外城制

提供: miniwiki
2018/8/9/ (木) 09:26時点におけるAdmin (トーク | 投稿記録)による版 (1版 をインポートしました)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先:案内検索

外城制(とじょうせい)とは薩摩藩(鹿児島藩)が行った地方支配の制度[1][2][3]1784年天明4年)、この呼称をと改めた[4]

概要

薩摩藩は、1871年明治4年)において人口比で26%の武士率であった[5]ように、武士の数が他藩に比べて非常に多かった。そこで領内を区分し、武士を分散させるために区分内の拠点ごとに定住させ、また軍事ネットワークの一端とした。更に、農山漁村や町場の支配の拠の為のとしても活用した。この拠点は、島津家当主の居城である内城[6]に対して外城(とじょう)と呼ばれ、近代以後の歴史用語として外城制 と定義された。

外城制は、戦国期島津氏における地頭[7]・衆中制[8]が変質したもので、領内各地の城砦に半農半士の武士の集団が駐屯・居住し、有事に領主・地頭の命令で戦闘員となる役割を担った。戦国末期~織豊期に、外城区域内の複数の城砦に拠っていた形態から、区域内の中心的城砦の山麓の(ふもと)集落と呼ばれるミニ城下町へ集住する形態へ移行した[9]

ひとつの外城は数ヶ村を区域とし、中心村の城砦や農山漁村主要部・交通の要衝に設置された地頭仮屋を中心として麓集落が広がり、武家屋敷が存在した。この外城の屋敷に住む武士を、鹿児島城下に住む城下士に対し外城士[10][11] と呼んだ。外城の行政は地頭の居館である地頭仮屋で行われたが、地頭は寛永以降は鹿児島城下へ定住するようになり[12]次第に軍事的意義も薄れていった。やがて上級郷士((あつかい)[13]、組頭、横目のいわゆる麓三役)が実質的支配にあたるようになった。

1878年明治11年)の郡区町村編制法に基づき設置された戸長役場においても、行政区域の大部分が郷(外城)を単位としたものであり、1889年(明治22年)の町村制実施時もほぼそのまま[14][15][16]として引き継がれた。小規模な郷[17]は1950年代の昭和の大合併で、大規模な郷[18]も21世紀初頭の平成の大合併でそのほとんどが合併を経験したが、現代においても枕崎市[19]長島町[20]など、郷がそのまま行政区域に合致する自治体が現存する。

外城一覧

以下に列記した外城(郷)は廃藩置県により薩摩藩が廃止になった明治4年時点に設置されていたものを順不同で同郡(近世旧郡)で記載し、その格付けについてはここでは特に記述しない。

薩摩国

  • 出水(出水郡
  • 高尾野(出水郡)
  • 野田(出水郡)
  • 阿久根(出水郡)
  • 長島(出水郡)
  • 高城(高城郡
  • 水引(高城郡)
  • 東郷(薩摩郡)
  • 平佐(薩摩郡)
  • 永利(薩摩郡)
  • 隈之城(薩摩郡)
  • 高江(薩摩郡)
  • 入来[21]薩摩郡
  • 樋脇(薩摩郡)
  • 山野(伊佐郡[22]
  • 大口(伊佐郡[22]
  • 羽月(伊佐郡[22]
  • 鶴田(伊佐郡[23]
  • 佐志(伊佐郡[23]
  • 黒木(伊佐郡[23]
  • 大村(伊佐郡[23]
  • 宮之城(伊佐郡[23]
  • 山崎(伊佐郡[23]
  • 藺牟田(伊佐郡[23]
  • 串木野(日置郡
  • 市来(日置郡)
  • 伊集院(日置郡)
  • 郡山(日置郡)
  • 日置(日置郡)
  • 吉利(日置郡)
  • 永吉(日置郡)
  • 伊作[24]阿多郡
  • 田布施(阿多郡)
  • 阿多(阿多郡)
  • 谷山(谿山郡
  • 加世田(河辺郡
  • 久志秋目(河辺郡)
  • 坊泊(河辺郡)
  • 川辺(河辺郡)
  • 勝目(河辺郡)
  • 鹿籠(河辺郡)
  • 喜入(給黎郡
  • 知覧[25](給黎郡)
  • 指宿(揖宿郡

大隅国

  • 馬越(菱刈郡
  • 湯之尾(菱刈郡)
  • 本城(菱苅郡)
  • 曾木(菱苅郡)
  • 吉松(桑原郡
  • 栗野(桑原郡)
  • 横川(桑原郡)
  • 日当山(桑原郡)
  • 溝辺(始良郡
  • 加治木[26](始良郡)
  • 帖佐(始良郡)
  • 重富(始良郡)
  • 山田(始良郡)
  • 蒲生(始良郡)
  • 踊(囎唹郡[27]
  • 曽於郡(囎唹郡[27]
  • 国分[28](囎唹郡[27]
  • 清水(囎唹郡[27]
  • 敷根(囎唹郡[27]
  • 福山(囎唹郡[27]
  • 恒吉(囎唹郡[29]
  • 末吉(囎唹郡[29]
  • 市成(囎唹郡[29]
  • 財部(囎唹郡[29]
  • 岩川(囎唹郡)
  • 百引(肝属郡
  • 高隈(肝属郡)
  • 鹿屋(肝属郡)
  • 花岡(肝属郡)
  • 大姶良(肝属郡)
  • 姶良(肝属郡)
  • 串良(肝属郡)
  • 高山[30](肝属郡)
  • 内之浦(肝属郡)
  • 桜島(大隅郡[31]
  • 牛根(大隅郡[32]
  • 垂水(大隅郡[32]
  • 大根占(大隅郡[32]
  • 小根占(大隅郡[32]
  • 田代(大隅郡[32]
  • 佐多(大隅郡[32]

日向国

  • 馬関田(諸県郡[33]
  • 吉田(諸県郡[33]
  • 加久藤(諸県郡[33]
  • 飯野(諸県郡[33]
  • 小林(諸県郡[33]
  • 野尻(諸県郡[33]
  • 高岡(諸県郡[34]
  • 倉岡(諸県郡[34]
  • 高原(諸県郡[33]
  • 高崎(諸県郡[35]
  • 高城(諸県郡[35]
  • 都城[36](諸県郡[35]
  • 須木(諸県郡[33]
  • [37](諸県郡[34]
  • 穆佐(諸県郡[34]
  • 山之口(諸県郡[35]
  • 勝岡(諸県郡[35]
  • 庄内(諸県郡[35]
  • 松山(諸県郡[38]
  • 志布志[39](諸県郡[38]
  • 大崎(諸県郡[38]

廃止された外城

薩摩国

  • 伊佐智佐(谿山郡、山田郷と合併し谷山郷)
  • 山田(谿山郡、伊佐智佐郷と合併し谷山郷)
  • 山田(薩摩郡、明治2年百次郷と合併し永利郷)
  • 百次(薩摩郡、明治2年山田郷と合併し永利郷)
  • 中郷(薩摩郡、明治3年東郷に編入)


脚注

  1. 薩摩藩による琉球王国支配体系はこれと異なる
  2. 支藩である日向国宮崎郡佐土原藩の外城制は、農山漁村主要部や交通の要衝に設置された仮屋を中心としていた
  3. 隣藩の人吉藩でも同様の制度が導入されていた。詳細は「人吉藩の略史」参照
  4. 郷の表記は「○○郷」でほぼ統一されているが、外城の表記は文献により様々である。「○○外城」の例(『肝付町の文化財』2007年)もあれば「外城○○」(『宮崎県史 通史編 近世 下』2000年)の例もある
  5. この時期の全国平均が約5%
  6. 島津氏の居城は1602慶長7)年に鶴丸城へ移転
  7. 敵対した一族や土豪を討滅・追放した後の土地に設置された地頭と呼称される軍事・行政を担当する代官のことを云い、中世荘園における地頭とは異なる
  8. 地頭を配置した城塞に集住した武士身分戦闘員
  9. 現在でも出水麓知覧麓の様に武家屋敷の面影を残している所もある
  10. 安永9年以降は郷士
  11. 薩摩藩家臣を参照
  12. 要衝地の長島甑島は地頭の赴任が継続して行われ、藩境の外城には地頭代を設置したり、中抑という役職を設置した外城も存在した
  13. 後に郷士年寄と改称
  14. 薩摩藩領では鹿児島・都城を除き、全て村として発足
  15. 大規模な郷は当時の村としては面積広大・人口多(平成の大合併前の「町」にほぼ相当)であり、加世田・伊集院・市来・出水・国分・串良など分割された例がある
  16. 宮崎県では郷内の飛地を解消するように編成された
  17. 主に一か村で構成されていた郷(黒木・藺牟田・新城など)や人口僅少な郷(大村・高隈など)、および市部に至近な郷(永利など)。鹿児島県の基準は総人口12,000人以下の自治体が対象
  18. 例として薩摩郡では入来・樋脇
  19. 町村制実施時(1889年)に鹿籠郷の範囲をもって東南方村が発足した後、1923年に町制施行し枕崎町と改称。市制施行は1949年。
  20. 町村制実施時(1889年)に長島郷を東西に分割(西長島村→長島町・東長島村→東町)した後、2006年に合併。
  21. 清色城を参照
  22. 22.0 22.1 22.2 北伊佐郡
  23. 23.0 23.1 23.2 23.3 23.4 23.5 23.6 南伊佐郡
  24. 伊作城を参照
  25. 知覧城を参照
  26. 加治木城を参照
  27. 27.0 27.1 27.2 27.3 27.4 27.5 西囎唹郡
  28. 国分城を参照
  29. 29.0 29.1 29.2 29.3 東囎唹郡
  30. 高山城を参照
  31. 北大隅郡
  32. 32.0 32.1 32.2 32.3 32.4 32.5 南大隅郡
  33. 33.0 33.1 33.2 33.3 33.4 33.5 33.6 33.7 西諸県郡
  34. 34.0 34.1 34.2 34.3 東諸県郡
  35. 35.0 35.1 35.2 35.3 35.4 35.5 北諸県郡
  36. 都城を参照
  37. 綾城を参照
  38. 38.0 38.1 38.2 南諸県郡
  39. 志布志城を参照

関連項目

参考文献

  • 鹿児島県総務部参事室編『鹿児島県市町村変遷史』 鹿児島県、1967年。