref></th>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <th></th>
 
    <TH width="160">人口(人)</TH>
 
    <TH width="160">高齢者人口(人)</TH>
 
    <TH width="100">高齢化率</TH>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <th>稲城市内の区域</th>
 
    <TD align="right">25,684</TD>
 
    <TD align="right">2,713</TD>
 
    <TD align="right">10.6%</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <th>多摩市内の区域</th>
 
    <TD align="right">97,676</TD>
 
    <TD align="right">20,550</TD>
 
    <TD align="right">21.0%</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <th>八王子市内の区域</th>
 
    <TD align="right">84,629</TD>
 
    <TD align="right">10,642</TD>
 
    <TD align="right">12.6%</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <th>町田市内の区域</th>
 
    <TD align="right">8,411</TD>
 
    <TD align="right">682</TD>
 
    <TD align="right">8.1%</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <th>合計</th>
 
    <TD align="right">216,400</TD>
 
    <TD align="right">34,587</TD>
 
    <TD align="right">16.0%</TD>
 
  </TR>
 
</TABLE>
 
 
 
[[2005年]](平成17年)現在の地区別の人口は以下の通りである。
 
<TABLE class="wikitable">
 
  <TR>
 
    <TH colspan="11">多摩ニュータウンの地区別人口(平成17年10月現在)<ref>『多摩ニュータウン開発事業誌 -通史編-』 UR都市機構、平成18年、269ページより。</ref></TH>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TH colspan="2">区分</TH>
 
    <TH>町名</TH>
 
    <TH width="80">人口</TH>
 
    <TH width="80">世帯数</TH>
 
    <TD rowspan="53"></TD>
 
    <TH colspan="2">区分</TH>
 
    <TH>町名</TH>
 
    <TH width="80">人口</TH>
 
    <TH width="80">世帯数</TH>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TH rowspan="52">新<br /><br />住<br /><br />区<br /><br />域</TH>
 
    <TH rowspan="17">多<br /><br />摩<br /><br />市</TH>
 
    <TD>連光寺</TD>
 
    <TD align="right">35</TD>
 
    <TD align="right">9</TD>
 
    <TH rowspan="40">区<br /><br />整<br /><br />区<br /><br />域</TH>
 
    <TH rowspan="18">多<br /><br />摩<br /><br />市</TH>
 
    <TD>関戸</TD>
 
    <TD align="right">519</TD>
 
    <TD align="right">228</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TD>貝取(1~5)</TD>
 
    <TD align="right">8,397</TD>
 
    <TD align="right">3,055</TD>
 
    <TD>貝取</TD>
 
    <TD align="right">548</TD>
 
    <TD align="right">301</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TD>聖ヶ丘</TD>
 
    <TD align="right">5,706</TD>
 
    <TD align="right">1,955</TD>
 
    <TD>貝取(1~5)</TD>
 
    <TD align="right">906</TD>
 
    <TD align="right">444</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TD>山王下</TD>
 
    <TD align="right">246</TD>
 
    <TD align="right">245</TD>
 
    <TD>乞田</TD>
 
    <TD align="right">1,968</TD>
 
    <TD align="right">868</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TD>中沢</TD>
 
    <TD align="right">1,123</TD>
 
    <TD align="right">384</TD>
 
    <TD>聖ヶ丘</TD>
 
    <TD align="right">576</TD>
 
    <TD align="right">264</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TD>唐木田</TD>
 
    <TD align="right">1,049</TD>
 
    <TD align="right">338</TD>
 
    <TD>馬引沢</TD>
 
    <TD align="right">3,384</TD>
 
    <TD align="right">1,655</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TD>諏訪</TD>
 
    <TD align="right">6,867</TD>
 
    <TD align="right">3,176</TD>
 
    <TD>山王下</TD>
 
    <TD align="right">480</TD>
 
    <TD align="right">279</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TD>永山</TD>
 
    <TD align="right">12,018</TD>
 
    <TD align="right">5,363</TD>
 
    <TD>中沢</TD>
 
    <TD align="right">874</TD>
 
    <TD align="right">488</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TD>豊ヶ丘</TD>
 
    <TD align="right">9,175</TD>
 
    <TD align="right">3,518</TD>
 
    <TD>唐木田</TD>
 
    <TD align="right">1,124</TD>
 
    <TD align="right">552</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TD>落合</TD>
 
    <TD align="right">10,512</TD>
 
    <TD align="right">3,960</TD>
 
    <TD>諏訪</TD>
 
    <TD align="right">2,596</TD>
 
    <TD align="right">1,209</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TD>鶴牧</TD>
 
    <TD align="right">8,063</TD>
 
    <TD align="right">2,835</TD>
 
    <TD>永山</TD>
 
    <TD align="right">4,298</TD>
 
    <TD align="right">2,050</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TD>南野</TD>
 
    <TD align="right">365</TD>
 
    <TD align="right">133</TD>
 
    <TD>豊ヶ丘</TD>
 
    <TD align="right">2,033</TD>
 
    <TD align="right">968</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TD>東寺方</TD>
 
    <TD align="right">456</TD>
 
    <TD align="right">218</TD>
 
    <TD>落合</TD>
 
    <TD align="right">2,447</TD>
 
    <TD align="right">1,311</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TD>和田</TD>
 
    <TD align="right">1,333</TD>
 
    <TD align="right">623</TD>
 
    <TD>鶴牧</TD>
 
    <TD align="right">2,043</TD>
 
    <TD align="right">1,109</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TD>愛宕</TD>
 
    <TD align="right">5,303</TD>
 
    <TD align="right">2,278</TD>
 
    <TD>南野</TD>
 
    <TD align="right">1,260</TD>
 
    <TD align="right">634</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TH align="center">小計</TH>
 
    <TD align="right">70,648</TD>
 
    <TD align="right">28,090</TD>
 
    <TD>愛宕</TD>
 
    <TD align="right">529</TD>
 
    <TD align="right">285</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TD colspan="3"> </TD>
 
    <TH align="center">小計</TH>
 
    <TD align="right">25,585</TD>
 
    <TD align="right">12,645</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TH rowspan="19">八<br /><br />王<br /><br />子<br /><br />市</TH>
 
    <TD>下柚木3丁目</TD>
 
    <TD align="right">3,903</TD>
 
    <TD align="right">1,280</TD>
 
    <TD colspan="3"> </TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TD>上柚木2丁目</TD>
 
    <TD align="right">733</TD>
 
    <TD align="right">254</TD>
 
    <TH rowspan="13">八<br /><br />王<br /><br />子<br /><br />市</TH>
 
    <TD>下柚木2丁目</TD>
 
    <TD align="right">2,404</TD>
 
    <TD align="right">1,077</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TD>上柚木3丁目</TD>
 
    <TD align="right">5,985</TD>
 
    <TD align="right">1,970</TD>
 
    <TD>上柚木2丁目</TD>
 
    <TD align="right">383</TD>
 
    <TD align="right">177</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TD>堀之内3丁目</TD>
 
    <TD align="right">707</TD>
 
    <TD align="right">260</TD>
 
    <TD>南大沢1丁目</TD>
 
    <TD align="right">1,004</TD>
 
    <TD align="right">577</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TD>鑓水2丁目</TD>
 
    <TD align="right">5,891</TD>
 
    <TD align="right">1,921</TD>
 
    <TD>南大沢2丁目</TD>
 
    <TD align="right">1,404</TD>
 
    <TD align="right">797</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TD>南大沢1丁目</TD>
 
    <TD align="right">402</TD>
 
    <TD align="right">228</TD>
 
    <TD>越野</TD>
 
    <TD align="right">1,987</TD>
 
    <TD align="right">952</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TD>南大沢2丁目</TD>
 
    <TD align="right">835</TD>
 
    <TD align="right">335</TD>
 
    <TD>松木</TD>
 
    <TD align="right">4,035</TD>
 
    <TD align="right">1,792</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TD>南大沢3丁目</TD>
 
    <TD align="right">4,785</TD>
 
    <TD align="right">1,788</TD>
 
    <TD>別所1丁目</TD>
 
    <TD align="right">1,811</TD>
 
    <TD align="right">914</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TD>南大沢4丁目</TD>
 
    <TD align="right">5,140</TD>
 
    <TD align="right">1,709</TD>
 
    <TD>別所2丁目</TD>
 
    <TD align="right">447</TD>
 
    <TD align="right">124</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TD>南大沢5丁目</TD>
 
    <TD align="right">4,456</TD>
 
    <TD align="right">1,410</TD>
 
    <TD>堀之内2丁目</TD>
 
    <TD align="right">1,204</TD>
 
    <TD align="right">739</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TD>越野</TD>
 
    <TD align="right">6</TD>
 
    <TD align="right">1</TD>
 
    <TD>堀之内3丁目</TD>
 
    <TD align="right">1,762</TD>
 
    <TD align="right">1,122</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TD>松木</TD>
 
    <TD align="right">1,975</TD>
 
    <TD align="right">661</TD>
 
    <TD>東中野</TD>
 
    <TD align="right">293</TD>
 
    <TD align="right">218</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TD>別所1丁目</TD>
 
    <TD align="right">8,859</TD>
 
    <TD align="right">2,852</TD>
 
    <TH align="center">小計</TH>
 
    <TD align="right">16,734</TD>
 
    <TD align="right">8,489</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TD>別所2丁目</TD>
 
    <TD align="right">8,459</TD>
 
    <TD align="right">2,878</TD>
 
    <TD colspan="3"> </TD>
 
    </TR>
 
  <TR>
 
    <TD>堀之内</TD>
 
    <TD align="right">77</TD>
 
    <TD align="right">26</TD>
 
    <TH rowspan="5">稲<br />城<br />市</TH>
 
    <TD>長峰2丁目</TD>
 
    <TD align="right">114</TD>
 
    <TD align="right">35</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TD>鹿島</TD>
 
    <TD align="right">2,641</TD>
 
    <TD align="right">1,078</TD>
 
    <TD>百村</TD>
 
    <TD align="right">535</TD>
 
    <TD align="right">211</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TD>松が谷</TD>
 
    <TD align="right">5,513</TD>
 
    <TD align="right">2,183</TD>
 
    <TD>坂浜</TD>
 
    <TD align="right">1,090</TD>
 
    <TD align="right">446</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TH align="center">小計</TH>
 
    <TD align="right">60,367</TD>
 
    <TD align="right">20,834</TD>
 
    <TH align="center">小計</TH>
 
    <TD align="right">1,739</TD>
 
    <TD align="right">692</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TD colspan="3"> </TD>
 
    <TD colspan="3"> </TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TH rowspan="16">稲<br /><br />城<br /><br />市</TH>
 
    <TD>向陽台1丁目</TD>
 
    <TD align="right">413</TD>
 
    <TD align="right">136</TD>
 
    <TH rowspan="4">町<br />田<br />市</TH>
 
    <TD>小山ヶ丘</TD>
 
    <TD align="right">6,340</TD>
 
    <TD align="right">2,306</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TD>向陽台2丁目</TD>
 
    <TD align="right">262</TD>
 
    <TD align="right">90</TD>
 
    <TD>小山町</TD>
 
    <TD align="right">124</TD>
 
    <TD align="right">37</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TD>向陽台3丁目</TD>
 
    <TD align="right">625</TD>
 
    <TD align="right">218</TD>
 
    <TH align="center">小計</TH>
 
    <TD align="right">6,464</TD>
 
    <TD align="right">2,343</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TD>向陽台4丁目</TD>
 
    <TD align="right">2,612</TD>
 
    <TD align="right">895</TD>
 
    <TD colspan="3"></TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TD>向陽台5丁目</TD>
 
    <TD align="right">1,706</TD>
 
    <TD align="right">594</TD>
 
    <TD colspan="5"> </TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TD>向陽台6丁目</TD>
 
    <TD align="right">1,930</TD>
 
    <TD align="right">611</TD>
 
    <TH colspan="2">区分</TH>
 
    <TH>事業区域</TH>
 
    <TH>人口</TH>
 
    <TH>世帯数</TH>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TD>長峰2丁目</TD>
 
    <TD align="right">925</TD>
 
    <TD align="right">278</TD>
 
    <TH rowspan="10">全<br /><br />区<br /><br />域</TH>
 
    <TH rowspan="4">事<br />業<br />内<br />訳</TH>
 
    <TD>新住区域</TD>
 
    <TD align="right">152,052</TD>
 
    <TD align="right">55,858</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TD>長峰3丁目</TD>
 
    <TD align="right">3,468</TD>
 
    <TD align="right">1,187</TD>
 
    <TD>区整区域</TD>
 
    <TD align="right">50,522</TD>
 
    <TD align="right">24,169</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TD>若葉台1丁目</TD>
 
    <TD align="right">1,655</TD>
 
    <TD align="right">512</TD>
 
    <TH align="center">計</TH>
 
    <TD align="right">202,574</TD>
 
    <TD align="right">80,027</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TD>若葉台2丁目</TD>
 
    <TD align="right">2,115</TD>
 
    <TD align="right">717</TD>
 
    <TD colspan="3"> </TD>
 
    </TR>
 
  <TR>
 
    <TD>若葉台3丁目</TD>
 
    <TD align="right">2,680</TD>
 
    <TD align="right">849</TD>
 
    <TH rowspan="6">市<br />別<br />内<br />訳</TH>
 
    <TD>多摩市</TD>
 
    <TD align="right">96,233</TD>
 
    <TD align="right">40,735</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TD>若葉台4丁目</TD>
 
    <TD align="right">2,262</TD>
 
    <TD align="right">708</TD>
 
    <TD>八王子市</TD>
 
    <TD align="right">77,101</TD>
 
    <TD align="right">29,323</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TD>大丸</TD>
 
    <TD align="right">81</TD>
 
    <TD align="right">41</TD>
 
    <TD>稲城市</TD>
 
    <TD align="right">22,776</TD>
 
    <TD align="right">7,626</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TD>百村</TD>
 
    <TD align="right">303</TD>
 
    <TD align="right">98</TD>
 
    <TD>町田市</TD>
 
    <TD align="right">6,464</TD>
 
    <TD align="right">2,343</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TH align="center">小計</TH>
 
    <TD align="right">21,037</TD>
 
    <TD align="right">6,934</TD>
 
    <TH align="center">計</TH>
 
    <TD align="right">202,574</TD>
 
    <TD align="right">80,027</TD>
 
  </TR>
 
  <TR>
 
    <TD colspan="3"> </TD>
 
    <TD colspan="3"> </TD>
 
  </TR>
 
</TABLE>
 
 
 
== 遺跡 ==
 
多摩丘陵の遺跡に関しては[[明治|明治時代]]からいくつか調査されていたが多摩丘陵(多摩ニュータウン)の開発を行うにあたり、相当数の遺跡があると予想されていたため[[1965年]](昭和40年)から大規模な遺跡調査が始まった。 調査の結果、当初の予想を上回る[[縄文時代]]の遺跡が確認され、住居跡、土器、[[石器]]、獲物を獲るための落とし穴等が多数見つかり、広場を中心に密集した住居跡も複数検出された。[[多摩川]]の支流である[[大栗川]]、[[乞田川]]を中心に広範囲([[八王子市]]、[[多摩市]]、[[町田市]]、[[稲城市]]にまたがる)に複数の村を形成し、長い間(およそ7000年間)定住をしていたと思われる。
 
 
 
石器は後期[[旧石器時代 (日本)|旧石器時代]](約30,000年 - 10,000年前、ヨーロッパでは[[クロマニョン人]]が分布)のものから多数出土し、定住をし始めた[[縄文時代]]早期(約10,000年 - 6,000年前)から縄文時代前期(約6,000年 - 5,000年前)、縄文時代中期(約5,000年 - 4,000年前)を中心に住居跡などの遺跡が多く確認されている([[エジプト文明]]は約5,000年前)。
 
 
 
遺跡は縄文時代特有の狩猟や木の実などの採取を中心とした集団生活を窺うことができ、多摩川支流の高台(丘陵地帯)に[[竪穴住居]]を作り、長い間定住をしていたと思われる。八王子市の[[京王堀之内駅]]周辺では[[縄文人]]のものと思われる人骨も出土した。東北や近畿で作られた土器も見つかるなど日本各地と交流も行われていたことも窺える。
 
 
 
しかし縄文時代後期(約4,000年 - 3,000年前)になると遺跡は急激に減少し、縄文時代晩期(約3,000年 - 2,300年前)にはこの村はほぼ消滅している。
 
日本各地([[東京都|東京]]、[[神奈川県|神奈川]]で顕著)でこの減少は見られ、その要因として人口急増や気候の寒冷化に伴う食料の枯渇、[[箱根山]]、[[富士山]]の度重なる噴火や稲作の始まりとともに低地([[関東平野]])へ生活の場を移したことが考えられる。しかしそのことが多摩ニュータウン開発まで遺跡を手付かずのまま残す形となった。
 
 
 
最終的には964か所の遺跡が確認され、遺跡の名称にはそれぞれ番号が振られその発掘調査資料は貴重な資料として保管されている([[東京都埋蔵文化財センター]])。
 
 
 
=== 「最初の東京人」 ===
 
[[1987年]](昭和62年)、[[稲城市]]坂浜にある多摩ニュータウンNo.471-B遺跡から約5万年前の石器13点が発掘された。[[武蔵野ローム層]]の中にある約5万年前に箱根山が降らせた[[東京軽石層]]の直上と直下から出土したことから、「最初の東京人」の確かな証拠として一躍有名になった<ref>{{ cite book
 
| author = 竹内誠・古泉弘・池上裕子・加藤貴・藤野敦
 
| year = 1997
 
| title = 東京都の歴史
 
| publisher = [[山川出版社]]
 
| pages = 348+51p
 
| isbn = 4-634-32130-0
 
}}</ref>。[[1995年]](平成7年)[[3月]]にはこれらの石器13点が東京都指定[[有形文化財]]に指定された。
 
 
 
ところが、[[2000年]](平成12年)[[11月]]に東北旧石器文化研究所の[[藤村新一]]による一連の[[旧石器捏造事件]]が発覚。多摩ニュータウンNo.471-B遺跡からの石器の出土と発掘に同人らが関与していたことから、出土した石器の信頼性について再検討された。当時の事実関係や石材産地の同定などの調査の結果、出土状況が不自然であること、[[流紋岩]]質の石材産地が少なくとも200km以上離れていることなどから、「約5万年前の石器群という、これまでの評価をそのまま首肯することも困難である」という結論が出された<ref>{{ cite book
 
| author = 多摩ニュータウンNo.471-B遺跡調査委員会
 
| year = 2001
 
| title = 多摩ニュータウンNo.471-B遺跡出土石器に関する調査報告
 
| url = http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/press/tama.pdf
 
}}</ref>。多摩ニュータウンNo.471-B遺跡からの石器は、[[2001年]](平成13年)[[10月25日]]に有形文化財指定も解除されている。
 
 
 
現在、多摩ニュータウン地域で最も古い時代の石器が出土している遺跡は、八王子市の多摩ニュータウンNo.402遺跡などで、[[立川ローム層]]最下部から約3万年前 ([[日本列島の旧石器時代|後期旧石器時代]]前半) の石器が出土している。
 
 
 
== 多摩ニュータウンを舞台にした作品など ==
 
[[File:開発中の多摩ニュータウン第19住区(ベネッセビル展望台より13年8月18日撮影).jpg|thumb|多摩丘陵を切り開いて開発されている多摩ニュータウン第19住区(2013年撮影)]]
 
; [[平成狸合戦ぽんぽこ]]
 
:[[1994年]](平成6年)に公開された[[スタジオジブリ|ジブリ映画]]である。この作品は、初期の多摩ニュータウン開発をテーマにしていて、超自然的な能力を持つタヌキたちが、人間による山林の伐採や住宅地造成といった行為を阻止するため、様々な手段で抵抗するというあらすじとなっている。
 
; [[耳をすませば]]
 
: [[1995年]](平成7年)に公開されたジブリ映画。中学生月島雫と天沢聖司の恋愛物語で、[[聖蹟桜ヶ丘]]周辺が主な舞台となっているが、雫が住んでいる団地は、多摩ニュータウンで最初期に開発された愛宕・東寺方団地をモデルにしている。
 
; トワイライト
 
: 多摩ニュータウンをモデルとした架空のニュータウン「たまがわニュータウン」を主な舞台とする[[重松清]]の小説。
 
: 文中に「たまがわ中央駅」([[多摩センター駅]]がモデル)や「長山団地」(永山団地)、「T市立長山東小学校」(多摩市立東永山小学校)が登場する。
 
; [[ふたりはプリキュア|ふたりはプリキュア / ふたりはプリキュア Max Heart]]
 
: 作中の学校「ベローネ学院」の最寄り駅が[[若葉台駅]]という設定であり、校舎も当地の小中学校がモデルとなっている。ただし駅舎や駅前のモデルは[[新代田駅]]。
 
: '''[[一週間フレンズ。]]'''
 
: 原作は2011年から連載開始した葉月抹茶の青春恋愛漫画。本編は2015年11月から12月にかけて、日野市と多摩市を中心に撮影された。日野市の四谷橋ではランタン祭りのシーンや多摩センターではレンガ坂、聖蹟桜ヶ丘では桜ヶ丘一丁目の坂道など、かなり広範囲でロケが行われた。
 
: '''【ロケ地】'''
 
:* 聖蹟桜ヶ丘駅前・ヴィータブリッジ
 
:* 桜ヶ丘1丁目・階段上
 
:* 桜ヶ丘1丁目・道路
 
:* 多摩センター駅周辺遊歩道
 
:* 多摩市立青陵中学校(正門入口付近)
 
:* 貝取さんぽ道(青陵中付近)
 
:* 多摩大学附属・聖ヶ丘中学高等学校(教室内)
 
:* 多摩川河川敷(四谷橋付近(日野市))など
 
;TBS系ドラマ『[[東京エレベーターガール]]』
 
:ロケは[[多摩そごう]](現:[[ココリア多摩センター]])で行われた。
 
;TBS系『[[ドラマ30]]』枠内ドラマ[[ふしぎな話]]
 
: 多摩センター周辺が多く登場する。
 
;『[[名探偵コナン 時計じかけの摩天楼]]』『[[名探偵コナン 天国へのカウントダウン]]』
 
:作中に西多摩市として登場する。
 
;アニメ[[キテレツ大百科]] 293話
 
:多摩ニュータウンの名前で21世紀の近未来の街並みとして登場。
 
;[[とある科学の超電磁砲]]
 
:多摩センター駅前の風景が「学園都市」として多く登場する
 
; [[金曜日の妻たちへ]]
 
: [[1983年]](昭和58年)に放映され、大ヒット作品となったテレビドラマ。[[1980年代]]に落合・鶴牧地区で次々と建設されていった、「団地」とは違う設計を持つ「タウンハウス」が主な撮影地となっている。
 
; [[毎度おさわがせします]](パート1・パート2のみ)
 
: [[1985年]](昭和60年)放送のテレビドラマ。多摩センター駅周辺の多摩ニュータウンを撮影地として使用した作品として知られている。
 
; さよなら5つのカプチーノ
 
: [[1988年]](昭和63年)放送のテレビドラマ。撮影場所は南大沢駅周辺、南大沢1丁目の公園、パーラーキング周辺など。
 
; [[次男次女ひとりっ子物語]]
 
: [[1991年]](平成3年)放送。多摩ニュータウンで育った幼馴染3人を主人公とした恋愛ドラマ。撮影場所となったのは京王堀之内駅及び周辺地域。な
 
:
 
<!--
 
; [[応化戦争記シリーズ]]
 
: 多摩ニュータウンの成れの果てとでもいうべき巨大スラム「九竜シティ」が登場する。
 
; [[誰にも言えない]]
 
: 登場人物の松永夫妻([[賀来千香子]]・[[羽場裕一]])・山田夫妻([[佐野史郎]]・[[山咲千里]])が住んでいるマンションが[[ベルコリーヌ南大沢]]。
 
; [[電光超人グリッドマン]]
 
: 主に稲城市向陽台・多摩センター駅周辺・南大沢([[首都大学東京]]付近)
 
; [[定年ゴジラ]]
 
: 多摩ニュータウンをモデルとした架空のニュータウンを舞台とする重松清の小説。NHKでドラマ化された(※ ノート参照)。
 
-->
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{Reflist|2}}
 
  
 +
東京都西部,多摩丘陵に東京都が計画した大規模な住宅地。八王子,多摩,町田,稲城の4市にまたがる東西 14km,南北2~4kmの細長い区域で予定面積約 30km<sup>2</sup>。 1965年に開発計画が決定,東京都,住宅・都市整備公団 ([[都市再生機構]] ) ,東京都住宅供給公社が共同して 1966年から宅地造成を開始した。住宅だけでなく,学校,公園,ショッピングセンターなどの施設も整えられ,1971年から入居が開始された。多摩モノレールと小田急電鉄,京王電鉄が分岐する多摩センター駅南部には,多摩中央公園,文化施設,デパートや日本初の全天候型遊園地が立地。[[多摩丘陵都立自然公園]]に属する。
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== 関連項目 ==
 
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* [[都心等拠点地区]]
 
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== 外部リンク ==
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* [http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/bosai/tama/top.html 多摩ニュータウンについて(東京都都市整備局)] {{ja icon}}
 
* [http://tamashi-oka.jp/ 丘のまち~東京・多摩ニュータウンに暮らす~(多摩市)] {{ja icon}}
 
* [https://www.ur-net.go.jp/syutoken/nt/ UR都市機構|首都圏ニュータウン本部 - 多摩ニュータウンガイド] {{ja icon}}
 
* [http://www.tama-nt.org/ 多摩ニュータウン学会] {{ja icon}}
 
* [http://www.machisen.net/ 多摩ニュータウン・まちづくり専門家会議] {{ja icon}}
 
* [http://www.parthenon.or.jp/teitensatuei/gallery/teitengall.cgi パルテノン多摩定点撮影プロジェクトWEBギャラリー] {{ja icon}}
 
  
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2018/8/25/ (土) 02:17時点における最新版

多摩ニュータウン(たまニュータウン)

東京都西部,多摩丘陵に東京都が計画した大規模な住宅地。八王子,多摩,町田,稲城の4市にまたがる東西 14km,南北2~4kmの細長い区域で予定面積約 30km2。 1965年に開発計画が決定,東京都,住宅・都市整備公団 (都市再生機構 ) ,東京都住宅供給公社が共同して 1966年から宅地造成を開始した。住宅だけでなく,学校,公園,ショッピングセンターなどの施設も整えられ,1971年から入居が開始された。多摩モノレールと小田急電鉄,京王電鉄が分岐する多摩センター駅南部には,多摩中央公園,文化施設,デパートや日本初の全天候型遊園地が立地。多摩丘陵都立自然公園に属する。

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