坂口力

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坂口 力(さかぐち ちから、1934年昭和9年〉4月1日 - )は、日本政治家医師医学博士公明党特別顧問(厚生労働担当)。

衆議院議員(11期)、労働大臣(第5869代)、公明党副代表、厚生大臣第86代)、厚生労働大臣(第123代)などを歴任。

略歴

人物・政策

  • 省庁再編で統合された厚生労働省の初代大臣である。
  • 日本国政府として、初めてらい予防法によるハンセン病患者に対する「無癩県運動」の日本国政府の責任を認め、2001年5月11日熊本地方裁判所で判決が下された『らい予防法違憲国家賠償訴訟』の国側全面敗訴を受け入れ、福岡高等裁判所控訴しないことを厚生労働大臣として決定し、内閣総理大臣小泉純一郎に進言した。また厚労省官僚は控訴すべきと各所に説明した際には、後年「霞が関はすごい組織です。あの時ほど役人が怖いと思ったことはない」と述べており、厚生労働大臣の辞任を決意していた[4]内閣総理大臣小泉純一郎が控訴を断念し、確定判決なった際には、謝罪声明を発表し、かつてのハンセン病患者・国立ハンセン病療養所入所者に対して謝罪した。
  • BSE感染牛が発見されたことをきっかけに始まった全頭検査は、政治的判断や感情論が大きな背景にあったといわれる。これについて坂口は「風評被害があり、(全頭検査をしなければ)国民の安心が得られない」と説明している[5]
  • 2003年労働者派遣法改法案が議論されていた際、厚生労働大臣として国会で「厳しい雇用失業情勢や働き方の多様化などに対応いたしまして、迅速、円滑かつ的確な労働力需給の結合を促進し、企業活動に必要な労働力の確保を図りますとともに、一人でも多くの方が雇用の機会を得られるようにするためのもの」「今回の直接雇用の促進の措置を法律に明記することにより、さらに派遣労働者から直接雇用に移る労働者がふえるものと確信しているところでございます」と答弁した[6]
  • 2004年3月、鳥インフルエンザが拡大している最中、記者会見において狙いすまして「牛やら鶏やら、モウ、ケッコウ」と発言。会見では大いにウケたが、その後「冗談を言っている場合ではない」と抗議が相次ぎ、結局謝罪に追い込まれた[7]
  • 労働者派遣法をめぐっては、規制緩和を唱えるオリックス宮内義彦およびザ・アール奥谷禮子と、労働者保護を唱える民主党次の内閣・雇用担当大臣」の城島光力が激しく対立。結果として宮内・奥谷路線が政策として採用されたが、議論の過程で宮内の文書や奥谷の行動が問題となり、城島の質問主意書に対して衆議院厚生労働委員会は宮内と奥谷の一連の行動について「議会制民主主義の基本的なルールを踏みにじるかつてない暴論である」との答弁書を決定した[8]
  • 菅直人とは若手議員の頃からの親友である。かつては坂口、菅、伊藤茂社会党)、米沢隆民社党)の4人で「仲良しクラブ」を結成し、定期的に勉強会や研修旅行をしていた。2008年末には衆院第1議員会館で体調を崩した坂口を菅が発見し、腕を抱えて坂口の部屋まで送り届けたこともあった。しかし、菅が首相に就任してからは厳しい視線を送っており、「友人 菅総理に贈る最後の言葉」と題して退陣を促すコメントを発表した[9]
  • 坂口が代表を勤める政治団体である「公明党衆議院比例区東海第二総支部」が、当時の現職社長が脱税容疑で逮捕された医療廃棄物輸送企業「メスキュード三重」(現:メスキュード中央)から計334万円の政治献金を受けていたことが2012年6月に発覚している[10]
  • 日中国会議員書画展へ書画を提供している[11]

語録

政治家は、個人を犠牲にする覚悟があって初めてできる職業です。好きでやっている人がいるとすれば、それは政治屋です。


誰しも自分に犠牲を強いることは楽しいことではありません。政治家とは、自分を抑えて、みんなのために生きなければならない職業の一つなのです。
そして私は政治家である前に一人の人間であり、医師であることも忘れてはいません。これまで、そう信じてやってきました。これからもまた、頑迷にそう信じて「タケノコ医者」の私は政治に携わってゆくつもりです。

— 坂口力 『タケノコ医者』(2001年12月、光文社

役職歴

公明党

  • 特別顧問(厚生労働担当)
  • 副代表
  • 参議院選挙対策本部副本部長
  • 社会保障制度調査会顧問
  • 税制調査会顧問
  • 憲法調査会顧問
  • がん対策推進本部顧問
  • 三重県本部顧問

内閣

議員連盟

脚注・出典

  1. 廣新二 『日本政治史に残る三重県選出国会議員』 275ページ (1985年〈昭和60年〉)
  2. 坂口・元厚労相ら公明6衆院議員、今期で引退2012年8月23日
  3. 公明、特別顧問に坂口、遠藤両氏 執行部は留任:日本経済新聞
  4. 神田憲行 (2017年5月9日). “「控訴断念」を選んだ政治家たちの決意 ハンセン病違憲国家賠償裁判”. 日経ビジネス (日経BP). http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/120100058/042800015/?P=2&mds . 2017閲覧. 
  5. ジェイ・キャスト2012年1月8日
  6. 国会会議事録検索システム 第156回通常国会衆議院本会議 平成15年04月22日 [1]
  7. モウケッコウで厚労相陳謝 首相は「冗談言えないね」 47NEWS 2004年3月5日
  8. サンデー毎日
  9. 産経新聞 2011年6月23日付 『公明・坂口氏が首相に退陣勧告 友人として「心配で見ていられない』
  10. 坂口元厚労相支部、脱税容疑の業者から政治献金 読売新聞 2012年6月16日
  11. [2]NPO法人日中国会議員書画展実行委員会

関連項目

外部リンク


公職
先代:
創設
日本の旗 厚生労働大臣
初代:2001年 - 2004年
次代:
尾辻秀久
先代:
津島雄二
日本の旗 厚生大臣
第86代:2000年 - 2001年
次代:
廃止
先代:
吉川芳男
村上正邦
日本の旗 労働大臣
第69代:2000年 - 2001年
第58代:1993年 - 1994年
次代:
廃止
羽田孜鳩山邦夫