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{{バスケットボールチーム
+
'''埼玉ブロンコス'''(さいたまブロンコス、{{lang-en-short|SAITAMA BRONCOS}}
|チーム名=埼玉ブロンコス
 
|原語表記=SAITAMA BRONCOS
 
|愛称=ブロンコス
 
|color1 = #{{BasketColor|埼玉ブロンコス|2}}
 
|color2 = #{{BasketColor|埼玉ブロンコス|1}}
 
|border-color2 = #{{BasketColor|埼玉ブロンコス|3}}
 
|チームカラー=グリーン
 
|創設年=1996年
 
|代表者=[[成田俊彦]]
 
|ヘッドコーチ=[[コリアー・セントクレア]]
 
|優勝歴=
 
|所属リーグ={{flagicon|Japan}} [[ジャパン・バスケットボールリーグ|B3.LEAGUE]]
 
|カンファレンス =
 
|本拠地=[[埼玉県]]
 
|アリーナ=[[ファイル:Tokorozawa Municipal Gymnasium s.jpg|240px]]<br />[[所沢市民体育館]]
 
|収容人数=4,308
 
|運営会社=株式会社埼玉ブロンコス
 
|HP=http://www.saitamabroncos.com/
 
| h_body      =003300
 
| h_pattern_b  = _SAITAMA BRONCOS 17 - 18 HOME
 
| h_shorts    =003300
 
| h_pattern_s  = _SAITAMA BRONCOS 17 - 18 HOME
 
| h_title      =ホーム
 
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| a_pattern_b  = _SAITAMA BRONCOS 17 - 18 AWAY
 
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| a_title      =アウェイ
 
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| 3_pattern_b  =
 
| 3_shorts    =
 
| 3_pattern_s  =
 
| 3_title      =
 
}}
 
{{基礎情報 会社
 
| 社名 = 株式会社埼玉ブロンコス
 
| 英文社名 = Saitama Broncos Co., Ltd.
 
| ロゴ =
 
| 種類 = 株式会社
 
| 市場情報 = 非上場
 
| 略称 =
 
| 国籍 = {{JPN}}
 
| 郵便番号 = 359-1144
 
| 本社所在地 = [[埼玉県]][[所沢市]]西所沢2丁目8番24号
 
| 設立 = [[1996年]][[7月26日]]
 
| 業種 = 9050
 
| 事業内容 = バスケットボールの興行
 
| 代表者 = 代表取締役社長兼GM [[成田俊彦]]
 
| 資本金 =
 
| 売上高 =
 
| 従業員数 =
 
| 決算期 =
 
| 主要株主 =
 
| 主要子会社 =
 
| 関係する人物 =
 
| 外部リンク = [http://www.saitamabroncos.com/ 埼玉ブロンコス]
 
| 特記事項 =
 
}}
 
'''埼玉ブロンコス'''(さいたまブロンコス、{{lang-en-short|SAITAMA BRONCOS}})は、[[埼玉県]][[所沢市]]と[[さいたま市]]を中心とした埼玉県全土をホームタウンとする[[ジャパン・バスケットボールリーグ|B3.LEAGUE]]に所属するプロバスケットボールチームである。
 
== 概要 ==
 
運営会社は株式会社埼玉ブロンコス。2005-06シーズンよりトップリーグ([[日本プロバスケットボールリーグ|bjリーグ]]→B.LEAGUE)に参戦している。
 
  
=== チーム名の意味 ===
+
日本プロバスケットボールリーグ(bjリーグ)に参加するプロバスケットボールチームのひとつ。2005年に参入。埼玉県所沢市を本拠地とする。
*「ブロンコス」は「暴れ馬」と言う意味を持つ。埼玉ブロンコスの前身にあたるマツダオート東京バスケットボール部創部2年目の[[1983年]]、[[サンタクララ大学]]のコーチだったランダから同大学チームのニックネームを寄贈されたことによる。
 
  
=== チームカラー ===
 
* チームカラーはグリーン。
 
 
=== ホームアリーナ ===
 
メインとなるホームアリーナは[[所沢市民体育館]]。ホームゲームは所沢以外の埼玉県内各地でも数十試合行う。
 
 
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size: small;"
 
|- style="background-color:#006400; color:#FFF; font-weight:bold;"
 
|rowspan=2|地区||rowspan=2|アリーナ||rowspan=2|収容人数||colspan="8"|年度
 
|- style="background-color:#006400; color:#FFF; font-weight:bold;"
 
|12-13||13-14||14-15||15-16||16-17||17-18
 
|-
 
|所沢市||style="text-align: left;"|[[所沢市民体育館]]||4,308人||14||12||14||14||14||18
 
|-
 
|rowspan="2"|さいたま市||style="text-align: left;"|[[さいたま市記念総合体育館|サイデン化学アリーナ]]||2,954人||10||12||10||8||8||6
 
|-
 
|style="text-align: left;"|[[さいたまスーパーアリーナ|さいたまスーパーアリーナ<br>コミュニティアリーナ]]||3,300人||-||-||-||-||-||2
 
|-
 
|行田市||style="text-align: left;"|[[行田市総合体育館|行田グリーンアリーナ]]||2,868人||1||1||1||-||-||-
 
|-
 
|春日部市||style="text-align: left;"|[[春日部市総合体育館]]||3,584人||1||1||1||4||8||2
 
|-
 
|北本市||style="text-align: left;"|[[北本市体育センター]]||人||-||-||-||-||2||-
 
|-
 
|入間市||style="text-align: left;"|[[入間市市民体育館]]||450人||-||-||-||-||1||-
 
|-
 
|久喜市||style="text-align: left;"|[[久喜市総合体育館]]||1,024人||-||-||-||-||1||-
 
|-
 
|rowspan="2"|本庄市||style="text-align: left;"|[[本庄総合公園体育館]]||人||-||-||-||-||-||2
 
|-
 
|style="text-align: left;"|[[児玉総合公園体育館]]||人||-||-||-||-||-||1
 
|-
 
|羽生市||style="text-align: left;"|[[羽生市体育館]]||人||-||-||-||-||-||1
 
|-
 
|志木市||style="text-align: left;"|[[志木市民体育館]]||人||-||-||-||-||-||2
 
|-
 
|ふじみ野市||style="text-align: left;"|[[ふじみ野市立総合体育館]]||人||-||-||-||-||-||2
 
|-
 
!colspan="3" |レギュラーシーズン・ホーム試合数計||26||26||26||26||34||36
 
|-
 
|}
 
 
=== スポンサー ===
 
{{Main2|スポンサーについては、[http://www.saitamabroncos.com/sponser.htm オフィシャルパートナー]を}}
 
 
== 歴史 ==
 
=== マツダオート東京 - アンフィニ東京 ===
 
元母体は澤田司監督率いる[[マツダ]]オート東京(のちに[[1991年]]から[[マツダアンフィニ|アンフィニ]]東京に社名変更。現・[[関東マツダ]])のバスケットボール部。[[1982年]]に結成し、東京都を拠点に活動を続けた。
 
 
同年、群馬国体出場。翌[[1984年]]に[[全日本実業団バスケットボール選手権大会|全日本実業団]]で決勝まで進み、当時愛知県リーグに降格していた[[アルバルク東京|トヨタ自動車]]に敗れたものの準優勝で[[バスケットボール日本リーグ|旧・日本リーグ]]2部昇格を果たす。創部1年11ヶ月で日本リーグ2部昇格は日本協会における最速記録である<ref name=data>{{Cite web|url=http://www.saitamabroncos.com/teamdata.html|title=さいたまブロンコス-チームデータ|accessdate=2012-08-02}}</ref>。
 
 
[[1986年]]に2部昇格後2年9ヶ月という最速記録で1部昇格を決める<ref name=data/>。初昇格の[[1987年]]から1部に定着したが、最高成績は1987 - [[1988年]]度の6位で、下位争いがやっと。
 
 
だが、[[1992年]]には[[全日本総合バスケットボール選手権大会|オールジャパン]]準優勝を果たしており、初出場決勝戦進出は49年ぶりの快挙であった。また、対野村證券戦で挙げた261-34はギネスブックに記載されている<ref name=data/>。
 
 
不況の影響に加え2部降格決定も重なり[[1996年]]を最後に廃部。
 
 
=== クラブ化後 ===
 
廃止された実業団チーム「アンフィニ東京ブロンコス」が、市民の根強い応援により当時の広報で現GMの[[成田俊彦]]の発案で市民資本のクラブチームとして再スタートを切る。アンフィニ時代に加盟していた東京実業団連盟は、チーム始動時には既に登録申請を締め切られていた。だが埼玉実業団連盟の登録期限前だったのと、所沢でホームゲームを開催した経験もあって所沢を本拠地と定め、チーム名を「ME所沢ブロンコス」とした。MEは「マツダアンフィニ東京・ポート[[小手指町|小手指]]店」の略で、企業名を冠した名目上の実業団である。
 
 
大会の規定で日本リーグから降格して関東実業団リーグ戦からの出直しとなったが、全日本実業団2連覇を果たし、名門[[住友金属スパークス|住友金属]]・[[ジャパンエナジーグリフィンズ|ジャパンエナジー]]の日本リーグからの撤退に伴い、[[1998年|1998]]-[[1999年]]度に日本リーグ2部に復帰。チーム名も「所沢ブロンコス」に改めた。その後リーグ戦の組織改正に伴って1999 - [[2000年]]度から実質的な2部リーグとなる新・日本リーグに加盟することになった。その際、1999年限りで休部となった[[三井生命ファルコンズ (男子バスケットボール)|三井生命]]の森一誠、財前統誉士、稲野辺聡の選手3名を獲得したが、会社に籍を残したままだったため、当時の実業団連盟規定により出場選手登録を認められなかった。3選手とプロ契約を結べば認める旨を通達するも三井生命及び3選手は難色を示したため、このシーズンは3選手を欠いて臨まざるを得なかった。その後、連盟から実業団形態に戻すよう通達されるもブロンコスは引き下がらず、結果、日本リーグの選手登録規定も変更された。(もっとも、所沢ブロンコスの日本リーグ参入も特例で認められた節がある)
 
 
チームは[[2006年]]にさいたま市の[[さいたまスーパーアリーナ]]などで開催される予定の世界選手権大会の開催をきっかけに、2000年からこれまでの所沢市に加え、さいたま市もホームタウンに加えることになり、チーム名も「さいたまブロンコス」に変更された。新リーグになってからは前年度出場停止となった3選手の出場を認められたこともあって上位に参加するようになって、元[[熊谷組ブルーインズ|熊谷組]]の[[三木力雄]]がヘッドに就任してからは[[2002年|2002]]-[[2003年]]度、そして2003-[[2004年]]度のシーズンに2連覇を達成した。MVPはそれぞれ[[チャールズ・ジョンソン (バスケットボール)|チャールズ・ジョンソン]]と[[アイザック・ソジャナー]]。
 
 
2004年8月に[[新潟アルビレックスBB|新潟アルビレックス]](元・[[大和証券グループ本社|大和証券]]の[[大和証券ホットブリザーズ|バスケット部]])とともにプロリーグ(後にリーグ名・[[日本プロバスケットボールリーグ|bjリーグ]]と決定)を結成する構想を明らかにした。これまでの企業重視の運営に疑問を感じたさいたまと新潟の2チームが中心となって、全国6都市を本拠とする地域密着型の新リーグを作ることを計画したものである。[[日本バスケットボール協会]]が日本リーグ機構からの脱退を認めていなかったが、2005年4月に脱退が認められた。(協会主導のプロリーグ計画は一歩後退したセミプロ形式の[[日本バスケットボールリーグ]]として2007年に発足された)
 
 
=== bjリーグ ===
 
==== 2005-06シーズン ====
 
2005年度のbjリーグ発足時にチーム名を「埼玉ブロンコス」に変更した。これは従前の所沢、さいたま両市を含む埼玉県全域にホームタウンを広げ、県民チームとしての定義を目指す意図があった。
 
 
シーズン前半に、大黒柱の[[デービッド・ベンワー]]を怪我で失うアクシデントに見舞われ、19連敗を喫するなど、不振に陥った。この19連敗は[[2011年]]12月に[[高松ファイブアローズ]]が20連敗を喫するまでbjリーグのワースト連敗記録だった。アシスタントコーチとして残留したベンワーと入れ替わる形で監督のチャールズ・ジョンソンが選手としても出場、またシーズン途中でアメリカの[[アメリカン・バスケットボール・アソシエーション|ABA]]より[[マーカス・トニーエル]]を、[[ライジング福岡|福岡レッドファルコンズ]]から地元出身の[[庄司和広]]を獲得したものの低迷は終わらず、勝率2割に満たない7勝33敗でリーグ最下位としてシーズンを終えた。埼玉ブロンコスの[[私設応援団|ブースター]](ファン)は、リーグにより「ベストブースター賞」を贈られた。
 
 
==== 2006-07シーズン ====
 
ヘッドコーチがジョンソンから[[山根謙二]]に交代。15勝25敗の成績でチームを前年度の最下位から脱出、シーズンを6位で終えた。山根は契約年数を1年残していたが、解任という形でチームを去った。
 
 
==== 2007-08シーズン ====
 
前年度限りで現役引退したベンワーがヘッドコーチに就任。21勝23敗と過去最高の成績を収めるが、混戦となった東地区で4位となり、悲願のプレーオフ進出を逃した。しかし、プレーオフ圏内である3位以内を逃したのも、東地区が混戦になったからであり、大阪エヴェッサから連勝するなど、埼玉ブロンコスのチーム力は確実に上がってきている。事実としてプレーオフに進出する西地区3位の[[ライジング福岡]]の成績を上回っている。ヘッドコーチにはベンワーが残留。bjリーグのブロンコスにおいて、初めて2年連続で指揮を握るヘッドコーチとなる。
 
 
==== 2008-09シーズン ====
 
ベンワーをヘッドコーチに留任させたブロンコスは、[[ゴードン・ジェームス]]が[[高松ファイブアローズ]]に移籍したのを皮切りに外国人を総入れ替え、ジェームズが移籍した高松から[[レジー・ウォーレン]]と[[スティーブ・ホーン]]を獲得、ドラフトでは[[アーリーチャレンジ制度]]で前シーズン途中からプレイしていた[[北向由樹]]を指名し、[[新潟アルビレックスBB]]から[[寺下太基]]を獲得、[[育成指定選手]]2名と選手契約をするなど、新規選手の獲得に消極的だった例年とは違い積極的な補強を行った。
 
 
初のプレーオフ進出を目指すべく始動した2008-09シーズン、bjリーグ創設時のチームで唯一開幕戦未勝利だったブロンコスは[[富山グラウジーズ]]に勝利すると、北向、庄司、清水ら日本人選手の活躍で破竹の勢いで開幕5連勝と波に乗り、プレーオフ進出の悲願が叶うかに見えた。しかし、新規参入の[[浜松・東三河フェニックス]]に連勝を止められると、そこからあっけなく5連敗、そして相性の悪い[[仙台89ERS]]や[[東京アパッチ]]相手に歯が立たないどころか、開幕戦で連勝した[[富山グラウジーズ]]にも連敗を喫するなど歯車がかみ合わず、結局[[新潟アルビレックスBB]]との4位争いに敗れ、創設から4年連続でプレーオフ進出を逃す結果となった。
 
 
==== 2009-10シーズン ====
 
前シーズン終了後、ヘッドコーチのベンワーとアシスタントコーチの青野和人は契約満了に伴い退任した。後任は元富山グラウジーズの[[福島雅人]]が就任した。
 
 
選手の補強では、[[庄司和広]]や[[安藤毅]]などが退団したが、[[宍戸治一]]、[[波多野和也]]らが加入。外国人選手も前シーズンに続いて総入替をしてシーズン前に[[マリオ・ジョインター]]など5名が入団。シーズン中にも[[カービー・レモンズ]]を補強し、外国人選手は最終的に合計6名となる。
 
 
2009-10シーズンは開幕戦の[[仙台89ERS]]戦からいきなりの7連敗を喫するスタートとなったが、その直後に4連勝。2009年末までに8勝10敗まで盛り返してプレーオフ進出争いに加わる。しかし、2010年になってからは黒星が嵩み、2月13日の[[大阪エヴェッサ]]戦から6連敗。3月6日、怪我人が出て選手層の薄さに苦しむ[[高松ファイブアローズ]]には連勝して連敗を止めたが、続く3月13日の[[大分ヒートデビルズ]]戦からは再び10連敗を喫し、プレーオフ進出が遠ざかる。終盤は、首位の[[浜松・東三河フェニックス]]にシーズン初勝利するなど幾分持ち直したが、結局シーズン中に6名もの外国人ロスターが在籍していたにも関わらず、東地区最下位の[[富山グラウジーズ]]と同勝率、得失点差で上回っただけの5位でシーズンを終え、またもプレーオフ進出を逃す結果となった。
 
 
==== 2010-11シーズン ====
 
福島雅人ヘッドコーチは1シーズンで退団し、新ヘッドコーチには前ハワイ大ヘッドコーチの[[ボブ・ナッシュ]]が就任。
 
 
[[米本聡]]が引退、チームのbjリーグ参入時より在籍していた[[清水太志郎]]もFA権を行使して[[宮崎シャイニングサンズ]]に移籍。
 
bjリーグ開幕時の6チームで、開幕当初から在籍している選手が一人もいなくなったのは埼玉ブロンコスが初めてである([[大阪エヴェッサ]]も開幕当初から在籍している日本人選手は一人もいない)。外国人選手も再び総入替を敢行し、元NBA選手の[[ケニー・サターフィールド]]やナッシュHCの子息の[[ボビー・ナッシュ]]らを獲得。開幕後に元[[高松ファイブアローズ|高松]]・[[琉球ゴールデンキングス|琉球]]の[[ジョージ・リーチ]]も補強。
 
 
開幕戦はホーム所沢で、現役日本代表[[石崎巧]]が加入し注目を集める[[島根スサノオマジック]]と対戦し、勝利を収める。しかし、その後はなかなか連勝ができず、5連敗を2度、4連敗を1度喫するなど負けが込み、東地区最下位に沈んでいたが、12月19日の大分戦で勝利すると次節の東京戦でシーズン初の連勝。以降も勢いは衰えず、年を跨いでbjリーグ参入後チーム新記録となる7連勝を達成し、東地区5位まで浮上して前半戦を終えた。
 
 
後半戦に入り、チームは新潟とプレーオフ進出圏内の4位を争った。しかし、直接対決で連敗してプレーオフ進出が遠のく。
 
 
3月11日、[[東日本大震災]]が発生。この震災の影響でチームは活動を休止し、シーズンを終えた<ref>[http://broncos.sailog.jp/topics/2011/03/2010-2011-11cd.html 2010-2011シーズン全試合日程活動休止のお知らせ] - 公式ブログ、2011.3.17</ref>。チームが活動を休止した後、急遽設けられたリーグの選手救済制度により、寺下、北向、椎名、クライバー、リーチ、サターフィールドは活動を継続するチームにレンタル移籍している。波多野は退団。
 
 
==== 2011-12シーズン ====
 
[[ダラス・マーベリックス]]GMの[[ドン・ネルソン]]の推薦により[[ディーン・マーレイ]]が新ヘッドコーチに就任。元[[東京アパッチ]]の得点王[[ジョン・ハンフリー]]らを補強した。開幕直前にフォワードのジェイミー・ミラーが故障したため、彼を欠いた状態でシーズン開幕を迎えた。
 
 
11月20日、埼玉ブロンコスは、マーレイHCに契約違反があったとして出場停止処分を下し、その日の[[富山グラウジーズ]]戦は[[ナタリー・ナカセ]]アシスタントコーチがHC代行として指揮を執り、勝利を飾った。ディーン・マーレイHCは復帰することなく24日に契約解除となり、新たにナタリー・ナカセACが昇格して、bjリーグ初の女性ヘッドコーチに就任した<ref>[http://broncos.sailog.jp/topics/2011/11/bj-c8d2.html "bjリーグ初女性ヘッドコーチ誕生" 新ヘッドコーチ契約締結のお知らせ]</ref>。
 
 
12月に入ると、センターのゲイブリエル・ヒューズが病気のため戦線離脱。フォワードのジョン・フラワーズも3日の[[滋賀レイクスターズ]]戦で負傷したため、この試合の途中から11日の[[信州ブレイブウォリアーズ]]戦までの4試合は身長2m以上の選手が一人も居ない状態での試合を余儀なくされた。10日の信州戦ではハンフリーがbjリーグ歴代2位タイの52得点(フリースローはリーグ新記録の24本成功)をマークする活躍を見せた。17日の[[新潟アルビレックスBB]]戦からはミラーが、翌日にはフラワーズが復帰したが、ヒューズは健康面を考慮して現役を引退。代わってナシード・ビアード(前[[日本バスケットボールリーグ2部機構|JBL2]]・[[豊田通商ファイティングイーグルス|豊田通商]])が加入したが、彼は約1ヶ月在籍しただけで契約満了となり、新たにジェームス・ポーターが加入。
 
女性ヘッドコーチの就任を含め、このシーズンは[[さいたまスーパーアリーナ]]でオールスター開催など話題こそ集めたものの、レギュラーシーズンでは勝ちきれない試合が多く、高松戦以外で同一カード連勝はなく、初年度以来の最下位という結果に終わった。
 
 
==== 2012-13シーズン ====
 
ナカセHCの契約満了に伴う退団で、[[トレイシー・ウィリアムズ]]が新HCに就任。外国人選手は開幕直前に[[マイケル・ジョイナー]]が退団したため、[[ジョン・ハンフリー]]、[[アントワン・スコット]]、[[ランディ・オアー]]の3名で開幕を迎え、急遽獲得した[[デミオン・ベーカー]]は5戦目から合流。日本人では前[[富山グラウジーズ]]の[[山城拓馬]]や前[[秋田ノーザンハピネッツ]]の[[信平優希]]らが新加入。
 
 
開幕から黒星が先行した上に6戦目終了後にハンフリーがヘルニアで一時離脱、他の外国人も故障がちという苦しい台所事情の中、11月17日の富山戦はスターター5人にすべて日本人を起用して勝利した。11月末にスコットとオアーとの契約を解除して[[ニカ・ウィリアムズ]]と、12月20日には[[ウェイン・オリバー]]と契約。
 
 
主力の故障と外国人の入替をしている間に12連敗を喫し、さらに1勝を挟んで7連敗を喫して下位に低迷。2月中旬頃よりチーム状態が上向きになり、4連勝と3連勝を一度ずつ記録するなど勝ち星が増えたが前半戦の低迷が響き、プレイオフ争いをするまでには至らず東地区10位でシーズンを終えた。得点王を獲得したハンフリーやMIPに選出された北向、リバウンド9位に入ったウィリアムズを中心にチーム得点数はリーグ1位で、2月以降だけで100得点以上を7試合で記録した。その反面失点数もリーグワースト1位で、シーズン全試合中100失点以上した試合は18試合におよんだ。チームの1試合最多得点記録および最多失点記録の両方がこのシーズンに更新された。
 
 
==== 2013-14シーズン ====
 
ウィリアムズHCが退任し、[[石橋貴俊]]が新HCに就任。[[マイケル・ジョイナー]]、アンワー・ファーガソン、セオ・リトル、[[板倉令奈]]、[[桝本純也]]、[[三澤貴弘]]、[[小野寺恵介]]、山崎稜を補強。11月にリトルとの契約を解除してマーク・ドーソンと入れ替えをした。
 
 
開幕2試合目のアウェイ[[群馬クレインサンダーズ]]戦でシーズン初勝利<ref group="注">同時にシーズン唯一のアウェイ戦勝利ともなった。</ref>。さいたま市記念総合体育館で行われた5戦目の[[横浜ビー・コルセアーズ]]戦でホーム初白星、シーズン2勝目を上げたが、翌10月20日の横浜戦から2014年1月3日の[[琉球ゴールデンキングス]]戦までチームタイ記録の19連敗を喫して最下位に低迷。1月11日にホーム所沢で群馬に93-61で勝利して連敗を止めたものの、連勝が1度もないまま4月7日の[[信州ブレイブウォリアーズ]]戦の敗戦をもって6試合残しての最下位が確定した。勝率.096は2007-08シーズンの富山(.159(44試合))を下回るイースタンカンファレンス最低記録で、全体でも­2011-12シーズンの高松(.038)に次いで2番目に低い数字である。
 
 
ハンフリー個人は2シーズン連続で得点王を獲得したが、チームとしての得点力は前シーズンと打って変わって大幅に落ち込み、ディフェンスも前シーズンから改善されず失点数はリーグワーストクラスだった。
 
 
==== 2014-15シーズン ====
 
石橋HCが退任し、前富山HCの[[下地一明]]が就任。
 
 
前シーズン所属選手で継続契約した選手は佐々木(旧姓:信平)と桝本のみ。選手を大量に入れ替えて、大塚俊、[[八幡幸助]]、[[伊戸重樹]]、[[原毅人]]、[[永田晃司]]、[[杉山直也]]が新加入した。外国人はブライアン・オーモン、マルコ・チューキッチュと2名の大学卒新人ゲイリー・ジョンソンとジョン・イーケイ。
 
 
10月4日にシーズンが開幕したが、未勝利のまま黒星が続き、4試合終了後に帰国して引退してしたイーケイに代わってエリ・スチュワートが加わった。11月第1週の試合(10試合目)終了後にはチューキッチュとの契約を解除。12月第2週の試合より、2シーズン前に在籍していた[[ニカ・ウィリアムズ]]が新たに合流したが、この週より下地HCが病気療養のためチームを離脱したため、山口尊久コンディショニングコーチがHC代行を務めることとなった。その後も開幕からの連敗は続き、年を跨いで1月3日までチーム記録を更新する23連敗を喫したが、1月4日の大分戦を101-87でシーズン初勝利して、連敗を脱出した。1月中旬より下地HCが復帰。1月25日の富山戦とオールスター後初戦の横浜戦でシーズン初の連勝を記録。その直後にオーモンとスチュワートが退団し、残るシーズンは外国人2名のみとなったが、4月18日の横浜戦までに6勝目を挙げ[[東京サンレーヴス]]を抜いて11位でシーズン終了。2年連続のリーグ全体最下位および勝率1割以下を逃れた。
 
 
==== 2015-16シーズン ====
 
下地HCが退任し、埼玉OBで前[[バンビシャス奈良]]HCの[[小野寺龍太郎]]が新HCに就任。前シーズンまでテクニカルアドバイザーだった元HCの[[三木力雄]]がアソシエイトコーチに就任した。選手陣容では前シーズンまでと同様に佐々木を除いて主力選手が多数退団し、[[亀崎光博]]、[[栗原祐太]]、[[庄司優也]]、[[問雅臣]]、エヴァン・ハリスらが新加入。開幕後も外国人選手の入れ替えを何度も行い、途中加入したセス・ターバーがポイントリーダーとなっている。シーズン後半に[[エドワード・モリス]]や新人賞を受賞した[[上田雅也]]が加わった。
 
 
シーズンは開幕戦から7連敗した後、8戦目(10月25日)の東京戦で大勝してシーズン初勝利。12月、新規参入チーム・[[広島ライトニング]]相手にシーズン初の連勝を記録。最下位は逃れたもののプレイオフ争いに絡むことはできず、イースタン12チーム中11位でシーズンを終えた。
 
 
==== 備考 ====
 
bjリーグ開幕時に参加した6チームの中で埼玉だけが一度もプレーオフに進出しておらず<ref group="注">bjリーグに参戦したチームのうち進出歴がないのは他に東京サンレーヴス、奈良、宮崎(2013年脱会)の3チームあるが、いずれも2010年以降に参入したチームである。</ref>、かつ勝率が5割に達したシーズンがない。また、bjリーグ創設時の6チームの中で選手がベスト5に唯一選出されたことのないチームでもある。
 
 
=== B.LEAGUE ===
 
==== 2016-17シーズン(B3リーグ) ====
 
bjリーグとNBLが統合して発足する「[[ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ]](Bリーグ)」において、初年度はB3(3部)に所属する。コリアー・セントクレアが新ヘッドコーチに就任。総合勝点で9チーム中6位だった。
 
 
==== 2017-18シーズン(B3リーグ) ====
 
セントクレアHCの2期目。9チーム中4位。
 
 
==== 2018-19シーズン(B3リーグ) ====
 
セントクレアHCの3期目。
 
 
=== チーム名の変遷 ===
 
* 1982年 マツダオート東京バスケットボール部
 
* 1983年 マツダオート東京ブロンコス
 
* 1991年 アンフィニ東京ブロンコス
 
* 1997年 ME所沢ブロンコス
 
* 1998年 所沢ブロンコス
 
* 2000年 さいたまブロンコス
 
* 2005年 埼玉ブロンコス
 
 
== 成績 ==
 
===B.LEAGUE===
 
{{Bリーグのシーズン成績ヘッダ|埼玉ブロンコス|font=90%}}
 
<!--  ここに、[[ Template:Bリーグのシーズン成績]] を使って記載して下さい。  -->
 
{{Bリーグのシーズン成績
 
|回=1
 
|シーズン=[[B3.LEAGUE 2016-17|2016-17]]
 
|リーグ=B3
 
|地区=
 
|勝=12
 
|敗=20
 
|ゲーム差=17.0
 
|ホーム勝=8
 
|ホーム敗=12
 
|地区順位=7
 
|全体順位=7
 
|得点=2333
 
|失点=2463
 
|最終結果=7位
 
|備考=
 
|ヘッドコーチ=コリアー・セントクレア
 
|参照=<ref>{{cite web|url=https://www.b3league.jp/standings/ |title=STANDING |publisher= |date=201 |accessdate=2017-04-04 }}</ref>
 
}}
 
 
{{Bリーグのシーズン成績フッタ}}
 
===過去のリーグ戦===
 
====日本リーグ====
 
{| class="wikitable" style="font-size:smaller;text-align: center;"
 
! rowspan=2|年度!!rowspan=2|リーグ!!rowspan=2|ディビジョン!!rowspan=2|回!!colspan=3|レギュラーシーズン!!colspan=2|セミファイナル!!colspan=2|ファイナル!!rowspan=2|最終結果
 
|-
 
!勝!!敗!!順位!!勝!!敗!!勝!!敗
 
|-
 
|1996||関東実業団||1部|| || || || || || || || ||
 
|-
 
|1997||rowspan=4|[[バスケットボール日本リーグ|日本リーグ]]||rowspan=4|2部||31|| || || || || || || ||6位
 
|-
 
|1998||32|| || || || || || || ||3位
 
|-
 
|[[第32回バスケットボール日本リーグ|1999]]||33|| || || || || || || ||3位
 
|-
 
|[[第33回バスケットボール日本リーグ|2000]]||34|| || || || || || || ||3位
 
|-
 
|2001||rowspan=4 colspan=2|日本リーグ||35|| || || || || || || ||3位
 
|-
 
|2002||36|| || || || || || || ||優勝
 
|-
 
|2003||37|| || || || || || || ||優勝
 
|-
 
|2004||38|| || || || || || || ||準優勝
 
|}
 
===bjリーグ===
 
{| class="wikitable" style="font-size:smaller;text-align: center;"
 
!rowspan=2|年度!!colspan=8|レギュラーシーズン!!rowspan=2|最終結果!!rowspan=2|HC!!rowspan=2|備考
 
|-
 
!勝!!敗!!勝率!!ゲーム差!!得点!!失点!!得失点差!!順位
 
|-
 
|[[Bjリーグ 2005-06|2005-06]]||7||33||.175||24.0(11.0)||71.5||81.0||-9.5||6位||6位||[[チャールズ・ジョンソン (バスケットボール)|チャールズ・ジョンソン]]||bjリーグ初年度
 
|-
 
|[[Bjリーグ 2006-07|2006-07]]||15||25||.375||14.0(7.0)||81.4||82.9||-1.5||6位||6位||[[山根謙二]]||
 
|-
 
|[[Bjリーグ 2007-08|2007-08]]||21||23||.477||8.0(5.0)||78.9||76.4||+2.5||東4位||7位||rowspan=2|[[デービッド・ベンワー]]||
 
|-
 
|[[Bjリーグ 2008-09|2008-09]]||19||33||.365||17.0(5.0)||76.9||79.6||-2.7||東5位||9位||
 
|-
 
|[[Bjリーグ 2009-10|2009-10]]||17||35||.327||24.0(5.0)||75.5||81.6||-6.1||東5位||11位||[[福島雅人]]||
 
|-
 
|[[Bjリーグ 2010-11|2010-11]]||14||24||.368||-||79.3||82.7||-3.4||-||---||[[ボブ・ナッシュ]]||活動休止前時点を最終成績としている
 
|-
 
|[[Bjリーグ 2011-12|2011-12]]||16||36||.308||21.0(9.0)||79.1||85.3||-6.2||東10位||18位||[[ディーン・マーレイ]]<br />→[[ナタリー・ナカセ]]||
 
|-
 
|[[Bjリーグ 2012-13|2012-13]]||15||37||.288||21.0(11.0)||85.7||94.4||-8.7||東10位||19位||[[トレイシー・ウィリアムズ]]||
 
|-
 
|[[Bjリーグ 2013-14|2013-14]]||5||47||.096||37.0(22.0)||73.3||85.0||-11.7||東11位||21位||[[石橋貴俊]]||
 
|-
 
|[[Bjリーグ 2014-15|2014-15]]||6||46||.115||35.0(13.0)||74.1||91.4||-17.3||東11位||21位||[[下地一明]]||
 
|-
 
|[[Bjリーグ 2015-16|2015-16]]||5||47||.096||34.0(18.0)||69.3||85.3||-16.0||東11位||22位||[[小野寺龍太郎]]||
 
|-
 
!計||140||386||.266|| || || || || || || ||
 
|}
 
ゲーム差は()外は1位、()内は[[Bjリーグプレイオフ|プレイオフ]]圏との差をそれぞれ表している。
 
 
===獲得タイトル===
 
*[[全日本実業団バスケットボール選手権大会|実業団大会]]
 
**優勝2回([[1997年|1997]]・[[1998年|1998]])
 
*[[バスケットボール日本リーグ|日本リーグ]]
 
**優勝2回(2002-03・2003-04)
 
 
=== 個人別タイトル ===
 
'''MVP'''
 
*日本リーグ2002-03 [[チャールズ・ジョンソン (バスケットボール)|チャールズ・ジョンソン]]
 
*日本リーグ2003-04 [[アイザック・ソジャナー]]
 
'''新人賞'''
 
*bjリーグ2015-16 [[上田雅也]]
 
'''コーチ・オブ・ザ・イヤー'''
 
*日本リーグ2002-03 [[三木力雄]]
 
'''ベスト5'''
 
*日本リーグ2002-03
 
**PF チャールズ・ジョンソン
 
**C [[コーリー・ルイス]]
 
*日本リーグ2003-04
 
**SF [[安藤毅]]
 
**PF アイザック・ソジャナー
 
**C [[カービー・レモンズ]]
 
*日本リーグ2004-05
 
**SF 倉澤健二
 
**C カービー・レモンズ
 
'''得点'''
 
*日本リーグ2002-03 コーリー・ルイス
 
*日本リーグ2003-04 カービー・レモンズ
 
*日本リーグ2004-05 カービー・レモンズ
 
*bjリーグ2012-13 [[ジョン・ハンフリー]]
 
*bjリーグ2013-14 ジョン・ハンフリー
 
'''アシスト'''
 
*日本リーグ2001-02 チャールズ・ジョンソン
 
*日本リーグ2002-03 チャールズ・ジョンソン
 
*bjリーグ2011-12 [[ケニー・サターフィールド]]
 
'''リバウンド'''
 
*日本リーグ2002-03 コーリー・ルイス
 
*日本リーグ2003-04 カービー・レモンズ
 
*日本リーグ2004-05 [[ジェローン・ドッド]]
 
*bjリーグ2006-07 [[ゴードン・ジェームス]]
 
*bjリーグ2007-08 ゴードン・ジェームス
 
'''ブロックショット'''
 
*日本リーグ2002-03 コーリー・ルイス
 
*日本リーグ2003-04 アイザック・ソジャナー
 
'''スティール'''
 
*日本リーグ2001-02 チャールズ・ジョンソン
 
*日本リーグ2002-03 チャールズ・ジョンソン
 
*日本リーグ2004-05 カービー・レモンズ
 
*bjリーグ2013-14 ジョン・ハンフリー
 
'''フィールドゴール成功率'''
 
*日本リーグ2002-03 コーリー・ルイス
 
'''スリーポイント成功率'''
 
*bjリーグ2006-07 [[庄司和広]]
 
'''フリースロー成功率'''
 
*
 
'''ダンクシュート'''
 
*日本リーグ2002-03 コーリー・ルイス
 
 
=== その他受賞 ===
 
*bjリーグ2005-06 ベストブースター賞
 
*bjリーグ2007-08 ベストパフォーマー賞
 
 
== リーグ戦の主な記録 ==
 
=== 個人記録 ===
 
'''1試合最多得点''' [[ジョン・ハンフリー]] 52得点(2011年12月10日、信州戦)
 
 
'''1試合最多リバウンド''' [[デービッド・ベンワー]] 25本(2005年11月27日、仙台戦)
 
 
'''1試合最多アシスト''' [[ケニー・サターフィールド]] 13本(2010年11月6日、東京戦)
 
 
=== チーム記録 ===
 
==== 得点失点関連記録 ====
 
'''最多得点・最多失点'''
 
* '''1試合最多得点''' 122得点(2013年4月14日、東京戦)
 
 
* '''1試合最多失点''' 124失点(2013年4月27日、横浜戦)
 
 
==== 連勝記録 ====
 
'''最多連勝''' 7連勝(2010年12月19日大分戦から2011年1月16日大阪戦まで)
 
 
'''最多連敗''' 23連敗(2014年10月4日東京戦から2015年1月3日大分戦まで)
 
 
=== 観客動員記録 ===
 
{| class="wikitable" style="text-align:center;font-size:85%;"
 
|- style="background-color:#006400; color:#FFF; font-weight:bold;"
 
|部||年度||試合数||合計||平均||最大||最小||試合会場||備考
 
|-
 
|style="backgound-color: #ffcc66;" rowspan="5" style="text-align: center;"|[[バスケットボール日本リーグ|日本リーグ]]||2000-01||style="text-align: right; font-size: smaller;"|---||style="text-align: right;"|---人||style="text-align: right; font-size: smaller;"|---人||style="text-align: right; font-size: smaller;"|---人||style="text-align: right; font-size: smaller;"|---人||style="text-align: right; font-size: smaller;"|---||style="text-align: right; font-size: smaller;"|---
 
|-
 
|2001-02||style="text-align: right; font-size: smaller;"|---||style="text-align: right;"|---人||style="text-align: right; font-size: smaller;"|---人||style="text-align: right; font-size: smaller;"|---人||style="text-align: right; font-size: smaller;"|---人||style="text-align: right; font-size: smaller;"|---||style="text-align: right; font-size: smaller;"|---
 
|-
 
|2002-03||style="text-align: right; font-size: smaller;"|---||style="text-align: right;"|---人||style="text-align: right; font-size: smaller;"|---人||style="text-align: right; font-size: smaller;"|---人||style="text-align: right; font-size: smaller;"|---人||style="text-align: right; font-size: smaller;"|---||style="text-align: right; font-size: smaller;"|---
 
|-
 
|2003-04||style="text-align: right; font-size: smaller;"|---||style="text-align: right;"|---人||style="text-align: right; font-size: smaller;"|---人||style="text-align: right; font-size: smaller;"|---人||style="text-align: right; font-size: smaller;"|---人||style="text-align: right; font-size: smaller;"|---||style="text-align: right; font-size: smaller;"|---
 
|-
 
|2004-05||style="text-align: right; font-size: smaller;"|---||style="text-align: right;"|---人||style="text-align: right; font-size: smaller;"|---人||style="text-align: right; font-size: smaller;"|---人||style="text-align: right; font-size: smaller;"|---人||style="text-align: right; font-size: smaller;"|---||style="text-align: right; font-size: smaller;"|[[バスケットボール日本リーグ|日本リーグ]]脱退
 
|-
 
|style="backgound-color: #ffcc66;" rowspan="3" style="text-align: center;"| [[日本プロバスケットボールリーグ|bjリーグ]] ||2005-06||style="text-align: right; font-size: smaller;"|20||style="text-align: right;"|27,620人||style="text-align: right; font-size: smaller;"|1,381人||style="text-align: right; font-size: smaller;"|2,027人||style="text-align: right; font-size: smaller;"|640人||style="text-align: right; font-size: smaller;"|---||style="text-align: right; font-size: smaller;"|[[日本プロバスケットボールリーグ|bjリーグ]]開幕
 
|-
 
|2006-07||style="text-align: right; font-size: smaller;"|20||style="text-align: right;"|41,681人||style="text-align: right; font-size: smaller;"|2,013人||style="text-align: right; font-size: smaller;"|3,683人||style="text-align: right; font-size: smaller;"|1,022人||style="text-align: right; font-size: smaller;"|---||style="text-align: right; font-size: smaller;"|---
 
|-
 
|2007-08||style="text-align: right; font-size: smaller;"|20||style="text-align: right;"|---人||style="text-align: right; font-size: smaller;"|---人||style="text-align: right; font-size: smaller;"|---人||style="text-align: right; font-size: smaller;"|---人||style="text-align: right; font-size: smaller;"|---||style="text-align: right; font-size: smaller;"|---
 
|}
 
 
'''会場別観客動員記録'''
 
{| class="wikitable" style="text-align:center;font-size:85%;"
 
|- style="background-color:#006400; color:#FFF; font-weight:bold;"
 
|rowspan=2|年度||rowspan=2|自治体||rowspan=2|アリーナ||rowspan=2|座席数||colspan="6"|ホームゲーム観客数
 
|-style="background-color: lightgreen;"
 
|試合数||合計||平均||最大||最小
 
|-style="backgound-color: #ffffcc;"   
 
|style="backgound-color: #ffcc66;" rowspan="5" style="text-align: center;"|2005-06||[[所沢市]]||'''[[所沢市民体育館|市民体育館]]'''||style="text-align: right;"|約4300席||style="text-align: right; font-size: smaller;"|11||style="text-align: right; font-size: smaller;"|人||style="text-align: right; font-size: smaller;"|1563人||style="text-align: right; font-size: smaller;"|2627人||style="text-align: right; font-size: smaller;"|1003人 
 
|- 
 
|[[春日部市]]||[[春日部市総合体育館|ウイングハット]]||style="text-align: right;"|3584席||style="text-align: right; font-size: smaller;"|4||style="text-align: right; font-size: smaller;"|人||style="text-align: right; font-size: smaller;"|882人||style="text-align: right; font-size: smaller;"|1528人||style="text-align: right; font-size: smaller;"|640人 
 
|- 
 
|[[さいたま市]]||[[さいたま市記念総合体育館|市総合体育館]]||style="text-align: right;"|2954席||style="text-align: right; font-size: smaller;"|4||style="text-align: right; font-size: smaller;"|人||style="text-align: right; font-size: smaller;"|1290人||style="text-align: right; font-size: smaller;"|2038人||style="text-align: right; font-size: smaller;"|704人 
 
|- 
 
|[[秩父市]]||[[秩父市文化体育センター|市文化体育C]]||style="text-align: right;"| 席||style="text-align: right; font-size: smaller;"|1||style="text-align: right; font-size: smaller;"|人||style="text-align: right; font-size: smaller;"|1751人||style="text-align: right; font-size: smaller;"| ||style="text-align: right; font-size: smaller;"|
 
 
|-style="backgound-color: #f0f0f0;" 
 
|colspan="3" style="text-align: right; font-size: smaller;"|''ホーム計''||style="text-align: right;"|20||style="text-align: right; font-size: smaller;"|27620人||style="text-align: right;"|1381人||style="text-align: right; font-size: smaller;"|2027人||style="text-align: right; font-size: smaller;"|640人
 
 
|-style="backgound-color: #ffffcc;"
 
|rowspan="5" style="backgound-color: #ffcc66; text-align: center;"|2006-07||所沢市||'''市民体育館'''||style="text-align: right;"|約4300席||style="text-align: right; font-size: 90%"|14||style="text-align: right; font-size: 90%"|29839人||style="text-align: right; font-size: 90%"|2131人||style="text-align: right; font-size: 90%"|3683人||style="text-align: right; font-size: 90%"|1318人
 
|-
 
|春日部市||ウイングハット||style="text-align: right;"|3584席||style="text-align: right; font-size: 90%"|2||style="text-align: right; font-size: 90%"|4418人||style="text-align: right; font-size: 90%"|2209人||style="text-align: right; font-size: 90%"|2316人||style="text-align: right; font-size: 90%"|2102人
 
|-
 
|さいたま市||市総合体育館||style="text-align: right;"|2954席||style="text-align: right; font-size: 90%"|2||style="text-align: right; font-size: 90%"|5188人||style="text-align: right; font-size: 90%"|2594人||style="text-align: right; font-size: 90%"|2831人||style="text-align: right; font-size: 90%"|2357人
 
|-
 
|秩父市||市文化体育C||style="text-align: right;"| 席||style="text-align: right; font-size: 90%"|2||style="text-align: right; font-size: 90%"|2236人||style="text-align: right; font-size: 90%"|1118人||style="text-align: right; font-size: 90%"|1214人||style="text-align: right; font-size: 90%"|1022人
 
 
|-style="background-color: #f0f0f0;"
 
|colspan="3" style="text-align: right; font-size: 90%"|''ホーム計''||style="text-align: right;"|20||style="text-align: right; font-size: 90%"|41681人||style="text-align: right;"|2013人||style="text-align: right; font-size: 90%;"|3683人||style="text-align: right; font-size: 90%;"|1022人
 
 
|-style="backgound-color: #ffffcc;"
 
| rowspan="6" style="backgound-color: #ffcc66; text-align: center;"|2007-08||所沢市||'''市民体育館'''||style="text-align: right;"|約4300席||style="text-align: right; font-size: 90%"|15||style="text-align: right; font-size: 90%"|----人||style="text-align: right; font-size: 90%"|----人||style="text-align: right; font-size: 90%"|----人||style="text-align: right; font-size: 90%"|----人
 
|-
 
|春日部市||ウイングハット||style="text-align: right;"|3584席||style="text-align: right; font-size: 90%"|1||style="text-align: right; font-size: 90%"|----人||style="text-align: right; font-size: 90%"|----人||style="text-align: right; font-size: 90%"|----人||style="text-align: right; font-size: 90%"|----人
 
|-
 
|さいたま市||市総合体育館||style="text-align: right;"|2954席||style="text-align: right; font-size: 90%"|4||style="text-align: right; font-size: 90%"|----人||style="text-align: right; font-size: 90%"|----人||style="text-align: right; font-size: 90%"|----人||style="text-align: right; font-size: 90%"|----人
 
|-
 
|秩父市||市文化体育C||style="text-align: right;"| 席||style="text-align: right; font-size: 90%"|1||style="text-align: right; font-size: 90%"|----人||style="text-align: right; font-size: 90%"|----人||style="text-align: right; font-size: 90%"|----人||style="text-align: right; font-size: 90%"|----人
 
|-
 
|行田市||[[行田グリーンアリーナ|グリーンアリーナ]]||style="text-align: right;"| 席||style="text-align: right; font-size: 90%"|1||style="text-align: right; font-size: 90%"|----人||style="text-align: right; font-size: 90%"|----人||style="text-align: right; font-size: 90%"|----人||style="text-align: right; font-size: 90%"|----人
 
 
|-style="background-color: #f0f0f0;"
 
|colspan="3" style="text-align: right; font-size: 90%"|''ホーム計''||style="text-align: right;"|22||style="text-align: right; font-size: 90%"|----人||style="text-align: right;"|----人||style="text-align: right; font-size: 90%;"|----人||style="text-align: right; font-size: 90%;"|----人
 
|}
 
 
{{節スタブ}}
 
 
== スタッフと選手 ==
 
{{Main|埼玉ブロンコスの選手一覧}}
 
=== 現行ロースター ===
 
{{埼玉ブロンコス ロースター}}
 
 
== 下部組織 ==
 
2003年より二軍チームとして「ブロンコスクラブ」を設立。
 
 
2007年、東京クラブ連盟に移り、チーム名も「[http://rbc-tokyo.net RBC東京]」に改められた。現在は[[三木力雄]]がテクニカルアドバイザー兼コーチを務め、元ブロンコスの江黒大樹や[[安藤毅]]らが選手登録されている。活動は東京都内で行っており、トライアウトなども開催し、東京No.1 そして日本でも有数のクラブチームを目指している。
 
 
かつては[[青野和人]]もアシスタントコーチ時代に選手登録されていた。
 
 
== 応援 ==
 
===マスコット===
 
{| class="wikitable" style="text-align:center;"
 
|- style="background-color:#006400; color:#FFF; font-weight:bold;"
 
|No.||名前||[[バスケットボール#ポジション|P]]||生年||身長、体重||出身||前所属
 
|-
 
| 00
 
| {{Flagicon|JPN}}キズナ・ブロンコス
 
| G/F/C
 
| 1996
 
| 240cm、502kg
 
| 埼玉県
 
|
 
|-
 
|}
 
 
モチーフは馬。2011-12シーズンからキャラクターデザインが大幅に変更された。
 
 
===チアダンスチーム===
 
2005年のbjリーグ発足とともに結成された[[PONYS GREEN]]と2007年より活動を開始した[[ブロンコスチアリーダーズ]]により応援パフォーマンスを行っている。ブロンコスチアリーダーズは当初「ZERO」として活動していた。
 
 
2007-08シーズンより設けられた初代ベストパフォーマンス賞に選出された。
 
 
===オフィシャルソング===
 
オフィシャルソングとして[[杉山清貴]]の「THIS IS LIFE」、入場ソングに[[CLIFF EDGE]]の「Let's go BRONCOS」、「キズナ 〜Get a DREAM〜」が使用されている。
 
 
===応援番組===
 
*[[J:COM所沢]]「ブロンコスBEAT!!!」
 
 
===MC===
 
* 2017年 - DJ Kei([[菊池元男]]) DjTETSU
 
* - 2017年 コーリー([[郡正夫]])
 
 
== ユニフォームスポンサー ==
 
* サプライヤー:アップセット
 
* [[ジャンジャンデルノザウルス]](胸)
 
* [[クライムホーム]](パンツ前左)
 
* [[喜楽苑]](パンツ後左)
 
* [[住宅比較株式会社]](パンツ前右)
 
* [[株式会社アルテクス]](パンツ後右)
 
* [[桧家ホールディングス]](背中)
 
 
=== ユニフォームサプライの遍歴 ===
 
* 2005年 - 07年 OZAKI
 
* 2008年  [[ブル・ファイト]]
 
* 2009年  A-LINE
 
* 2010年 - 12年 GANBAX
 
* 2012年 - 13年 MENFES
 
* 2013年 - アップセット
 
 
==キーワード==
 
<!--関連項目として掲載しました。もし記事に不要でしたら削除してください。-->
 
[[ファイル:SUBARU FORESTER STi - SaitamaBroncos Version.jpg|thumb|right|130px|オフィシャルカー]]
 
 
===オフィシャルカー===
 
埼玉ブロンコスのオフィシャルカーの車種は、[[富士重工業]]の[[スバル・フォレスター|フォレスターSTi]]を採用。車体にブロンコスのマスコット('''キズナ''')やチームロゴを全体にペイントを施して、地元の埼玉県でチームに関連する業務や地元のホームゲーム開催時に活用されている。この他にも[[スバル・エクシーガ]]や[[三菱・ディオン]](グリーンカラー)も採用している。
 
 
===練習場===
 
練習場は、[[所沢市民体育館]]の近くにある[[所沢市立美原中学校]]で行う場合が多い。練習は原則非公開だが、公開する場合もある。bj開幕当初は、[[通訳]]がおらず、選手が代わりに通訳をしていたこともあったという。
 
 
=== メディア露出について ===
 
bjリーグ創設に関わったチームであるとはいえ、他チームに比べて未だにメディア露出が少ない。[[NACK5]]ではブロンコスの応援コーナーがあるが、地上波である[[テレビ埼玉]]、[[NHKさいたま放送局]]でブロンコスの試合が放映されたことがない。現在j:comにて応援番組「ブロンコスBEAT!!!」が放送中。
 
 
=== 絆-KIZNA- ===
 
「絆-KIZNA-」をキーワードに地域活動及びブースターとの交流を行っており、例えば、好きな試合に使用可能な3枚組チケットKIZNAチケットの販売や、所沢市内の商店街のブロンコスフラッグ掲示、ミニバスのブロンコスカップを開催している。また、マスコットの名前も暴れ馬のKIZNA君である。
 
 
== 脚注 ==
 
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=== 注釈 ===
 
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=== 出典 ===
 
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== 関連項目 ==
 
{{Commonscat|Saitama Broncos}}
 
*[[プライドドリームス埼玉]]
 
 
==外部リンク==
 
 
* [http://www.saitamabroncos.com/ 埼玉ブロンコス公式ホームページ]
 
* [http://www.saitamabroncos.com/ 埼玉ブロンコス公式ホームページ]
  
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[[Category:埼玉ブロンコス|*]]
 
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[[Category:1996年設立の企業]]
 
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[[Category:所沢市の企業]]
 
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2019/5/2/ (木) 00:07時点における最新版

埼玉ブロンコス(さいたまブロンコス、: SAITAMA BRONCOS

日本プロバスケットボールリーグ(bjリーグ)に参加するプロバスケットボールチームのひとつ。2005年に参入。埼玉県所沢市を本拠地とする。



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