「地獄の門」の版間の差分

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{{Otheruses|叙事詩およびロダンによるブロンズ像}}
 
[[ファイル:Jigoku no mon.jpg|thumb|地獄の門(ロダン作)(国立西洋美術館)]]
 
[[ファイル:Hoellentor Detail gr.jpg|thumb|地獄の門(ロダン作)<br/>「[[考える人 (ロダン)|考える人]]」部分]]
 
[[File:静岡県立美術館-27.JPG|thumb|地獄の門([[静岡県立美術館]] 2014年7月16日撮影)]]
 
  
'''地獄の門'''(じごくのもん、{{lang-fr-short|''La Porte de l'enfer''}})は、[[叙事詩]]に登場する内容、及びそれを[[テーマ]]にして制作された[[銅像|ブロンズ像]]である。
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'''地獄の門'''(じごくのもん、{{lang-fr-short|''La Porte de l'enfer''}}
  
== 叙事詩 ==
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ロダンの作品。 1880年パリの装飾美術館の門扉として,政府から制作を委嘱され着手したが未完成に終った。 88年政府は契約を破棄し,1900年に石膏型のまま公開された。ロダン生存中は鋳造されず,第1次世界大戦後,松方幸次郎の出資により2個鋳造され,1つはロダン美術館,1つは東京の国立西洋美術館にある。 615cm× 390cmのブロンズ製。欄間に『考える人』,頂上に3人の裸体『影』を置き,186の高浮彫の裸体群像で方形の門全面を埋める。ダンテの『神曲』と,L.ギベルティのフィレンツェのサン・ジョバンニ洗礼堂の浮彫門扉『天国の門』 (1425~37) に想を得たといわれる。 1880年代にロダンはこの門の構想のなかから,『アダム』 (1880) ,『イブ』 (81) ,『ウゴリーノ』 (82~1901) など多くの独立した丸彫作品を生み出した。
13-14世紀[[イタリア]]の詩人、[[ダンテ・アリギエーリ]]の叙事詩『[[神曲]]』地獄篇第3歌に登場する地獄への入口の門である。
 
  
'''「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」'''の銘文でよく知られており、深い絶望をあらわす表現としても用いられる。
 
 
=== 地獄の門の碑銘 ===
 
『神曲』地獄篇は、作者にして主人公のダンテが[[古代ローマ]]の詩人[[ウェルギリウス]]に導かれて、地獄を巡るという内容である。「地獄の門」は、この地獄の入口にかかる門であり、『神曲』地獄篇第3歌の冒頭は、門の頂に記された銘文から始まっている。和訳は[[山川丙三郎]]訳より。
 
{{cquote|
 
:''Per me si va ne la città dolente,''
 
:''per me si va ne l'etterno dolore,''
 
:''per me si va tra la perduta gente.''
 
 
:''Giustizia mosse il mio alto fattore;''
 
:''fecemi la divina podestate,''
 
:''la somma sapïenza e 'l primo amore.''
 
 
:''Dinanzi a me non fuor cose create''
 
:''se non etterne, e io etterno duro.''
 
:''Lasciate ogne speranza, voi ch'intrate.'''<ref>{{cite wikisource|title=Divina Commedia|chapter=Inferno/Canto III|wslanguage=it}}</ref>
 
 
 
:''我を過ぐれば憂ひの都あり、''
 
:''我を過ぐれば永遠の苦患あり、''
 
:''我を過ぐれば滅亡の民あり''
 
 
:''義は尊きわが造り主を動かし、''
 
:''聖なる威力、比類なき智慧、''
 
:''第一の愛、我を造れり''
 
 
:''永遠の物のほか物として我よりさきに''
 
:''造られしはなし、しかしてわれ永遠に立つ、''
 
:''汝等こゝに入るもの一切の望みを棄てよ''<ref>http://www.aozora.gr.jp/cards/000961/card4618.html 青空文庫</ref>
 
}}
 
地獄の門の銘文は、門自身が一人称で語りかける形となっており、いわば門の自己紹介であると同時に地獄の紹介ともなっている。
 
 
始めの三行で反復されていることは、この門をくぐる者がこれから行くことになる地獄界のことを指している。すなわち、地獄界と、そこで繰り広げられる永劫の罰、そして地獄の住人のことを端的に言い表しているのである。
 
 
また、次の三行では、地獄が[[三位一体]]の神(聖なる威力、比類なき智慧、第一の愛)の創造によるものであることを示しており、始めの三行が反復しているのは、次の三行で象徴されている「三位一体」の神学に対応しているものである。
 
 
この門の碑文自体も、三行連句が三連に連なっている。そして地獄篇も冒頭の序を除けば33歌から成り、『神曲』自体はおのおの33歌から成る地獄篇・煉獄篇・天国篇の三部から構成されている(地獄篇は34歌だが、巻頭第一歌は総序となっている)。このように「3」という数は、三位一体を象徴する聖なる数として、『神曲』の構成全体に貫かれており、極めて均整のとれた幾何学的構成美を見せている([[神曲]]の項を参照)。
 
 
== ブロンズ像 ==
 
[[オーギュスト・ロダン]]の未完の作品に、前述の「地獄の門」をテーマとして制作された、巨大な[[銅像|ブロンズ像]]『地獄の門』がある。「'''[[考える人 (ロダン)|考える人]]'''」はこの門を構成する群像の一つとして造られたもので、単体作品としても独立して高く評価されている。このロダン作「地獄の門」は、[[上野恩賜公園]]の[[国立西洋美術館]]、[[静岡県立美術館]]をはじめ、世界に7つが展示されている。
 
{{main|オーギュスト・ロダン|考える人 (ロダン)}}
 
 
== 出典 ==
 
{{Reflist}}
 
 
== 関連項目 ==
 
{{Commonscat|La Porte de l'enfer|ロダンの「地獄の門」}}
 
* [[ダンテ・アリギエーリ]]
 
* [[神曲]]
 
* [[オーギュスト・ロダン]]
 
* [[道化の華]]:[[太宰治]]の短編小説。冒頭に上記の詩の一節が引用されている。
 
 
{{オーギュスト・ロダン}}
 
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[[Category:悪魔]]
 
[[Category:悪魔]]

2019/4/25/ (木) 16:30時点における最新版

地獄の門(じごくのもん、: La Porte de l'enfer

ロダンの作品。 1880年パリの装飾美術館の門扉として,政府から制作を委嘱され着手したが未完成に終った。 88年政府は契約を破棄し,1900年に石膏型のまま公開された。ロダン生存中は鋳造されず,第1次世界大戦後,松方幸次郎の出資により2個鋳造され,1つはロダン美術館,1つは東京の国立西洋美術館にある。 615cm× 390cmのブロンズ製。欄間に『考える人』,頂上に3人の裸体『影』を置き,186の高浮彫の裸体群像で方形の門全面を埋める。ダンテの『神曲』と,L.ギベルティのフィレンツェのサン・ジョバンニ洗礼堂の浮彫門扉『天国の門』 (1425~37) に想を得たといわれる。 1880年代にロダンはこの門の構想のなかから,『アダム』 (1880) ,『イブ』 (81) ,『ウゴリーノ』 (82~1901) など多くの独立した丸彫作品を生み出した。